気ままに

大船での気ままな生活日誌

年末のフラワーセンター

2010-12-22 09:27:50 | Weblog

年末のフラワーセンター、ごらんください、いつもは人であふれている芝生の広場。本当に誰もいない。歌の文句じゃないけれど、今はもう年末、誰もいない広場。パンジーだけがひっそりと。こんな光景は、生まれてはじめて。平日の、誰もが忙しい年末の、それも曇天の午後、のんびり植物園に遊びに来る人なんていないかもしれない。でも逆にいえば、こんな静かな植物園をぶらり散策できる幸運。幸せいっぱい、胸いっぱいです。もう一度、今年の最終日に行きたい。

でも、バラ園まで来たら、なななんと、お仲間がいた。こちらは、写生グループだった。薔薇もまだ、随分咲いていた。本当に四季薔薇だ。とくに、”うらら”という赤いバラがとても元気そうだった。♪うららうららうらうらこの世は私のためにある見ててごらんこの私 今にのるは玉の輿みがきかけたこの身体そうなる値打ちがあるはずよ♪ たしかにリンダちゃんみたいだった。この前、テレビでみたけど、みがきかけたこの身体、変わらないね。でも、玉の輿にのったんだっけ?

うらら

冬桜が満開。群馬県、三波の出身で地元のは天燃記念物になってるらしい。三波石の処かな。三波春夫といえば、俵星玄蕃、赤垣源蔵と忠臣蔵関係が多いな、でもやっぱり、チャンチキおけさ、が一番。♪国をでるときもってきた大きな夢を盃にそっと浮かべてもらすため息チャンチキおけさ おけさ涙で曇る月♪ あの頃の日本人はみな大きな夢をもっていた。

その横の大島桜。倒れても、懸命に生きてる様は、胸をうつ。免疫学の権威、多田富雄さんを想う。脳梗塞で倒れ、半身不随になり、それでも、お能の創作や文筆活動を亡くなるまでつづけた。随筆集”寡黙なる巨人”で小林秀雄賞が授与され、平成の”病床六尺”と讃えられた。大島桜の幹に、枯れ枝によくつく、腐朽菌の種類がいっぱいついていた。かゆいだろうと思って、いくつかはがしてやった。

椿園では、いくつかの品種が花開いていた。山茶花の血の入った寒椿は大分前から咲いていたが、花ごとぼとりと落ちる椿は今日、はじめて咲いているのを観た。

資料展示室ではこんな展覧会があった。次々とわが人類によって滅ぼされていく植物たち。絵をみて、かわいそうに思った。ホモ・サピエンスの意味は”知恵のある人”だという。聞いてあきれる。知恵のない人と学名を変えてほしい。アホ・バカボンスが適当だろう。

ぼくの愛人、ひねまる子ちゃん(枝垂れエンジュ)は、お正月前に美容師さんにきれいにしてもらっていた。こんど来るときは、葉を全部落とした、全裸のくねくねした身体をみせてもらえるだろう。楽しみだ。

 

 

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皆既月食 残念だったけれど

2010-12-21 21:17:01 | Weblog

楽しみにしていた皆既月食。赤銅色の月を是非見たかったんだけど、関東地方は天気予報通りの曇り。そして、今8時半現在は雨。夕方の東の空は薄曇りだったので、ちらりとぐらいなら、と思っていたのだけれど、このありさま。何もみえない。

国立天文台のホームページによると、皆既日食の最大は17時17分。”いいないいな”のいい時間。上の写真は、いいないいなの時間にベランダから撮ったもの。ああ、残念。

でも7時のNHKのニュースで北海道ではみられたのこと。札幌の友人、H君良かったね。小樽の女(ひと)、良かったね。赤銅色の満月。

今年は、赤銅色がちょっと、鮮やかでなかったらしい。国立天文台ホームページの3年前の赤銅色の皆既日食。火山の噴火とか、大気の加減で変わるらしい。

赤銅色になる理由。

ニューヨークでも、真夜中3時に観ていたとのこと。

”いいないいな”空って。こんなニュースも朝刊にのっていた。地球から16万年光年離れた、超新星の爆発を宇宙望遠鏡がとらえた。赤い風船。諸行無常、太陽だって、このように、いつかは終わりを迎えるのだ。ぼくらの一生なんて、宇宙年齢からすると、ほんの一瞬だし、人類の”一生”だって、生物界で、今は、いばってるけど、ほんの一瞬のことだ。

皆既月食は見られなかったが、本日、稀勢の里が東の関脇に復帰したことはうれしいことだ。赤銅色の黒星や赤い縁の黒星ではなくて、白星を重ねてほしい。白鵬は黒鵬にさせます。稀勢の里を優勝させるためには、ぼくが泥をかぶり、カネと八百長、政治とカネ、野球賭博、何でもやります。ついでに、偉そうなこと言ってる、偽善評論家どもも、ぶんなぐってやります。

 

 

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主情派、清方の美

2010-12-21 12:54:45 | Weblog

鏑木清方記念美術館で、七絃会開催八十年記念展として表記の展覧会が12月12日まで開かれていた。ぼくは先月に行っているのだが、その感想文を書いているつもりでいたが、よく調べてみたら、そのとき"鏑木清方と七絃会の作家たち”という講演会があり、講師でいらしていた平塚美術館長の草薙奈津子さんが話されたことを、別の記事でちょっと紹介しただけだった。以下のミーハー的なことである(笑)。

明治時代初期に、龍池会という美術団体ができて、明治20年に”日本美術協会”と改称され、それが現在も存続している。その協会が、1989年から、絵画、建築、演劇等の分野で顕著な業績を上げた人を全世界から選び、”高松宮殿下記念世界文化賞”として表彰している。今年、女優として初めて”演劇・映像部門”で受賞されたのが、先日、来日されたソフィア・ローレンさんだった。授賞式に出られた奈津子先生は、彼女の首飾りがすごくきれいだったと女性らしい感想を述べていました。という文章だった(笑)。

七絃会というのは、官展に対抗して、三越百貨店美術部が主催した日本画のグループで、鏑木清方をはじめとした、靫彦、古径、青邨、契月、麦僊、百穂の七名がこれに列した。講演会では、これらの画家たちの、当時の作品をパワーポイントで紹介していただいた。七絃会には、途中から、清方の推薦で御舟も入り、1934年、第5回七絃会に”白鷺紫閃”を出品している。清方は御舟を高く評価していたことがよくわかる。それぞれの作品についていろいろ興味深いことが話されたが、記憶があいまいになってきたので、ここでは省略させてもらい、本展覧会のことに入りたい。

ここでは七絃会展の出品作品だけではなく、同時代の作品も展示している。二曲一双の”桜もみじ屏風”がはじめにでんと控える。これは3回展の作品だ。遠出する姉妹、キセルで一服する。桜紅葉と桔梗がうつくしい。姉妹の着物もいい色だ。浅葱色というのかな。

”花ざかり”。大奥の女中さん。上野の花見をしているところらしい。そういえば、花びらが散っている。”明鏡”鏡にうつる自分に見惚れるオナシスト(爆)。いずれも茨城県近代美術館所蔵。元茨城県民としては鼻が高い。”汐路のゆきかひ”もそうだ。

”お夏清十郎物語”は、第10回七絃会に出品している。いかにも清方らしい、いい絵が六図。”大和路のある家”昭和5年作。唐招提寺南大門前に建っていた味わい深い家を描いた。何でそんなことまで知っているかというと、学芸員さんの説明があったから(汗)。”一葉(下絵)、婦人図(スケッチ)、たけくらべの美登利(下絵)。美登利といえば、おいしい寿司屋さんが世田谷の方にあったな。

清方さんっていいな、そうかい、そんなにいいかい、寿司食いねえ、江戸っ子だってねえ、そうよ、神田じゃなくて三鷹の生まれよ、まあそれでもいいや、寿司食いねえ、美登利寿司食いねえ、そして、その一の子分は誰だね、そうだね、シ・・・。深水かね、そうだな、あいつは娘も美人だし、あいつの美人画には適わんなあ、寿司食いねえ、えっ、深水じゃないって?、いったいそいつは誰だ。・・・・シブがき隊だな。立ち直りが早いな。”寿司くいねえ”の歌が好きなんだな。

。。。。。

明鏡と花ざかり

お夏清十郎物語と汐路のゆきかひ

一葉(下絵)と婦人図(スケッチ)そして、遅れて記事にしたお詫びに、すでに始まっている展覧会のちらしを掲載します。鎌倉にお越しの節はお寄りください。お寿司をごちそうします。大船の回転寿司です。

 

 

 

 

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円覚寺 初冬

2010-12-20 21:15:59 | Weblog

午前中、大船でバリウム飲んで、毎年恒例の胃がん検診。今年も無事でありますように。ゲゲゲのゲザイを飲んですっきり(汗)。そして、北鎌倉へ。来春の高校クラス会の予約を早めにと、今年ミシュラン一つ干し星になった、鉢の木北鎌倉へ。無事OK。そして、円覚寺へ。初冬というより、まだ晩秋。紅葉もきれいだった。でも、初冬というより初春の雰囲気も。もうロウバイが花開いていた。狼狽した。漱石がいて小津安二郎がいた。小林秀雄はいないけど、隣りの東慶寺にいる。だから、円覚寺は好きなのだ。

紅葉

ロウバイ

漱石 帰源院

漱石 門

小津安二郎の墓 無

小津 秋日和

真民さんもいいなあ

明日の皆既月食は、関東では望みうすだって?さみしいなあ。楽しみにしてたのに。奇跡よおこれ。もうほとんど満月だな。夕方の東の空から昇ってきた今日のおまえは、本当に、お月さまのようにうつくしかったよ。あたりまえだって?。たしかに。明日、天気になあれ。

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映画 最後の忠臣蔵

2010-12-20 10:45:36 | Weblog

杉田成道監督 ”最後の忠臣蔵”を観て来た。題名の通り、忠臣蔵は元禄14年の義士の切腹で終わっていなかった。その16年後、ようやく終幕を迎えたのだった。当代きっての二大俳優、役所広司と佐藤浩一の好演で、感動的な、とてもいい映画であった。

四十七士のひとり、寺坂吉右衛門(佐藤浩一)は、大石内蔵助(片岡仁左衛門)の命を受け、志士たちの家族を訪ね、討ち入りの詳細を伝えると共に、経済的な支援を行う。一方、討ち入りはせず、前日、逃走したと思われていた瀬尾孫左衛門(役所広司)も、討ち入り前夜、内蔵助から密命を受けていたのだ。それは、内蔵助が病弱な側女との間に出来た子供がいるので、成人するまでめんどうをみてやってくれというものだった。

16年の月日が流れ、佐藤浩一は、最後の遺族、不遇な日々を送る、風吹ジュンを探しあて、なぐさめるとともに、内蔵助からの小判をわたす。これで佐藤の任務は終わった。その帰り道、偶然、友人だった、役所広司の姿をみかけ、この物語は始まるのだ。

内蔵助の姫(桜庭ななみ)は16歳のうつくしい娘に育っていた。母は出産後、すぐに亡くなり、役所が、武士の娘としてのしつけもしながら、育てたのだった。そして、りっぱな商家の若旦那(山本耕史)に見そめられ、嫁入りするところで、彼の任務は終わる。

この間、役所は自分の任務は誰にももらさなかったため、討ち入り直前に逃げ出した、卑怯な男として以前の同僚からはずかしめを受け、佐藤とも斬り合いの対決もする。しかし、あるきっかけで、彼の任務が知られ、内蔵助の姫の嫁入り行列のときには、内蔵助にお世話になった関係者たちが、かがり火を持って、次々と参列する。そして役所に、これまでの非礼をひれ伏してわびる。じーんとくるシーンだった。

そして、思わぬラストシーンが待っている。婚礼の場に役所がいない。任務を終え、義を果たした、役所の残された道は、16年前、死んでいった内蔵助そして義士たちのところにいくことだけであった。仏壇の前での、壮絶な切腹シーンで、この映画は終わる。

武士道のかけらもなくなった、政財界人に是非、みてもらいたい作品である。

。。。。。

最後の忠臣蔵 ふたりの義士

内蔵助と娘

 

 

 

 

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泉岳寺を訪ねて

2010-12-19 18:38:10 | Weblog

義士祭の翌日、12月15日、泉岳寺を訪ねた。忠臣蔵の浮世絵を連続してみたこともあり、久しぶりに行ってみたくなった。三十年振りぐらいかもしれない。横浜の歴博の展覧会をみたときだから、京急横浜から特急でいくと、あっという間に品川で、その次の駅が泉岳寺である。

駅から、すぐのところに泉岳寺はあった。赤穂浪士討ち入りの翌日だったこともあるだろう、観光バスも何台か止まっていて、たいそう賑わっていた。本堂にお参りして、墓地の入り口まで来ると、”首洗い井戸”の標示に目がとまった。吉良上野介のだ。その井戸の囲いの石の柵に川上音二郎建立と彫られていた。茅ヶ崎に別荘をもった、あの音二郎である。そして、天野屋利兵衛の碑。浪士を支援し、”天野屋利兵衛は男でござる”、で名をなした。

入り口で、お線香と”義士銘々伝”という小冊子を売っていたので、買って入った。浅野内匠頭と奥方の墓の向こうに、四十七士の墓がある。右奥の隅には大石内蔵助の、そして左隅には大石主税の墓がある。昨日の歌舞伎では、幸四郎が内蔵助を、染五郎が内匠頭を、福助が奥方を演じた。

堀部安兵衛、赤垣源蔵、矢頭右衛門七、等々、馴染みの義士名前が並ぶ。戒名の上に”刃”とあるのは、切腹したということだそうだ。ひとりだけ、”刃”のない戒名があった。寺坂吉右衛門である。先の”義士銘々伝”によると、本懐を遂げたあと、内蔵助の命を受け、一党の遺族、関係者を歴訪し、顛末を報告した。その後、江戸に帰り、自首したが、時効を以って、取り上げられず、83歳まで生きた。泉岳寺の墓は、慶応4年に供養のために建てられたということだ。

現在、上映中の”最後の忠臣蔵”は、この寺坂吉右衛門(佐藤浩一)と、密かに生き残った瀬尾孫左衛門(役所広司)のふたりが主人公である。今日、この映画をみてきたので(汗)、明日、報告します。

月雪の中や命のすてどころ (基角)  義士を讃える作品のはじめだそうである。

。。。。。

大石内蔵助の像と墓

 

義士の墓

義士の墓。行年18歳、矢頭右衛門七。堀部安兵衛。寺坂吉右衛門。

 

 

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歌舞伎 仮名手本忠臣蔵

2010-12-19 09:43:14 | Weblog

浮世絵忠臣蔵を二本続けて観てきたので、”二度あることは三度ある”にしなければいけない、という強迫観念で(汗)、半蔵門の国立劇場に行ってきた。仮名手本忠臣蔵を開演中なのだ。チケットはすぐ採れた。ちょっと奮発していい席だったので、役者さんの顔の表情もばっちりみえて、大変、満足した。

歌舞伎の”仮名手本忠臣蔵”は、この年になって、初めて観る。でも、ストーリーは大体、分かっているし、とくに、今回は11段のうち、三段目”松の間刃傷の場”、四段目”判官切腹の場、表門城明け渡しの場、そして間に、浄瑠璃の”道行旅路の花むこ”(お軽、勘平)が入り、七段目”祇園一力茶屋の場”そして大詰めの十一段、討ち入りの四場面と、誰でも知っている名場面ばかりだから、歌舞伎鑑賞の経験の少ないぼくでも十分楽しめる。

大星由良之助(内蔵助)役は松本幸四郎。そして。なななんと、高師直(吉良)役も幸四郎。はじめ、三段目に憎々しげな顔つきで登場する(じょうずだな)。そして、息子の染五郎(塩治判官;内匠頭)をいびり、刃傷沙汰に。あそこまで、言われれば、俺だって、ぶすりとやってしまうな。情状酌量の余地はある。こういうときは素人裁判員制度を採用してほしい。せいぜい執行猶予付きの懲役1年だな。

最後の十一段ではどうするのだろうかと心配した。このままだと、幸四郎が幸四郎の首をとらなければならない。自殺行為だ。でも、ちゃんと考えていた。高師直役は、幸い、幸太郎だった。役が多いから、みんな、二役、三役と兼ねている。染五郎だって、塩治判官のあとは、浄瑠璃で、早野勘平役、七段目寺岡平右衛門役をやっている。福助も塩治判官の奥方役とお軽をやっている。

塩治判官が由良之助はまだか、と切腹を遅らせていたが、なかなか来ない、ではそれならばと小刀を腹に刺す。その瞬間、花道から由良之助が駆けつける。ぐっとくるシーンだ。近こう寄れ、この刀を形見にといい、果てる。由良之助は殿さまの真意を知る。

そしてメインの、十一段は、表門討ち入りの場、そして奥庭泉水の場では吉良方、小林平八郎(中村錦之助)と竹村喜太八(児太郎)との戦い、そして炭部屋での吉良討ち取りの場面。最後は、引き揚げの場。義士の面々が師直の首を掲げ、花水橋を渡ってくる。そこへ、石堂右馬之丞(左団次)が馬で駆けつけ、役目上、行列を制止する。しかし、本懐を遂げたことを聞き、目に涙を浮かべ、これぞ、武士の鑑、とほめる。由良之助は礼をする。幕が閉まり、幸四郎はみえを切り、花道を去って行く。感動のシーンだ。

歌舞伎は舞台装置も鑑賞する価値がある。すばらしい舞台だったと思う。討ち入りのときの雪の降るさまは見事だった。お軽勘平の戸塚の舞台。満開の桜と、中央に富士山がうつくしい。なんともいえない、夢のような景色だった。

。。。。。

二役演じる幸四郎、染五郎、福助。

 。。。。。

さて、次の忠臣蔵は、映画と寄席かな。

 

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あかつき、明けの明星そして日の出

2010-12-18 09:04:57 | Weblog

今朝の、あかつき、明けの明星そして日の出です。

朝のこない夜はない。

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”浮世絵・忠臣蔵” 神奈川県立歴史博物館

2010-12-18 08:58:48 | Weblog

赤穂浪士の討ち入りの翌日、12月15日に、横浜の、県立歴史博物館で開催中の”浮世絵・忠臣蔵”展をみてきた。見どころ満載、素晴らしい展覧会だった。はじめて知ったのだが、同館には丹波・浮世絵コレクションが約6000点もあるそうだ。コレクターの丹波恒夫氏は雪景色を好み(ぼくもそう)、雪降る場面の多い、仮名手本忠臣蔵の浮世絵を集め始めたようだ。今回の展示は、このコレクションが中心になっている。

第1章、その物語。広重の、大序(初段)から十一段すべて、とくに圧巻の討ち入り場面(十一段)は六図と、ずらりそろい踏みの豪華なものだった。前回、紹介した太田記念美術館では、このうち四つあるだけだった。もともとぼくは広重が好きだから、はじめの、この広重シリーズだけで、もう十分満足してしまった。

そして、豊国、国清(二代)、北斎、国芳ら多くの絵師たちによる各段の場面が次々と現れる。広重も、またこのコーナーでも、各段の、前述のものと違う絵がいくつも出てくる。巻之十二というのもあって、これは、塩治判官(内匠頭)のお墓の前で、高師直(吉良)の洗い首を差し出し、報告する場面もある。豊国(三代)が描いている。

第二章、英雄たちの肖像。ここでは国芳らによる、大星由良之助(内蔵助)を中心に、志士たちの肖像画。四十七士全員集合の、とくに白黒ギザギザ模様の火事装束を身にまとった義士たちの、さまざまな場面での”肖像画”も多数。

第三章、”忠臣蔵”を演じたスター。歌舞伎役者が演じた、名場面の数々。斧定九郎を演じる、市川団十郎。斧定九郎は落語の演目”中村仲蔵”に出てくる。今年、鎌倉芸術館で、小朝の噺を聴いた。仲蔵には斧定九郎の役がふられた。当時のこの役は目立たないもので、いじわるされたようなものだった。ところが、仲蔵、これまでの”斧定九郎”のイメージを一変させ、衣装、所作まで、さまざまな工夫をする。仲蔵の演技に客席は静まり返る、終わってもざわざわしている。その後、斧定九郎は重要な役となり、団十郎が演じるまでになったのだ。

第四章、愉快な”忠臣蔵”。歌麿の”高名美人見立て忠臣蔵十二枚つづき、広重の”見立滑稽忠臣蔵”、国芳は、”見立ててうちん(チョウチン)蔵など、お笑い忠臣蔵の数々。

そして、締めは、第五章、”忠臣蔵”と神奈川。仮名手本では、結構、神奈川が出てくる。大序の鶴岡八幡宮。お軽、勘平の戸塚、以上はフィックションだが、川崎の平間村(現在も地名は駅名として残っている)の軽部家に10日ほど、江戸入り前に大石内蔵助らが宿泊したのは史実である。軽部家のお墓は、ぼくの元実家の近くの多摩丘陵のお寺にある。

とても充実した、忠臣蔵・浮世絵展だった。忠臣蔵だけではなく、また丹波コレクションの展示に注意を払っておこう。

これから、歌舞伎の”仮名手本忠臣蔵”を観に行ってきます(汗)。

。。。。。

広重シリーズ

討ち入りの場面(渓斎英泉)

吉良を討つ場面(広重)

墓前報告の場面(豊国)

大星由良之助(国芳)と斧定九郎(豊原国周)

神奈川関係 早野勘平(戸塚)とおかる(保土ヶ谷) (豊国三代) 四十七市像(川崎称名寺)、軽部家のお墓は別のお寺。

おわりに色っぽい絵(月岡芳年)

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ふたご座流星群はみられなかったけど

2010-12-17 10:58:32 | Weblog

国立天文台が、”ふたご座流星群を眺めよう”キャンペーン(2010年12月13日夜~16日朝)をやっていたので、是非にと、チャンスを伺っていたが、お天気とか、酔ぱらって寝てしまったとかで、みられなかった。その時期は過ぎてしまったけれど、昨晩、テレビをみながら、うとうとして目が醒めたのが10時半。”ぶらたもり”を途中からみて、見終えたあと、ベランダに出た。まだ沈まない上弦の月プラス3日のお月さまが南西の空にこうこうと輝いていた。それでも、オリオン座は正面にみえるし、シリウスを大将とした冬の大三角、そして冬のダイヤモンドもはっきりわかる。よし、今夜こそ、流れ星のひとつやふたつ、みてやるぞ、1時までは起きていようと決心した。

 月がマンションに隠れ始めた、0時頃から、ベランダに出て、ふたご座方面を中心に目をこらした。月明かりがじゃまして、弱い光りの流れ星は無理だけど、シリウス並の流れ星なら十分みえる。15分に1度くらい出現してくれれば、4回もみれる。お月さまお願い(おかどちがいかな)、星に願いを、かな。

あっ、と思うと、それは飛行機の灯りだった。点滅しながら、いつまでも消えずに東の空にむかってゆく。今度は東の空から。公費をつかって、自衛隊機が流星群観察にきたのかな、天文台じゃなくて、れんぼうさんに連絡しておこう。でも、おどろいた。深夜に随分、羽田からの離着陸が多いのだ。1時間に10機以上観察した。どうもご苦労さま。

でも、肝心の流れ星はひとつもみられなかった。ベランダといっても、寒いので、何度か部屋に暖をとりに行ったり、トイレにも行ったりした。その瞬間をねらって、星が流れたのかもしれない。いじわる  突然ですが、(盛り上がっているとき、よく話を折る人がいますね、それと同じです)♪星の流れに 身を占って 何処をねぐらの 今日の宿 すさむ心で いるのじゃないが 泣けて涙も 涸れ果てた こんな女に誰がした♪ 自己責任です、人のせいにしないでください。

ふたご座流星群はみられなかったけど、夜空の星を観ていて、ぼくが子供の頃、庭の片隅で、夜空をながめて、あの星たちの光は何万年も前のが今、届いているんだ、と気が遠くなる思いをしたことを、想い出していた。

冬の大三角、冬のダイヤモンドがみられる季節になった。これから毎晩、寝る前にベランダに出よう。そのうち、はぐれもの流れ星ぐらいは、見つけることができるかもしれない。

 

 

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