秋。
良い季節だ。
と、なんのヒネリもなく書き始める。
夫の実家リフォームもひと段落したものの、まだ修繕部門が残っている。
が、第二弾、支払いも完了し、一区切りした後は、いたって財布のヒモが硬くなった。
全然緩まない。
しばらくはこのままで行く。
預金、大幅目減り金欠病との闘い。
畳みかけるように次の修繕ステップを促すリフォーム会社の担当者が、恨めしくさえ思えてくる。
あんなに楽しみをいっぱい詰め込んで運んでくれる人だったのに、まるで借金取りみたいな重さを感じる。
次の修繕段階の見積もりはもらったが、契約はまだしていないから、ね。
あまり詰め寄って来ないで欲しい。
好きなものも嫌いになってしまう。
何ごともタイミングは難しい。
お客さんの背中を押すのも、押しすぎると負担を感じる。
ほんと、これは何ごとにも言えるセオリーだ。
と、一方で、わたしの実家が動き出した。
来月初旬に引っ越し。
あっちもこっちも忙しい。
さらに、次女もやっとこさお引っ越し。
彼女は実家(わたしの自宅)を出る。
秋は引っ越しのシーズンなのか。
入れ替え取っ替え引っ替え、世代替わりが行われる。
わたしも歳を取るのは当たり前だ。
孫もあれよあれよと5人。
まだまだ毎日、孫たちには振り回されている。
静かな日常を迎えられるのは、きっと、わたしが老ぼれて使い物にならなくなった時だろう。
ちなみに、わたしがいつも利用する、遠方の電車の駅で高校生?の集団が乗り降りする。
男子高校生(または中学生)たちがワイワイしゃべっている。
A君「明日、○○(友達)は△△へ。□□は、××へ。明後日は、△△は、××に行くらしい。
おまえは?」
B君「ばあちゃんちに行く」
A君「明後日は?」
B君「ばあちゃんち」
A君「おまえ、ばあちゃんに金もらいに行ってるんか」
B君「うーん、、、違うけど、、、」
A君「金やろ、金しかない」
B君「・・・・・(肯定はしてないけど、強く否定もしてない??)」
この会話を聞いて、なんだか嫌になった。
今は幼い孫たちも、やがてこんな風になるのかなあと。
かつて蝶ブログにも書いた記憶があるが、30年ぐらい前、子供たちが小学校低学年だった頃、舅、姑と、我々一家で恒例のお食事会(外食)をした。
ある日、皆んなでディナーを共にしたレストランで、姑が何かの記念日に孫にと、お祝いを手渡してくれた。
(もちろん、剥き出しのお金などではなく、金封)
それを見た、隣の席の老夫婦の奥さんが、露骨に嫌な顔をした。
しかも、「ああ嫌だわ。お金を渡すなんて、、、」みたいなことを口に出した。
わたしは、結構驚いた。
その老婦人のリアクションに。
そして、なんて、気の毒な人なんだろう、と。
この人にはそういう発想しか出来ないのだなあと。
と同時に、感想は自由だが、マイナスの感情を我々を目の前にして何も口に出さなくてもいいとも思った。
ちゃんとしたフレンチレストランだったのに。
初老の婦人も我々の行動が嫌だったのかも知れないが、わたしはもっと嫌だった。
というか、嫌というよりも、そういう感想を抱く人が、レストランに夫婦で来ていることに驚いた。
今、レストランにご夫婦で来るということは、生活を楽しんでおられると想像するが、よほど嫌な思い出でもあるのだろうか。
ずいぶん、ひね曲がったものだ。
あの婦人に不快感を与えるような迷惑な行動を取ったかというと、思い当たる節はなく、インネンをつけられているかんじであり、そうせざるを得ないあの人の状況や深層心理はおそらく不幸なものなのだろう。
と、まあそれはそれとして。
30年経ってもわたしの記憶にしっかりと残るご婦人であった。
こんなことで、残像として他人の脳裏に残るなんて、、、。
秋の日に、この嫌な思い出が、またまたぶりかえしてしまった。