蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

骨折れ同級生~一人芝居

2009-12-29 | 交友
先週、クリスマス・イブのこと。
久しぶりに学生時代の友人から、カワイイ動画入りのクリスマス・メール。
多分、多くの人に一斉に送ってるのだろう。

こともあろうに、私は喜んでしまって、メール返信をした。

メールのお礼と、今の私のクリスマス状況をカンタンに伝えた。
そして、彼女のメールに「娘と二人で、自宅でクリスマス」、とあったので、
年齢からして、てっきり上のお嬢さんはお嫁に行ったものだと勘違い。
「上のお嬢さんは、結婚したのかな~?
もし、結婚してたら、ご結婚、おめでとうございます」、の一文を追加した。
よせばいいのに、ちょっと酔った勢いもあって、へんに悪いノリ。(私はこれで、よく、しくじる・・・・)
「かな~?」の表現が、やたら軽くて、ふざけているかんじがして、
自分でミスった、と気になっていた。

で、・・・メールの返事は、ない。
しばらくして、彼女は娘さんの結婚話にはあれこれ手を尽くし、
心を砕いていることを別の友人から聞いたことを思い出した。
ひょっとして私は、またもや無神経なことを発してしまったのではなかろうか。
焦った私は、返事を待たずに、再びメールした。

「子供たちの就職が終わってヤレヤレ。
就職して安堵も束の間、結婚はウチは、まだまだ、だめです」、などと現状をぼやき、
そのときに、「メール、勘違いしてたらごめんなさい」、と(さりげなく)加えた。

あとで、徐々に記憶の糸をたぐると、
彼女のところは、三人とも、大学進学のあたりから、ゴタついていたと聞いたような・・・。
進路は、親の希望通りには行かなかったとか。
ましてやナイーヴな就職話は、NG?

どんどん、自分で自分の首を絞めていく。
墓穴を掘った。

それから彼女からのメールはない。
あぁ、話の話題選びは、骨が折れる。
(というか、私、メール、考えなしで送り過ぎ)

反省して、青菜に塩の一昨日、
メールお預かりセンターに、彼女からのメールが届いていたのを発見した。
メール送信日を見ると、私が一通目のメールを送った直後だった。


相手は正常なのに、私は、まわりを見ずに、東尋坊に身を投げている。
無駄におっちゃこちょい、です、私。

(電話で直に話せばこんなこともないのに、ね。)
(電話は苦手、メールばかりの現代人。一種の現代病に蝕まれているようです。)


それより、こんなことしてないで、
はやく、掃除して、年賀状、書かないと・・・日が暮れる・・・本当に。

年末大掃除

2009-12-28 | わたし
部屋に目をやる。
溜息が出る。
「自分は、片づけられない女」ではなかろうかと、しみじみ思う。
さすがに年末になってきて、このまま年を越すのは、いかがなるものかと、一念発起。
重い腰、重い体に、渋々、エンジンをかける。

まず、片づけから。
山を切り崩す。
切り込み隊長は、私。(全て私の私物だから)
どどど・・・と、雪崩れ。
ホコリと雪崩にまみれながら、まず、なにが埋もれているのか、チェック。
これは、要る、これは要らない、と仕分け作業に入る。

時間がない、面倒くさい、後で読もう、と思って取っていたものばかり。
DM、書類、冊子、レポート、お知らせ、切り抜き、・・・捨てるには、読まなければならない。
あんなものを一つ一つ読んでいたら、来年の年末になってしまう。

というわけで、贅肉を落とすべき、不要物を仕訳るつもりが、そのまま
贅肉のまんま、行く先、納まる先を見失い、贅肉難民と化す。
中身を、さささとチェックし、どさっと別の袋、別の箱に入れ直し、別の場所に移動した。

なんと、いい加減な・・・・・
処理能力、仕分け効果、ゼロ。
ホコリを叩いただけ?
これは、年末大掃除でもなんでもない、と、溜息が出た。

大掃除、大分解をすべきは、私のアタマ。
飲んだコーヒーの数だけが、やたら多い、大掃除という名の、「ゴミ先送り日」となった。



毒づいています

2009-12-27 | わたし
私のブログ、お読みになって、イラつかれる方もおられることでしょう。
でも、また読んでしまう・・・、くだらない、無駄にした時間に嫌気がさしつつも・・・
今度こそ、まともな内容になっているに違いない・・・と。

すみません。なんのお役にも立たず、そして、へんに毒があって。

毒づきついでに、・・・
私も、とある人物のブログを読んでは、
「なんでやねん!! これ、なに???」 
「いつも飽きもせず、ご苦労さま、ようやるわ」
と、ひとりで、ツッコミを入れ、毒づいている。
それなら、見に行かなければいいのに、相変わらず、堂々めぐり。

嗜好、価値観が違うんだから、ほっておけばいいものを
ついつい、行ってしまう、バカな私。
そして、読んだうちの70パーセントは、「また自慢かいっ!!」とムカつき、
残りの30パーセントは、「ま、いいんじゃないですか」と、上から目線。

何度も何度も、自分のブログで、嫌になるほど繰り返して言っているけれど、
(なんのために、言っているのかは、本人も意味不明)
骨の髄まで身に染みついている「鼻につく」考え、
傲慢な意識、無意識の無恥、自慢メッセージを、心の準備をしていない時に不意に読み取ると、
脳天をつんざく、腐敗臭、不快感に打ちのめされる。
大嫌いだ。
ちなみに、私、悪口を綴る時は、なぜこうも、(嬉々と)、
すらすら、どんどん、感情が、するすると表現できるのだろう???
負のエネルギーは、力を入れて努力しなくても、やたら強い。

吐き気をもよおしているにもかかわらず、それでもコワいもの見たさに、見に行ってしまう。
(M気質傾向あり?)
どんなに見栄を張って、見せかけばかりにこだわり、体裁を整え、取り繕ろうとしても、
チラと見え隠れする「矛盾点」「無理」「弱点」が露見する。
「背伸びして張り合わせた、継ぎ目」を発見する。
嫌ですね。

私の場合は、多くのことに感激し、憧れ、称賛してしまう傾向にある。
自分の持ち点が低いから、判断基準が甘いからだろう。
その私が、これだけ忌み嫌うというのは・・・・いったい、なんだろう?
嫌みのある上品気取りより、純粋な無知、索漠とした暮らしのほうが、マシだ。

私も人のことは決して言えないのでしょうけれど・・・。
自分の中にあるものを、人の姿(ブログ)を通して発見し、毛嫌いしているだけかも知れない。

お互い、毒されないよう、各々、自分自身をしっかり持ちましょう。

オミズ ショート・ストーリー

2009-12-26 | 人々の風景
今朝、ホームの椅子に座って電車を待っていた。
私の隣の椅子に座っていた、ミニスカートの大柄な女の子が、携帯で電話している。
「同伴出勤」、「指名」、「働いて半年」、そいう単語が、ところどころ聞こえてくる。
どうやらキャバクラに、お勤めのようだ。


○○さんから私に、指名があったんやけど
(仕事仲間の)△△が、
「めちゃめちゃHして、ひっぱってきてんやろ」って言うん、やん。
えー、なにコイツ、なに言ってん、って

そんで、ロッカーで、
キレてもぅて、わーって、文句言ったってん。

そしたら、ビン投げてきてんやん、その子が。
なによ、それ、ほんまのことやろ、
とかなんとか、むこうも、頭おかしいんやん。

年下のくせに、ナメトンか~って
そのコ、バリ細いんやん、(でも)
めっちゃドツイたれ、思ぅて


せっかく話の展開が面白くなってきたのに、彼女はホームの端っこに、移動した。
電話を聞かれたくないからだろうが、
ここまで聞いたら、ほとんど聞いてしまったようなもの。

ケンカの顛末はどうなったのかな?
映画「鬼龍院花子の生涯」の、ワンシーンを思い出した。
オミズのお姉さん同士が、取っ組み合いのケンカしてたなあ。

すぐに電車も来て、
朝の不連続・ショート・ストーリー劇場は、あっというまに終わってしまった。
で、電車に乗り込んで、途中の駅で乗り換えて、一眠りしたら、
目が開くと、いつもの、私の車内リビングルーム空間に戻っていた。
私の座席の前には、まったくの他人が、何事もない顔で、ズラリ。

ちょっと緩んだ手巻き時計のネジを、きゅっきゅっと巻き戻したような感覚だった。






優先順位

2009-12-25 | ささいな事
人間、カラダはひとつ。
仕事、家庭、公私それぞれのお付き合い、地域での役割、ありとあらゆる雑用・・・
めちゃめちゃ忙しい時、優先順序を決める、仕分け人が必要だ。

そうこうしていると・・・人生の分岐点に立った時、何を取って、何を捨てるか。
たとえば、結婚相手。
選ぶ基準は、人それぞれ。
お互いのニーズと時期が合致すれば、成立する。


「成功すれば、オンナはついて来る。」と豪語するのは、知人の辣腕(らつわん)税理士K氏。
彼は20代後半で独立した、努力家で、やり手の若手。
彼の年齢で独立する人は、いたって稀な業界に身を置く。
小柄な身体に、エネルギッシュな情熱がみなぎる、V6の岡田君似のイケメン。
合コンで射止めた、才色兼備の女性と、めでたくゴールインした。


本来、日本人は勤勉が取り柄、売りだったのに、
アメリカの陰謀によって、日本をダメにしたんですっ!!
なにが、頑張り過ぎるな!! 休め!!ですかっ!!
いまどきの男は、働きが悪すぎる。
気が回らなさすぎる。
言わないと、わからない。指示待ちではなく、頭を使え。
仕事する気、あるんかあぁっ!!

と、いつも、働きの悪い従業員たちに、頭から湯気を出して、怒っている。
彼らも頑張ってると思うんだけど、人の何倍も働き、努力するK氏にしてみると、
とんでもなく、ダメ・スタッフなんだろう。


結婚式の当日も、午前中いっぱいは仕事をしていた、というK氏。
その前後から、奥さんは、マリッジブルーに陥っていたようだが、
K氏の持前の自信と、押しの強さで、押し切った。
しかし、独立したばかりということもあって、超多忙。
私生活のほとんどを仕事に費やした。
仕事人間すぎて、家庭を顧みる時間も余裕もなく、ついに結婚生活は破綻。
その頃はさすがに、K氏も苦しそうな、やつれた顔をしていた。
が、あくまで、「オトコは仕事ですっ!!!仕事をしていて、何が悪いんですか!!」
と強気姿勢を崩さなかった。

何事も、やりすぎはよくないってことだ。
「私生活を共にしない、結婚生活って、なに??
これじゃ、結婚していないのと同じじゃないの」
奥さんの苦悩は、実によくわかる。

K氏は、あの極端な考えを変えない限り、再婚は遠そうだ。
超真面目な、デキるイケメンなのに、もったいないなぁ・・・
結婚向きではないのかなぁ・・・
遊び人でもないのになぁ・・・

彼の友人にも、私もお目にかかったことが何度かあるが、また似たような人が多い。
仕事に関しては、信頼できる。
要所を的確につかむ、カンの良さを発揮する。
デキる、イケメン、そして、ワーカホリック。
仕事が終わった深夜に、誰もいない部屋で、ゲームをしているそうだ。

結婚したくても出来ない男性・・・、ゴマンといる。
同じく、結婚したくても出来ない、デキるキャリア美人も、ゴマンといる。
キモチワルイ人種ではないのに、どうして、こう、うまくいかないのだろう・・・



真っ白いキャンバス

2009-12-24 | ささいな事
毎朝、鏡を見て、お化粧をする。
若い頃は、どんどん綺麗になっていく自分の顔を見て、わくわくした。
髪を整え、その日の洋服を決める。
最後に、アクセサリーを選び、さらにブラッシュアップ。
鏡に映った自分。
今日も、最高の出来映え、と、にっこり。

自分の顔をキャンバスに見立て、あれこれ色を塗っていく。
ひとつの芸術作品のように。
お気に入りのファッションに身を包み、颯爽と風を切って外を歩くと、
人々の視線が注がれた(ような気がした)。

そんな日が、あったのか、なかったのか、忘れるぐらい、大昔のことだ。
それが、今は、どう?
千鳥足の酔っ払いも、避けて通る、この現実、このギャップ!!
いえ、過去は、過去。
どこのどなた様にも、あることでしょう、若いころのお話は。
それをうだうだ言い出したら、
もう、あの世からの使者が、ちらちら様子をうかがいに来ているのかも知れない。

今、私は、毎日、かつて鏡の前に座った時のように、
キャンバスに見立てた鏡の代わりに、パソコンのモニターの前に座っている、
「こころのキャンバス・タイム」が、ある。
さあ、今日は、なにを綴ろうか。
何も記入されていないブログ「新規投稿」欄に、パチパチと一文字一文字、入力していく。
(あ、仕事もしないと、いけません・・・。忘れているわけではないのですが・・・)

自分ながら、なんと、くだらないことを綴っているのだろうと思うことも、
多々、多々、多々ある。
ま、ご愛敬。
さて、今日は、真っ白いキャンバスに、どんな絵を、どんな色で、描こうかな?


本日は、とりあえず、アトリエを暖め、コーヒーを入れ、
パレットに、チューブから絵具を絞り出そうとしたところで、終わってしまいました。
明日は、全く違うシチュエーションの、自分が始まっていそう・・・です。


「愛してるっ!!」っっ??!!

2009-12-23 | 読む人々には興味ない話
バカも休み休み言ってもらいましょう。
なにが「愛してるっ!愛してるっ!愛してるっ!」だっ!
気持ち悪い、キモチワルイ、げぼげぼ・・・


普通、情熱の若い日々を思い出すと、胸が熱くなるものだ。
が、私は胸が悪くなる。


A氏は、良家のオボッチャマ、そして秀才、お人柄は、いたって正常。
だが、悲しいかな、ダサかった。
この「ダサい」というクセモノ、どんなに努力しても天賦のセンスは、どうしようもない。
画家やデザイナーならとっくに廃業、職業転換を余儀なくされるところだが、
一般素人なので、どうってことはない。
だからといって野放図にしていると、
自覚のないダサさは、どんどん細胞分裂を繰り返し、増長していく。
良家のオボッチャマ、プラス、秀才、正常なお人柄、そして・・・次が、魔のブラックホール・・・
プラス、 増大し過ぎて、もはや抑える手だてのない、強烈なダサさを持ったモンスター。

その彼との、愛の日々(げげっげげっ、ああ、もうだめ、ゲボゲボ)が、ふとしたことで、蘇る。
街で、キモチワルイ、へんなカップルを見た瞬間に、デジャブする。
う、今も思い出すと、胃がむかつき、モドしそうになる。

別にそんな手痛い被害を受けたわけではない。
ただ、あの感性が、感覚が、・・・思い出すだけで・・・、うわぁ~、あぁ~~、うぅ~~、・・・
かなり、私には精神的ダメージが残っているようだ。
残るというか、張り付いていて、取れない。うわっっ。
平気な顔で付き合っていた私も、自分自身、相当キモチワルイ。

恋愛の「レ」の字もわかっていない、なんの愛の交流もないのに
知りあって間もない二人なのに、なにひとつお互いわかっていないのに、
「愛してるっ!!」って、どこから来るコトバなんだろう???
びびっと来る直観は、「愛してる」が、正しいのか?
男女間の魔法のコトバ?
お年頃になって、心身ともに大人になって、熱病にうなされている?

それにしても、そのコトバを発するにも、似合う人と、似合わない人がいる。
グっとくる人に言われたら、とろけそうになるかも知れないけれど、
いかにも、「彼女いない歴=年齢」、みたいな人に、言われたら・・・・
一方が熱くなって、そう発していても、その似合わないコトバを受ける方(私)も、
その時は、ちょっと可笑しかったけれど、そこまでキモチワルさを感じなかったようだ。
若くて経験不足なせいなのか、知らない間に、解毒剤か鎮痛剤でも服用していたのか、
今、考えると、かなりキモチワルイ。

まあ、そういう若い日々を送ったダサい男性も、いろんな経験を積み、浄化され?
やがて、普通のオジサンになっていくのだろうけれど。

「そこまで言う、そういうアナタはどうなの?」と、聞かれたら、
自分で正々堂々、胸を張って答えられるものがある?
いえ、私は、いいんです。私は。
私も治癒出来ていない「心の傷」がいっぱいあり、
そっとそのまま、天国だか、三途の川だか知らないけれど、あの世まで、
心に秘めたまま、持ち運ぼうと思っている。

若き日には、さほどなんとも思っていなくても、
今になって思えば、キモチワルイことがいっぱいある。
時には、そのキモチワルさが、別のパワーと核融合して、不気味な感覚となって
突如、蘇ってくるから、やっかいだ。


言葉は、正直

2009-12-22 | 
今、私が住んでいる家は、8年前に新築したのだが、
竣工直後、初めて、義父、義母、義姉が、来訪した時のことをふと思い出した。


家を建て替えるにあたり、私は各社のプレゼンテーションを受けた。
数々の設計図の中から厳選したものを選び、業者を絞り込んだが、
後に業者が変わったりして、時間やお金も無駄になったり、紆余曲折もあった。
設計図の手直しも度々重ね、
床の高低や棚の深さ、高低、ありとあらゆる設計を一つ一つ、細かく詰めていった。
トイレや、洗面所、お風呂などの水周り機器、
エアコン、室内乾燥機、床暖房などの空調設備、どれもこれも全て、決めた。

インテリアも、そう。
全ての内装を、一つ一つ、丹念に選んで決めた。
壁紙、照明、天井、カーテン、造作家具、システムキッチン・・・・
カーテンや壁紙は、特に時間がかかった。
質感、色、柄、ティスト、家具とのバランス、・・・
コンセプトが揺らいだり、また、一からやり直したり・・・
私の度重なる変更や、優柔不断ぶりに、
キレることなくお付き合いしてくれたインテリアコーデネーターN女史、
その根気強さ、忍耐強さには、敬服、感謝しても余りある。

家が完成した当日、想い、構想が具体的なカタチとなった家を見て、
平面が立体化した感激、夢とも現実ともつかない感覚、大きな感動を味わった。
その日の夜は、
めらめらと湧きあがる熱い何かが、気炎となって立ち上がるような、そんな夢を見た。
色で言えば、濃いオーク、マホガニー色、豊潤なワイン色。
持っている全辞書をフル稼働しても表現しきれないぐらい、とにかく、感動した。


まあ、そういういきさつで、家は出来たのだが、
私も平日は仕事があったので、まだ荷物もちゃんと納まっていない状態だった。
義父は重い病気だったこともあり、
生きているうちに、一日も早く完成した家を見たい、という強い要望があったため、
荷解きしていない荷物を一部屋に集め、天井近く積んだままの状態で、お呼びした。

義父の第一声「いい家や・・・」
義母の第一声「このトイレ、白くないから健康状態がチェックできないね。
玄関に入るまでの、この階段、とても危ないわ」
義姉の第一声「・・・(忘れました・・・ごめんなさい)」

義父は、建築費を聞いて、びっくりしていた。
彼が想像していたより、はるかに高かったからだ。
そして、義母のご指摘のトイレだが、色は、グリーン。
壁紙も手洗いも、すべて、白を基調にグリーンでアクセントをつけて統一し、
照明も、花と葉っぱのついたものを選び、
床は、色を抑え気味にグレーの素焼きタイルを用い、ちょっと趣のあるものにした。

価値観の違い、好みの違い、というのは、こういうところに如実に現れる。
現実主義、加齢による健康志向、ふところ具合(経済的主導権の有無)、
かたや、夢いっぱいの、ふわふわ嗜好、非現実志向。まだ、若いから、そうなってしまう。

とにかく、こうも違うものだと驚いたが、私が住む家なので、なんと言われようが関係ないのだが、
今もトイレに行くと、時々、義母の言葉を思い出す。

ちなみに、吟味に吟味を重ねた、2階の寝室のファブリック(カーテン、ベッドカバー)は、
新築お披露目の時に、ご近所M女史に、
「わぁ、ラブホ(=ラブホテルのこと)みたい~」と言われた。
カーテンとお揃いのベッドカバーは、清水の舞台から飛び降りたつもりで、
高かったが、決めたものだった。


新築のお宅を訪ねる時は、たとえどう感じようが、
自分の発する言葉には、少し慎重になろうと、しみじみ心に決めた次第だ。


付録(おまけ)
実母の第一声「ゴミ箱が、合ってないね」

これは、ショックでもなんでもなかった。
まあ、ゴミ箱ぐらいなら、カンタンに取り換えられるし、
それぐらいの小さなマイナス評価なら、まあ、いいや、と、自分では納得。
なぜなら、私は、室内装飾をはじめとする美的なものに関しては、
母に多少影響を受けている。
さっそく、メイン洋室には、クリームイエローにゴールド縁、フラワーモチーフの
油ペインティングを施した木製シリーズを設置した。
たかが、ゴミ箱、されど、ゴミ箱、だ。

おめでとう! パンクブーブー

2009-12-21 | 時事&世の中
毎年、楽しみにしている、お笑いの王者決定、M-1グランプリ。
敗者復活戦で、ぎりぎり「NON STYLE 」が返り咲いたものの、残念。
立ち位置、左、細身の白服(石田)が、なんだか痛々しい。
彼は、神経質なの? 
スリム、スレンダーを強調したようなファッションのせいかも知れないけれど。 
笑わせるというよりも、痛々しさを感じた。
応援してたんだけど、お笑いはやはり、お客さんに心配させては、いけません。

「笑い飯」の1つめの出し物は、あの辛口 島田紳助が100点満点をつけるほどの出来映え。
めちゃめちゃ、笑わせてもらった。
ありえない想定、展開、テンポ、ばかばかしさの追求は、うなるほど、面白かった。
私も、やられた!!と感じた。
ただ、決勝戦のネタ、特に下ネタは、ちょっとリスキーすぎた。
第一戦に、勝負球で、全力で挑んだ結果、決勝戦に進めたわけなのだが、
もし、あの決勝戦のネタを第一戦でやっていたら、決勝戦に進めたかどうか?
清々しい敗退といったところか。
決勝戦で、自爆したので、グランプリ勝者選びを迷わせる手間を省かせた。
しかし、第一戦で披露した「トリ人間」のネタは、今回のグランプリに匹敵すると思う。
中でも、「出席番号は、何番だ?」
「トリ南蛮です」というのが、個人的に、大受けした。
(番組を見ていない人にとっては、これだけ読んでも、なんの面白味も感じないと思います・・・)

「パンクブーブー」は、ネタが練り込まれていた。
というか、笑いの発想が、ありえなくて、笑えた。
次から次へと、ダレることなく、彼ら独自のあほらしさが、面白い。
ボケもさることながら、ツッコミも、かなりイイ。
表情と、間(ま)が、効果的。
ネタの素晴らしさと、技術賞といったところか。

「ハリセンボン」の春菜、本当に、あがってた。
最初の出だし、声がめちゃめちゃ大きくて、おかしい(ヘン)だな・・・とは思っていたが。

あと23歳コンビ「ハライチ」は、初めて見るフレッシュな二人だった。
元気で間髪入れない、力の入った「しょうもないこと」の連発が、なかなか印象良かった。
さすが4629組ものエントリー中、激戦に残るだけのことはある。

「ナイツ」の、右のツッコミが、結構するどくて、笑える。
普通、ツッコミは、あそこまで普通っぽく面白いことを言わない。
練られてると感心する。
ちなみに、知り合いの、大手不動産会社M社のK氏に似ている。(関係ないけれど)


今回のオハナシは、M-1をご存じない人、昨今の若手お笑いに興味のない人には、
全く、1行たりとも関係、関連のない、無益なお話になってしまった。
予備知識のない人に対して、適切な補足説明のない、不親切な内容で、ごめんなさい。







ウィーン世紀末、クリムト、シーレ

2009-12-20 | 展覧


寒いく強風が吹き荒れる中、
天保山にあるサントリーミュージアムまで、クリムト作品に会いに行った。

19世紀末ウィーンでは、保守的な芸術の流れを打ち破ろうとする芸術家たちが、
新しい芸術を確立した。
19世紀末といえば、日本は明治維新の後、新生日本の立ち上げで、芸術どころではなかった頃。
というか、西洋文化がどっと入ってきて、
芸術界も、西洋芸術系人材を育てるための基礎を築いている頃?
日清戦争など、新しい日本は、どんどん力をつけている頃。

ヨーロッパでは、それまでの王政政治から、大きく時代が激変して1世紀近くが経っていた。
私がウィーンを訪れたのは、折しもモーツァルト生誕250年祭を半年後に控え、
街はイベント準備の最中だった、今から4年前のこと。
伝統的な建物の多い中、モダンな建物にも目を奪われた。
印象的だったなかでも、もっとも目を引いた、かなりユニークな外観の建物が、
クリムトなどが参加する分離派が1898年に建てた、「分離派会館」だった。

クリムトの絵画は、宿泊したウィーンのホテルの室内装飾にデカデカと施されていたので、
まだ何の心づもりもしていない自分の体や頭に、
否応なく、肌感覚で、クリムトの洗礼を受けたような経緯を持つ。
ナプキンや、紅茶缶も、クリムト模様のものをお土産に買って帰った。
金ぴか、クリムトだらけ、
その強烈なイメージが、旅から年月が経つ今も、私にはまだ残っている。


今回の展覧では、クリムト作品は少なかったが、同時代の作家の作品が多く紹介されていた。
こういう時代、なぜか、私は、わくわく、ぞくぞくする。
一つ一つの絵画の制作年代を、日本の時代、年号に照らし合わせて、じっくり観て行った。
観ているうちに、「ワタシ、絵画が、とても好き!!」、と、突然、今更ながら感じた。
自分の目や心から、自分のアタマに発するシグナルを自分で感じた。

当時の風景、情景、人々の暮らし、表情、服装、いろんなモチーフを題材に、描かれている。
作者の目を通して、それぞれの感性で、時代の息吹が表現されている。
旧態依然とした古いものから、それを打ち破り、新しいものへと移る、
新しい胎動により、それまでの価値観の殻が壊される、
その時代、その実践した人々、彼らの作品に、とても心動かされるものを感じる。

グラフィックデザインのポスターの色は、抑え気味で、少ない色彩、シックだ。
赤が、効く。
今、現在、世の中に氾濫しているデザインの素、根源、お手本みたい。
この時代のここから発生し、今日に引き継がれているんだと思うと、感慨深いものがある。

絵画の前で、しばし、時代や空間を超えて、うっとり時空旅行をしているような気分。
こういうことは、展覧会に足を運び始めた初期の頃は、感じなかったこと。
なにかが、私のなかで、動き始めたのだろうか。

また、ウィーンに、ぜひ行かなくっちゃ。
パリもいいけれど、ウィーンもいい。
その道の専門家から見れば、私はなんと浅い、無知で、わけのわからない恥ずかしい人だろう。
所詮、芸術ミーハーの域は超えていないとは思うけれど、
あれもこれもと、欲張りな私は、
一つ一つに専門性を追及するほどの、時間も、体力も、頭も、持ち合わせていない。
ちょっぴり明るい、アタマの弱い「偽オタク」かも知れない。
でも、うっとり素敵な時間を過ごせて、心が、きゅきゅっと躍った。