蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

浅学、浅識、それなり考

2022-09-27 | 無題
さて。
フランス人気質と日本人気質について。
裕さんのブログ記事を読んで、彼の考察や思考がキーンと晴れ晴れ脳内に響き渡った。
そうだろう、そうだろう、フランス人の個人主義は昨日今日に始まったものではない。
「他者を思い遣る」というフランス語はあるのかないのか知らないが。

列強の国々が陸続きでつながる、広い大陸の中に位置する国と、周りを海に囲まれた島国。
地理的にも歴史的にも、違いは歴然。
日本は島国。
なので、移民や通りすがりの人は(旅人はさておき)ほとんどいないし、
同じ言語(日本語)を話し、先住民を含め民族的にも、ほぼ一種類に絞られているし、
鎖国時代が長かったし。
そして、閉鎖的なムラ社会。
あ、うんの呼吸。
目の動きや表情などで、人の思いを汲み取る。

かたや、フランスは、いつ、誰が攻めてくるかもわからない、逃げる時間のない地理条件。
覇者交代によるリスク回避のため、全財産を宝石に換えて持って逃げる準備をしなければならない時代もあった。
狩をする人種、肉食系と、魚や野菜を食べる草食系、農耕民族。
近年は、ライフスタイルも変わり、特徴も大きく変化しているが、長い歴史の積み重ねで培われたものは水面下に根を張っているかも知れない。

木と紙で作られた家に住み、大声も出さないベジタリアン。
西洋人から見ると、真逆。
日本人は、一つの方向を見るとパワーが凝縮、集結する傾向にあるようなので(横並び志向)、良い方に行けば良いけれど、悪い方に行くとコワイ、、、それは歴史が物語っている。

今は、過去の反省から、スパルタ軍隊式は非難され、ゆとり教育の影響や、インターネットでの幅広い価値観に触れることで、過去の価値観は変わりつつある。
が、相変わらず個性を尊重しない教育。
職場では厳しい昔風を美学にすると、ブラック企業が横行するからやめてほしいと言われたことがある。
今の若者は軟弱だ、昔は、これこれこうで、、、などと昔話を引き合いに出して時代遅れの価値観を押し付けると確実に嫌われる。

しかしながら、こんな優しい軟弱な国民性で、今後、大丈夫なのかと心配する。
過去の栄光、衰退途上国?

ちなみに、話は脱線するが、
大政奉還から明治維新、あんなに激変、大転換、体制の変わり方はあっぱれだと、わたしは思う。
内乱を伴うといっても早めにケリは付き収まった。
それに比べてフランス革命はスゴイ。
王サマ、王妃サマ、貴族、みんな処刑。
わたしの好きなマリーアントワネットは正に悲劇のヒロイン。
あそこまでする?という激動の時代。
ではあるが、軍人や王族だけではく、一般国民の命が大量に奪われた戦争に関しては、安易な言葉などでは語れない。

戦争経験者はわずかになったが、
フランス革命経験者も、明治維新経験者は一人もいない。 
文献や当時の人が書き記したもので見るしかない。
フランス革命と関係あるのかないのかわからないが、フランス人の労働者の権利を主張する市民デモはすごいと感じる。
大統領であろうが、学生であろうが、平等。

ある日、上層部と下層部が入れ替わり逆さになる。
どこの国でも体制が変わるとそうなる。
日本なら、元武士、元貴族、元地主。
時代改革をうまく切り抜け乗り超える人と、暴落する人。
特別な階級だけに限らず、庶民にも言える。


それはそうと、わたしは、小さい頃から社会科が苦手で、特に地理、日本史は最低最悪だった。
そんなわたしの書く蝶ブログなど、老害に過ぎない。
さっきから、ガタピシ、滑りの悪い、論理的でない文章がアタマに浮かぶままに整理も深掘りもせず行ったり来たり。
が、自分が楽しいから良い。
あまり知識がないままに歳を重ねたが、自分流の解釈をして答え合わせもしないまま時が今日まで過ぎている。
TVなどで歴史に触れる番組を見ると、自分の考えを更に認識して、より深くなっていくように感じる。
自分流解釈と、TVの向こうとが、合致点がある場合も、無い場合もある。
あまりよく知らない「博識の逆」で、薄識。(→こんな言葉は、あるのか?
「浅識」というらしいが、ハクシキの方がなんだか楽しい)。
気になることがあると、インターネット(スマホ)で調べる。

ということで、浅い浅い感覚だけの考えをだらだら書いた。
実際、その地に長くディープに住み暮らしてこそ言えるようなことを、浅はかに想像を組み合わせて書いている。
しかし、わたしは少なくとも日本に定住して半世紀以上になるし、祖父母や親や子、孫、親戚たちも定住している。
想像ではなく、ひとつのリアルなサンプルである。
一般的かどうかはさておき。
生活者としての目、視点。

と、自分なりの考察を思いつくまま書いてみた。
なので、ばらばらパサパサだ。
日本の、自分が住む地域、都道府県、200キロ圏内ぐらいのことしかわからない。



天然キャラの懺悔

2022-09-25 | わたし
しっかりした娘たちに、親がキツい言葉を投げかけられる構図は、あまりないようだ。
(裕さんとこのお母さんや、奥さんたちのように)自分の親から自分達子供がキツく言われても(母親から娘に)、親である自分が、自分の子供にキツく言われることはないようだ。
キツく言うのは親から子へ。
子から親へ、ではない。
順序が逆。
水は高いところから低いところに流れる。
儒教の精神は、歳上を敬うこと、、、だったような。

ということは、子供たちに、なめられている?
ばかにされている?
軽んじられている?
敬老精神ゼロ?

いつまでも親は偉く君臨すべきなのか。
わたしは姑を見て、最後まで威厳を保っていたかというと、複雑な心境になる。
が、決して子供側からキツイ言葉は投げかけない。
尊重し、尊厳を崩させるようにはさせず、距離感をもって対応した(つもり)。

それに比べてわたしは、、、
皆んなに気遣いせず自己チューなキャラクターの持ち主の、自業自得である。
当然だと思う、、、が、悲しい。
今ごろ悲しむのであれば、もっと身を粉にして皆のために尽くせば良かった?

否、ノン!
見返りを求めて行動するのは偽善だと、わたしは思っている。
(労働に対する賃金は別もの。
成果に対する評価も別もの)
と、順序を大事にしたいが、キレイごとばかりを言っていられない。
目的を持って行動することは良いことだ。
モチベーションは必須。

「○○して欲しい」と口に出して言わないとわからない、相手がしてくれない状態は理想的ではない。
相手から言われなくても、空気を読め、気持ちを察しろ、相手の欲求を知れ、ということだろう。
わたしの場合、鈍感なので言われないとわからない、行動しない。
先々、先回り出来ない。しない。
指示待ち人間は、ダメなんだそうだ。(娘が孫にそう言って叱っている)
わたしは今まで指示待ち人間で姑との間はうまく行っていた。
これが相手が自分より下の子供に代わると、上の立場の人間としては、指示待ちを継続しているわけにはいかないようだ。
上に行けば上の行動が求められる。
わたしは永久平社員を希望する。
上部の管理職、指示する立場は苦手だ。

と、ここで、、、
親と子、キツく言うのは親から子供のはずなのに、子供から親で逆なのはなんだか順序が変だと思っていたが、謎が解けた。
そうか!!
ここで、やっと気づいた。
ぽろっと目から鱗状のものが落ちた。
(そうとう、遅い)
わたしは、人の上に立つのが苦痛なのだ。
地面すれすれで、誰にも指示されず指示もせず、マイペースで好きなようにしたいのだ。
そして、「時間」の捉え方が違う。
1分1秒を争う時にでも、ぼーっとしている。
問題意識がないからだそうだ(長女、曰く)

ま、天然キャラだから仕方ない。
今更変える気もないし、敬老の精神で大目に見てねーーー。
(開き直って努力しないと嫌われる?
「老いては子に従え」って偉い人が言っていたなあ)


日曜日、朝早くからわたしの実家に向かう電車の中で、延々と暇つぶしに入力したマイ蝶ブログに、気づきを得て救われた。
暇つぶしも意図しない成果を得ることがあり、悪くない。
しかし、やはり道のり、電車で片道2時間は長い。



彼岸に想う

2022-09-23 | 
彼岸。
今朝、お坊さんが来た。
朝早くからわたしはスタンバイ。

お坊さんは予定より更に早く来たため、待ち時間は減ったものの、お坊さんが帰った、その後の時間が余った。
で、家を探索。
古いくたびれた蔵の中で、面白いモノを見つけた。
世界地図。
幅150センチぐらい?高さ120センチぐらいの、紙製の地図の巻物。
一見、ボロっちいが、中を開いてみると立派に表装され、しっかりした芯に、くるくる巻かれていた。
ツイドという国名を見つけたが、こんな国あった?
よくよく見ると、ドイツだった。
中国は別の名前になっていた。
日本は、赤い色で示され、北は、今はロシア領になっている場所が連なり、南北朝鮮も、台湾も赤くなっていた。
暗い場所で見たし、わたしの視力はかなり悪いので、あんまり良くわからなかった。
いったい、いつの地図?
そういえば「日本」も、日本らしいけれどちょっと違う漢字が付いていたような気がする。
大日本帝国、だとか、そんな長々しい名前ではなく、もう少し短くすっきりしたような。
今度行って時間と余裕があればまたチェックしてみよう。
夫の祖父の名前が描かれたクワ(農具)と一緒に入り口扉すぐの壁に無造作に立てかけてあったところが、クワと世界地図がミスマッチでいかにも気合いが入らず面白い。

庭の古い古い松の木が、半分枯れているらしく、出入りの造園屋さんによって処置のため、ばさっと半分切り落とされていた。
まるで身体の半分が無くなったような、足が片方切り落とされたかのごとく、断面が剥き出しにされ、痛々しかった。
半分しかない不自然な姿の松だが、倒れず灯籠に寄りかかるようにして立っていた。
あの木を見てわたしは思った。
今月初旬に見た時は、切られた断面がペンキみたいにベタっとした赤茶色で、何ごとかと思ったが、はっきり見なかった。
無惨な姿を曝け出しているような気はしたものの、ちゃんと見ていなかった。
今日はしっかり見た。

半分腐ったが、半分は生きている。
残りの半分を生かすために、半分を切り落とした。
やむを得ない。
よくよく見ると、苔むした古い幹の中から小さな赤ちゃん枝がちょこっと、ぴょこっと生えていた。
見た目は、すごく変でアンバランス。
こだわりある庭師なら美的に耐えられないかも知れない。
身体は半分斜めにバッサリ切り落とされ重心が移動しているが、仲間の灯籠に支えられてどうにか、もっている。

あの松の木、切られた直ぐ後に見た時は、痛々しい無残な姿に驚いた。
が、今日はまた別の感覚が芽生えた。
あの松を半分腐らせてしまったのは、わたしかも知れない。
バランスよく調和を保ち、長年そこに生き続けているものを、わたしは自分だけの志向でおざなりにした。
長く生き続けてきた証を粗末に扱い、過去の人々の営みにリスペクトもせず、
後は知らない!と言わんがばかり。
でも、ブサイクな、傷口を剥き出しにしながら、松の木は残存している周りと協力し合って、支え合っていた。

確か、姑の代にも庭の別の松の木(だったか?)が枯れて、ごっそり撤去したように記憶している。
わたしの代は、半分だけ残すことにより、誰が見ても異常を感じるカッコ悪い(松の)姿をさらして警鐘を鳴らしているのかも知れない。
あんな姿になっても松はまだ生きている。
しかし、鑑賞用としては、見た目は相当悪くなっている。
あれも生きた歴史の一つかも。
あの木は、あの場所にいったい何年生きているのだろう。
100年?200年?
政変や戦争なども挟み、産業や暮らしは大きく変わった。
さらに地球温暖化や気候変動など、最近の地球は昔とは違う。
何も一個人のわたしのせいではなく、長年積もり積もった変動に、松が悲鳴を上げたのかも知れない。

斜め半分をばさっと切られた松に聞いてみたい。
どうしたの?と。
が、もしわたしに、どっと非難が集中したら背負いきれないので、ここは一方的に眺めるだけにしよう。





お彼岸

2022-09-22 | 日々のこと
明日は秋分の日。
田舎の夫の実家にお坊さんが来る。
お坊さんの来訪時間、朝がまた早い。
近年、どんどん早まってきている。

お盆、三回忌、秋分の日、と8月9月で3回もお坊さん。
ほぼ無宗教のわたしとしては、結構うんざり。
1回にまとめられないのか??

わたしたちは、あの家に住んでいないのだ。
が、仏壇はある。仏事はあの家で。
義姉は、ひたすらお供えのお菓子を都度都度、実家に送ってくる。(オジも)
お義姉さん、わたしたち、住んでないんですけどーー。
どういうつもりですかーーー?


夫の実家とはまた話は変わり、
わたしの実家は「実家の実家=①」から「実家=②」に仏壇を移動した。
魂を抜いたり入れたり、仏さんたちは忙しかっただろうけど、坊さんは儲かり、我々は忙しかった。(忙しかったのは、正確にはわたしではなく、姉と姪)
「実家の実家」は、入れ物、器だけとなった。
お墓は「実家の実家」近くにある。
仏壇の引越しで、仏事が実家で執り行なえるようになって、とても便利だ。
不便なのはお坊さんのみ。
10キロの道のりは、スクーターで移動?(よく見かける光景)
「実家の実家」の隣りに住むオバ(父の妹)は、多分もう仏事には出席しないだろう。
ではあるが、姻戚関係者は、実家での仏事なら非常に助かる。(駅近で利便性のある地)
そういう意味もあって、仏壇を移したのだが。
自治会も以前に脱会した(らしい)。
誰も住んでないから、当たり前なのだが。
仏壇だけ自治会に入っているのは、いと、おもしろきかな。

色鮮やかな彼岸花が咲いている。
お彼岸、、、複雑な心境である。
ご先祖様の魂はいずこに?
入れ物(仏壇)、あっちへ行ったり、こっちへ来たり。
どこに行けばいい?と、父(故人)はウロウロしているかも。
でも、父は「実家の実家」も実家(父が作った)も両方、住処だから。
どっちにも行けて良いのでは。

どこに行こうが、故人はわたしたちのこころの中。
お墓や仏壇を持たず、仏事をしないのが良いのか良くないのかは、わからないけれど。
少子高齢化も一段と進み、国力も衰える。
日本人も精神的な芯、支えのようなものが必要か?
かと言って、かえって、こころを蝕むような変な宗教に惑わされてほしくない。

仏事、もうしなくていいのでは?
あの世とこの世、お坊さんを間に挟まなくても、個々にコネクトすればいい。
そう言いつつ、こころの奥底に根付いた信仰の核のようなものは在るかも知れない。
自分を護ってくれるご先祖様の加護みたいなものが無意識に作り上げられているようにも思う。

※写真は京都駅で見かけた壁。
お墓ではありません。



敬老には遠い

2022-09-20 | 
台風がやって来るという3連休、台風の進路と競争するかの如く、不要不急の旅に行ってきた。
(その割に特急指定席は空席なし、満席)
天候恐怖症のわたしは、猛烈に心配で憂鬱だったのだが、参加家族メンバーたちは全く気にしていないようだった。
宿泊ホテルの部屋のテレビで台風情報ばかりを見ていたこともあり、不安は募る一方だった。

3日目だけは、交通機関が計画運休するというので、お昼には帰路に。
3日目の旅プランは比較的近場だったため、今回でなくてもいつでも行けることもあり、すんなり諦め目的地をカットした。

台風も直撃は免れ、不安に慄いたものの肩透かしだったが、安堵した。
ああやれやれ。
無事帰ってきてこんなに喜んだことはなかった。

孫は目を見張るほどしっかりしてきて、方向音痴のばあちゃんを追い抜かした成長ぶりには喜ばしいものを感じた。
が、娘たちから投げかけられる手厳しい注意事項などで、キツくて涙が出そうになった。
地元に戻った最寄り駅では、(2歳児にべったり手が離せない)長女の疲労はピークに達したようだった。
ノーテンキな一言を言ったわたしは、長女にピシリグサリと言葉を浴びせられ、強く痛く鋭利に胸に突き刺さった。

合同家族旅行はもう無理かも知れない、なんて思ったりもした。
もう少しわたしたちが弱り、もう少し孫たちに手がかからなくなったら、もう少しは言葉が和らぐのではないかと甘い予想をした。
さらに、孫たちが成人になり、わたしたちがサポートが必要なぐらい益々弱ると、一緒に旅行には行けないだろう。
キツく当たられる今が、華なのかしらん。
子供がシッカリしているのも、嬉しいような、キツイような。
ちょうど良い中間はないものか。


我々はいつまでも頼りになる親ではなく、役に立たず段々お荷物になろうとしているのか。
サポートする側からサポートされる側に移行するスライド期間が微妙である。
力が交差し、逆転する。

未来図を垣間見た思いがした。
が、順送りである。

敬老の日には、なかなかシビアな贈りものである。
感謝され敬われようなどとは甘いと思った。
とことん自立できなくなったら、悲しみもなくなり、期待もしなくなるのだろう。
中途半端にまだ我々は元気なだけに、子供世代と力と力がぶつかり合う。
自分のパワーがまだある証拠かも知れない。



ストレスどころではない

2022-09-16 | 日々のこと
すみません。
愚痴です。
気分悪いと思うのでスルーしてください。

善人で、誠実で優しく優秀で穏やかで、素晴らしい人。
だが、何度も何度も何年も蝶ブログでボヤキ続けているわたし。
アタマではわかっている、理解している。
大切な人だということを。

だが、だが、だが、だが、、、、、
同室で、涼しいのにエアコンをつけ(わたしとの体感温度の違い、ギャップ)、そして、テレビの大音量!!
キーンと脳に金属音がして、金属片が刺さり、ぎゃーーーっと、頭が爆発しそうだ。

世の中の、誰かと同居している皆さん、こころの底から尊敬申し上げる。

※ちなみに、
写真は本文とは無関係です。
撮り溜めた写真を好きなように気分次第で使っています。




善い人

2022-09-15 | わたし
書いていた前半をカットした。
どうも言いたいことが、クリアに書けなくてもどかしい。
なので、削除した。
↓以下はその続き。

人に褒めてもらおうとか、感謝してもらおうとか、そんな気持ちはない、
さらりと自然にそういう自発的な行いが好きになればいいなあ、と自分自身に向けて思う。
慈善事業だとか、ボランティアだとか、そんな仰々しい畏れ多いものではなく。
自分ではなく他人のために動く、気配りする人を見ると尊敬する。
そんなことを言うと、自分のこともちゃんと出来ないのに、笑われる。
わたしのガラではない。
人に迷惑かけずに、ひっそり楽しみたいと思っているのが、ちょうどわたしサイズかなと。
建設的ではないが、悲観的でもない。
プラスマイナス、ほんの少し0.001プラス。

ちなみに、、、
ある、わたしの好きなシニアブロガーさんが、ブログで紹介されていたこと。
引用の引用のなのだが、「シニア女性が、やめて良かったこと」
思い当たる箇所がたくさんあり、うんうんと頷いた。
嫌々続けていて、やめるにはちょっと罪の意識を感じてしまうようなことでも、勇気をもってやめると、スッキリ!
行動の断捨離である。
モノを捨てるかのごとく。
気持ちを切り替える。

その中で特に印象深かったのは、、、
夫の親族との連絡は夫にしてもらう。
これこれこれこれ!!!!
わたしは(こころの中で)首を縦に大きく振った。
今まで結婚して以来、ずっと苦手で苦痛だった。
いつまで経っても慣れないし、好きにもなれないし、違和感もなくならない。
最初は他人行儀でも、時を経て重ねて連絡をしたり、やりとりしているうちにコミュニケーションが取れて心理的距離が縮まるかも知れない、、、のだが。
やはり苦手はあくまでも苦手。一生、苦手。

夫はわたしの親族に電話など一度もしたことがない。
お見舞いも。
(しかし、母に一度だけ面会に行ってくれたことはある。
さらに、よくよく思い出してみると、一度だけ夫はわたしの兄に殊勝な行い[要した時間は1〜2時間]をしてくれたことはある。
感謝!その節は、ありがとう)
40年もの月日の間には色々ある。
今更なんなんだが、夫は善人で良い人である。
心身共に健康な常識人。
中身に関しては、善人証明書、鑑定書を発行したいぐらいの善人である。
サボりで腹黒のわたしと足してちょうど調和される。

が、それはそうと、夫はわたしの親族への連絡などは一切しない。
わたしが、自分の実家も、夫の実家も両方ともやっていた。
嫌だったが、嫁の義務だと思い頑張った。
わたしには過剰に感じる冠婚葬祭の付き合いそのものがキライだったのかも知れない。
地域差や世代年齢差、価値観の相違による文化の違い。
それをやめていいなんて、ぱあ〜っと、こころが晴れる。
縛られていたものから開放される喜び。
と言っても、上司から許可が出たわけでも夫から申し出られたわけでもない。
自分で勝手に縛っていたものを、自分で自主的に振り解いただけなのだが。
(姑がいなくなったということもあって、開放されたのか)
夫から不平不満が出たとしても、嫌われる勇気を持ちたい。
今までやってきたのだから、感謝してもらわねば。
とか言いつつ、わたしも感謝すべきことが多くあることに改めて気づく。
だがしかし、腹黒のわたしが善い人になると、もうあの世からのお迎えが近いのかなあと。

善い人になったり、腹黒になったり。
アットランダムに繰り返して、日々が過ぎる。




小さな小さな悩み

2022-09-13 | 人生
昨日の午後、脳みそをギューっと収縮させて考えた。
ギューっの耐久時間はさほど長くなく、持たない。キャパが小さい。
のではあるが、、、。

ある諸手続きをしていて、こうするなら、こう、こうなるなら、こう。
今後の人生の行き先。計画。
時間、労力、気力、お金。
残った時間とお金でやりたいこと、やれること。
使える時間と使えるお金。
どうだろ、どうだろうねーと、
縦軸、横軸などアタマのグラフに描きながら考えた。
うーん、うーん、うーん、、、
インターネットであれこれ制度などニワカ勉強。
同じ物事をするのなら、世の中の便利でお得なシステムを駆使したほうが、何割か増しの成果が得られそうだ。
(まだ成果主義から離れられない哀しいビンボー症のわたし)

で、あれこれ検索、研究、検討した。
一晩寝て、昨日考えていた方向性と、今朝考えた方向性がちょっと小さな違いが出た。
やはり時間を置くと変化する。
これならもっと変化しきるのを待って行動すると良い?
その頃は、おそらくベッドから一歩も立ち上がれない可能性がある。
心肺が動いているものの、身体だけならまだしも、脳もハートも、静かになっていそう。しーーん。

ブレなくなるまで待ちきれない。
いや、ある程度、待ったほうが良いのか。
まだ明日も明後日も来年も再来年も、それ以後もある。
ゆっくり考えよう。

だが、わたしが申し込もうかどうしようかと悩んでいる事柄は、来年3月に申し込み期限を迎える。
ぼやぼやして逃すのも、一つの道。
意図して逃すのか、のろまで逃すのか、それはそれ。
どっちが良かった、なんて、後年にならないとわからない。
今、言えることは、どっちになっても大差はないということ。
小さな、ささやかな迷い、悩みである。

そうやって一生、過ごしてしまうのか?
うーん、、、やるべきこと、やりたいことは、抑えておきたい。
秋になって涼しくなったら考えよう、、、
と、またまた先延ばし。

独り言は愉しい

2022-09-12 | わたし
今日はなんだか充実した1日だった。
といっても、まだ夕方だが。
わたしの1日は、夕方で終了だ。
今から〆のジョギングをするわけでも晩酌をするでもなし。
18時で終わってしまうFMラジオを前に、まったりしている。
お気に入り番組なのに、いつもちゃんと聴いていないので、終了時間近くになると急にソワソワし始める。
あ、終わってしまう、、、
それならもっと14時から始まっているのだから、真面目に聴けばよいものを。
が、BGMにはもってこいだ。
考えごとや、熱中していることがあると、全く聴いていない。
脳の外を通過。
ふと脳を休めると、急に音楽やお喋りが聞こえる。

さて、夕食に濃厚なカレーを食べて涙、涙。
急激に口に放り込む熱くて辛いものは、胃袋がビックリ。
受け付けにくくなったのか?
冷えた麦茶と交代に口に入れたので、それもよくなかったのか。
胃が痛い、、、。
最近、ほんのちょっとした体調の異変に過敏になっている。
今まで子供の時から超健康優良児でそのまま来ているので、病気に対するこころの免疫がない。
怖がり、心配性。
病気の総合商社、デパートを自慢している人が、ある意味羨ましい。
そこまで鍛えるには道のりが遥か遠そうだ。

夏の暮れゆく夕方。
涼しい風が窓から吹き込み、とても気持ちいい。
天候や気候、自然に接する度に幼少時代の頃を肌感覚で思い出す。
今のような温暖化にもならず、水を打ったり、のれんや簾を掛けたり、風鈴が風に棚びき、かすかに鳴ったり。
懐かしいレトロな風景。
祖母に感謝の気持ちが湧いてくる。
なぜか両親(父母)は自分にはダイレクト過ぎて、直接影響が強すぎて、ワンクッション挟む祖母のほうが、やんわりした気持ちになる。
ちょっとした、おばあちゃんっ子か?

そう言えば、1番上孫(小4男児)が土曜日夜に泊まりに来た。
弟は引き連れず、一人で。
スヌーピーの布バッグには、着替えのTシャツとパンツだけ入っていた。
スカスカの軽いバッグだった。

彼は初めての孫だったこともあり、わたしはこの子に甘い。
母親は最初はあんなに猫可愛がりしていたのに、次々に下の子供たちが生まれると、まあなんと厳しいママになったものか。
あんなに厳しくすると、かわいそうだ。
というか、わたし自身が叱られているような気になる。
まだ小学生なのに、高度なことを要求されている。(わたしでも出来ないようなことを)
わたしが、無能過ぎるのか。
まあよい。
みんな成長してくれるのは嬉しいことだ。

孫(たち)は、来たらうるさい、来ないと淋しい。
ちょうど中間はないものか。
次女にそうボヤいたら、「(孫が)遊んでくれるのは今だけやで」と言われた。
その通り。
やけに納得した。


ちなみに、もう一つ、書きたいことがある。
が、長くなる。
インターネットがご縁で知り合った人たちのこと。
蝶ブログだけでなく、別の趣味ブログでも実在のリアル人たちと知り合った。
わたしの場合、パパッと瞬間的に短時間で知り合うわけではない。
ものすごく長い時間を経て。
世の中の事件になっている、若い女子と男性の、短絡的な男女の付き合い、関係とはちょうど真逆なテイスト。
すぐに会って、すぐに一緒に住んで、などとは有り得ない展開である。

男女の諸々を目当てにしているなら、出会い系のほうが手っ取り早い。
真面目に結婚を目的にしているなら、婚活サイトや結婚相談所が適している。
そもそもわたしは、超が付くほど疑い深いので、相手が言っていることを隅々まで真偽を確認し裏付けしようとする。
矛盾がないか追求する。
それ、おかしいんじゃない?怪しい、、、
と、刑事か探偵の目になる。

そもそも、自分が求めている人材は周りには転がっていない。
インターネットだと転がっているのか?
それは怪しい。
ある程度の環境や背景、ポジション、職業などは、段々バレてくる。(バレない場合もある)
ではあるが、今まで、変な人と知り合わなかった私がラッキーだっただけかも知れない。
その可能性は大きい。
だからといって、成功体験を過大視し、あまり過信するのは良くない。
いつもいつも石橋を叩いて渡るか、叩いて壊すか、である。
直感だけで行動するのは危険である。
とは言うものの、わたしは感性だけで人の善悪を判断しているかも知れない。
が、、、である。
今まで知り合った人に、悪人は一人もいなかった。(悪人の定義=わたしに害を及ぼす人)
偶然にしても確率が高すぎる。
かといって、検閲チェックをパスしたり疎かにするのは危険。

後になって、たんなる幸運だったことに気づいてヒヤ〜っとすることがある。
やはりいつもいつも警戒するに越したことはない。
自分のしでかしたミスは、自分で後始末するしかない。自己責任を問われる。
失敗があったとしても、未熟な自分の、世間を知る勉強料、学習費と思って、高い授業料を払う。
そうやって学んでいく。

ではあるが、わたしは15歳の時から、チャラチャラした男子や、不真面目な男子、不良は嫌いだった。
わたしが騙されたかも知れないのは、悪徳お代官様のような巨悪をはらんでいるくせに、見かけは清廉潔白、清々しい人。
これは、不良に騙されるほうが、罪がないか。
見かけは善人、中身は真っ黒の人は、わたしなど騙すのは赤子の手をひねるより簡単だろうが、騙したところで得るものもなんにもない、わたしはなんの面白みもスリルもない人物だった(だろう)。
わたしには冒険心というものがない。
信じる基準は、信頼できるような目の前にある実績。
出世払いには応じなかった。
賭けは嫌い、しない。

目の前にいる人がポテンシャルを秘めていたとしても、キラキラする目で訴えてかけていたとしても、発掘する目も力もなかった。
だから、退屈とも取れる(わたしは退屈ではなかったが)、着実、確実なものにしかこころを動かさなかった。
まあなんと、守りの姿勢、面白味のないこと。
リスクを取らない。
ローリスク、ローリターンでよい。
宝くじは買わない主義。
オセロゲームのように、いきなり、全部の黒が白に、全部の白が黒にはならない。
理屈でもなんでもない。
そういうの、キライなだけ。
着実路線が好き。
たんなる個人的嗜好、志向、指向。
だから面白味を求める人は寄って来ないのだろう。
なぜなんだろうと思っていたが、偏屈、ヘンコだからかな、と。
わたしは洞窟で一人、仏像を彫っているタイプか。
そんな人が洞窟に何人も何人もワイワイ居たら、気持ち悪い。
偏屈、ヘンコは一人単独と相場が決まっているのに、最近はそういう単独個人行動の人が増えてきたように思う。
でも、相変わらず、複数人でないと行動できない大人がいて、ビックリする。
人それぞれだけれど。

話は逸れて逸れて、もう着地点がない。


溢れる思い

2022-09-09 | ブログ
わたしのブログは、かなり前々から(そう、開設し始めた頃から)ずっと続けてお読みいただいている方だけにしか、わたしをご理解いただけないと思っている。 
(もちろん例外も)
開設して今月から16年目に突入している気長ブログなのだが。
理解といっても、賛同や共鳴、後押しではなく、こんな人がこんなことを考えてるんだな(けしからん)ぐらいで十分中の十分。
わたしの愚痴にお付き合いいただき本当に感謝している。
(お読みいただかなくても全然構わないです)
映画「幸せの黄色いハンカチ」の生存確認のような、ピンポイントの、細いピアノ線のような繋がりでわたしはとても満足している。
また、お互い、長い時間をかけて、その人を知ることの喜びを感じている。
大袈裟かも知れないが、人生の心の宝物になっている。

それはそうなのだが、複雑な思いもある。
快適で抜け感のある距離感を保つのはなかなか難しい。

個人ブログは、バーチャルではなく、リアル実体に繋がるツールである。
ほぼほぼ毎日長文のFacebookみたいなものだ。
架空のブログや、企業、団体のブログもあるが、作業しているのは人間。
仕事でやっている人もいる。
ロボットがやっていることもある。

さて。
話は中途半端に変わる。(わたしは、これが多い)
裕さんとブーツさんのリアルパリの話。興味深い。
日本にいても毎日、エッフェル塔にお目にかかる。
それは商品に使われるモチーフとしてのエッフェル塔。
ファッション、食品、雑貨、、、日常のありとあらゆるところで、エッフェル塔を目にする。
孫のTシャツだけでも、どれだけいっぱいエッフェル塔があるか。
クッキーの缶も、エッフェル塔、包装紙もエッフェル塔、、、。
パリ。わたしの身近な日本に置き換えると、KOBEブランド?
ファッションもさることながら、スイーツコーナーやお土産屋さんに行くと、必ず神戸の文字が目に入る。
イメージ戦略。
マンションの名前にまで神戸が使われている。
実際は行政管轄外で神戸に入らなくても。
人々のこころを惹きつける何かがあるのだろうけれど。
わたしはそのあたり、実際のリアル現実を知っているが、知らん顔。
生活者の目、裏の顔、そんなものはイメージ外。
固定概念の邪魔になる。
その逆もある。
悪いイメージが定着している、先入観の塊りのような場所、言葉、人物もある。
払拭するには長い時間がかかる。

良いイメージも悪いイメージも時間をかけて醸成されている。
イメージはイメージとして、現実は現実として、両方見る、両方知る、そして、自分の目ではどう見るか、感じるか。
これまた長い時間と考察が必要だ。
良い時も悪い時もある。
晴れの時も雨の時もある。
一長一短、表裏一体、どちらも真実。
どう調整して自分の中に取り込むか。

知らない幸せもある。

ちなみに、話はころっと変わる。(またか)
裕さんのブログで紹介していただいたが、わたしのブログカテゴリーでリアルパリがある。
内容はチャチなもので、わざわざ現地に行ってリアル報告するようなレベルのものではない。
ただただリアルタイムにインターネットで、チマチマiPodを使い細々悪戦苦闘しながらアップしたかった、当時のわたしがいる。
大きな理由はない。
ただ、行きたかっただけ。
だが、思いを行動に移すのには相当の時間とエネルギーと、背中を押すものが必要だった。
「ブログで散々行く行くって言ってるけど、あなた、いったいいつ行くの?」と、姉の一言で決めた。
そして、その日が将来の中で1番若かった。
インターネットは杖として使った。
だが、現地では携帯電話も固定電話も使えず、大きな不安に包まれた。
事故、災害、病気、、、何かあったらどうすればいい?
ではあるが、わたしの宝物になった。
あの年齢の自分はもう二度と再び戻らない。
20歳30歳50歳、この節目節目に一人旅をしたことは、かけがえない時間となっている。
70歳でまた行きたいかも。
ではあるが、エネルギー的にも心身的にも、国内のほうがゆったり楽しめる。
年齢の若い順に遠い所から行き、歳取るに従って近場が快適。
政治家の皆さんは高齢でもあちこち、日程をこなされてスゴイ。しかも公務。脱帽する。
と、いきなり、庶民目線から政治家へと話は飛び、相変わらず中間がない。
滑らかではないわたしの脳の特徴そのもののようだ。

ぺらぺら、まとめもなく、思いつくまま気の向くまま、幼児か超高齢者のごとく脳の中から言葉が溢れ出す。

あ、それから。
天寿を全うされたエリザベス女王、ご冥福をお祈りします。
またまた話しがテッペンに上がった。
だが、何の関わりもないわたしではあるが、わたしにとってはこころに被さる重みのある事象である。