気ままに

大船での気ままな生活日誌

紅葉納めは東慶寺で

2010-12-11 08:52:20 | Weblog

鎌倉の紅葉も、いよいよ終盤。”紅葉はじめ”は東慶寺だったので、”紅葉納め”も東慶寺にした。”紅葉はじめ”のとき早々とうつくしい姿をみせていた本堂前の楓はもうおわっているだろうと、思っていたが、まだまだ十分、艶やかだった。ちょうど、日が当たり、紅色が一層、輝いていた。

一番、期待していたのは、あのときは青葉だった、高台墓地の入り口の楓だった。いつも、赤、緑、黄の(信号機のようだな)葉が混在して入り口を覆う姿は、まさに錦織りなす、うつくしさだ。今年はもう、ひとつだった。光線の関係もあるかもしれない。でも、十分、有終の美を飾っていた。

左手の石壁の紅葉も青葉をまじえて、魅せてくれた。

見どころは紅葉だけでない。♪粋な黒塀見越しの松に、婀娜な姿の洗い髪♪、ボケもぼけずに咲いていた。赤と黒のブルースかもしれない。 ♪夢をなくした 奈落の底で 何をあえぐか 影法師♪

明日は咲こう、花咲こう、のローバイの蕾に心がうきうきした。もうすぐに春がくる。 ♪はじめひとつの花の実がいつかは大きな花園に 暮らしの中に根をはろう あなたもわたしもみんなみな 明日は咲こう花咲こう 明日は咲こう花咲こう♪小百合ちゃんの歌です。

東慶寺を出て、鎌倉街道を八幡さまに向かって歩いていると、長寿寺の紅葉が見事だった。かけこみ寺での”紅葉見納め”より、長寿寺で”紅葉見納め”の方が縁起がいいかもしれないな。

そのあと、神奈川近代美術館に寄り、本館、別館で、ふたつの美術展をみて帰る頃には、もう日が暮れようとしていた。

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銀座夕景

2010-12-10 18:02:25 | Weblog

銀座三越の新館は、ゆったりとしたつくり。9階はほとんどが休憩所。全農のレストランと喫茶店があるだけ。あとは公園みたいだった。お地蔵さんまでいる。11、12階がレストラン街だが、あまり名の知れたお店はない。知る人ぞ知るお店を集めたらしい。蕎麦屋さんは箱根からきていた。フレンチレストランは、パリで話題のネオ・ピストロLe Beurre Noisetteで権威ある雑誌でパリ2位に選ばれたらしい。日本初上陸ということだ。お店のフランス人女性が説明してくれた。もちろん日本語で。

出世地蔵さん。もうカンケイないけど、お参りした。

夕暮れ、銀座を散歩した。ミキモト前のクリスマスツリー。大勢の人が仰ぎ見ていた。

龍馬もいた。高知県アンテナショップだった。まっことまっことよっていきや、と言っていたので、寄ってみたが、買いたいものが何もなかった。でも今度、上の食堂には行ってみたい。高知の料理はうまいぜよ。酒は司牡丹ぜよ。

かわいいマネキンさんが、寄ってらっしゃい、と言っていたが、ワイフは知らんふりしていた。体型があまりに違いすぎる。

丸の内に向かう街路樹の灯りがついていなかったので、三菱一号館の庭園で待った。5時になったら、一斉に庭園内の灯りがともった。

丸の内への通りは、以前は神戸のようなイルミネーションですごい人出だったが、今は質素になった。途中のビルの中に、スカイツリーのような、アイスキャンディーのような、イルミネーションがあった。

丸ビルにもクリスマスツリーが。

東京駅舎は相変わらず、白い包帯をまいていた。でも歌舞伎座みたいにぶち壊されないでよかったね。

ワイフは、光ものが大好きで、明日は横浜に連れて行かされる。体を鍛えておかねば。

 

 

 

 

 

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銀座で”薬喰い”

2010-12-10 10:03:34 | Weblog

薬喰ひ 隣の亭主 箸持参 (蕪村)

鎌倉女子大生涯学習センターの講座をいくつか受講しているが、そのひとつに、上智大名誉教授の大輪靖弘先生の”蕪村俳句の試み”がある。蕪村は50代から俳句を始め、生涯2880の句をつくった。大部分は、写生句であるが、いろいろな”試み”の句も結構つくっている。今期の講義は、こうゆう句に焦点を当てている。先日、ユーモア的表現の句のひとつとして、冒頭の句が紹介された。

江戸時代、肉類を食することはめったになく、それでも、健康のために猪の肉とかを鍋料理にして食べ、その時、隣近所の人にも声をかける習慣だったそうだ。だから、肉食は、健康維持のため、薬として食べる、ということなのだそうである。

我が家も、菜食と魚が中心で、いわゆる肉食はあまりしない。たまには肉でも食べようかと言ったら、ワイフは、それなら、あそこが良いと、銀座まで来た。歌舞伎座の前の、ビルの上階にある、天壇というお店だ。1時すぎに着いたのに、数組の客が店に入れずにいた。本店は京都の四条祇園にあるそうで、焼き肉では評判の店らしい。

15分ほど待って、席に着く。ワイフは二度目だから、てきぱきと、1500円のランチ、ロースとカルビをそれぞれ頼む。そして、副菜はバイキング方式で、いくらでも取れる。チゲ、キムチ、料理済みの肉のかけら、サラダなど、韓国料理でたくさん出てくる小皿料理みたいだ。その上、コーヒーとデザートまで出て、この値段だから、人気があるはずだ。黄金色のつけだれが秘伝の味らしい。ぼくも、黄金色の生ビールを頼んだ(汗)。

ロースとカルビ。手前のが副菜。

とても、おいしかった。副菜もたくさんあったので、生ビールをもう一杯追加した(汗)。コース料理もあるので、女子会にはそれがいいかもしれない。でも、副菜をたくさん採れば安上がりに済みます。

箸は持参しなかったけれど、久しぶりの”薬喰い”だった。そういえば、今日は元気いっぱいだ。たまには、焼き肉を喰おう。

・・・・・

歌舞伎座はすっかり壊されていた。”歌舞伎座の怪人”が怒って、看板役者の海老蔵ジケンを起こしたのだろう。ただの酒飲みの喧嘩を、こんなに大きくさせたのは怪人の居場所を壊したバチが当たったのだ。まだこれだけでは終わらない。次は玉三郎が狙われるだろう。こんな馬鹿なことを書いていたら、”オペラ座の怪人”、また観たくなってしまったなあ。 

隣りの岩手県のアンテナショップで、ワイフがわかめと、龍馬役をしていた福山雅治も好きだという、芽吹き屋の桜もちとずんだ餅を買っていた。

大きくなった銀座三越を見学したり、クリスマス飾りがいっぱいの銀ぶらをして帰った。

・・・・・

今の人、とくに女性は肉食系が多いですね。ゲゲゲの女房の女優さんもホルモンが大好物だと、この前、テレビで言ってました。

平成の 女は毎晩 薬喰い 

 

 

 

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あかつき

2010-12-10 09:28:02 | Weblog

今朝6時の暁(あかつき)の空です。

そして、目を東南にむけると、明けの明星、金星が。

もし、あの金星探査機”あかつき”が金星周回軌道に乗ることに成功してくれていれば、どんなに、うれしさいっぱい、夢いっぱいでみられたことか。残念でしたね。

でも、第一ラウンドは失敗しましたが、また6年後、金星に大接近するときは、日本中、わくわくですね。小学校に入学した子が、卒業する頃、まだおうつくしいアラフォーは下 天のうちにくらぶれば 夢幻のごとくなり”の歳に近づき、お肌のツヤもハリも下降し、体重だけが上昇してゆく頃になります。

冗談は抜きにしないで(爆)、60億キロの苦難の旅をして帰ってきて、無事カプセルを地球に届けたハヤブサ号のこともあります。きっと、6年後、成功し、日本中に、また大感動を巻き起こしてくれることでしょう。

応援してるよ、あかつき君。れんぼうさんが文句言ったら、テキーラ飲ませて、ぶんなぐってやります(爆)。

・・・

ビーナスに ふられて挑戦 6年後

 

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朝散歩 初冬のもみじ

2010-12-09 09:46:13 | Weblog

早朝は、もう”初冬”といっても、はずかしくない冷え冷えとした空気。今日の朝散歩はちょっと、遠くまで足を延ばした。むかし、大船地区のほとんどの土地を所有していたいう旧家。そこの紅葉がきれいだったことを想い出したのだ。もう終わりかなと、思ったが、そんなことはなかった。ちょうど見頃を迎えていた。裏山の木々も見頃だった。そして、早春の楽しみ、白木蓮の大きな樹も、つぼみもたくさんつけていた。ここまで来た甲斐があった。

そして、さらに、バス通りまで出て、道路沿いの、もうひとつの旧家。ここの庭樹もいい。そして、天を突きぬけるように、二本のメタセコイアが朝日に輝いていた。写真はそのうちの一本。

川沿いの、素敵な門のお宅の紅葉もよかったよ。

お寺さんの、たわわになった柿もよかったよ。

お寺さんの、俳句もよかったよ。”今年こそ今年こそとて暮れにけり”

”よくばりはダメだよ” たしかに。 ”海老蔵に浮かれてる間(ま)に海老盗られ”(つまらないことで大騒ぎしている間に、外国人に尖閣諸島あたりで密漁されることを想定しての句ですが)

 

 

 

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面白迷店街

2010-12-08 17:56:32 | Weblog

辻堂駅前の迷店街。

豚美人。はあ?スナックかな、ママさんが豚のようにふっくらした美人ということかな。こんなお店で飲んでみたいな。・・・よくみると、下の看板に小さく、”トンカツ”と。なるほど、おいしいトンカツという意味か。

 

おでんBAR。お伝さんというママのスナックかもしれない。お伝地獄になると恐いな。たぶん、おでんの居酒屋だろう。おでん、大好き、一度入ってみよう。ちくわとはんぺんをまず、頼もう。お酒は信濃の銘酒があるだろう。

わがままなママなのか。わがままにしていいということなのか。理解に苦しむ。

こちらは、ひとりで楽しめということかな。ママがいないのだろうか。それともコマを回して遊べるのかな。べーごまは、子供の頃、よく回したからできるけど。面白そうだな。

ぼくはスナックより居酒屋向きだな。しかし、”き”はどうゆう意味だろう。奇鬼忌棄危、いずれも忌避したいな。それとも、稀、貴だろうか、稀勢、貴乃花のフアンだし、これなら行ってもいい。まだ、樹気黄季騎鬼帰亀喜伎輝といろいろある。脱サラかもしれない、むかし汽船に乗っていたんだろう。

大船にも”でぶそば”という迷店がある。でぶの蕎麦を食べさせてくれるわけでなく、ご主人がでぶだからです。むかし寅さんが大船撮影所にいたころ、よく行ったそうだ。

寅さん 夢をありがとう 昨日、辻堂の図書館のホールで映画会があって、入ってみたら、偶然、寅さんをやっていた。それも、先日、鎌倉芸術館で観た香川京子さんがマドンナ役のだった。驚いた。何度みても面白い。面白迷店街のようだった。

 

 

 

 

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蕎麦屋で昼酒

2010-12-08 09:28:27 | Weblog

江戸文化研究家で漫画家でもあった杉浦日向子さんは、蕎麦好きでも有名だった。お客も少なくなった午後、お蕎麦屋さんに入り昼酒をして、そのあと、ほろ酔いでぶらぶら街歩きをするのが、何よりの楽しみだ、と何かのエッセイに書かれていた。ぼくも蕎麦好きで酒好きだから、日向子さんの気持ちはよくわかる。たまに、藤沢駅近くの蕎麦屋さんで昼酒することもある。現役時代は、東京にきたとき、神田やぶの雰囲気が好きで、畳の部屋にあがって、ゆっくりしたものだ。

昨日、ここ、しばらく、やってないな、と思い、江ノ電に乗って、由比ヶ浜の蕎麦屋さんに行ってみた。初めてのお店だが、駅を降りて、海側に向かって歩くと、すぐ、みつかった。暖簾に”蕎麦、酒、料理”と書いてある。蕎麦屋さんによっては酒を飲みづらい雰囲気のお店も多い。これなら大丈夫と、暖簾をくぐった。

有名店らしく、すでに店内は満席だった。テラス席ならあるといので、そんなに寒くなかったし、外で熱癇もいいかなと思い、そこにした。初めてで様子も分からないので、つまみもいくつかついている蕎麦ランチと大徳利を頼んだ。和懐石風の前菜セットがまずきて、日本酒に合う料理で、酒がすすんだ。さらに天ぷらもきた。この間、いつも持ち歩いている文庫本を読んだり、となりの席の、年配のご婦人の話に聞き耳をたてたり(笑)、金星探査機あかつきのことを思ったり、ゆったりした時間を過ごした。いつも簡単な昼食が多いが、たまには、こういう本格的な蕎麦屋で飲むのもいい。締めの、お蕎麦もおいしかった。

昼酒は、日向子さんも言っていたように、飲んだあとのほろ酔い散歩がいい。日向子さんなら江戸情緒が感じられる下町歩きだろうが、ぼくは、由比ヶ浜を歩いた。ほのぼのとした頭(汗)に、やさしい海風と波の音がここちよかった。雲間から太陽がわずかに顔を出し、その光が海面をひからせていた。”光る海”。石坂洋二郎原作、吉永小百合主演の映画を思い出した。自然と小百合ちゃんの主題歌が口に出た(汗)。♪青春こそは光る海♪

そこから、浜辺に漁船がたむろする坂ノ下へ、さらに海沿いのプロムナードを進み、稲村ケ崎まで来てしまった。

 

稲村ケ崎のコッホ博士滞在記念碑のある展望台でしばらく、潮風に当たっていた。ここは夕陽と富士山の絶好のビューポイントだが、その日は無理だろうと、江ノ電の稲村ケ崎駅に向かった。途中で”ごきげんですね”と日本水仙があいさつしてくれた。さすが、暖かい海辺の湘南だ、この冬、はじめて日本水仙の開花をみた。

また、来てみよう。

 

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国宝油滴天目茶碗を観る

2010-12-07 10:27:38 | Weblog

出光美術館で、”茶陶の道/天目と呉州赤絵”展が開催されているが、特別出品として、国宝大名物”油滴天目茶碗”が期間限定(12月5日まで、もう終わり)展示されていることを知り、12月3日に行ってきた。この茶碗は大阪市立東洋陶磁美術館所蔵だが、もとは安宅コレクションのものである。

今年の春、大阪市立東洋陶磁美術館に”北宋汝窯青磁 - 考古発掘成果展”をみにいってきたが、そのときは油滴天目茶碗は展示されていなかった。一番最近、観たのは、2007年、三井記念美術館で開催された”安宅英一の眼、安宅コレクション”のときだった。だから、約3年ぶりの対面となる。

それは、展覧会場の真ん中あたりに、まるで楊貴妃のようにうつくしく輝いていた。無数の星が茶碗いっぱいに散りばめられて、それは、ひとつの宇宙、まるで銀河系星雲のようであった。加えて、油滴天目茶碗の付属品がすべて展示されている。天目台、その箱と蓋、仕覆、挽家(ひきや)、さらに由来状(秀次が所持していたことなどが書かれている)など、ひとそろいが、茶碗を取り囲んでいる。とてもうれしい再会だった。

今から、出光に行っても、この女王様はみられません。あとはろくなのがありません。と、いうのは冗談で、この油滴天目茶碗と同じ、建窯でつくられた天目や、その他、中国福建省の陶磁のいいものがいくつもあった。はじめは、越州や龍泉の青磁、景徳鎮白磁などの模倣品が主体だったが、徐々に、独自のものがつくられ、前述の建窯の天目、同安窯の青磁、徳化窯の白磁や呉州(ごす)赤絵などがつくられてきたようだ。

写真はないけど、青磁浮牡丹浮遊環耳瓶、珠光青磁茶碗、などが気にいった。呉州赤絵の皿や鉢がずらりと並んでいたのは壮観だった。マスゲームとして楽しんだ。どれもみな同じにみえて、これはというのはなかった(汗)。ただ、緑が主体の変わり者の、呉州赤絵山水天下一文皿は、朝ドラの”てっぱん”の、あかりちゃんのように元気で可愛かった。

その他、茶入れとか、茶壷とか、茶道具がたくさんあったが、これからは、茶碗だけでなく、これらにも関心をもっていこうかな、とちょっと思った。

 

安宅と出光。創始者のお墓が、鈴木大拙のお墓の両隣りにあります。大拙のZEN研究の経済的支援をされた方です。東慶寺に来た時にはお寄りください。ただし、油滴天目茶碗の蒐集は二代目の安宅英一氏が行いました。会社は破綻しましたが、貴重な美術品をたくさん残してくれました。金儲けして、社内埋蔵金ばかり増やし、その金で他国に進出し、日本人に何の役にもたたないことばかりやって、結局、だまされて破綻するに決まってる、最近の大会社の経営者よりよほどえらいと思います。


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柏尾川夕景

2010-12-06 18:10:07 | Weblog

大船駅と大船観音さまの間を流れる柏尾川。今日はきれいな夕景だった。

さざ波も

川鵜も高見の見物をしていた

観音さまも西日に頬を染めて、高見の見物だった

木は空をみていた

街灯も空をみていた

先日の”鎌倉竜巻”による被害調査(汗)からの帰りだった。

鎌倉大町の、妙法寺の瓦屋根は相当、やられた様子だった。その近所のお宅の瓦屋根もやられ、工事中だった。大きな竜巻だったのだろう。大船は、観音さまのおかげで大丈夫だった。

妙法寺山門の屋根瓦は大丈夫だった

本堂の屋根瓦が痛々しそうだった。包帯をしているようだった。

境内の、あの、うつくしい苔石段は大丈夫だっただろうか。”美しき苔石段に春惜しむ” (星野立子)の句碑も倒れなかっただろうか。門は閉ざされていて、確かめることができなかった。

 

 

 

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ゴッホ展/こうして私はゴッホになった

2010-12-06 13:46:19 | Weblog

国立新美術館で”ゴッホ展/こうして私はゴッホになった”が開かれている。ゴッホはそれほどのフアンということではないが、大画家のひとりだから、みないわけにはいかない。小林秀雄も”ゴッホの手紙”を書いていて、ゴッホの遺作となった”鳥の群れ飛ぶ麦畑”にひどく感動したことを、その冒頭に書いている。その絵が来ていればいいな、と思っていたが、麦畑の絵はあったけど、画面に鳥は飛んでいなかった。向日葵の絵もみたいな、と思っていたが、ひとつもなかった。

でも生涯、50いくつも描いたいう自画像は2枚展示されていて、そのひとつが、会場に入るとすぐに、あいさつ代わりに飾られている。写実的で肌もきれいで、そのあと出てくるちらし絵を飾る代表作の、いかにもゴッホらしい渦巻のように燃え上がるタッチで描かれた”自画像”より美男子だった(笑)。

炎のようなゴッホに変貌するまでの過程が、影響を受けた同時代の画家の作品と共に展示されていて、第1章ではクルーベ、ルソー、ミレーの作品、それにゴッホの変貌を示す1884年作の”秋のポプラ並木”と6年後の”曇り空の下の積み藁”が並べて展示してある。なるほどと思う。

第二章以下、”こうして私はゴッホになった”が示されていく。ミレーがよくモチーフに選んだ、農夫をはじめとする働く人々の素描や、庶民の生活を描く、若き日のゴッホが紹介されていく。ほとんど初めてみるようなものばかりだった。第4章では、”パリのモダニズム”というタイトルで、ここではモネとかシスレー、ピサロとかのぼく好みの絵(一息させてもらって;笑)に混じって、もうひとつのゴッホの自画像(灰色のフェルト帽の自画像)が登場する。いわゆるゴッホらしい作品がこの年代くらいから始まってくる。

そして、第5章で南仏のアルル時代の作品がずらりと並ぶ。有名な”アルルの寝室”もここにある。実際の寝室を写生したもので、展示横のスペースに、写生をもとにした寝室が再現されていた。なんだか窮屈そうな寝室だった。じゃがいもやら糸杉やら玉ねぎの絵の他、ゴッホが蒐集していた浮世絵の展示もあった。広重、歌川国芳、国周、国貞の作品だ。浮世絵をとても気に入り、自分の絵にも浮世絵の大胆な構図などを取り入れたりもしたそうだ。

さらに日本にあこがれの気持ちさえ抱いていた。小林の”ゴッホの手紙”にこんな一節がある。”アルルの薄紫の山を背景にして、葡萄畑のすばらしい赤土の拡がり。雪の様に輝く空を負う白い山の頂を臨むこの雪景は、日本人の描いた雪景そっくりだ”ゴッホの手紙には日本のことが良く出てきて、”黄に紫に咲き乱れる花をみて「日本の夢」だ、アルルは日本の様に麗しい”とまで書いてる。”日本びいきのゴッホ”だったのだ。

そんなゴッホも、ゴーギャンと2年間ほど一緒に住んだあと、片耳を切り落とすなど、精神的な病に罹り、療養所に入る。ここでは病室からの庭の風景や若いときの習作を見直したりし、病床で多くの作品を残した。そして1890年、37歳の若さで自殺する。昨日から放映再開した”坂の上の雲”でも子規は病床で多くの作品を残し、34歳の若さで亡くなるが、今、ふと、ふたりが重なった・・どちらも、短い生涯で後世の人々に多大な影響を与えて逝った。”わだばゴッホになる”、棟方志功もその一人だった。

こうして、とくに好きな作品がなくても、一人の画家の一生を絵を通して垣間見られるのも、美術観賞の楽しみである。

。。。。。

小林秀雄が感動した”鳥の群れ飛ぶ麦畑” (本展覧会には展示されていない)

 

その時は、ただ一種異様な画面が突如として現れ、僕はとうとうその前にしゃがみこんでしまった。熟れきった麦は、金か硫黄の線條の様に地面いっぱいに突き刺さり、それが傷口の様に稲妻形に裂けて、青磁色の草の緑に縁どられた小路の泥が、イングリッシュ・レッドというのか知らん、牛肉色に剥き出ている。空は紺青だが、嵐をはらんで、落ちたら最後助からぬ強風に高鳴る海原のようだ。全管弦楽が鳴るかと思えば、突然休止符が来て、鳥の群が音もなく舞っており、旧約聖書の登場人物めいた影が、今、麦の穂の向こうに消えた・・僕が一枚の絵を鑑賞していたということは、あまり確かではない。寧ろ、僕は、在る一つの巨きな眼に見据えられ、動けずにいた様に思われる。(小林秀雄/ゴッホの手紙)

 

 

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