日々発見

日々新しい事に挑戦して・・・

2010年度 ヨーロッパへの旅行 ロンドン4

2010-12-14 00:13:06 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月9日

ウッドストックで1時間半ほど過ごし、
次はシェークスピアの奥さんであった
アン・ハザウェイの家に向かった。

彼女は25歳の時に18歳のシェークスピアと結婚、
一男二女をもうけたが、
ハムレットという男の子は幼くして亡くなり、
35歳になったシェークスピアは、都会に出て行って、
詩の創作と劇団活動に明け暮れ、
挙句の果てに他の女性と恋に落ち、
さらに、遺言書に、莫大な財産の中から
彼女に「2番目に立派なベッド」だけを残した、
とガイドさんが話していた。

気の毒なアンの家に着いたら、初めのバスで一緒だった
インドネシアの二人の女性と会った。

何となくアジア人同士のせいか、すぐに気さくに話しかけ、
日本語の勉強をしていると聞くと、なおさらうれしかったが、
こちらのバスに乗り換えたので、もう会えないと思っていた。

再会を祝して、アンの家を背景に記念写真を・・・



残念ながら、家の中の撮影は禁止のため、
中庭の一角だけを写してみた。




彼女達に別れを告げ、
いよいよ「ストラトフォード・アポン・エイボン」へ。

ところで、25~6年ほど前に、私は一人でここに来たことがある。
夫が仕事を兼ね、5月の連休を利用して10日ほど滞在したが、
夫が仕事に入った後、一人でシティラマという大型観光バスに乗った。

乗客はたった3人。
ガイドが付くわけでもなく、現地に着くと、
集合時間だけを聞き、一人で見て回るのだ。

心細くて、集合場所を間違えては大変、
よく覚えておかなければと、真剣に周囲を見ていたので、
今も良く覚えているのだが、その時は細い田舎道を通って、
直接シェークスピアの生家に行ったのだった。

シェークスピアの部屋で、観光客はそれぞれ記帳をしたが、
その時、先程のバスの乗客の一人に出会った。
多分、40代ぐらいだろう。
彼はアメリカのビジネスマンで、今日は仕事の合間だと話していた。
これで一人きりではないから、
バスの集合場所まで迷わずに行けるとホッとしたものだった。

あちこち歩いている内に、もう一人の乗客とも会うことが出来た。
彼はオーストラリアから来た外国航路のコックさんだった。
多分、彼は30代。日本にも行ったことがあると話していた。

今回訪れたシェークスピアの生家は、
私の思い出の場所とは大違い、
まるで違う所に来たみたいだった。






街の大通りにあった道化の銅像。
銅像の名前は "THE JESTER"。
これは芝居中で機知に富んだアドリブで
お客を沸かせる道化の名人らしい。

このような銅像もかつてはなかった。

そして、田舎道もなく、
生家の入り口にはビジターセンターが出来ており、
何だか浦島太郎のような・・・



中庭ではこの地域にある劇団の一つの男優なのだろう、
二人でお芝居をしていた。
残念ながら、言葉も古いらしく、英語の知識に乏しい私には
ほとんど理解出来なかったが、お芝居はとても上手そうに見えた。




それにしても、
四半世紀で信じられないほどの変化を遂げているが、
シェークスピアの生きていた450年ほど前の世界は、
どのようなものだったか想像も出来ない。

もし、覗きに行けるものなら、
是非是非飛んで行ってみたいものだ。


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2010年度 ヨーロッパへの旅行 ロンドン3

2010-12-07 00:21:04 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月9日

今日はホテルでピックアップしてくれる、「オックスフォード、
コッツウォルズ、アポンエイボン」に行く観光コースを申し込んだ。

夫にとっては初めての観光バスの旅。
私は彼らが企業訪問をしている間に、
一人であちらこちら4~5回は行っている。

朝7時、バスに乗り込んで、
ターミナル駅でいくつかの目的地に乗り換え、いざ出発!

ところが、乗ってすぐ、
英語とスペイン語の説明しかないバスだと気付いた。

すぐにターミナル駅に戻れば間に合うかもしれない。
夫に事情を話してもらったが、
間違いなくこのツアーだとガイドが言う。
結局、ホテルのインフォメーションの男性が間違えたのだった。

オックスフォード大学に着いても、
早口のガイドの説明には追いついて行けず、
不機嫌な上に、急に雨も降り出し、本当に悲しい思いだった。



仕方なく、後について歩いている内に、すばらしい食堂があった。
何だか、映画「ハリーポッター」で見た画面のような・・・・
きっとここで撮影されたのだろう。





御指定の?土産物屋さんであれこれ冷やかしていたら、
先程のガイドがやって来て
「丁度日本語のガイドが同じ箇所を回っているが、
そちらに乗り換えるか?・・・」と聞いてきた。

私達が申し込んだツアーに違いない、喜んで変えてもらった。

新しいツアーは日本人ばかり。
皆笑顔で迎えてくれた。

雨も上がり、機嫌も直って
コッツウォルズ(羊のいる丘という意味らしい)に向かった。

コッツウォルズの村?町?よく分らないが、ウッドストックには
チャーチル元首相の生家、ブレナム宮殿があり
その敷地の広いこと、広いこと、
バスで塀の側を延々と走っていた。
残念ながら、宮殿はバスの中からチラッと見ただけだったが、
首相の生家が宮殿なんて・・・・
そう言えば、日本でもお殿様の末裔が
首相だったことがあったっけ。


昼食はウッドストックで自由解散。
パブに入ったら、かなり待たされたが、
とってもおいしいパンとコーヒーに出会え、
気分はますます上機嫌!






店の外   店の中



そして、店の裏側もステキだった。




先程のツアーは昼食付きだったが、
そのお金は4~5日後に返金してくれるとのこと、
86ポンドの旅行費が76ポンドになり、しかもお昼代を払っても
1,000円ほど安くなり、得した気分だった。

人通りも少ない町並み、落ち着いた雰囲気でとてもステキだった。



  

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2010年度 ヨーロッパへの旅行 ロンドン2

2010-12-03 19:13:02 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月8日

今日は今回初めての企業訪問。
「GSK」という、日本で言うと武田製薬のような会社だ。

昨年、学生達は日本の製薬会社の環境経営について研究をし、
それを持って、ヨーロッパの製薬関係の会社を訪問、意見交換をするという。

セキュリティの厳重さに驚いてしまった。
敷地内に入った途端に、一切のカメラ撮影は禁止、
ガードマンの数の多さにもびっくり!
胸に身分証明書を下げて、社内に案内された。

学生の代表が英語でいろいろ説明、活発な意見交換が行われ、
通訳のフレイルさんが入って下さったが、彼女自身も
技術的な話が多く、四苦八苦されたというほど、内容の濃い討論であった。
私も、分らないなりに、生活に密着した話題でもあり、とても勉強になった。



よくよくお礼を言って、帰りのタクシーに乗った途端、振り向いてカシャッ!



撮った!撮った!
でも、なぜこんなに厳重にしなければならないのだろう・・・

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2010年 ヨーロッパへの旅 ロンドン

2010-11-22 17:46:49 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月7日
皆は市内観光に出かけて行った。
私はホテルでのんびり昼寝。

窓から懐かしいアールス・コートの街がよく見える。




夜は学生達の部屋で、買い込んだパンや果物、チーズやハムで夕食。

アルバイトをしながらお金をためて、このEU研修旅行に参加する学生達。
この節約が明日に繋がる。

私はレタス1枚、ハム1枚、ぶどう数粒、小さなトマト2個、
お腹はほとんど完治!
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2010年 ヨーロッパへの旅 ロンドンへ 

2010-11-22 17:08:15 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月6日

普段、揚げ物は極力控えているので、胃腸が相当驚いたようだ。
昨夕からお腹がとんだお祭り騒ぎ、ドンドンヒャララ、ドンヒャララ、
ドンドンヒャララ、ピーヒャララ・・・
生まれて初めての経験だったが、正露丸とお灸が効いたのか、
明け方の3時ごろには何とか終演?となった。

今日は飛行機でロンドンへ移動。

ルクセンブルグの飛行場は中心街からタクシーで15分と聞いていたが、
ラッシュに巻き込まれ、35分近くかかった。
運転手の話では、最近、周りの国からの移入が多く、
朝夕のラッシュはかなり激しいということだった。

小さく、のんびりとしたルクセンブルグの空港内。



・・・・・・・

ヒースロー空港に次ぐイギリス第2のガトウィック空港は
滑走路が1本しかなく、
年間3100万人が利用すると言われる空港だが、
とても小さく感じた。

タクシーは、空港のカウンターで頼むと、
待機していたドライバーが車まで案内してくれる。
目的地を言うと、カウンターの係の人が
パソコンで打ち出した料金を初めに言ってくれるので、
とても安心だ。

EARLS COURTの Ibisホテルに着くと、
何と、数年前に泊まったホテルだった。
一人で歩き回った所だったので、
駅までの道や周りの景色も懐かしく思い出した。

2時に、夫は学生達と打ち合わせに行き、
朝から何も食べていなかった私は、
すぐにベッドにもぐり込んだ。


夕方、6時ごろに全員で中華街に出かけた。
ロンドンで安くて美味しいのは中華料理!



少しのワンタンスープとチャーハン、北京ダック2切れ・・・
お腹が怒らないように・・・といたわって、
寂しいお食事だったが、
たっぷりのジャスミンティで満腹だった。

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2010年 ヨーロッパへの旅 ルクセンブルグ 3

2010-11-18 22:28:12 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月5日

ミニトレインに乗り、ボックの砲台から城壁歩きをした私達は、
ノートルダム大聖堂に入った。



中にはマザーテレサの大きな遺影があった。



彼女は(1910―97)旧ユーゴスラビア(現マケドニア)のスコピエ出身で、
18歳の時修道会に入り、36歳の時に「貧しい人の中でも
一番貧しい人達のために一生を捧げる」ことを決意し
38歳でインド国籍を取得、一人 カルカッタの貧民街で活動を始め、
後にノーベル平和賞を受けた人。
この8月26日が彼女の生誕100年だったという。
彼女の言葉を集めた記事を読んだことがある。
世の中には本当にすばらしい人がいるものだ、と感激した。

教会から歩いて数分、あった!大公宮殿。



1418年に建てられ、その後火災で1573年に再建。
1890年から現大公ナッソウ家の居城となっているということであった。
オランダ、ベルギーに次いでルクセンブルグにも王様がいた。
これでベネルックス三国の王様の家を全て見たことになる。

ブリュッセルのグラン・プラスを真似て造ったというアルム広場まで又数分。

規模はかなり小さいが、公設の舞台では市民楽団の演奏や、
蚤の市が開かれ、賑わっていた。





そして、周りに立ち並ぶレストランで夕飯。

牛肉、鶏肉などのソテーと山盛りのフライドポテト。
これが定番らしく、2日とも同じレストランで同じような物をいただいたのだが・・・。






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2010年 ヨーロッパへの旅 ルクセンブルグ 2

2010-11-15 23:20:18 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月5日

昨日乗り損ねたミニトレインに乗りたいと再度チケット売り場に出かけたら、
昨日の女性がいたので「昨日、私はミニトレインに乗りたかったの・・・」と
恨めしげに伝えると、にっこり笑って「ジャパニーズって言ったから。」と
案内板を指差しながら答えた。

納得!
ペトリュス・エクスプレスという、このミニトレインには
日本語のイヤホーンガイドがなかった。

仕方がないので、英語のガイドでしぶしぶ了承。
昨日上から覗いた谷の下へいざ出発!

そしてもう一つ、納得!
ペトリュスというのは、この谷底に流れている川の名前だった。




道が狭いので、途中、広場で合図の汽笛を鳴らし、すれ違う。



一回りして、今度は城壁の中の見学をした。

外から見た城壁。



そして内部は・・・



中から外を覗くと・・・



上から見ると人間は虫のよう・・・



600年も前に造られた壮大な城壁、
その頃の人達の苦労は我々の想像を超えるものだっただろう。

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2010年 ヨーロッパへの旅 ルクセンブルグ 1

2010-11-07 00:05:01 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月4日

ブリュッセルからルクセンブルグへ。
急行列車ICで3時間。
駅から100mのCity Hotelへ。
小さなホテルだが、一応4つ星だった。

大昔、社会の時間に「ベネルックス三国」
という言葉を聞いたことがあった。

確か、ベルギー、ネーデルラント(オランダ)、ルクセンブルグの
3か国の集合を指し示す名称で、
この3か国はいずれも立憲君主制を採用しており、
周辺の国に比べて国土が狭く、大国に対抗するために
緊密な経済協力を行っている、と習ったような気がする。

確かに、ベルギーにもオランダにも王宮があった。

初めてのルクセンブルグ、どのような国なのか、ワクワクしながら、
すぐに市内観光へ出かけた。



昔、ルクセンブルグへ行ったという友人から
「ミニトレインに是非乗るといいわよ。」と聞いていたので、
早速チケット売り場へ出かけたが・・・・

何とこれがチケット売り場だった。
この車の後に回ると・・・



眼下には深い谷があり、
「えっ、ここの下にはどういうふうに行くのかしら。」
と驚くほどの景色が広がっていた。

日本語イヤホーンガイド付きチケットを購入して、
トレインに乗り込もうとしたら、
「このチケットはバスのものだ。」と言われ、このバスに乗せられた。




途中乗り降り自由のHop and hopというシティバス。

乗って初めて気付いたが、
この町は新しい街と古い街がはっきりと分かれ、
EUの拠点としての新しい町には、超近代的な建物が立ち並び、
旧市街地には、1000年の歴史が保存されている。

新市街と旧市街の間には深い渓谷があり、その渓谷に沿って
14世紀から15世紀にかけて街の周りをぐるりと取り囲むように、
環状城壁が築かれていたが、1867年に永世中立国になった時に、
その壁がほとんど取り壊され、現在、一部残っている城壁と要塞が
ユネスコの世界遺産に指定されているという。

途中、バスを降りて「三つのどんぐり」と呼ばれるチュンゲン要塞に行った。



963年にボックフェルゼンという岩山に城砦を築いたのが
この街の始まりと言われているが、
その後、グルゴーニュ公国、スペイン、
オーストリア、フランスなどの支配を受けて今があるという。

この「三つのどんぐり」はオーストリアが造った物で、
今は美しい森の中にあるが、周りの城壁の壮大さに、
かつての人民の苦労がしのばれ、
今、この景色を観光で見ることの出来る私達は
本当に幸せだとつくづく思った。


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2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセルー6

2010-11-01 00:42:28 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月3日


昼食を食べ損ねてしまったので、また、グランプラスに下りて
レストランで早めの夕食を取った。

レストランのウエイターは、私達が入って行くや否や
「ちょっと待ってね。」と日本語で言った。

しばらく待たされた後で、
「どうして日本人だと分ったの。」と聞くと、
日本人、韓国人、中国人、北朝鮮人、
大体、歩き方、表情、着ている物で分るが、
近年は韓国人と日本人、中国人と北朝鮮人の
見分けが難しくなりつつある。」と言われた。



さて、夕飯に選んだ物は全く想像と違い、
ベルギー料理ではなくパエリアのようだった。
味もまずく、がっかりしたが、仕方がない。
フランス語のメニューはよく分らなかった。

お口直しに?ビール祭りの広場まで歩いて2~3分。
街角でこんなお巡りさんを見かけた。




あまり上手ではないブラスバンドの音楽が流れ、ビールを飲みながら、
腰を振り振り談笑をしている大勢の人達を見ているだけで楽しかった。




残念ながら、私は呑めない・・・・

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2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセルー5

2010-10-31 00:08:27 | 2010年 ヨーロッパへの旅 ブリュッセル~ルクセンブルグ~LON~バーゼル
9月3日

王立美術館に先程のチケットを見せてもう一度入館。



吹き抜けの美しい建物の1階。



2階部分。

2時過ぎから4時ごろまでのんびり絵画を楽しんだ。



ルーベンスの絵の前で、日本人の女性が
何人かの友人達に絵の説明をしていた。
横で聞きながら、それぞれの絵が、
聖書に書かれている内容に添って
描かれていることが分り、とても感激した。

この絵はキリストがゴルゴタの丘まで十字架を背負わされて行く途中、
その重さに耐えかねて三度倒れたが、
その横で美しい女性が(名は忘れてしまった)
彼の手助けをし、その女性の左上に描かれているのがマリア、
さらに赤い服の男性がヤコブだという。

手前の罪人は泥棒で、
キリストの横の杭に縛り付けられ処刑されたが、
一人は最期に「神は私を許すでしょうか。」とキリストに聞き、
キリストは「許されるでしょう。」と答えた。
肌の色の違いに許された男と、
そうでない男の違いが表されているのだという。

毎年、あちこちの美術館に行くのだが、勉強をしていないので、
宗教画はよく分からず、何となく見ているだけで、
何も心に残っていない。
この絵のことは絶対に忘れないだろう。  

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