蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

熱い想い・・・?

2014-07-31 | ブログ

製本は、自分のためだけの1部のみ。

そして、日本でなくても、インターネットさえつながれば、寝たきりであっても(いろんなツールを使えば)
できます。

ただし、これは、わたしのブログがgooのブログで、製本化できる会社?と提携しているから、可能になった。
しかもユーザーがブログを使用するのにあたり、無料コースでは、このサービスとは連携していなくて、
毎月、いくらか(200円ぐらい?)の有料のコースに切り替えて、はじめて出来るようになった、というわけだ。

このコースに切り替えても、最初の一ヶ月は無料なので、今月中に製本化をしてしまえば、
無料のまま、ブログを去ることが出来る、と目論んだ。

ところが、一ヶ月でデータ化は今年2月分まで済んだものの、
かなりの量になると、製本金額がとてもお高い。
なので、すべての記事を製本するのはあきらめようとしている。

カテゴリー分けして、たとえば、「旅」だけ製本するとか、
最初の3年間だけ、製本するとか。
そうしないと、本は、やたら、かさばるし、費用は、当初の予算とはありえないぐらい大幅増額になるし・・・
・・・で、目下、思案中。
そうこうしていると無料期間の1ヶ月を今日で過ぎてしまう。

やはり、最初のヨミ通りのことになった。

・・・

ブログ終了の時間待ちをしている間に、これまでのことをいろいろ思い出す。
書いてある内容はともかく、
ちょっと自分の感覚、ニュアンス、フィーリング、テイストが変わったような気がする。

だが、書き続けることは、やめない。

他の人の壮絶な人生模様を読んだりすると、なかなかのもの・・・である。
今のわたしは、日常に振り回されるだけのことであって、
思いつめることや、不条理に対して訴えること、追求することがないようで、
気の抜けたサイダーである。

が、わたしは、内省するあまり、無意識に人を傷つけている場合がある。
せっかく自己満足して幸せをかみ締めている人に対して、眠っている子を起こすようなことをしている。

啓蒙啓発したところで、かえって、よけいに不幸を招くことがある。
知らないほうが幸せなことは、世の中には山のようにある。

ある人に、それを指摘された。
ほっておいてくれ、ということだろう。

なにも、その人のことを指摘しているわけではなくても、その人にとっては、不愉快なのだろう。
「あなたのカツラ、ちょっとズレてますよ」
と、お知らせするのは、いかがなるものか、と。
見て見ぬ振りをする寛容さ、やさしさ、懐の大きさが必要かと。

理想と現実は違って当たり前。
なにも出来ない人に向って、
「いっしょに夕日の浜辺を駆けましょう、」と熱く叫んでも、鬱陶しがられるだけだ。

そっとしておいてくれ。
ほじくりださないで。
眠った子を起こして、哀しい目をさせてやるな。

そういうことは、世の中、たくさんある。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ


シンデレラ・ストーリー

2014-07-24 | 人生

20代後半のシングルマザー。とうぜん、子持ちバツ1。
うんと年上の、うんとお金持ちと、結婚相談所で知り合って1ヵ月後に、結婚が決まった。

最初のプレゼントは、イタリア製の高級車。
結婚式は、天皇陛下がお泊りになったという由緒ある高級ホテル。
母屋のリフォームは、新妻が好きなようにしていい、という前提。

仲人さんは、自分の手柄とばかりに喜んでいる。
男性は、お金持ちなだんだろうけれど、明らかにアンバランス感をお金と年齢で交換している。

日本女性では、たんにお金ごときでは、引寄せられない。
東南アジアの女性と結婚し(家族・親戚まるごと面倒見て)、
定年後の第二の人生を謳歌する男性をちらほら耳にする。

でも、若い日本女性がいい。子供も日本人の子供が欲しい。
となると、バツ1でもいい。
妊娠・出産能力があることが保証されている。
バリバリシングルでは、とうてい釣り合わない。
なので、バツ1。かたや、相手は、年配でお金持ち。

こっちは、あれを足して、これを引いて、あっちはあれが無い分、これを追加して、
これで、どうにかバランスが取れた格好か。

お金で若さを買った。
(でも、コブつきという悪条件を呑まないと、若さが買えない)
そういう図。

このストーリー。
わたしは、シンデレラだとは思わない。
ほんとうのシンデレラのお話も、あれは、シンデレラ・ストーリーではない。
なぜなら、結婚がハッピーエンドだなんて・・・
これは、童話でのお話である。

グレース王妃は?

結婚は、試練のスタートである。
そのおめでたき良き日から、険しいイバラの道は始まる。
「シンデレラ・ストーリー」というマヤカシ餌タイトルをつけないと、だれが結婚なんぞする?!
毒をかくして、生クリームをぬりたくる。

母屋の改造・・・
ということは、母屋以外に、親の住む何かや、親戚がうじゃうじゃする、なにかがあると思われる。
天涯孤独で、親兄弟もいない、お金持ちは(一般的には)ありえない。
一代で財を成したとすると・・・成金のおじいちゃんといっしょに生活?
(とっさに、よぼよぼカト茶を連想した)
数年後、子供たちが小学校に上がる頃、介護要員に組み入れられることだろう。
それも、結婚相手の親の。
親がすむと、今度は、夫。

お金持ちだとしても、即座に、ぽいっと介護施設に放り込むわけにはいかない。

自分が若いと、老化の現実や悲しみ、辛さが、ぴんと来ない。
同世代の配偶者なら、おたがいの年齢に共通した痛みがわかる。

若さはお金では買えない、というが、お金で買ったようなものか。

そんなにお金、お金と騒がないでください。
純粋に愛で結ばれたのですから(出会って一ヶ月で)

そう、当人はおっしゃるかも知れない。

お金の面ばかりを仲人が騒ぐものだから、つい、過激に反応してしまう。
最初から用意された甘い蜜には、要注意。
平等な自由を奪われ、権利を奪われる可能性がある。
自分たちで勝ち取ったものに対しては、そうでもないだろうけれど。

親・きょうだい・親戚がいる。
無視するにも、・・・・???いろいろあることだろう・・・。
後に、莫大な遺産を残して死別?
それが待ちきれなければ、養育費をもらって離婚?
(離婚したがる若い妻のほうが、慰謝料、親権の面で、不利になりそう)


若い卵子から生まれる、日本女性を母親とする子供が欲しい場合、高級外車やらなんやらで、
即効攻撃は、意外と良かったかも知れない。
自分の子供、イエのお世継ぎを残す最後の賭けに出たと思われる。
ラスト・チャンス。

(昔、取引先のバツなし中年男性が、
ババ付きで、お金持ちではないが、イケメンを武器に、似たような逆玉作戦の追い込みの賭けに出ていた)

やはり仲人さんが、自画自賛するだけあって、これは良縁なのか・・・も知れない・・・。

が、結婚は、自然なバランスがいいなあ・・・と、なんとなく思った。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ


焼き具合

2014-07-23 | ブログ

焼き場の、骨の焼き加減、焼き具合が気になる方がおられるようだ。
それも、少数ではなく。

こんがり・・・ではありません。

かりっと、でもありません。

ぱさぱさ・・・でもないでしょう。

じゃあ、どんなかんじ?

火葬場、
時間が遅れていて、順々に待ち時間が長引いていて後ろ倒しのようで、
なかなか順番が回ってこないようす。

とりあえず、のんびりいこう。

もう離れていった人は、戻って来ないのだし。
今は、火葬場に立ち寄る、好奇心の人々ばかり。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ

 


時間待ち

2014-07-22 | ブログ

製本データ作成中の間に、ちょろちょろ時間待ち。
火葬場の焼き上がり予定時間まで時間をつぶしているかのごとく。

気持ちは、死んでいるが、なぜか、肉体はまだ傷んでいない。

なにかを書きたい衝動に駆られる。
でも、製本化が完成したら、しばらくお休み期間を設ける予定。
7年間続けてきた、等身大のメインのブログなので、ちょっと自分ではセンチな気分。

お休み中に書きたくなったら?
また、どこかに書こう。
ここに書くかも知れない。

いっつも、いっつも、だらだら更新してたりして。

あれ? 骨になって灰になったんじゃなかったの?
スローさん?

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ


総集編~自分の毒にやられた

2014-07-19 | ブログ

製本にあたり、データ化調整に取り組んでいる。
(自分のためだけに、1部だけ製本)
公開されたブログ記事に並び、「ボツ」というタイトルをつけられた非公開の記事もある。

公開された記事と、途中までは同じ。
途中から、自主規制で、毒吐き内容を削除してアップしていた。
削除された内容が、後半に消されずにくっついているのが、「ボツ」のほう。

その毒吐きの部分を読んで、自分の毒にやられた。
解毒剤は、なさそう。
非常に内臓が七転八倒して苦しんでいる。

唯一の救いは、その記事をアップしていないこと。
さすがに自分でも気が引けたのだろう、

5年前の自分の悩みは、よく覚えているが、それをどうにか通過して今日がある。
自分なりの対決、決闘が行われた。
ちょっと懐かしいような気さえする、自分の毒である。
が、その毒は強烈で、まだまだ強く、けっこうあとをひく。
わたしって、一見、ふんわり優しそうだけど、内面は、えげつない人物なんだ~と自分で再認識した。
自分の毒に自分がやられるぐらいだから、相当だ。

容赦なく自他ともに、切り落す。一刀両断。
非情とも思えるクールさで、斬って捨てる。

優柔不断だと自覚していたが、一旦、覚悟を決めると、あとは流れが速いように思う。

熱い血も流れているのだが、ラテン系の陽気なノリノリではなく、
斬ってみたら、熱い血が、どくっどくっと流れていた、みたいなかんじ。

一日も早く、製本化作業が終わることを、ますます真剣に願うようになった。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ

 


総集編~嫌味の塩漬け

2014-07-16 | ブログ

蝶ブログの最初のあたりを、ただいま、製本化、準備中である。
なんと、鼻持ちならないことばかり表現していると、わが目を疑う。
自分でも目を背けそうになった。

そりゃあ、あんな内容なら、元同級生は、嫌になって読まないはずだ。

ほとんど、自慢。
しかも、まあ、たらたらと。行間から、あふれ、滴りこぼれている。
嫌味ったらしいこと、嫌味ったらしいこと。
もっと書きようもあるだろうに。
しかし、当時は、まるまるそう思って、茶化しもせず、まじめに書いている。
そのまじめっぷりが、意識なき浅はかな愚かさを増大させている。
(とはいえ、書いていることは、今日や昨日と大差はない)

あれで、閲覧数がある程度あるとすると、たいした驚き、びっくりものだが、
(証拠はないが、おそらく、一桁ぐらいではないかと推測する・・・)
閲覧数に関しては、安心することに、心臓に悪くないことになっている。
というのは、当初、閲覧数には目もくれず、まったくデータが残っていない。
閲覧数自体、存在するということを知らなかったのではないかという疑惑さえ浮かんできた。
閲覧数をチェックし始めたのは、ブログ開始2年後ぐらいからのようだ。

ブログをアップしていて、2年間も閲覧数をチェックしないというのも、すごいことだ。
完全に、完璧に、書くだけの世界にどっぷり浸かって、自己陶酔しきっている自分がいる。
我ながら、おそろしくて、固唾をのむ。

こうなれば、一日もはやく製本を完結して、はやくブログを消滅させねば。

いやはや、赤面というよりは・・・なんですかね・・・表現する言葉すら見当たらない。

そうこうして、徐々に自分のアク抜きをしていったのだろう。
わたしにとって、アク抜きは、不満や愚痴ではなく、自慢だったようだ。
ああ・・・なんという・・・。
(しかしながら、自慢は根強くベースにあり、それをあえて表現するか、しないか、であり、
本質は変わっていない)

上澄み液を捨てていって、さあ、自分のこころの深部、底にはなにがあるのか?
それが見えてくるには、やはり時間がかかるようだ。

自分と向かい合うには、書いて書いて書いて、アタマとこころの整理が必要だと想像する。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ


夏の設い

2014-07-15 | 暮らし

ちょっと、このごろ。。。。
製本化を、早くもあきらめかけている(でも、まだあきらめきっていない)が、
わたしのブログをお読みいただく方々のボリューム(閲覧数)が、スリム化シェイプアップされ、
気分も新たになっている。

ちょっと清清しいというか、散髪して、長い髪をばっさり切ったあとのよう。
(別に失恋気分を味わっているわけではないが)

でも、想いとは裏腹に、内容は、いつもどおり。
そこのところが、解せない、というか、ラベルだけ張り替えても中身が同じという、マンネリ商品のごとく。

ほんとうは、もっとスパッと変えるといいのだろうけれど。
たとえば、gooではないブログにチェンジし、タイトルもハンドルネームも、テンプレートも一新、
文体も、ついでに、本人設定も、ごろっと。
せめて、タイトルとテンプレートを変えるだけでも、マイナーチェンジにはなるだろうけれど。

またそのうちに・・・。
実際にするか、しないかは、別として・・・。

・・・

実家で、夏の設いをしてきた。
建具を夏のものに入れ替え、室内に各部屋ごと、御簾(みす/室内用のすだれ)をかける。
あとの掃除は、後日、また別の人々にバトンタッチ。

昔の人々は、あんなに手間隙のかかることをよくやっていたものだ。
一日仕事。
しかも、しまうのにもまた一日仕事。
マンパワーが必要だ。

若い頃は、まったく興味がなかったが、いまの年齢になって、風情を感じはじめている。
それまでは、祖母や母が元気な頃は、黙々と彼女たちが一人でやっていたが、
わたしたちは、気にも留めなかった。
母の指導のもと、実際にやってみると、けっこう大変である。

日本家屋の美しさを感じる年齢になってきたのか。
西洋かぶれ、という言葉は我々世代には似つかわしくない。
なぜなら、洋風スタイルは、日常の一こまであったから。
かぶれているのではない。定着している。

自分の家は、和洋折衷にした。
意外に便利である。
一見、純和風の容貌を持つわたし、中身はぜんぜん違うと自分では思っているが、
ひょっとすると、自分は、純粋に和風に惹かれるのかも知れない。
和風ではないものを広く知り、和風の良さを改めてまた感じるのか。
(ただし、例外あり。トイレは和式トイレはNG。断然、洋式)

和風だから好き、というわけではないと思う。
和風であろうが、洋風であろうが、アジアン・ティストであろうが、アフリカン・ティストであろうが、
自分の好きなものは、好きである。
お寿司もハンバーグもシューマイも好き。

人に関しても、最近は若い頃に比べ、あまり先入観、思い込みはないように思う。
柔軟。
アタマから好き嫌いをするよりも、じっと長く辛抱強く取り組んでいると、別の発見がある。
そのほうが、楽しみが広がっていい。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ

 

 


ひと目を気にせず、っぽい。

2014-07-14 | ブログ

ブログの書籍化は、膨大な記事量があるため、すでにもう、腰が引けている。
その作業量の多いこと。
最初の頃だけにしようかしらん・・・なんて、思ったり。

あんな大量の紙(製本)を我が家に保管するなんて。。。自分でも、へきへき、かも。
やっぱり、バックアップするのは電子版のほうがいいかも知れない。

最初の頃は、写真や絵の著作権についてよく知らないで、アップしていたが、
途中からは、一切をオリジナルに切り替えている。

ここ数年は、写真はほとんどなし。
疲れてるというか、馴れが生じ、面倒になっているのだろう。
人々にアピールする姿勢がなくなっていると思われる。

はじめは、しっかり外出着に着替えてストッキングも、ちゃんと履いていたが、
そのうち、普段着、短パンにTシャツで、うろうろしているようなものだ。

気合の入れ方も、ぜんぜん違う。
肩に力が入り、意気込んでいるっぽい。
筆にたっぷり墨をつけて真っ白い半紙に、文字を書くがごとく。
ぷーんとした墨の匂いがしそうだ。

いま思えば、若い、懐かしい自分がいる。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ

 

 


離れていった、人々のこころ。

2014-07-13 | ブログ

ここ最近、突然といっていいタイミングで、ある時期から閲覧数がどんと減り、復活ならず。
理由は、自分では分析できない。

おそらく、同じことの繰り返しで、あきあき、へきへきされたのだろう。
脳が萎縮し、自分では同じことを書いていることに気がついていないのだろう。
書きながら、あれ?これって、前に書いたような・・・そう感じたりするものに関しては、
たぶん、4,5回は書いているのではなかろうか。

ある程度の人数の方々は、「わたし」という人物に飽きたと思われる。

・・・

わたし自身は、自分に飽きることはなく(当然ですが)、いつもどおりの究極のワンパターンを
なにくわぬ顔で涼しく、繰り返し、行っている。

「ブログ、止める、止めると言って、ちっとも止めないね」
と、先日、リアル人に面と向かって言われた。
「面白いのに」とも。

そりゃあ、リアル人にとっては面白いと思う。
が・・・じつのところ、わたしは、リアル人に対してブログを書いているわけではないので。
(むしろ、読んでいただきたくない)
一番は、自分。
二番は、不特定な、不安定な、目に見えない、実態をつかみにくいネットの向こう側の方々。
三番目には、「あの子、この頃どうしてるんだろ、読んでみようか」、という好奇心にみちみちあふれた、
わたしをよくご存知のリアル人。


じつは、7月からgooブログの使用料を無料版から有料版に切り替えた。
といっても、最初の1ヶ月は無料なのだが、来月から課金される。
どケチのわたしが、有料にした理由は、
ブログを紙にプリントアウトして保存しておきたいという強い想いから。
他の会社の製本サービスをあれこれ調べてみたが、gooの書籍化サービスを利用することにした。

今月中なら、gooブログの使用料が無料のまま、製本化できるかも知れない。(できないかも?)
が、おそらく、(気が緩んで)それは無理で、8月になり有料になってしまうだろう。
となると、いったん、課金されはじめたら、いつでもいいや、となって、また製本化が遅れるに違いない。

「製本化は面倒ですよ」、とアドバイスいただいたが、製本化にちょっと本気モードになってきた。

ただ、多忙につき、時間がとれないので、またまた後ろ倒しになり、「いつまでも製本化しないのね」と、
リアル人、および、リアル人ではない方々に、言われそうだ。

製本化した後のことは、またその場で考えようと思っている。
いつまでも、あきあきした自分を皆さんにブログで、さらしても、一番の読者であるわたし自身が、あまり気持ちよく感じない。

とかなんとか、どうなりますことやら。

自分のひとつの区切り、けじめが付くのか・・・???

 
バックアップだけにとどまるかも???

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ


 


ひと喜び

2014-07-12 | 日々のこと

今日は週末、ウィークエンドなので、ソプラノ歌手も休業のようだ。
今朝は、静か。

だが、後ろのお宅の雑草が、すごくなってきている。
つるべ取られて、もらい水、というわけではないが、物干し竿に、つるべが巻きつく。
ほっておくと、洗濯物が干せなくなってくる。

例年、この季節になると、つるべの先っちょを、境界にあるフェンスに巻きつけておく。
自分の尻尾をくわえようと、尻尾めがけて、ぐるぐる回る犬のように、
そのうち、つるに、つるがからみつく。

後ろのお宅、はやく、雑草、刈ったほうがいいですよ~。けっこう、伸び放題。
一挙に一気にやろうという算段かも知れないが。

もし、後ろのお宅が家を売却するか、新築するかで、家の位置が変わったら、
うちの洗濯物干しスペースや、庭や居間などの環境が、がらりと変わる。
うちに面している境界部分は、以前、おじいさんの部屋だったようすだが、おじいさんも、ずいぶん前に亡くなり、
あの草ぼうぼう状態を見ると、今は、おそらく物置か何かになっているのだろう。


近隣の住宅事情で、こちらの住まいも一変する。
そのあたりが、家が密集して建っている地域のこわいところである。

今のところ、我々がこの地に越して来て以来、どこの家も住人に変化がない。
トラブルもない。
子供さんが、所帯を持って孫が増え、二世帯住宅になったりする家もある。

マンションだと、30年近く住んでいると、けっこう入れ替わりがあるようだ。
マンションでも、立地の良いところは、古くても今も人気で、
リタイア後、また新たにリフォームしたりして生活を楽しんでおられる人もいる。

といっても、そんな余裕のない人も当然、多い。
いかにして、限られた状況のなかで、生活を楽しむか、である。

趣味仲間で、どう考えても、金銭的ゆとりがないと思われる人がいるのだが、
とてもお金に窮しているようには見えず、
涼しい顔をして、優雅に、自分の時間を楽しみ、生きがいをもって前向きに生きておられる。
どこにお金をかけるか、だろう。

最低必要限度の支出。
何費に、いくらかけるか。
その費用さえ捻出できれば、あとは、どうにかなるようだ。
だが、急な支出の事態に出くわすと、とたんに、趣味の会に顔を出す機会が減る。
医療費が必要な時期は、健康も失い、お金も失い、同時パンチで、趣味どころではない。

「あの人、見かけないね」「病気らしい」
「あの人、どうしたのかな」「亡くなったらしい」

そうやって、一人消え、二人消え、やがて自分も消えていく。

出来る間に、やりたいことをやっておかないと、という気持ちになる。
「介護で」「孫の子守で」なんて言っているうちは、まだマシだ。
が、お役目も終わり、いざ、自分が楽しむ順番が来たと思ったら、こんどは自分が病気になったりする。

いかに振り回されずに、自分の時間を楽しむか、ということになるが、
なかなか計画通りにはいかない。
隙間を縫って、カーチェイスのように、ひょいひょいと車線変更したりして、臨機応変にコース変更したり、
時には、ががーんと衝突事故があったり。

自分の時間とお金と健康を見ながら、同時に、家族の介護や子育て支援に組み入れられる状態。
スケジュール調整は、突然それぞれの容態が変わったりするので、なかなか固定できない。

独り身の人は、シンプルでいいが、厳しい自己管理が必要となる。
肉体面だけでなく、精神面でも。

どっちにしても、綱渡り。

限りある時間、健康、お金をいかに有効に使うか。
そればかりを真剣に考えすぎて、ストレスを溜めたりすると、本末転倒。
健康オタクみたいなもの。

なので、なるように、なる、とういうことで、
台風が去れば、ひと喜び。
一日の終わりに、おいしいビールが飲めたら、ひと喜び。
ちょっとずつ、小分けにして、喜びをかみ締めるのがよろしいかと。

わたしの場合、ブログ記事をアップすると、ひと喜び。
(止めるんじゃなかったの?)

めでたし、めでたし。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ