自分で、自分の過去の記事を読んで、癒された。
ジャンルは、「展覧」と「思い出」。
今では、もう書かない、いや、書けないだろう。
特に「展覧」は、最近、あまり行かないし、感動しても、ブログに書かない。
ブログに書こうと思うと、名前や事実を間違わないないように、ちゃんときっちり調べなくてはならない。
感性だけで書くわけにはいかない。
なので、そういうプラスアルファの余分なエネルギーが、ここのところ激減している。
自分だけ楽しめたらよい。その場だけで、昇華。
そう思うに至った経過としては、
人に知らせようと頑張ったところで、さして読んでくださる人も減少したので、
ブログに対するモチベーションが、すっかりなくなっている。
何年か前は、一生懸命、熱心に書いている。
自分でも、あのころは、力が入っていたなあと、懐かしいぐらいだ。
なにを伝えようとしていたのか。
今、思えば、記事の内容はさておき、自分という人間を第三者に知ってほしかったのだろう。
自分は、受け入れられたのか、受け入れられていないのか。
コメントは、ごく稀にいただくが、コメントが無いほうが、私としては安らかな気持ちだ。
わたしの毒舌に反応され、「コメント=苦情」といった構図が出来上がりつつあるので。
読んでくださる人数は、減ったものの、だからといって、わたしは、わたしであって、中身は変わっていない。
郷里の田舎で幼い頃、育ち、幼稚園からは、街と田舎で同時に暮らし、
二極分裂、同時進行の基礎がそこにある、と、自分で分析している。
田舎と街。
ガチガチに古い慣習と、流動性のある住民による、合理的な暮らし。
田舎は人が少なく、人の出入りがほとんどないので、競争が少ない。
よほどのことがない限り、どのイエも、アップダウンがなく、同じレベルで推移。
街は、一発屋あり、成金あり。
失敗しても、住まいを移すので、いつまでも人々の生活には影響しない。
街には、多くの人々が集まり、特に子供の教育は、理念が反映されている。
わたしは、田舎で、のほほんと育って、周りには競争している人など見当たらなかった。
ほんの幼い幼稚園の時代から、急流の中に投げ込まれた格好となってしまった。
井の中の蛙に、なる機会もなかった。
田舎では、誰も競争しないので、レース自体が存在しなかった。
街の学校では、ぼーっとしていたら、
あなた、別のコースのほうが向いていますよ、と肩たたきをされる生徒もいた。
自分の能力だけが明白な判断基準の、競争社会への参加を余儀なくされた。
これは、けっこうキツイものがある。
なぜなら、金持ちであろうがなかろうが、親の威光も効かない、
ルックスが良かろうが悪かろうが関係ない、口が上手かろうが、愛嬌があろうが、関係ない。
皆、同じ条件で一斉にスタートラインに立たされ、結果を競う。
能力があるからといって、何もしないでいると、頑張り屋さんが、すごい顔をして追い抜きにかかる。
学業が最も苦手はわたしは、そりゃあ地獄のようなレースだった。
いちばんビリでも、持ち前の、厚顔無恥な雑草根性で、最終列の最終位置で、かろうじて着いていった。
後ろは、絶壁、谷底に落ちるのみ。
傍らで、社長令嬢や、深窓の令嬢の美少女たちが、コースを変えていった。
彼女たちは、その後、令嬢コース一本を歩むことになる。
ファッションや美容には敏感で、お勉強よりも、男性をゲットする術を磨く。
(もちろん、全てを備えた、文武両道、才色兼備の人もいる)
ああ、わたしと言えば、勉強はビリ、でも、コース変更宣告はされず、ビリのまま進む、
過酷なコース。
学校では先生に怒られ、家では親に怒られ、
かくして、二極分離の、美魔女嫌いの人間の原型が生まれた。
いっそ、トップをひた走り、先生の取り巻き連中のように優秀であれば、勉強コースは順風満帆であるが、
ビリで、でも、女子力磨きコースにも入れない、中途半端なわたしは、これは、ヒネくれるしかないのであった。
クラスメートたちの多くは、優秀難関校に進学し、社会では当然バリバリ活躍した。
そういう人たちに会いたいという思いもあり、同窓会にも、ほいほい行った。
自分は・・・といえば、自分が自分のためにだけ、好きでやっている仕事と、
家庭の両立に、寝るヒマも惜しみ、頑張っていた。
家族には迷惑をかけたが、
結果的には、子供たちに十分、手をかけることができず(サボりなので、たとえ暇でも手を掛けないと思うが)、
各自の自立を促すことになった。
同窓会には、わたしのような人も何人か参加していた。
社会では、まったく認められていないけれど、自分が好きでしている仕事や、活動を熱く語っていた。
社会からは、評価されていないが、自己満足の世界である。
あの人、自分では気づいていないけれど、わたしと同じ穴の狢(むじな)だと思った。
わたしには、痛く感じられた。
当然、そんな失礼なことは、ご本人には言わないが。
ひょっとして、こころの中で思っている人もいるかも知れない。
「で、それでギャラは、いったいいくらなの?」
あの時、社長令嬢たちと、女子力コースに行っていても、結局、またどこかで同じような道を進んでいるように思う。
というか、人生のある根幹部分で、女子力コースを選んでしまっている。
わたしは、時代としては最後の「女子コース優遇枠」かも知れない。
時代の先端ならぬ、最後方である。
今の女性たちには、自分の方法は通じない。
わたしは、相当、甘い。
甘くて甘くて、恥ずかしい。
あと数年すると、同級生たちも、リタイアするだろう。
天下りや、再就職した人は別として、それ以外の人は、肩書きは、ナシ。
学力コースを降り、卒業することになるのだろうけれど、現役の仕事内容によって、
リタイア後の生活に差が出てくる。
大手企業に勤めていた人や、そうでない人など、退職金や、貯蓄額に違いがあることだろう。
肩書きはリセットされても、過去の実績が、老後の暮らしに大いに影響があるように思う。
頑張っていたのに、倒産したり、リストラされたりした人もいるだろうから、一概に言えないが。
・・・で・・・
自分に関して言えば、
レースから降りて、もとの田舎回帰に向かうのではないかと、今後を予測している。
ただし、配偶者を引き連れて、故郷にUターンなんてことは、絶対にない。
もっともっと80歳を軽く越える頃になると、また展望は変わっていると予想している。
その頃は、遠くから孫子の成長を楽しみにしつつ、
コンパクトで合理的で快適な空間で、ひっそり、ちんまり暮らしていることだろう。
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「ばーちゃんと呼ばないで」というブログでも書いているかも知れない。