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核密約の存在・・共産党調査の正確さ証明

2009-09-21 | 世界の変化はすすむ

   

 米国大使館で記者会見するキャンベル米国務次官補=18日、東京都港区

   核密約は歴史的事実 

米国務次官補、日本の調査に理解

  来日中のキャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は18日、都内の米大使館で記者会見し、鳩山政権が真相解明を目指す核密約問題について「米側の 開示文書は約50年前の日米間の合意に関する史実を明確に描いている」と述べ、核密約は歴史的事実との見解を表明した。

 岡田克也外相との会談後に会見した次官補は「(核密約問題が)岡田氏と鳩山政権にとっていかに重要かを岡田氏は強調した」とも述べ、鳩山政権が現在進める核密約調査に理解を示した。

 米側は既に、核搭載艦船の日本通過・寄港を容認した1960年1月署名の「秘密議事録」の草案や、同議事録が実際に署名された事実を確認する公文書を開示しており、次官補の発言は核密約を歴史的事実と位置付ける米側の従来姿勢を反映している。

  次官補は一方で「(核密約は)基本的に過去の話だ」とし、「この問題が日米関係の強固さを損なわないやり方で処理されることを強く求める」と言明。日本の 歴代政権下で築かれた良好な日米同盟関係に悪影響を与えない形で、日本で政治争点化した核密約問題の決着が図られるベきだとの考えを示唆した。

  米公文書によると、核を搭載した米軍空母や潜水艦などが50年代から横須賀や佐世保に寄港していたが、米国は冷戦後、日本などに展開する海軍艦船から核を 撤去。現在日本には核搭載艦船は寄港しておらず、日本への「核の傘」は大陸間弾道ミサイル(ICBM)などで担保されている半面、米国は朝鮮半島有事にお ける潜水艦への核再搭載の選択肢を排除していない。(共同)

  【共同通信】

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民主党政府に資料提供・これが建設的野党

2009-09-21 | 世界の変化はすすむ

核密約と手を切り「非核の日本」の実現を

社会科学研究所所長 不破哲三氏に聞く

第1回 これが核密約だ


 日本への核兵器持ち込みを認めた日米核密約の存在が、歴代外務事務次官の証言などであらためて注目をあびています。この問題で、2000年に国会 の党首討論で密約全文を示し、政府を追及した日本共産党の不破哲三・社会科学研究所所長(当時、党委員長)に、核密約問題とは何か、日本の進路はどうある べきかを聞きました。


60年安保の核心がここに

写真

(写真)インタビューに答える不破哲三氏

 ――核密約とは一体どんなものですか。

 不破 核密約が結ばれたのは1959年6月、現行安保条約締結の半年前です。以来50年、国民と世界を欺いて日本に核兵器が持ち込まれてきた、日本の主権と世界の平和を脅かす大問題です。

 その意味・内容をよくつかむには、安保条約の歴史を考える必要があります。

 日本は、アメリカとの安保条約を2回結んでいます。最初の安保条約は1951年、朝鮮戦争の最中に、講和条約との抱き合わせで、強引に押しつけら れたものでした。アメリカが占領中に日本全国につくった基地をそのまま残す、使い方も勝手放題という内容で、基地の実態は、全面占領時代とほとんど変わり ませんでした。

 その次に1960年1月に結んだのが現行安保条約で、大きな柱が二つありました。一つは、いざという時には、米軍といっしょに戦争をするという「日米共同作戦」条項(第5条)です。

 もう一つが基地条項(第6条)で、独立国・日本の体裁をととのえようということで、「事前協議」の仕組みが新たにつくられました。基地の使い方はもうアメリカの勝手にはしない、重要なことは、日本政府と事前に協議してからやる、という仕組みです。

 政府は、60年安保の当時、いよいよ日本の独立が認められる、“日米新時代”が始まった、といった大宣伝をやったものです。その時の最大のうたい文句が、「事前協議」でした。

 1959年6月の日米交渉というのは、この「事前協議」の仕組みをつくることが一番の仕事で、そこで合意した結論が、核兵器の取り扱いを含む密約だったのです。

「討論記録」とは日本側が注文

写真

(写真)2000年に不破委員長が暴露した核密約の「討論記録」

 ――この文書には、「討論記録」という、協定らしからぬ表題がついていますね。

 不破 この時の交渉の様子を説明したアメリカ政府の報告書があるのですが、この表題は日本政府の注文で、あとあと「いかなる秘密取り決めの存在も否定できるようにするために」、秘密の「討論記録」と呼ぶことになった、と書いてあります。

まぎれもない核密約が中身

 ――国民と世界を最後までだまし続けるつもりだったのですね。

 不破 いくら表題だけ変えても、これが日米両政府間の秘密協定であることは、中身をみればすぐわかるのです。

 協定の全文は、ここに紹介してあるとおりです(別項)。

 最初の1節は、事前協議についての「交換公文」、つまり発表用の取り決めの「案」です。在日米軍の「装備における重要な変更」と「戦闘作戦行動」のための基地の使用とは、日本政府と協議する、アメリカが勝手にやることはしない、これが主な内容です。

核の出入りは米軍の自由に

 ――これが、岸信介首相とハーター米国務長官のあいだの「交換公文」になって、“日米新時代”の証しとされたわけですね。

 不破 そうです。しかし、取り決めでは、いちばん大事なこと、「事前協議」の運用の内容を、第2節に書いてあるのです。

 ここには、AからDまで4項あって、A項とC項が核兵器にかんする取り決めです。まず、A項では、事前協議にかけるのは核兵器とその運搬手段とな る中・長距離ミサイルの「日本への持ち込み」だと規定しているのですが、ここの注目点は、「持ち込み」を表すのに「イントロダクション(導入)」という言 葉を使っていることです。

 そしてA項のただし書きがC項で、これが核密約の要です。「事前協議」の条項は、米軍の飛行機や軍艦の通過・立ち寄り(「エントリー」)には適用 されず、それは「現行の手続き」通りとする、という内容です。「現行」とは、アメリカの勝手放題ですから、核兵器を積んでいても、軍用機や軍艦は、日本に 自由勝手に出入りできる、こういう重大なことが、ここで決められました。

読まれていた日本側の腹の内

 ――C項には、核兵器という言葉が1回も出てきませんね。

 不破 交渉経過についてのアメリカ政府の報告書には、こう書いてあります。

 “日本側の交渉担当者は、第7艦隊の軍艦が核兵器をもって日本の軍港を出入りしていることは、うすうす気づいているのだが、問題の真相をつきとめるつもりはない”

 “核兵器という言葉をはっきり書いて、その「エントリー」を認めるという協定に署名できる指導者はいない”

 いわば日本の手の内、胸の内をすっかり読んだ上で、その日本側が承認しやすい文章づくりに工夫をこらしたのでしょうね。C項で話がまとまった時の ことを、この報告書は、「日本側は、『討論記録』でのこの言い回しを受け入れた」と書いていますが、これで安保交渉が山を越えた、とほっと安心した様子が 目に見える書きぶりでした。

代表が署名した公式の条約文書

 ――戦争への出撃条項についても、同様のことがあるのですね。

 不破 ええ。きょうの主題ではありませんから、簡単にしますが、B項で「日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる」行動が対象になるの だ、と規定したうえで、D項で、軍隊の「移動」は、対象にはなりませんよ、というただし書きをつけた。「移動」の名目さえつければ、あとは米軍の自由勝手 というわけで、これで、日本を戦争の出撃基地に自由に利用できる仕組みができました。

 あと残っていたのは、この取り決めを日米両国政府間のきちんとした条約上の取り決めにする作業だけでした。そこで、事前協議に関する59年6月交 渉の結論を、公開部分と秘密部分の二つにわけて、公開部分は、「岸・ハーター交換公文」として岸首相とハーター国務長官が公式に署名して公表する、秘密部 分は、「討論記録」をそのまま協定文書とし、藤山愛一郎外相とマッカーサー大使が頭文字署名をし、公式の秘密文書とすることを確認しあう、こういう手続き をきちんととることにしたのです。

 岸首相がアメリカを訪問して、ワシントンで日米安保条約に正式に調印したのは、1960年1月19日のことですが、東京で最終的な実務準備にあ たったマッカーサー大使は、1月6日、藤山外相との署名手続きを終わったとき、即日、国務長官に報告の電報を送りました。9日には、「われわれが承知して いる条約文書の全リスト」を作成して国務長官に送っていますが、そこには17の条約文書が列記されており、核密約は、「協議方式に関する討論記録」として 文書の14番目にあげられています。

 こうして、日米核密約は、公式の条約文書になりました。

二重底の「偽装」協定

 ――いきさつの全体がわかると、「事前協議」制というのは、この仕組みそのものが、まったくのごまかしの制度なのですね。

 不破 事前協議の方式について協議して、その結論を、発表できる宣伝文句的な部分と、現実の運用を決めた密約部分に分け、前者だけを「交換公文」として公表した。

 いわば二重底の仕組みですね。表だけ見ると、りっぱな制度のように見えるが、これは上げ底で、実態は米軍自由勝手の方式ということです。「偽装」協定といってもよいでしょう。

 “日米新時代”のうたい文句にした「事前協議」条項は、条約上もまったく形だけの空文だったのです。核兵器の持ち込みも自由勝手、日本からの戦場への出撃も自由勝手、ということですから。

 密約によるこの仕組みのおかげで、アメリカは、日本を核戦争の拠点として自由に使い、ベトナム戦争でも、日本を出撃基地として自由に使うことがで きたのです。政府は、「事前協議」制度を一度も使わないで済んだことを、自慢げにいうことがありますが、この49年間これだけ基地が勝手に使われても「事 前協議」がなかったということは、密約のためにこれが空文になっていたことの最大の証拠なんです。(つづく)

表


討論記録(全文)

相互協力及び安全保障条約

討論記録(レコード・オブ・ディスカッション) 

東京 1959年6月

 一、条約第6条の実施に関する交換公文案に言及された。その実効的内容は、次の通りである。

 「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国からおこなわれる戦闘作戦行動(前記の条約第5条 の規定にもとづいておこなわれるものを除く。)のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。」

 二、同交換公文は、以下の諸点を考慮に入れ、かつ了解して作成された。

 A 「装備における重要な変更」は、核兵器及び中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)並びにそれらの兵器のための基地の建 設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルを含む非核兵器(ノン・ニュクリア・ウェポンズ)の持ち込みは、それ に当たらない。

 B 「条約第5条の規定にもとづいておこなわれるものを除く戦闘作戦行動」は、日本国以外の地域にたいして日本国から起こされる戦闘作戦行動を意味するものと解される。

 C 「事前協議」は、合衆国軍隊とその装備の日本への配置、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解されない。合衆国軍隊の日本への配置における重要な変更の場合を除く。

 D 交換公文のいかなる内容も、合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動(トランスファー)に関し、「事前協議」を必要とするとは解釈されない。


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2009-09-21 | 世界の変化はすすむ

核密約と手を切り「非核の日本」の実現を

社会科学研究所所長 不破哲三氏に聞く

第2回 50年間、密約をひた隠して


池田答弁が米政府に衝撃

写真

(写真)大平・ライシャワー会談の報告電報。1963年4月4日、ライシャワー大使からラスク国務長官あて

――4人の元外務次官の証言で、3人までが63年の「大平・ライシャワー会談」に言及していますが…。

 不破 これは、当時、表には現れませんでしたが、日米政府間の「危機」といってもよい事件が起きていたんですよ。

 問題は、岸内閣が、これだけ重大な密約をアメリカと結んでおきながら、次の池田内閣にこれを引き継がなかったことから起こった危機でした。

 経過をいいますと、米国から63年に原子力潜水艦の日本寄港について申し入れがありました。池田勇人首相はオーケーの返事を出したのですが、国会 での質問に答えて、首相と防衛庁長官が、“核兵器を積んだ艦艇や飛行機の立ち寄りは、かならず事前協議に付せられるべきだ”“日本政府は核兵器を積んだ艦 艇の日本寄港は認めない”という答弁を、こもごも繰り返したのです。

 米政府は、これを聞いてびっくりしました。翌年にはベトナムで戦争を始める、そういう時期ですから、日本の基地が使えない事態になったら大変です。それでケネディ大統領が、外交、軍事、安全保障などの幹部を集めて、緊急会議を開くのです。

 あれだけ準備して知恵を絞って密約を結んだのに、いったいどうなっているのか。現在の日本政府がそもそも密約を知っているのか。それが議論になり、結局、ライシャワー駐日大使に、事態の真相を確認させることになりました。

 この時、米政府が大使に与えた任務は、(1)大平正芳外相が密約を知っているかどうかを確かめる(2)池田首相の言明が密約と矛盾していることを理解させる(3)国会での今後の物の言い方について相談する、の三つでした。

 米政府からこの指示を受けたライシャワー氏が、大平氏を招いて会談したのは、4月4日でした。

「大平はうろたえなかった」(ライシャワー)

写真

(写真)核密約に関する新たな資料を小渕恵三首相(当時)に手渡す不破哲三委員長(当時)=2000年3月22日、衆院第1委員室

――会談での大平氏の反応は?

 不破 ライシャワー氏は詳しい報告の電報を打っていますが、そこで、「秘密の討論記録の存在自体、大平氏には明らかにニュースだっ た」と述べています。しかし、彼は「少しもうろたえなかった」そうです。その上で、密約のテキストを2人で見ながら相談し、大平氏が「イントロデュー ス」(持ち込み)と「エントリー」(立ち入り)の区別をよくのみこんだと。こうして、基本的な理解ができあがったのだから、日本側が今後「持ち込み」とい う言葉を使ってどんな発言をしても、アメリカとして気にする必要はない、と述べています。

大平確認以後は、どんな政府答弁も平気で聞き流す

――59~60年には日本側は理解不十分のまま密約を結んだが、63年の大平・ライシャワー会談で、日本政府は、密約の意味をよくのみ込んだ、というわけですね。

 不破 佐藤栄作首相が67~68年に国会答弁で「非核三原則」を提唱しました。これは、池田首相の場合のように、個々の軍艦の寄港うんぬんではなく、「核兵器を持ち込ませない」ということを国の大原則とするものですから、池田答弁よりは、はるかに重い話です。

 ところが、米国側が、この発言を問題にしたことは一度もない。それは、「非核三原則」を認めたり尊重したりしているからではなく、63年会談で、 核密約を守るという日本政府の意志を改めて確認してあるからなんです。“言葉で何をいおうが、日本政府の真意は確かめてある。だから気にする必要はない” というわけですね。

外務官僚が首相を「選別」してきた

――63年会談以降、日本政府内では外務官僚が核密約を管理して、首相や外相には「選別」して伝えていた、といいますね。

 不破 報道などを総合すると、外務省でも、条約局と北米局の中心メンバーは密約を知っている、他の部署の人でも外務次官になると知 らされる、そんな仕組みがあるようですね。ある次官によると、政治家は機密が守れない心配があるから、首相・外相は「僭越(せんえつ)ながら選別させても らっている」という話でした。

 これは、国のあり方として、大問題です。密約でも、ともかく政府と政府の協定です。それを官僚だけが管理する。しかも、政府の最高責任者である首 相や外交の責任者である外相を選別する。「選別」の基準は“口の軽さ、重さ”に加えて、密約体制に異を唱えない“素直さ”があるようですが。首相・外相の なかで自分たちのめがねにかなった人物にだけ密約の存在を知らせる、こんなことが横行している国は、世界にも例がないんじゃないですか。

米側の公開後も日本では「密約」

――不破さんは、国会で何回も核問題をとりあげましたね。

 不破 日本に核兵器を持ち込んでいたというラロック提督の証言(74年)や、日米間の取り決めについてのライシャワー元大使の証言 (81年)が問題になったころから、艦艇による核兵器の持ち込みや、それを認めた密約の問題について、何回も国会で追及してきました。答弁したなかには、 密約の存在を知らされていた首相・外相もいれば、知らされなかった人もいたと思いますが、結局、すべての答弁を、外務官僚の中枢が管理していたわけです ね。

 2000年の党首討論は、米国の国立公文書館で密約のコピーなど一連の政府文書が手に入ったので、それを研究し、きょう話した仕組みなど密約の全 貌(ぜんぼう)をつかんだ上で質問したのでした。質問の席でいきなり米側文書をぶつけるのではなく、あらかじめ主要な文書は政府側に渡して、十分な検討を 求めた上でのことでした。

 こちらの気持ちとしては、政治家として責任ある討論をするため、誠意を尽くしたつもりでしたが、答えは、米側の公開文書であろうと、日本政府が責 任を負えない文書だ、密約は存在しないのだから、調査するつもりもない、といったふまじめな答弁で、率直にいってあまりのことに呆(あき)れさせられまし た。

 最近の証言によると、このとき答弁に立った小渕恵三首相は、密約を知っていた首相の一人だったわけです。自民党政治も、それを支える外務官僚も、 アメリカとの秘密の従属関係を隠すためには、国会と国民を平気でだます、こういう集団だということを天下に暴露した質問戦でした。

 なにしろ、米政府が密約文書を公開し、その文書が国会で突きつけられても、「そんなものは存在しない」と言い張るのですから。日本政府だけの「密約」ということですよ。(つづく)


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核密約・テレビで解説・・不破哲三氏

2009-09-21 | 世界の変化はすすむ

核密約と手を切り「非核の日本」の実現を

社会科学研究所所長 不破哲三氏に聞く

第3回 名実ともに「非核日本」の旗を


密約は今も現役 核持ち込みの現実は続く

写真

(写真)不破哲三社会科学研究所所長

 ――“いまは日本に寄港する米艦船には核は積んでいない、核密約は「過去の問題」だ”、こういう論調が一部にありますが。

 不破 明白な事実誤認ですね。核密約はいまも生きて作用している現役の協定で、日本は、立ち寄り(エントリー)による核持ち込みの危険にいまでも不断にさらされています。

 アメリカ海軍は、ソ連崩壊後、戦略原潜は別として、一般的には、軍艦に核兵器を積むことをやめたのですが、そのなかでも、核兵器積載の体制を維持し続けているいくつかの艦種があるのです。

 攻撃型の原子力潜水艦がその一つです。ブッシュ前政権の時代ですが、米海軍のなかで、この潜水艦への核兵器の配備をやめる提案が出されたことがあ るそうです。しかし、03年暮れに、米国防総省がその提案を却下して、「有事」の核配備体制を続けるという最終的な決定をしました。だから、西太平洋で核 戦争の態勢を続けている以上、攻撃型の全部ではありませんが、かなりの数の攻撃型原潜は、核弾頭つきのトマホーク海洋発射巡航ミサイルを積んで活動してい ることが、推測されます。

 21世紀に入ってからの攻撃型原潜の日本への寄港回数を調べてみると、次の表に見るようにたいへん多いのです。

 昨年08年が61回と特別に多いのは、米海軍の方針で、攻撃型原潜の配置の重点を、大西洋方面から西太平洋方面に大きく移したことの表れだと思います。そのなかに、核兵器を積載している原潜が相当数含まれていることは、間違いないでしょう。

日本海は戦略原潜の海か

 アメリカでは、世界規模の核戦争で使う「戦略」核戦力と、地域規模の核戦争で使う「戦域」核戦力とを明確に区分して、配置していますが、攻撃型原潜に積んだトマホークは、「戦域」核戦力の主力部隊と位置づけられています。

 核密約によって、日本はいまでも、アメリカの「戦域」核戦争計画の最前線基地にされているのです。

 ――「戦略」核戦力と日本の関係はどうなっているのですか。

 不破 海上の「戦略」核戦力で重要なのは、戦略原潜です。これは、1隻でトライデント型核ミサイル(多弾頭)を24発積んでいます が、1発のミサイルに最大8個の核弾頭をつけることができますから、合計すると十数メガトン、1隻で水爆級の核破壊力を持つというモンスター的な核武装艦 です。

 これは、日本に寄港したことはないのですが、日本の周辺では、日常的に活動している可能性があります。実は、77年に日本が領海法を制定したとき に、おかしなことが起きました。この法律では、領海を12カイリと定めたのですが、宗谷、津軽、大隅と東西の対馬水道――日本海への出入り口になるこの5 海峡にだけ、領海を3カイリにしたのです。海峡だけ自国の領海をせまくする、という例は、世界ではほかにはあまりないそうですが、調べてみると、韓国も対 馬水道側だけを3カイリにしていることが分かりました。

 なぜ、日本海への出入り口の海峡だけ、それも日韓両国がそろって領海を3カイリにせまくしたのか。おそらくアメリカの戦略原潜の通過のためではないか、と推測されています。

 日本の非核化をめざす私たちとしては、日本海を「非核の海」とする問題も、今後考えてゆくべき大事な課題になると思います。

表

被爆国・日本が核の加害国になってよいか

 ――ところが、日本国内では、逆に、北朝鮮問題を口実に、核抑止力を強めろという議論が一部にあります。

 不破 とんでもない話ですね。そういう人たちは、「核抑止力」とか「核の傘」ということを簡単に口にしますが、それは要するに、相 手を核兵器でおどしつける、ということ、おどしても相手がいうことをきかなければ、その時は核兵器で相手を攻撃する、ということです。つまり、被爆国であ る日本が、核の加害国になる、ということです。

 北朝鮮との関係にしても、北朝鮮は、日本と米国が組んで北への核攻撃をねらっているということを、自分の核武装を正当化する唯一の論理にしています。「核の傘」論とか「日本核武装」論とかは、その相手に絶好の論拠を与えるだけでしょう。

 だいたい、被爆国として、核兵器のない世界を先頭に立って目指すべき日本が、相手を核兵器でおどす道にふみだして、どうして被爆国日本を名乗ることができるでしょうか。まさにそういう問題だと思います。

 ――核問題というのは、21世紀に日本がどういう道を歩むのか、そのことが問われる問題ですね。

憲法9条と非核の旗で平和の外交力発揮を

写真
写真

(写真)志位和夫委員長から米国オバマ大統領への書簡(上)と米国のグリン・デイビス国務次官補代理からの、感謝の返信(下)

 不破 日本は軍事力が足りないという議論をしばしば耳にしますが、日本にいま一番足りないのは外交力なんですね。しかも、日本はい まの世界で、外交力を発揮できる絶好の条件をもっているのに、いまの政治はそれを生かそうとせず、逆に投げ捨てることばかり考えてきた。そこを百八十度転 換しなければいけないときなんですね。

 外交力発揮の絶好の条件というのは、第一に憲法第9条、第二は被爆国としての非核の立場です。

 戦争を防止できる平和の国際秩序を、という声はいま世界中に広がっています。これは、憲法9条を国際政治に生かせる絶好の条件が広がっている、ということなんですね。

 アメリカのオバマ大統領が核兵器廃絶をアメリカの国家目標にすると宣言したことは、日本国民の非核の声が最大の核保有国をも動かし始めたものだと 評価してもよいでしょう。だから、志位委員長は、オバマ大統領に共感と提案の書簡を送り、対話の一歩が始まりました。その時に、「核抑止」論をもちだした り、「日本核武装」をとなえたりするのは、自分が時代に逆行し、世界の“空気の読めない”愚か者であることを証明しているだけだと思います。

 いまこそ、日本が「非核の日本」の旗をさらに高くかかげて、核兵器のない世界、核廃絶の実現をめざす世界的な運動の先頭に、確信をもって立つべき ときだと思います。北朝鮮の問題でも、「非核の日本」の立場を名実ともにつらぬいてこそ、北朝鮮の非核化を道理をもって主張し、推進することができます。

 そのためにも、核密約の正体がいよいよ明るみに出てきたいま、必要なことは、その真相を公開させ、密約を廃棄して、非核日本の立場と矛盾するすべ てときっぱり手を切ることです。この機に乗じて、非核三原則を骨抜きにし、密約を合法化しようなどの試みを絶対に許してはなりません。

 憲法9条と非核日本、この道をすすんでこそ、憲法前文がいうように、日本は、国際社会における「名誉ある地位」を占めることができる、このことを最後に強調したい、と思います。(おわり)



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