先日、天プラのEF15を買ったお陰で、私の鉄道では黒貨車の増備が続いております。数年前に買って少しつついただけのものもありますが、新たに購入した貨車もいます。購入して車体を組んだまま10年近く放置していた緩急車キットも、めでたく塗装待ちになりました。
と、いうことで私の『ヘタクソ写真館』から、“活きた”緩急車の写真を
紹介してみましょう。

ワフ30146 昭和58年頃 浜田駅
なぜか、浜田駅にカメラを抱えて行った時に、偶然撮影したものです。撮影したのは、浜田行普通貨571列車で、到着後に本線上で突放作業を行う、列車でした。当時、交通量が多い構内西方の田町踏切を塞いで行う作業を眺めた事がありますが、路線バスも含め、踏切で作業が終わるのを、のんびりと待っていました。今だったら間違いなく新聞沙汰ですね。

昭和59年8月 波子にて
59年2月改正以降、貨物列車は大幅に削減され、島根県西部では米子~益田(1本は岩国行)間に2往復だけとなりました。そのうちの岩国行5581列車では、ヨ8000以外にヨ5000とヨ6000が数日置き(不定期でした)に運用されていました。結局、ヨ6000は撮影できませんでしたが、辛うじてヨ5000の現役時代の姿を記録できました。夕陽を浴びて快走する姿に、郷愁を感じます。

昭和61年12月頃 波子にて
確か、60年3月改正で東松江~江津間の貨物列車が廃止され、益田方面から江津行の貨物列車は、厚狭機関区のDD51-800番台の牽引となりました。60年11月から電化区間での最後部の緩急車連結の原則廃止に伴い、上り列車の緩急車連結位置が、最後部から機関車次位に変りました。(下りは従来通り)
列車無線が完全整備されると、いつの間にか緩急車の連結も無くなり、何だか気が抜けた編成となってしまいました。
ヨ6000の現役時代の写真は撮影できなかったのが残念でした。これら地味な緩急車の写真で、古きよき時代を味わっていただけたらと思います。
と、いうことで私の『ヘタクソ写真館』から、“活きた”緩急車の写真を
紹介してみましょう。

ワフ30146 昭和58年頃 浜田駅
なぜか、浜田駅にカメラを抱えて行った時に、偶然撮影したものです。撮影したのは、浜田行普通貨571列車で、到着後に本線上で突放作業を行う、列車でした。当時、交通量が多い構内西方の田町踏切を塞いで行う作業を眺めた事がありますが、路線バスも含め、踏切で作業が終わるのを、のんびりと待っていました。今だったら間違いなく新聞沙汰ですね。

昭和59年8月 波子にて
59年2月改正以降、貨物列車は大幅に削減され、島根県西部では米子~益田(1本は岩国行)間に2往復だけとなりました。そのうちの岩国行5581列車では、ヨ8000以外にヨ5000とヨ6000が数日置き(不定期でした)に運用されていました。結局、ヨ6000は撮影できませんでしたが、辛うじてヨ5000の現役時代の姿を記録できました。夕陽を浴びて快走する姿に、郷愁を感じます。

昭和61年12月頃 波子にて
確か、60年3月改正で東松江~江津間の貨物列車が廃止され、益田方面から江津行の貨物列車は、厚狭機関区のDD51-800番台の牽引となりました。60年11月から電化区間での最後部の緩急車連結の原則廃止に伴い、上り列車の緩急車連結位置が、最後部から機関車次位に変りました。(下りは従来通り)
列車無線が完全整備されると、いつの間にか緩急車の連結も無くなり、何だか気が抜けた編成となってしまいました。
ヨ6000の現役時代の写真は撮影できなかったのが残念でした。これら地味な緩急車の写真で、古きよき時代を味わっていただけたらと思います。