蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

そろそろマジメに動きましょう

2013-09-30 | リアル パリ

昨夜は、ターブルドットに参加した。
フランス人のお宅で、手作り家庭料理を味わう。
エッフェル塔が遠くに見えて、8時、9時になると、ダイアモンド風きらきら。

これって、携帯のストラップや、お気に入りの雑貨みたいで、女の子なら垂涎もの。
わたしは、元・女の子ではあるが、

霞のかかったエッフェル塔が、きらきらチカチカタイムになると、感激。

カウントダウンを街で迎えて、隣に居合わせる人と、

わー、ハッピーニューイヤー!っと顔を見合わせるというかんじ。


高い建物がない、厳しく徹底的に街の景観を守り続けてきた、パリならではこそ。

暗いからケータイでは夜のエッフェル塔の写真は無理かなあと、デジカメでしか撮らなかった。
料理写真は撮ったけれど。
若いフランス人男性である料理人さんの本業は建築家。

お母さんの家庭料理の復元だそうな。
彼のパートナーが羨ましい。
ちなみに、三世帯、六人でアパルトマンをシェアして住んでいる。


ターブルドットに出かけるまで、

わたしは延々、悶々とお出かけプランをアパルトマンで練っていた。

なんと贅沢な引きこもりである。

滞在も後半にさしかかり、今日は、お出かけ、やる気満々だ。

見た目は、一見さりげなくこなせそうなクールな熟年、

まさか、はるかかなたの地に一人で来て、

英語、フランス語できない、方向音痴なんて、非常に勇気がいる。

わたしにあるのは、好奇心と、今、行かなければ一生行けないという、へんな強迫観念、
早い話、無鉄砲なだけだ。


人々

2013-09-29 | リアル パリ

さてさて。

わたしのブログ。
どうやら、うすぼんやりした旅は、ウケがよろしくないようで。

わたしのブログをお読みになる皆さんの期待に添うには、

おそらく自宅から一歩も出ないで、なんやらかんやら、ぶつくさ、ぼやいていなくてはならないようだ。


家を飛び出して行くのは、あるカタマりの人数の人には、期待ハズレなんだと受け取った。
リアル充実なブログは、お嫌いかと?


一昨日は、徒歩で、ふた駅向こうの、美術史家の邸宅を美術館にした、マルモッタン美術館に出向いたが、2ヶ月近くお休みだった。
残念。
現地の新聞か、インターネットで事前に調べたら、わかったのだろうけれど。
で、公園で秋を満喫しつつ、帰り道にスーパーマーケットに寄って食糧調達したりして、とぼとぼ歩いて帰った。


突然、目の前に、立派で美しいエッフェル塔が現れ、びっくり。
建築美。
しっかり、どっしり、しかも、きりっとしていた。
初めてでもないのに、新鮮だった。
しかしまあ、なんと、アパルトマンから近いことか。
大勢のパリのおのぼりさんたちが、楽しそうにハイになっている顔に出会った。

傍らで、階段に腰を下ろす、どっと疲れた表情の、皮膚の色の濃い人。

そのまた傍らで、またまた人間ウォッチャーになっているわたし。
どこにいても、わたしは、わたし。


今朝の、出鼻くじけ。

2013-09-27 | リアル パリ

げんなり。

記事カテゴリーに「旅」を選んだものの、異国の地で引きこもっているだけ。

今日は真面目に外出しよう。

そう思ってブログ更新を手早く済まそうと、

なかなか言うことをきかないiPadをなだめながら頑張って入力、さあアップというところで、

ああ。。。。。消えた。

こういう時は、ほんとうに疲れる。

やる気を出してもう一度....となっても、アタマからも消え、違うことを入力している。

 

 

ちなみに、コーヒーの向こうに小さく写っているお姉さんは、

アパルトマン窓側のまん前にある幼稚園の庭掃除をしているところ。

もうすぐ園児たちが集まる。

まあこれがまた、元気を通り越して、うるさいこと。

しかし子供はうるさいぐらいが、ちょうどいい。

 


今日の、わたし。

2013-09-26 | リアル パリ

さてさて。

元気な引きこもり、ひとり旅。

お気楽ながらも、冷や汗たっぷり。

今朝は、キッチンにあるエスプレッソコーヒーマシーンの使い方がやっとわかり、

待望のエスプレッソコーヒーを味わう。

美味しい美味しい。

 

メールチェック。

インターネットで調べる。

あ、今日の予定が飛び込んだ。

とりあえず、今日の引きこもりは、回避できそう。 


とりあえず、ワープ!

2013-09-25 | リアル パリ

さて、カウントダウンは、一昨日に残りゼロとなった。

今は、「残り1日」という数え方から、「開始1日」あるいは、「使った1日」という数え方に変更。

なので、今日は開始3日めだ。

 

あああ、懐かしくもなんともない、入力するには大嫌いなiPad。

こんなもので入力するのは、ほんとうに疲れる。
 
これには、いささか事情がありまして。。。
わたしは、いま、とある地球の反対側に籠っている。
なんの計画も予定も立てず、毎日、気分のままに時間を過す予定。
あれ?これ自体が予定になっている。
 
まあ、なんでもいい。
ひとり盛りあがり、究極の自分時間の中に身を置いている。
 
一昨日は、ワープに一日かかった。
昨日は、早朝から予定ぎっしりで、振り回された。
今日も少し予定がある。
明日からは、なんの予定もない。
やっと部屋に引き籠ることが出来る?
 
といいつつ、あれこれ外に出るための頭脳準備をしている。
引き籠りと、外出。
いいバランスだ。
 
 
 

俗物人間

2013-09-23 | わたし

昨日アップした記事は、金拝的、俗物的、自己ちゅー的だった。
夜中に時間制限がないからと、だらだらだらだらと、思いつくまま入力し、やたら長いだけで、
壮大な計画や、夢がない。
せいぜい、デパ地下どまりだ。

手にするお金が100億円規模なら、
政治や慈善事業、ものづくり、ひとづくり、など、本来、国がすべきことを私財を投げ打って
みなさんのために尽くす、という手もあったのだ。
と、ふと気づいた。

しかし、そういうことは、とりあえず、自分がお腹いっぱいにならないと考え付かない。
とりあえず、ケーキを食べてから考えることだ。
たっぷり、たんまり税金を搾り取られているので、これ以上、自主的に払う気がしない。
と、そんな発想を持っている限り、大きな人間にはなれない。

第一、莫大な大金を手にしたとなると、宝くじか、人から贈与されたものでしかない。
自分の力で手に入れた大金は、そんな大きなお金は、よほど金融・裏街道すれすれにでもしないと、
手に入れられないシステムになっている。


まわりの人に、お金をたれ流す人は、とても、うさんくさい。
犯罪のニオイさえする。
ランドセル寄付は、犯罪っぽくないが。

他人のお金に寄ってくる人は、しょせん、お金が目的なので、考えが浅く卑しい人が、多いように思う。
類は友を呼ぶ。同じニオイ。
そんな集団に入ったら、ろくなことがない。

お金というものは、対価として正当に支払うべきもの、受け取るべきものだ。
では、オイルダラーは?
世の中には、いろいろある。

大きなお金を使うと、その場で知り合う人々の層が、日ごろ、接していない層の顔ぶれとなることだろう。
たんなる成金同士の会、なんてこともあるだろう。
それはそれで、けっこうなことだが、映画などにあるような、階級社会での成金は、冷ややかな目で見られる。
実業界では、成金は、食い物にされるかも知れない。

お金だけを持っていても、だまされる高齢者の事件が後を絶たないように、
知恵がないと、狙われるだけだったりして、ろくなことがない。
高齢者も弱者強者がはっきり、二極化している。

・・・・・

だんだん、入力スピードが落ちてきた。
ノリが、いたって悪くなってきた。
政治経済の話題に入ると、とたんに、眠くなってくる。

しょせん、言うばかり。口だけなのだ。

・・・・・

さてさて、カウントダウン。
残りは、ゼロ。いよいよ。


 

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お金の使い方、一流、二流、三流、四流・・・

2013-09-22 | わたし

生まれ変わったら、何になりたい?
宝くじで大金が当たったら、なにしたい?

こういう、非常に庶民的で、善人的なことを延々と考えるのが好きな人がいる。
わたし、だ。

で。。。あれこれ、候補を考える。
あれが、いいかな。これが、いいかな。
あれもいいか、これもいいよ。
でもなー。あれは、あれがあれだからや、やっぱり、あれだなー。
アイデアを出しては、ひとりで難癖つける。
浮かんでは、消し。

とりあえず、スゴイ絶世の美女になってみたい。
しかも、顔だけでなく、めっちゃめちゃ、美しいバデー。(あ、ボディのことです)
ぶるんぶるん。ぷりっ、きゅっ。ばーーんっ。(「ぼーーんっ」を超えている状態)
それで、男性たちに、モテモテで・・・。
ああ、なんて平凡なんだろう。

一生この路線を続けるには、絶え間なく美容整形したりしないといけないし、鍛えなくてはいけない。
サボっていると、たちまちに姿に表れる。
年をとるごとに、なにかにとり付かれたような顔になっていくことだろう。
自分の美に、自分が巻き込まれ、取り込まれ、身動きできなくなるだろう。
美の衰えが怖くて、精神を病むかも知れない。

まあ、今のわたしには、まったく、なんの接点もないシュミレーションなので、さらりと次の話題に移る。


お金がたっぷりあったら、どうしたい?
金額にもよる。

100万円なのか、1000万円なのか、1億円なのか、10億円なのか、100億円なのか。

100万円は決して、たっぷりとは言えないが、食べ物で100万円分食べようと思えば、けっこう、たっぷりだ。
大好きなスゥイーツをお腹いっぱい、食べることができる。(でも、ぶくぶく太るなあ・・・)
エステ三昧とかでも、まあまあ満足できるのでは?
本とかなら、これまた、けっこう読める。
映画とかも、たくさん観れる。
旅行もまあ、行ける。
子供に習い事、塾、となると、継続的なので、100万円で収まらないかも知れない。
教育費は地味だが、意外に手ごわい。
愛人に貢ぐにしても、一回だけなのか、何回かに分けるのか、使いきると、それで終わりなのか。
これまた、案外、底なしだ。

不動産だとしたら、「猫の額」物件。そんな物件は、あるのか?
洋服なら、まあ気に入ったものが買えるだろう。
だが、装身具も込み、となると、ちょっとまた変わってくる。
バッグは、100万円以内に収まるが(なかには、それ以上のものもあるが)、
宝石は、収まらないものが多い。

100万円の壁は、こんなところか。
(まだまだあるが、面倒になってきた)

では、1000万円では?
不動産のローン頭金。
あとは・・・高級外車。
あとは・・・えーーと・・えーと・・・とたんに、イメージが浮かばなくなる。
商売の開業資金?
中級老人ホームの入所一時金?
お高い宝石や美術品、調度品は、足が出る。

さて、1億円・・・
お家ですね。
別荘も、買値は安くても、維持費を考えると、足が出る。
市とかに、ぽーんと寄付するには、キリのいい額だけど。

さて、お次は、10億円。
数億円~数十億円ぐらい、即、使えそう。
どこかの地価の高い高級住宅街での豪邸。
プールとかも付けときますか。
あるいは、海外の別荘とか。
セスナ機は買えても、ジェット機は買える?
(どっちみち、いらないから、どうでもいけれど)
ゴッホとかの絵は、買えるか? 買えないか。

さらっと飛ばして、さあ、お次は、100億円。
こうなると、豪邸とかそんなカネのかかるものは一通り揃え、あとは投資一本やり。
普通の生活をしつつ、目を血走らせながら、マネービジネス。
失敗したら、えらいことに。
プラスだった分だけ、マイナスに。おお、こわい。
こうなると、お金に飲み込まれる?
いや、100億円だと、そこまでアクセクしないかも。
けっこう優雅に暮らせる。(あたりまえか)


だんだん、夢を通り越して、想像することに疲れてきた。
現実とかけ離れたことを想像しても、スケールの小さい、たいした夢も描けず、
どうもチマチマして、よろしくない。

映画を作りたい、とか、ビジネスを展開したい、とか、なんか、あるだろうに。
自分として食指が動かないことを想像しても、面白みに欠ける。

・・・・・

お金が無制限にあるとすると、
わたしは、一度、教育費に無尽蔵にかけてみたい。
もう、子供は成長してしまっていて、すでに手遅れであるが、想像だけでも楽しい。

生まれた時から、超一流の保育士、情操教育のプロ、英才教育のプロ。
そういう人たちに、プランを作成してもらい、ピアノ、バイオリンは、○○音大の○○教授、
バレエは、ポリショイバレエ団のロシア人教師、幼児英語は、幼児英語専門のオーソリティ、どこどこの、だれだれ、
小学生になると、小学生向き専門家の有名なだれだれ、
夏休みは、世界各国、現地でホームステイしつつ、実施研修プログラム体験。
超一流のホンモノしか触れさせない。
ディズニーランドとか、とんでもない。ホンモノのシンデレラ城を貸しきる、とか。
食べ物も、芸術も、衣食住すべて、見るもの触れるもの、超一流。

そういうふうに育てたら、子供は友達がひとりもできない
かも?
変わり者みたいになってしまうかも?
お金と手間隙と愛情をたっぷりかけて、けったいな子供から大人に成長しても・・・なあ・・・。

一流の芸術家になるとはとても思えないし。
一流の研究をするのか、発明をするのか、まったくの未知数だし。

好きなものは、「どらえもん」、と、「お茶漬け」、みたいなかんじで・・・。
まあ、それでもいいけれど。

超一流のシャワーを浴びせるにも、やっぱり、分野を絞りこまなければいけない。
なんの分野に?
芸術? 学芸? 学問? スポーツ?
・・・・???
・・・・???

なんか、ちょっと面倒くさくなってきた。(いつも、面倒になる、悪い癖。集中・持続力がない)
おもいっきり、大好きなスゥイーツを食べているほうが、楽しいかも。

あ、そうだ。
無理してスゥイーツを食べまくらなくても、子供にかけるのではなく、自分にかけたらいいんだ。
それって、いいかも。
残り少ない人生時間、食べ物や着飾るものには、年齢を考えても限界がある。
目に見えない無形のもの。
だんぜん、いい。
しかも、うれしいことに、出会う人々も、超一級、超一流で、
しかし、かなしいことに、単なる成金では完全に浮くかも。

・・・・・

追記
夜に上記を入力して、寝ながら考えたが、1万円、10万円コースが、ない。
これは、「たっぷり」には、含まれていない額と考えたからだろう。
でも、乗りかかった船、ついでに。

1万円で好きなだけ、デパート地下で、お惣菜やお弁当、食材を買う。
しかし、高いものなら、最後あたり、計算しながら買わなければならない。
スーパーでも、5人家族で1週間分、カゴ3つぐらいになると、15000円ぐらいはしてしまう。
1万円で金額を気にせず好きなだけ使えるとしたら・・・
お好み焼きとか・・・ただし、アルコール一切抜き。
これじゃあ、日常とあまり変わらない。
ただ、財布に1万円入ってるから、
今、財布に入っているお金をちょっと使っても、気にしなくてもいい、というかんじ。
薬局やら、交通費ぐらいに消えてしまうかも?

さて、こぼれた最後。10万円。
国内旅行1泊。ただし、あまり豪勢にしすぎると、足が出る。
これまた、考えながらの1泊旅行。
ホテルでの食事。これなら、高いワインとかを注文しなければ、OK。
けっこう贅沢に使うことができる。
ディナーに加えて、エステ付きホテル1泊とかも、ゴージャスにできるかも。
ただし一人分なので、だれかと行きたい場合は、×(かける)人数分。

・・・・・

・・・と、お金の使い方シュミレーション、振り返っての感想。
わたしの発想は、貧困だ。

ちなみに、いちばん、ぴったりくるのは、10万円コースのようだ。




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ママ友たちには、同情されてたのかも?

2013-09-20 | 子育て

わたしは、生まれてから今まで、集合住宅に住んだ経験が、あまり長くない。
東京に2年と、静岡県に2年で、合計4年。
偶然、東京も静岡も、5階建ての5階だった。

東京は、分譲マンションの賃貸。
静岡は、分譲マンションの借り上げ社宅。

子育て世代もけっこういて、マンションの中でのママ友らしきものも、いた。
あくまでも、「らしき」であって、ママ友と言えるのは、静岡の2人だけだった。
その2人のほかに、東京には、ママ友ではあるが、子供がいなくてもお付き合いのあった2人もいて、
静岡、東京の彼女たちとは、いまだに年賀状のやりとりが続いている。

わたしは日常の生活面では、母子家庭のような日々を送っていたので、
お父さんのいる家庭に便乗して、どこかに遊びに行くときは、声をかけてもらったりして、くっついていったこともある。
声をかけてくれたのは、子供が一人っ子家庭なので、うちの子を足すと、遊び相手になるということもあるのだろう。

他人の子供は(親が傍らにいれば)、そう苦にはならなかった。
毎日、毎日、(正確なコトバを発しない)ほぼ動物のような
愛くるしい?乳幼児とだけしか過ごしていなかったので、
日本語を忘れそうだった。
乳幼児以外の人間、しかも大人と接する機会を得ただけで、わたしは、大喜びだった。

・・・・・

ライフスタイルの違う人とは、仲良くなれない。
これは、いたしかたない。
生活信条や価値観が違う。
同じマンションに住み、年齢の近い子供がいても、まったく水と油のような人がいた。
当然、部屋の中に入ったこともない。
考え方や感性もまるで違った。
ただ、それだけだ。

仲良しになる人もいた。
どちらかというと、今思えば、母子家庭風・年子3人のわたしに、同情してくれた感がある。
一時(いっとき)に子供を大量生産してしまったので、仕方ないといえば仕方ない。
こんがらがったまんま、大きくなってくれて、「手間が一度に済んでよかったわあ」と思いたいところだが、
やはり、人数分の手間はかかった。それが実感だった。
10キロの石を1回ずつ3回運ぶのと、30キロ1度に運ぶのと、どっちがいいか、だ。
今なら、わたしは、5キロずつ、6回にわけ、しかも、何日にも、何年にも分けて運ぶ。
年というのは、そんなものだ。
体力、気力ともに、ぐっと無理がきかなくなる。
あとで、カラダにこたえる、ということを知った。

子育ては、怖いもの知らずでやっておかないと、ぜったいに、できない。

・・・・・

かつての、ある日、職場の30代後半?独身女性が言っていた。

「わたしは子供を育てる自信がないから、結婚しないの」と。
それでかどうかは知らないが、妻子ある男性と、彼女は堂々とお付き合いしていた。
職場でも、でれでれ猫なで声で電話し、その声に、わたしは、全身の毛が逆立った。

まあ、それは、関係ない話であるが。
子供が育てられるようになるまで自分が成長するのを待ってから、子供を作るとなると、
死ぬまで子供なんて作れない。
子供ゼロで、地球は、破滅だ。

「負うた子に教えられ」
わたしは、そういう毎日の連続である。

負った子に、教えた記憶もあまりない。

 

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時間のすき間、こころのすき間

2013-09-19 | 日々のこと

ここのところ、わたしのブログは、連載もののようになっている。
・・・て、つまらん連載だ。

というか、同じ人間が、同じブログに、毎日、書き散らかしているのだから、連載といえば連載だが。

わたしは、毒があるが、他人への攻撃性はない。
攻撃するとすれば、自分自身に向けてだ。
すると、同時にわたしと同じような人もついでに、攻撃してしまう。
傷つけるつもりはないのだが、斬ってしまう。

そして、究極の自己ちゅーなので、世界中で一番興味のある人物は、自分だ。
比較するのも、他人とではなく、自分と。
自分の過去やら現在やら、未来やら、時系列やら、人生のステージやら、心理やら。
他人はあくまでも、目安程度であって、わたしには、脇役でしかない。
そのくせ、常に導いてくれる人について行くフォロアーだ。
道案内、ナビゲーターは、目的別に、その都度、変えるけれど。


だが、目立つのは大嫌い。
こそっと、ひそやかに、ささやかに、誰の目にも触れずに、ひとりで楽しみたい傾向にある。
なのに、ブログを公開している。

これは、人間がもつ矛盾を、わたし自身で体現している。

・・・・・

子育て真っ最中のブログを読むと、おもしろい。
自分には、遠い昔であるが、子育ての経験があるので、どこかしら共通の感覚を持つ。

自分は子供と頑張って遊んでやった経験が、あまりない。
手抜きして、きょうだい同士で遊ばせていた。
彼らは、年が近いので、とても仲良く遊んでいた。
いつもすぐ横にいる、手近で便利な遊び相手だ。

他人の子供を預かった経験もある。
他人の子供は、じつにやりにくい。
うちのいちばん上の子(長女)と同じ年で、しかも男の子だった。
おかあさんは、「とっても、やりやすい子なのよ」と、
末子である彼を、ぽーんとわたしの家に置いて、お出かけしていった。

どこが、やりやすい?
やんちゃくっちゃ。3歳男児。
めっちゃくちゃ疲れた。
彼の母親の帰りを首を長く長くして、ろくろ首になりながら待った。

いまだに、あの男の子の顔は、はっきり、くっきり覚えている。

うちの子の、なんと、やりやすいことか。
なんと、おりこうさんか。

どちらかというと、うちの子たちは、おとなしいのだが。
良いか悪いかは別として、これは、親に似たと思われる。

いまさら、うちの子は・・・なんてハナシ、とおに終わっていることだが。

・・・・・

さて、「あのこと。」
これは、もう少し、時間がかかりそうだ。
いましばらく、待ってみよう。
たんなる、わたしの好奇心、のぞき見趣味。興味本位である。
なので、下世話なネタであります。

・・・・・

今朝は、少し時間があるので、うきうきと、ネット遊びの時間制限が長引いてうれしい。
だが、だらだらとネット遊びをしていると、ちっとも用事がはかどらない。
パソコンの電源を切る勇気が必要だ。
しかし、SNSやブログ、その他もろもろはケータイでも見ることができるので、
いくらパソコンは切っても、どこでも手軽に、書き込んだり、読めたりできてしまう。
夜も、iPadで気軽に見ることができるので、
わざわざパソコンの前に座って、電源を入れ、立ち上げるまで待つ手間もなく、すっと境界なくネットに行けてしまう。

これは、ある意味、こわい。
だらだら区切りがない。
中毒になる危険性をはらむ。

幸い、わたしは、ちょっとだけの軽症中毒者で治まっている。
この症状の処方は・・・うーーん・・・なにか・・・と考えれば・・・
たんなるノリの問題である。
というか一番大事なのは、実世界の状況がどうなっているか。
リアルをおろそかにして、ネットばかり充実させることは、ネットにはまる初期の段階。
人にもよるのかも知れないが。
ネット遊びは、手軽で、お安く、膨大なヒマをつぶせるのだろうけれど。

ヒマをつぶすというのは、他にすることがない、退屈だから、ということなのだろう。
他にすることがあっても、する気が起きない。義務からの逃避の場合もある。
ヒマをつぶしているのではなく、たんにサボっているのである。
あるいは、自覚症状なく、のめりこんでいる、熱中している場合もある。
はたまた、時間のすき間は、こころのすき間。
すき間に吹く風に、魔がさすこともある。
悪への暗転、闇の世界が口を開けて待ち構えている。


同じヒマつぶしでも、能動的にとらえると、
「順番待ち」「結果待ち」「休憩時間」「考える時間」などと言い換えられる。
躍動の前の、エネルギーを溜める時間。充電期間。
メリハリを生み出す。

時間は、ある、なし、ではなくて、作り出すものだ。

・・・・・

ということで、本日のヒマつぶしは、たいした結論もないまま、終了いたします。

 

 

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あのこと。

2013-09-18 | 日々のこと

昨日の記事タイトルは、ちょっとお下品だった。
じつは、わざと逆説的につけたのだが、おわかりいただけた方は、おわかりいただけただろう。
にやり、と、ほっぺが緩んだ方は・・・けっこう、・・・同種の方かも知れない。

「おばはんの恨み節」
「あら、『おばはん』じゃなくって、よ」
「『お姫サマ』とお呼び」
などなど・・・でもよかったか。(どっちみち、たいしたこと、ない)
でも、内容は同じだし、もう終わってるし。

・・・・・

さて、今朝、アタマに浮かんだこと。

それは、・・・・

以下、書きしたためたが、(ここで、ラジオ・フランス語講座タイムをはさみ中断)、今、アップするのはやめた。
また、時機が来たら(あくまでも、大げさです)アップすることにしよう。
とりあえず、コピーして保存した。

・・・・・

さて、ふたつ目は・・・
今から、考える・・・。

うーーーん・・・
こういうことは、考えば考えるほど、なにも浮かばない。
いつものブログをぐるっと回るが、何を読んだっけ?と、記憶をたどる。
ラジオ・フランス語講座が始まるまでに、と、焦って読むので、
時間が近づいてくると、完全に気が散っている。
もったいない・・・。
どうせ、フランス語なんて、まったく、ちんぷんかんぷんなのに。

で・・・
もう一度、(今朝見たばかりの内容をすっかり忘れた)ブログを見に行って、
あ、そうそう、そうだった・・・と記憶が戻った。
今日の内容は、あまり、こころに残らなかったということだ。
そういう日もある。

・・・・・

最近は、趣味のことは、別SNSの日記に書いたり、人の日記にコメントしたり、
この蝶ブログに、ぐだぐだ書くことはなくなっている。
旅のことは、別の旅ブログに書いていたが、ほとんど放置に近いので、草ぼうぼう、荒れ家となっている。
そんな、ほったらかしのところに、どうも、あまり書く気がしない。

というか、あまり、客観的な描写やレポートは面倒くさい。
間違っていてはいけないので、しっかり名前や場所を調べたりして、報告書みたいになる。
そういうことが好きな人には、楽しいのだろうが、わたしは、もう卒業。
いえ、めんどくさがりに拍車がかかっただけ。

以前、ここ蝶ブログにも、何枚も写真を選んで旅の内容をアップしていた頃もあったが、
それももう遠い目。


山口県にある場所を、「秋田県にある」と書くと、支障をきたす。
しかし、「自分の目には秋田県に見えます」というのは、それでいいのか。
だが、だれがどう見ても、客観的に見て、事実上、山口県であれば、
「本来、実際には山口県ですが、わたしとしては秋田県であると思いたいです」
と、注釈をつけなければならない。
第一、そんなことは、思うわけないので、
「秋田県にある、○○は、こんなので、あんなので・・・」
と、平気で、秋田県ではない山口県の○○について、間違ったことをレポートするのだろう。
調べたりする確認・裏づけ作業が面倒なので、客観的な事実を伝えるレポートは、やめた。

目に映ったものに対する具体的な説明を詳しく正確に書くのであれば、
観光局のホームページなどを参考に、ちゃんと調べて書かなければいけない。
歴史なども間違ってはいけない。

そういう、あれこれ付随するものに時間を割くのは、もう疲れる。
こころの目に焼き付けておけばいい。
間違った説明を書いて恥をさらすのなら、書くのは、感想、印象だけがいい。
(恥は、いつもさらしているが)
青いものが、「わたしには紫色に見えました」なら、心象風景としてであれば、まだ許される。

・・・・

ああ、こんなことが書きたいのではない。
書きたいのは、ひとつ目のコピー保存した内容。
あのこと、だ。

それは、いずれまた・・・。

  

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