老後住宅、あれこれ想像すると楽しい。
終活のために、家の庭を草木を全部抜いてセメント?で流し固めて駐車場の地面のようにした人がいる。
後の人、子供たちに負担がかからないように、だそうだ。
奥さんは草むしりから解放され、喜んでおられるとか。
立派な庭が殺風景な無機質セメント敷きになっていた。
色んな人がいる。
老いてくると、趣味すら面倒になってくるようだ。
気力、やる気の減退は、老いだろう。
実家の場合、庭は簡単には処分できない。
家も売却したらいかが?と他人さんがアドバイスしてくれるが、誰が買う?
貨幣価値には置き換えられない。
市場価値もない。
売らないなら、寄付、寄贈すれば?
それも選択肢の一つである。
が、寄贈された側は持て余す。
維持費がかかる。
更地にしたところで有効な利用目的はないと思われる。
他人の土地を最近買ったものなら直ぐにサヨナラできるが、代々住み、受け継がれてきた地。
災害やダム建設でもない限り、そこから出て行き、移り住むことはない。
限界集落になり、打ち捨てるということもない。
気候はそう厳しくもなく、引っ越して出て行く人もあまりいない。
しかし、閉鎖的になる。
自分の生まれ育った小さな村以外に何も知らない少女は幸せか?
なんとも言えない。
世界中を回って、結局故郷で生涯を閉じることもある。
晩年、望郷の念に駆られることはよく聞く。
夢を見て故郷を後にし、最後はまた故郷へ。
流浪の場合もある。
根が切れて根無し草に。
どこかにたどり着き、そこが終の住処になることもある。
ちなみに、故郷に錦を飾る、この感覚は今はあるのだろうか?
やる気モチベーションの元にするのか。
現状を打破したい思いは、向上心がある場合と、不満がある場合に分かれると思う。
不満もないが向上心もない場合は、たんなる保守。
温暖な地域では偉人は輩出されない傾向にあると言われる。
何も特別なことを目指さなくても、毎日満足して暮らすのは、悪くないとわたしは思う。
そうやって、不満もなく代々受け継がれて住み続かれた地であれば、愛着も湧く。
特別、偉くもならないけれど。
もし売却するとしたら、老後資金が枯渇した場合かと思う。
それはそれ。
各自、色んな事情を抱える。
子供の転勤に付いて行く親もいる。
子育て支援のために、わざわざ引っ越したりする。
子供は親に子育てを助けてもらって大助かりだが、子育ての目処がついたら、親は用済み。
あとは、厄介者に転落していく。
介護してもらうための保険として、子育て補助をするのは理にかなっているような、でも、なんだかなー、のような。
そんな打算などなく、純粋に愛のために、助け合っていただきたい。
(綺麗事では収まらない事例も世の中には、たくさんある)
持ちつ持たれつではあるが、自立するのが理想。
自分の全てを投げ捨てて協力している人には頭が下がる。
自分の老後設計まで切り崩して子供に尽くす、、、。
しかし、あとは、大丈夫?
価値観は時代とともに変わる。
柔軟に対応して自分の落ち着く先を見極めたい。