人の生き方って、いろいろだ。
犯罪や迷惑行為、そういうのは論外として、
自分の道を追究されるのは、おおいに結構。
災害や病気、事故などに見舞われる場合は別として、
自己責任におけるチョイスや行動の結果、悲惨な結果になったり、追い込まれたり、
悲劇ストーリーの展開となることもあるだろう。
悲劇でなければ、本人が満足とまではいかなくても、納得していればそれでよし。
上記、書いていて、「○○の場合は除いて」と注釈をつけなければならない。
それは、本人の意志とは別のところで、コトが動く、不幸が訪れる場合だ。
自分の責任ではない原因で不幸な人を、いっしょくたにしては、ハナシがこんがらがる。
宗教では、不幸のどん底にいる人に手を差しのべ、
さらに、幸福感を味わえない虚無的な人に[人生の意義」を甘くささやき、
「あなたを幸福に導く」とかなんとか、
神様、仏様、ご先祖さま、どこかの偉い人の導きに沿っていれば、なにも考えなくてもいいそうだ。
考え方を教えてくれるので、自分で考えなくてもいいというのは、楽だ。
オリジナルを創造しようとすることに疲れた人向き。
あきらめた、脱落した人には、まさに救いの手。
ちょっと医学的見地から処方された精神安定剤みたいだ。
眠れないのが、眠れたら、それが、神様であれ、クスリであれ、誰であれ、なんであれ、
不眠を解消してくれたら、なんでもいいのだろうけれど。
・・・と、わたしはとても神経を尖らせている。
それは、いらいらしている人や、キレそうな人、うっぷんが溜まっている人、おもしろくない人の、
刺激にならないように。
わたしは、とりあえず、一般的に失礼のないように、気分を害されないように、但し書きを書いた。
PL法対処のため、消費者の皆さんが、あれこれ危険に陥らないよう、
製品を入れてあるビニール袋の外側に、
「このビニール袋で遊んではいけません。アタマから、かぶってはいけません」
と表記してあるような、そんなかんじだ。
あえて、いちいち書いている。
・・・で、、、しっかり書きたいのは、ここからだ。
病気や事故、災害など、不幸な場合は除いて、
自分の生き方を、自分でデザインする、これってステキだ。
どうしようもない場合は、目をつぶって、とらわれず、とりあえず次に進む。
あれこれ、文字にしない部分に、自分の根性の悪さを自覚して、連想したが、
ものすごく性格が悪くて、それを武器に、のし上がった作家もいる。
根性の悪さをこれでもか、と、さらけ出し、それを文字にして生活する。
それはそれで、類なき才能である。
るんるんで一世を風靡した、○真○子とか。
ま、それはおいといて。
人には、いろんな生き方、性格があり、自分がどういうふうに生きているかは、棚に上げたとしても、
好みというものがある。
これこれ、こんなのが、好みです~(きらきらお目々)と羅列するよりも、
こんなのが、キライです!!とぴしっと言い切ったほうが、なぜが説得力、訴えるものがある。
なぜだろう?
いま、これを書きながら、具体的にキライな路線が、くっきりはっきり脳に浮かんでいる。
ただし、それを、明確に鮮明に描写する気にはなれない。
キライだからだ。
ピンクのハート目で、好きなことは、ふわふわ書きたいが、読んでいる側にとって、面白くないだろう。
書き方だって、自己完結型で、よくないだろうし。
ま、どっちにしても、
年齢、性別によって、大きく感じ方の違うところがある。
なので、そんなことをあれこれ書いても、つまらない。
そうやって、似たような世代の人間同士、片寄せあって生きていくのか。
だって、それのほうが、よけいなストレスを感じなくていいから。
「わたしだって、若い頃はそうだったのよ。
でもね、年がいけばわかるわ。
みんな通ってきた道だもの」
なんて、説教くさいことも言いたくないし。
だから、そういう、自分がモヤモヤするような、気が晴れないような、
そんなコト、ヒトには、接しないという選択をする。
わたしのまわりの、人生の達人、先輩たちが仰っているが、
心身健康に快適に、生活の質を高めて生きるには、
ストレスをためない・・・キライなコト、ヒトに接しないということらしい。
とは言っても、社会生活をしていたら、たとえ必要最低限のことだけしていたとしても、
なかなか、純正培養の無菌室にいるようなわけにはいかないけれど。
ということで、・・・(書きながら考えて自分を説得、納得して)
なんかヤだな、と思っていた気持ちが、すうっと和らいだ。
やっぱり、人生の先輩はイイこと、言う。
あえて、自分からキライなことには近寄らず、
好きなこと、高揚させること、良いこと、そういうことに接する、考える、・・・そうしよう。
とかなんとか言いつつ、マイナーなことをネットで調べてみたり、あいからわず、地下も好きだけど。
昨日のNHK教育で、マツコデラックスが言っていた。
理解してもらおうなんて、無理。
へんなヤツもいるな、と、認識してもらうだけでいい、と。
理解できないものに対しては、敵意や攻撃の対象になるそうだ。
世の中、理解できないものが、いっぱい。
ストレスの元になるが、あまり、深く突っ込まないほうが、自分のこころの快晴のため。
人も思い通りにならないし、自分も思い通りにならない。
せめて、自分のこころぐらいは解放して、心地よく、こころ豊かに過ごしたいものだ。
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