蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

長い1日

2024-05-31 | 日々のこと
いま、私は退屈している。
束縛されない身の自由、あまりある時間、ガチガチ倹約しなくてもよい経済事情、年相応の健康体を持て余している。
障害物や抵抗があってこそ、それを乗り越えてようと人間は燃えるようだ。
何もないと、だらける。

とは言え、今だけである。
今は最高の天国までの待ち時間。
ピークだと思う。
(ちょっと人生の真ん中、中央時期より、後ろにズレているが)
最高状態を失う怖さ、積極的に時間を使わない焦りや後悔、、、そういうものに苛まれるかと言うと、そうでもない。
気分屋なので。
風の向くまま気の向くまま。

またまた子守りを再度、頼まれているので、せっかくの自由時間をもっと有意義に使えばよいのだろうけれど。
頼まれた子守義務以外の時間をダラダラ過ごす贅沢。
わたしは、やはりサボるのが性(しょう)に合っている。
積極的に遊んだりお金を使ったりしない。


ちなみに。
なぜ退屈しているかというと、、、。
今朝は、可燃ゴミの日で、ゴミを追加しようと、ちょっと草引きなどもしていた。
で、ゴミを出し、やれやれと思ったが、はっと気づくと午前8時4分だった。
あ、連ドラが始まってしまっている!
あちゃーー。
気を取り直して4分遅れから見た。
また今朝も涙ぽろり。
その後の「あさイチ」に、なんと、岡部たかし(虎に翼、お父さん役)が出ていた。
釘付けになる。
連ドラ以外は、朝からTVは絶対に見たくないのだが、それまで2か月も遅れ「虎に翼」を見逃していることもあり、過去放送シーンもあるようだし、今、話題の岡部たかしだし、、、
ついつい見てしまった。
番組内、岡部たかしとは関係ない映画の紹介も見てしまった。

そのせいで、本日の外出準備が遅れ、ずるずると時間が過ぎ、これ以上遅れたらアウト!という時間まで、なぜか、何かに抗って準備に移らず、動かない牛のように、じーっとしていた。
で、確信犯的、出遅れのせいで、本日の外出は見送られ、その後は、ノープランとなり、時間を持て余した。
風が吹けば桶屋が儲かる。
「虎に翼」が長引けば予定外出が出来ない。
(予定がキャンセルになっても誰とも関わらない自分だけのことなので、周りには影響はないが)

つまり、朝のあの連ドラ関連時間だけが、今日のわたしの濃縮した充実時間となってしまったわけだ。
その後の時間の長いこと。
最初に時間を使い切ってはいけないことを今更ながら学んだ。
だがしかし、あまりにも退屈な時間で、どこかに出かけようかと、色々ネットで下調べしたりしたが、どうも決定打に欠ける。
今日は長い長い日になっている。
自業自得。
明日は絶対にリベンジ行動の予定だ。
朝ドラもないし。
アクションは朝の早めに起こしてスタートしないと、1日が無駄になる。

前々回の蝶ブログ記事タイトルが、「1日は短い」だったのに、今日は「長い1日」。
まったく、ころころと、よく変わるものだ。
何ごとも表裏一体ということだ。
(無理やり、まとめる)


朝の連ドラ、虎に翼

2024-05-30 | 趣味
虎に翼。NHK TVの朝ドラ。
おもしろい、おもしろい、とあちこちから聞こえてくる。
(実際は耳するのではなく、わたしがよくお邪魔する個人ブログやSNSの記事を目にして)
そもそもわたしは、朝ドラは時間が縛られて忙しないから見たくないという主義。
夜ドラも、「VRおじさんの初恋」が終わってから、次の新しいドラマは見ないことにした。
ではあるものの、あちこちから「虎に翼」の好評判をインターネット知人のブログで目にすると、見てみようかという気になった。
途中からなので、なんといきなり、主人公には幼児の子供がもう既にいた。
もう結婚はしたようだ。
4月から始まっているから、既に2ヶ月になる。
それにしても、連続のものをえらく途中から見たものだ。

で、見始めて今朝で3回目。
朝から涙、涙、涙。
次に放送される「あさイチ」で、朝ドラを受けての番組スタート司会(鈴木奈穂子、博多華丸・大吉)がまた面白い。
それより、主題歌「さよーならまたいつか!」(米津玄師)とオープニングのアニメーションのイラストがすごく印象に残った。
動画を撮影して、それをコマ割りして水彩画タッチで手描きし、アニメーションに仕上げる「ロトスコープ」という、シシヤマサキ(作者)の独自の表現法だとか。

わたしが訪れるSNSの皆さんは、ドラマ内容や歌は大変素晴らしいと感嘆していたが、オープニング・アニメーションに対しては、誰もなんにも触れていなかった。
わたしは、すごくすごく素敵で、感激した。
特に目がキラキラ輝いているようなイラストが動く表現に、すっかりこころを奪われた。
色もタッチも、優しいテイストで、大好きだ。
その上、あの歌。
さらに、ストーリーは、もう3分の1は済んでしまったものの、まあ惹き込まれること。
今、話が盛り上がるところなのかも?
毎日、楽しみにして、午前8時前にはそわそわしてTVの前で待っている。
ほんとにTVっ子だ、わたし。
その代わり、夜は夜ドラを見ないことにしたため、22:45まで待たなくてよいから、TVから解放されていい調子。


1日は短い

2024-05-28 | 日々のこと
ラスコー洞窟(仏)に行ったことがある。
その近くに、ホンモノのラスコーの洞窟があり、一般公開されているのは、レプリカ。
レプリカといっても、鍾乳洞のように大きく広く、リアル。原寸大か?
しかも、ガイドさんがペンライトを使って、ピンポイントで赤いマークを照らして説明してもオッケー。
レプリカなので、ライトで壁が変色してもよいのだろう。

だが、入り口に入るまで、ディズニーランドのアトラクション待ちのように、館内行列中にもワクワク期待感が増して楽しめるよう、工夫されている。

ちなみに、わたしが35年ぐらい前に買った、子供向き歴史漫画ある。
西洋史と日本史の2種類シリーズ。
その西洋史の第1巻、ハードカバー漫画の裏表紙・見開きが、ラスコーの洞窟。
そこから始まるようだ。
ミジンコ達が毎日、営みを続けて今日まで繋がっている。
感慨深い。


ところで。
わたしがなぜ、ぽきんと折れたのか。
蝶記事はボツにしたくせに、まだ未公開記事を手直ししたりして、執着してシツコイ。

それはそうと。
ばあちゃん食堂、今日は夕食なのだが、大雨が降るらしく、13:00には小学校は一斉下校だそうだ。
今のうちに、急いでリラックスしよう。
焦ってのんびりするのは、かなり難しい。
が、頑張ってサボろう。
力んで手を抜こう。
(かなりシツコイ)

意識的に脱力する方法は、長年の修行で身についているが、意識的に頑張ることは、相変わらず苦手。
今日も、小学生孫軍団に、オセロゲームで無いアタマを使わされそうな悪い予感。
麻雀を覚えてほしいところだが、まだ無理だろう。

なぜわたしは、ぽきんと折れたのか。

2024-05-27 | 日々のこと
わたしはなぜ、ぽきんと折れてしまったか。
今日、それを延々と長々書いて、ボツ(非公開)にした。
(骨折したわけではない。こころが折れた)

こんな個人的なこと、誰も興味がない。
わたしは有名人でもないし、大変な仕事をしているわけでもなく、実際にやっていることが小さすぎる。
実際の出来事を紹介出来ない。
しかも、書きながら自問したが、なかなか結論に到達しなかった。
自分がぽきんと折れた原因はほぼ推測できたが、対策に辿り着けなかった。
というわけで、ボツ。
無駄な作業、徒労に終わった。
モヤモヤは続く。

ところで。
本日、小1女児孫と対戦したオセロゲーム、囲碁のようだと思った。
横から小4男児孫が、あれ行け、これ行け、ここに行け、とうるさくて、考える邪魔になる。
しかも、ちょっと考えようとすると、早く行け行けと、小1女児孫が急かしてきて、落ち着いて考えられない。
小学生孫と遊んであげている、のか、遊んでもらっているのか。
囲碁と同じく、オセロゲームにもセンスは必要なようだ。
わたしはセンスゼロを自覚した。
わたしの軽い脳みそには不向き。

1ヶ月以上前からアポを取っていた、とある外出案件をキャンセルして、家で、おばあちゃん食堂、開催。(うちの孫限定。運動会の代休のため)
幼い今の時期にしか家に来てくれないだろう孫の子守りを選んだ。
聞けば母親は在宅勤務らしい。
せっかくアポをキャンセルしたのに、、、とちょっとこころが揺れた。
ではあるものの、引き続き、明日も引き受けた。
自分のことを優先する思いと、少しは人の役に立ちたい思いの、自分の中でのバランスが微妙。


いつも涙腺崩壊

2024-05-26 | 日々のこと
新作映画を以前から定期的に観ていた。
これは、1人ではなく2人で行っていたが、ある頃から、一緒に鑑賞していた人が時々、鑑賞中に居眠りをするようになった。
いびきをかくこともあり、気持ちよく映画を観ている妨げになった。
で、眠っているのか起きているのか気にならないぐらい離れた席で鑑賞するようになった。
それでも、いびきや、咳が時折、聞こえてくることもあった。
ではあるものの、隔離鑑賞は悪くなかった。
が、その人物には明らかに映画の内容がわかっていないだろうと推測できるものもたくさんあり、感想などは一切話さず、インターネットで解説や皆さんの感想を読むようになった。
一緒に映画を観る意味がほぼほぼない。
それもあって、1人で観るようになった。

そもそも、なんで映画を2人で観る?
共通体験を通して、なんらかの得るもの、構築するものがあるなら別だが、それも期待出来ない。
だとすると、わざわざ時間を調整するために苦労したりして、時間を作って一緒に映画を観ることはないだろうという考えに至った。
時間の調整だけならまだしも、時間を作るのは負担である。
家にある不用品の山の断捨離はまだまだだが、人間関係における断捨離は、少し前から行っている。
中には、断捨離したくなくても、他界による自然減もある。


話は変わる。
昨日、孫たちの小学校の運動会だった。
小1女孫、小4男孫、小6男孫が出場。
(保育所女孫は見学)
観る側にとっては待ち時間はあまりない、2回に1回は観戦、応援。
省エネのわたしにはピッタリ。
それにしても、6年も通っていた保育所では最年長だったのに、小1のまあなんと、小さく可愛いこと。
「ばあちゃんは絶対に観に来たらダメ」と小1女孫に言われていたので、柱の影からそっと観ていた。
(運動場には柱がないので、心境光景)

午前中で終わり、今年が最後の運動会となる1番上男孫は、ついに、小学校運動会で校庭でお弁当を広げる経験は出来ずじまいだった。
コロナ後、父兄の来場制限が緩やかになり、ジジババも運動会に参加できるようになったせいか、結構、観客で賑わっていた。

その中でトリは、最高学年(2学年合同?)の組体操。
音楽と、ピッという号令の笛に合わせて、次々と決めていく。
涙が流れた。
子供達の成長。
自分の孫だけでなく、多くの未来に羽ばたく子供達が頑張っていた。
何故か、これを書いていてまた涙がツツツ。

障害のある子供達も一緒に演技をしていた。
別の学年の出し物のサポートを、別の高学年の子供達がしていた。
高学年孫達が行う、そのサポートも観ていると、全部の種目を観ることになった。
晴天に恵まれ、運動会は無事行われ、それを観ることが出来たわたしは、澄み切った青空の元で、幸せをしみじみ味わった。
家から至近距離の保育所からずっと運動会や生活発表会(学芸会)を観続けることが出来て、本当に嬉しい。
コロナ時期を挟んだせいで、人々の幸せを再認識した。
小学校も地元で、地域密着型。
児童数は少ないが、それもまた時代の波。


涙と言えば、、、
またまたTVの話、話題限定お粗末であるが、
NHK TV「時をかけるTV」という番組がある。
前にも、全盲の両親に育てられた(目の見える)女児の5歳までの成長記録に、涙腺崩壊した。
今回(一昨日)は、生まれた瞬間から育児放棄されたホッキョクグマの5歳までの飼育員による成長記録に、涙ポロポロ。
なんで、この傾向にわたしの涙腺は過激に反応するのだろう。
子供のために厳しくする場面には、特に涙が一気に増量。
理屈ではなく、琴線に触れるのだろう。
自立させるための措置、教育、愛の鞭には、本当に感銘を受ける。
自分も親や祖母たちに育てられ、子供達を育ててきた。
のではあるが、自分は意識することも認識することもなく、動物や人が繰り返して行う子育てに、感動する。
子供達が後に強く生きるために。

※写真は昨日の小学校校門、近く、美しく咲き誇るツツジ




碁盤斬り

2024-05-25 | 映画
昨日「碁盤斬り」を観た。
草彅剛。この人、わたしは割と好きなのだ。
明日の民放TV番組「初耳学」で、おそらく草彅剛が先週に引き続き、2週連続出演になるだろうことを踏まえ、より、インタビューを理解しやすくする効果も狙い、TVインタビュー番組放映より先に映画を観た。
というのは、少しこじ付け理由で、、、。
それはまた別の日に後ほど。

最初から最後まで眠くならなかったので、まずは丸◯。
草彅剛が目で演技、丸◯。
情感迫るものがある。
斎藤工、丸◯。
おいしい役。
時代劇エンタメらしいので、細かい疑問点はカット。
全く前知識ゼロで観たせいで、(良くない)ヒヤヒヤハラハラが心臓に負荷がかかった。
が、武士が刀を差しているチャンバラ時代のお話なので、晴耕雨読の農耕日記ホームドラマやミュージカルのようにはいかない。
あまり、わたしは血は好きではない。
が、エンタメ仕立てなら、まあやむを得ないか。
それに、わたしより18歳も若い、時代劇初挑戦の監督(白石和彌氏)なら、黒澤明と同じようなラインではないだろう。

とりあえず、最後まで観ることが出来てやれやれ。
草彅剛、熱演だった。
ストーリーはちょっとシンプルすぎるほどシンプルだったが。
ストーリー展開として、掘り下げ方が中途半端な局面も多々あったが。
言うまい。

まあ、草彅剛が頑張っていて好演していたし、時代劇は、そもそもストーリーなどあまり深掘りしてはいけない。
西部劇だってあんな感じだし。
しかし、よくわからないのなら、大雑把な感想を書いては失礼だ。
作品を汚すことになっては不本意。
5月17日に公開されたばかりなので、ネタバレにつながるようなことを書いてはいけないし。
ではあるものの、どうしても気になる、しかも、かなり重要なストーリー展開箇所がある。
すごく疑問が残る。
それはそれで、さらっと忘れずにこころに残るから良いのかも??

実はその前々日(先一昨日)にも映画を観た。
ジャマイカの英雄的ミュージシャンを描いたもの。
1日しか日を置かずに、随分、テイストの違う映画を観たものだ。
今、わたしは、新たな自分作りのために、土台を再構築している真っ最中。  
なので、映画のジャンルは、バラバラだ。

幸せ病、重篤化を避けるために

2024-05-24 | わたし
不満に火が着いた。
江戸に仇を置いたまま、長崎まで来て、石垣島までやって来た。
(→「比喩表現です」といちいち書かなくてはならないのか、自問中。まだ自答には至らず)

破れているジーンズに「あ、破れてますよ」と親切に真面目に真摯に指摘する人がいる。
「ファッションです」とは言えず「ありがとうございます」と頭を下げる、、、
誰も悪くない。善人ばかり。
だが、高齢の場合、破れ穴あきズタボロ・ファッションはオススメしない。(お節介とは思うけれど)

わざとしていることなのに、気づかないでやっていると思われ、指摘されることがある。
(ズタボロが高齢の場合、周りはへんに気をまわして口に出さないことも)
言われた側は、説明するのがジャマくさい。
悪意はお互いにない。
こういうことは、よくある。
他人ならまあ笑い話。
職場やサークルの人なら、眉毛ピクピク。
家族なら、、、不快感を拭うトレーニングの積み重ね成果で、いちいち気に止めず、スルー。

スルーできない場合もある。
生理的に受け入れられないような、音だったり、癖だったり。
(精神、信念、生き方、ハート、頭脳などとは別次元)
その時は自分の神経を自分で切断する。
相手がわたしでなければ、そこまで悲鳴をあげて騒がないだろうし。
見ない聞かない、そこに不快なものは断じて無いと自己暗示をかける。

ちなみに、わたしは、何かを食べる時、ぺちゃぺちゃクチャクチャ音と、前上歯と前下歯が直接カタンカタンとぶつかる音、入れ歯がカチャカチャいう音が、大の苦手。
これは相手ではなく、勝手に感じるわたし側の事情。
父も他人の入れ歯音が大嫌いだったので、父からの嬉しくない負の遺伝。
耳が良すぎるのは自滅の元となる、、、が、そう遠からぬ日には確実に聞こえが悪くなるだろう。
これもシニアワールドからの、神様からのプレゼントの一つ。
プレゼントの日まで待てないなら、耳栓か、ワイヤレスホンで自己防御するとよい。


それとは別に、音ではなく、同じ仕草を別の人がしていても気にならないのに、特定の人物がその動作をしていると、とても不快になる類もある。
なぜなんだろう???
仕草そのものが嫌いなのではなく、仕草をしている当の本人が嫌いなのでは?
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
「亭主の好きな赤烏帽子」の正に逆。
なぜこんなことに、なってしまったのだろう。
おそらく、本人はそんなに憎まれるようなことはしていないはず。
ではなぜ、こんなに憎い?
なぜ?なぜ?なぜ?
鬱積、不満が積み重なり、もつれ、何がなんだかわからないが、何しろ憎い。
(隣人トラブル事件や、親戚事件などは、こういう種類のものかも知れない。
国家間になると壮絶悲惨、解決困難)
個人レベルなら、わたしが解脱する日には、すっかりわだかまりもなく、仲良しになっているとは思うが。

愛憎という言葉もあることだし、愛の裏返し?
余計に益々理解できない。
感謝しなければならないことばかり。
なのに、日常ではなぜこんなに嫌いなんだろう。
嫌いになってはならない。
なのに、嫌い。
なりたい自分と、現実の自分の間にはギャップがある。
自分に言い聞かせる、持つべきではない感情に蓋をする。
蓋をしても、蓋が内部からの得体の知れない魔物パワーで突き上げられ浮き上がる。
幸せ病の重篤パターンに陥っている。

気持ちを切り替える努力を色々試し実践し、リセットしよう。
必ず晴れる。
次の瞬間、きっといい日になる、いい日になる、いい日になるだろう。
同時に歌のメロディが、反響、重なる。
歌は、明日はきっといい日になる、だけど。
明日ではなく、今日、今。
明日まで待つことはない。

優秀DNA

2024-05-23 | ブログ
わたしがいつも訪れている、あるブロガーさん(高齢女性)のブログを読むと、優秀な遺伝子は遺伝するということがよくわかる。
そのブロガーさんの血縁、親、子、孫へと直球ストレートに遺伝している頭脳を知ると、今更ながら、自然界の事実を受け止める。
環境も大事ではあるものの、生物、自然科学のなせる技かと感じる。
こういう遺伝子は、生殖医療ビジネスでは高い値がつくのだろう。 

ちなみに、NHK TV火曜ドラマ「燕は戻ってこない」(原作・桐野夏生)、毎週楽しみに見ている。
えげつないセリフを吐かされる黒木瞳さん、役者として別の切り口で芸域が広がる見本のよう。
番組ではいまのところ、生殖医療ビジネスサロンの担当者役の(初めて見る)女優さん、一番おいしい役だと感じる。
意図して、気持ち悪く感じ悪く大袈裟に演じておられるのだろうけれど、インパクトありすぎ、印象に残りすぎ。
奇をてらう、わざとらしい不自然な大袈裟ぶりが特に。
役者冥利に尽きる役。

と、相変わらず話が逸れている。

凡人がアタフタ、アクセクして無理して頑張るのとは違い、最初から涼しい顔の飛び抜けて優秀な人々はいる。
その優秀さをどう活かすかが、次の重要な課題となる。
なかなか活きないこともあるが、全てが上手く行くとも限らないのが人生。
挫折に対応する能力は、自然に備わっているわけではない。
特に無理やり頑張って手に入れた秀逸ではない先天的なものの場合、つぶしが効きにくい。
ただの人に戻るだけなら良いが、へんに潰れたりすることもある。
そうなると、強い種が生き残るということになる。

明治維新など、、、世の中がひっくり返る時、いかにチャンスをものにするか、運もあるが、能力も必要だ。
これからの子供達は、どうなっていくのだろう。
つつがなく、生きてほしい。
発展途上国ではなく、衰退途上国となっても、江戸時代のように、、、といっても無理だろうけれど。

ガス、電気、水道がないと生活できない。
暮らしは便利になったが、後戻りできない。
当たり前のことが、当たり前でなくなったらどうなるのか。
地球規模でものごとを考えなければならない。
蟻になったり、象になったり。
蝶にはならない。

ちなみに、バズっておられた、わたしが更新通知にチェックをいれている、あるブロガーさん。
またまたバスり、2日目を迎えられているようだ。
成り行きを興味深く注視したい。
わたし、好奇心旺盛な外野の住民。野次馬なのだ。



全く感情移入できず

2024-05-22 | わたし
ボツ(蝶)記事(非公開)が、なんとここ立て続けに4本も。
かと言って、ボツにせず公開した記事も、たいしたことはない。
ボツ記事も公開記事も、ほぼ似たようなものだが、自分で嫌か、さほど嫌でないか、その程度の違い。
気分屋。

と、どうでもいい話は、さておき。
昨夜、NHK TV歌番組「うたコン」。
出演していた中村雅俊、若い頃のかわいかったことったら、、、50年の年月はすごい。
でもスタイルは維持、素晴らしい。
今までの年月の長さより、これからの年月の長さを思うと大変だ、、、と、彼が一言。
確かに、、、。

それはまあよいとして、演歌を聴いた。
歌っているのは、わたしより若い演歌歌手。
石川さゆり、天城越え。
他にも、紅白歌合戦、けん玉男性歌手、三山ひろしの歌。
愛する人への激しい情念。命をかけるらしい。
歌詞の内容が全くアタマにも、こころにも入って来ない。どうしても。
歌っている人は、若いなりにも歌詞の意味を理解して、感情移入できるのだろうか。
歌詞の主人公が憑依して、別人格になりきって歌うのだろうか。
わたしが、ヘンなのか?
言語の下、裏、底、行間に隠れた言語外の意味を読み取る、読解能力、皆無か?

なんで、あんなに好きな人に対して、あつくるしい情念を燃やすんだろう?
(LGTBQの観点からすると、異性とは限らない。アセクシャルなんていうのもあるようだ)
好きで好きで、たまらないのはわかるが、あんな熱い感情をぶつけられたら逃げたくなるのでは。
好き好き好き大好き、愛の激情ではあるが、その相手やその親と一緒に住んで、何人も子供や孫を育てたら、恋心なんか吹き飛んでしまう。
子供もどんどん産まれ増えているのに、子育て協力温度も低く、、、。
(家事や育児、「協力」という、お手伝いサブ的感覚がたまらなく不愉快)
一千年の恋も冷める。ミジンもなくなる。
あんなに好きだった相手の「癖」、亭主の好きな赤烏帽子も大嫌いになって、鳥肌が立つことさえ。
(江戸の怨念を長崎まで持ち込んでいる、、、わたし。まだ仇は討てていない)

恋は一瞬の流行病だ。病気。
なので、演歌の歌が、全く理解できない外国語のように感じる。
わたしが、おかしいのだろう、、、か。
アバタもエクボ。
アバタはアバタでしかない。
が、エクボに見える瞬間がなければ、少子高齢化に歯止めがかからない。

しかし、なんでこんなに演歌情念を毛嫌いする?
なんの反動だろう?
ちょっと思い当たるフシがある、、、。

作者は男性。
女性からの愛のかたち、理想を想像の世界で創造しているのだろう。
(インパクト、破壊力のある歌を作ろうと頑張っておられたのはよくわかる、、、としても)
幻想、幻覚、幻聴、錯覚、誤解、誤認だと思う。
本当にあんな情念が実存するとしたら、猟奇殺人事件に発展しかねない。
アベサダさんのように。(例えが古い)
情念を向けられた人は怖くて安眠できない。
わたしが、熱い愛を発しない、発火しない、可哀想な女性なだけなのか?
なんでそもそも、熱い身を焦がす情熱など感じる???
やっぱりわたしが、冷血人間なのだろうか。

ろくなオトコに出会ったことがないからか?
出会った男性たちは全員、魂が震えるような愛を感じた、、、の真逆。
リスペクトする部分があるのは必須であるものの、全く情念を感じない。
(だが、全員、真面目。ダメ男は嫌い)
わたしが、そういう相手としか縁がなかったからか?

答えは、イエス。
燃える相手では、身がもたない。
自己ペースが乱れるのは避けたい。
わたしは、追うのは嫌。追われる側をチョイス。
無駄な力は使いたくない省エネスタンスは、こんなところにも強く現れる。
だから、情念を感じないのだ。そうに決まっている。
絶対に追わない。
中学1年の時に、2年先輩を追ってフラれてからは、追わない。
(ここで盛り上がっていた大人の話は、一気に急降下してオコサマモードになる、、、)
湿気ったまま火が点かない。
やはり、可哀想な女性だ。
高望みさえしなければ、選ばれた中から選ぶと摩擦が少ない。
等身大・自己評価型、合理性重視)
なので、演歌が、とんと理解できない。


バイタリティ

2024-05-21 | ブログ
愚蝶ブログにお越しいただき、ありがとうございます。
(今日は「蝶」に「愚」をつけました)
毎日更新されている他のブロガーさんのブログを読むと、具体的に閲覧数を紹介しておられ、その多さに驚く。
ご本人は「少ない閲覧数であるが、それでも(挫折せず)毎日、更新している」と書かれている。
いえいえ、全然、少なくないです。
愚蝶ブログなど、よくまあ毎日更新するモチベーションはいったい何だろう?と、研究の対象になるぐらいの閲覧数である。
(数に関わらず、訪問いただき有り難く思っています。これは、はずせない)
自己分析によると、自己愛。
ひたすら自分を愛していることが自分でわかる。
(引きこもりの特徴?)
愚かであろうが、自己陶酔していようが、その根底には自己愛がある。
でなければ、こんなに毎日毎日、べらべらダラダラ書かないと思われる。

ブログ村エッセイにランキングされている旅ブログがある。
いやはや脱帽。
若さと熱情以外の何ものでもない。
わたしも訪れたことがある地であっても、あんなに深掘りし、身を挺して旅をするなんて敬服する。
わたしには絶対に出来ない。
が、擬似体験する思いで、(精神的に)汗や脂汗を流しながら、拝読している。
(一部、このGW旅に参考にさせていただいた)
それにしても、若さは、スゴイ。
バイタリティたるや。

ではあるものの、わたしは枯渇しているわけではない。
井戸は枯れていたかも知れないと思っていたが、そうでもない。
水道水ばかり使っていたからか。

バイタリティ溢れる旅。
応援しながら楽しみにしている。

※ついでに、
NHK夜ドラマ「VRおじさんの初恋」は毎日の楽しみ。
今、FMラジオで聴き慣れた番組テーマ曲が流れている。
ちなみに、お笑いコンビ「ガクテンソク」は、新しい名前として脳に刻む、、、のは無理っぽいので、冷蔵庫に貼り付けてあるカレンダーの余白に記しておいた。