蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

美しすぎるオトコは、別世界の住民か

2012-05-31 | わたし

最近、わたしはヘンだ。

朝、布団のなかで目を覚ました時から、そのヘンぶりはスタートする。

自分の考え、行動を、客観的表現を使った「小説」として、
アタマのなかに設置されているキーボードに、ちゃかちゃか入力している。

「スロー(=わたし)は、快適な朝を迎えたが、いつまでも起き上がらずに、昨日の出来事を思い出していた。
スローの脳内には、いや腸内には、いやいや、食道には、
昨日、あまり噛まずに飲み込んだ、巻き寿司の感触がありありと臨場感あふれ、蘇った。
急いで食べたところが、喉元から食道の真ん中より少し上あたりで、止まったまんま、通過しない。
目を白黒させた、こういった苦しみは、スローにとって、2度や3度ではなかった。

去年の夏、蕎麦をどんどん押しこみ流し入れた時の苦しみは、こんなものではなかった。
喉ゴシつるりの、まさに反対で、
喉と食道との間を行ったり来たりせず、上にも上がらない、吐き出せない、下にも下がらない。
圧縮機械で、プレスされ、糊でべっとり固められ、微動だにしない蕎麦の塊り。

あのときばかりは、
不幸にも、喉に食べ物を詰まらせて窒息死した、仕事関係の知人の顔が思いうかんだり、
死ぬかと思った。

でも、とっさに、掃除機の先っぽノズルを思い浮かべ、吸い取れるか? でも、どうやって?
などと、アタマのなかで、必死で、もがき、試行錯誤していた」

などなど、あれこれ、勝手にストーリー展開が進んでいくうちに、
布団のなかでの時間がどんどん経ってしまい、

「いつまでやってんの? もう、起きんとあかんやろ!」と、
過去ではない、どんぴしゃリアルタイムのわたしが、(文字通り)目を覚まさせる。
(フランス語の文法で、こういう用法「代名動詞」がある→関係ないですが)

でも布団タイムはまだまだ、離れがたく、
布団の上で、日課の側面・片足上げと、腹筋運動を行い、やっと重い腰?を水平から垂直へ、ひきあげた。

たんに、お寿司を食べたことを思い出しただけのことに、こんなに長い文章を浪費した。
ごくろうさま、わたし。


こういう意味のないことには、時間を惜しまないのに、大事な、なすべきとこには、てんで手抜き。
勉強をし始めると、とたんに机の整理や、周辺掃除を始めるタイプ。

重要なことを説明されている最中に、ふと、まったく関係ないことがアタマに次から次へと浮かびだし、
はっと我に返ると、真ん中の説明をすぽっと聞き逃している、ということがよくある。
これは、かなりアブナイ状態だ。

幽体離脱に少し似ているが、似て非なるもの。
体から魂が分離するのではなく、脳ミソから、ミソが分離する?
思考Aから、思考Bに、突然、ワープする。ただし、このAとBは無関係。これが、よろしくない。
目は開いているんだけれど、ちょっといつもの瞳の濃さより、薄いかんじ。
肉体だけ置いて、目だけ開けて、中身は、べつのところに行ってしまっている。しかも、あっちこっち。

でも、いまのところ、元のところに、ちゃんと帰ってくるから、まあ、よしとしよう。
お散歩好きな、わたしの脳ミソ。

これを単に「気が散っている」または「集中力、欠如」と言うのだけれど。

だから、この生まれつきの欠点のせいで、マジメにやれないのかも知れない。

あ、ちなみに、教職とか持っておられる方、すごく尊敬します。(唐突ですが)


話は、ころりと180度変わって、

61歳で定年後、パチンコのやりすぎで、体を壊し、それから社交ダンスに転向したという人がいる。
えらくまた、大きく方向転換したものだ。
パチンコでお金もしっかり稼いで、車も買ったし、旅行にも行ったし、と、まるでセミプロのよう。
だが、あまりにも根を詰めすぎて、どえらいことになり、それ以来は、ぴたっと、まったくパチンコはしていないそうだ。

今は、汗だくになってダンスをして、家に帰って(昨日なら)プロ野球を見て、あとは、ころりと朝まで爆睡。
ダンスを始めて、もう10年以上になるという(つまり少なくとも、現在は72歳以上)、
その方のお話を伺い、お年にはまったく見えないことにびっくり。
朝から晩まで、空気の悪い密室に閉じこもって、
体は動かさず、目だけをギンギンぎらぎら凝視するパチンコより、ずっとずっと、健康的でいい、と、しみじみ思った。

ただし、ダンスをする人は、いまのところ、わたしの知る限りでは、ほぼ100%、お酒はほとんど飲まない。
飲んでも、ビールをほんの少し、といったところ。
これは、一人を除いて、外れたことがない、マイ集計データだ。


この例外は、昨日、わたしのブログにアップした美しき男性。
アル中かと思えるぐらい、強烈にきついお酒のニオイがしていた。
美しくても、いろんな側面を抱えておられるようだ。
そして、あの端整な美しすぎる容貌や、動作から、ストイックで、極端な理想主義者であるだろうことや、
生活感あふれる女性の無神経な逞しさ、雑菌まみれのずうずうしさ、とは相反するもの、相容れないものを感じた。

なので、あの人は、狂気の王ルード・ヴィッヒ2世(1845~1886)や、
そのルード・ヴィッヒを描いた映画を作ったヴィスコンティ監督(ミラノの名門貴族出身)、
同じくイタリア・ミラノ出身のデザイナーで、1997年に、高級男娼に殺された、ジャン二・ヴェルサーチみたいな人かしらん・・・と
(あくまでも)勝手に想像した。

真の美の追求者は、俗な現実を嫌い、女性を寄り付かせない人が多い。
女性は、もわっと暑苦しいんだろう。
とことん無駄を排除した究極の美の追求には、ジャマなんだろう。
それで、女性であるわたしは、あんなに美しい男性と接近したにもかかわらず、ロボットのように感じたのではないだろうか。

やはり美しすぎるものには、現実味がない。生きている生暖かい体温が感じられない。(その代わりに、アルコール?)
わたしは、現実主義の生活者なので、少々汚れている人でないと、呼吸が感じられないのかも。
美しすぎる人と共通点がないって、つらいものがある。

(案外、しゃべってみたら、ふつーの人だったりして・・・
思い込みもここまで来ると、なかなかのもの)


と、見事に、話がころりと逸れた。
これが、わたしの脳ミソからミソがワープするという欠点そのものだ。

ということで、今日も結論はなく、書き散らしただけになった。

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美しいオトコたち

2012-05-30 | 趣味

世の中には、美しい人がいる。

いやはや、感心する。

女性は、お化粧したり、ヘアスタイルやアクセサリー、ファッションで、多少、いえ、おおいにごまかせるが、
男性は、そうはいかない。

とくに、顔。

基本的にノーメークだから。
もし、うっすら、ファウンデーションをつけている人がいたら、気づかない場合は、まあいいとしても、
見つけてしまったら、きっと、気持ちわるい、と思ってしまうだろう。

そういうハンデキャップを男性は、抱えている。

年齢が上がれば、髪は薄くなるし、お腹は出るし、顔も泥とホコリにまみれて脂ぎり、
そのギトギト時期を過ぎると、今度はシワシワカサカサになる。
これは、女性にも言えることだが、女性には、化粧という、上乗せ優待がある。


で、・・・ここまでは前置きなのだが・・・(まあ、またいつものように)

そんなハンデがある男性に・・・
なんと美しい男性がいるという衝撃の事実に出くわした。

しかも二人も。
そして、同じ場所、同じ時間、同時に。
人の入りが少ない、ガラガラの、あるダンスパーティ会場。

そのうちの一人は、推定年齢?歳。50歳ぐらい???55歳???
おそらく若く見えるであろうから、年齢は、よくわからないが、中年だ。
顔の色は、透き通るほど白く(というか、青白いに、近い)、シミひとつない。
とても整った顔で、なんの欠点もない理想的な美しい顔。パーツもバランスも。まるで俳優。
若者ではないので、少し、細かいシワはあるが、それは当たり前だし、いい効果も引き出している。
スタイルは、お腹なんぞは、まったく出ていなくて、しゃきっとした、無駄のない美しい体型。
どうも社交ダンスの競技選手のようにお見受けした。

その方が、たまたま、わたしの隣に来て、なんと踊ってくれたのだ。
どうみても、ダンスの先生か、現役選手。
わたしみたいなヘタ・レベルと、踊るような相手ではない。

ウオーミングアップのつもりか、とりあえず、一通り、8種目ぐらい踊ってくれた。
わたしは、カチンコチンになり、顔もこわばっていた。

「わたし、初心者で、ヘタです」と、最初に声を大にして言っておいた。
その人にしてみれば、そんなこと、言わなくても即わかることなのだが、
わたしはそう発することで、少しでも、気を楽にしたかった。

ラテンのチャチャを踊ったあとは、「合格!」とおっしゃってた。
どういう意味かはよくわからないが。

真剣なわたしの顔。
その人も真剣な顔になったり、微笑んだり。

わたしは、真剣なのだが、あまりにもその人の顔が美しすぎて、まじまじと見てしまった。
(まあ、ダンスしてるんだから、顔を見ても失礼ではないと思う・・・)
この人、・・・こんな顔に生まれて、この年齢まで、この自分の顔と人生を共にしてきて、
いったい、どんな風な精神構造なんだろう・・・
(どおってことない顔で生まれ落ちて、その顔で今まで人生を共にしてきたわたしには、想像を絶する・・・)

冷や汗どころか、カチンカチンになりながら踊っているにもかかわらず、
わたしは、そんなことを考えた。
そして、その美しい顔を、もっともっと、さらに深く見ていた。

表に露出している部分の顔は表面の皮膚であり、骨格の上に皮膚が張り付いている。
目や鼻、口の位置は、骨格の段階で、あらかじめ定まっている。
皮膚がきれい、とか、そういうレベルは、だいぶん、距離的に表面に近い。
それに、シワや、表情が加わって、全体のイメージを仕上げる。

ひとつひとつを剥ぎ取って、分解して、その骨の下にあるものは、歯や舌、などなど・・・
今度は、見かけもさることながら、機能性も重要な役割だ、
なんて、(これは今、書きながら)どんどん想像は広がる。

まあ、なにしろ、そういう美しい男性の顔、というものに、なんて言えばいいのか、
心奪われる、というのとはちょっと違って、研究、追究的な興味をもった。
これを単純に「惹かれた」というのか?
こたえは、No。
若い頃なら、Yesだが、今のわたしの年齢や人生経験、キャラでは、あきらかに「惹かれた」ではなく、
べつのなにかである。
ドキドキの要素が、ダンスの方面からだけ、だからだ。(その男性そのものに対してではなく)

「(こんなキレイな顔が身近にあって)不思議に思う」
「この人の目には、わたしは、どう映っているんだろう?」
ロボットの映写機の目みたいに、映像が映るんだろうか。

この顔をどうにかしたい、とか、
この美しい顔の男性とお話したい、とか、背景を知りたいとか、そういう興味はない。
単純に、客観的に美しい顔、体、動きに、目を凝らすだけだ。

わたしにとって、「背景を知りたい」、や「人生を知りたい」人物は、また違う、別のジャンルの人が多い。
わたしが興味を惹かれるのは、姿かたちだけでは、決してない。
逆にいうと、姿かたちが、まったくなんの興味もない、好きでも好感をもつわけでもない人でも、
生き方に共鳴すると、外見は、見事に、ふっとんでしまう。

まあ、それはそれ、として。

そういう美しい人がいて、しかも、ダンスのお相手をしてくださった驚き。
でも、あまりにも美しすぎて、わたしには、精巧に作られたロボットのように感じた。
わたしが、汚れているからだろう。
それよりも、美しい人とこれまで、ほとんどといっていいほど、接したことがないわたしって、
ちょっとかわいそう?

職場が、男性モデル集団を抱える、プロダクションだったり、
映画関係や、芸能関係、マスコミ関係、
美形ホストを大勢雇うホストクラブ経営の、レジャー産業に携わっていると、また、毎日、接するのだろうけれど。

単純に、美しさに衝撃を受けただけであって、それ以外のなにものでもなかった。

ほかに、もう一人、背の高い方が踊ってくださって、
背が高くてお上手な人は、個人レッスンの先生以外には、わたしはほとんど踊ったことがないのだが、
後で、帰りに挨拶したときに、お顔を拝見すると、色白で、それはそれは甘いマスクの好青年みたいなハンサム、
あの年齢(55~60歳??)で、そのステキっぷりに、世の中、いるところには、いるんだ~と感じた。

その人は、その日のパーティの主催者側の中心人物で、パーティ参加人数が少ないから、
ご自分が、参加者のお相手をかって出た、という、いきさつ。

わたし自身は不細工なルックスのくせに、わたしの男性を見る目がどんどん肥えてきたらどうしよう・・・
まあ、いいか。
知るだけ知っても。
あとで、現実との落差にがっかり、とか、そんなことはまったくないので。

見る目が、日々、更新されていく。
下方修正ではなく、上方修正で、男性への美に対する幅が広くなっただけか?

男性の皆様、決して、自分をあきらめることなくお願いします。
中身も大切。いえ、中身こそが大切なんですから。

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人に言えない、倒れるまで頑張ったこと

2012-05-29 | わたし

わたしは、自分のブログを私有化することに決めた。

これは、至極あたりまえのことである。

自分の家を、自分で好きなようにすることにした、というのとは少し違う。
一人住まいなら、それでもいいけれど、家族がいる場合、そういうわけにはいかない。
家族間で、意見も取り入れ、協力もし、共存共栄。

ブログは、自分だけのものだ。
だれかと二人三脚で、シェアしながら書いているわけではない。
ただ、読んでくださる方が、ほんの少しでもいてくださるということ、
これは、ほんとうに、とてもありがたい。

わたしは、人との接し方、距離のとり方が、ちょっと独特なせいで、友人は少ない。
あまり、マメではないし、自己完結型で、ゴーイングマイウエイ・タイプ、
(こんなに大人になっても)恥ずかしがりで人見知りもするし、
そこへもってきて、面倒くさがりが致命傷となって、非常に社交的ではない。
(ただし、見た目とのギャップは、大きい)

と、これは、本日の前置きで(ああ、長い・・・)

今からが、発したいこと。


あるブロガーさんの告白を読んだ。
その方は、小説を若い頃に書かれ、情熱を注ぎすぎ、倒れるまで書いておられたそうだ。

倒れるまで・・・!!
すごい!!

わたしは、目をまんまるくして、倒れそうになった。
わたしには、ありえない!!

わたしは、・・・・倒れた経験といえば、
20歳の時、デパートでワインの試飲販売をやっていて、ほんの一口、口にして、その場で倒れた。
天井が宙に浮いて、ふわりと体が浮いた。
これって、めちゃめちゃ、かっこ悪い。
そのあと、どうなったんだろう??
なんか、周りはガヤガヤしてたような気がする。

20代前半の頃、アルバイトしていた、とある権威ある職場の、
(わたし自身は、権威とかとは無関係の、単なる日雇い)
飲み会で、急性アルコール中毒で倒れた。
ああ、これも、けっこう大騒ぎ。
権威ある職場だったので、お偉い方々は、世間体を考え、皆さんドッキリされたようす。
カッコわる。

これって、ハードで純粋な若い頃を思い出そうとしているのに、
たんに、かっこ悪い自分を思い出しただけになってしまった。

もっと、ほかにも、倒れるほど頑張ったことがあっただろう? そうでしょ?
うーーん・・・考えてみる・・・

油モノを食べ過ぎて、倒れた。
義母の揚げてくれる、とんかつが美味しすぎて、際限なく食べ、ムネヤケを通り越した。
ジョークではないところが、虚しく哀しく痛ましい・・・

ああ、なんで、こんな話ばっかり・・・

もっと真剣に探してみよう。

倒れるほど、一生懸命打ち込んだことを・・・

えーーっと、えーっと、えーっと・・・

あ、掃除をしなさすぎて、ハウスダストが原因で喘息で倒れた。
あの頃は子供が、1才、2才、3才(3人年子)だったので、子育てに支障をきたし、とても困った。

これは、もっとヒドイ。

なんで、こんなことばかり。

もっと、マシなものはないのだろうか。
人さまに胸を張って堂々と言える、もっと一生懸命、倒れるほど頑張ったことはないのか???

大切な試験前の徹夜勉強は、夜中に意識を失い、朝まで意識が戻ることがなかった。
(寝てしまっているだけ、とも言える)

恋愛は、一生懸命しすぎて(裏目に出て)、相手に逃げられた。それも、何度も。


振り返ってみると、一生懸命しなくて、手を抜きすぎて、サボりすぎて、困ったことは、たくさんあるが、
一生懸命やって、実を結んだことは、あまりない。

なんで、こんなにいい加減な人生をへらへらと歩んできたんだろう。
それなりに、自分では頑張っていたつもりなのに、思い返せば、けっこう、ダメだったんだ、わたし。

根をつめる、ということが出来ないのだろう。
オーバーワークする、ということが出来ないのだろう。
というか、オーバーワークしても、そのまま、次の日や、またその次の日を迎え、
どんどん体が丈夫になっていってしまって、対応してしまって、受容能力、キャパが増えるか、
あるいは、自然に制御されて、頑張りがスローダウンしているか、どっちかだ。

自分で、ここ一番、ということ、以外は、全然どうでもよかったので、
頑張らない人生なんだろう。


ここ一番とは、なにか?

自分が生きていくために、死ぬほどイヤであろうが、苦しかろうが、ぞっとしようが、めんどくさかろうが、
この、大ばかやろう、と思おうが、軽蔑しようが、軽蔑されようが、
どうしても、しなければいけないことを実行すること、だろうか。

ひとにとっては、どうってことない事柄かも知れないけれど。


それ以外のことは、ほんと、どうでもいい。

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すっきり爽快、これに勝るものなし

2012-05-27 | ブログ

小説を書こうと思ったのは、とある人に勧められて。

わたしは、もともと小説志向ではなく、ほとんど読んだこともないので、お手本にするものはない。

読んだことがあるのは、数えるほどで、35年ぐらい前、太宰治、三好達治、谷崎潤一郎、有島武郎ぐらい。
芥川龍之介、夏目漱石、遠藤周作、モーパッサン、アンドレ・ジッドも、ほんの少し読んだ。
火野葦平の河童の話も記憶にある。(この河童バナシ、べつに、おもしろくもなんともなかったという感想)
あとは、有吉佐和子の作品を3作ほど。
田中康夫の「なんとなく、クリスタル」なんていう、ブランドの名前がずらずら出てくる作品も読んだけれど、
当時、主人公と似たような生活を送っていたが、まったく共鳴することもなく、
こんなものが流行ってるって、不思議、と思っただけ。
自分の感性が鈍いのか、田中氏の作品がダメなのか、どっちなのかは知らないが。

群ようこも、ほんの少し読んだことがあるが、ちょっと楽しいかも知れないけれど、あんまりこころには残っていない。
吉本ばななにいたっては、どこがいいのか、さっぱりわからず、自分のセンスを疑ったりもした。

それぐらいしか読んでない。

最近の作家さんは、ほとんどわからない。
特に、男性作家は、まったく読んだことがない。

知人たちにハードカバーの著書をもらったが、全然、読んでいない。何冊も棚の中に眠ったまま。
ごめんなさい。

小説よりも、ノウハウもの、実用書のほうが好き。
ノンフィクションとか、取材を元に時流の女性たちの傾向を分析するものとかは好きだった。

「妻たちの思秋期」や、
家庭画法に連載されていた、離婚の危機にある女性を掘り下げた工藤美代子のノンフィクションシリーズとか、
結婚しないのが流行りだと煽っておいて、
ころっと手のひらを返したように、これからは結婚する女性が幸せの最先端、などと、
今まで牽引してきた独身女性を見事に裏切る、マスコミのいい加減さ炸裂の「クロワッサン症候群」とか。
(どれもこれも、かなり古い・・・いやはや、いやはや・・・・・)

酒井順子の「負け犬の遠吠え」は、ツボ中のツボだったが。
結婚していて子供アリのわたしは、勝ち組のポジションのはずなのだが、
酒井女史は、そんな、わたしのようなおばさんを誉めているのではなく、真のターゲットは・・・・
と、これは、実際には実用しようがないけれど、わたしのバイブルにしている。


じつは、あんまり読み物は読まない。
眠くなる。

自分が知りたいことばかりを集中して読んだりした。
女性解放の啓蒙書とか。

結局、上っ面だけ追っかけて、真のところは啓蒙啓発されずに、頭でっかちで、実体は、全然自立していない、
声だけ元気な、中途半端なことになったけれど。


と、ここで、またまた再度、言い訳をするわけではありませんが、言い訳をします。(どっちやっっ!!)

わたしは、とある人に、何度も勧められて、あまり乗る気はしなかったけれど、
その人の期待に応えようと、喜ばせてあげたい気持ちで、小説を(お遊びで)書いてみようと思っただけだ。

その人は、小説の同人誌だかなんだかをやっていて、自分も小説を書いて、
月に一回、作品を発表したり、人の作品を読んだりして、感想や意見を交換しているそうだ。
で、わたしがブログを書いているというと、ぜひ、小説を書いてみてください、と強く勧めてこられたので、

しかたなく(ああ、言い訳がましい、しかも、何度も)、小説に初トライしたというわけだ。

小説の重みなど、まったくわからず、無知の怖さで、ぶつかってみただけだ。

社交ダンスでいえば、始めてから最低5年はかかるところを、
そんなことは、なにも知らないで、「1ヶ月で踊れますよ」と言っているようなものか。


ハナシは、ころっと変わって(変わりすぎるけれど)

つい最近は、なんと、JAZZがちょっと好きになっている。
どういう風の吹き回しだろう? 自分でも理解に苦しむ。
あんな、海を越えた、お洒落な人しか聴いてはいけないような洋楽など、わたしにはわからない、と、ずっと思い込み、
せいぜい、子供の頃は和製グループサウンズや、思春期では和製ポップスぐらいの、
あちらのものの焼き直し、手直し、猿まね日本版ぐらいを
ミーハーチックに聴いているふりをしていただけだったが。

若い頃と今は違うのか、同じなのか、よくわからないが、
読書がキライで、子供の頃、母親によく叱られたことは、今でもはっきり覚えている。

あんなものは、強制されて読むものでは決してないはず。
それを叱って強制的に読まそうなんて、ああ、わたしの母ったら・・・
(母が読書している姿を見たことは、一度たりともない)
そんなレベルの母親の娘なので、わたしも、たいしたことはない。
子供の頃、うぐぐ、と無理やり読んだのは、
安寿と厨子王、良寛、一休さんなどの「日本の昔のお話」っぽいものや、
シートン動物記、いや、ファーブル昆虫記のフンコロガシ。
なんか、理科嫌いのくせに、いかにも無理している。
星の王子様、なんてのも無理して丸呑みするように読んだ。意味不明だった。
そりゃあそうだ、星から来た王子様なんだもの。


古いものばかり。
モダンじゃないけれど、よくよく考えると、古典に近い。
へんに流行を追うより、(今思えば)良かったかもしれない。(屁理屈、負け惜しみですが)


好きなことならこんなに、楽しくすらすらとキーボードの上を指が踊るように、すべるように動く。

小説は・・・その逆。
たいしたものが書けるわけでもなし、
長時間、椅子に座り、パソコンの前にはりついているため、足が浮腫んで、肩が凝るだけだ。

というわけで、寝る前に、好きなことをさらさら、サクサク書けて、とても気分がスッキリした。
趣味なんだから、好きなことを自由に、自然体でやればいいと思っている。

このブログは、読んでくださる方がおられて、そして読んでいただくと、とても嬉しいけれど、
小説は、読んでいただいたとしても、所詮、素人のお試しトライアルなので、(一生、その域を出ない)
自信作とは程遠いし、反応がコワイし、自分自身も傷つく。

なので、読んでほしいんだか、読んでほしくないんだか、どっち?と聞かれると、
答えは、う~~ん・・・とても微妙な、苦渋のレスポンス、といったところです。

 

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エコノミー症候群との闘い

2012-05-26 | ブログ

エコノミー症候群になりながら、パソコンの前に延々、座っていた。
長い長いブログ記事アップ。
自分だけが、満足している内容だ。
その間、足は、どんどんむくんできて、
駅まで車で送ってほしいと夫に頼まれたのだが、いつもの運転用の靴が入らなくなった。
重症。


ブログを最近、またひとつ増やしたため、既存のパリブログがおろそかになっている。
気になっていた。
で、重い腰をあげ、頑張って、更新。
1000枚以上ある写真からピックアップし、あれこれ、画像処理したり、けっこう、手間。
ますます、足は、むくんできた。


本妻に、プラス恋人、そこに愛人を抱えているようなもの。
直近の愛人は、とても手がかかり、頭を悩ませている。
それが気がかりで、手がかからないほうの恋人は、ほったらかし。
これがまた、おとなしいわりには、いい仕事をするシッカリ者の働き者で、なにも更新しないのに、
ブログ村でのカウントは、悪くない。

直近の愛人は、自分の能力も考えず、スタートしてしまったので、
ちょっとした瞬間に、ストーリーの大筋や、テーマを考えている。

そうこうしているうちに、本妻、蝶が、なんか曇り顔。
自分の好きなことばかりしていると、あの心の広い本妻も、また、下り坂になってきつつある。

もういいです。
エコノミー症候群から、はやく脱出したいので、
今日は、やっと、パソコンを離れる決心をした。

 

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延々と長い道のり

2012-05-26 | 趣味

社交ダンスのパーティが、連日、どこかの会場で開催されている。

入場料金は、立派な会場だと1100~1500円。(ドリンク、茶菓子付き)
体育館のような行政がらみのところだと、500~600円。
それで、半日、楽しめる。

会場は、入場料金だけでなく、立地や、グレードによる条件も加わり、入場者の特徴が現れる。

例えば、大阪市の歴史的な建造物である北区中之島にある中央公会堂。
重厚で、テレビ取材も多い。
中之島界隈は、きちんと整備されたクールなビジネス街で
最も乗降者数・交通アクセスの多い、JR大阪駅や地下鉄・私鉄の梅田駅から一駅という至便さもあって、
人々も京阪神間から広く集う。
華やかで、洗練されているイメージがある。
会場で踊る女性たちは、きらびやかな人目を引くドレスをまとい、華麗さを競う。

それとは反対に、同じ大阪市内でも、会場を阿倍野に目を移すと、ややローカル色が見られる。
労働者の街、あいりん地区が近くにあり、近鉄のターミナルで、どことなく庶民くささ、田舎くささが消えない。
が、庶民や田舎もん(わたしを含め)の強みは、泥臭いながらもエネルギッシュ。
大規模商業施設が次々とオープンし、活気を呈している。
会場では、デモや競技会で見られるようなドレスを着ている人は、ほとんど見たことがない。

多くの人が都会に集まり、錬磨され、中之島は、レベルが高い。
(ただし、建物やドレスに惑わされると、先入観で、実際以上にダンスが上手く見える場合もある。
中之島以外の他の複数の会場でパーティを開催している日などは、レベルの高くないそうだ)
レベルの低い、自信がない人は、技を磨いてから、中之島に挑む(場合が多いように思う)。
会場が用意する、踊ってくれる男性(リボンちゃん)をリボンちゃん待機席で、気長に待つ、年配女性もいる。
「家にじっとしているよりは、マシやわ」と。
あるいは、そこらへんの下手な男性より、ダンスが上手なリボンちゃんと踊りたいと、一人で来る女性も多い。

そういう一人参加の女性が結構いるので、入場者の数としては、女性のほうが、圧倒的に多い。

一方、体育館系の会場では、おもに、運動をしにやってくる、ご年配の方々が多い。
ただし、リボンちゃんは、用意されていないので、ご年配で一人で来る人はあまりいない。
おやっと気が抜けるほど、ダンスのレベルは、低い。
(なかには、真剣に練習している、高齢ではない、かなりレベルの高い人もいる)

ただ、毎日、どこかの会場で催されているパーティに顔を出している人は、
どこの会場に行っても、必ず顔を合わせる。
そういうジプシー組には、会場カラーは、ない。
カテゴリー分けとしては、会場に起因した特色とはまた別枠の、旅人といったところか。

定年退職して、まったくフリーになり、毎日、会場で汗を流す人も多い。
コーヒー代プラス・アルファほどの金額で、
健康にも、こころの衛生にも、人とのつながりも、社会とのつながりも保てる、社交ダンスは、
生涯スポーツとして、昨今、行政も力を入れている。


ひとくちに社交ダンスといっても、様々ある。
目的が、ひとそれぞれだ。
お仲間と集い、汗を流し、健康維持のためのもの、
あるいは、自分と闘い、技を極め、向上をめざすもの、
または、その中間のもの。

ある程度の年配、高齢になると、もう向上はしない。
低下もやむをえず、維持するのが精一杯。
なので、練習、習得期間、向上できる期間に、どれだけ、ものにするかが、その後のダンス人生を左右する。

わたしは、いま、練習・習得期間だ。
ゼロから出発して、5年7ヶ月。
初級の最後のほうから中級の入り口にかけて、といったところ。

同じ年月をかけても、その内容によって、習得度合いや進度が異なる。
団体レッスンは、一方通行。足型を習うだけ。
良い先生に当たれば、ステップ以外の、とても重要なことも教えてくれる。
ただし、一方通行。
ついてこれる人だけ、習得レベルに到達している人だけが、身に付く。
それに満足できずに、個人レッスンを受ける。そういった推移の人が多い。

わたしの場合、最初の4年8ヶ月は、団体レッスンだけだったので、基礎的な内容の一方通行。
しかも、団体レッスンも、先生によっては、とてもいい加減なものや、効率の悪いレッスンがあり、あたりはずれがある。
貴重な時間を浪費し、試行錯誤の結果、今の団体レッスンに落ち着いたが、
去年の夏からは、団体に加えて、個人レッスンを併用。
さらに、今春から、門外修行の場として、パーティ参加を追加した。

個人レッスンの先生が、現役競技プロということもあり、レッスン内容は、今は、「正しい基礎入門」。
あいまいなところがない、とてもキッチリした内容だ。
団体レッスンでは習わなかったことばかりで、目から鱗(うろこ)。
わたしのペースなので、牛歩よりも、もっと遅い、亀か、アリの歩みではあるが。

パーティでは、わたしが初歩的なことしかできないので、いろいろ教えてくださる「教え魔」が多い。
ただし、正しいことかどうかは、疑問。
「現役プロに個人レッスンを受けている」とは、
プライドに満ち溢れて教えてくれている人には、やはり言えない雰囲気なので、
その場では、おとなしくきいている。

教え魔と顔見知りになってくると、同じ人と踊るケースが増える。
その教え魔、曰く「最初は踊れなかったのに、ボクが教えていってから、どんどん上達している」と。
「いえ、わたし、5年以上前から踊っていて、
団体レッスンと同時進行して、現役プロの個人レッスンを受けてるんですが・・・」、とは、やはり言えない。

いろんな人と踊りたいのに、その人ばかりが、教え魔をしてくれるおかげで、他の人と踊るチャンスも減少する。
踊ってくれる人がいなくて、ずっと壁のシミもつらいけれど、
踊ってくれる人が現れても、わたしの目指す、基礎をしっかりクリアした正しいダンスと違う人だと、げんなりする。


逆のケースもある。
練習相手を紹介して欲しい、と、ある男性が、わたしのダンス知人に頼んだそうだ。
それを受け、わたしは、その男性と初顔合わせしたが、
その男性は、わたしと同じ団体レッスンの生徒で、わたしとレッスンで何度かは踊ったことがあった。
それでわたしを知っていたが、わたしではお気に召さないようで、断ってきた。
失礼しちゃう、と、わたしは、いたって気を悪くしたが、
その男性も、自分が目指すダンスと、違っていたんだろう。
(ただし、その男性、たいして、上手とは思えなかったけれど、わたしも同じようなもの)

同じ目標、方向性をもつ相手と練習を積むのが一番いいだろう。
パーティは、不特定多数のなかで、下手な人とも踊らなければいけないが、お上手な人とも踊ってもらえる機会がある。

以前は、パーティに参加するだけでも、自分は下手でドキドキだったが、
今では、踊っている人のダンスの上手下手がわかってきて、ちょっと見る目が変わってきた。
下手な人に限って、相手に失礼なことを言ったり、けしからん態度をとったり、
自分が女性をうまくリードできないくせに、あたかも女性側に原因があるように責任転嫁する人が多いことも、わかった。
ほんとうにお上手な人は、満足できるように踊らせてくれる。
ただ、リボンちゃんでもない限り、一般の人では、こっちが下手なら踊ってくれないが。

少しでも、前より高い位置に上かると、見える風景が違うのだということが、わかった。


最初はわたしに、くっついて、いっしょに、パーティ修行に出かけるようになった、Y女史は、おもにパーティ専科。
(いまでは、お互い、べったりいっしょに行っていないが、会場で顔を合わせることも多い)
団体レッスンは、1日だけ受け、個人レッスンを受けずに、そのかわりに、パーティに参加して、技術を身につけようとしている。
ひとそれぞれの、習得方法がある。
わたしは、しっかりした正しい個人レッスン、あるいは、
プロに限らず、正しい踊りを教えてくれる正統派コーチに、みっちり教えてもらい、正しい基礎を知らないと、
パーティでもどこでも、ちゃんとした踊りを見る目、踊る力が養われないと思っている。

ただ、がむしゃらに、楽しいからといって大勢の人々と踊るだけでは、正しいダンスは身に付かない。
Y女史は、かつての団体レッスンのクラスメートが、パーティに通って、劇的に上達した踊りを見て、
自分もぜひ、パーティに精を出そうと思いついたようだが、
彼女の見る目、良し悪しを見極める判定基準そのものも、じつのところ、わたしは、疑っている。

彼女が、上手くなったと感じたその女性の踊りは、ほんとうに美しい正しい踊りだったのか?
正しくなくても、彼女がそう思ったのなら、それでいいが、
正しいこと、基本を知った上での応用ならわかるが、基礎をすっ飛ばした、我流アレンジでは、
上に行けば行くほど、頭打ちになるような気がしている。

まだ、上にも行っていない段階で、じつに生意気なことを言っている。
人には人に応じたやり方で、各人、納得のいくダンスが踊れたら、それでいい。


長くなってしまった。

ほんとうは、昨日、某会場で見かけた、
とても、見ていられないダンスを踊っているペアの話を書きたかったのだが
その前段階で、こんなに延々と長く書いてしまった。

そのペアのダンスのハナシだけをアップしたほうが、
ずっと、(お読みになる方にとっては)、まだマシな記事になっただろう。

ごめんなさい。 

 

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慢心のお告げ

2012-05-24 | わたし

小説は、やはりわたしには、無理。
早々とシッポを巻いて逃げることにいたします。
ああ、負け犬の敗退、かっこわる。


小説づくりに使う時間とエネルギーは、別のこと(ブログ更新)に使うと、あら不思議、
何も考えることなく、とても楽でカンタンで、すいすい進んで、遊びっぽくて、自由で、開放されていて、鼻歌まじりで・・・
言うことなし。


書きかけの小説以外のことを考えると、気持ちがぱーっと明るくなる。
ボールルームダンス(=社交ダンス)のことや、いろんなこと、こころがウキウキすることを考えましょう。


今の小説のテーマが、暗いのだが、偶然、それと同時に、我が家で暗い出来事が起きた。
やはり、暗いことを考えると、暗い連鎖が起こるのだろうか。
もう、暗いのは、やめようっっ。
その心配事で、胸が痛くなり、気持ちがふさぎ、
それまでの楽天家、天然のわたしが、どこかに、すーっと行ってしまった。


慢心のせいだろう。
日常生活をおろそかにしているので、警報が鳴ったのだろう。


暗いものは、暗いものを呼ぶ。負のスパイラル。
明るく、努力しよう。

ということは、小説のストーリー展開をぐぐぐっと明るい方向に激変させると、
ひょっとして心配事も解決の方向に向かう?
それは、甘いか・・・


小説などに、かまけているヒマがあれば、もっと自分のすべきことをしろ!という、
導きなんだろう、と、こころに畳み込み、肝に銘じて、
ちょっと、すべてのリアル生活のことをマジメにやろうと思っている。


身の丈に合わない小説づくりから、自省、反省へ。
それもまた、ひとつの道。



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大小説家の嘆き

2012-05-23 | ブログ

小説を書くには、やはり、小説を知らないと無理。
読書嫌いは、小説など書けないのは、火を見るより明らかだ。
基礎がまったく出来てないのに、よくもまあ、恥ずかし気もなく、いけしゃーしゃーと、
「小説を書く」などと言ってのけたものだ。

なので、とりあえず、いきあたりばったり、なんの構想もなく、テクニックも技量もサエも持たず、
適当に一作目の書き出しを書いてみたが、
恥まみれでフリーズし、そのまま凍結状態になっている。

「そこで、笑っているのは、だれ?」

 

まあ、笑われて恥をかいて、人間は成長するというので、いい勉強になります。
ただし、あまりにも年齢が高くなってからの恥は、致命傷を導くかも。
切磋練磨の源になる、人格を高める、というよりは、たんなる、「ぼけ」。
いつまでも、恥を知る人間でいたいものだ。
(が、わたしは、生来の「天然」という持病を抱えているので、「恥」と「ぼけ」と「天然」がコラボして、
いい味を出しすぎている)

ということで、次の更新アップは、いつになるのかわからないが、
よくよく考えると、素人のおアソビに、そんなにムキにストイックになる必要はないかと。
著名人が発表した作品ならともかく。
自意識を必要もないところで、持ちすぎだ。

ボキャブラリー不足を補うべく、読書に勤しまなければならないのに、
わたしは、本も新聞も雑誌も、なにも読まない、
もはや日本人でも地球人でもない。

今、使っている文字、言語は、おそらく20歳までに仕入れた、超中古のものばかり。
テレビのニュースで取り上げられる、今年の流行語大賞とかで、最新の知識をほんの数語、仕入れるのみ。

世間と切り離され、隔離、収監された囚人のほうが、もっと読書量が多いだろう。

わたしは、今で禁固数十年の刑を受けている(かのごとく)。
仮出所も決まっていない、ムショ暮らし(のごとく)。
死刑の日を待つばかりだが、毎年、法務大臣の発言にはヒヤヒヤ。
わたしへの刑の執行は、しないでほしい。
弁護士さん、裁判、頑張ってくださいよ。
(いつしか、囚人としてのわたしが、塀の中から、わけのわからないことを訴えている)


こんなわたしが、小説を書くだとぅ??
やはり、身の程知らずでした。
身の程知らず以上に、恥知らずなので、また、気が向いたら書きます。

(ひとに、「スローさんって、ほんと、タフですね」って言われるが、
それは、深読みすると、恥知らずってことだ。
でも、深読みするには、楽天家過ぎて、へらへら笑っているだけの、わたしです)

 

この際、アクセス数など、アタマにないのであります。
ほぼ、自滅に向かっていても、へっちゃらなのであります。

決して多くの人からは共感など、得られないのは、百も承知。
読んでくださる人が、一人か二人いれば、それでわたしは救われます。

 

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大小説家、デビュー

2012-05-22 | ブログ

己を知らずに、無謀にも・・・小説ブログを開設した。(日曜日の夜)

で、ここ蝶ブログでもない、パリブログでもない、3つめの別の新しいサイトを選んだので、
ブログ開設は、一からで、四苦八苦。
小説を書く前の時点で、エネルギーの99%を費やした。

まず、ハンドル。
名前は大事。
ブロッコリー、れんこん、サバ、タイ、チワワ、ちくわ、月、太陽、さくら、クラッカー、みみず、もぐら、・・・
なんでもかんでも、思い浮かぶものの中から選ぼうとしたが、どれも、ダメ。
名前を考えるだけで、エネルギーの70%セントを費やした。(%合計数の計算が合わない)

次に、テンプレート。
ものすごい数のデザインの中から、これ、というものを選ぶのに、へきへき。
エネルギーの55%を費やした。(エネルギー消費比率、適当なのがバレバレ)

ほとんどの時間と労力を使い切った後、深夜にさしかかり、さあ、もう、お休みタイムとなった。
が、ここで、最後の力を振り絞って、
残り1%の力で、小説、第一弾を書いた。(ものすごい、短時間、フルスピードで)
すでに、ぼろぼろの新古品のような、力のない、しなびた感のある内容になった。

で、そこで、終わりではない。
そんな、くたびれ小説を、果敢にも、ブログ村のランキングにエントリーした。
ランキング・エントリーのしかたをほぼ忘れていたし、
バナーの貼り方とか、はぁ・・・あぁ、しんど、というかんじで、
もう力尽きている身としては、めちゃめちゃ面倒くさかった。

そして、どきどきの結果。
だれもクリックしてくれていないのに、人気記事に入り、ランキングインされていた。

そして、そこで、ブログ村のシステムに、こころの底から不信感を抱いた。
(キーワードかなにかで)、コンピューターが選んでいると確信した。

でも、まあ、いいや、と、(ほとんど、ヤケで)気を取り直し、
アクセス解析を試みた。

なんと、ゼロがいっぱい並ぶ。
アクセス数は、毎日、どの時間帯も、すべてゼロ。
誰ひとりとして、見てくれていないということだ。

次の日も、次の日も。

すっかり肩を落としたが、
めいっぱい頑張って、何ヶ月もかけて構想を練って、推敲(校正)を重ね、ゼロならしかたないけれど、
1%の力でやったんだから、負けて悔いなし。
(というか、負ける以前に、なんのとっかかりも反応もない、って、これは、やはり調子ぬけ)

が、性懲りもなく、傷つくということを知らない、ゾンビかロボコップのようなわたしは、
今朝も、アクセス数をチェック。
やはりゼロが並ぶ。

でも、ちょっと待て。
なにやら、方法が違っているようだ。
管理画面に戻って、設定をマニュアル通りにやり直してみた。
フランス語のラジオ講座をかけながら、全然アタマになく、ああでもない、こうでもない、苦手ながら頑張った。
あれをこうして、これをこうして、ああして、こうして・・・あれ?どうするんだった?

あ、ひっかかりがあった。
今まで、オールゼロだったが、自分のパソコン・ナンバーが、出た。

ということで、アクセス数は、1をカウントした。
やったーっ。

というか、かえって、設定できなかったほうが、よかったかも。

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天体おんちの金環日食ショー観察

2012-05-21 | 日々のこと

金環日食、どんぴしゃり、その時間は、忙しかった。
朝食、フランス語・ラジオ講座、ブログ・コメント入力を同時にやっていた。
どれも、中途半端。

金環日食を見ることが、最も中途半端になった。

でも、あれよあれよという間に、あたりが暗くなって、「なに? どうした?」と、どたばた、
でも、天体は苦手なのに、ミーハーっぽく、あちこちをウロウロしていた。

インターネットの個人作成の日食サイトで、自宅住所から見える太陽のカタチ、時間をチェックし、
わあわあ言っていた。
娘は、通勤支度の仕上げにかかっていて、それどころではなく、いたって冷静な様子。

そのうち、屋根のスキマから、ぱーっっとキラキラ、すごく強い光のシャワーを浴びた。

わーっっっ。

よく理解しないまま、目がやられるっ、まぶしいっ! 目をパチパチ、しょぼしょぼ。
あ、そういえば、テレビで言ってたなあ、直接、太陽を見てはいけません、と。
パンダみたいな、メガネみたいな、そんなものが要るとか。

しょぼしょぼ目で、太陽から家の中に目を移すと、まぶしさと暗闇の混合ミックスみたいなかんじで
よくわからないまま、とりあえず、次の動作を同時進行、
ご飯を食べ、フランス語講座を聞き、コメントを入力した。(あとで、やり直したけれど)

理科は、ちんぷんかんぷん、天体とか、まるで無縁のわたし、
急に部屋が暗くなり、宇宙から巨大円盤が襲ってきた映画のワンシーンを想像しつつ、
今朝は、やたら忙しい・・・と、慌てふためいていた。

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