蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

幸せ

2022-02-28 | 日々のこと
絶対的に不条理なことを前にすると、人はどうなるのだろう?
無力感や虚無感に襲われる。
嘆くだけでは解決できない。
かといって、立ち上がる勇気もない。
見て見ぬふりをして自分を守る自衛に努めることを誰も非難できないと思う。
自分がこう行動するから、あなたもこうしなさい、こうすべき、、、
と強制されるのは嫌だ。

またまた暗い世の中のムード。
悲しくてやりきれない。

さて。
無力を肯定して、元気を出そう。
昨夜、NHK TV特別番組、今の緊迫ウクライナを見た。
日本はどうすべきか?
日本人はどうすべきか?
という、一番肝心なことを最後に述べられていたが、その部分を聞き逃した。
なんと、、、あほな脳みそ。
ひょっとして、脳みそがわたしを救ってくれたのかも知れない。
まだ見逃し再配信をしているようだが、見逃しておこう。

娘や娘婿とあれこれディスカッションした。
わたしが考えつかないような、良い意見を発してくれる。
しっかりした考えを持っていることに喜びを感じた。
次世代にも、次々世代にも平和が維持できることをこころから願っている。

さて。
やはり蝶ブログ閲覧数はいつもの数に戻った。
そのほうが落ち着く。
にわかにどっと激増しても、その理由がない。
意味もない。
振り回されることなかれ。

さてさて。
嫌いな人について。
もう書くまい。
なにかがすーっと、すとんと落ちていったような気がした。
悪い意味ではない。
何かがあったわけでもない。
わたしが歳を取ったのか。
悟りを開いたのか、開眼したのか。
今日だけの感想かも知れないが。
明日になると、また愚痴っているかも知れないが。

何やらべっとり巻きついていた黒いものが剥がれ落ちたような気がしている。
そもそも、そんな黒いものを感じ続けていたことは、良いとは言えない。
良かろうが良くなかろうが、勝手に抱え込んでいた。
だが、ある地点を通過すると、喉の支えが取れるかのごとく、引っかかっていようが邪魔で違和感があろうが、痛みがあろうが、日にち薬のような、自然治癒力のようなもので、多少ゴタゴタしても、すんなり何ごともないように、ことは進む。
これ、不思議。
鈍感力?
嫌なものや、不快なもの、見たくないものは見えないように事前に脳に組み込まれているシステム?
見えすぎるメガネで世の中を見ると、目や神経をやられるかのように。
あまり見えない、光だけが見える裸眼で良いのかも。
見えないせいで、認識したり、認知したり、考えたりするチカラも落ちていると自覚しているが。
部屋の汚れも見えないことを良いことに、掃除は手抜きしている。
床は時々、掃除するが。
ペットなら床をゴロゴロはまあ良いが、孫たちが床をゴロゴロするので、孫の服がフロアモップになってはよろしくない。

こんなくだらないことを書ける毎日。
平和がどれだけありがたいか。

セラピー

2022-02-27 | 日々のこと
アタマに来ることがある。アタマから噴火。
が、文字にしてLINEで吐き出すとスッキリ。
一種のLINEセラピー。(勝手にネーミングしました)
受ける側は、お餅つきの合いの手のように、蒸した餅米を臼に入れ、杵でペッタンコッタンするタイミングを見て、掌に水をつけてペタっと差し伸べるだけ。
楽かなと。
ではあるが、ぼーっとしていると手の上に杵が、、、。
なので、セラピーをしてくれる側も少々相手の気持ちを理解するなり、何を言っているか、なり、聞いてあげないと、セラピー効果が出ない。
「そうです」「その通りです」「そうそう」などと、相槌を打ってくれるだけで、聞いてもらった気になって、胸の支えがとれるというもの。
そのセラピーLINEをこの頃してくれる人(Aさん)が現れ、思いっきり愚痴をこぼしまくっている。
わたしとそのLINEセラピーAさんの共通の知人である、ある人物(Bさん)の悪口オンリー。
だーっと、黒煙立ち込める、真っ黒なハラワタをわたしは放出する。
強制的に患部を除去する外科手術のよう。
聞く側は時々、共鳴、賛同のコメントを入れてくれる。
わたしは吐き出すだけでなく、肯定までしてもらえて気分爽快、晴れ渡る青空。

しかし、よくよく考えてみると、そのLINEセラピーの知人(Aさん)に、胸のうちや、他人には知り得ないわたしやBさんの一部個人情報を流しまくっているではないか。
ちょっと懺悔。反省。
まあ悪用はしないだろうと、楽天的に自分に好都合に考えているが。
だが、もしその人物が策士なら、わたしの愚痴を元に、わたしを操ることも出来る。
なので、腹黒部分は吐き出したものの、LINEセラピーの知人Aさんを丸々信用しているわけではない。
なんでものめり込むほど盲信はしない。
ちょっと一時的に助けてもらっている。
仮の休憩所のようなものだ。
元気になったらまた自分の力で歩く(予定)。
期間限定の折りたたみ椅子。

それにしても、何故直接、本人に不満をぶつけられないのか。
心身がアラームを鳴らすまで、手を打てないでいる。
根性なし。
前もって、事前に未然に防ぎたいものだが、なかなか思うようにいかない。
こころが弱い。

※直近記事、いろんなところでワードが引っかかったのか、閲覧数がグンを抜いて上がり、かつて過去最高数になっている。
が、上がった後は必ず下がる。
大きな落ち込みが予想される。
今は平常心を保とう。

悲惨な出来事

2022-02-25 | 日々のこと
昨夜、NHK TV「クローズアップ現代」を見た。
50年前の浅間山荘事件。
わたしは、当時、社会に全く興味がない中学生だったが、あの大きな金属ボールみたいなものが山荘の壁をブチ破る場面はニュースで何度も見た記憶がある。

恐ろしい事件だった。
「総括」という名の惨事。
洗脳され追い詰められると理性は消滅するようだ。
当時23歳の犯人の一人は今も終身刑で収監されているらしいが、彼の長い長い手記に記されていたことで、大事な部分は、、、

「自己肯定できない人間は、自分以外の人間を思い遣ることは出来ない」

そういうこと。
自分を愛せない人が、人を愛せるはずがない。
自己愛と、自己チュー(自己中心)は違う。
自己愛は、自分を認めること。
自己チューは、単なるワガママで、他人のことを考えずに自分中心にすること。

自分を認めると他人も認められるとしても、意見が正反対だったら?
お互いに利害関係がある立場だったら?
話し合いで調整するだろう。
自己チューの改訂版。
協調自己チュー。

浅間山荘事件を調べた映画監督は、「自分」という一人称を使えと言う。
自分たち、我が社、我が国など、大きなくくりで物事を考えると個人の考えが埋没してしまう、と。
個人を見失うと。


世界では憂鬱な出来事が起こっている。
コロナとは全く次元の違う、人間同士、国同士の戦い。
ニュースを見るとこころが痛い。
自分では解決できないし、改善できない。
不条理の山。

ちなみに、
クローズアップ現代の後に、ミュージック番組「SONGS」が続き、AIと森山直太朗が出ていて、こころ癒された。
それにしても、司会の大泉洋は大活躍だ。
わたしはTVの影響を受け、朝までずーーーっとAIの楽曲「アルデバラン」(森山直太朗 作詞作曲)がヘビーローテーションで脳内に流れ続けていた。
セラピーの一つとして音楽療法もあるのは、本当に納得できる。
音楽に感動、共鳴して、思いっきり涙を流すのは良いらしい。
胸に支えているものが洗われていく思いがする。

だが、解決出来ない事柄は世界中に依然あり、音楽は対症療法のような気もする。
日本は平和だが、他国の出来事を他所ごととして見れない。
今、わたしは神経がかなり弱っているかんじ。
早く夜が明けてほしい。

2022-02-23 | わたし
いつも蝶ブログにお寄りいただき、ありがとうございます。
励みになっています。

さて。
スマホ中毒。

それにしても、ホームは寒い。
電車のホーム、先端で待ち過ぎて、車両が目の前まで来ず、一車両向こうで止まった。
電車が来る前から乗客の皆さんが並んでいる列の一番最後に移動する。
何回もこの現象。
いいかげん、ホームで待つ位置を覚えたら良いものを。

ところで、西郷輝彦さんが亡くなった。
良い顔をしている、と、しみじみ、、、
俳優としてもなかなかのものだ。
昔昔、兄が若い頃、西郷輝彦に似ていると言われていた。
似ても似つかないと思うが、若い頃の西郷輝彦の映像を見ると、似ていなくもない。
あんなに男前ではないが。
兄の若い日が懐かしくもある。


ちなみに、、、
「プライド」をテーマにブログ記事を書いたばかりだが、、、
今、わたしのプライドはズタズタになっている。
プライドを傷つけた張本人は、あまり自覚がない。
なんで? そんな悪いことした?
と。
その自覚のない、悪意のない無神経な行動に、わたしは今まで何度神経を引き裂かれ痛みに飛び上がったか。
これで、やっと元凶にサヨナラできる。

もう無理!
わたしは悲鳴をあげた。
うやむやに、騙し騙し続けることは出来ない。
これも自然な流れだろう。

不満を表し説明してこなかったわたしに非があるとは、今回は思っていない。
説明や説得が要るような内容、考え方なら、そもそもがわたしの考えや感性と離れ過ぎだ。
前は未練があった。
今は、サッパリしている。
無理なものは無理なのだ。
いつまでも亀裂が入ったバケツに水を入れ続けても、
綻びた服を着続けていても、亀裂や綻びは増すばかり。
持ち堪えられなくなっている。
「自然」が導く答えだと思う。
負荷がかかり過ぎた重さに耐えられなくなるのは時間の問題。
漢方薬は効き目なし。

相性が悪かったのか、
出会ったタイミングが悪かったのか、
何かが微妙にズレていたのだろう。
引き続き努力するという道もあるけれど、今はとりあえず、一旦休止。
手を離す。

自分はこんなにプライドが高かったのか、と今更ながら再自覚している。
プライドをドブに捨てたり、神棚や金庫に保管したりして頑張るかというと、頑張らず、その期間は、活動お休み。
自分のプライドを犠牲にしてまで手に入れたいことではないのだ。
自分のプライドを救済する方が大事。

自他共に認める、おっとり穏やかなわたしだが、譲れないことがある。
10000個のうち9999個はオッケーでも、たった1個が認められないことなら、9999個と一緒に全部捨てるしかない。
これが「こだわり」というものか。
自分には妥協しない。
これを頑固者という。
自分はほとんど何でもオッケーな大らかさ、許容範囲の広さ、緩さを持っているのに、反面、頑固だ。
こういうことは滅多にないのだが。
人生、自分が思うようには行きません。

自分の頑固さのせいで、その影響を自分でかぶり、もがくことになる。
自己完結、自業自得パターン。
人のせいに出来ないところがツライ。
傷口は痛いが、いずれ治癒することを祈る。
涙は良薬になるに違いない。

プライド

2022-02-22 | 無題
わたしはプライドが高いとは自覚しているものの、目的のためにはプライドはドブに捨てる。
プライドなど全く生まれた時からなかったかのように。
自分のこころを押し殺し、押し潰して、代わりに目的を手に入れる。
悪魔に魂を売る。
安いよ安いよー。お買い得ですよー。

目的を手に入れるためには、プライドは邪魔になる。
目的を手に入れたら、ドブに捨てていたプライドを拾いあげる。
泥にまみれたプライドかと言えば、そんなことはない。
ドブとは演出上の言葉のアヤで、後で元に戻すことを想定して、実は神棚に載せて汚れないようキレイに退けておく。
あるいは、銀行の金庫みたいな、水害や火事、地震などあらゆる災害から守ることが出来る、シェルターに保管しておく。
戦時中の学童疎開みたいなものか。

目的が達成された暁には、プライドをまた取りに行き、お持ち帰りする。
点検した上で、さらに、きゅきゅっと柔らかな布でメンテナンスし、一時的避難お疲れ様、と愛おしく大切に美しく磨き上げる。
プライドと目的を同時進行、掛け算してパワーアップ出来れば理想だが、わたしの場合、逆ベクトル方向にあるようで、目的を達成するためにはプライドが邪魔になる。
足を引っ張る。
プライドをかなぐり捨てなければ、プライドを保てない。
プライドだけあっても、空腹は満たされない。
難儀ではあるが、そうやって今日までプライドを維持してきた。

誰にもプライドはある。
プライドのない人は悲惨だ。
ある種の病理である。
こころを病んでいると思う。
プライドが持てるよう、(社会も含め)周りが支援すべき。

そこまで深刻な事態でない、通常範囲の生活では、まあ普通に皆さん、プライドがあるはず。
腐っても鯛。
腐らなくてもイワシは、それはそれで良い。

だけど、プライドって何?
自分らしさ?
日本語でいうと、誇り。自負?
こころの核、芯のようなもの。
自信とプライドには、根拠は要らないそうだ。
そのほうが、世の中、明るくてよい。
が、出し方に注意しないと臭う場合がある。
プライドばかり高くて実際が追いついていないことがある。
それに対して、オリンピック選手のように血に汗滲む、才能プラス努力プラス強いこころが、周りから目に見えてわかるような特別な頂点に立っている人は、自分を追い込む気迫を感じる。
期待を背負い、結果を公に目の前で出すのは猛烈なプレッシャーだと感じる。

プライドとは、、、理想の自分かも知れない。
理想を形作るもの。
理想に向かって目標を定め、コースを走ったり歩いたりする。
わたしはもう歳なんだし、プライドをかなぐり捨ててまで目標に無理やり近づかなくても良いと思うのだが、自分の能力が欠如している分を補充するため、プライドを切り売りしてマイナスや綻びを埋める。
プライドは万能薬。
何にでも効く。
なくなればまた、一旦預けている神棚か金庫に取りに行けばよい。
お取り置きしているはずのプライドが、ある日、取りに行ったらカラスに荒らされて何もなかった、なんてこともあるかも知れない。
その時は、プライド無しコースに変更し、ハイブリッド車みたいに、切り替えて走行しようか。
船で言えば帆船か。
風の力で進む。
嵐の時はどうする?
転覆して漂流して、無人島に辿り着くか、どこかの船に救助される。
それでもいいかも知れない。
けど、実際の嵐、怖いですー。
陸路でもホワイトアウトとか、ものすごく恐怖。


昨夜、書き始めて、あまりにもつまらない面白くない記事だったので、ボツにしていたが、続きを今朝、書いた。
昨夜よりはマシ。
わたしの場合、一晩寝ると、目減りしていたプライドが自動的に自然補充されるメカニズム、システムのようだ。
燃料は睡眠。
安上がりだ。


美しい若者

2022-02-20 | 日々のこと
この頃、夢をよく見る。
ストーリー展開が面白く興味ある。
楽しんでいる。
起きる時間近くになっても結末にたどり着かなかったりすると、やきもき、はらはら、どうなるのか興味津々。
途中トイレに行ってまた寝ても続きから夢が始まったり、まるで映画館のようだ。
今朝の映画(夢)も明るい快活な路線で、なぜか最後に茶系の服を着た息子が唐突に登場した。
メガネがマスクのせいで曇っていたのが面白かった。
友情出演か?


ちなみに、昨日、電車内でのこと。
横2人ずつ対面して座る4人ボックス席。
3人が座っていた。
奥の席が空いていたが、どーもどーもと、皆さんの前を割って通って座るほど、わたしには勇気がなく、立っていた。
すると、奥の席が空いていて手前に座っていた若い男性が席を譲ってくれた。
「良かったら席、座ります?」
と、ハッキリした口調。
真っ黒の布地の長めコートを着た、陶器のように白い肌をした、しっかりした黒髪ストレートヘアの美男子。
スタイリッシュ!
あらまあ、可愛い子!と思った。
素直に、「ありがとう」と言って彼が立って退いてくれたところを通過して奥の席に座った。
彼は「いいえ、ちょうど運動したかったんです」と元の席には座らず席を離れた。
運動ねえ、、、と内心、くすっとなった。
わたしは、元いた彼の席、つまり隣の席が空いているから彼も座れるのに座らないのね、、、と誰も座らない空いた席ががらんとしていると感じたが、
さすがにペアシートにわたしみたいな席を譲ってあげたくなる風貌、年齢の女性と真横に座りたくないだろう。
降り際に彼の後ろ姿が見えたので、わたしが「ありがとう」ともう一度行ったら、
「気にしないでください」とまたまたハッキリ言われた。
まあなんとキレの良い日本語発音。

「気にかけてくれてありがとう」の気持ちだったので、「気にしないでください」と言われると、言葉の意味を深読みして考えてしまうが、まあ、お互い、明るい挨拶みたいなものと軽く捉えている。
美しい若者に席を譲られるなんて、長生きはするものだ。
年寄りは、お得。

しかし、横にすっと立っただけで、歳がバレたのは喜ぶべきか、悲しむべきか。
マスクでほとんど顔は隠れているのに、、、。
結果良ければ全て善し。
善いように受け取ろう。
歳が行けば行くほど、プラス思考で行こう。

ところで話はころっと変わるが、、、
今日、中華店で昼食を取っていて、夢の内容を突然思い出した。
前に座っていた二人の男性が仕事の話をしていたから、その関連で脳にピピッと繋がった。
わたしが仕事にかかわっていた内容。
上司や社外スタッフなどが集まって会議を行なっていた。
過去に取り組んでいた仕事。
あの頃は必死だった。
懐かしい日々が蘇った。
そのせいで家族には迷惑をかけたが、もう済んだこと。
ごめんなさい、と懺悔。

だが、結果良ければ全て善し。



同時通訳

2022-02-19 | 日々のこと
七転八倒の翌日が過ぎて今朝、体重を測ると2キロ落ちていた。
体重って、そういう感じで上下するのかぁと。
上がり下がりに一喜一憂しても仕方ないと感じた。
どうせまた2キロぐらい、1日や2日で元に戻りそうだ。

ちなみに、4歳女児孫、本名の他に、自分でつけた名前がある。
「自称」というもの。
言葉を発し始めた頃は、自分の本名をそのまま発音していた。
やがて3歳ぐらいになると、「わたし」と言い出した。
今は、「ウル」と言う。
ウルって、何?
なにやらお話に出てくる女子の名前らしいのだが、本名で呼びかけると「ウル!」と訂正される。
何度も訂正されるのもなんなんで、覚えることにした。
しかし、覚えにくい。
うるると、さらら、、、みたいだなあ、、、「水滴」を擬人化したイメージキャラの家電製品を連想しながら、何度も復唱する。
孫はたくさんいて、一人一人名前がぱっと出ないこともあるのに、期間限定の名前を好きな期間に自分で付けられると、覚えきれなくなる。
今はまだ覚えているが。

このウルちゃん、上二人のお兄ちゃん、下には可愛い盛りの妹に挟まれた、多感な4歳。
なかなかナイーブなところがあり、気を使う。
孫は、男の子が続いて、最後に女の子だったため、周りは沸いた。
待望の女の子!!
蝶よ花よ。
だが、天下は続かず、3歳で天敵が現れる。
天敵は最初は動かないが、やがて、ハイハイしたり、立っちしたり、少しずつ出来る度に周りは、わあ〜〜すごい、すごいと拍手。
そんなこと、わたしはとっくに出来るわよ、とお姉ちゃん幼児は思う。
しかも、自分の時はなかったけれど、他の人からのお下がりで可愛い女児服が手に入る。
自分の服より可愛いかったりすると、おかんむり。
女子間の服争いは既に始まっている。
お姉ちゃん幼児は微妙な立ち位置。
親は、下には手がかかる、上は男の子たち、で、ちょっと真空地帯みたいになっている。

このお姫様お姉ちゃん幼児には、わたしも泣かされた。
保育所へのお迎えにピンチヒッターで行くと、毎回、目に涙をいっぱい溜めて思いっきり泣かれる。
「おばあちゃん、嫌〜」
と自分が泣いている説明までしてくれる。
嫌で悪かったね。
こっちだって嫌だわい。
いつもお迎えに行く日は憂鬱だった。
が、おばあちゃんも一緒に泣いているわけにはいかない。
見えないところでお尻をつねるなんてことは、さすがにしない。
そんな発想もない。
とほほ、かなわんなあ、と弱り顔。
最近は親の在宅ワークも増えてお迎え役も減ったから、やれやれだ。

昨日、女児二人とわたしの長女(ママ)が、子供を連れてくるついでに昼食もうちで食べた。
ママにコーヒーを淹れたがちょっと張り切り過ぎて濃かったかな?と思った。
で、ママに「コーヒー、濃くなかった?」と聞いたが、仕事の昼休みを利用して来ているママは何やらスマホで用事で、無言。
返事なし。
すると、ウロちゃんが、「ママ、コーヒー、濃くなかったか、って。ばあちゃんが聞いてるよ」と、通訳を買って出てくれた。
ママとばあちゃんの橋渡しをしてくれる、ウロちゃん。
もう大人の気遣いかあ、、、とオマセなんだか、年齢によらず個人の性格かも知れないが、まあなんと、、、

ちょっとしてからすっかり場面が変わった頃、ママは「タイミング外してなんだけど、コーヒー、ちょうど良かったよ」とのこと。
手が離せない時は、聞こえていても返事は出来ない事情もよくわかる。
この二人、母娘でなかなか似たタイプだと前々から思っているが、益々そう感じた。
言語理解能力が発達している。
母親と同じような道を歩むのか、はたまた令和の時代に沿った道を歩むのか、先が楽しみでもある。

少なくとも娘たちは、わたしとは同じ道を歩まなかった。
全く違うかといえば、そうでもなく、時代の色合いを受けて変化している。
時代に応じて生きて行ける道を歩んでくれて、ほっとしている。
子供たちは皆、頑張り屋さんだ。
わたしの力だけでは到底このようには育てられなかっただろうし、育たなかった。
周りの家族の皆に感謝してもしきれない。
とても嬉しいことである。
慢心せずに、このまま何事も悪いことがないように頑張ってほしい。
また、困難があっても、乗り越えて行ける力があると信じたい。

自業自得、七転八倒

2022-02-18 | 日々のこと
今日はいつも来ていただく方のブログにお邪魔した。
優しい文章を書かれる方で、お顔をうっすら想像した。
人の気持ちに寄り添う方のようだ。

さて、今日のアピールチャンスは、ドテっと転びスベりまくった。
まあこういう日もある。
皆さんの興味を引かないというのも、一つの事実、現象だから、真摯に受け止める。

昨日は3回目ワクチン接種をした。
今までにないほど苦しんだ。
やはり健康は大事、、、だが、わたしの全細胞がワクチンの侵入に全力で抵抗していた。
夜通し、バタバタのたうちまわった。
それはワクチンだけせいではなく、夜に赤ワインを飲んだからだと思っている。
美味しいボディ厚めのワインで、高級レストランならそこそこ取られるかも、と、積極的に味わった。
それが良くなかった。
鬼の撹拌。
あまり食べずにワインを飲んだものだから夜になって寒くて寒くてガタガタ震え出した。
きっとアルコールの後遺症。
最近、飲んでなかったのに、調子に乗って飲んだわたしに、100%の責任がある。
熱いお風呂に浸かり、ブルブルを緩和しようとしたが、熱いのと寒いのが闘って、わたしの体は分裂戦争を起こしていた。
夜中から朝まで七転八倒。
布団の中でもがいていたが、体を捻ったり横になると痛いので、真っ直ぐ御行儀よく気をつけ!のポーズやら、いろいろ変えたりして朝を待った。
しかし、接種箇所が痛いことったら。
筋肉痛や関節痛?みたいなものもあり、体を屈めることも苦痛。
明日は踊りに行かないといけないのに、大丈夫かしらん?

朝になっても全く食欲はなく、自治体指定のゴミだけ出して、飲まず食わずでもう一度寝た。
食欲というものは、素晴らしい!
つくづくそう思った。
食欲がないのは、どこかが必ず異変を生じているシグナルだろう。
お茶の一滴も飲む気がせず、寒気もあり布団に潜り込んだが、昼には起きることにした。
まだ頭は痛い。
頭痛、寒気はあるものの、熱は始終なし。
それだけが救いだった。
発熱→コロナの疑い
そう思っているので、体の不調をMAX感じながら、よろよろ検温すると、いつも36度台。

昼からは、また寝ようかどうしようか迷ったが起きることにした。
頭痛はするが、食欲が戻り、お茶やお菓子、食パンなら食べられるようになった。
やれやれ。
ワインにはくれぐれも注意しましょう!
これは、わたしに関しての注意事項。自己警告。

健康は掛け替えないと思う。
ちょっと具合が悪くなると谷底に突き落とされたような気になるなんて。
わたしはいつも健康なので、ちょっとした病気に弱い。
と言っても、ワインが原因なら笑えない。
腕もだいぶん痛みがマシになった。
明日は踊れるかな?


ちなみに、、、話はころっと変わる。
わたしのダンスペアの相方、いつもペアを解消したいと強く思うのだが、なかなか行動に移せない。
前の相方も、蝶ブログにぶちぶち愚痴を書きまくって、解消できた時の喜びったら、、、解放感ありありで、それはそれは爽快だった。
今回も解消したいのだが、なかなか出来ない。
わたしが踏ん切りが悪く、ぐずぐずグジュグジュしているから。
我慢しすぎて解消の機会を逃してしまっている。
だからといって危機を乗り越えたわけではない。
いつも不満をはらんで今日まで来ている。
最初の頃はこんなことはなかったのに、いつの日からこうなってしまったのか。
若いカップルにはありがちなこと。(若くないけど)
情熱が燃焼してしまって、ぷすぷすと燃えカスみたいなものが、酸素供給を邪魔している。
最初感じて喜んでいた有り難みや感謝の気持ちが、当たり前のようになり、やがて不満に繋がる。
わたしが不満や意見、感想を小出しにしてこなかった、ミスコミュニケーションが招いた結果だと思う。

スキルの向上にしたがって、相手に求めるものもアップする。
二人の関係性は変化する。
お互い、不満、傲慢になる。
原点に戻って見直すべきだが、もう無理かなとわたしは思っている。
わたしが不満を溜め込んでいたせいだろう。
一番避けたいパターンだ。

ある日、突然、女性が男性にサヨナラ宣言をする。
「今までありがとう、楽しかったです」
男性は寝耳に水。
「もう決めたの、わたし。ここまで来るのに何回も涙を流してきたわ。
その度にあなたにSOSのサインを発していたのに、あなたは気づかなかった。もう限界」
なんて言って、話し合いの余地はない。
安物のロストラブストーリーになっている。

結婚相手に対しては一生涯、添い遂げるつもりなので、毒を吐こうが、わたしは別れない。
わたしが頑張って選んだから。
死別はあるが。
趣味関係の相手は、時々相手を変えるほうが、技量や脳の活性化につながると思う。
解消するのには、タイミングがある。
思いついたからといって直ぐ即というわけにはいかない。
早い話が、わたしのほうが上達が早いにもかかわらず、相手男性がいつまでもマウントを取りたがるところに原因がある。
状況に応じて態度や行動を変えるべきなのに、いつまでも「オレは王様」をやっている。
力量のない偉そばり王様なら、チカラのある柔軟性のある人のほうが良い。
結婚相手は変えないが、ダンスペア相手は変える。
情が移るのでは?と仮に考えたとしても、偉そうにされたら冷める一方。
平身低頭、なんで機嫌を取ってまで尽くさなければいけない?
パーティは終了、ゲームオーバーだ。
力関係が変わってきているのに。
わたしも趣味仲間たちに色々聞いたり見知ったりして意識が変わって来た。
啓蒙啓発された。
相手の態度が変わらない限り、もう無理だと思う。
無理なら無理で、また候補の人たちはいるので、固執することはない。
と、結構、冷めながら、話の機会を窺っている。
お互い固執しないなら、晴れて解消。
どちらかがこころが残るから引きずっていくわけだ。
こころは簡単にシロクロ付けられるものでもないので、難しいところだ。

しかし、、、一度解消したら女性はずっとお一人様になる傾向があると感じる。
その心情、よくわかる。


ヒマにかまけて駄文

2022-02-16 | 日々のこと
昨日からまるっきりやることがなくなり、ぼーっとしている。
実際は期限を前にしたタスク2個あるのだが。
まあそれはよい。
「やることがない」のではなく「やる気がしない」、、、これは、たんなるサボりであるが。
製本型5年連記日記には、書くスペースが限られているのに、ヒマヒマヒマヒマ、と書いたので、よっぽどヒマなのだろう。
心身・凪状態。

ぼーっとするのもツラい。
何をしようか考える。
とりあえず、ラジオFMは流れている。
ゲームは一切しない。
が、生のリアル人間(家族)を囲んで面と向かい、会話やリアクションを楽しみながらトランプや麻雀はすることがある。(麻雀は接待麻雀)
無機質なゲームはしない。
まだピアノを弾いている方がマシ。
パチンコとか、絶対にしない。
パチンコ場の持つ雰囲気が嫌い。競馬競輪も拒絶反応。
相容れない。
ギャンブルもギャンブラーも嫌い。
(株もギャンブルの一種だが、アタマが要る
ギャンブルからの収益金で、公共性のある事業に寄付したり、プラスの要素はあるものの、、、収益金は、スッた人から得るわけで。
ギャンブルを楽しんで生き甲斐にして、仕事や人生の糧にしている人を否定するわけではない。
お小遣い範囲内で楽しむのは自由。
ただ、わたし個人の人生には、関わりたくないだけだ。
人生を狂わせるリスクもゼロではない。
自分だけならまだしも、家族や周りを傷つける話は他人事としてだが、よく耳にする。

と、延々とどうでもよい話はさておき。
ヒマをどう潰したか。
とりあえず、「趣味」に1か月間に使う費用を計算してみようと思った。
交通費、参加費、食費、交際費、雑費。
会場により、参加費、交通費は違い、行くランチ店も異なる。
月にこの会場は何回、あの会場は何回、レッスンは何回(2つの私鉄とJR利用の教室への交通費とレッスンは割高)、と、行く頻度の違う会場別にそれぞれ足し算と掛け算を繰り返す。
ざざっと計算してみたが、阿佐ヶ谷姉妹ドレス費用は含まれていない。
収入から支出を引くと、マイナスではない。
が、家計費を入れない趣味関連だけの支出ではあまり参考にならない。
A4用紙にさらさらと鉛筆書きの雑な計算は、たんなる暇つぶしにしかならなかった。

で、ちょいちょいスマホをのぞきながら、スマホから離れよう!と決めた。
スマホ依存性であるわたし。
さて、どうする?
ドリップコーヒー、薄くなるまで何杯もおかわり。
キッチンとダイニングを挟むカウンターの下あたりに、何やらこころの目が向く。
何日か前から、ヒマになった時、持ち堪えそうにならなくなった時にも、同じ場所に気持ちがゆるやかに向く。
そこには究極の暇つぶし、、、かつて読んだ本が数冊入っている。
一度も読んだことがない、頂いた本も入っている(はず)。
その中の1番上に置いてあった、普通の人にも読める、わかりやすい教養本を手に取る。
別に眠くはならない。
その中で好きな本があるのだが、、、なんと12年も前に書かれた、「最新」社会を読み解く内容。
ここで面白いのは、最新本だが発刊は12年前。
65歳が最年少の高齢者!と同じようなノリ。
古典を読み解くならいざ知らず。
最新の古い本。
ではあるが、自分でも自嘲気味に読み進めた。
最新社会といっても、流行やトレンドものではない。
しかも、たまたまロシアの話。
世界を知る力。
日本人は第二次世界大戦後、アメリカのフィルターを通し、鋳型の見方でしか世界を見ていない。
黒船が来るよりずっと前から日本はロシアと関わってきた。
(続きはまたの機会に)

今日のウクライナ、気になる。
しかし、ほとんどの島国から出たことがない日本人にとっては全く対岸の火事ではなかろうか。
ウクライナって、どこ?
無知なわたしだけか?
悲劇は起こって欲しくない。

それとはまた話は関係ないが、
何しろわたしはなぜかこの著書が好きである。
あるくだりが特に。
幼児が同じ絵本の同じページが好きで何度も読むように。

蝶ブログにも前に書いているが、
江戸時代後期に藩米を廻船で運ぶ途中に漂流した日本人達が救助されロシアに辿り着いた。
12年間、ロシアのあちこちに連れて行かれたものの、日本に帰国後、その内容を説明する知力がなかった。
洞察力も語彙も認知力も不足し、どうなっているのか、何がなんだかわからないまま12年経ってしまい、日本の聞き取り役の役人の手を煩わせた。
この部分がわたしは大好きである。

見聞したことも経験したこともない事柄をどう理解して、どう説明するのか。
これ、お役人や蘭学者達は困っただろうと。
現代においても、こういうことはある。
だから面白い。
何が?
残念なことに語彙力が不足していてわたしにはうまく言い表せない。

今日はお酒を飲んで酔っ払ったかのような、話が行ったり来たり、、、
幼い子供が母親に一気に話したいことを脈絡なく話すかのように。
駄文とはこういう文のこと。


と、そんなことはどうでもよい話で。
明日は保育所が学級閉鎖のため、オシメちびっ子1歳半女児1名と、生意気4歳女児1名の専属保育士となって頑張らなければならない。
さらに学童男児達と大人達の食堂係も。
無資格の保育士、栄養士、調理師であるが、善しとしよう。
はい、いい加減な、ばあちゃんです。

※ちなみに、トップ画像、インパクトはあるが気持ち悪い。






贅沢は時代と共に変わる?

2022-02-15 | ブログ
編集画面に現れる、gooユーザー向けサービス、ライトブルーが目を引く「アピールチャンス」。
次から次へとユーザーさんたちの自己ブログのアップが続けられているが、いつも、見るともなく通り過ぎている。
たまに気分や写真やタイトルから立ち寄ることがある。

今回、開いてみたのは、毎月、何処かのラグジュアリーな高級ホテルにご夫婦でステイしているレポートブログ。
豪華ぶり、美味ぶり、素敵ぶり、、、万人がいいなあと憧れるであろう夢の暮らし(ステイ)が繰り広げられていた。
こう毎回毎回だと、毎月、いくらの出費かな?と、計算。
この中年のご夫婦は共稼ぎかな?
YouTubeにも同じ内容がアップされているようだけれど、記念や記録、情報の共有、贅沢気分のお裾分けかな?
と思いながら2つほど見た。

お金や時間の使い方は人それぞれ。
ひとつの提案であり、何か楽しいことはないかなあ、、、と思っている人には具体的な欲求喚起のヒントになる。

わたしが思ったことは、、、
このブロガーさん(YouTuberさんでもある)は、もちろんラグジュアリーライフが大好きであるが、同時に記録して公開し、皆んなに見てもらうことにも喜びを覚えておられるようだ。
仮にわたしがこのようなブログをアップするとすると、、、部屋や風景の撮影はまあよいとして、食事の撮影には今のわたしは抵抗を感じながら、身を小さく縮めながらやっている。
撮影することが好きなのだから仕方ないにしても、自分が抱く、自分に対する理想は、写真など撮らずに、その瞬間瞬間を貪欲に味わい尽くせ!というもの。
だが、写真を撮ってしまうサガ。すぐ従軍カメラマンになってしまう。
この一瞬だけではもったいない!記憶として薄れてしまっては手遅れだ!
それに後日、何度も楽しみたいからだろう。
ではあるが、写真を撮りながら周りの目を気にする自分もいて、「写真を撮っている自分」も「気にしている自分」もカッコ悪い。

家庭内でのケーキショットなどは、公開することは稀、というか公開するために撮っているのではないのだが、わたしの家族の皆さん、文句も言わずに撮影時間(15秒ぐらい?)は大人しく待ってくれる。
撮り貯めた写真の中からブログに記事に関係なく使用することもある。

話を元に戻す。
お金や時間の使い方は本当に人それぞれ。
無い袖は振れないが、生活に支障をきたさないのであれば、身体とこころが丈夫なうちに好きなことをするのが良いだろう。

わたしは、安い100円の回転寿司でも、目の前で寿司職人が握ってくれカウンターで食べる高級お寿司も、味は多少違うが、お寿司というカテゴリーは同じであると感じる。
食に貪欲な人はどんな労力やお金や時間を使ってでも、美味を追求する。
わたしは、美味しい、不味いの味の「違い」はわかる。
喉元過ぎれば同じだが。
どれぐらいの価値を置くか、である。
ではあるが、わかるということは、幸せである。
わからない人もいるし、一生、わかることはない人もいる。
その人の歩んできた人生、歩む人生による。
選択肢があるか、ないかであるが、喉元過ぎたらおんなじやん!なんて言っているわたしは、味わいも風情もない。
美味を味わい共に楽しもうとする人々を白けさせるかも知れない。
確かに良いものは良い。
味わい尽くすことに生きる悦びを感じるだろう。
その一方で、衣食住ではなく、命をかけた登山に人生の全てをかける人もいる。
命ほどではなくても、グランピングなど、半分自然を取り入れたキャンプも人気だ。
贅沢の感じ方が人や年代によって違う。

今ふと思うと、豪華ホテル贅沢三昧は、あんまりカッコよくないかも知れない。
時代遅れ感がある。
昔昔の大女優さんのように、すごい毛皮のコートをまとって、しゃなりしゃなりと歩くと、動物愛護団体から非難を受けるように、時代は移り変わる。
豪華、贅沢も時代と共に質が変わるように思う。
ごてごてコッテリよりも、心地よい透明感。
豪華な部屋でなくても、一粒のコーヒー豆を自分の手で栽培し焙煎し味わうのも、こだわり。
クラウドファウンディングで寄付して皆んなで企画立案、夢を具体化して立ち上げ作るのも良し。
ではあるものの、日常生活に忙殺されると、意識の高い目標より、手に取りやすい快適時間のほうが効き目があるように思う。
が、人それぞれ。

豪華ホテルステイのブログも、年に数回ならまだしも、毎月毎月これでもか、、、と、なかばムキになるかのようにインターネットにアップされると、ステイするのが楽しみなのか、アップするのが楽しみなのか、本末転倒のようにわたし個人としては思う。(決して非難でも否定でもありません)
そういう時期は誰にでもあることだろう。
自分を楽しませているのは、本当に贅沢なライフスタイルなのか、皆んなの目に触れる自分の生活なのか、、、
両方同時に楽しんでます、というのもアリだけれど。
日記を兼ねて、なんていうのもアリ。
読む人を不快にさせる、特定の他人に対する誹謗中傷やヘイトスピーチでなければなんでもアリだ。

皆んなの生活や考えを知ることによって、自分の刺激になり、自分が活性化されることなら、大いに好奇心を持ち触れると良いと思う。
ただし、わたしの場合は、あんまり行かない傾向にある。
今を楽しむのが精一杯で、人のことまで興味が追いつかない。
わたしは器が小さいのか、自然体エコ路線である。