夏。
湿った暑苦しい空気を一瞬、真ん中を切る風が流れる。
切る、というよりは、もっと優しい。
そよそよ、だけど爽やか。
その風を皮膚に心地良く感じる度に、子供の頃の光景が蘇る。
夏には家の中の風通しが良いように、祖母か母によって、夏用の建具に取り替えられている。
透ける生地、ブルーの波を形取った、涼しげなのれんが、風が吹く度に細長に揺れる。
玄関周りに、打ち水がされている。
風鈴チリンチリンは、あまり記憶にはないが。
夏の風を受けると、田舎の家での、あの気持ちいい風が、瞬時に子供の頃に時を戻す。
ベルを鳴らすとヨダレを垂らすパブロフのワンチャンのごとく。
条件反射的、反応か。
その部屋は、冬には掘り炬燵。
テレビが置いてある。
高い天井には明かり取りの窓。
そこでわたしは、テレビを祖母と観ていた。
兄、姉、両親の姿はテレビを観ていたわたしの思い出の中にはない。
わたしが幼すぎて、当時の印象が薄くて記憶にないのか。
現在もその部屋は同じ位置にテレビが置いてあるが、部屋の役割としては、隣の部屋に行くための通過across部屋のようになっている。
昔の田舎の家は、「田」の字のように和室が四つ並んでいた。
そのうちの一つの部屋は後に洋室に改装されたが、建具はそのまま。
和室にも洋室にもマッチする、重厚な木の引き戸はそのまま使われている。
昔の田舎の実家の光景を思い出すと幸せな気分になるところから推測すると、わたしはどうも、実家愛が、強い、、、。
四季折々に身体いっぱいに季節を感じていた。
頭脳ではなく、精神でもなく、受けるのは体感。
「過去は消せない」とよく耳にする。
確かに。実感する。
隅々まで染み込んでいる。
過去は、自分の体の一部になっている。
過去の栄光や成功体験が染み付いている人もいるだろう。
過去の不幸な体験からまだ抜け出せない人もいるだろう。
過去と今を比べるのではなく、過去は今に至るまで切れずに続いているもの。
過去を消したい人もいるだろうけれど、わたしの場合は消したら何も残らない。
今、幸せなら、過去はなんだってよい。
未来は今から始まる。
だが、今まで続いた幸せに固執すると、囚われの身となる。
出来れば幸せを継続したいけれど、ままならぬこともある。
毎日毎日、平凡に平穏無事に完結するのが明日への幸せにつながる。
ちなみに。
もうここまで書いてきて、ナンなんだが、、、
人は不幸話が大好き。
他人の幼少期のまったり風物詩の思い出なんぞ、まったく、まったく、まったくどうでもいい。
が、それはわたしはわたし、、、一旦、蝶ブログは横に置いておいて、、、
なんであんなに不幸話が好きなんだろう。
ゴシップや噂話が好きなのと同じで、心理的共通の特徴なのか。
向上心を掻き立てられたい人は、立派な人に擦り寄って行き、人生の極意を学び、自分に活かそうとする。
人間には2タイプあるようだ。
不幸ネタに喰らいつくと、自分は幸せだと思うような気になる。
が、、、人の不幸を、同情するのではなく、自分の優越感を満たすために用いる。
コメントを見ると皆さんの反応が手に取るようにわかる。
努力せずに、満足感を得る手っ取り早い方法だ。が、、、
自分の本性と向き合うことになる。
そんな大袈裟なことはないかも知れないが。
世の中には色んな人がいる。
自分の自虐ネタも謙遜も卑下も、実は違う面が見えることがある。
それをわかって読むのも面白いが、根っから暗い人は、人を呼び込む力があるから要注意。
暗さではなく、「パワー」を得るものをわたしは欲する。
そういう意味では、プロ作家の著書はさすがに面白い。
今日の記事は後半は、爽やかではない流れとなった。