嫉妬心
仕事とは・・・生きるために必要なお金を稼ぐ手段。
なかには、金額が多少低くても、やりがいのある仕事を選ぶ人もいる。
逆に、少しでも高いお金を得ようとして、やりたくない仕事を選ぶ場合もある。
あるいは、家庭の事情で、勤務地、勤務体制などを考慮し、選択肢が狭まることもある。
必要に迫られて、選択肢がなく、仕方なく嫌々働く場合と、
自分の使命、当たり前のこと、役割と、捉えて、能動的に働く場合がある。
辛い時や、惨めな時は、なぜ、こんな目に遭わなくてはならないのだ?と自問する。
もっと良い仕事はないか、と転職を試みたりする。
本当に転職する人も、夢で終わる人もいる。
先進国では、辛い低賃金の仕事は、他国からの出稼ぎの人に任せている実態がある。
仕事に生きがいを感じている人や、使命感を持つ人、プライドの根源にしている人、
仕事を取ると、なにも残らない人も、いる。
かつては、モーレツ社員(死語)などがいた。
今も、まだまだ過酷な労働条件で働いている人もいる。
・・・などと、おもいつくまま、仕事について書いてみたが、
リタイアした人にとっては、なんの興味もないこと?
あるいは、専業主婦の人にとっては、別世界?
かも知れない。
自分の核となるものは、何か?
絶対に譲れないものは?
自分を支える芯、価値観の元は?
わたしは、「割り切り」だと思っている。
「あきらめ」を負の感情だとすると、
「割り切り」は、ニュートラルな立ち位置から見た、感情を省いた冷静な考え。
今、一瞬(本当にアタマに浮かんだのは、思考後1秒ぐらい)、考えただけで、
延々、自分の人生を振り返って得た結論でもなんでもないが。
次のブログでは、違うことを書いていたら、こめんなさい、の気持ち。
冷静に自分の立ち位置を見る。
たとえば、どうしようもない、最低の客に、こちらが悪いわけでもないのに、頭を下げるとする。
必要に迫られ、こなしている諸々の事態は、自分を貶めているわけでもなんでもない。
ルールに則ってやっている行為である。
「こころが、こもっていない! もっと、真剣に謝れ!!」
と言われたら?
アタマの中で火山が爆発する必要はない。
相手はジャガイモか、玉ねぎだと思って、謝る。
「申し訳ございません。(ジャガイモさま)」
でも、どうしても割り切れない、こころの動きを止められない、感情移入してしまうような事柄に関しては、・・・
どうやって、割り切るのか?
きっと、知恵を絞り、アイデアを出し、試行錯誤して、調整していくのだろう。
意外な方向に向って、舵を切るかも知れない。
しかし、自分が、もっとも羨む、憧れ、目標としている生活、人生を送っている人を、
テレビや本で見るのではなく、身近に、接するはめになったとしたら・・・。
その人物は、自分とは、ほんのわずかな「幸運」という差で、今の幸せを手に入れ、
しかも、対等の立場ではなく、嫌なお客として。
こころは、「ジャガイモさま」と、冷静を貫くことができるかどうか。
わたしは、自信がない。
そういう時は、逃げる。
最低限度のことだけは耐えて、あとは、一目散。
どうせ、未来永劫の付き合いにはならない。
自分の中の「腫れ物」に触ることは、禁じると、平穏が保てる。
隔離政策を取る。
自滅ボタンを押さないためにも、危険ゾーンには、近寄らないことが一番。
棲み分けは、お互いのためである。