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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ただいま、迷彩中

2013-05-31 | ファッション

一昨日、義姉が、大島紬を着ていた。
(彼女の年齢は、わたしと半年違いで、同じ学年)
とてもいい。ステキだ。しっくりきている。
渋い紬と、白っぽい帯とのコントラストが、色と素材の相乗効果を高めている。
わたしも、キモノを着たくなった。
が、わたしは、どうもキャラクターがキモノにそぐわない。

洋服であっても、きちんと系、キレイ系が、苦手だ。
たとえば、ストッキングにパンプス、膝丈スカートに、ブラウス、そんな格好は、息がつまる。
(ある時期、仕事上、そのパターン、オンリーだったが)

昨日、買った服。
迷彩柄の、かぶりのオーバーブラウス。
(ブラウスという表現は、ぴたっとこないが、アイテム名がわからない・・・)
家に帰って、「どう?」と、上娘に見せたら、
彼女の見立てでは、服の価格、値踏みは、実際に買った値段の3分の1以下だった。
がくっ。

この年齢になって、迷彩柄を、
しかも、70%オフのお知らせを店から受けて
(法事の最中に店長から電話&店員さんから自宅に留守電)、
「おっ、70%オフ!!」と飛びつき、
のこのこ遠いところまで出向いて買いに行き、
70%オフでもなんでもない、まったく安くなってないのに買う、自分。
(あとで、ちょっと引いてくれたが、知れている)
その金額を出すなら、
もっともっとキレイな、ちゃんとした、見栄えのする、どこに着て行っても恥ずかしくない服が買えるはず。
なのに、店に並ぶ膨大な数の服の中から、元値も買値も安くないのに、
迷彩柄をわざわ選ぶ、このセンスはなにか?
自問自答してみたが、・・・
うーーん・・・
わからない・・・

わたしは、日本的な顔をしている。
目が細い。
瞼も重たげな一重瞼。「五木ひろし」のようなかんじではないけれど。
いまどき、一重瞼なんて、芸能界や、ファッション誌には、見かけない。
韓国では、一重瞼は、なんの抵抗もなく、すんなり整形して二重瞼にするそうだ。
でも、わたしは、一重瞼。しかも、細い目。
どーだ?

そして、ソフトクリームのような巻き巻きアップ髪。
そういう人が、迷彩柄。
これって、合う?
ぜったいに、合わない。
(キッと目のするどい、均整のとれた、鍛え上げられた、磨きぬかれた、女性兵士のような肉体の持ち主なら別だが、
・・・程遠い・・・ぶよ~ん・・・だる~~ん・・・)
なのに、わざわざ、時間のない中、必死で焦って買ってきたのが、それ。
店長にまた、やられた。

「ワイルド系、かっこいいですよ」

うーーん。
べつに、店長はさして勧めてなかったのに、わたしが適当にチョイスして買ってしまった。
わたしの年齢に相応したシワくっきり、シミはっきり、クスミたっぷりの顔に、迷彩柄。
あきらかに、おかしい・・・。
魔がさしたのか。

自分は、どういうファッションを目指しているのか。
迷彩柄は、ありえないけれど・・・
そのうち、方向性に、統合性が出てきて、調合され、調和されるだろう・・・ことを祈るのみ。

あれを大勢の人のいる前に着て行く自信があるかどうか?
おそらく、着ていくことだろう。
勇気がある・・・というよりは、たんなる変わりもの。
一度着て、外から自分を客観的に見て、めげて、二度と着ないかも。(可能性、大)

キレイめのファッションをしていれば、好感度アップになることがあっても、
悪い方向で目立つということはないだろうに。
ハイリスク、ノーリターン。
自分のイメージを壊したいのだろうか。
内からも、外からも。

そう言いつつ、べつに、たいしたことのない、服なんです。
大げさ、自意識過剰??
いえ、店長のせいです。
(うそ。店長は、あえて、止めなかっただけだ。しょせん、商売人)

わたくし・・・ときには、魔のさす、お年頃なのだ。

 

 

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どうそ、踏み台にしてください。

2013-04-15 | ファッション

わたしは、人に、マネされることがある。
幼稚園の時は、幼稚園で描いた絵、描いた絵、すべて、同じ幼稚園のYちゃんにマネされた。
彼女は、今は確か、プロのピアニストのはず。
ピアニストの感性の基礎の一部は、「わたしの絵」!!
すごい!!
でも、それは、当然、ある一定期間だけのことだろう。誰にでもあることだ。
創造は、模倣から。

次は、少し間が開いて、高校在学中、および、卒業したての頃。
仲良しのNちゃんに、着る服、着る服、みんなマネされた。
Nちゃんは、わたしと同じものを買う。
買うだけならいいが、それを着る。ヘアスタイル、ヘアアクセサリーまで同じ。
二人で歩くと、カッコ悪すぎる。
わたしのオリジナリティは、どこへ? 著作権ならぬ、衣装権は?
「あんまり同じ格好もどうかと。やめようよ」、とわたしが提案したのかどうか、忘れたが、
いずれ、彼女は、店にコーディネートされてディスプレイされているまんま、
上から下まで、まとめて、まるまるひっくるめて買うようになった。
つまり、コーディネートは外部にお任せ、ということだ。
それはそれで、笑われることは絶対にない、手堅いチョイスだ。
彼女は、今は、とある専門分野に特化した先生になっている。
とっくに、わたしなど卒業して、すばらしい感性を発揮されていることだろう。

わたしは、カッコ悪いコーディネートをして笑われ、失敗を繰り返し、わたし流があるわけで。
着ている服は、たいしたことないが、そこに行き着くまでに、かなりの服を無駄にした。


就職を目前に控えた、真面目な友人Gさんがいた。
彼女は、頑張りすぎる傾向にあるので、わたしといると、いい休憩になる、といって、
よく、わたしと、無駄な時間を過ごし、だらだらしていた。
そして、元気になると、「じゃあ」といって、また戦場のごとき、厳しい世界に、ばたばたと出かける。
しかし、たまに休憩するならいいが、わたしとずっといると、だめになってしまうようだ。
ついには、Gさんには、だめだめなわたしは見切りをつけられた。

そんなに頑張っても、緊張の糸が切れてしまいますよ。
ゆっくり、のんびりでいいじゃない。
と思うのだが、その、無神経ぶり、のうのう、へらへらぶりが腹に据えかねるのか、完ぺき主義のGさんは、去っていった。
わたしは、要領もアタマも悪いんで、弱さ、低能を武器にサボってるから、
真面目な彼女には、それが耐えられないのだろう。


わたしは、踏み台、たたき台で、けっこう。
みなさん、羽ばたいてください。
(わたしを残して、自力で羽ばたいていかれるところに、
わたしの、人としてのお手本にはなりえない、未熟さがある)


またまた服のことに戻るが、
ダンスレッスン教室では、年上のおばさま、M夫人が、いつの間にか、わたしとまったく同じウエアを着ていたりする。
少し、個性のあるものだが、着まわせて重宝する。
わたしよりあとに調達した後、他の生徒さんに、「どこで買ったの?」と聞かれ、親切に丁寧に教えておられた。
「買ってきてあげましょうか?」などと、親切ぶりにさらに拍車が、かかっていた。
皆で揃えたら、それじゃあ、教室のユニフォームになってしまうではないか。

わたしが、教室で売っている、ユーズド・ウエアを手にとって見ていたり、試着している度に、
なんだかんだ言ってくる人が少なからずいる。
わたしは、はっきりいって、寄ってきてほしくない。ほっといてほしい。
最近は、みんなの目につかないように、ちゃちゃっと、さっさと、時間を縫ってやっている。


ナゾ扱いにして、わたしのファッションをボロのちょんにけなしていた、わが上娘。
先日、わたしが履いていたシノワズリっぽいルームシューズを、
実家滞在期間中に、いつの間にか、まったく同じものをネットで注文して取り寄せていた。
二人で同じシューズ、なんか、おかしい。まるでペアみたいだ。
だいいち、二足並べてある時、どっちのシューズを履いていいのか、悩む。
せめて、色違いぐらいにしてほしかった。

もっと、驚くのは、・・・いつもわたしのファッションを理解できない、と、さんざんこきおろしていた実母。
去年の秋、芦屋にいっしょに出かけたとき、「あんたの着ているその服と同じ服、買ってきて」と言われた。
かなりユニークな、デザイン、柄、切り替えのある、コットンの、
くるぶしまであるロング丈、スカスカした、パンツだかスカートだかわからないもの。
「は?」 絶対に無理である。
長いし、裾がぱさぱさ、ぱらぱらして、足がもつれて、コケると思う。高齢の人にはアブナイ。
「これは、おばあちゃんには、ちょっとキツイと思うよ」と逃げた。
あのデザインのものを自分も着ようという、母の感覚も、なんともいえないものがある。


どうやら、わたしのファッションは、無国籍、無所属、年齢不詳らしい。

外国に旅に行っても、現地の人に、現地人として話しかけられることも少なくない。
馴染んでいるというか、息を殺して、目立たないように、ひっそり棲息しているからだろう。
ある人にそのことを言うと、
「堂々と歩いているから、姿勢がいいからじゃない?」とのコメント。
それは誉めすぎなので、却下。

「生き方」においては、人の、良いとこ取りをして、あとは、自分の方針で、別々の道を歩む。
ファッションも、わたしの年になると、生き方が現れる。
顔にシワがあり、肌が若い頃と違うのは、当然の年齢であり、同じであるほうが、おかしい。
少々、へんかも知れなくても、自分でいいと思えば、それでいい。
できるだけ、奇抜は避け、目立たないようにする、無難な保守路線も、素晴らしい。
挑戦は控え、手堅く、年齢にふさわしい重厚さを醸し出すのもいい。(ただし、灰色一色で、じじむさくなる傾向あり)
TPOさえわきまえたら、どんなファッションでもいいと思う。

「神戸の人は、おしゃれだ」、若い頃は、そう思っていた。
ファッション・メーカーがうまくそれを利用し、ブランド・イメージ戦略を展開した。
ファッションのみでなく、グルメ分野にも。
神戸を離れて久しい今、神戸ファッション、それほどでもないよ、と思いつつ、
でも、長い間の先入観は、なかなか変わらない。
現地で、多感な年頃に肌で感じた感覚は、自分には強烈だ。

先入観は、見る目を狂わせる。
普通であっても、良いようにも見えたり、悪いように見えたりする。

ファッションだけでなく、なにごとにも言える。

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カッコイイと、カッコ悪い、の、分かれ目

2013-04-13 | ファッション

今朝は、人さまのブログを読んでいて、自分のブログを書く時間がなくなった。
今頃、書いても、なんのノリも、なあんも、いいこともないのだけれど。

 

いくら熱をあげても、依存症になってはいけない。
なにごとも、ほどほどに。

 

わたしは、ネット中毒(読むことを含む)・一歩手前であったが、ぐぐっとこらえて、頑張って、
インターネットに費やすのは、最長1時間と決めている。
休日は、好きなだけ、ブログをのたのたと時間制限ナシで、書く。
しかしながら、その時アップした記事の出来栄えは、めちゃめちゃ、だめだめで、おもしろくない。
やはり、めいっぱい力むと、よくないようだ。
なにごとも、ほどほどに。

 


今日は、帰りに、靴屋さんに寄った。
きれいに、きゅっと編み上げた、マニッシュな革靴があった。
ひと目みて気に入った。
だが、少し短めのパンツに、それを履くと、ちょっと不思議な雰囲気。
きちんとした紳士服に履く靴を、カジュアルな丈の短めパンツに、靴下なしで履くようなかんじ。
ピエロか、石田純一・風。
だいいち、わたしの年齢・・・。これって・・・。

鏡に映る自分を見て、店員さんのおにいさんに、問う。
「へんじゃない?」
おにいさんは、「カッコイイですよ」と言う。
おべんちゃらである。
が、わたしは、真に受ける。なんて、明るい単純性格なの・・・。

 

「ねえ、あなたは、カッコイイというけれど、ほんとなの?
一歩間違えると、すごくカッコ悪いのよ。わたしは、笑われるのよ。
で、カッコイイの定義は何?」

 

店員さんは答えた。
「自分でカッコイイって思ったら、それがカッコイイってことです」

 

ふーーん。そうなのか。

 

「正直に言って。わたしのこの格好、この靴、ほんとに、カッコイイの?」
店員さんは、再び答えた。
「カッコイイです。
背が低いと、やめといたほうがいいと思いますが、上背のある人は、いけます」

 

ほんまかいな。
また、ここで、身長で、持ち上げられる。
わたしへの誉め言葉は、身長しかないのか。(わたしは、そんな大女ではない)
結局、2足買ったら2000円安くしてくれるというのだけれど、1足だけ買った。
しかも、そのカッコイイ靴ではない、長距離歩きやすいほうの靴を買った。
旅行用に、緊急に必要だったので。

 


家に帰ってきて、しみじみ思う。

カッコイイって、自分でカッコイイって思うことなんだ。
保守っぽい、無難な、目立たない格好なんかじゃないんだ。

 

しかし、ハイリスク・ハイリターンである。
あきらかに、勘違いしている人を見るたびに、あちゃー、と思う。
なんと、カッコ悪い、と、つくづく思う。
なんと、ダサい、と。

 

なので、自分もそうならないとは、限らない。
勇気は必要だが、笑われる覚悟も必要だ。
ちょっとプラス・アルファの格好は、必ず、笑う人がいる。
それに耐えられるか、耐えられないか、である。

 

うーーん・・・わたしは、どうか・・・。
半分ぐらいは、耐えられる。
ただ、不意に街で鏡に映った自分と目が合ったときに、谷底にすごい勢いで、落っこちる。
その覚悟が必要なのだ。
顔を除くと、そこまで悪くないと思うのだが、かなしいかな・・・顔が、悪いのだ。
こんな、カッコ悪いこと、よく平気で書けるなあと、自分で思う、わたしであります。

 

書くことには、たいして気合が入っていないのだ。

 

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甘いささやきに、ころっと参る。

2013-01-23 | ファッション

さて、ここのところ、教官指導のもと、清く正しい生活が続いている。
なので、ブログに書くネタがない。
ということは、わたしは、清く正しい生活を送ると、毒もアクも出ないということか。
ということは、いつもの生活は、清く正しくないのか?
というか、清く正しい生活って、なに?


昨日、超久しぶりに、お気に入りブティックに行った。
近所の大手商業施設からお引越ししてしまった、そのブティックは、うんと遠いところに行ってしまって、
あまりにも遠くて、ややこしいので、引越し後、一度も行っていない。

教官と、用事で出かけるついでに、その引越し先に出向くことにした。
車でぐるぐる、何度も道を間違え、3つの市を行ったり来たり。あ、4つかも。
ちょうど、各市の境目あたりに、その商業施設はあった。

久しぶりのブティックで、お気に入りの商品がズラリ売られていて、感激で、
いつものノリが、一気に戻り、長時間、居座った末、またまたいろいろ買い込んだ。
バーゲンは、もう、終盤なので、どれも半額。選び放題。
どれもどれも、デザインがおもしろく、ユニークで、目移りこの上ない。
ただ、色がちょっと渋すぎて、黒オンパレなのが難点だ。

とあるメーカーの、特定ブランドが、わたしのお目当てなのだが、
その店で売られているのは、そのブランドがほとんど。
引越しすると聞いた時に、他店にも、そのブランドは売られていないのか?と聞いたところ、
うんとうんと遠い店舗を教えてくれたので、それなら、無理、とあきらめていた。

わたしが悩んだのは、キレイ目ファッションではなく、デイリーに近い感覚の、
ユーズド仕立ての、柔らかい革(シープスキン)のジャケット。
わたしの年齢になると、上質のキレイ服を買うべき。
それを、上質素材なのに、
わざと薄汚れた風の、よれっとした風情を出した、ぼろっちい、くたびれた仕立てのものを
わざわざ大枚をはたいて(死語?)買うのは、いかがなるものか・・・?

かなり悩みに悩んだが、
その店に、引越し後、初めて訪れた記念に、えいやっと、買った。

おなじみの店長とのやり取り。

わたし
「この丈、流行の丈とは違うみたいだけど。合わせるのが難しいですよね」
店長
「いえ、今は、なんでもアリです。
着る人が、好きなものを合わせたら、それでいいんです。ルールなんてありません」
わたし
「雨とか降ったら、たいへんですよね。
それに、ずっと着ていると、こんなに柔らかいと、すぐ、ヨレヨレになるんでしょうね」
店長
「着込んで増すのが、味わいです。
どれだけ、着て着て着倒すか、ですよ。元を取る以上に着ていただかないと」

そして、決め手になった、やりとり。

わたし
「キレイな服とかの上には、合わないですよね?」

店長
「キレイな服の上に着て、着崩す、カジュアルダウンは素敵ですよ。
スローさんは背が高いから、なんでもイケます。
髪、アップにして、着こなされたら、絶対カッコイイですよ」

この言葉が、ハートに、ぐさぐさぐさと突き刺さり、
(うまいこと、おだてられて)
嬉しそうに買ってしまった。

客なんて、店員さんの言葉ひとつ、だ。

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年齢に合ってない服

2011-08-07 | ファッション

先週、買ったばかりの服に初めて袖を通して、ちょっと、うきうき気分だったところに、
母に、頭ごなしに、けなされまくった、なにひとつ良いところのない、わたしのファッション。

先日、ダンス教室の更衣室での、オバサマ方の会話。
わたしは、ほとんどは、会話には参加しないで、着替えながら、背中で聞くだけの、盗聴魔。


年がいって、若い格好するのって、あれ、おかしいわよね。
ファッションが若いと、顔が、ほら、年齢相応の顔がね~、よけいに老けてることを強調して
ほら、顔だけが浮くっていうか、逆の方に。みっともないわよ。
あれって、ほんと、よくないわね~。
本人は、良くっても、ねえ。
見てるほうは、ねえ・・・。見栄えがねえ・・・。


ふむふむ。
非常に共感できる、
しかし、それって、ひょっとして、わたしのことじゃあ、ないですよね!?

わたしの、ファッションも、じつは、本人だけが良いと思っている部類のものもある。
ぎりぎりアウトのものや、ぎりぎりセーフのもの、問題なくOKなもの、限りなくヘンなもの、
よせばいいのに、似合ってないのに、無理してる風のもの、
なかには、偶然、大ヒットのものもある。

だが、哀しいのは、自分で意識し、コントロールできないこと。
すべてが、偶然の賜物(たまもの)。


母にボロカスけなされた、その不評のファッションで、昨日、出かけた。
あんなに否定されたファッションでも、それを着て出かけるわたしは、
けっこう、気にするようで、気にしない、鋼鉄のおんな?

家の最寄り駅(鉄道)の手前のところで、
わたしより15~20歳ぐらい年上の女性に、ジロジロ、遠くから、わたしが近寄るまで見られた。
へん? わたし?
改札口のところで、またもや似たような年齢の女性に、これまたジロジロ。
なんなんですか? ヘンなら、そんなジロジロ見ていいんですか?

なんか気になって、お店の鏡に映った自分を見て、
わっ、似合ってない! 服と顔が、分離、分裂!
と、うげっ!となった。
これって、あの更衣室のオバサマが言ってた、顔がよけいに悪い意味で目立つって、やつ?

ちょっと恥ずかしくなった。
鋼鉄のおんなじゃなかったの、わたし?  じゃなくって、厚顔のおんな?

しかしながら、これは、自意識過剰の産物だと、わたしは冷静に心理分析しております。
なにも、そこまで目立つわけでも、ひどいわけでもない、・・・はず。
それに、ジロジロの女性は、二人とも同じエリア、同じ年齢層。
駅周辺の地元でのお買い物やら、銀行やらの家周りの所用ならともかく、
(自宅近くだから、どんな格好でも気にならない、
都心で多くの他の遠くから集まってきている人々の目があるわけじゃなし、
けっこうヘーキよね? ってかんじで)
なのに、居住駅から都心方向に出向いていく女性として、あの服装はないのでは、ってこと?
もっと、ちゃんとした格好しろよって?

逆に、地元周辺だからこそ、知り合いの目があるので、まともな格好をしよう、
都心は、知らない人ばかりなので、その場限り、どんな格好でもOK、という考えもあるだろう。

ま、どっちにしても、わたしの、考えすぎ、自意識の一人歩きだと思う。
おばあさん一歩手前の人にとっては、あそこまで若い(似合ってない)格好をするってことが、
自分では恥ずかしくてしないのに、よくやるなあ・・・と、そんなかんじで見ているのかなあ・・・。

どっちにしても、自信のあるファッションで注目を浴びるのは、とても結構なことだが、
自信のない、けなされたファッションで、ジロジロ見られるのは、ますます自信がなくなるってことだ。
でも、また、着て行きそう。
そこまで言われても、そして、自分で見てもヘンと感じるのに、
なんで、しつっこく着て行こうとするのかが、意味不明。

自分が、とことんイヤと感じないと、着るんだろう、おそらく。

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確実に言えることは、ただひとつ。
誰も見てません。

 


乙女ごころが、傷ついた。

2011-07-29 | ファッション

今日は、取るに足らない、実に、しょーもないことをボヤきます。


一昨日、実家に行った。
毎月、ほぼ決まった日に定例会が行われている。

ま、それはいいとしよう。
どうってことないんことなんだが・・・

母は、
「いつも、あんたたちのファッションが楽しみでね。
こんなに暑いと、どんな格好してくるのかと思って」
と、期待たっぷり、わくわく状態。

で、わたしのファッションは、いつも見事に母の期待を裏切る。

「なんなん? その格好。
今は、そんなんが流行ってるん?
どこが、どういうふうにいいのか、まったく、さっぱりわからんわ」
と、うんざり顔。

この本音、正直な感想そのまま。
思ってもみないことをおべんちゃらで誉められるのと、どっちがマシ?

わたしは、この夏のバーゲンで、デパートで買ったばかりのおNEW、
はおりものと、チュニックを組み合わせて、買った。
(こういう新しい傾向はどうかな?と、ないアタマを絞ってコーディネートして、ややチャレンジ)
その日の朝、値札を切って、はじめて、袖を通した。

そりゃあ、わたしには可愛すぎるデザイン、柄かも知れない。
でも、白いコットンのブラウスジャケットで、可愛すぎる柄をちょっと隠すようにして
甘さを抑えて、自分なりに工夫したというもの。

見た目のすべてを全否定された。

感性っていうものは、個人個人違うものであって、年代や育った時代背景にも
その趣味の違いは歴然とあるだろう。

見るからに不快だとか、不潔だとか、だらしないとか、汚いとか、
みっともない、とか、あまりにもヤスモノ、粗悪品とか、
下品とか、露出度が高すぎるとか、挑発的過ぎるとか、
流行の最先端を行き過ぎているのに、本人がダサくて、まるで似合ってないとか、
反体制的で、攻撃的だとか、
暗黒の時代を髣髴(ほうふつ)させて、暗い嫌な気分になるとか、
そういう生理的、思想的なものなら、わかるけれど。

あるいは、短すぎる? 長すぎる? 丈が明らかに、おかしい。
色の組み合わせがありえない?
柄が、ケンカしまくっている。
素材の組み合わせがありえない。

そんなこともない、ごくごくふつうの、まあ、難点を言えば、
ちょっと年齢に(ひょっとして)合ってないかも知れない
たったそれだけのことなのに。

いや、これが重要なポイントかも知れないけれど。

人に後ろ指差されて、笑われるほどのものでもないし、
そんなのを着るような、わたしには、そんな勇気もない。

単に自分の感性に合わないからって、そんなに正直に感想を述べなくたって、いいのに。
ぷりぷり。

わたしは、確実に出鼻をくじかれたし、
これから、その服を着て出かけるのが憂鬱な、いやな気分になった。
(でも、今日、着て行きます!!)

感想って、思ったまんま、口に出して言うべきもの?

ほころびてる、とか、後ろのファスナーが壊れてるとか、
まつり縫いの糸がほどけかかっているとか、
見えにくいところだけど、部分的に汚れてるとか、擦り切れているとか、
本人が気づかないトラブル・ポイントを指摘するなら、いざ知らず。

自分が、好きでないティスト、理解できない感性だからって、
わざわざ本人に伝えるのは、いかがなるものか。
まあ、アカの他人ならともかく、母娘なんで、べつに大したことでは、ないのだけれど。


母は、くしゃみも、どんな場所でも、あたり構わず思いっきりする。
本人曰く、「ガマンしてたら、気持ち悪いから」と。
周りは迷惑。マナー違反。
それをマナー違反と思っていないところに問題がある。
母は、思ったことを言わないと、ムズムズするようだが、それに似ている。
自分以外の人の気持ちを考える、察するなんていう機能は、
アタマの装置の中には備わっていないようだ。

わたしは、息子が、くしゃみをものすごく静かにする(押し殺している)のを見て、
わ、そんな方法があったんだ、と初めて知って、その方法をマネしている。
子供に教わることも多い。

わたしも、子供たちに、「おかあさん、下品!!」と、言われることがある。
「おばあちゃんに、似てきてる」とも。
血は争えないので、気をつけよう。
きっと、おそらく、母と、まったく同じ道をたどるに違いない。

すこしでも、その濃度や進行が遅くなるよう、意識するように、こころがけよう。

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でも、母は、とてもパワフルでタフで、エネルギッシュ。
へたれ(軟弱)なわたしは、母のライフスタイルをマネしようにも、とてもマネできない。
そして、感謝してもあまりあります。

なのに、パワフルすぎる母には言えなくて、こんなところで愚痴ってるなんて、
いい年して、みっともない・・・、ですね・・・。
高齢の母なのに・・・本来は、労わらないといけないのに・・・
ただ、わたしより、ずっと元気な、スーパーミラクル母なので・・・
年齢が、わたしと、逆なのではないかと感じています。

 


新・ファッション・コンセプト

2010-09-30 | ファッション
私は、どちらかと言えば、ファッションには関心があるほうだ。

しかし、昼間は28度を超えることもあるのに、秋・冬ファッションの人を見ると、汗が出そう。
ブーツの中は、蒸れるだろうなあ・・・ファーの下の背中、汗だらだら、だろうなあ。
秋・冬を先取りするのは、街のショー・ウインドウだけで十分。

長く過酷に続いた夏にうんざり、夏ファッションに飽き飽き、
そこに目を引く秋・冬コレクションの数々。
以前なら、取りあえずは、買って、スタンバイするだろうけれど、
連日の日中の暑さには、まだ着る気がしない。

朝夕はぐっと冷えるので、外出時には、暑さ・寒さ対策、3段階に切り替えられる服装を私は準備する。
半袖+長袖+羽織りもの
暑くなれば、長袖の一枚を脱ぐこともでき、半袖だけに。
寒くなれば、長袖の上から羽織りものを羽織る。

それは、急激な温度変化に対応するための、風邪予防対策であって、
ファッション重視ではない。

若い人は、そんな予防をしなくても、体力は十二分にあるし、
たとえ熱を出しても、汗をかこうが、寒さに震えようが、ファッション重視。
(かつて私もそうだったように)


その、若い、アツい日々を送ってきた私だが、ここにきて、自分のファッションを総点検。
ここのところ、自分さえよければいいファッションになっているからだ。

快適重視。
自分の好み重視。

つまり人目を全く気にしていない。

快適方面は、まあ、これからも益々だろうが、それはそれとして、・・・
問題は、ファッション性。
見かけの問題。センスの問題。

自分では、若づくり、流行のものを取り入れようとしている。
ただ、年齢とファッションが合っていない。
顔はもちろん、スタイルの悪さが、際立ってしまうことが、なぜ見えない?

同じように、街で、老けた顔で若いファッションの人を見かけると、
「あ、私も、あんなのに違いない」
と、人の振り見て我が振り直す、そういう気持ちになる。
あの老け顔で、あんな若い格好をしているから、おかしい、老け顔がよけい強調されるのだ。
自分の年齢や老け顔にマッチした服装にしておけば、あえて、そんな失態を晒さなくてもいいのに。

要は、似合っていないということ。
中には、老け顔でも、カッコよくキマっている人もいる。
客観的に自分を見ることが大事。

そして、私にとっての、新しいコンセプトは、これ。

「自分に自信が持てる服装」

流行やセンスは、もとより、まず第一に、TPOにあった、相応しい服装。
自宅で、ジャージ。それも、よし。
火事や災害の時に、飛び出す時ぐらいにしか、他人の目には触れない。

ただ、人の目があると、ちょっと変わってくる。

オシャレな古さ(レトロ)もあるが、それを逸脱した、あまりにも古くさいもの、
素材・品質が粗悪、縫製が悪いもの、
自分は好きでも、似合っていないもの、
センスの悪いもの、品のないもの、
それらは、避ける。


服装には、背筋がしゃんと伸びる、愉快な気持ちになる、楽しめる、気分転換になる、
リラックスできる、そういう心理的、肉体的効果もあるだろう。

自分に相応しい服装=服装に相応しい自分になる。
その服装をすることによって、自分に自信が持てる、そんな服装だ。


しかしながら
今のところ、私のファッションは、流行モノの安物が主流。
ケチの割には、やたら気が多くて、服の量が増え続けている。

「こんな服を着たいな」と「こんな服が似合っている」の間には、微妙なズレがある。
その間には、深くて大きな運河ほどではないが、時折流れの変わる小川が流れている。
気持ちだけで突っ走って、活きがよくて粋なのは、若き良き時代。
ある程度の年齢になると、顔と同様に、服装にも自覚、責任を持たなければ。
顔は人生の履歴書というが、服装は、時々行われる小テストのようなもの?

かといって、まだ、大きな行事も予定がないし、式服といえば、喪服の充実が図られる一方。
ばりっとした、重厚な服をひとつ・・・と思うのだが、
ついつい着回しの効く、無難なものと、衝動買いのバーゲン・流行服ばかりが、増える。

タンスに、すやすや眠り続けている「キモノ」もいずれは、と意気込んだこともあるが、
実践は、いつの日になるのやら。


理想は高く、実践は後回し。現実は、あくまでも手抜き。
いつもの私のパターンに陥りそうだ。

いや、いずれ・・・きっと・・・死ぬまでには・・・・・
Step by step!!


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忍びよる信仰

2010-06-26 | ファッション
期間限定CANDISH激安サンダル、昨日は雨だったこともあり、
ええぃっと、履いて行った。
家には、色違いの、双子の片われ姉さん、先に定価で購入して履いていたサンダルを置いて、
60%オフの新米・妹のほうが、雨の日デビューとなった。

地下鉄で、座る。
足下を隠すようにして(実際は、無理)。
足下に人の視線が行ったら嫌だな・・・
いつもなら、新品マッサラを身につけると、こころウキウキなのだが、
今回は複雑な心境。
若い人や、お洒落に関心がなさそうな人の前に、座る。
そんなにまでして・・・自分は、あほだろうか・・・???

こどものお小遣いでも買えそうな、激安サンダルを
大のオトナが、外出着に組み合わせて、平気な顔して履いているって、
ちょっとカッコ悪くないだろうか?
と、ビクビクしながら。

そもそも、そんなビクビクする人は、激安サンダルなど買わないと思うが。
オシャレは足元から。
そして、見えないところに、気を配るのが、オシャレさん。

なので、私は、オシャレさんではないのです。
「オシャレさん」なんていう言葉をヘ―キで使うところが、
すでに、もう、別の世界に行ってしまっているようです。

いいんです。
安かろうが。
自分が気に入っていれば。


ただ、不思議なことに、都会では、誰一人として、その激安サンダルを履いている人を見かけなかった。
地元から都会に出るまでの道でも見かけなかったし、
都会でも、電車でも街でも見かけなかった。
若い人も、それなりの年齢の人も、それを履いている人を見かけなかった。

あの激安サンダルは、どのような人が、どんなところで履いているのだろう??
興味もあり、恐怖でもある。

生きたマーケティング結果を、はやくユニクロさんに報告したいのに、
販促バリバリ、大量に販売しているはずなのに、顔が見えないのは、不気味だ。
メディアではあまり露出してないから? 私が広告を知らないだけ?


ま、それはそれ。
さあ、今日も雨だが、またあのサンダルを履いて行こうっと。

知らないうちに、ユニクロ教の信者となったと思われる私は、
以前備わっていた感覚が麻痺し、かなり信仰が進行しているようだ。


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寒い日の、サムい人

2010-04-18 | ファッション
最近、やたら寒かったり、そうかと思えば暖かい日もあったり。
で、毎日、服装を考えるのが頭痛のタネ。

その寒かった一昨日、雨の金曜日。
下に羽織る厚手のカーディガンが、コートからはみ出す。
苦肉の策で、マントもどきを羽織って行った。
お正月、台湾で、寒さ凌ぎに買ったものだ。

往きの電車で、あるオバサンにジロジロ見られた。
そのオバサンも、凝った(変わった?ユニークな?)黒のパンツをはいていた。
立ち寄り先の銀行の人に、「芸術系のお仕事されてるんですか?」と言われて、
「いえ、芸術系ってそんな・・・、え、あの、分野としては関係あるかも? ・・・(もごもご)」

答えに苦しんでいると、それを察したかのように、
「画廊経営とか?」と具体的イメージで、助け舟を出してくれる彼女。
「いやぁ・・・・ちょっと違うけれど・・・。また、なんで?」と聞くと、
彼女は、肩になにかを羽織るジェスチャーをして見せて、こう言った。
「そういう芸術系の雰囲気がしたんです」

へ?  しかし、気に入った。
これから、自称、「画廊経営」ということにしよう。ステキな響きだ。
榊 莫山の炎上しているような髪、山下清のポッコリお腹、岡本太郎の舌足らず、
そういうイメージを合わせて、彼女はそう感じたんだったりして。
せめて城戸真亜子あたりの女優芸術系だと嬉しいな。(ありえないけど)

まあ、待たされて気分を害した顧客のご機嫌を取るには十分な、大いなる勘違いを受け、
雨は鬱陶しいけれど、鼻歌気分。
お土産もいただいて(嵩高い日用消耗品)目的地へと、向かった。

行き先の人には、「クリント・イーストウッドの荒野の用心棒みたいですね」と言われた。
これは、聞かなかったことにしよう。パス。
昭和レトロ・老舗飲食店の年のいったオネエさんには、穴があくほどジロジロ見られ、
私の一挙一動に、オネエさんの強い視線を感じた。

何十年も前、牛をいっぱい飼っている牛舎で、
ハンパじゃない数の牛たちに、ジロジロ見られた、あの牛たちの目、
また、ある年明けに、どこぞの空港で、
サンリオのケロケロケロッピのノート(悪趣味←娘のお下がり)に旅のメモを書いていたら、
中国の農村出身と思われる青年たちに、思いっきり興味津々の目で、ぶしつけに、
わざわざ顔を近づけて覘かれた時のことを思い出した。
(あくまでも、そのノートに関心があったようだ、と思う)

あまりジロジロ見るのは失礼ですよ。

というわけで、なぜか、ひと目を集めたマントだった。
沈没日本の危機に立ち向かう、怪傑マントウーマン?!
(↑ネーミングセンスそのものが、マントのセンスと合致??!!)

私は時として、着るものによって左右されることがあるようだ。




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よくわかりません

2010-01-18 | ファッション
自治会の班長会議があった。
いつものごとく、つつがなく終了した。

なんのトラブルも不満もないのだが、ひとつだけ、気になった。
参加者の服装。
なにも自治会会議に限ったことではないのだが、
会議のある自治会館まで、会員の皆さんの家からは、最も遠い、足の遅い人でも徒歩3~4分以内。
家ではホームウエアーを着ている人は、ちょっとそこまでの服に着替えるかも知れない。
祝賀会にでも招かれるのなら、例え地域の自治会館でも、それなりにドレスアップする人もいるだろう。

忘年会の時は、ご近所レストランで、ハレの会だったから、まあ、ブーツも良しとしよう。
(細身のロングブーツの女性は、2名いた)
しかし、通常の会議、それも日曜午前10時からというと、家からそのまま出席で、
外出から帰ってきて会議に直行する人も、ほとんどないと思う。
(都心からうんと離れた、ベッドタウンなので)
なのに、M女史は、またまたロングブーツ。
前は、黒革、細身のロングブーツ。今度は、ブルーのスエード。

そんなの、人それぞれ、何も迷惑を被ったわけでもないんだし、ほっときゃいいじゃない。
家の中でも、シルクのロングドレスを着て掃除機をかけようが、ピンヒールを履いて、洗濯物を干そうが
ネイルアートをびんびんにして、お風呂掃除をしようが、
人のライフスタイルなんだから。

しかし私は、乳幼児を連れたママが、超ハイヒールを履いているのを、何回か見かけたが、
どうしても、賛成できない。
これから、あれこれ困って、経験を積めば、感じ取ることかもしれないけれど。

なにはともあれ、ファッション重視。
都心のホテルや、ショッピング、発表会や参観日ならいざ知らず、
住宅街、家から下駄ばき距離で、そのファッション、素敵?
ファッションには、私も結構関心がある方だが、
価値観の違いは、大きい。

たまたま、玄関にそのブーツが出ていて、他の靴を探すのが面倒だったとか?
どんな時にも、どんな状況でも、お洒落を敢行する、完璧タイプとか?
私と同じような年齢なのに、それは、むしろ、見習うべきなのかしらん???