蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分の感性は正しい、だから人も同じだと思うのはわかる、が。

2018-03-30 | 趣味


例の逆襲マダム。
ひとんちの家に勝手に入ってきて、インテリアが気に入らん、と、玄関先に伝言メモを置いていかれたような気分。
なんだかな〜、の凹み気分が、うっすら続く。
なんで、わざわざ、呼びもしないのに、厚かましくも入り込んで来るのか。
自分のクシャミを抑えきれず、こちらに向かって大クシャミ。
わたしは気分を害しているだけでなく、新たに書く創作意欲まで、削がれた。

自分の日記なりページに反論を書けばよいものをあちらの自宅は、もぬけのカラ。
出歩いてばかりいて、自宅をおろそかにしている状況が手に取るようにわかる。

そういう性質の人はスルーすればよく、お互いに価値観が違うのだから、非接触が平和への道。
しかし、アクセス禁止などの強硬措置を取ると、角が立つどころか、何をされるかはわからないので、ひたすら、気持ちを切って普通に接する。

だいたい、世の中の人々!
(ここからは、わたしの愚痴です)
人の書く表現にケチをつけすぎ。
さらっとスルー出来ないのか?
こちらは、確信犯でワザと故意に意図して(色々な言葉で表現、説明した)
使った表現(ほぼ造語)に対して、「そんな言い方は聞いたことがありません」と否定してくる。
当たり前だ。
オリジナリティを出そうとして、造ってるのだから。
ダメージ加工のデニムに対して「あなた、服、ほころびてますよ、破れてますよ。色も、ムラになってるし」と注意しているようなもの。
襟を立ててジャケットを着ている人に、「あなた、襟、立ってますよ」とご親切アドバイス。

そう言えば、前にダンス会場で、フリルの下は肩の開いたダンスウエアをわたしは着ていた。(肩はフリルが被さって見えない)
部分的に肩を出したくて、フリルを工夫していたら、そこで、会場に参加していた、ご親切な方に、「あなた、フリルが入り込んでいるわよ」と、わざわざ肩紐に巻きつけていたフリルを全て元に戻してくださった。
肩は完全に見えなくなった。
「あ、ありがとうございます、、、」
と、お礼を言った、わたし。

まあ、いいんですけどね。
世の中、自分の小さな小さなこだわりなんか、厚かましい、正義感あふれるブルトーザーに整地されるので。

世の中の人になんか、わかってもらおうなんて思っていないので。


マダムの逆襲

2018-03-26 | 趣味
わたしの考えを別SNSの自分の日記にアップすると、さっそく、マダムから怒りの鉄拳が飛んできた。
極力わからないように、目立たないように、婉曲な表現に抑えていたのに、一箇所だけ言いたいことを隙間に埋め込んで、チョロっと書いていたら、そこだけを抜粋、コピペして、猛反撃してきた。
マダム、結構、観察力、集中力、読み込み力がある。
自分のプライドがかかっていることに対しては敏感になり、針のようにピリピリと神経を尖らせている。
もっと建設的なことに、その能力や情熱を活かせば、鼻持ちならぬ自称セレブから脱皮し、数ランク上の人格になれるだろうに。

彼女のコメントは、以下のような内容だった。(要約しています)

都会と田舎では違うんですね!
(たぶん、セレブと貧乏人とは違うんですね、と言いたかったのだろう)
お互い、別々のところで活動していると相互理解は無理ですね。
理解する気も、してもらう気もありませんけどね!

みたいなトゲと爆弾とカミソリの刃を詰め込んだようなコメントだった。
怒り爆発のよう。
なんで、あんなに怒るのか、意味不明。
キレるセレブ。
怒りのマダム。

別の人、数人が対岸から援護射撃を打ってきて、わたしは、ヨタついた。
もう自分の思いをアップするのをやめようかと思った。
が、よろっとなったものの、また起き上がった。中古ロボコップ蝶。
いろんな意見、感想、感性があるのは当たり前。
変わったことや、禁句やタブーを表に出すと叩かれる。
だから、「◯ちゃんねる」のようなヘイトスピーチ的な書き込がまかり通るような、荒んだSNSもあるのだ。
一種のストレスの吐き捨て場所。
わざわざ表に出して、叩かれるのがわかりきっているのなら、黙っているほうが省エネだ。

マダムは自分のサロン世界からだけ見て、発言される。
世の中には色々あるのに、「わたしの周りでは、こうです!! そんな、あなたの言うような人や事態は一切ありません!!」と断言する。
マダムの個人的半径3キロの話を全世界共通のごとく、押し付ける。

こりゃあかんわ、この人は。
と思った瞬間、わたしは降りた。
そして、別の人が、冷静に論じてくれて、納得した。

人には触れられたくない、侵されたくない部分があるので、それに侵食しないようにしなければいけない。
しかし、わたしが土足で踏み込んだのではなく、相手が勝手に土足で人の家にズカズカ上がり込んできて、今度は日本刀まで持ち、振り回す。

あなた、セレブマダムなんでしょ。
もっと冷静にね、お願いしますよ。
それにね、わたしはあなたを最初からお招きしていませんし、うちは、サロンではないので、あなたは、あなたのサロンで取り巻きやお仲間と戯れてくださいよ。
勝手に入って来るなんて、礼儀や品性を疑われますわよ。

と、言いたい。
まあ、婉曲に言っているようなものだが、最初からそのマダムをわたしはあまり好きではなかった。
いちいち相手をするのも苦手、極まりなかったが、まあ来るもの拒まずの精神で、余裕で頑張っていた。
調子が良い時もあったが、やはり根本的に水と油だと思う。

もともと、わたしは、マダムやサロン、セレブニオイぷんぷんが、嫌いなので。
おそらく親の影響だろう。

田舎者という劣等感が根底にあるのだが、明治維新以後、政府の中枢は薩摩やどこやら、田舎モンが成り上がって真ん中にしゃしゃり出て来ているわけで。
芦屋なんぞ、江戸時代はどんな地だったのか?
六麓荘にしても、住人の栄枯は著しい。
今、セレブでも、過去は?未来は?
なんの保証はない。
何を勘違いしているのかセレブ気取りしている人には、わたしのお眼鏡にかなう本当のセレブはいない。
全面にニオイをぷんぷんさせるものは、わたしは嫌いなのである。
わたしの偏見であり、普遍性はなく、全くの個人的嗜好であるが。
なので、別の違った嗜好をあれこれ論じ合うのは不毛。
「あ、そうですか、よかったね、わたしはそう思いませんけどね」と、論議の余地はない。

というわけで、お招きもしていない、厚かましいマダムが、勝手にやって来て、勝手に火を吹いて帰って行った。


マダムの驕り

2018-03-23 | 趣味
せっかく閲覧数が順調な数を保っているのに、多くの人に受け入れられそうな無難なものではない、自分が書きたいことがムクムク出てきた。
守りとは逆のテイストの、ムクムクの思い。
もともと自分のためのブログなので、せっかく高めをキープしていた閲覧数が下がっても、まあよい。しかたない。
あっさり。


別SNSで、サロンやダンスパブでプロをチャーターして、踊る人がいる。
周りはみんなそうだ、という。
プロをチャーターする人もいる。
女性がそうやってプロに流れて行くから、下手な男性は、踊る相手の女性がいない。
プロと踊ると(プロに踊らせてもらうと)目が肥える。上質をお金で買って知ると、後戻りできないようだ。
男性向けにもプロを用意したらよいが、今のところプロ女性リボンちゃん(ダンスアテンダント)は、圧倒的に少ない。

社交ダンスは、男性はリード役で、女性はフォロー役となっている。
下手な女性の相手をするより、下手な男性の相手をするのは至難の技である。
しかも男性は大きくて力が強い。
リードする人が下手で間違ったリードをするにもかかわらず、女性ダンスアテンダントは、ちゃんとしたダンスを望まれる。

まあ、それはよいとして、、、
サロンやチャーターにお金がかかる女性。
趣味にはお金がかかりますのよ、オーホッホッホ、と、札束でプロの頬をピシパシ。
それがあたかも、セレブでお金持ちの特権であるかのような驕りを感じる。
そういうことをしても何も感じていない札束女性は、頭がすでに半分天国へ行っている。

しみったれた、下手な素人男性に、しかも偉そうに言われて合わせて踊るぐらいなら、プロと踊る。
それはわからなくはない。
素人に相手にされなくて、お金でプロを買っているのに、「お金持ちマダムは、素人なんか相手にしないのよ、オーホッホッホ」
なんか違うんじゃない?

もし目立つようなら、こっそりすればよいのに、こちらは聞きもしないのに、サロンだ、チャーターだと自慢する。
彼女たちは決して上手くはない。
そこのところを自覚しないで、素人に選んでもらえず、やむなくお金で踊ってもらっている側面は、まるでそんな事実は存在しないかのごとく。
ホストクラブよりお安いわ、と豪語する。

イマイチ女性でもお金を出せば一流のプロに踊ってもらえるし、レッスンも受けられる。
一流のプロと踊る段階で、女性も自動的に一流の仲間入りのつもりのようだ。
まあなんと、ハッピーマインド。
私はお金持ちだから、そういうことが出来る、一流と踊れる、と上から目線。
明らかに頭の構造がわたしとは違うので、話し合っても、説明しても、分かり合えないのは見え見えなので、近寄らない。

なのに、向こうからセレブマダムがいつも寄って来る。わざわざ自慢をしに来る。
やめてんか。
自慢なんぞ聞きたくない。
しかし、趣味にはお金がかかるのよ、お金がないなら無理をしないでね、と言われて、わたしはキレた。

分かってない人と話してもラチがあかないので、自分の考えを別SNSで公表した。
たぶん、自分のことではない、お金持ちなのだけど、気の毒な下手な女性のことだと思っていることだろう。

別のルートから、そのマダムの踊り能力をご丁寧にも、わたしに知らせてくる、ヒマ人がいる。
その人もかねてから、サロンマダムの振る舞いに批判的な感情を抱いていた。


お金の力を誇示するのは、自分に能力がないことを強調していることと同じだと思う。
一種の劣等感の裏返しなのだろう。
最初から一線を引いているので、どうってことはなかったが、最近、なんだか鼻について来た。
わたしは、来る者拒まず去る者追わず、がモットー。
そのマダムもわたしの考えに腹が立てば、もう寄り付かないだろう。
それでよい。

お金を武器に、実力がない分、かさ上げしているんだから、人目につかないよう、そっとすればよいものを、自慢げに言いふらしまわるのは、賢いとは思えない。
自分の能力の無さをアピールしているようなもの。
なぜ、それがその人がプラスに捉えられるのか、わからない。
お金が無い人は、残念ね、お気の毒ね、こんないい思いが出来なくて、と思っているようだが、こちらの見方は違う。
考え方に大きな開きがある。

自分の状況を、客観的に見れないのはなぜなんだろう?
非常に不思議である。
価値観がごそっと違うと、相手を理解できない。

ぶち当たるまで直進

2018-03-21 | わたし
私の進み方は、まっすぐ直進。
突き当たると、右か左に曲がる。
一瞬、どちらにしようか迷う。
迷っても答えが出ないので、とりあえずその時のノリで選ぶ。
で、直進。
また突き当たると、右か左に曲がる。
あっという間に元の位置に戻ることもあるし、延々と進み、ここはどこ?と、迷い子になることもある。

その時の風任せにしていると、能率が悪いことに気づく。
戻れなくなることを想定して、どっちに曲がったか、覚えておく。
それでも、リスキー。
覚え間違いも、多々ある。
時間、労力、お金、心のロスが大きい。
で、あらかじめ行き方を調べて行く。

行き先が場所の場合、最近は、スマホのナビを頼りにしている。
が、バッテリー不足で、帰りに電源が切れてしまったことがあり、行きはよいよい、帰りは最悪。
でも、駅までの道は、たいがいの人が知っているので、3〜4人に聞けば辿り着ける。

道は道路ばかりではない。
人生の道、コースもある。
やはり、似たような感じで、直進&右折or左折が多い。
今まで、金銭的に大損をしたことがある以外は、たいして大きな被害はなかった。
若い頃は今、思えば、たまたまラッキーだっただけで、向こう見ず、無茶をした。
人的被害がないというのが、わたしの幸運の偶然な道である。
金銭の損失は、お高い授業料だと思っている。

わたしはケチなので、金銭の損失が何よりも、こたえる。
よく効く。お灸をすえるには、効果絶大。
学習効果あり。
なので、ちょっと学習した天然キャラという感じではあるが、やはり天然。
このまま天然、ぼけ一直線で突き進めば、ぼけても気づかれないし、明るい老後。

ということで、一直線、時々、紆余曲折で、進んで行くことだろう。

夢が叶った。かなり身近な夢。

2018-03-19 | 日々のこと
直近のブログに書いた夢のひとつ。
見逃した映画を観る!

夢は願えば叶うことを実証した。
昨日、朝、起きるなり、隣の部屋で寝ている娘に、「映画行かへん?」
いきなりのわたしからのお誘いに、娘は「いいよ」。

タイトルも聞かずに承諾するって、どうなん?と思ったが、よし!行こう!と、早速、プランに取り掛かった。

近所の映画館の第一回目上映時間を目指した。
午後からは予定があり無理なので、午前をはずすと、見逃すことになる。
「何時のを観たいの?」と問われ、時間を娘に告げると、あと10分以内に用意できなかったら、あきらめろ、と言われた。

そこから必死。
パジャマ、髪ボサボサから出かけるまで、いつもなら30分かかるところを10分で!を目指した。

どうにかこうにか、右の靴と左の靴は同じペア靴で(最近は、わざと違う靴を履くのが流行? 年配がやると、痛すぎてシャレにならない)
車のキーを片手に家を飛び出した。

映画は、R15指定なので、じつのところ、娘と見るとバツが悪い。
際どいシーンがガンガン出てきたらどうしよう、とは思っていたが、R18ではないので、まあいいかと。
アカデミー賞候補作の「シェイプ オブ ウォーター」。

わたしは、分厚いガーゼのハンカチが、鼻水(花粉症真っ只中)と涙でしっとり半濡れ状態に。
娘に、終わった後、「泣くポイントがわからない」と言われた。
じつは、映画が始まる前から涙が、ひとしずく。
きっと花粉症の影響だろう。

出発にドタバタしたものの、夢が叶い、とても満足した。
近所に、こんなに夢を満たしてくれるところがあるなら、ぜひ、老後の楽しみに活かしたい。
近所のスーパー銭湯のノリなんだろうが、わたしはスーパー銭湯はあまり好きではない。
今回は急な誘いに2.5メートル先から乗ってくれた娘がいたから実践できた。
あれで乗ってくれなかったら、グズグズして、時間アウトで観ることができなかったかも知れない。

時間の読みがちゃんとできる人物と行くと、計画は成功する傾向にあるようだ。
計画性と意思の強さ、というよりは、わたしの場合、ノリと、偶然性と、ヘルパーさん、というかんじだろうか。

夢は、淡々と。

2018-03-16 | 日々のこと
今日は、この記事、三本目。
二本とも御蔵入り。
書いたもののイマイチ。つまらないのだ。

だからといって、三本目は良い出来だからアップするわけでもなんでもない。
何かをアップしたいのだが、悲しいかな書きたいことがない。
だが、三本目ともなると、労力と費やした時間から考えると、アップしないではおれない。


今日のわたしは、花粉症と風邪もどきで、どうもアタマが霞んでいる。
いつも霞んでいるが、さらに、さらに。さらに、である。

こういう時は、自分の夢とかを考えると元気が出るはず。
しかし、最近はあまり夢もない。
夢を見るには、分別があり過ぎる。
実現不可能な夢は見ても不毛なだけだ。

等身大の夢は、夢ではなく、たんなるプランだ。
では、等身大ではない夢を描いてみようか。
、、、思いつかない、、、
しかたないから、普通に、実現可能な夢を列挙してみよう。

大きくなったら、◯◯になりたい。
これ、もう大きくなり過ぎて無理。
ピークはとっくに過ぎ、老化一直線。

◯◯してみたい。
リスキーなことは、したくない。
リスキーでないことは、普通に、しようと思えば出来る。

◯◯に旅したい。
足が心配だし、トイレ事情に敏感だから、秘境や僻地は無理。

◯◯を食べてみたい。
別に、これといってない。
ほとんどのグルメは経験済み。

◯◯に会いたい。
お話するのに、名称や単語をど忘れして、恥をかきそうで怖い。

◯◯に住みたい。
今の処で十分満足。
他に移りたくない。

◯◯が欲しい。
別に欲しいものは、これといってない。
お金ならいくらあってもウエルカムだけど。

現状維持が、望み、願い。
まあなんと消極的な、守りの人生だこと。
覇気がない。
しかし、維持するのもそれなりに大変。

よくよく考えてみると、いつもわたしは、課題は現状維持。
地味な課題ではあるが、それなりの努力は必要だ。

あ、今、ひとつ思い出した。
見逃した映画を是非、見たい。
あ、それと、、、(芋づる式に出て来る)
不安のない脚になりたい。
ついでに、健康維持。
家内安全も、入れておこう。
神社の護摩木に書く願い事みたいになってきた。

が、大きな不満や怒り、ストレス、疑問がない時は、筆は明らかに鈍ることが、よくわかった。
自分でも、抑えようのない強烈なパワーやキレはゼロ、迫力がないと感じる。

それだけ幸せだということだ。

他人によく思われたい

2018-03-14 | 趣味
最近、良い子ぶりっこの傾向がある、わたし。
行きつけのSNSでも、コメントには、まるまる思っていること全てを書かなくなった。
書いていることは本当なのだが、言いたいことは別に隠されていることがある。
わざわざ書かない。
リード導入部で終わっていたりする。

コメントにかこつけて、自分の憂さ晴らしだったり、裏自慢だったり、怨み節だったり、妬みだったりを吐き出したいのだが、あえて書かない。
ほう、それは素晴らしいですね、実はわたしも、、、、と、延々、自慢話を書き連ねる人もいる。
優れた者同士なら、分かり合えると錯覚するのだろうけれど。
なんか、臭うし、読む人は優れた人ばかりでもないだろうし。
自慢したくて、ウズウズしているのは、わかるが。
他人の抱く優越感に対して、劣等感がある人は敏感に嗅ぎつける。

なので、吐き出してスッキリする自己満足よりも、行きつけSNSでのわたしの保身、品位を保つほうが勝っている。
自分の評価を気にするというわけだ。
SNSは、社会の縮図だと感じる。

で、上澄みの美しい上側だけを行きつけSNSで出し、下に沈んだ醜い部分を自分のブログでさらけ出し、バランスを取っている。
蝶ブログは、生ゴミ処理ブログなのか?
生々しい汚らしいものを吐き出す。
といっても、吐き出したものの、非公開にしているものも結構ある。
やはり、いくら匿名性を享受しているからと言って、自分の暗闇を公にしたところで、余計に救われない。

時の人。大臣にも「辞める美学」があるようだ。
(が、しがみつく大臣もいる)
わたしの自分だけの美学は、全てをさらさない、全てを出し切らない、見かけより、中味が多い、濃い路線。
少し手前で止める。ピーク絶頂期よりは、絶頂期手前にやめる。
絶頂期で止めるのがベストだが、誰しも、どこがピークだなんて、わからない。
わかれば苦労はない。
惜しまれてやめる、この世を去るのが理想だが、そんなに上手くいかないのが世の常だ。

わたしの美学は、控えめ、やり過ぎないことである。

お年寄り係

2018-03-13 | 趣味
ある男性。
いつもダンスパーティで、ガミガミ、70歳超女性に教え魔をしている。
だんだん、ヒートアップしてきて、頭のてっぺんから甲高い声を出して、怒っている。
わたしの嫌いなタイプ。というか、好きな人はいないと思われる。
性格がむちゃくちゃ悪そうだ。

その男性と今日は何曲も踊った。
行って初っ端、準備運動直後に不意に誘われ、「疲れています」「休憩しています」「足が痛くなってきました」とも言えないシチュエーション。
なかなか離してもらえず、難儀した。
自己チュー的な踊りだったら、どうしよう、と想像していた。
が、意外にも、ちゃんとしていた。
あの、イビリ教え魔癖さえやめたら、ちょっとはマシなんだろうけれど。

あれだけ性格が悪いことを隠しもせず、堂々と露呈させている人物から、やたら丁寧で敬うかのような思い遣りある態度を見せられると、戸惑う。
感情に落差があるのか?
ジキルとハイドか?
接する人によって裏表があるのか?
裏を想像すると恐ろしい。

で、途中でこちらからお断りした。
あの人と踊る人は、よほど何も知らない新人ぐらいだろう。
わたしは、何年も前から知っていたが、踊った。
他にもお化け屋敷の住人のように、あばら家から出てきたような、目がどんより灰色の気持ち悪いお年寄りや、やたら明るい、色白のご老人など、わたしは、デーサービスのイベント係か?

まあ、お金をもらってやっていたら、もっと真面目にやれ、だの、上手にやれ、だの文句を言われるかも知れないが、無料ボランティアなので、善意の上に立っている。
見返りは求めない代わりに、こちらの品質や精度は求められない。
いいかげんなお遊びとしては、ちょうどよい。
だが、お相手をしている間、他の人と踊るチャンスを奪われる。
それに、よほど踊る人がいないと見なされ、マイナスPRになる。
「わたしばっかりですやん。他の人とも踊ってくださいよ」と言うと「どうせ、誰とも踊ってないやんか」と、痛いところを突かれる。

ワンコイン、プラスα枚の100円玉を握ってパーティ会場に来れば、音楽、お茶、お菓子が出て、踊り放題。
どこも行くところのないお年寄りには、格好の、きょういく、きょうようだ。

出来の良い嫁には、もう、なれない

2018-03-09 | 暮らし
SNS仲間で、夫のヤンチャに怒り心頭の人がいる。
免停45日。自営業で仕入れや配達など、車は必須。
免停期間は奥さんが代わりに軽トラックを運転する羽目になる。
免停の理由が、ゴルフ帰りにフィリピン パブ女性を乗せて、スピード違反、らしい。
重なる時は重なるものだ。
奥さんは平日のみならず、日曜日、祝日も代行運転のため、入れていた自分の予定が崩れ、おかんむり。
それよりもなによりも、フィリピーナ同伴!!
女性用ゴルフバッグも以前、車に積んであったらしく、奥さんは、カンカン。
しかしなあ、、、ヤンチャな亭主を持つと困ったものだ。

私なら、どうするかなあ?
不快感を示した上に、怨みを募らせて、ワラ人形に五寸釘。
あるいは、生き霊となって枕元に毎夜立ち、呪いまくる。
ヘビのように睨み丸呑みし、ねちねち復讐する。
亭主の好きな美味しいものばかりを食卓に並べて、コレステロールやカロリーオーバーで、身体を蝕ませる。
「ねちねち」が、ポイント。

、、、などなど書いていたら、可愛い村娘イメージが、吹っ飛んでしまう。
(元から無いか)
しかし、あくまで、わたしなら、、、というシュミレーションであり、実際とは違う。
実際なら、夫はそんなドジは踏まないと思う。
もっと慎重だろう。
万が一、トラブったら、わたしは別に蛇なんかにならない。
時間がもったいない。あほらしい。

男は子どもみたいにヤンチャなところがあるから、大目に見てちょうだい!という男性からのコメントもあった。
逆に、別の男性からは、弁解、同情の余地なし、というコメントもあった。
書き方が面白いこともあり、その日記はウケていた。

その旦那さんが、どれだけ反省し、今後、どれだけ真面目に奥さんに罪滅ぼしをするか。
奥さんが怨みを抱えて残りの人生を生きるなら、そうとうな復讐をされることを覚悟しなければならない。
でも、その奥さんは姑さんとも同居され、しかも家族経営の自営業。
元々、奥さんは出来た人だと思う。
逆に、わたしなんかは、出来が悪すぎて、出る幕ではない。
我がことと捉えてみたところで、出来の悪さを露呈するだけ。
悪者ピーアールしてもなんのメリットもないし、ここは引っ込んで、小さくなっておこう。
頑張ってね、と、小声で応援するのみだ。

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舞踏会にガラスの靴を履いていくのを忘れた

2018-03-07 | 趣味
今日は嬉しくて嬉しくて、書かずにいられないので書き散らす。
読まれる方は落胆されると思うが。
しかも、すごく些細なこと。
こんな些細なことを喜ぶなんて、わたし、箸が転んでも可笑しいお年頃。

何が嬉しくて興奮しているかというと「パーティで知らない人と踊り、後で知ったが、その人はスゴイ人だった」という、文字にして書くと一行。
お城で催される舞踏会に村娘が参加し、身分を隠した王子様と踊った、というストーリーのようなもの。
後から、外野(SNS)が、「あの人は◯◯なのよ、王子様なのよ」と教えてくれた。

残念なことに、ガラスの靴を履いて行かなかった。
履いて行ったボロ靴を落として来なかった。
王子様に、アピールゼロ。手がかりゼロ。

まあ、村娘は、一夜限りの夢を見たので、それでよい。
王子様は、自分に声を掛けてくれた。
私からの申し出で、途中で二度、中断したのに、気を悪くされず、三度もお誘いしてくれた。
もうそれだけで、いい。

参加者を喜ばせるために、お城(主催者)が手配した、王子様役のダミーかも知れないが、粋な計らいで、いいんじゃない?

王子様と踊った!
目立たない地味な村娘の、私と!

まあ、それだけなんだけど。
とても嬉しかったのだ。
わたしの鼻歌は、「あの人は王子様だよ」とSNS仲間が知らせてくれた昨日の朝から続いている。

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