おはようございます。
葉山の神奈川近代美術館の”マン・レイと女性たち”展を見に行ったのは先月の中頃だった。その一部はすでにレポしているが、そのときは、”女性たち”のうち、最初の女性、キキだけの紹介だった。これでは、片手落ちになるので、今回はモンパルナスの女王、キキ以降の女性モデルをも記録しておこうと思う。
マン・レイは著名な写真家であるが、ぼくが彼を知ったのは10年ほど前のこと。藤田嗣治展だったかで、モデルのキキを知ったのがきっかけ。キキは藤田の”寝室の裸婦キキ”(1922)で、すっかり有名となった。その後、写真家のマン・レイのモデルとなり、かつ愛人となり、7年間、同棲もした。ここまでは知っていたが、その後のマン・レイの”女性遍歴”は、本展ではじめて知ることになった(笑)。
マン・レイ(Man Ray、1890-1976)は1921年、ニューヨークから”エコール・ド・パリ”の時代、パリに渡った。ここでキキと出会い、彼女をモデルにマン・レイの代表作とも言われる”黒と白”や”アングルのバイオリン”を発表して、写真家として成功をおさめる。しかし、1929年にキキと別れ、ファッション雑誌の人気モデルでのちに戦場ジャーナリストとして活躍したリー・ミラーをカメラマン助手として雇い、3年間、愛人としても付き合う。1932年、リー・ミラーと別れ、次の恋人はアドリエンヌ・フィドランとなった。5年間、一緒に過ごしたが、1940年には戦火を避け、帰国し、ロスで1946年にジュリエット・ブラウナーと結婚する。そして、1951年、再び、パリへ渡る。1976年、86歳で生涯を終え、パリのモンパルナスの墓地でご夫妻と共に眠る。
以上、名前の出て来たキキ、リー・ミラー、アドリエンヌ・フィドラン、ジュリエット・ブラウナーの肖像写真はもちろん本展で何枚も展示されている。写真撮影が出来ないので、ちらしやマイコレクションなどからの写真をいくつか載せたい。
キキは以前の報告とダブるが、まとめの報告ということで再登場。
キキ
”黒と白”
”アングルのバイオリン”
リー・ミラー
リー・ミラー(ソラリゼーション)
アドリエンヌ・フィドラン (カリブ海の島グアドループ出身のダンサー)
ジュリエット・ブラウナー ダンサー兼モデル。21歳年上のマン・レイと結婚、最後のミューズとして数々の作品に登場する。彼の晩年を支え、モンパルナスで一緒に眠る。
《ジュリエット》(作品集『ジュリエットの50の顔』より)
ほかにもこんなミューズたちも。
ココ・シャネル フランスのファッションデザイナー
宮脇愛子 彫刻家、シュルレアリスムの評論家、瀧口 修造に認められ、渡欧。マン・レイに近づく。
ほかにも画家・彫刻家のメレット・オッペンハイムや歌手のジュリエット・グレコや女優のカトリーヌ・ドヌーヴをモデルにした作品も展示されている。
マン・レイ カメラを持つセルフポートレート
以下公式サイトより。
20世紀を代表する芸術家マン・レイ(1890-1976)。絵画やオブジェ、映画などジャンルを超えて活躍した彼は、1920年代~30年代に成熟期を迎えつつあった写真という新しいメディアの可能性を追求しました。ウクライナとベラルーシ出身のユダヤ系の両親のもと、ニューヨークで育ち、画家を志した20代から本名のエマニュエル・ラドニツキーを改め、「マン・レイ」と名乗るようになります。
既存の価値観を破壊するダダの洗礼を受け、1921年にパリに移り、写真スタジオを設けると、自らが参加したシュルレアリスム運動の活動記録や作品写真、恋人や友人たちのポートレート、ファッション写真などを手がけます。多岐にわたるその作風は、レイヨグラフやソラリゼーションのような実験的な技法と相まって、独創的な表現世界を生みだしました。
本展は、とりわけマン・レイのまなざしが捉えた「女性たち」に光を当て、240点余の作品からその創作の軌跡を追うものです。ユーモアとエスプリに包まれた自由で豊かなイメージをお楽しみください。
こんな作品も。
ペシャージュ(桃・雲・風景)
詩・写真集 ”容易”より
手(レイヨグラフ)
あの日、葉山の夕日がきれいだった。
昨日早朝、夜明けの月がきれいだった。
明日が新月。
今日は冬至で雨。寒いですね。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!