蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

新・ファッション・コンセプト

2010-09-30 | ファッション
私は、どちらかと言えば、ファッションには関心があるほうだ。

しかし、昼間は28度を超えることもあるのに、秋・冬ファッションの人を見ると、汗が出そう。
ブーツの中は、蒸れるだろうなあ・・・ファーの下の背中、汗だらだら、だろうなあ。
秋・冬を先取りするのは、街のショー・ウインドウだけで十分。

長く過酷に続いた夏にうんざり、夏ファッションに飽き飽き、
そこに目を引く秋・冬コレクションの数々。
以前なら、取りあえずは、買って、スタンバイするだろうけれど、
連日の日中の暑さには、まだ着る気がしない。

朝夕はぐっと冷えるので、外出時には、暑さ・寒さ対策、3段階に切り替えられる服装を私は準備する。
半袖+長袖+羽織りもの
暑くなれば、長袖の一枚を脱ぐこともでき、半袖だけに。
寒くなれば、長袖の上から羽織りものを羽織る。

それは、急激な温度変化に対応するための、風邪予防対策であって、
ファッション重視ではない。

若い人は、そんな予防をしなくても、体力は十二分にあるし、
たとえ熱を出しても、汗をかこうが、寒さに震えようが、ファッション重視。
(かつて私もそうだったように)


その、若い、アツい日々を送ってきた私だが、ここにきて、自分のファッションを総点検。
ここのところ、自分さえよければいいファッションになっているからだ。

快適重視。
自分の好み重視。

つまり人目を全く気にしていない。

快適方面は、まあ、これからも益々だろうが、それはそれとして、・・・
問題は、ファッション性。
見かけの問題。センスの問題。

自分では、若づくり、流行のものを取り入れようとしている。
ただ、年齢とファッションが合っていない。
顔はもちろん、スタイルの悪さが、際立ってしまうことが、なぜ見えない?

同じように、街で、老けた顔で若いファッションの人を見かけると、
「あ、私も、あんなのに違いない」
と、人の振り見て我が振り直す、そういう気持ちになる。
あの老け顔で、あんな若い格好をしているから、おかしい、老け顔がよけい強調されるのだ。
自分の年齢や老け顔にマッチした服装にしておけば、あえて、そんな失態を晒さなくてもいいのに。

要は、似合っていないということ。
中には、老け顔でも、カッコよくキマっている人もいる。
客観的に自分を見ることが大事。

そして、私にとっての、新しいコンセプトは、これ。

「自分に自信が持てる服装」

流行やセンスは、もとより、まず第一に、TPOにあった、相応しい服装。
自宅で、ジャージ。それも、よし。
火事や災害の時に、飛び出す時ぐらいにしか、他人の目には触れない。

ただ、人の目があると、ちょっと変わってくる。

オシャレな古さ(レトロ)もあるが、それを逸脱した、あまりにも古くさいもの、
素材・品質が粗悪、縫製が悪いもの、
自分は好きでも、似合っていないもの、
センスの悪いもの、品のないもの、
それらは、避ける。


服装には、背筋がしゃんと伸びる、愉快な気持ちになる、楽しめる、気分転換になる、
リラックスできる、そういう心理的、肉体的効果もあるだろう。

自分に相応しい服装=服装に相応しい自分になる。
その服装をすることによって、自分に自信が持てる、そんな服装だ。


しかしながら
今のところ、私のファッションは、流行モノの安物が主流。
ケチの割には、やたら気が多くて、服の量が増え続けている。

「こんな服を着たいな」と「こんな服が似合っている」の間には、微妙なズレがある。
その間には、深くて大きな運河ほどではないが、時折流れの変わる小川が流れている。
気持ちだけで突っ走って、活きがよくて粋なのは、若き良き時代。
ある程度の年齢になると、顔と同様に、服装にも自覚、責任を持たなければ。
顔は人生の履歴書というが、服装は、時々行われる小テストのようなもの?

かといって、まだ、大きな行事も予定がないし、式服といえば、喪服の充実が図られる一方。
ばりっとした、重厚な服をひとつ・・・と思うのだが、
ついつい着回しの効く、無難なものと、衝動買いのバーゲン・流行服ばかりが、増える。

タンスに、すやすや眠り続けている「キモノ」もいずれは、と意気込んだこともあるが、
実践は、いつの日になるのやら。


理想は高く、実践は後回し。現実は、あくまでも手抜き。
いつもの私のパターンに陥りそうだ。

いや、いずれ・・・きっと・・・死ぬまでには・・・・・
Step by step!!


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レトロ・パークが、お好き

2010-09-29 | 
昨日に続き、フランス語ラジオ講座の後、自習二日目。
やはり15分ぐらいで、眠気。
私の脳ミソは、15分しか持たない?
最初の勢いは、どこへやら・・・


法事には、東京から長女も、他県から息子も参加してくれた。
息子は、前に、骨董・鉄瓶と古びたランプを土蔵から見つけ、持ち帰った。

前回、そのランプは、息子が洗って干していたところ、
婚家の雑用サポートに来てくれるMさんに、ゴミ箱に捨てられていた。
義母がすぐ気付き、ゴミ箱から引っ張り出して、事なきを得た。

その前例があるので、今回は慎重に、義母と二人で、ランプをMさんに見つからないよう、
こそっと目につかないところに運び込んでおいた。


今回は、持ち柄がひょろひょろと長く、持ち柄を入れると全長70~80センチぐらいある、古いランプ。
前回のものよりやや全長が長い。
前のランプは、ちゃんと灯が点ったらしい。
灯油を入れるのか、菜種油なのか、何油を入れるのか、よく知らないが、よく点いたものだと感心。
前回同様、明治時代・初頭ぐらいのもの?


それに気をよくしたのか、息子はまた、ガラクタ探し。
息子が婚家を「レトロ・テーマパーク」と言い、面白がっている。
今、世間で流行りのレトロは、「昭和レトロ」だが、
婚家は、江戸・明治なので、時代のサビ方がちょっと違う。(流行には、ハズれている)
息子は、流行&時代の波に、乗っていない。
時代より、早すぎるのか、遅すぎるのか。

前回は、クワやら、農道具やらも持ち出し、自分の家に持ち帰り、ミニ菜園を作りたい様子だ。
まだ、うら若くて独身なのに、あんなシブすぎるジイサン趣味で、
若い女性からは、恋愛対象としては、距離を置かれるのではないかと、姥ごころの私。
(→子供たちからは、「ウザい」と言われる、悪評高き「姥ごころ」)


蛍の光、窓の雪。
蛍雪時代・・・。

↑「苦学する」という本来の意味とは、意味が大幅に違うけれど
専門書やノウハウ本、漫画、サブカルチャー本・・・何を読んでいるのかは、知らないが
なんだか、彼は、そういうエコ路線を歩みそうな気配。
(停電や、インフラ・ストップには強いだろうけれど)


そのうち、「超自然の家」とやらを実践しそうで、オソロシイような、不安なような。
仮に息子に、家に呼んでいただいても、近代的・快適暮らしに慣れた私は、遠慮、辞退したい気がする。



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朝ドラ、卒業

2010-09-28 | 趣味
昨日から、NHK・朝の連続ドラマ「てっぱん」がスタートした。

「ゲゲゲの女房」は、大好きで、毎朝、あの時間にはテレビにかじりついていた。
さあ、次のドラマ、続けて見るかどうか?

とりあえずは、1回目は見た。
フックというか、最初の導入部は、これからのドラマ展開が気になるような
気をもたせる内容には、なっていた。

富司純子さんが、ヒロインと初めて出会った時、「初対面の他人」という設定にもかかわらず、
ヒロインに「おばあさん」と呼ばれていたのが、ショックだった。
やっぱり高校生から見れば、おばあさんか・・・?!
(ストーリー上も、実の祖母のようだが)

富司純子さんは、とても凛とした美しさを持つ方で、じかにお目にかかっても、光を放っておられた。
そのオーラは、他を寄せ付けないものがある。

私の、後ずさりしつつも、尊敬、憧憬する富司純子さんは、ドラマのキーマンになるようだが
さて、この連ドラ、続けて見ようか、どうしようか。
悩んでいた。

一度見出すと、ずっと見ることになり、その時間は、テレビに振り回される。
しかも、ご丁寧に土曜日まで放映しているので、
せっかくの週休二日の貴重な土曜日が、朝から忙しなく、休んだ気にならない。
それに、新人演じる、高校生のはち切れんばかりの笑顔は、今の私には、重い。
たっぷりのサラダ油を使った、揚げたてのトンカツのよう。
(→意味不明・無意味の「比喩表現」、と言われそう・・・)

※(「ゲゲゲの女房」は、
本来、朝の連ドラ・ターゲットではない団塊世代・男性にも予想外に受け、「あんな奥さんがいいな」、
女性には、「向井理が、すごくカワイイ」と、大人気だったそうだ)

あれこれ考えた。


今朝で2回目。
見なかった。

決して1回目が良くなかったわけではない。
が、その時間帯をフランス語の予習&復習に充てることにした。

いつも、ばたばた7時半からNHKラジオ・フランス語講座が始まり、7時45分に終わる。
8時からの連ドラに間に合うように、猛スピードで用事を15分間で済ませる。

その7時45分から8時15分までの30分間を、昨日・新開講のフランス語のフォローに使う。
「ゲゲゲの女房」と同時開講のフランス語講座は、
最初は、やりすぎ感・悪ノリ感に、寒気がしていたが、今ではとても楽しんでいたのに、この9月末で終了。
とても残念だ。
ただ、フランス語に関しては、始まってスグぐらいに脱落、挫折、全くちんぷんかんぷん。

その二の舞を踏まないようにと、気を引き締めている。
講座は、味気ない、高校の淡々とした授業のよう。
ああ、前の、アノ、寒くて面白い、あの番組構成とは雲泥の差。
ただ、内容は、きっちり、しっかり。
でも、予習&復習をしないと、絶対に「二の舞」、間違いなし。

そこで、連ドラをやめて、フランス語にシフトした。
朝の連続ドラマは、「ゲゲゲの女房」で十分、満足した。
引き続き、あの黄金の時間帯を連続で占拠するのは、「ゲゲゲの女房」以外にはない。
朝ドラ・燃え尽き症候群?

取りあえずは、今日はフォローとしては初日。
最初の15分は、よかった。
あと、だんだん、ウトウト。ああ、眠い。
やっぱり、脳ミソが嫌がっているようだ。


番組のほんの最初だけは、わかるから、頑張ってフランス語に取り組もう。
(その後は、自信がないが。継続は力と言うし・・・)
継続しても、多分、単なる「フランス語ファン」のポジションのままだろう。
フランス語を勉強している自分が、スキ。中身、さっぱり。
実に、よくあることだ。


いつも、私は、新学期が始まる頃だけ威勢がいい。


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欲しいものが、ホシイ

2010-09-27 | お付き合い
坊主丸儲け??

昨日は、法事。
義母に何年も前から言われていて、去年ぐらいから具体的に進められ、
今年の初めには、日程が決めらたものだ。
次は、3年後???(正確な数字は、ちょっと忘れた、というか、ちゃんと聞いてない)
万が一、義母が亡くなった場合は、変則パターンが決まっていて、延ばされるらしい。


お坊さんは、「坊主丸儲け」という言葉かあるように、本当に丸儲けだ。
扶養家族を何人も抱えておられるので、それはそれで、収入は不可欠ではあるが。
労働と対価が、正当に、釣り合っているかというと、ビミョー。

サラリーマンのように定期的な額が保証されているわけではないし、
お葬式が重なると、超多忙だが、ヒマな時もある。
「いつ亡くなるか」なんてことはわからないので、常にスタンバイし、亡くなると駆けつける。
(その点、法要は、あらかじめ予定が組まれているので、動きやすいし、年間スケジュールや収入のメドが立つ)


「人命を守る」側と、「あの世」側

お坊さんは、(職業 業務内容として)実に、羨ましい面がある。
それは、スタンバイは大変だろうが、亡くなってから行けばいいからだ。
その点、医師は亡くならないようにスタンバイしなければいけない。
同じスタンバイでも、ちょっと性質が違う。
臨機応変に、最新医療で対応するのと、何百年も前から同じことをやっているのとでは、
緊張感が全く違う。
遺族も、医師を責めることはあるかも知れないが、お坊さんに文句を言う人はないのでは?
お坊さんは、心の安らぎを与える側の特別職なのだろうけれど。

交通機関の運転士や工事関係者、医療関係者など、
ちょっとしたことで人身事故、大事故につながる危険性と背中合わせに仕事をしている人に比べると
業務内容で、人命にかかわるような緊張感とは無縁。
(すでに亡くなってからの、お付き合いだから、人命云々については、責任としては、管轄外)


金額は、心を反映している??? Or not???

ちなみに
お布施は、家によって金額が違うようだ。
大きな節目の法要の時は、ぐんと価格がアップ。
全く同じことをするのだが、その回忌によって、価格で、遺族の気持ちの濃淡を表すのか????


お寺さんはじめ、こういう交流、お付き合いは、故人、遺族にとって大事なのだろうけれど。
(顔も知らない)随分前に亡くなった故人に、お寺さんを中心に、法要参加者が故人との交流を図る。
お供えも、いっぱい。

ご丁寧にお寺さんからお供えいただいたものは、うちの家にとっては全く不必要な食品だった。
なんでもいただく私でも、さすがに、義母から、「持って帰る?」と言われたが辞退した。
義母の家も、あの食品群は不必要。
他からも、お供えいただいている食品群で、やたら高価で不必要なものがある。
まったく、合理的でない。
不必要な食品が、何万円分も。
このシステム、やり方、どうにかならないの?

これが、お付き合い、交流なのか?

お寺さん以外にも、他の人々とも、お金やモノをやり取りする。
生きている人にとって不必要なものでも、故人には必要なのか???
かといって、故人が好きだったもの、とか、そんなものでは全くない。

それが、お付き合いの方法?

そういう類のお付き合いの多い義母の家は、いつも、モノであふれかえっている。
さらに、義母は、具体的な行事に使うのではなく、ちょいちょい、なにかのついでに人にあげるため、
時々デパートで、大量のお菓子などを発注、取り寄せていたりする。

法事は滅多にないが、法事以外の日常の諸々、交流、他家の仏事、その他、
モノ、モノ、モノ。
しかも、賞味期限が限られている。
他家からの頂き物で、洗剤とかもあるが、義母は決めている洗剤以外は使わないので、不必要品となる。


モノがいっぱい、必要なモノ、不必要なモノ

今は、昔と違い、ライフスタイルも、こんなに多様になっている。

好みも生活様式も、様々。
なのに、どかっ~んと、もらい手側の好みを全く無視した、大量のカサ高い食品をやり取りする。
バザーか、行政機関を通して寄付するか、頭を下げて、知り合いの誰かにもらってもらうか、
(もらう方も、またお返しなど考えたりすると、お互い、不必要なスパイラル)
はたまた賞味期限を過ぎるまで自分で抱えて、捨ててしまうか。
エコと正反対。

大阪府下のある市では、寄付センターに行けば、
不要品を寄付されたものを、市民が無料で、欲しいものを持って帰れるそうだ。
田舎には、まだそんなシステムが整っていないようだが、
もらいに行ったら、自分が贈った品々が、出されていたら、がっかりするだろうし、
○○家は、頂いたものを寄付センターに出している、なんて噂はすぐ広がりそうだ。
あるいは、民間ギフトセンターに、有料で売りつけている、なんて言われかねない。


モノと、お付き合い

あまりにも合理的にものを考えるのも、情緒がなく、ギスギスするかも知れない。
しかし、欲しいモノを欲しい時に、欲しいだけ(適切な分量)、欲しい、と思う私は、
贅沢者なのだろうか。

商品のジャンル・質・時期・量 そういうものがぴったり合うものは、自分で買うしかない。
ただし、要らないものを大量にいただいてしまっているので、先にそれを消費するのがやっと。
欲しいものを買うには、今あるものを捨てることになる。
それは、エコに反する。なので、欲しいものや、好みは、後回し。
好まないものをせっせせっせと、頑張って消費する。
(やっと消費できそうな頃に、また、いただく
あるいは、消費できそうもない頃に、また同じものをいただく)


こういう、要らないモノ・循環システムは、限定地域の特色なのか?
お金、労力の使い方、気の使い方、これは、正解なの???




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「ありがとう」という言葉

2010-09-25 | 無題
親孝行の方々を知るにつけ、立派だと頭が下がる。

私は、両方(婚家、実家)の親に、色々してもらうばかりで、本当にダメな人間だと思っている。
思っているなら、お手伝いしたり、力になってあげるべき、と、
せめて、ネット通販でもいいから(外出もせずに簡単にモノが贈れるのだから)、
プレゼントや感謝の品々を記念日には贈ればいいのに、
物量作戦もせず。


・・・・・・・・・・・・・・
ただし、この記念日作戦は、「水臭い関係にある親子が、儀礼的に行うもの」、
と、社会学者の上野千鶴子氏が、新聞の悩みの相談で答えていた。

子育てを終えた親と成人になった子とは、もう一度お互いに距離を置いて、
家族の絆を再構築することが必要かも、と。

そのためには、儀礼もたまにあってもよい、と、ゆるやかに儀礼作戦を認められている。
・・・・・・・・・・・・・・


たまには目に見えるはっきりしたカタチで親孝行を、と、思うのだが、
まだまだ二人とも、パワーが強くて、私の出る幕はなし。
水は、高い方から低い方に流れる。
まさに、まだ、私のほうが低い。

今、私がしていることと言えば、有事に備えてのスタンバイ、といったところ?
なにかあったら、駆けつけます。(あるいは、誰か代理人を駆けつけさせます。)
それと、あと、元気な顔を見せること。

子供たちにも、あれこれしてもらっている。
こんなことではダメだと思うなら、もっともっと力になってあげたらいいのに、
子供たちは、自立していて、私の出る幕はない。


親には甘え、子供にも甘え、結局、手抜きの自分を正当化し、自分を甘やかしている。

「ありがとう」、「感謝しています」、「いつもすみません」、「ごめんね」

この言葉を、おまじないか、呪文のように、じゃんじゃん使って
さぼっている自分は、とても嫌な人間、
そんな風に自分を見ること自体、なんてヒネクレ者なのだろう。

このようなひねくれた書き方をすると、カンに障る方も多いかと思うが、
実際、私は、やぶにらみ人間。
おそらく、あちこちで不評、不人気、非難されていると思うけれど、
あまり人とお付き合いしないから、人の声が耳に入らないので、
厚かましさ、ふてぶてしさに、拍車がかかり、自分の評価の低さに気付かない。

裸の王様だ。


ただし、この呪文、自分の手抜きをリセットするために、悪魔払いのお札のように使っているわけではない。
自然に心から、口に出る言葉なのだが。
でも、ひょっとして、深層心理として、自覚症状なしで、自分を正当化しているのかも知れない・・・
だが、深層心理は、無意識下のことなので、カウンセラーか、精神科医などの専門家の門戸を叩き、
分析してもらわないと、きっちりハッキリしたことは言えない。



「ありがとう」。
この言葉が出なくて、苦労しているという話題が、よその行きつけのブログで盛り上っていた。

私は、ほいほい、いつでも口癖のように口に出てしまうので、
「ありがとう」を安物にしてしまっている俗悪人だ。
義母も家族も、しょっちゅう、大安売りのバーゲンセールのように「ありがとう」の言葉が口から出る。
環境? 相互影響? 
うちは、ありがとう・インフレ。
その言葉を自然体で使う。

そういうコメントをアップしようとして、場の雰囲気を壊しそうなので、やめた。

苦労している人々のなかで、裸の王様が、無神経なことをしゃーしゃーと言うのは
やはり、はばかられる。
いかに苦労しているか、毎日がツライかという話をしないと、いけない。
人様の神経を逆撫でしても、なにもイイことはない。


さてと、
自分を正当化したり、ごちゃごちゃ理屈をこねないで、
少しでも機会があれば、親孝行、子孝行をしなければ・・・。

人のためになる、ということは、ひいては自分を成長させると思う。
上から落ちてくるものをじっと待っているばかりでなく、
「ありがとう」と言われる側に立てるよう、もっと能動的になれたらいいな。



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人々の風景

2010-09-24 | 
昨夜は、姻戚関係の遠縁の方のお通夜に出向いた。
休日の夜ということもあってか、大勢の方々が参列されていた。
故人の娘さんたちが、大きな組織で現役で働いておられると、
その関係筋からの弔問人数がぐっと増える。

今回は、顔は存じている。
いつも私にはよくあるような、「はじめまして」「さようなら」が、同時というような
故人は顔を見たこともない人、ということはない。
婚家の法事に来てくださった時に、ほんの少しではあるが、話したこともある。

(お通夜だったので、故人とのサヨナラご対面シーンはなかった。)


そのあと、セレモニーホール階上で、会席場が用意されていた。
知った人もいないし、そそくさと帰ろうとしたら、故人の娘さんに参加を勧められ、
別の親戚の親子(先月、その家の葬儀に列席したので顔を知っている)が、
参加されないで帰られるのをちらと後目に見ながらも、
参加しないのも失礼かと思い、用意されている会場に足を向けた。

喪主の方、関係者の方々が、ご丁寧にご挨拶に見えた。
初めて見る方々が、ほとんど。
中でも喪主は、若いなあとは思っていたが、一代飛ばして、お孫さん。
故人のご長女の息子さんで、母親方の姓を継がれたようだ。
そんな若い男の子が、わざわざ席に来て、挨拶をしてくれるわけだが、
私は、うんとうんと大幅に年上なのに、何を話していいか、わからない。


オバタリアン族の習性で、何も考えずに頭に思ったことが口から出た。
「お若いですね~。おいくつですか?」
「19歳です」
「まあ、なんと!! そうなんですか~。どうりで若く見えるはずですね」
と、若さに感心。
自分の年とのあまりの差に、驚いている私。
まったく意味のない言葉に、自分ながら、恥ずかしくなった。

そのボクちゃんが、挨拶の後、去ったあとは、
同じ名字の遠縁の方々とテーブルを囲んで、お話する。

初めて見るお顔の年配男性ばかり。
遠縁とは言うものの、親戚。
そのうち一人は、婚家の法事に来られたこともあるそうだが、全く記憶にない。
前に座っている人のヘアスタイルが面白いなあ・・・、とか、
あれ?この人、入れ歯、入れてきてないのかな? あ、よく見ると、こういう口のカタチなんだ・・・
などなど、失礼な観察をついつい、してしまう。


○○銀行の××支店長さんが、テーブルにやってきて、お酌をしてくれた。
さきほどの、若きボクちゃんの、お父さん。故人の娘婿にあたる。
もちろん、初めて見るお顔。

銀行の支店長さんには、独特の共通点がある。
△△銀行の□□支店長さんや、××銀行の△△支店長さんにもお会いしたことがあるが
皆さん、同じような人物像。
一般受けする、押しつけがましくない態度、口調、人当たり。
初対面同士や、よく知らない者同士の集まる席でも、場を柔らかに取り持ってくれる。

なので、助かった。


故人の奥さん、Kさんも、もうだいぶん前に亡くなったが、
そのKさんとは、私の子供たちが乳幼児の頃、婚家で、あれこれ手助けしていただいた。
とても温かみのある、理知的な方。
家庭背景も学歴も、ご主人よりずっと良い人が、
なんでこんな田舎に嫁いできたんだろう、と不思議に思っていたが、
職場で、故人と出会い、恋愛結婚されたそうだ。

田舎、バアサン付き、三ちゃん農業
(→大黒柱だけが、外に勤めに行き、定則的に現金収入を得て、奥さん、ばあちゃん、じいちゃんで、農業)
Kさんは、都会育ち、裕福なインテリ家庭で育ち、ご本人も高学歴・優秀。
こんなに環境が変わって大丈夫? 
愛する人と出会い、過去を脱ぎ捨て、お嫁に来たKさん。
姑にとっては自分の家、自分の息子より秀でている嫁だったが、結婚を反対されたそうだ。

まあ、恋愛結婚というものは、そんなものなのだ。

結局、一番先に、Kさんが亡くなってしまったが。

そういう思い入れや、エピソードを知っている人の家族なので、今回のお葬式は、
いつもの義理オンリー・派遣出席よりは、若干、距離感が狭まっていた。


そのKさんの結婚。
素晴らしい娘さんたちや、お婿さんたち、お孫さんたちに恵まれ、
立派なご家庭を築きあげられたと感じる。
(まだ、色んな大変なことがおありだと、聞いているが)

それぞれの家には、それぞれの道のり、方向、将来がある。
故人のご冥福をお祈りするとともに
故人亡き後も、ご遺族の皆さんで、今後ますます盛り立てて行っていただくことを願っている。



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ケンカ・コミュニケーション

2010-09-23 | 
とても不思議なことに、私のブログにお立ち寄りくださる方が最近、少し増した。
娘にそう言うと、
「おかあさんは、家族や、まわりの人が、話を聞いてくれないから、
ブログにぶつけてるんやね」
サラリと辛口。

はい、そうでございます。
おつきあい、ありがとうございます。

「ハッピー」、「元気、元気」、「嬉しい!!」
そんな時ばかりではない。
今日の、今のように、自省し、落ち込んでいる時は、静かに自分を見つめる。


昨夜、夫とケンカした。
我々は、滅多にケンカはしないのだが、普段は柔和な夫が、怒り狂っていた。
仕事で疲れている上に、妻の態度が悪すぎて、怒り心頭に発し、ブチ切れた。
確かに妻の態度は、良くない。
反省するには十二分に、思い当たるフシが、イッパイ。
妻の思いやり、いたわりの無さ、怠惰、ふてぶてしさ、その他、・・・イッパイ、イッパイ。


しかし、このケンカ、自然災害で、その後は、台風一過というわけではないと思う。

これまで解決されず、病理を抱えたまま、蓄積され、積もり積もったものが、
コップから水が溢れるかのように、表面に現れた、そんな気がした。


夫は今日、早朝に出かけたので、昨夜のケンカからまだ顔を見ていない。
今日の夕方は、隣の県で行われるお通夜に二人で出席するので、当然、顔を合わせる。
その時には、おそらく元のような顔に戻っていることだろう。
が、はっきりヒビの存在がわかってしまった今となっては、
持病を抱えながら、
あるいは、弾丸やガラスの破片が体内に刺さったまま、手術せずに持ちこたえようとする、
そんな方針を、お互い、確認し合ったにすぎない。
だまし、だましの内服薬も、限界と感じる時がある。

どこの夫婦にでもある、単純なケンカ。
そして、どこの夫婦にでもある、心の奥にある確執。
皆、それを抱えながら、出来るだけ表面に浮上してこないよう、努力しているのかも知れない。

・・・・・

世界のあちこちで起きている、民族紛争や戦争。
諍いが続いたせいで、戦争の爪痕も生々しい街も、戦争が終結すると平和を取り戻している。
なにかのちょっとしたキッカケで、またいつ戦争が起こるかも知れない恐怖、体験から
たとえ、暫定的であっても、今、訪れている平和を愛する。
永遠に続く平和はない、ということがわかっているから、一時の間でも、平和を愛するのだ。
そして、このまま平和が続くこと、永遠の平和を強く願う。


そんな民族の哀しみに比べると、話にはならないような、夫婦の茶番劇。

ことの深刻さ、性質は全く違うが、火種は完全に消えるものではなく、くすぶっているということ、
それをわかった上で、自重し、努力しなければ、家庭の平和は保てない。


大切なものは、失って初めて、その大切さに気付く。
その時は、もう遅い。
大事態に至る前に、そうならないよう、時折、山火事発生、ケンカ勃発、ということで、
小さな点検、小さな自覚を促され、危機管理する機会を与えられているのだろう。


とりあえず、ケンカをしたまんまは、よろしくない。
硬直状態は、悪化を招く。
根本的に変えることはできなくても、小さな修復、小さな修正を重ねていくしかない。


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皆さん、サヨウナラはご一緒に

2010-09-21 | お付き合い
本日は、お彼岸につき、お墓参りと、今週末に行われる法事の準備に婚家に行った。

その真っ最中に、姻戚関係の人の訃報が入った。

またぁ~???

これで、3人目。
姻戚関係の人々なものだから、告別式だけでなく、お悔み、お通夜、初七日、四十九日法要、初盆・・・
色々、数珠つなぎで、ついてくる。

またまた振り回される。


お香典の準備、「おたくの時は、○○円いただいているけれど、いくらにする?」
あちこちの親戚に電話で聞きまわる義母。

告別式はまだ先だが、電話で注文を受け、
私は6軒分ぐらい、立て替えたお香典を預かって帰ってきた。

先物取引か、場外馬券場のよう。


皆さん、この夏、あまりにも暑いので、御親戚、ごいっしょに、旅立たれたのか?
遺された親戚は、行事目白押しで、暑いなか、顎を出している。
いつまで続く、この、義理のお付き合い。

暑いだけでは、済まない。
義母は、ひと夏に、大量、大出費で、ぐうの音も出ない。


姻戚関係といっても、めちゃくちゃ遠いんだけれど。
すでに亡くなって長い年月が経つ義父の、父の、父の、兄弟の、・・・子孫。
姓は同じでも、時代の隔たりが歴然とあり、遠すぎる。
明治時代だか江戸時代だか知らないけれど、なんでそんな遠い昔の
日本史・勉強オタクみたいな
そんな頃の繋がりを大事にするのか、よく、わからない。

固く、強く、一族の絆だか歴史だか、なんだかを信じておられるようだが、
その価値観、陸の孤島のように、限られた区域のみに、通じるだけ?
第一、本当にそんな固い絆なのか?
過去の遺物、幻想なのでは?
浦島太郎になっているのでは?


今、私が住んでいる地には、引っ越してきてもう、22年になるが、
未だ、両隣やらお向いさんの家族構成やら、ご老親の死去やら、
結婚やら、離婚やら、出産やら、ほとんど、よく知らない。
なんだか、最近、子供の声がよくするな~、ぐらいのかんじだ。
(どうやら、お嫁さんが来て、お子さんが次々生まれた家や、
娘さん一家がご実家にUターン、マスオさん一家誕生やら)

別に付き合いをしなければいけないものでもない、自由な気風だ。


どっちがよくて、どっちが悪い、でもない。

都会のあまりの人間関係の希薄さに、最近、ご近所づきあいが、見直されている面もあるが、
下町や田舎では、お付き合いの密度が濃くて、大変だろう(と、私は感じる)。
でも、助け合いが必要な地域では、相互にプラス効果を発揮しているようだ。


私の住んでいる地の人々は、最近は、お葬式を執り行っても、町内会には知らせず、
葬儀を近親者のみで行ったあと、事後報告、というケースが増えている。
町内会長とか、そういった人は、当然、出席しない。
親密な近親者のみで、遠方から遠縁の親戚も来ないのだろうと想像する。


それは、それ。これは、これ。
私は、またまた、お葬式に列席することになるわけだが
本当に、この価値観の違いに、
高層タワーマンションの最上階で地震に遭ったような、
大きな振れを感じる。
ぶわーーん、ぶわーーん、フロアーの上を端から端まで、右へ滑り、左へ滑り・・・。

田舎と、町。
伝統と、合理化。
こうも違うものなのだ、と感心する。



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やる気スイッチ、いきなりON!

2010-09-20 | わたし
今週で終わる「ゲゲゲの女房」
一作一作を惜しみながら、観る。
(休日なので二度寝したため、「フランス語ラジオ講座」は遅刻したが。→どうせ、ちんぷんかんぷん)

いつもはその後に、有働由美子アナの元気番組「あさイチ」が始まるのだが、
(V6の井ノ原快彦クンなど、男性陣もいるけど、有働アナの元気ぶりに負けてカゲ薄い)
今朝は、休日のせいか、別番組だった。


「田んぼが映し出す逆さ雪山の絶景~長野県白馬村 青鬼(あおに)」など5か所を
自然写真家・今森光彦氏と里山の四季の美を追う、素晴らしい番組。
NHK BS-hiで放映されたシリーズのひとつで、今回は再放送されているようだ。

しばらくは、その美しさに、うっとり。
農業も、こういうアングルで捉えると、こんなにも美しく見えるものなのか。
(現実には、若手不足、深刻な後継者問題を抱えるが)

江戸時代から続く、シンプルな農法。
里山の美しい自然の景色と、人の営み。
ややこしい人間関係のもつれやら、いろんなことは全てクリアーしたかのような
おどろおどろしい世俗から脱して、老境に達したような気がした。
それはそれは、心が癒された。


ところが、観ていて、ものの15分もたたないうちに、
こんなに静かで美しい自然、うっとり眺めるのは、まだ早いのでは?という思いが、むくむく。

病床で伏せながら観るには、ちょうどいいのかも?
私のようにまだまだ動ける元気モノには、
こんなご褒美的、最終天国的心境、美の極致シーンを堪能するには早い?

20年前に、カルチャーセンターで、受講者はリタイアされたような年齢の方ばかりで、
自分は場違い、時間、能力、パワーをもっと別の場所で発揮して、
それから最終ステージに、こういうところに来ればいいんだ、と強く感じた時のことを思い出した。
昨日、思いっきり集中して好きなことだけして、他は何もしない日曜日を満喫した上に、
さらにまた続けて、朝っぱらから腰を据えてTVなど観入っていて、いいの?
(ま、これが連休というものですが)

で、突然、勝手にスイッチが入った。
それから、びゅーーーんと、一気に、ばたばた、あれこれ、家事をいっぱいやった。
草引き、庭の手入れ、布団干し、シーツ洗濯、納戸整理、、、、
何かに押され、勝手に体が動く。
たったったったった・・・

あのNHK番組の、やる気スイッチのせいだ。

ストレスを感じている人は、あの番組でストレスが軽減できるだろう。
こころに傷のある人は、傷の上に薄い膜が張り、やがて治癒に向かうだろう。
別のタイプのストレスでは、バラエティ番組や俗悪番組で、ストレス解消になる人もいるだろう。

私の場合、日頃、ストレスがないので、(昨日、たっぷり、リラックスしたし)
凹んだマイナスの部分をゼロにする作用が必要ない。
つまり、いいものを見たり感じたりすると、いきなり、プラス方面に、にょきにょき動き出す。

本当に私はストレス・フリー人間だ、と我がごとながら、深く感心した。

しかし、せっかくの布団もシーツも、だんだんお天気がどんより、空は暗くなる一方。
やはり、自分でスイッチを押せないような人は、なにかしても、別の要素に振り回されるようだ。
(たとえば、日頃から天気予報はチェックしておくのは常識、とか、
計画性や、注意力がないからだろう)

大量のシーツを干していたら、蚊にあちこち刺され、ぼりぼり搔きつつ
いつ降り出すともわからない曇った空とニラメッコしながら、
いつ雨が降っても、布団とシーツを取り入れられるように、スタンバイしている。


賢くない、衝動的、計画性がない、自主性がない→→→→これは、ストレス・フリーを生み出すようだ。
良いことなのか、悪いことなのか・・・

他人さまに迷惑をかけなければ、それでよし、
ということで
取りあえずは、心身のバランスを健康的に保つこと、
そういたしましょう。



(お天気も、中途半端ながら、どうにか、持っているようだったが、
お昼を過ぎると
あ、照ってきた、照ってきた。やりましたっ)

本日は、たいへん、良い日となりそうだ。



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サンデー毎日、どうですか?

2010-09-19 | 時事&世の中
楽しい、サンデー毎日の日々?!

リタイアすると、毎日が休日。
大量の団塊の世代も、「就労」というアツい激務から解放される時期を迎えた。
周りには、ぼちぼち、そういった方々が、新しく「サンデー毎日」デビューされている。

リタイアを選択した人、まだ働きたくても、不景気で仕事がない人、
家族には現金収入が必要でも、職場には必要とされていない人、
もう、働きたくない人、人それぞれ、事情、背景は微妙。


専業主婦の方々は、昔からサンデー毎日(というよりは、サタデー毎日)?
自由な時間の使い方においては、先輩だ。

さて、この自由な時間の使い方だが・・・
これには、限界がある。
自由と言っても、制約があるからだ。

お金、健康、家族、周辺事情。
これらのファクターによって、何でもかんでも好き放題、というわけにはいかない。

家族に特別に必要経費や、お世話、介護が必要な場合は、厳しい現実に直面する。
(ここでは、そのケースについては言及しないことにする)
趣味にかける場合は、フトコロ事情によって、楽しみ方をセーブする。
やはり、入る額が減ると、当然、出る額も減らさなければならない。
逆に、体が動くうちに、と、ぱーっと支出額を上げる方もおられるかも知れない。


富裕層って、どこにいる?

昨日の新聞で、
富裕層向けの会員制旅行会社を起業された女性の話が、特集で取り上げられていた。
欧米では珍しくないらしいが、日本には、そういうVIP専門は少ないとか。
自家用ジェットで、ほいほいと、好きな時に好きな場所にお出かけする、そんな方、
日本には、あまりお見かけしませんものねえ。
せいぜい、セスナ機ぐらいでしょうか・・・(しかも、事故のニュースで知るぐらい)


鳩山さんみたいに、純正おぼっちゃまが清らかに棲息されていても、
足を引っ張ろうとする輩がゾロゾロ。
日本には横並び意識が強すぎて、VIPという概念が育っていないのか。
年収1億円以上の会社役員が公表されることになると、当のご本人は大迷惑、
庶民は、横並び感覚で、金持ちに対して、不平不満を募らせる。
民主主義は、富の配分まで、皆、平等にすることなのか?


DNAまで平等???

頑張った人も、頑張らなかった人も、頑張れなかった人も、皆、同じように。
運動会でのリレーも、格差が出るから取りやめ。
遅い子も、頑張れない子も、頑張った子や、能力のある子と、同じように。

不公平がないように、スタート地点で平等にして、
その後は、各自の頑張りや能力に応じて評価することが望ましいと感じる。
スタート時点で平等にする、その方法は
かけっこで言えば、体重、身長、運動能力を揃え、同レベルの子を競わせる?
勉強になると、
各家庭までも平等にしなければ平等だと言えないとすると、かなりの難題になりそうだ。


大勢の凡人の中に、少数の精鋭は、埋もれてしまい、能力を発揮する機会、場所を失う。
学校は、やる気、能力がある子が集まる「私立」に殺到、
挙句の果てには、優秀な頭脳の逸材は、国外に流出してしまう。

能力・やる気があっても、経済的事情で私立に行けない子、塾に通えない子は、
同じスタートラインに立っているとは言えない。
国の補助などである程度、バックアップされているのか、正確な詳しいことは知らないが、
悲惨なケース、不幸なケースを回避するために、税金が使われているなら望ましい限りだ。

中には、親が、ぐうたら怠け者で、お金を稼がない家庭に、国は補助するケースもあるだろう。
子供は、親を選べないのだから、仕方ない。
親のDNAまでも平等にするには、不可能に近いだろうけれど。

ただ、この格差、純粋に能力に応じて、差がつけられているのなら、納得もできるが、
(中には、自分の能力・努力は棚に上げて、勘違いしている人もいるが・・・)
政治家や役人、国や地域、業界の運営の仕方、特権、特定の優遇で、
不当な差をつけられている場合がある。
腐敗した政治が長く続くと、どこの国にも言えることなのだが。


なぁんだ、がっかり・・・

ところで・・・
日本は、財閥解体もされてしまったし、貴族たちは、地位も莫大な財産も失ったし、
欧米のVIP達のような人種は、ほとんど存在しないのでは?
よほど時代に乗って、うまく立ち回らない限り、
相続税を払うと、3代で財産はなくなると言われている。

VIP、思い当たるとしたら・・・
契約金が公表されている有名野球選手とか、芸能人、企業経営者、・・・??
(私に、あまり知識がないのが、ばれてしまう・・・)
記事にあった富裕層専門会社は、日本人向けなのか、外国VIPに対して日本国向け専用なのか?
日本人向けだろうと想像するが、「会員制・高級・オーダーメード個人旅行・倶楽部」のようなかんじ?
だとすると、なんだか新鮮味がないように思える。

この女性社長、会社も軌道に乗りつつあるので、
別のこと(歌手として海外デビュー)を目標に頑張りたいとのこと。
なぁ~んだ。がっかり、がっくり、きた。
社長が事業への熱が冷めて、別の好きな世界に移行となると、
この事業、ちょっと褪せかけた魅力が益々失せた。


のんびりしたいけれど、
あくせく、ラスト・スパート突入?!


さて、庶民には、そういうことには、なんら関係ないのだが、
「サンデー毎日」を、制約を受けながらも、QOL(生活の質)を維持しつつ
足腰の動く間に、謳歌しなければ、あっという間に、身体の自由が効かなくなる。

光り輝くサンデーさえも、
追いかけられるように、駆け足で、汗をかきかき、というもの、ツライものがあるが・・・
よけいな心配をしなくても、
おそらく、そんな楽しい時期は、あっという間に過ぎるだろう。



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