困った。
毎日、歯磨きをするように、ブログ更新をしないと、どうも落ち着かない。
つまり、質の悪い、限りなくどうでもいいことでも、アップしてしまうということ。
あ、全編そうかも。
まあいい。
ちなみに、わたしはルートヴィヒ2世のファンである。
「豊臣秀吉の大ファンです」と言っているようなものか。
例として、徳川家康ではなく、豊臣秀吉にしたのは、わたしの中ではわかりやすいから。
文化的に視覚的に嗜好的に具体的に、目に見えやすい。
歴女でもなんでもない、高校時代の日本史は惨憺たるものだったが。
深く知らないミーハーレベル。
漫画「ベルサイユのばら」(作者・池田理代子さん)や、宝塚歌劇のファンだったわけではない。
コミックは発売と同時(1972〜1973)に、当時、リアルタイムで読んではいたが。
(姉が熱烈な漫画オタクのため、毎週各少年少女コミック誌をレンタルしていて、ついでにわたしも読んでいた)
美しいものなど、ぺらっと劇の上側をなぞるか、ストーリー性を追いかけるだけだったとは思うが、歴史の断片を少女漫画で知った。
わたしの年代の女性は多かれ少なかれ、通る道。
ずいぶん前に、まだTSUTAYAが近所にあった頃、ルートヴィヒの映画をレンタルした。
再生して観ると、ところどころ切れたり、ザザザーっと不鮮明になったり、有料でよくこんな状態のビデオテープを貸し出すなあ、、、と驚いた。
だが、わたしの記憶は、モノクロ。
ビデオ状態が悪すぎて、ザザザーっから連想して間違えて覚えているのだろうか。
はたまた、ヴィスコンティ監督よりも前の映画だったのか???
ルキノ・ヴィスコンティ監督。
(1906【明治39年】〜1976)
他の映画もぜひ観たい。ぜひぜひ。
日本で言うと、黒澤明監督(1910【明治43年】〜1998)のようなものか。
いや、わたしの中では全く全く全く、まるっきり違う。
同じなのは、2人共、昔の時代の映画監督なところと、血統の良さ。
貴族(ヴィスコンティ)と武士(黒澤明の祖父)。
しかしなんでまた、ヴィスコンティ監督に惹かれてしまうのか。
なぜ、豊臣秀吉ではなくて、徳川慶喜(1837〜1913)でもなく、ルートヴィヒ2世(1845〜1886)に惹かれるのか?
時代はさほど大昔ではなく、幕末から明治。
お城も中世などではなく、比較的、新しい。
時間が止まったような閉ざされた世界でしか生きて来なかった田舎者のわたしには、魅力が詰まっている。
田舎の家に現存している数々のモノは、江戸末期の時代が繋がっていることを語る。
しかしながら、同じ時代でも洋の東西の違い、さらに庶民と国王とでは雲泥の差。
その、国を滅ぼすほどの建築費をかけたお城。
そんな傾国の美女ならぬ、傾国のお城で育つと、一体どんな感性になるのだろう。
興味津々。
耽美派の父親の影響を受けて更に超耽美派になった、その具象化がノイシュヴァンシュタイン城なのか。
というか、それはさておき、わたしの感覚からすると、やはりお城にしては新しいのだ。