さて。
フランス人気質と日本人気質について。
裕さんのブログ記事を読んで、彼の考察や思考がキーンと晴れ晴れ脳内に響き渡った。
そうだろう、そうだろう、フランス人の個人主義は昨日今日に始まったものではない。
「他者を思い遣る」というフランス語はあるのかないのか知らないが。
列強の国々が陸続きでつながる、広い大陸の中に位置する国と、周りを海に囲まれた島国。
地理的にも歴史的にも、違いは歴然。
日本は島国。
なので、移民や通りすがりの人は(旅人はさておき)ほとんどいないし、
同じ言語(日本語)を話し、先住民を含め民族的にも、ほぼ一種類に絞られているし、
鎖国時代が長かったし。
そして、閉鎖的なムラ社会。
あ、うんの呼吸。
目の動きや表情などで、人の思いを汲み取る。
かたや、フランスは、いつ、誰が攻めてくるかもわからない、逃げる時間のない地理条件。
覇者交代によるリスク回避のため、全財産を宝石に換えて持って逃げる準備をしなければならない時代もあった。
狩をする人種、肉食系と、魚や野菜を食べる草食系、農耕民族。
近年は、ライフスタイルも変わり、特徴も大きく変化しているが、長い歴史の積み重ねで培われたものは水面下に根を張っているかも知れない。
木と紙で作られた家に住み、大声も出さないベジタリアン。
西洋人から見ると、真逆。
日本人は、一つの方向を見るとパワーが凝縮、集結する傾向にあるようなので(横並び志向)、良い方に行けば良いけれど、悪い方に行くとコワイ、、、それは歴史が物語っている。
今は、過去の反省から、スパルタ軍隊式は非難され、ゆとり教育の影響や、インターネットでの幅広い価値観に触れることで、過去の価値観は変わりつつある。
が、相変わらず個性を尊重しない教育。
職場では厳しい昔風を美学にすると、ブラック企業が横行するからやめてほしいと言われたことがある。
今の若者は軟弱だ、昔は、これこれこうで、、、などと昔話を引き合いに出して時代遅れの価値観を押し付けると確実に嫌われる。
しかしながら、こんな優しい軟弱な国民性で、今後、大丈夫なのかと心配する。
過去の栄光、衰退途上国?
ちなみに、話は脱線するが、
大政奉還から明治維新、あんなに激変、大転換、体制の変わり方はあっぱれだと、わたしは思う。
内乱を伴うといっても早めにケリは付き収まった。
それに比べてフランス革命はスゴイ。
王サマ、王妃サマ、貴族、みんな処刑。
わたしの好きなマリーアントワネットは正に悲劇のヒロイン。
あそこまでする?という激動の時代。
ではあるが、軍人や王族だけではく、一般国民の命が大量に奪われた戦争に関しては、安易な言葉などでは語れない。
戦争経験者はわずかになったが、
フランス革命経験者も、明治維新経験者は一人もいない。
文献や当時の人が書き記したもので見るしかない。
フランス革命と関係あるのかないのかわからないが、フランス人の労働者の権利を主張する市民デモはすごいと感じる。
大統領であろうが、学生であろうが、平等。
ある日、上層部と下層部が入れ替わり逆さになる。
どこの国でも体制が変わるとそうなる。
日本なら、元武士、元貴族、元地主。
時代改革をうまく切り抜け乗り超える人と、暴落する人。
特別な階級だけに限らず、庶民にも言える。
それはそうと、わたしは、小さい頃から社会科が苦手で、特に地理、日本史は最低最悪だった。
そんなわたしの書く蝶ブログなど、老害に過ぎない。
さっきから、ガタピシ、滑りの悪い、論理的でない文章がアタマに浮かぶままに整理も深掘りもせず行ったり来たり。
が、自分が楽しいから良い。
あまり知識がないままに歳を重ねたが、自分流の解釈をして答え合わせもしないまま時が今日まで過ぎている。
TVなどで歴史に触れる番組を見ると、自分の考えを更に認識して、より深くなっていくように感じる。
自分流解釈と、TVの向こうとが、合致点がある場合も、無い場合もある。
あまりよく知らない「博識の逆」で、薄識。(→こんな言葉は、あるのか?
「浅識」というらしいが、ハクシキの方がなんだか楽しい)。
気になることがあると、インターネット(スマホ)で調べる。
ということで、浅い浅い感覚だけの考えをだらだら書いた。
実際、その地に長くディープに住み暮らしてこそ言えるようなことを、浅はかに想像を組み合わせて書いている。
しかし、わたしは少なくとも日本に定住して半世紀以上になるし、祖父母や親や子、孫、親戚たちも定住している。
想像ではなく、ひとつのリアルなサンプルである。
一般的かどうかはさておき。
生活者としての目、視点。
と、自分なりの考察を思いつくまま書いてみた。
なので、ばらばらパサパサだ。
日本の、自分が住む地域、都道府県、200キロ圏内ぐらいのことしかわからない。