社会の中は、複雑な面もあるが、ある面、単純な仕組み、構造にもなっていて、
同じような場所には、同じような人が集まる。
狭い範囲の自分の周りが全てだ、と思い込む人が多い。
そして、お互い、交わることのない層に対して、全く理解しようとしない。
別世界の、縁のない人々と捉え、視野の中に入らない。
異星人のごとく、無関心を貫く。
社会全体を見渡さない、自分の周りだけの小さな世界が、
全体にも通じると思っている人たち・・・
私は「マリー・アントワネット軍団」と名づけている。
マリー・アントワネットの実像には、いろんな諸説があり、
池田理代子さんの「ベルばら」では、いいかんじだけれど。
彼女は歴史のうねり、軋みに巻き込まれた被害者でもあるが、
ここでは、民衆の憎悪の対象となった、血税浪費のド派手生活をデフォルメして。
それと、お勉強が嫌いなところも。
自分と世の中の皆は同じではない、ということさえ、気づいていない。
閉ざされた社会に身を置いていると、見える範囲が限られている。
中でも、お金を稼ぐ必然性がなく、稼いだことがない上に、
お金の重要性を考えたことがないという、素晴らしい「ぬるま湯」は、
ものを見る目に大きな影響を与える。
(特別な心身上の理由がある人は別として)
もっと曇りのない大きな目で、世の中、世界を広く、深く、見渡して欲しい。
ぬるま湯から出ると風邪をひく、
自分を客観的に直視するのが嫌、
自分にとって、都合の悪いことには目をつぶる、
同じ環境の仲間と、どっぷり「ぬるま湯」を享受する、
まわりでワーワーおしゃべりしているだけで、本質には近付こうともしない。
その場限りの膨大な享楽時間を上っ面で楽しむだけで、
何かを考えている様子は、ほとんど感じられない。
わざと、考えていないフリをしているのか?
生活信条は、「何も深く考えないこと」なのだろうか?
曇りのない目で世の中を見ると、汚れたものも見える。
そのことで、純粋さが失われるわけではない。
いろんなものを知らないなら、知ろうとする姿勢も大事だ。
知った上で、自分の作ったフィルターをかけるのは自由だと思う。
人様には迷惑もかけていないし、攻撃もしていない。
自分を守って、どこが悪い。
まあ、それも人生。
人には人の道がある、とういうものだ。
他人があれこれ口出しするものでもないと思う。
が、私は、「世の中を知ろうとしない」方々は、苦手だ。
同じような場所には、同じような人が集まる。
狭い範囲の自分の周りが全てだ、と思い込む人が多い。
そして、お互い、交わることのない層に対して、全く理解しようとしない。
別世界の、縁のない人々と捉え、視野の中に入らない。
異星人のごとく、無関心を貫く。
社会全体を見渡さない、自分の周りだけの小さな世界が、
全体にも通じると思っている人たち・・・
私は「マリー・アントワネット軍団」と名づけている。
マリー・アントワネットの実像には、いろんな諸説があり、
池田理代子さんの「ベルばら」では、いいかんじだけれど。
彼女は歴史のうねり、軋みに巻き込まれた被害者でもあるが、
ここでは、民衆の憎悪の対象となった、血税浪費のド派手生活をデフォルメして。
それと、お勉強が嫌いなところも。
自分と世の中の皆は同じではない、ということさえ、気づいていない。
閉ざされた社会に身を置いていると、見える範囲が限られている。
中でも、お金を稼ぐ必然性がなく、稼いだことがない上に、
お金の重要性を考えたことがないという、素晴らしい「ぬるま湯」は、
ものを見る目に大きな影響を与える。
(特別な心身上の理由がある人は別として)
もっと曇りのない大きな目で、世の中、世界を広く、深く、見渡して欲しい。
ぬるま湯から出ると風邪をひく、
自分を客観的に直視するのが嫌、
自分にとって、都合の悪いことには目をつぶる、
同じ環境の仲間と、どっぷり「ぬるま湯」を享受する、
まわりでワーワーおしゃべりしているだけで、本質には近付こうともしない。
その場限りの膨大な享楽時間を上っ面で楽しむだけで、
何かを考えている様子は、ほとんど感じられない。
わざと、考えていないフリをしているのか?
生活信条は、「何も深く考えないこと」なのだろうか?
曇りのない目で世の中を見ると、汚れたものも見える。
そのことで、純粋さが失われるわけではない。
いろんなものを知らないなら、知ろうとする姿勢も大事だ。
知った上で、自分の作ったフィルターをかけるのは自由だと思う。
人様には迷惑もかけていないし、攻撃もしていない。
自分を守って、どこが悪い。
まあ、それも人生。
人には人の道がある、とういうものだ。
他人があれこれ口出しするものでもないと思う。
が、私は、「世の中を知ろうとしない」方々は、苦手だ。