気ままに

大船での気ままな生活日誌

それぞれの軌跡/作家たちが遺したもの

2010-12-27 10:43:18 | Weblog

”図書館納め”をしたつもりだったが、昨日の日曜日、また行ってしまった。行くつもりはなかったが、野毛の動物園へ行く途中の、横浜市立中央図書館のポスターをみたからだ。表記の展示会を館内でやっているというので、つい覗いてしまった。

今年も多くの作家たちが逝った。井上ひさし、清水一行、立松和平、つかこうへいそして三浦哲郎。この五人の足跡を紹介するとともに、当図書館が所蔵している彼らの本を自由に読めるコーナーをつくってあるのだ。立松和平、つかこうへい、とも、62歳と早すぎる死だった。

先日、テレビでつかこうへいのドキュメント番組をみた。演出法がきわめてユニークで、脚本家でありながら、台本をほとんど無視して、役者の心から出る言葉が大事だと、その場で台詞をつくり演技を指示していた。それについては、展示室でも紹介されていて、これは、”口立て”という演出法で、むかしから旅役者も、この方法だったそうだ。”おれの書ける台本は4割、あとの6割は役者さんが書いてくれる”と、いつも言っていた。つかこうへいというと、映画の”蒲田行進曲”を思い出す。とくに大部屋俳優がスター俳優に切られ、階段を転げ落ちるシーンは忘れられない。弱者と強者のいびつな関係を表したものだった、という。彼は在日二世で、日本でも韓国でも認められなかった、暗い過去を背負っていてる。”弱者”の気持ちがよくわかるのだろう。

一方、井上ひさしは、役者には、台本通りの台詞で、一字一句変えてはならない主義だと、きいたことがある。遅筆堂と自ら名乗るほど、開演ぎりぎりまで、最良の言葉を紡いでいた。だから、そんな簡単に変えてもらっては困るということだろう。彼の多彩な著作には驚いてしまう。ひょっこりひょうたん島があると思えば、吉里吉里人があり、父と暮らせばがあり、お米を考える本がある。大江健三郎との対談もあれば、司馬遼太郎も尊敬している。日比谷公会堂での”菜の花忌”でのトークを聞きに行ったことがある。浅草のストリップ劇場”フランス座”が仕事はじめだったこともあり、ここから多くの著名な芸人が出たことから、”フランス座はストリップ界の東京大学(たいした大学ではないとおもうけど)だ”と言ったり、地元鎌倉では”広町・台峯の自然を守る会”の初代理事長や”九条の会”など政治的な会合にも参加している。鎌倉では喫茶店”門”の常連だったそうだ。窓際に座り、小町通りを歩く人々を観察するのが好きだったらしい。展示中の”東海道五十三次”という作品を取り、読み出したら、笑いころげそうになってしまった。また、ゆっくり読んでみよう。

立松和平は道元さんの本を読んだことがある。彼の書斎には空のインク瓶がたくさんころがっていたという。文学くらい効率を求めなくていいだろう、とワープロを生涯使わなかったとのことだ。和平さんのあのやさしい語り口を思い出してしまった。

清水一行は経済小説で有名だが、ぼくが読んだ本はない。ある雑誌(”財界”だったとおもう)の、かれの対談集のページが開いてあってこんな言葉が載っていて笑ってしまった。”証券マンの体質は変わらないよ、みなうそつきだ、どういう嘘つきかというと、知識が豊かでない、勉強していないという嘘つきなんだ。こうゆう人たちの投資信託などにお金をまとめて預けるなんて本当に危険きわまりないよ” ぼくもだまされた口だ、もう絶対預けない(爆)。

三浦哲郎も読んだ本がない。”故郷南部(一戸町)の家で、母が火鉢の前でよく泣いていた。その涙を吸った灰を火箸でとり、壺に入れ、涙壺と呼んだ”そんな文章があった。兄弟のほとんどが、子供の頃、自殺したり、失踪したりした、悲しい血をもつ家族だった、という。”白夜を旅する人々”がこの家族の鎮魂歌として書かれたとのことだ。是非、読んでみよう。

2010年も終わろうしている。亡き作家のみなさんを偲ぶことができた。ありがとう、横浜市立中央図書館。

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真央 世界選手権出場へ

2010-12-26 22:40:50 | Weblog

真央ちゃん、全日本選手権では5連覇を逃したが、来春の世界選手権出場が決まった。絶不調な今シーズン前半戦だったが、年末の全日本で見事復活し、優勝は逃したものの、2位となった。優勝以外、世界選手権出場はないものと思っていたが、好印象を残したためだろう、なんとか拾われた感じだ。GPファイナルに出場した鈴木明子には気の毒な気もする。それだけ、日本のレベルが高いということだ。でも、男女とも最強のトリオがそろい、3月が楽しみだ。

あと三カ月、さらに調子を上げ、前回に引き続き、世界女王になってほしい。

 

 

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わが心の歌舞伎座展

2010-12-26 17:56:15 | Weblog

日本橋高島屋で”わが心の歌舞伎座展”が開催されている。気まま生活に入ってから、歌舞伎座には何度も訪れている。歌舞伎は、あの和風桃山様式の歌舞伎座で観なきゃ、という感じが(今でも)する。国立劇場、新橋演舞場、わが鎌倉芸術館(たまに歌舞伎があるのだ)で観る歌舞伎では、ぼくにとっては、雰囲気的に、ちょっと物足りない。だから、歌舞伎座、取り壊しのニュースを聞いた時、イカッて、ブログにも記事にした。名女形、六代目歌右衛門が”わたしの目の黒いうちは、歌舞伎座をつぶさせないわよ”と言ったそうだが、目が黒くなくなったら、つぶされてしまった。

はじめの設計図では、たしかな巨大なビルの中に、歌舞伎座が埋め込まれるような形だったと思う。わずかに桃山様式の建物の名残を留めるような計画だった。ちょうど、三菱一号館みたいな形だ。松竹、財政的な事情から、一等地の地上部の有効利用ということだろうが、有形文化財にもなっている建物なのだから、それなりの配慮をしてもらいたかった。でも、今回の展覧会をみて、少し、機嫌を直した。新しい歌舞伎座の設計図も展示されていたが、新歌舞伎座は独立した建物となり、背後にビルが建つという設計になった。これなら許せる。六代目歌右衛門も、まあよかろうと天国でつぶやいていることだろう。

歌舞伎座の歴史、思い出の歌舞伎役者の写真のほか、旧歌舞伎座内の看板や案内板(一幕席はこちら、とか、ぼくは、これをみて。本当にここで一幕やるのかと思ってしまった;汗)、ロビーにあった置時計とかが展示されている。花道は本物そっくりに再現してあって、その横に座席までしつらえてある。ここだけは”憧れの花道体験”で、花道に上がることもでき、撮影も可能だった。ぼくも花道横の席で観劇したこともある。義経千本桜のときだったかな。

小鼓、大鼓などの楽器類や波の音、風の音等の擬音を出す道具類の展示も面白かった。歌舞伎衣装は、人気投票の1位から5位に選ばれたという演目の衣装が展示されていた。”勧進帳”の義経、弁慶、”京鹿子娘道成寺”の白拍子花子、”義経千本桜”の源九郎狐などの鮮やかな衣装も真近でみられる。

楽しい展覧会だった。第5期の歌舞伎座の誕生は、2013年春とのことだ。”さよなら公演”の最終週の歌舞伎をみに行ったので、もちろん、”お待たせしました公演”にも行きたいと思っている。

花道

2010年4月26日(閉館6日前)の歌舞伎座

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真央ちゃん 復活ののろし

2010-12-26 09:39:42 | Weblog

昨晩の全日本女子フィギュアスケート選手権。真央ちゃんが復活ののろしをあげた。回避するかと思われたトリプルアクセルを決めて、一気に波にのった。全日本5連覇達成しなければ、3月に行われる世界選手権に出場することは、ほぼ不可能だ。まさに崖っぷちの戦いだった。私は一発勝負に強いと、よく言っているように、まさに、ここぞというときの起死回生のジャンプだった。

これで、今日のフリーも、やってくれるだろう。できれば五輪のときのように、トリプルアクセルを2つ入れ、ダントツのトップで、5連覇を決めてほしい。そして、誰にも文句を言わせない、世界選手権への出場決定へ。そして、世界女王連覇。

一方、第二、第三の”真央ちゃん”の台頭もうれしい。16歳の佳菜ちゃん、そして14歳の理紗ちゃん。それぞれ、3位、4位と、お姉さんたちを抑えた、見事な演技だった。次の五輪では、この娘(こ)たちが主役になるかもしれない。真央ちゃんも、うかうかできないぞ。

この記事は昨日の夜、書くつもりだったが、そのあと、テレビの忠臣蔵を観てしまったので(今年は忠臣蔵にどっぷりなのだ)、記事にできなかった。

今日は、真央ちゃん、優勝の場合は、速報で当日、記事にします。負けた場合には、やけ酒で、昨日の飲み残したクリスマス・ワインを夜明けまで飲みあかし、翌朝、”真央再起不能”のタイトルで、くそみそに書くつもりだ。

そうそう、男子フィギュア、小塚くん、初優勝おめでとう。男子三強も順当に世界選手権出場決定だ。こちらも、16歳になったばかりの羽生くんが、のしてきた。 若手が伸びてくるのをみるのはうれしいことだ。

 

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図書館納め

2010-12-25 18:43:39 | Weblog

寒い一日でしたね。こんな日は、暖かい図書館が一番。それに、もう来週は正月休みに入ってしまうし、仕事をしていないぼくには”御用納め”がないので、”図書館納め”の日にしようと思ったのです。いくつかの図書館が候補に挙がったのですが、やはり、鎌倉市民としては、納めは、鎌倉中央図書館にしないと納まらないとここに決めました。鎌倉駅西口(先日紹介したむかし裏駅と呼ばれバカにされてた寂れた改札口です;爆)から、御成小学校の横を通って、図書館に到着しました。

今年最後の図書館だと思うと、いつもと違い、涙があふれてくるかと、思ったら、(寒かったので)鼻水が出ただけでした。よく行く、二階の郷土資料室の図書(今日はちょっとあることを調べたくて古地図)ををみたりして、すごして、正月休み用に(いつも休みですが)、2冊ほど本を借りて帰りました。別冊太陽の”蔦屋重三郎の世界”と”古書遊覧/珍本、奇書、稀観本”です。正月酒でも飲みながら、部屋で眺めようと思っています。

さて、家に帰ったら、”広報かまくら”に、中央図書館の歴史が紹介されていた。はじめは間島さんという人の寄付で(えらい人だ)昭和11年に町立図書館として開館されたそうだ。その後、戦時中は閉館、21年に再開し、記念講演会として、大仏次郎と吉屋信子が講師だったそうだ。ただお金もなく、本も買えず、市民の寄付によって、本を集めた。また、入館料をとり、子供5銭、大人10銭だったとのこと。ただ10冊以上寄付してくれた人には優待券をあげ、無料で入れたとそうだ。久米正雄の優待券が、今も図書館に残っているとのことだ。図書館も苦難の歴史をこころに秘めていたのだ。

下の写真は、鎌倉中央図書館ではありません。途中の、御成小学校です。むかし御用邸のあったところです。皇族が御成りになったということで、第三小学校ではなく、御成小学校の名前になったそうです。これは古い校舎で、今は使われていないと思います。奥に新しい校舎があるので。

虚子のお孫さんも通った関係で、門柱に虚子の字で学校名が書かれています。りっぱな門です。

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2010年報道写真展

2010-12-25 10:10:38 | Weblog

三越日本橋で、東京写真協会主催の”2010年報道写真展”が開かれている。さすが、プロの写真家のだけあって、決定的瞬間を見事にとらえた写真がずらり並んでいた。入り口付近に、プロの使うカメラが置いてあって、自由に使わせてもらえる。ファインダーを覗きこんで、シャッターを押したらびっくり。パチパチパチ・・・・と休みなくシャッター音が続く。これなら、ぼくだって、決定的瞬間を撮れると思った(笑)。

報道写真だから、今年の重大ニュースの写真が主体で、はじめは生物多様性の関係で、かわいらしい動物の写真が並んでいた。スポーツも、この一年、いろいろなことがあった。白鵬の連勝が稀勢の里によって止められた写真は、客席に落ちてが苦笑いしている白鵬に焦点をあわせ、土俵上の稀勢の里が無表情で戻る姿をぼかして撮ったものだった。この写真はいつみてもいい。あのときのうれしさがこみ上げてくる(白鵬フアンの人、ごめんなさい)。朝青龍引退会見の寂しげな顔の写真も。海老蔵と同じで酒の上の喧嘩ぐらいで大騒ぎするなよ、相手もろくな奴じゃないんだから、とまたイカリがこみあげてきた。

ワールドカップでは、カメルーン戦での先制ゴールした本田選手をベンチ前でチームメートから祝福を受けている写真が。このゴールで、勢いがついた。まさか決勝リーグに進めるとは夢にも思っていなかった。でも、決勝リーグのPK戦でベスト8を逃したのは、本当に残念だったな。

バンクーバーオリンピックは、真央ちゃんの3回転半の連続写真。ショート、フリーで3回も成功させた、歴史的快挙だった。それでもキムヨナに負けた。フリーでちょっと失敗したので、銀メタルでしょうがないけど、ショートのトリプルアクセルを含む完璧な演技で、キムヨナに5点も離され、2位だったのには、世界中が驚いた。明らかなエコひいき採点だった。それがフリーの演技に響いたに違いない。表彰台の写真もあったが、真央ちゃんの悔しそうな表情がよく撮られていた。そして、イチローの十年連続200本安打。スポーツ界もいろいろなことがあったのだ。そうそう、石川遼がペブルビーチでプレーしている空に大きな虹がかかっている写真も印象的だった。

小惑星探査機”はやぶさ”が地球に帰還する瞬間(銀河の前を横切った光跡)を捉えた写真も感動的だった。上野の科博で、はやぶさの実物大模型をみてきたっけ。政治では、鳩山首相と小沢幹事長辞任のとき、両者が握手している小沢の、無念の表情がよく撮れていた。一方、管総理が国会で決まったときの、小沢のふくれ面も面白かった。(民主党政権を選ばせた)”世論”というものがいかに、いい加減なものであるかを示した、民主党政権のおそまつな1年だった。尖閣問題の写真は、海上保安庁の船と中国漁船が併走している、つまらない写真だった。流失ビデオの方がずっと迫力があった。海保の人も写真を撮っていただろうから、それを、ここに出せば特賞だっただろう。

今年、亡くなられた方々の写真も並んでいた。若いときの藤田まことの顔が笑っていた。てなもんや三度笠以来のフアンだった。こうして、一年は、そして一生は、あっという間に過ぎてゆくのだ。

(ちらしの写真より)

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ぶらり日本橋

2010-12-24 21:14:59 | Weblog

今日はふたりで、”ぶらり日本橋”。日本橋三越で開催中の”2010年報道写真展”をみて、三越前のイタリアンランチをとり、そして日本橋高島屋に向かった。”わが心の歌舞伎座展”が開催中だからだ。どちらも、楽しめた。これらについては、明日にでも記事にしようと思う。

今日はクリスマスイブだから、日本橋界隈はクリスマスツリーが、あちこちに建っていた。三越にも、高島屋にも、そして、むかし東急デパート(もっとむかしは白木屋だった)のあったコレド日本橋の前にもあった。

本当は、夕方まで、この辺りを散策して、どこかのレストランでクリスマスイブの食事でもと思っていたが、東京駅八重洲口前の北海道アンテナショップで、ワイフがロイズの生チョコを買うというので、入ったら、おいしそうな、蟹とイクラとウニの載った弁当に目にとまった。そして、今晩はこれにしようと、家で食べることになった。夫婦そろって、気ままな性格なのだ(汗)。それにしても、クリスマスイブに北海道産の蟹・イクラ・ウニとは、どういう関係があるのだろうか。

三越

高島屋

コレド日本橋

これは、なんだろう。

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表駅 裏駅

2010-12-24 09:39:04 | Weblog

いつかの公開講座で、鎌倉生まれの70歳代の先生が、鎌倉駅周辺の話をしてくれて、新参者のぼくには、へー、そうだったんだと、とても面白く聞かせていただいた。今でこそ、鎌倉生まれというと、誇らしく堂々といえるけど、自分たちが小学校の頃は、はずかしくて、先生に教室で、何処で生まれたの、と聞かれ、東京と答えてしまったそうだ(笑)。

鎌倉は古都とはいえ、幕府が滅びてから、しばらくして寒村となり、漁師さんや農業を営む人達が住民の主流だった。近代に入り、東京のお金持ちさんが、別荘を建てるようになり、また鎌倉文人たちが集まるようになり、その後、高級住宅街となっていったのだ。だから、小学校も、お坊ちゃん組と鎌倉生まれ組とが混在して、なんとなく子供心に引け目を感じていたのだそうだ。

先生が子供の頃、鎌倉駅の西口は裏駅といっていたそうだ。東口も、今のバスターミナルの場所が、当時はがらんとした広場で、そこで子供たちが野球をして遊んでいたそうだ。だから西口は、もっとさびれていて、もうただの出口(爆)に過ぎず、”裏駅”と呼ばれたのだろう。

今の大船駅も、東口と西口では、人出に雲泥の差がある。東口には近在では有名な庶民商店街(笑)、仲通りがあり、連日アメ横のように賑わっている。一方、西口は、すぐ傍に柏尾川が流れ、その向こうには大船観音さまの山があり、発展する余地がない。だから、山の向こうに住宅街や進学校で有名な学校などがあるだけである。

だから、大船の表駅は東口で、西口は裏駅です。ぼくは東口方面に住んでいます。えへん。笠智衆は西口方面に住んでいました。劇作家北条秀司も西口です。フラワーセンターも西口です。人のゆく裏に道あり花の山。ぼくも、西口のマンションの方が良かったかな。

東口仲通り

西口”裏通り” がらーん

 

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夜明け前

2010-12-23 10:43:07 | Weblog

10年も前に、夜明け前の西空に、この世のもとは思えない、うつくしい赤い満月を観た。昨夜の満月をみて、ふと、そのときのことを想い出し、まだ夜の明けない5時半に朝散歩に出かけた。ひょっとしたら、あの赤い満月が、またみられるかと思ったからだ。

マンションのドアを開けたら、いきなり夢は破られた。西の空にはこうこうと、普段と同じ色のお月さまが目に入ったのだ。残念だったけど、外に出た。ちょうど東から西に流れる砂押川沿いを歩いた。街灯の灯りだけだから、自然と目は空にゆく。満月のお月さんと、前方の明けの明星。交互にみながら歩く。

今まで気付かなかったが、金星の周囲に、金星を頂点にちょうど三角になるように、ふたつの星があった。”冬の大三角”のまねをして”夜明け前の大三角”と命名した(笑)。帰ってから調べたら、ちょうどその時間に土星がいることになっていた。金星と土星が、三角の二点だったのだ。もうひとつの星も加えると、ちょうど台形になって、”冬のダイヤモンド(冬の大六角形)”のまねをして”夜明け前のルビー(夜明け前の大台形)”と命名した。

今、一番夜の長い時期だから、なかなか夜が明けない。それでも鎌倉街道に出ると、明るい街灯の中、仕事の車が随分、走っていた。ご苦労さま。さらに先を行くと、また暗くなった。ちょっと、真っ暗闇の林の道に入りこんで、古代の人の気持ちになってみて、妖怪の出てくるのを待った(笑)。こうもりみたいのが、驚いて飛び立っていった。

ザリガニの発祥地だった広場で夜明けを待った。お月さまは、相変わらず、赤くなってくれなかった。そのうち、大三角もルビーも消えて、夜が明けた。そこから大長寺に向かい、お参りした。まだ薄暗い中、境内の日本水仙が大分咲いてきた。そうだ、この天気なら富士山がみえそうだと、そこから高台の青木神社に向かった。その間、日の出があり、急に明るくなった。神社の急階段を昇って、振り向くと、そこには朝日を受けてピンク色に輝く、雪をかぶった富士山をみることができた。お月さまは、もう白くなっていた。

赤い満月は、みられなかったけど、ピンク色の富士山はみえたし、夜明け前のルビーは見えたし、とてもうれしい朝散歩だった

 

 

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冬至の名月

2010-12-22 23:03:41 | Weblog

昨日は北海道のひとだけが初冬の名月、赤い月をみて喜んだ。ほかの地域の人はやけ酒飲んで、赤い顔をして、自分の丸い顔を鏡に写して悲しんだ。でも、今日、冬至の日は、まだ見ためは満月のお月さまが、7時頃、東の空から昇ってきた。酔っぱらって赤い顔したお月さま、見たかったけど、まあ、いつもの通り、しらふというか、柚子色の黄らふ、というか、どちらでもいいいけど、まじめなお月さまに再会できてとてもうれしい。

ぼくは、現役時代、毎朝、冬でも5時半から朝散歩をしていたが、いつか、まだ真っ暗な頃だから、ちょうど今ごろだったかもしれない、西の空に真っ赤な満月をみて驚いたことがある。昨日の、日記に紹介した、3年前の皆既月食のような、いやそれ以上に真っ赤な満月だった。国立天文台のホームページで、月の動向を調べてみたら、明日6時には、まだ日の出前の西の空にお月さまは、残っている。是非、明日、5時半に散歩してみよう。あのときのような、赤い月がみられるかもしれない。おねがいお月さま。

そしたら、今日のお月さまを”冬至の名月”として、ぼくの小さな胸と大きなお腹(汗)に、一生(残り少ない)きざみつけておこうと思う。そして、松ぼっくりのトナカイに乗って、クリスマスプレゼント、(月餅がいいかな)をもってゆきたいと思う。明朝、楽しみだな。

 

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