きょうも朝9時から午後5時まで、
「議員と市民の勉強会」の一般質問のセッションのために、
参加者から届く課題の対応に追われていました。
とりあえず、今日の午後5時が提出期限だったので、
ほっと一息ついています。
ブログは、1月18日で7年目に入りました。
その間、一日も欠かさず記事をアップして、
記事は全部で3290件になりました。
われながらよく書いたものだと思います。
まさに継続は力、です。
最近は忙しくて手を抜く日があるのですが、
書き溜めた以前の記事にアクセスしてくださる人が多くて、
このところアクセスは高止まり。
一番多いのは、松井冬子さんと上野千鶴子さんの対談のETV特集。
次にトップページのアクセスが多いので、
きっと毎日見に来てくださっている方もいらっしゃるのでしょう。
ありがとうございます。
応援クリック してね
本文中の写真をクリックすると拡大します。
ところで、
1月6日にわたしの記事が載った、中日新聞の「ニッポンの女子力」は
<番外編>が続いています。
全国で活躍する女性たちの記事を読むと、
元気と勇気がわいてきます。
最後まで読んでくださってありがとう
クリックを
記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね
「議員と市民の勉強会」の一般質問のセッションのために、
参加者から届く課題の対応に追われていました。
とりあえず、今日の午後5時が提出期限だったので、
ほっと一息ついています。
ブログは、1月18日で7年目に入りました。
その間、一日も欠かさず記事をアップして、
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われながらよく書いたものだと思います。
まさに継続は力、です。
最近は忙しくて手を抜く日があるのですが、
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このところアクセスは高止まり。
一番多いのは、松井冬子さんと上野千鶴子さんの対談のETV特集。
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ニッポンの女子力<番外編>墓友 行く末 共に創り出す 2012年1月14日 中日新聞 東京・新宿のビルの一室。六十、七十代の女性七人が中国の養生法「気功」に取り組み始めた。「墓を買って安心してちゃだめよ」「体と頭を鍛えないと」と軽口がとび、笑い声が響いた。七人は、東京都町田市にあるNPO法人「エンディングセンター」の集合墓と契約して知り合った。生涯を全うしたら一緒に眠る仲間たち。人呼んで「墓友(はかとも)女子会」だ。 「墓で仲間なんて想像もしなかった」。メンバーの一人で薬剤師の山脇洋子さん(68)=埼玉県所沢市=はこう明かす。月一回の気功の他にも、お茶を飲んだり忘年会をしたり。「生死に関する価値観が近く、心が通い合っている気がする。安心して何でも話題に出せる」 山脇さんが契約したのは二〇〇五年。その十年前に長女=当時(22)=を亡くし、遺骨を納める墓に悩んだのがきっかけだった。九州にある夫の実家の墓に納骨したが、その後離婚。「実家も親が亡くなり、兄の代になって戻りづらい。今の私が突然死んだら二人の息子が困る」と考えた。「集合墓なら血縁の継承者が来なくても、きれいに保ってもらえる」 気功のメンバーの背景もさまざまだ。シングル、夫と死別、離婚…。「病気や死を正直に話せる友達ができるとは思わなかった。死ぬまでは一緒に元気にやろうという気持ち」(六十七歳)。「同じ墓に入るというだけでどんな人かわかる気がして楽に付き合える。墓の悩みが消え、普段の生活も地に足が着いた気がする」(六十四歳)。気功のほか、俳句やウオーキングなどのサークルもあり、交流の輪が広がっている。 そもそも集合墓は、核家族化などで、従来の墓の枠組みから外れがちな人を中心に、利用者を増やしてきた。同法人理事長の井上治代さん(61)は「墓は家制度の象徴で、女性は軽んじられて苦労することも多かった。それが、女性も血縁に頼らず、自分で墓を考える時代になった」という。さらには、集合墓の契約者約千六百人のうち半数には子どもがいる。つまり、自分たちの体験が手伝ってか「子どもを『墓で縛りたくない』と死後の“自立”を考える人が増えている」。 府中市に女性専用の集合墓を持つNPO法人「SSSネットワーク」の会員間でも、墓友が生まれている。ランチ会をしたり、散策に出かけたり、つながり方はさまざま。同居家族のいない墓友同士で、互いの緊急時の連絡先になっているケースもあるそうだ。理事長の松原惇子さん(64)は、「女性は友達づくりが得意で、人間関係を楽しむのも上手。特に誰もに訪れる死を通した関係は身の上話がしやすく、親しくなりやすいのでは」と話している。 前出の山脇さんは、「集合墓を無縁仏の墓と考える人もいるが、私たちは血縁の代わりに個人同士の横のつながりを持ち、共同体をつくっている」と、新たな縁を語り、墓友女子会をこう表現する。「変形はしているが、都市型の『結(ゆい)』なんです」 (杉戸祐子) <メモ> 家ごとに独立した墓碑を立てる形ではなく、複数の遺骨を共同で納めるのが集合墓。共同墓、合葬墓などとも呼ばれる。多くが恒久的な管理を得られる永代供養墓のため、継承者の心配がない。また、個人墓に比べて安価に抑えられる場合が多い。エンディングセンターの集合墓では、シンボルとなる桜などの木のもとに1人区画、2人区画、家族区画などが設置され、年に1度、合同慰霊祭が催される。 ◆取材を終えて ハカトモ。初めて聞いたとき、何とも新鮮に響いた。死を忌むべきものと捉えれば墓の話もタブーだが、彼女らは墓でつながり、「墓=死」を語る。死を現実に訪れるものとし、先送りせずに向き合う人の集まりだ。ある人が言った。「こっちでもあっちでも同窓会」。生前にも、墓に眠ってからも集うのだと。死生観・家族観に違和感を覚える向きもあるだろう。ただ「孤」がはびこる現代社会に生まれた縁は、そこに意思が宿っているからか、とても健やかに映る。 |
ニッポンの女子力<番外編>3・11を機に大企業からNPOへ 心の声、じかに届ける 2012年1月18日 中日新聞 食料が詰まった段ボール箱が山積みの倉庫。「企業や個人からの寄付。東日本大震災の被災地に届けています」と井出留美さんは話しだした。NPO法人「セカンドハーベスト・ジャパン(2HJ)」(東京)の広報担当。昨年七月まで、グローバル食品企業「ケロッグ」の日本法人の広報室長だった。大企業から大転身だ。 震災の「3・11」は誕生日だった。その直後に、被災地支援用のシリアルビスケットの配送を担当。輸送手段の確保が難しい中、農林水産省と連絡を取り合い、ようやく十日後に米軍のヘリコプターで二十二万食余りを岩手、宮城両県に届けた。 その交渉の一方、日本法人には、豪州などのケロッグ現地法人から支援の申し出が相次いだ。農水省に伝えるも「首相官邸に言って」。その後も厚生労働省、検疫所、税関と回され、再び官邸へ。すると「もう食料は足りている。被災地の方は国産がいいと言っています」。 ため息が出た。個人的にツイッターを通じて、支援要請を受けていた。まだ震災から十日余り。物資はあっても、行き届いているはずがなかった。 知り合いのNPOスタッフが現地で臨機応変に対応する一方、現場の肌感覚に欠ける官庁。「だれが、被災者と同じ目線で、本当の助けになっているのか。いろいろ考えさせられた」 ほどなく、自分の身の振りも考えさせられた。それまでも、被災地支援に自費で参加していたが、「本格的に支援したい」と一カ月の休暇を打診した。だが、上司の難色で断念。七月下旬に、思い切って十四年間勤めた会社に「サヨナラ」した。 以前からつながりのあった2HJに最初はボランティアで参加。だが、その働きぶりに「半年契約のスタッフに」とスカウトされた。「フリーになった」と聞きつけた北海道の会社からは、道産野菜を使ったスイーツのPRの依頼が舞い込んだ。その後も、女子栄養大の講師や、広報専門誌でのコラムの執筆など、依頼が次々と。ついには、個人事務所「office(オフィス)3・11」を立ち上げた。 行動力と柔軟性、経歴に裏打ちされた実力と自信。「いざとなれば、腹が据わるのは男より女」という強さ。そして、思い切りのよさ。それが、仕事を引きつけるのかもしれない。 「はた目には、後先考えない決断だけど、心の声に従った」とサラッと話す。大卒後に入社したライオンの研究職を辞め、青年海外協力隊でフィリピンへ行ったときもそうだった。 2HJは昨年末、国内の優秀な広報事例に贈られる「PRアワードグランプリ」で最優秀賞。NPOの受賞は、二〇〇一年度のアワード開始以来初めてだ。「日本ではまだNPOの評価が低い。受賞で認められて、本当にうれしい」 今後は支援で知り合った二人の被災者に、事務所の収益の1%を毎月十一日に寄付するつもりだ。「被災者の多くが『震災を風化させてほしくない』と言う。寄付で『忘れないよ』と伝えたい」。寄り添う気持ちも忘れなかった。 (竹上順子) =おわり 井出留美(いでるみ) 奈良女子大卒。ライオン家庭科学研究所勤務を経て、1994年、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員としてフィリピンへ。97年、日本ケロッグ入社。2005年、女子栄養大社会人大学院で博士後期課程修了。11年、同社を退社。PRのプロとして、企業などから食品の寄付を受け、福祉施設などへ届ける活動をするNPO法人「セカンドハーベスト・ジャパン」などの仕事を受ける。 ◆取材を終えて ネット上の新年コラムで、井出さんはかつて、鬱(うつ)に苦しんだことや、父を若くして亡くしたことをつづり「あなた次第でそのつらさがやわらいでくるときが、来る…かもしれません」と書いた。仕事ぶりや大胆な行動力に目を引かれるが、本質にあるのは人に寄り添う優しさだ。自然体で新しい道を切り開く井出さんは、共感できる力で思いを実現するヒントを与えてくれている。 |
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