お正月は昨日まで、まったく外出も買い物もせずにお籠り。
ひたすらあるもので食いつないでおりました。
そろそろ冷蔵庫のなかもガラガラになり始め、
大晦日の閉店間際に、高島屋岐阜店で半額で買った黒毛和牛が残っているだけ。
ということで、夕ご飯はすき焼きに決定。
とはいえ、畑にはまだ雪が積もっているので、
残っている野菜は白菜一個とネギ一本、キノコ少々。
更科の冷やしたぬきそばのたれで味付けしたのですが、
さすがお肉がおいしいので、すき焼き風煮でもしっかりすき焼きを食べた気分(笑)。
ぎんなんも薪ストーブの上で焼きながらワインも少々。
今日は、今年初めてプリウスに乗って、
マーサの鎌倉パスタで、姉たちとランチしました。
ランチを少な目にして、プティブローニュでケーキセット。
帰り道、久しぶりに車に乗ったので、車体感覚が鈍っていたのか、
新車のプリウスを、姉の家の前のブロックを曲がりきれずに、
バンパーの角をこすって傷をつけてしまいました(大ショック)。
ずっとゴールド免許なのですが、「まあ大事故でなくて不幸中の幸い」と
自分で自分をなぐさめています(笑)。
応援クリック してね
本文中の写真をクリックすると拡大します。
中日新聞の「ニッポンの女子力」は、二日目の記事は片面なのですが、
B4版に入らないくらいの大きな記事でオールカラー。
リキが入っていますね。
と思っていたら、
わたしの記事は明日の朝刊の生活面、「ニッポンの女子力<4>」に載ると
書いた記者さんから連絡がありました。
どんな記事になっているのだろうと、期待と緊張でドキドキです。
最後まで読んでくださってありがとう
クリックを
記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね
ひたすらあるもので食いつないでおりました。
そろそろ冷蔵庫のなかもガラガラになり始め、
大晦日の閉店間際に、高島屋岐阜店で半額で買った黒毛和牛が残っているだけ。
ということで、夕ご飯はすき焼きに決定。
とはいえ、畑にはまだ雪が積もっているので、
残っている野菜は白菜一個とネギ一本、キノコ少々。
更科の冷やしたぬきそばのたれで味付けしたのですが、
さすがお肉がおいしいので、すき焼き風煮でもしっかりすき焼きを食べた気分(笑)。
ぎんなんも薪ストーブの上で焼きながらワインも少々。
今日は、今年初めてプリウスに乗って、
マーサの鎌倉パスタで、姉たちとランチしました。
ランチを少な目にして、プティブローニュでケーキセット。
帰り道、久しぶりに車に乗ったので、車体感覚が鈍っていたのか、
新車のプリウスを、姉の家の前のブロックを曲がりきれずに、
バンパーの角をこすって傷をつけてしまいました(大ショック)。
ずっとゴールド免許なのですが、「まあ大事故でなくて不幸中の幸い」と
自分で自分をなぐさめています(笑)。
応援クリック してね
本文中の写真をクリックすると拡大します。
中日新聞の「ニッポンの女子力」は、二日目の記事は片面なのですが、
B4版に入らないくらいの大きな記事でオールカラー。
リキが入っていますね。
と思っていたら、
わたしの記事は明日の朝刊の生活面、「ニッポンの女子力<4>」に載ると
書いた記者さんから連絡がありました。
どんな記事になっているのだろうと、期待と緊張でドキドキです。
ニッポンの女子力<2>潤い 被災妊婦も 南魚沼市へ/化粧品サンプルに歓声 2012年1月4日 中日新聞 「妊娠中のママ友が郡山まで避難したんだけど、切迫流産で困っているみたい」。東日本大震災直後の昨年三月末、新潟県南魚沼市の小林昌子さん(46)は、福島県南相馬市の親戚から電話でそう聞いた。途方に暮れている妊婦の姿が頭に浮かび、居ても立ってもいられなくなった。 連絡先を聞き、見ず知らずの妊婦に電話した。「迎えに行くから」。すると「ありがたいです」とか細い声。職場の同僚と車に飛び乗り福島県郡山市まで片道約六時間。途中、何度も電話した。「もうすぐだから」。少しでも安心させたかった。 底冷えがする避難所。憔悴(しょうすい)しきった妊婦の顔は真っ青だった。出血も続いているという。細心の注意を払いながら南魚沼に連れ帰り、近くに病院もある旅館へ。「暖かい布団だ…」と妊婦が安堵(あんど)の表情を浮かべた。 地元財団法人職員の小林さんは「南魚沼市女子力観光プロモーションチーム(女子プロ)」のリーダー。女子プロは、女性の視点で集客力を上げようと、一昨年発足したボランティア団体だ。大震災後、「観光は二の次、女性目線の支援を」と奔走していた。 原発事故後、福島県民らが、南魚沼市に百人、二百人と続々と避難してきた。ほとんどが、着の身着のままの小さな子連れの母親や高齢者。旅館などが受け入れていた。小林さんら女子プロのメンバーは「いかがですか?」と、優しく声を掛けて回った。 気になったのは、若い母親たちの顔。肌がカサカサだった。女子プロのメンバーが口コミやネットを通じて、化粧品を募ると、すぐに新品や試供品がドッサリ集まった。それを女性の避難者に手渡すと、「キャー」と思わぬ歓声が上がった。「男性は『なくても死にはしないのに』と不思議そうな目。化粧品で、パッと明るくなった女性の顔を見れば、心にも栄養補給が必要だってわかるのに」。 市社会福祉協議会内の会議室には、おもちゃや絵本、化粧品などを集め、自由にお茶を飲みながら憩えるサロンを作った。 小林さんは元バスガイド。地元高卒後、約二十五年間、全国各地を回った。市の観光プロジェクトチームに抜てきされたことも。メンバー二、三十人の中で女性は一人。「トイレが汚い」「授乳の場所がない」など、女性の意見が自分に集まった。だが、現実は動かず、もどかしさが募るばかり。市長に直談判し、女子プロを発足させた。 女子プロは、避難者に必要な物資をブログで募った。すると日本全国から物資が続々。大手衛生用品メーカーの担当者から突然電話があり、母乳パッドが送られてきたことも。小林さんは「要望通りの物資が続々集まる。ネットの威力を思い知らされた」。使い切れない物資は宮城、岩手の被災地にも届けてもらった。 八月、避難者対象に、旅館などの緊急避難場所から県の借り上げ住宅への移動に関する説明会があった。「託児所は不可欠」と、市に掛け合っても「無理」。それなら、と小林さんが画策した。保育士経験のある女性を集め、市役所の一室にござを敷き、おもちゃまで用意して臨時託児所を設けてしまった。 八月末、切迫流産だった女性から、新しい生活の場として選んだ仙台で、無事に出産したとの連絡が入った。女性からの手紙には「辛(つら)い経験でしたが、女子プロの皆さんに出会えたことはプラス以外の何ものでもありません」。小林さんは「何にも替えられないうれしさが込み上げてきた」と懐かしそうにほほ笑んだ。 (宮本直子) |
民の力を活かそう お任せ体質さようなら 2012年1月3日 東京新聞 未曽有の原発事故は住民の意識を変えつつあります。他人任せの体質を反省し、自分たち草の根の力で世の中を動かす。そんな強い気概が伝わります。 昨年五月、東京都江東区の石川あや子さん(34)の耳に空間放射線量が比較的高いホットスポットという言葉が聞こえてきました。娘三人を抱える母親です。 不安を覚えて区役所に問い合わせても、担当者は「心配しすぎです」の一点張り。園庭を調べようと幼稚園長に頼んでも、教育委員会や理事会への体面からか応じてくれなかったといいます。 ◆手作り民主主義の実践 「子どもを守るべき立場の人たちが実は最大の敵でした」。そう気づいた石川さんは同じ不安を抱える母親たちに呼び掛け、子どもの被曝(ひばく)を防ごうと動きます。 専門家を招いて勉強し、区内を調べて歩きました。都や区に放射能汚染の実態を示して対応を求め、記者会見で公表しました。すると、やり方に不満は残るけれども、区は学校や公園などの線量測定に重い腰を上げたのです。 低線量被曝の問題には、行政や議会の危機意識はおしなべて低いようです。すべてを任せきってきた住民の無関心にも責任があると、石川さんは考えています。 「国や自治体を突き上げるのではなく、自分たちで情報収集して公表し、みんなに判断してもらう。それが賢明でしょう」。お任せではなく、手作りの民主主義とでも呼べそうです。 今や関心事は食品の放射能汚染です。給食と同じ献立の弁当を作って子どもに与える親もいますが、自治体や学校によって給食への対応はまちまち。弁当の持ち込みに加え、食材の産地公表や放射線検査に前向きなところと、冷ややかなところに割れています。 ◆草の根の声に耳澄ませ 背景には教育現場の画一主義が浮かびます。他の子と違うといじめに遭う。配膳も後片付けも平等に。食品の風評被害をあおる。トラブルを避けたくて教委や校長の腰が引けるのでしょうか。 とはいえ国の規制は甘いし、検査態勢は不十分です。ならば住民自らが調べられるようにと、ボランティアが手掛ける食品の放射線測定所が誕生しています。先月には国分寺市にもできました。 設置に尽力した豊島区の伊藤恵美子さん(48)は「産地や測定値は、住民が食品を選ぶよりどころとなる大切な情報です」と言います。風評被害よりも、子どもの被曝回避が優先されて当然です。 江東区や豊島区は母親たちとの意見交換会をしています。低線量被曝の影響が曖昧だからこそ国や自治体は住民の声に謙虚に耳を傾けてほしい。「個人の判断を尊重し、行政コストは東京電力に請求するのが筋です」と法政大の杉田敦教授(政治理論)は言います。 右往左往する母親たちの不安と焦燥を尻目に、野田佳彦首相は原発事故の「収束」を宣言しました。放射能の放出は続き、食品の安全確保も、環境の除染も、廃炉も先行き不透明なのにです。 一方で定期検査中の原発の再稼働や、トルコやベトナムなど海外への輸出には前のめりです。「収束」宣言はそのための方便にすぎないでしょう。脱原発依存の方針は風前のともしびの様相です。 もはや危なっかしい原発を止めるのか、動かすのか、住民一人ひとりが態度をはっきり示すべき時期が来ました。東京都と大阪市で署名集めが進められている住民投票の実現運動には賛成です。 事故のすさまじさを見れば、今までのように原発の将来を国と電力会社、立地先の自治体のみに委ねるのは非人道的とさえ言えます。その過程にはみんなの意思が反映されて当たり前です。 東京も大阪も、福島や新潟、福井に造られた原発のおかげで発展してきました。都市と地方の構造的な“リスク格差”を容認してきた責任があります。 しかも、東京都は東京電力の、大阪市は関西電力の大株主です。利益ばかりを追い求め、巨大リスクを見張ってこなかったとの批判もあります。 事故を風化させないためにも反省や批判を踏まえ、自治体としての立場を鮮明にしたい。国民投票の機運が高まればドイツやイタリアのように日本の立場を決める好機が芽生えるに違いありません。 ◆“企業住民”の意思は カタログハウスや城南信用金庫、ソフトバンクのように脱原発を打ち出す企業もあります。 カタログハウスの斎藤駿相談役は「企業も一つの人格です。社会的責任として脱原発か、要原発か、分からないのか、きちんと意思表示すべきです」と訴えます。 敗戦直後のような転換期には企業も他人任せを返上すべきです。 |
最後まで読んでくださってありがとう
クリックを
記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね