高齢者が増えて、認知症になる人も増えています。
そんなお年寄りを介護している人にとって、
他人事と思えない裁判の最高裁判決が、昨日出ました。
認知症で徘徊(はいかい)している人が起こした鉄道事故について、
家族らの賠償責任の有無を問う裁判です。
愛知県で起きた事件なので、一審、高裁の経過も含めて、
今までも時々報道されていて、最高裁はどのような判断をするのだろうと、
わたしも裁判のゆくえを注目していました。
最高裁の判決は、「遺族に賠償責任はない」と高裁の判決を破棄し
JR側の敗訴が確定しました。
ケースバイケースとはいえ、画期的な判決で、
まずは、良かった、という思いです。
全国的にも大きなニュースになっているので、
各紙の社説、関連のニュース、判決全文などを紹介します。
平成26(受)1434 事件名 損害賠償請求事件
平成28年3月1日 最高裁判所第三小法廷
裁判要旨 線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症の者の妻と長男の民法714条1項に基づく損害賠償責任が否定された事例
全文
認知症事故賠償訴訟 JRが敗訴(3月1日 NHK)
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そんなお年寄りを介護している人にとって、
他人事と思えない裁判の最高裁判決が、昨日出ました。
認知症で徘徊(はいかい)している人が起こした鉄道事故について、
家族らの賠償責任の有無を問う裁判です。
愛知県で起きた事件なので、一審、高裁の経過も含めて、
今までも時々報道されていて、最高裁はどのような判断をするのだろうと、
わたしも裁判のゆくえを注目していました。
最高裁の判決は、「遺族に賠償責任はない」と高裁の判決を破棄し
JR側の敗訴が確定しました。
ケースバイケースとはいえ、画期的な判決で、
まずは、良かった、という思いです。
全国的にも大きなニュースになっているので、
各紙の社説、関連のニュース、判決全文などを紹介します。
社説:認知症事故・最高裁判決 介護に安心できるよう 2016年3月2日 中日新聞 徘徊(はいかい)中に起きた認知症男性の列車事故の損害賠償責任を家族は負わない-。こんな最高裁の初判断が出た。安心して介護できる社会でありたい。 ひとごとでは済まない問題だ。認知症の人をどのレベルまで監視・監督せねばならないのか。事故などトラブルを起こした場合、どの程度の損害を家族が負担せねばならないのか-。さまざまなことを考えさせる裁判だった。 問題の事故が起きたのは二〇〇七年だった。愛知県大府市で九十一歳の男性が家を出て、徘徊の末に、駅で線路に下りて、列車にはねられ死亡してしまった。 一、二審の大きな衝撃 JR東海は計約七百二十万円の損害賠償を遺族に求めた。他社へ振り替えた運賃や事故に対応した職員の人件費、払戻金…、それらを積み重ねた金額だった。 一審の名古屋地裁は「注意義務を怠った」として、同額の支払いを男性の妻と長男に命じた。二審の名古屋高裁は妻に対してのみ、半額の約三百六十万円の賠償を命じた。妻は民法上の監督義務者であると断じたのだ。 長男は二十年以上も別居していて「監督義務者に当たらない」と判断された。JR側に対しても、駅での利用者への監視が不十分で、ホームのフェンスの扉が施錠されていれば、事故を防げた可能性を指摘していた。 この二つの判決が投げかけた影響は大きかった。 「在宅介護は崩壊する」「認知症の高齢者は監禁しておけというのか」「家族に介護を押しつけている」-。確かに介護現場には大きな衝撃となった。 行動予測が難しい相手を、一瞬たりとも目を離さずに監視することなど、およそ不可能だからだ。尊厳のある人である限り、認知症であっても、できるだけ自由であることも要請される。 「監督義務者ではない」 今回の訴訟となったケースでは、夕刻、妻がまどろんで目を閉じているすきに、男性は外出してしまった。門扉に施錠したこともあったが、男性がいらだって門扉を激しく揺らし、危険であったから、施錠は中止していた。玄関ドアにはセンサーを設置してあったが、男性は別の出入り口から外へ出てしまった事情もある。 長男は横浜に住んでいて、その妻を認知症の父親の家の近所に転居させ、介護にあたってもいた。長男自身も月に三回程度、家に帰って介護していた。 一般的には十分に介護の努力が行われていたとみるべきだろう。最高裁は「夫婦の一方が法定の監督義務者であるとする根拠は見当たらない」と述べ、男性の妻の責任を退けた。 民法では夫婦の協力や扶助の義務を規定しているが、「相互に負う義務であって、第三者(この場合はJR)との関係で夫婦の一方に何らかの作為義務を課するものではない」とした。 「精神障害者の配偶者だからといって、『責任無能力者を監督する法定の義務を負う者』に当たらない」とも述べた。損害賠償を求めていたJR側は敗訴した。 監督義務者として配偶者の責任は免れないという一、二審の考え方を排した画期的判決である。もし配偶者というだけで常に重い責任を負わされるなら、追い詰められる結果になってしまう。 この初判断は広がりを持つことにもなる。認知症の高齢者が大きく増えるからだ。 厚生労働省の推計によれば、一二年時点で四百六十二万人だった認知症の高齢者数は、団塊の世代が七十五歳以上となる二五年には約七百万人にも膨れ上がる。六十五歳以上の五人に一人に当たる。 この推計は福岡県久山町の住民を対象にした長期間の追跡調査をベースに同省の研究班がまとめた。認知症患者の割合は糖尿病の有無で変動するとしており、最大で二五年は七百三十万人、四〇年は九百五十三万人、六〇年には高齢者の三人に一人に当たる千百五十四万人に達する可能性があるとも指摘している。 高齢者が高齢者を介護する「老老介護」は今や逃れられない現実となっている。 推計のような事態になれば、家族だけでは到底、十分な介護はできまい。特別養護老人ホームなどの施設介護にも限界がある。遠方に住む息子や娘に頼ることにもむろん限界があろう。 「自分の将来」の自覚を 新しい施策が必要だ。自治体などの取り組みや、地域社会の役割にも期待する。認知症患者を地域で見守るのは、必然的な現代社会の流れでもある。 高齢者の五人に一人が認知症という未来図を前に、社会全体が自分の将来なのだという自覚を持つべきである。そんな時代にもう足を踏み入れている。 |
平成26(受)1434 事件名 損害賠償請求事件
平成28年3月1日 最高裁判所第三小法廷
裁判要旨 線路に立ち入り列車と衝突して鉄道会社に損害を与えた認知症の者の妻と長男の民法714条1項に基づく損害賠償責任が否定された事例
全文
認知症事故賠償訴訟 JRが敗訴(3月1日 NHK)
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社説:認知症訴訟 問われるのは社会だ 2016年3月2日(水)付 朝日新聞 認知症の男性が徘徊(はいかい)中に線路に入ってしまい、列車にはねられて死亡した。この際の振り替え輸送などの損害賠償をJR東海が遺族に求めていた訴訟で、最高裁はきのう「遺族に賠償責任はない」との判決を下した。 事故は2007年末に発生。一審は長男に、二審は妻に男性の行動を監督する義務があったとしたが、最高裁は「夫婦だから」「子供だから」というだけでは監督義務があるとは言えないと判断した。 認知症になった人の言動に神経をすり減らしながらも、懸命に対応しているのが在宅介護の現状だ。判決は、実態に即したもので妥当と言える。 今回のケースでは、同居している妻も要介護認定を受けた「老老介護」で、長男は遠隔地に住んでいた。家族が重い責任を負わされれば、認知症の人を閉じ込めることや身体拘束を助長しかねない――。介護に携わる人たちからはそんな懸念が出ていた。 判決も補足意見で、介護する人に責任を負わせれば、認知症の人の行動を過剰に制限することになりかねないと言及した。人の尊厳を守る大切さを改めて指摘したと言えるだろう。 一方で、被害を受けた側をどう救うのか、という課題は残った。民間の個人賠償責任保険などを整備・拡充することで対応できるのか。新たに公的な基金や救済の仕組みを考える必要があるのか。今後の検討課題だ。 高齢化が急速に進む日本では、認知症になる人も増えていくと予想されている。一人暮らしや高齢者だけの世帯も増える。徘徊は防ぎきれないという前提に立って、個人や家族任せではなく、地域で広く支える仕組みが必要だ。 先駆的な取り組みで知られる福岡県大牟田市は、認知症の人が行方不明になったときに行政だけでなく地域の各団体、登録した市民に一斉メールで情報発信するネットワークを作り、市全域で模擬訓練もしている。目指すは「認知症になっても安心して歩ける町」だ。こんな取り組みを各地に広げたい。認知症の人や家族が、初期段階から必要な医療を受けたり相談したりできる環境作りも欠かせない。 昨年1月に公表された認知症施策の国家戦略「新オレンジプラン」で、政府は「住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けることができる社会の実現」を掲げている。判決を機に、この歩みを着実に進めていきたい。 認知症の人が安心して暮らせる社会は、誰にとってもやさしい社会になるはずだ。 |
認知症の監督責任 現実ふまえた司法判断 毎日新聞 2016年3月2日 誰もが直面する可能性がある認知症高齢者の介護をめぐり、最高裁が注目すべき判断を示した。 愛知県の認知症の男性(当時91歳)が2007年、家族が目を離した隙(すき)に家を出てJRの駅構内で列車にはねられ死亡した事故だ。JR東海が振り替え輸送費用の賠償を遺族に求めたが、最高裁は訴えを退けた。 民法は、責任能力のない人が第三者に損害を与えた場合、代わりに親などの監督義務者が責任を負うとする。最高裁は今回、認知症高齢者と同居する家族の法律上の監督責任を限定的にとらえた。 認知症の高齢者は500万人を超える。遺族に賠償責任があるとした1、2審判決に違和感を覚えた人は少なくないだろう。高齢化社会を見据えた現実的な判断と評価したい。 訴えられたのは、男性の妻と長男だ。1審・名古屋地裁は妻と長男に720万円の賠償を命じた。2審・名古屋高裁は、離れて暮らす長男の監督責任は否定したが、妻の責任を認め、360万円の賠償を命じた。 最高裁判決は、法律上の監督責任を負うケースを、監督義務を引き受けたとみるべき「特段の事情」がある場合に限定した。事実上、家族の監督責任を問うハードルを上げたもので市民感覚に沿っており、納得する人が多いのではないか。 その判断に当たっては、監督者の生活や心身の状況、同居しているかや日常的な関わりの程度などを総合考慮すべきだとの基準を示した。 その上で、男性の妻については、85歳と高齢のうえ足も不自由で介護認定を受けていた点を考慮し、監督責任はなかったとした。 長男については、1カ月に3回程度男性を訪ねてきていたが、20年以上男性と離れて暮らしていた点から「監督を引き受けていたとみるべき特段の事情はない」とした。 老老介護や遠距離を通っての介護は多い。そうしたケースで監督責任を問うのは難しくなったといえる。判決の影響は大きいだろう。 判決からくみ取るべきは、認知症高齢者の介護をする家族を孤立化させず、地域や社会で支えていくことの大切さだ。 10年後には65歳以上の5人に1人が認知症になると推計される。認知症の人が住み慣れた地域で安心して暮らせる町づくりが欠かせない。一部自治体で行われる認知症コーディネーターの養成や、町内会などが認知症の人を見守る「SOSネットワーク」などの取り組みをさらに充実させたい。 一方、賠償責任が認められない場合に、被害救済をどうするかが課題として残る。公的保険で基金を作ることも、検討テーマではないか。議論を深めたい。 |
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