ウッドストックで1時間半ほど過ごし、
次はシェークスピアの奥さんであった
アン・ハザウェイの家に向かった。
彼女は25歳の時に18歳のシェークスピアと結婚、
一男二女をもうけたが、
ハムレットという男の子は幼くして亡くなり、
35歳になったシェークスピアは、都会に出て行って、
詩の創作と劇団活動に明け暮れ、
挙句の果てに他の女性と恋に落ち、
さらに、遺言書に、莫大な財産の中から
彼女に「2番目に立派なベッド」だけを残した、
とガイドさんが話していた。
気の毒なアンの家に着いたら、初めのバスで一緒だった
インドネシアの二人の女性と会った。
何となくアジア人同士のせいか、すぐに気さくに話しかけ、
日本語の勉強をしていると聞くと、なおさらうれしかったが、
こちらのバスに乗り換えたので、もう会えないと思っていた。
再会を祝して、アンの家を背景に記念写真を・・・
残念ながら、家の中の撮影は禁止のため、
中庭の一角だけを写してみた。
彼女達に別れを告げ、
いよいよ「ストラトフォード・アポン・エイボン」へ。
ところで、25~6年ほど前に、私は一人でここに来たことがある。
夫が仕事を兼ね、5月の連休を利用して10日ほど滞在したが、
夫が仕事に入った後、一人でシティラマという大型観光バスに乗った。
乗客はたった3人。
ガイドが付くわけでもなく、現地に着くと、
集合時間だけを聞き、一人で見て回るのだ。
心細くて、集合場所を間違えては大変、
よく覚えておかなければと、真剣に周囲を見ていたので、
今も良く覚えているのだが、その時は細い田舎道を通って、
直接シェークスピアの生家に行ったのだった。
シェークスピアの部屋で、観光客はそれぞれ記帳をしたが、
その時、先程のバスの乗客の一人に出会った。
多分、40代ぐらいだろう。
彼はアメリカのビジネスマンで、今日は仕事の合間だと話していた。
これで一人きりではないから、
バスの集合場所まで迷わずに行けるとホッとしたものだった。
あちこち歩いている内に、もう一人の乗客とも会うことが出来た。
彼はオーストラリアから来た外国航路のコックさんだった。
多分、彼は30代。日本にも行ったことがあると話していた。
今回訪れたシェークスピアの生家は、
私の思い出の場所とは大違い、
まるで違う所に来たみたいだった。
街の大通りにあった道化の銅像。
銅像の名前は "THE JESTER"。
これは芝居中で機知に富んだアドリブで
お客を沸かせる道化の名人らしい。
このような銅像もかつてはなかった。
そして、田舎道もなく、
生家の入り口にはビジターセンターが出来ており、
何だか浦島太郎のような・・・
中庭ではこの地域にある劇団の一つの男優なのだろう、
二人でお芝居をしていた。
残念ながら、言葉も古いらしく、英語の知識に乏しい私には
ほとんど理解出来なかったが、お芝居はとても上手そうに見えた。
それにしても、
四半世紀で信じられないほどの変化を遂げているが、
シェークスピアの生きていた450年ほど前の世界は、
どのようなものだったか想像も出来ない。
もし、覗きに行けるものなら、
是非是非飛んで行ってみたいものだ。