気ままに

大船での気ままな生活日誌

フラワーセンター 「晩秋」

2010-12-05 18:23:13 | Weblog

暦の上では”初冬”かもしれないが、今日の気候や、フラワーセンターの風景をみると、”晩秋”の方が、誰がみたって相応しいと思うので、タイトルも「」つきの晩秋とした。小春日和の、暖かな一日だった。昨日、新宿御苑で見損なった、花の木が数本、大船フラワーセンターにもあるので、ひょっとしたら、どれか1本くらい、オレンジ色のうつくしい紅葉をみせてくれるのではないかと思ったのだ。

その木は、もみじ山にある。楓は、御苑と同様、紅、黄色の、うつくしいもみじ葉をみせてくれていた。そして、メタセコイアも、茶色のうつくしい”紅葉”になっていた。しかし、花の木は、御苑と同様、あわれな姿で、ほとんど散りはて、不思議なことに、わずかに残っている葉は、青葉だった。

残念だったけど、その代わり、花の木のオレンジ色の”紅葉”に似た植物をいくつかみつけた。楓ではない種類の木だ。いずれも花ばかり目がいくが、紅葉もなかなかいい。これから、花の木のピンチヒッターにしよう。

はまぼう。

ヤマボウシ

先日、横浜山手のイタリア山のメタセコイアの並木には負けるかもしれないが、フラワーセンターの塀に沿って、並んでいたメタセコイアも青空に映えていた。

子福桜は、枝の先の方に少しだけ咲いていた。

冬桜は満開だった。十月桜は八重だが、冬桜は一重だ。

皇帝ダリアと向日葵は、そろって咲いていた。今年は、向日葵の方が背が高かった。

おまえはだあれ?名前をメモするのを忘れてきてしまった。”タンポポタネモドキ”としておこう。それとも耳かき草かな。 白髪頭翁草という説もある。

 

 

 

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新宿御苑は、紅葉と枯葉の競演だった

2010-12-05 10:57:25 | Weblog

新宿御苑は紅葉と枯葉の競演だった。新宿門に入ると、いきなり紅葉紅葉で、度肝をぬかれる。まだまだ、東京は紅葉の最盛期なのだ。うん、これなら、お目当ての”花の木”も”タムケヤマモミジ”もいけるぞ、と紅葉のトンネルを抜けると、ぎゃふんだった。両方とも、ほとんどの葉を落とし、それぞれ、”鼻の木”、”タワケヤマモミジ”になっていた。

”花の木”はわずかに、数枝、面影を残していた。

でも、銀杏、メタセコイアやの黄色系のもみじ葉は、青空に映えていたし、フランス公園のプラタナスの並木の枯葉や落ち葉も、楓の紅葉に負けず、とても素敵だった。

 

先月、菊花壇で賑わっていた日本庭園の紅葉も、さすがだった。ただ、午後の3時を過ぎていたので、日陰に入り、多くが、せっかくの美貌が色あせてみえた。

本当に、新宿御苑はいつ来てもいい。信州高遠城主、内藤家の江戸屋敷だったところだ。当時の庭園が、ほぼそのままの状態で残っている場所もある。大きな石灯篭も見事なものだ。

そうそう、十月桜も満開でした。子福桜も咲いてました。内藤家の”高遠桜”もあるそうですから、捜してみてくださいね。

これから、大船フラワーセンターに、花の木と子福桜の状況を捜査にいきます(汗)。夕方に報告します。

 

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華やぐ椿山荘

2010-12-05 09:26:41 | Weblog

月一度ほど、ふたりで都内のホテルですごすことにしている。そこを根城にして、公園や美術館で遊んだり、夕食は、ホテルのレストランでワイフ好みの西洋料理をいただく。ぼくは、ワインをたのしむ。金曜日は有楽町の出光美術館で国宝油滴天目茶碗をみて、有楽町線で江戸橋まできて、椿山荘のホテルに入った。翌日は近くの講談社野間記念館で村上豊展をみて、新宿御苑に行った。それから恵比寿ガーデンに行き、イルミネーションを楽しむ予定だったが、疲れてしまったとワイフがいうので、寄らずに大船まで戻り、駅前の洋風居酒屋に入った。で、またビールとワインを飲むことになってしまった。だから、今日こそは、お刺身と日本酒でいこうと思っている(笑)。

土曜日で友引なんで、今日は結婚式が多いんですよ、椿山荘の係の人が言う。遅い朝食をとって、ロビーから庭園に入る途中、何組ものの花嫁花婿さんを目にした。早くも、庭園内の教会で式を終え、記念写真を撮っているグループもいた。ドレスアップした女性も互いに写真を撮り合ったりしていた。花嫁さんもウエディングドレスの裾をいっぱいに拡げさせられ、写真を撮られていた。松園さんの絵の題名のように”人生の花”だ。でも、花はいつかは散る。

 

なななんと、本日の結婚式40組

師走、先生もお坊さんも走り回るほど忙しい時期に、わざわざ、みんなを集めて、結婚式。と、思うけど、この椿山荘は今が最高。紅葉が見事なんです。結婚式の披露宴を終え、庭園を散策。新郎新婦ならず、参加者も思い出に残る一日となるでしょう。でも、紅葉もいずれは濡れ落ち葉。いつまでも、いい時はつづきません。それが人生です

 でも、庭園内の、若冲さん作の五百羅潅のように、また、七福人さまのように、共に白髪のはえるまで、老いても、心は青春(汗)、いい老後を迎えましょう。これが、ぼくの祝辞です。

そうそう、その日は東北新幹線全線開通の日でした。青森りんごと青森ネブタが飾ってありました。こちらも、おめでとうございます。

椿山荘はいつになく華やいでいた。

 

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その名は蔦屋重三郎

2010-12-03 11:27:40 | Weblog

六本木のサントリー美術館で”歌麿・写楽の仕掛け人/その名は蔦屋重三郎”展を観てきた。とても、面白い企画で主人公が、浮世絵版元、蔦屋重三郎なのだ。彼の名前は、寛政6年、突如、無名の新人、写楽の役者大首絵28枚を売りだし、大当たりした版元として知っていたが、それ以上のことはあまり知識がなかった。この展覧会で、蔦屋重三郎と、彼の”お抱え絵師”歌麿の、それぞれ多彩な活躍ぶりを知ることができ、とても楽しくみさせてもらった。

どこから書いて良いかわからないが、おもいつくまま、あれもこれもでいってみよう。第1章に”蔦重とは何者か?江戸文化の名プロデューサー”とあったが、まさにそうだった。時代の流れを敏感に察知し、あるときは、華やかに、寛政の改革などで厳しい規制が入るとそれなりの浮世絵や絵本を出す。そして彼自身も狂歌師としても活躍する。狂歌名を蔦唐丸(つたからまる;爆)と称した。(蔦のからまるチャペルで・・の蔦唐丸です、まだピンとこない人のために;爆)。狂歌本もたくさん展示されていた。ぼくはこういう和本をみるだけでうれしくなってしまうので、もうこれで一満足(笑)。

狂歌といえば、狂歌と浮世絵を合わせた絵本も面白かった。”画本虫撰”(宿屋飯盛撰/喜多川歌麿画)では、毛虫、むかで、いもむし、かたつむり、こがねむし、赤とんぼ等々、様々な虫の絵が描きこまれ、そこに、それぞれの虫に関連した狂歌が書きこまれている。たとえば、”くつわむし”の絵では、こんなざれ歌が。”かしましき女に似たるくつわ虫・・・”とか(爆)。すべて恋のざれ歌だが、驚いたのは、歌麿の昆虫や草花の描写がすばらしいこと、歌麿といえば、遊女や娘さんの絵ばかりと思っていたが。

もちろん、遊女の絵もある。吉原の遊女の一日を描いたのもあった。ほとんど寝る時間もないほどの過密スケジュールだった。大変な仕事なんだ(笑)。歌麿は、蔦重プロの大スターだから、往年の美空ひばりのように次々とヒット作を出していたのだろう。この展覧会でも、通常の浮世絵や前述の絵本のようなものまで、大量の作品をみせてもらえる。一度に、こんなにたくさんの歌麿をみたのは初めてだ。

写楽ももちろん出てくる。役者大首絵も5、6枚はあった。そして、若き日の北斎(当時の名は勝川春朗)の役者絵も目にしたのもうれしかった。蔦重は名プロデューサーであるので、新人の発掘も得意なのだ。

歌麿、写楽を中心とした浮世絵、山東京伝の黄表紙、洒落本、大田南畝らの狂歌本、”版元書店”の復元などの多彩な展示は、従来の浮世絵展覧会とは大分、趣の違った、楽しい展覧会だった。もう一度行ってみたいと思うが、今月の19日で終わってしまう。行けるかどうか。

 

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落柿舎

2010-12-03 09:32:28 | Weblog

昨晩、芭蕉の句碑のことを書いていて、先日訪れた、京都嵯峨野の落柿舎のことを思い出した。周知の通り、ここは、芭蕉の第一の門人、去来の遺跡である。そこでもらった資料によると、去来がここを営んだのは、貞享四年頃(1687年)で、芭蕉は三度も、訪れ、元禄四年に4月18日から5月4日まで逗留し、”嵯峨日記”をしるした。現在の落柿舎は、明和7年(1770)に再建したもので、向井家の支族にあたる俳人が建立した。

ぼくは、中、高校の修学旅行で京都・奈良を巡った。川崎市の中、高校では修学旅行の定番なのだ。高校生のときに、ここに来た。金閣、銀閣、清水と有名どころを回ったが、何故か、ぼくが一番、心に残っていたのが、この落柿舎なのである。うらぶれたような、小さな庵の面影がずっと後まで脳裏から離れなかった。当時、ぼくは、軽い結核に罹っていて(その後、すぐに治ったが)、気分的に弱っていた。そんな心の風景とここの雰囲気が、マッチしたのかもしれないと、今になって思う。

だから、今回、嵯峨野の華やかな紅葉巡りの中に、ひとつ、ここも入れておいたのだ。もう、あの頃から半世紀もたってしまい、当時と違い、ぼくは、老いてますます盛んな状態で(大汗)、落柿舎を再訪したのだった。

懐かしさがよみがえってきた。小さな庵は、少しこぎれいになっていたが、雰囲気は変わらない。当時、気付かなかったが句碑が随分とある。あとからつくられたものもあるのだろう。芭蕉、去来、そして鎌倉の虚子の句碑まである。そんな句碑をみながら、溢れるような紅葉ですっかりのぼせあがっててしまった頭を、ここで、溢れるような思い出で満たし、しばらく冷やしていたのだった。

虚子の句碑。生前最後の自筆句碑だそうだ。 

凡そ天下に去来ほどの小さき墓に参りけり 

まだ柿は落ちていなかった(笑)。

 

 

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芭蕉の句碑

2010-12-02 21:28:57 | Weblog

12月2日。母の月命日には、できるだけお墓参りに行っている。今日がその日だった。墓参りを終えて、境内の薬師堂のうしろの仏像保管庫の前まで来た。先日まで、ここの十二神将立像が鎌倉国宝館に展示されていたので、もう戻っているのかなと確かめにきたのだ。でも、保管庫の扉は、春と秋のお彼岸のときにしか開かいないことに気付いた。たぶん帰っておられるだろうと思い、お帰りなさいと心の中で言った。ふと、振り向くと、ご住職がおられた。その話をすると、鎌倉でみてくれましたかと、喜んでくれた。でもまだ、戻っていないということだった。それも、そうだ、”薬師如来と十二神将展”は終わったばかりだし、輸送に時間もかかることだろう。

ちょうどいいところに来ていただいた。ぼくは、このお寺に芭蕉の句碑があることを、最近、ある本で知り、今日はそれを捜し出そうと思っていたのだ。あそこですよ、ご住職は、西脇順三郎の詩碑の横の、石碑を指差していた。石碑に刻まれている字は読みにくいし、説明文もなかったものだから、もう十数年も訪れているのに、これまで全く気付かなかったのだ。ついでに、どんな句のか尋ねてみた。こういう句だった。

春の夜はさくらに明けてしまひけり

夜桜をみているうちに、夜が明けてしまった、という意味なのだろうか。桜好きのぼくには、よくわかる。お酒も呑んでいたのだろうか。ぼくなら、そうしないと夜明けまでもたないかな。

ぼくの好きな芭蕉の、それもぼくの好きな桜の、句碑が、父母の眠るお寺にある。そして、いつの日か、ぼくもここで眠る。なんだか、とてもうれしかった。

 

そのあと武蔵小杉駅から、東横線、それから地下鉄に乗り換え、六本木に行った。”ゴッホ展”と”その名は蔦屋重三郎展”を観てきた。

家に帰る頃は日もすっかり暮れて、近くの女子大前のクリスマスツリーの灯りが点滅していた。

 

 

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山手イタリア山のメタセコイア

2010-12-02 08:55:19 | Weblog

鎌倉のメタセコイアが大分、見頃になってきたので、昨日、横浜山手のイタリア山に行ってきた。あそこの”外交官の家”の横のメタセコイアの並木道が、この辺りでは一番うつくしい。石川町駅から、ちょっと急な坂道を5,6分登れば、もうそこはイタリア山である。イタリア山といっても、イタリアンレストランが集まっているわけではないので、”ゲゲゲの女子会”をここでやろうと思って、やってきてもあてがはずれるます。むかしイタリア領事館があったので、そういう名前がついているだけです。もう”山手西洋館のクリスマス”が始まっているが、イタリヤ山のふたつの洋館は、”外交官の家”は、ドイツのクリスマスだし、ブラフ18番館はベルギーのクリスマスで、イタリアは完全に無視されています。だからイタリア好きの人が来るところではありません(笑)。メタセコイアが好きな人が来るところです。ドイツやベルギーの好きな人は来てもいいでしょう。

外交官の家の横のメタセコイアの並木

ちょっと緑が混じって、あと一息という感じだった。でも、合格点。来てよかったです。

”なんでそんなにメタセコイアが好きなの”、”いい質問ですねえ” 答えが”ととのいました”

すらりとした円錐形の姿、春の若葉、そして晩秋から初冬にかけての、こげ茶色の紅葉、そして落葉後の全裸の姿、加えて、”生きてる化石植物”というロマン。

同じ化石植物、銀杏もすきです。

ベルギーのクリスマス

ベルギーといえばビールも

ドイツのクリスマス飾り ドイツもビールだけど、見当たらなかった。

 ついでに、いろんな西洋館のクリスマスも観てきました。気が向いたら、そのうち紹介します。そうそう、エリスマン邸前の”タムケヤマモミジ”が見事でしたよ。

 ”このたびは幣もとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに”(菅原道真)からきた命名でしょうナウ。そうだ。今日は新宿御苑のタムケヤマモミジ観てくるかな。

 

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鎌倉紅葉散歩(4)浄妙寺

2010-12-01 10:37:04 | Weblog

八幡さまから、バスで浄妙寺に行った。ここの紅葉は、いつもすばらしい。山門を入ると、すぐに紅葉が迎えてくれた。

茶室の庭園の紅葉も

洋館レストランへ向かう坂道にも

大きなメタセコイアもこげ茶色に。

角刈りの銀杏のおっさんも、黄葉になっていた。

あれ、あいつがいないな、と捜したら、こんなところに居た。いつも死んだように寝ている。触っても、目を開らかなかったが、息はしていたので、救急車は呼ばなかった。 

ひと回りして、戻ったら、歩いていたので安心した。少し、またメタボになったようだ。運動不足ではないだろうか。

 

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鎌倉紅葉散歩(3)鶴岡八幡宮

2010-12-01 10:36:34 | Weblog

建長寺を出て、また鎌倉街道を上る。途中で円応寺の閻魔大王様の真っ赤なお顔の紅葉をみてきた。運慶作の重要文化財の紅葉だ。大きい口だった。怒鳴られているようだった。遊び回っているからだろう(汗)。

八幡さまの裏門前の休憩所でオバマ(抹茶)アイスを食べようとしたが、無かったので紫色のソフトを食べ、一服した。煙草は30代で止めました。お酒は60代でも止めません、生涯の友です。飲めなくなったら、象のように、誰にも知らせず、そっと森に入り、土になります。

八幡さまというと、あの大銀杏。再生してきた子供たちもようやく色づき始めていました。

酒樽の向こうの銀杏はすっかり酔って、赤くならず、黄色くなっていました。酒の飲みすぎで、肝臓をこわし、黄疸になったのかな。

紅葉もあちこちに。

白旗神社近くの池の前。

鎌倉国宝館前。ここのが一番。今、平常展をやっている。うちの菩提寺の十二神将さまはお帰りになっていた。この紅葉をみせてあげたかった。明日、お墓参りにいくので、報告しておこう。

 

源平池にも。平家の赤旗のように傾き、滅亡寸前だった。奢れるもの久しからずただ秋の夢のごとし、だった。

 

 

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鎌倉紅葉散歩(2)建長寺

2010-12-01 09:51:55 | Weblog

明月院を出て、鎌倉街道を建長寺に向かって歩く。途中の路傍の紅葉や家のお庭の紅葉もうつくしい。建長寺の三門前の、サクラ紅葉はもう、最後の一葉に近づいていた。

少し先の”崖の上のポニョ”は、♪ポーニョ ポーニョ ポニョ さかなの子 青い海からやってきた ポーニョ ポーニョ ポニョ ふくらんだ まんまるおなかの女の子♪と今が盛りだった。真っ赤な鯛の子だろうか。それとも、鱈の子だろうか。明太子食べたい。

塔頭の龍峰院の庭も紅葉でいっぱいだった。でも、固く門を閉じていた。そんなに頑なにならなくていいのに。

メタセコイアも見頃になっていた。イタリヤ山のメタセコイア並木も早く、行かねば(汗)。

 

 

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