蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

秋晴れ妄想付きウォーキング

2022-11-28 | 健康
電鉄会社が主催するウォーキングに参加した。
実質的には各同好会「歩く会」がやっている。
参加費500円。(保険料込み)
他にもウォーキング会は、いろんなところが主催している。
気候の良い時期、地域の空気を吸い込み、喉や皮膚から体感して、季節感を味わうには、ぜひおすすめ。
毎週参加しても1ヶ月で2000円。
集合場所までの往復交通費はかかるが。

そこで、ウォーキングには休憩を兼ねて昼食タイムがある。
手持ち、自前のお弁当を広げる。
わたしは、コンビニのオニギリ、他。
公園の大きな石に座ってモグモグ。

そのコンビニ弁当は、キンパ(韓国風海苔巻き寿司)にした。
ミニサイズで食べやすい。
小さなかわいい大きさの丸いプラスチック容器に入っている。
隣に座っているのはガタイの大きな初老男性。
まあ、同年代なんだが、初老なんて書くと、「老人と海」を連想する。

それは置いておいて。
わたしのアタマの中ではストーリーが始まる。
わたしは若くして故郷を離れ、隣国、日本で暮らす女性。
日本で知り合った男性と結婚したが離婚し、今は1人もの。
かつての夫は、付き合い始めた頃は優しく頼もしい人だった。
ハイキングにも一緒に行った。
仲良くお弁当も食べた。
ミカンも1つを2人で仲良く分けて、はい、どうぞ。
似たような境遇で哀しい過去を背負う2人だったが、温もりを感じ合い、助け合い、将来に夢を託した。
あの頃は、何も贅沢は出来なかったけれど幸せだった。
・・・・・

なんて感じで、勝手に話がアタマの中で展開して行く。
護摩の匂いに刺激を受けるキンパのせいか。
(昔昔、ドキュメント記事とか読みすぎたかと)

昼食タイムが終了すると、今度はトイレ待ち長蛇の列。
空想話はチェンジして現実へ。
女性用は1つしかトイレがないのに、1人長いトイレタイムの人がいて、皆さん、うんざり。
こういう時は、お互いに困る。
だから、健康に不安がない参加出来る間に参加したほうが良い。

皆さんと団体行動に自信がない場合は、個人で行くか、友達と行くか、である。
が、気を使うなら1人が良い?
が、1人ならたぶん行かないだろう。
よほどスキルを極めたら別だが。

秋晴れ、紅葉を楽しむ、最高の季節は、ぜひぜひ、TVライブではなくホンモノに触れてみられては。(おすすめモード)

ちなみに、帰りに大阪地下鉄3駅間ウォーキングを追加して、万歩計は25492歩をカウントした。



出来る人、出来ない人

2022-11-25 | 
読む人によっては著しく臭う話を書く。

わたしがなぜ、こうも何もしなくて、何も考えなくて、何も気も回らないで、何も出来なくて、平気でいるか?
この答えがわかった。

一泊二日で夫とミニミニ旅に行った。
コロナ以来、2人では初めてだ。
娘と行くと神経を尖らせて行動しないと、ぼーっとしていたら、「何やってる!!」とお叱りを受ける。
役には立たなくてもいいから、足を引っ張らないように気をつける。
わたしなりに緊張するわけだ。

が、夫と2人だと、、、全くといっていいほど、その面の気遣いは要らない。
それに、夫は家の中に一歩でも入ると電源が突如切れてスイッチオフになり、出るとオンになる人物。
わたしは、日常は家でオフ状態のビクとも動かない夫としか接しない。

しかしながら、、、
つくづく思った。
今回は車で遠距離移動ジャーニーになったせいもあり、夫の運転に全てを委ねる格好になった。
夫はわたしとは正反対で、運動神経抜群で頭脳も超優秀、タフで体力もある。
日頃のオフ状態で、夫のオン機能をまるで忘れ切っていた。
しかもドケチしみったれのわたしとはこれまた正反対で、財布には口がない。
ゆるゆるとか、そういうレベルではない。
お金に執着する概念そのものがない。
この夫が仮に、再婚するかも知れない候補者だとすると、絶対に推し!間違いない。
今、交際している人だという新たな切り口でこの人物を見たら、素晴らしいハイスペックだった。
しかも優しい。
これは結婚以来ずっと同じ。
ただ、ほぼほぼオフの状態でしか接していないので、接する面がまるで違っていた。
全く動かない、家事など絶対にしない、ほぼほぼ粗大ゴミ状態のオフと、本来の備わっている機能をフル回転させた時は、別人である。
たまには、別人の面に接しないと忘れる。

小さな小さな閉ざされた家庭の中では偉そうにしているわたしだが、身体能力、頭脳として機能性は至って低い。
ほぼ全般的に人間の機能としての能力停止状態に陥っているのは、家の外では夫がなんでもかんでもしてくれるからである。
責任転嫁どころか、感謝しなければならない。
気が回る、頭が回る、身体が動く、能力がある夫が、元々真逆のわたしを益々機能低下させている。
わたしはアタマも身体も神経も使わないから、どんどん何もしなくなり、できなくなっている。
退化の一途を辿っている。

趣味分野で出会う人々にビシバシきつい厳しいことを言われるが、当たり前のことを皆さんは言っている。
しかも、能力的には夫はかなり高性能である。脳の出来が違うように思う。
夫は普通のそこらへんの人とは違うなあと今更ながら再認識した。
わたしが何でも許されて何でもしてもらって甘やかされているだけだ。
出来なくて当たり前の人物評価。
(諦められサジを投げられているのだろう)
(出来るくせにしないのは、一番タチが悪く嫌われ、サボり認定を受ける)
そこに厳しい娘に指摘、指導され、わたしは涙がぽろりん出るが、涙を流している場合ではない。
世の中の普通の感覚を呼び戻させ覚醒させてくれている。

わたしは頑張らないせいで必要機能を奪われ、何も出来ないお人形さんになった。
ある意味、兄と似ている。
素晴らしい人に甘えるだけでなく、少しは自分の脳みそを磨かなければならない。
しかし、、、脳みそ磨きは不得意分野だから腰がいたって重い。
せめて(出来て当たり前の優秀で慈悲深い)人に頼る依存性を少しでも軽減するよう努力したい。。。
が、言うだけ、書くだけ、、、か。

で、、、ここからが〆。
歳を取ると機能も衰えていく。
お互い、温かい目で見なければ。
まして高性能の人が以前のように出来なくなった日が来たとしても。



電子マネーは使いにくい

2022-11-22 | 暮らし
働きたくないとストライキを起こす脳と、働け!という脳が格闘し、だいたいマイナポイントの受け取り方や使い方がわかった。
問題は、わたしはその指定の出口(決済)で、たいしてお金を使わないことだ。
近所のパン屋さんでは1週間に300円ぐらいしか使わない。
全く使わない週もある。
だとすると、1か月1200円、1年で14400円。
付与分20000ポイント使おうと思うと、1年半かかる。
しかも、そのパン屋さん以外の店舗で買いたい場合は、付与ポイントを使い切る期日を迎えるのが更に先延ばしになる。
何年も何年もかかるわけだ。
先に自分で現金でチャージしなければならないかんじだし。
コンビニでチャージできるようだが、なんだかなあ、、、。
チャージも面倒、使うのもあまり予定がない、そんな電子ポイント、、、
(チャージしなくても銀行口座から引き落とされるやり方もあるようだが、既にクレジット引き落としに設定している。
さらに、、、また追加、、、なんて、、、イヤ)

銀行や金融機関を経由してワールドプレゼントポイントに換えるというのもあるようだが。
これまた、またワールドポイントか、、、と食傷気味。
現金ではなく、何かに支払うマネーとなっている。
使わなければ、なんの意味もない電子マネー。
モノ、コト、サービス、運賃、交通費、などなど。
唯一、支払いではない使い方をしたければ、人に電子マネーをギフトとしてプレゼントするぐらいか?
人件費として使いたい。
昭和人間は、なんだか疲れる。
気長に近所のパン屋さんに通い、コツコツ使うしかないのか。
(コツコツ貯めるのではなく使うのが、人生計画、生い先短いパターン)
PayPayのQRコードが目に入ると、旅先のお土産物屋さんなどでもサプライズ的に使えることがある。
スーパーの一角のソフトクリーム屋さんで使えたりもする。
処方された薬を受け取る院外薬局で使えることもある。
もともとPayPayは、わたしはクレジット決済にしているのではあるが、チャージ式ではなく使わなければ減らないというものではない。
他の支払いは別のクレジットを優先しているため、PayPayの出番はかなり少ない。
楽天Edyを選択することも出来たが、申請当時はPayPayのほうがまだ身近だったこともあり、PayPayにした。
のではあるが、まだ半年も経っていないのだが、申請時点から行動パターンが変わったのでPayPayの出番がなくなった。

とかなんとか、、、そういうわけで、
国の恩恵を受ける実感はあまりない。
地域商品券(紙)のほうがまだわかりやすい。

マイナンバーカードを作っていない人、マイナポイントに興味のない方、、、
その方々にとっては、全くどうでもよい面白くない、なんの興味もない話題が延々と続いたわけだが、、、
別の話題はまた、別記事で。

もう、うんざり??
まあそう言わず、、、



マイナポイントはマイナスポイント

2022-11-21 | 日々のこと
前回ブログ記事、自慢話、蝶ブログ開設以来、最低閲覧数を誇った。
世の中の(棲息場所、限定とは言え)わかりやすいリアクション。
気を落とすこともなく、何ごともなかったように日常へと移る。

昨日見た林修先生TVインタビュー番組は、女優の戸田恵梨香だった。
面白かった。
彼女の「友達いない(不必要)主義」発言に、林修氏と、TVの向こうのわたしが同時に頷き共鳴した。
なかなか芯がある女優さんだ。34歳。
「わたし、中卒です」とさらりと言っていた。
父親は娘の背中を押してくれたらしい。
しかしすでにその時はもう女優としてのキャリアは始まっていたので、一般人とは少しそこらあたりがニュアンスが違う。

学歴と学力は違う。
「学歴と実力が一致するとは限らない」とわたしが言うと、
「就職採用時の足切りには、学歴は基準になるよ」と、長女。
社会人として経験を積んだ長女の言葉は、わたしのような、アタマの中だけで遊んでいる人間よりリアリティがある。

ちなみに、話は変わるが、今、マイナポイントゲットを巡って、わたしは苦戦している。
夫はクリア。
わたしは、半年?ぐらい前にマイナポイント延長に伴いポイント申請したのだが、手続きは終わったものの、電子ポイントを得て、実際に使う手前で難儀している。
電子ポイントの使い方がわからない。
娘婿にも泣きついたが、軽く(わたしが傷つかないように)逃げられた。
次女に泣きついたら、その反応に、ものすごく傷ついた。
出来ないプロセスばかりをぐだぐだ言われても時間の無駄だ、と。

ん?
これは少し前に趣味関係の人にも同じことを言われた。
出来ない理由ばかりを並べてたてて、一向にやろうとしない、と。
趣味に関しては奮い立って少しは頑張っているのだが、、、
電子ポイントについては、本人なりにあれこれ延々と調べてはいるものの、わからないまま、来月〆切を迎えようとしている。
(マイナポイント自体の〆切はもっと先)

頑張っているのに、わからないのだ、、、
目の奥からじわっと涙が出そうだった。
娘はキツイ。誰よりもキツイ。
先生や上司や先輩や知人、友人、親戚、姑、夫よりも誰よりもキツイ。
「負った子に教えられ」と言うが「負った子に泣かされ」が、実情。
厳しく育てた覚えは全くないのだが、なんであんなに子供たちは、しっかりしていて厳しくキツイのか。
頼りになると喜んでいたら、Uターン地点を過ぎて、しっぺ返し。
当たると痛いブーメラン。

結局、またまた再度泣きついた娘婿が、見るに見かねて動いてくれた。
今、マイナポイントが入る受け皿の電子ポイントは残高ゼロになっている状態なので、とりあえずわたしに電子ポイントを振り込んでくれた。
彼にわたしが現金500円を手渡して、娘婿のスマホアプリからわたしのアプリに500ポイント移行。
500円以内のモノを買うと、使ったポイント分が30日後に後払いされるそうな。
それはわかったが、、、
マイナポイント20000円分ゲットしようと思ったら、また現金20000円を誰かに手渡してアプリ間同士でやり取りしないといけないの???
とりあえずは、500円でトライしてみるが、30日後にしか返って来ない???
パン屋さんで、明日、パンを買ってみて様子を見てみよう。
が、年末締め切り間近。(ここの決済対応が?)

とは言え、、、
マイナポイントをゲットしても、山の中に一人で住んでいたら、どうやって電子ポイントを使うのだろう?
ネットショッピング?
マイナンバーは市役所の人が代わりに手続きしてくれたとしても、マイナポイントの使い方もちゃんと手ほどきしてくれるのだろうか。
そもそもスマホを持ってない人は、どうやってマイナポイントを使う?
市役所に行けば現金化してくれるのだろうか???

国は電子化を進め、さらに経済活性化が目的だから、現金を手渡してタンス預金されたりしたら困るのだろうけれど。

電子に疎いと涙がジワリ、、、の、わたしである。

それにしても男性たちは、優しい。
改めて自分の行動を振り返り自覚する。
出来ないことに対して自己正当化するのにわたしは躍起だ。
これを開き直り、という。
それが更に進行すると逆ギレ、更に更に進むと逆恨み、となる。
最初の入り口あたりで、しくしくめそめそ泣いているわたしは、まだかわいいもの?
たんに弱いだけだが。

愚痴や弱音を綴ると、まあすらすら延々6000文字を超える勢い。
後から後から洪水のように文字群が溢れ流れ出る。
明らかに情熱を向ける方向を間違えている。
逆恨みするよりは、マシだと思っているのだけど。
正にブログは自分を救うと実感する。



さあ、自慢話!

2022-11-19 | わたし
自慢話を書こう!自分の自慢!

先ずは歯。
歯並びはキレイが、色が悪い。
虫歯もいっぱい、抜歯した歯もありブリッジ処置も。
あ、自慢じゃなくなっている。

次。
健康。
ほぼ病気知らずの健康優良体。
一度、体力が低下した時に病気になったが、回復した。
それ以外は、かえって病気を知らないだけに、必要以上に病気を怖がっている。
臆病、怖がりに。
自慢のつもりが、マイナス作用。逆効果。

さらに次。
家族全員、健康体。
夫も子供たちもわたしも学校を休んだことがない。
はい、それで?
それがどうした?の話。

さらにさらに次。
わたしは周りの人々に恵まれている。
これは、それこそ「自分本体そのものではない」見本の自慢。

さて、さて、そろそろ本気で自慢を。
自分の欠点や弱点をどういう風にも捉えられる柔軟性を持っていることか。
楽天家でタフな精神。(自分に良いように考える)
身体はまあまあ健康。
強靭とまではいかないが、普通。
普通であることに喜びを感じるところか。
取りようによれば、痛いと思われることもある。

それと、結果を急がないことか。
結果は後から着いてくると思っている。
もし、着いてこなければ、神様の思し召しなんじゃなかろうか。
どうしても不可能なら、目標を変えたら良いのでは。
客観的にはたいしたことない、どうってことないことでも、自分が満足していたらいいのでは。
自分を満足させるのは、諦めることではない。
納得する。
あらゆる資料、根拠を出して、自分を説得する。
それでもだめなら、信念を貫き通せばよい。
それはそれで立派。
軸は自分。
孤高の変わり者、結構じゃないか。
ヘンコでもよい。

だが、わたしには難点がある。
客観的に冷静に物事を見る目がある。
観察力、洞察力と考察力。
それを自分に向けた場合、辛い。
なので、目の先、方向を「神様」に向ける。
新興宗教ではない。教義を丸呑みする信仰ではない。
大自然の神である。
人は存在しない。教祖もいない。
宇宙の神かも知れない。

ちなみに、今世紀中に宇宙を動かせる?
時間のカウント方法を操作したりする?
宇宙は研究したり理解を深めたり出来ても、意のままに動かせない。
が、意図しないのに地球温暖化などの「現象」が着いてくる。
地球上の人口が半分になれば、温暖化スピードが鈍化する?
わたしが生きている間には目に見える変化は無さそうだ。

とりあえず、孫が生きている間ぐらいの先、この先100年ぐらいを予想して、彼らが幸せな人生を送れるように願う。
あ、その前に、自分の人生が幸せなうちに終わることを願うほうが先か。


今、書きたいことが突如、アタマに浮かんだ。
具体的な人物。
ブログにはあまり書いたことがない。
また、その気になれば書きたい。

こころの傷と向き合う

2022-11-18 | 趣味
過去の嫌な思い出を書き出し、セルフカウンセリングしてます。
傷の修復、再生、自浄に役立つか?
皆さん、ご迷惑だと思うのでスルーしてください。


興味がないことを興味がないと言わなかったわたし。
延々と興味がない、相手の趣味話に付き合っていた。
それはなぜか?

じつのところ、その相手は同じ趣味の人。
だが、共通の趣味のことを語るのではなく、別の趣味のことをその人は話す。
お互いに趣味分野で掘り下げる共通点がなくなった、末期症状の頃。

そもそも、その人は、人を形成する人物像の背景に全く興味がない。
人がどんな風に人生を送ってきたか、全然、ぴくりとも関心がない。
どうでもよい。
自分の人生にもあまり興味がない。
なぜ、そうわたしが言い切るか?

わたしが投げかけた話題には全く関心がない。
世の中のことにはまるで反応しない。
仕事以外の全ての自由時間を趣味に費やしていた。
家でも、家族と食卓を囲んでいる時も。
ずーっとスマホで遊んでいた。
家族も諦めていると思う。
それが、その人のスタイルになり、誰も文句も意見も言わない。
それぞれの家族が好きなように過ごしている。
リビングルームですら、家族は集まらない。
その人が一人で使い、他の家族は寄り付かない。
なるほど、わかる。納得する。

自分は好きなようにしてきたから、他の家族も好きなようにするのはしかたない、と、その人は言う。
これからも干渉も束縛もない家族。
だが、家族間にはその影響なのかどうか知らないが、隙間風は次第に病理を生んだようだ。
鶏が先か、卵が先か。
そういう人間関係の構築(虚無)だから、ああいう家族になってしまったのか。
家族間では、絶妙なバランスで家族を形成しているが、形骸化した家族に思える。
だが、そんな家族は山のようにいる。
壊さないだけだ。
そっと病理を抱えたまま、静かに揺り動かさず進む。
病理の原因には(わざと)目を向けず対峙せず。

わたしはそう感じていたが、口に出して言うのはいくらなんでも他人の家庭に踏み込みすぎ。
人のこころに、ずかずかと土足で入る無神経さは、いくらわたしでも持ち合わせていない。
そもそも、趣味が同じなだけの人。

その人は、わたしとのその共通趣味以外の趣味は、ゲーム。
それと、お気に入り将棋士の追っかけ。
その人は自分は将棋はしない。将棋の中身には興味がない。
将棋の内容にも触れない。
ただその棋士の日々の動向や行動をスマホで追うだけ。
あとは、アニメとスマホアニメ小説。
いわゆるオタク趣味(今では市民権を得ている)。
全くわたしとは趣味が合わない。
さらに、その人は社会の出来事にはまるで無関心。
じーーっと室内の椅子に座り続けてスマホで趣味の世界に没頭する。
旅行にも行かない。お酒も飲まない。食にも興味がない。映画もコンサートも行かない。
英語の勉強をちょっとだけしていたが、わたしが隣で歩いている時にも、スマホで。
ウォーキングは少しするが、暫定期間、スマホで仲間と歩数を競い合うためだったり、コロナ時、一歩も部屋の外に出ず、あまりにも身体を動かさない、全く(家事も用事も)何もしないのですることがなかったり、だったり。
暇やお金がないわけではない。
インターネットで色んなモノを買う。
何十年もそのスタンス。

人は人の好みや趣味があるから、口出しする気はない。権利もない。
だが、二人でいる時も、スマホ。
これは、その人の家族と同じ環境。
気を使わなくなったためか、あるいはスマホのほうが楽しいからだと思われるが、わたしが描く空気のような存在は決してそんなカタチではない。

わたしはその人の家族ではないので、付き合いをやめることには何の影響もない。
スマホ相手に一人でいるには何の問題もない。
二人でいるのに、なぜ四六時中スマホ?
それもあって、わたしはその人から遠ざかった。
おそらく、元々一人が好きな人なのに、無理やりわたしが、割り込んだのだろう。
それは間違いだった。
人間、間違いはある。
なので、わたしは撤退した。
少し後悔するとしたら、なぜもっと早く撤退しなかったのか、である。

人として、肝心なところが欠如しているとみなした。
それにしても、わたしもよくあんな時間を耐えていたものだ。
まあ、人生教訓、教えが詰まっている。

嫌な人には近寄らないこと。
自分の目標に沿わない場合は、進路変更すること。
今は、すごくスッキリした気持ち。
だが、時折、トラウマのごとく、虚無な時間の思い出が蘇ると、吐き出したくなる。

趣味分野で、わたしが目指す方向性とズレていたので、どっちみちアウト。
いつかは、別々の道を歩く。
方向性のズレを修正しようという気にならない、その人の性格が、前を進ませなかった。
元々、最初から無理があった。
それを無理矢理、どうにか合わせようとしたのが間違い。
急いては事を仕損ずる。
価値観やどこか共鳴するところがズレていると、どんどん関係は悪化する。
複合的に原因がいくつも重なっていった。

それにしても、あの人物が家族でなくて良かった。
こころの底からそう思う。
フレキシブルに返品交換可能。
胸を撫で下ろしている。

「人生に無駄な時間はない」と秋元康さんも言っているが、無駄な時間を過ごしてこそ、有意義な時間が輝く。
何が無駄で、何が有意義か。
判断するのに時間はかかったが、今後、自分時間を歩んでいく上での選択に、おおいに役に立つ。
無駄ではなかったということか。



遠い親戚のおばあさん

2022-11-17 | 読む人々には興味ない話
わたしのブログ記事は辛口だ。
自虐傾向があるため、自分と同時に、自分に似たような人も斬ってしまう。
人間が持つ共通の心理だったりすると、他人が読んで自分のことをけなされているような気がして不快になることもあるだろう。
触れたくない、触れられたくない、こころの奥やヒダだったりすると尚更。

楽しいことや興奮するような嬉しいことは、共有したくて、元気になりたくて読まれるが、逆のマイナスは近寄りたくないのが自然。

それと、わたしは普通にさらりと思っていたり、していたりすることも反感を持たれたることがある(と思う)。
自虐ネタは、読む人は嘲笑なり優越感なりを感じて、こころの余裕を生むが、そうでないネタは、自慢だと感じられる。
自慢する人に悪い人はないという説もある。
だが、ニオイに過敏なわたしは、ニオう自慢は避けたい。

実力が伴う人がさらりと現状を述べるならオッケーだが、自分の力でもない人間が、無自覚で優位に立っている現状をべらべら話す(書く)のは、痛い。
わたしは、自然体で書きたいのに、どこかにニオう自分を感じる。
自虐は逆自慢の現れか。
自意識過剰か。

二面性が顕著にあるため、一面のみの顔を表に出している。
が、裏の顔で悪事を働くわけではない。
健全な善良な一市民である。
にもかかわらず、、、
自分のもう一面と対峙するのは自分であり、人に相談したりしない。
同じような状況の人の話を参考にしたりするが、その方法を取り入れるか、取り入れないか、あくまでも、叩き台にするだけ。
自分の思いを吐露できない苦しさはある。
そして、わたしの嫌な面を深く知る人は、この世から去って欲しいと願う。
まるで、犯人が証拠隠滅を試みるように。

わたしには良い面もある(はず)。
ではあるが、取り立てて騒いで持ち上げて欲しいとは思わない。
かえって暑苦しい。
ただ、ほんのちょっとした、些細なことに遭遇して、知ったりすると、じわじわと喜びが広がる。
意外に単純である。

つい先日、遠い親戚で、ほとんどつながりも、会うこともない、長い長いスパンでの関わりの人の口から、不意にわたしの下の名前がぽろっと出た瞬間に、なんだかわからない嬉しさが込み上げた。
アラジンの魔法のランプから、もわっと巨人が出現したかのよう。
その親戚は、80歳ぐらいの女性なのだが、今までほんの数回しか不祝儀の会でお会いしたことがない。
季節品を送っていただいたお礼の電話をかけた時に、苗字を言うと即座にわたしの下の名前が出たことには驚きを感じた。
(長年、わたしは夫の名前で礼状を出していた)
よくよく考えるとわたしも、その人の下の名前を知っている。
親戚というのはそんなものか。

(ちなみに、その親戚との関係は、、、
夫の父の父の父の弟の息子の娘。
明治初期に枝分かれした親戚。
はあぁ、長い、、、
「ファミリーヒストリー」の世界)

嫁ぎ先の親戚というのは、親戚になってから長い時間が継続している。
実家の親戚は自分が嫁ぐまでの時間が加わる。
娘たちの配偶者の親戚も広がりを見せている。
海外にも広がるなどとは思いもしなかった。
新しい未知の文化に触れる機会を得た。
同じ県の近隣の人としか縁談を認めなかった、母の実家はそのせいもあり、後継者がいなくなった。
ガッチガチに凝り固まった古い考え方。
まさに隔世の感である。

話はまたまた脱線している。
脱線に脱線を重ね、終わることがない。
おばあちゃんの昔噺は、これだから聞いていられない。

ニオイにうるさい

2022-11-16 | わたし
バスに乗る。
まだ午前10時だというのに、アルコール臭ぷんぷんの男性。
朝から目一杯飲んだのか。
どんなライフスタイル?
他人だからどうでもいいけれど。

前は加齢臭たっぷりの男性がいた。
近親相姦を避けるために加齢臭はあるんだそう。
夫婦間や恋人間まで、その効力を発揮しそうなニオイ。
女性にも加齢臭はある。
しかも50代でも。
どよよんとしたニオイ。
自分のニオイが気になる人は、必要以上にオーデコロンをふりかけ過ぎて、逆効果。
気持ちはわかるが。

ニオイのことは、デリケートな領域なので他人はあまり感想を言えない。
それでまた、よけいに気にする場合がある。

わたしは、自分独自のニオイがある。
それは、お風呂に入る前に脱衣した時にいつも感じるニオイ。
悪いニオイではない。
人工的なものではない。
裸坊の身体から発するようだ。
ちょっと甘いようなニオイ。
自分で言っていれば世話がない。

香水は瓶が小さく微量すぎて、使わない。
(いただいたものは、使うが、あっという間に無くなる)
CHANELだのジバンシィだの、かつては使っていたが、周りは無反応。
有名な香水であろうが高価であろうがなかろうが、周囲に香水に親しむ人はいなかった。
黙々と自分のために消費するのみ。
義姉は、香道をたしなんでいた。
記憶に残る深みのあるオリエンタルな香り。
香道は、元々は香を言い当てる貴族のお遊びなのだが。
遥か彼方、昔の優雅な時代。

で、わたしはボリュームたっぷりのオーデコロン派。
数年前、大好きな香りに出会った。
即、リピーターになったが、その店舗は閉店となり、インターネットで取り寄せることになった。
製造中止になりそうな悪い予感がしたので、2つ一度に取り寄せた。
暑い暑い夏を挟み、ストックした香水の色が変わってしまった。
香りも少し変化したように思うが、だいたいは元のまま。
おおまかにはオッケー。

この香りはすごい。
人を惹きつける。
最初にわたしを惹きつけたことを筆頭に、
何人の人に「良い香りですね」と言われたことか。
「思わず着いて行きたくなる」とも。(ただし女性)
調合材料を見ると、なるほどと頷く。
あと1本しかないので、なくなるのを恐れ、勝負時にしか使わない。
それ以外には、気分次第で使う。

ちなみに、赤ちゃんのニオイは天使のようだが、ヨダレのニオイもすごい。

というわけで、わたしはニオイにはうるさいのだ。


懐かしの深夜ラジオ

2022-11-15 | 日々のこと
過去ブログ記事、どなたかが引っ張り出して読まれたようだ。
ふむふむ、こんなタイトル、すっかり忘れたわ、と、自分が書いたものを読むと面白い。

昔の記事は、キレが良い。
今の記事は、どんより。
脳が変化してきているのだろう。

第一、わたしは読書をしないので、文章のインプットがない。
ネタの仕入れを怠っている。
自分のストックの中からのアウトプットのみ。
手持ちをごそごそ。
しかし、、、資源も尽きる。
新しく仕入れたら良いのだが、めんどくさい。
理解するのに時間がかかったり、感動しなかったり、すぐ忘れたり。
結局、いくらレシピ本を読み漁っても、いつも作る料理は同じということになる。
だが、ブログに関しては、インスタントコーヒーや、カップ麺は抵抗がある。
妙なこだわりがある。

文章はめんどうだが、映像と音は、すんなり。
脳が、きゃあきゃあ喜んだり、ピリピリ刺激を受けたりする。
手っ取り早い入手ソースは、テレビ。
わたしは、NHKと歌番組が好き。
NHKではない例外としては、民放の林修先生のインタビュー番組にはすごく聞き入る。
直近の日曜日に、秋元康氏が出ていたが、とても良いことを言っていた。
番組最後の総論としてのまとめがCMの後に最後の最後にあった。
彼の人生哲学の結論は、もったいぶった演出の割にはインパクトが少なかったが(なぜなら、わたしの信条と同じだったから)テレビ制作編集者のまとめ方に問題があると思った。

それと、話を雛壇で聞いている体裁になっているゲストたちが、すこぶる良くない。
あんなに素晴らしい深いことを言っているのに彼ら20代の若者の経験値では、脳の素通りが見え見え。
ある程度、経験してからこそ言える名言も、あんな薄っぺらい若いメンバーの前では台無しだ。
もったいない。というか、不快である。
レストランで豪華なメニューをいっぱい注文して、全然食べずに残されたテーブルのように感じる。
と、たんなる一個人の感想。
ぼやき老人になっている、、、。

しなしながら、秋元康さん、なかなか足が地面にしっかり着いた人だ。
自分は芸術クリエイターではなく、職人だそうな。
具体的な人物に合わせて着色するだけで、ゼロからは作れないと。
ただ、ほんの1μでも個性や才能を見出したら、それに合った引き出し方をする。
料理人のようなものか。

なんか、わかる。
わたしも、商業クリエイター周辺で仕事をしていたこともあり、、、。

秋元康さんは、山口百恵と同じ歳だそうな。
深夜ラジオ放送でお手伝いみたいなことをしていて、この世界に足を突っ込んだとか。
オールナイトニッポンのリスナーだった?
カメブチさんがDJだった頃、全盛期幕開けだったようだ。
関西でも飛び火したのか、毎日放送だの朝日放送だの、わたしもその頃、深夜ラジオの熱心なリスナーだった。
中学生だったのだが、時々、出したリクエストハガキが読まれたりして喜んだものだ。
勉強もせずに深夜ラジオにかじりついていた。
懐かしい青春の日々。
「さらば青春」という小椋佳の曲がかかると同時に深夜3:30前の男として登場するチンペイこと谷村新司にハマっていた。
(当時、チンペイは桃山学院大学生。
アリスではなく、ロックキャンディズというバンドをやっていた)
わたしの歳がバレバレ。

と、話は脱線。ごろんごろん。

小説などの文章から表現方法を取り入れなくなったわたし。(元々だけど)
易きに流れている。
感性寄りになっているにも関わらず、自分が表現するのは未だ文字。
仕入れ元と、出品側の互換性にラグがある。

退屈だ

2022-11-12 | ブログ
久しぶりに休日を体感したが、、、
次の瞬間に訪れたものは、、、退屈。
ヒマだ。
手持ち無沙汰だ。
何もする気がない。 
しーーん、、、

しかたないから、製本された紙の日記を溜めたここ1週間分書き、買い物したレシート金額を転記し、、、ゆるゆる、するする、渋々、指を動かす。
全く退屈である。こころ踊らない。
大きなイベントからまだ1週間しか経っていない。
そして、トラブル解決も、どんどん深刻な悪い方向に進んでいる。
というか、何の進展もなく、時間だけが過ぎて煮詰まりつつある。
後に来るのは、嫌〜な作業。
誰もしたくないような裏作業。

週が明けるまで、とりあえず放置する。
ゆっくり待つわけではなく。
ほっとく。
世の中には、憂鬱な案件を抱えている人も多いだろう。
嫌な気持ちだろう。
わたしは被害者なのだが、加害者は人に迷惑をかけていて、解決に向かっていない状況に、もっと気が落ち込むに違いない。
良い展開の希望は砕かれた。
あとは、いかにダメージを最小にして終わらせるか。
気が重い。
楽しいことをブログに書きたいのに、頭の上に未解決トラブルが、ずしーんと乗っかっている。

何もする気にならないため、何もせずにスマホばかり触っていると、肩が凝る。
ブログ村は、またまたアップした新記事とマイページがリンクされていない。
時々こういう事態になる。
コンピュータもくたびれるようだ。
gooさんとうまく行ってないのか。
また忘れた頃に、2つ同時にマイページに新記事がアップされることだろう。
どこが不具合なのか。
もし仕事だったら、イライラするだろうけれど、所詮お遊びなので、声を大にせず、大人しく消極的に、諦めて復旧を待つとしよう。