コピペ記事、書いてくれてありがとうございました。
私信です、これ。
さて、今日の独り言。
今日は、姑のところに行くべきか、行かないでいいか。
悩むところだ。
姑は、姑の親戚がやっている高齢者施設に先月、入ったばかり。
一週間と少し前、娘一家全員を含む、一家フルメンバーで面会に行った。
姑の娘(わたしの小姑、夫の姉)は、今週は旅行中で、姑のところに行けないそうだ。
いつもは、おそらく毎週、行っているはず。
夫は、毎日、通っている。
愛するママだもの。行かないはずがない。
長年、姑の手足となって動いてくれる、ビジネス・イエスマンである私設ヘルパーさんは、施設の目と鼻の先に住んでいる。
では、わたしは別に緊急に、ぜひとも行かなければいけないことはないはず。
どうしても行ってほしいとき(医療機関受診や、家の行事)は、夫や本人から要請がある。
連絡がないのは、来なくても大丈夫ということだ。
行きたければ、行けばいい。
行きたくなければ、行かなければいい。
自主性まかせ。
行かないと、あちらのご近所や親戚の目がうるさいだろうということは、安易に想像できる。
行ったら行ったで、良い嫁ぶりっこして、と、点数稼いでいると思われるかも知れない。
転入して、最初、何もない時にいろいろ用意したのは、夫とわたし。
その後、義姉や、私費ヘルパーさんが、あれこれ姑の要望を満たしてくれているようだ。
行くと、いろんなモノが増えている。
モノや日常が充実し始めると、最初にわたしが、とりあえず持って行ったモノが、不必要になる。
「これ、要らんから持ってかえって」と、言われる。
最初のころ、わたしが用意したセロハンテープが自分で切れず、困っていたため、姑ご愛用の大きな重いセロハンテープ・カッターを持って行った、それだ。
が、部屋には、小さなカッター付ミニ・セロハンテープが4個も5個も、ごろごろある。
そりゃあ、そんなにあれば、もう要らないだろう。
しかし、何個いるのだ? セロハンテープ。
だれかに頼んで調達したのだろう。
室内ミニ洗濯物干しなども、「こんなもの、要らない」と突き返された。
人によって、要るモノと要らないモノは違うから、まあしかたない。
手鏡がほしいと言うので、手鏡を持って行った。
すると、大小、いろんな形の手鏡が何個も調達されていた。
3人に頼んだのだろう。
そのうちの一人、私費ヘルパーさんは、何度も買い直していた。
「これは、小さすぎる」「それは、不便」「あれは、重い」・・・買ってきても買ってきても、姑のニーズや好みと微妙にずれるモノなのだろう。
当然ながら購入済みなので返品されずに、部屋にたまる。
そういうものが、鏡だけではなく、いろんな生活用品に及んでいる。
洋服も(わたしが買ってきた)ハンガーに、ずらりと掛けられて、並んでいた。
そういった単純明快な生活品だけではなく、わたしに見られたくないだろうと思われるモノも発見したりする。
あれ? これは・・・?
それらを発見すると、嫌な気になるので、見て見ぬふりをして、わたしは調達係から降りる。
姑だって、プライバシーがある。見られたくないだろう。
で、義姉や、私費ヘルパーさんに、おまかせすることにした。
姑は、お金も、計算できなくなってきているが、夫は別にいいといってお金を持たせる。
私費ヘルパーさんに、お金のことで探りを入れてみたら無視されたので、追求せずに、これまた降りることにした。
嫁というものは、お金でなんでも言うことを聞いてくれるビジネス・イエスマンとは違い、けっこう、うっとうしいものだったりするだろうと推測する。
とかなんとか、もうすぐ、行くとしたら、出かける時間が迫る。
また悩む。
行こうか、行くまいか。
実母のところには毎週、行っている。
「来て、来て」としょっちゅう電話がかかってくるせいでもあるが。
だからといって、無理して嫌々行っているわけではない。
行ったことを忘れられても、べつにそれでもいい。
自分が行きたいから、行っているのだ。
実母はわたしの顔を見ると、とても喜んでくれる。
わたしも実母の元気な顔を見ると、うれしい。
ただ、それだけのことだ。
が、実母が最も顔を出してほしいと願う兄は、最初、入ったときに一度、行ったきり。
わたしの夫は、一度たりとも行っていない。(実母は、来てほしいとも言わないし)
わたしの家族は誰一人として、実母のところに行ったことがない。
だからといって、強制的に、あるいは義理立てて行く必要もないし、行ってほしいとも思わない。
なので、いいのかなあ・・・と。
血縁であろうがなかろうが、行きたい人が行けばいいのかと。
薄情な嫁と思われているだろう。
絶対に、評判は悪いと思われる。
自分の胸のなか、自分のこころの声を聞く時間。
今日もまた、制限時間が迫ってきている。
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