昨日は、法事があり、参加した。
夫側の実家の近隣親戚。
参加女性は少なく、ほとんどが、男性だった。
名字が同じなので、皆さんのお話で、
「K家では、・・・どうのこうの」
「K家の人は、なんたらかんたら」
と、K家の話題が出る度に、Kを名字に持つわたしは、ドキリとするのだが
本家やら分家やら、さらに分家にも何代前の分家やら、
さらに分家から養子に行って、そこにまた養子を迎えて、なんやらかんやらあるものの
ああ、そうだった、ここに集まっている人たちは、初対面でも全員K家だった。
だれが、だれだか、さっぱりわからなかったが、義母の指示・命令で参加した。
去年のお葬式にも参列しているので、
その時、知らない顔の人は、今回で、2回目のお顔を拝見することになる。
それでも、やっぱり知らない人がいる。
(大勢のお葬式のときには、顔もろくすっぽ見てないし)
だいたいは、顔を見て、
わたしの知っている人に似ている顔の人は、血がつながっていると判定する。
兄弟だったり、親子だったり。
これは、わざわざ「あの人、誰ですか?」と聞かなくても、ほとんど間違いなし。
法事が行われた、その家の場所がよくわからなくて、義母に手書きで地図を書いてもらった。
白い紙に、にょにょろと1本か2本線を引いただけの、立派な地図。
書いてもらっても、書いてもらわなくても、あんまり変わらなかった。
で、夫の実家から、ごくごく至近距離にある、その親戚の家への途中あたりで、
よくわからなくなった。
しかたなく、ぼおっとしていると、同じような黒い式服を着た人が複数いたので、
挨拶をして(お互い、まったく初対面)、その人たちの後を付いて行った。
主催者側のご当家以外の人の中では、わたしが一番、若かった。
法事に出席するのは、年寄りと、相場は決まっている。
お年寄りでも、しゃきっとしている間はいいが、
よぼよぼになってくると、世代交代した次の代の人が参加する。
夫の実家の場合、名前や経済的なものは世代交代をしているけれど、
実権はまだまだ義母にある。
なので、わたしは、義母の言われるままに、コマとなって、あっちこっちに動かされる。
「この人にはこの話、その人には、その話題はタブーだ」とか、
「あの人にはあの話はここまでしているので、聞かれたらこう答えてね」、とか、
義母から細かい注意事項を聞かされる。
はい、はい、と、うなずきつつ、あんまり聞いていない、わたし。
会食の部屋では、食事の時に飲み物が用意された。
なにが飲みたいかということで、
「ビールは、飲まれないですよね。ウーロン茶でいいですか?」
と言われ、めんどくさいから、「はい」と答えておいた。
(基本的には、わたしは、少しだけ飲みます)
ビールを飲んだら、余計なことをぺらべらしゃべって、
義母からのタブー事項を忘れ、ヘマをしでかしてもいけないし、
つぎつぎ、注がれてもややこしいので、ウーロン茶で正解だった。
ビールが次から次へと運ばれるとき、わたしの席のあたりは、
「あ、こちらはビールは、飲まない人ばかりです」と、だれかがビールをさえぎっていた。
その割には、わたしの隣に座っていた、開催側の若いお嫁さん(30代後半ぐらい??)は、
ひとり手酌で、ビール(大ビン)をがんがんいっていた。
このお嫁さん、地域では、めちゃくちゃボロボロのボロのちょんに、言われている。
昨年のお葬式のときも、それだけヒドく言われている人は、いったい、どんだけヒドイ人なのかと、
興味津々でその人をわたしは見ていた。
先入観が99%を占め、なんか、ぼってりした、ふてぶてしい人のように見えた。
先入観とは、罪深き恐ろしいものだ。
義母からもその人の説明を、一字一句違わず、同じ文章、内容のことを最低4回は、聞かされた。
聞くたびに新しい情報が加わっているかというと、更新はまるでされず、
毎度毎度、まるで同じ話。
延々、何年たっても、コトの進展はないのか?? 微調整はしなくていのか?
彼女は主催者側の長男のお嫁さんなのだが、前は親世帯とは別居していたが、
ご主人は勤務先が実家近くということもあり、実家に入り浸り。
食事も実家でおばあちゃんや、両親といっしょに。
お嫁さんの住んでいるマンションでは、
まったく手のかからない(あたりまえ、実家でごはん食べさせてもらってる)ご主人と
ふたりだけ。
子供もいないんだから、ぼーっとしてないで仕事にでも出ればいいのに(義母・談)、
まったく専業主婦で引きこもり系だとか。
夫側から離婚の話が出たが、彼女は、拒否。
(それを、まわりは、「居座り続けている」、と、表現。
なにもせずにお金がもらえる、今の立場を手放すわけがない、と、外野はコメント。
立場変われば、みなさなん、好きなことを言いますね)
やがて、ご主人の実家の敷地内に立派な家を建ててもらい、お引越し。
でも、玄関の鍵を中からかけ、まわりと関わりをあまりしないで、変人扱い。
(田舎では、中から鍵かけると、変人って言われるんですねえ・・・
いつでも、だれでも、土足とまでは言わないにしても、土足に近い状態で入ってこられるように
ウエルカム体勢を整えておかないといけないんですねえ・・・)
でも、「着物を着て、京都のお茶会に出席したり、と、けっこうな生活をしている」と批判されている。
なんで、ここで、批判されるのか、わたしは、まるで理解できないけれど。
あたかも、毎週行っているかのような印象を受けるが、たった1回、目撃されただけで、
いつまでも何年たっても、言われ続ける。
昨日、義母から聞いた彼女については、
1から1000まで、すべて、まったく何一つ変わらない、いつもと同じ内容の話だった。
こんな、気の毒な人なんだから、法事で、ビールの大ビンを一人でグビグビ飲んでも、まあ、いいか・・・
そんな気になった。
でも、わたしには、一言も話しかけるでもなし、飲み物を注ぐわけでもなし、
わたしは、もう一方の隣の男性と、ウーロン茶を注ぎあっていた。(先に、隣の人から注いできた)
彼女の開き直りは、お見事です。
あの苦境のなかで、孤軍奮闘して、かわいくない嫁を貫き通す、固い意志。
ま、ちょっとだけ、かわいげがない片鱗がちらちらと見えたが、まあ、それはそれで、
先入観のせいもあるんだろうと、おお目に見よう。
ちなみにご主人は、まともな、爽やか系。
人前で挨拶もちゃんとできるし、ルックスもそう悪くない。
いろんな人がいるわけだが、そんな、目と鼻の先で、嫁・姑・家族の大バトルが繰り広げられていて、
地域のみなさんの話のネタになっていて、
そんな雰囲気、土地、風土のなかに、わたしが、移住して暮らすことになる?
義母に、「帰ってきてくれる? 帰って来たい? それとも、帰って来たくない?」
と聞かれ、思わず「どっちでもいいです」と、答えてしまった。
本心は、当然ながら帰って来たくない。
(ちなみに、義母も今の時点では、まだ現役主婦でいたいので、どっちでもいい、とのことだった)
でも、いつまでもそういうわけにも行かないんだろうし、
帰りたくないと言い切ってしまうと、
義母が精神的に参ってしまってはマイナス効果(心身の健康キープにセーブがかかる)
なので、ここは、あいまい、ファジーに。
行ったり来たりの日が、いずれ何年か後に来るのであろうと予測した。
わたしのこの、スープが完全に冷え切る場所での別居スタイルは、
あの閉ざされた古くさい地域でも、こういう方法もあるという、ひとつの実践例のようになっている感がある。
法事に行っても、地元の近い親戚にも、ある意味、認可されている言動が伝わってくる。
というのは、家族全員が、それでいい、と納得していて問題なく円満に行っているのに、
まわりが、それはよくない、と言ったところで、なんの拘束力もない。
だが、自分はつらい目をして、ガマンして、おもしろくない人は、
そんなの不公平!と、陰口をたたいていることだろう。
一昔前なら、郷里の老親を嫁が世話をするのが普通だったが、
いまは、嫁はまだ働いているので、リタイア前後の夫(息子)が、行ったり来たりして
親の世話をされているケースを、身近に2,3知っている。
そのうち、嫁もリタイアしたら、二人で協力して交替で世話をする可能性もある。
あるいは、意見が分かれたら、夫だけが郷里に帰り、妻は今の居住地に住み続け、
円満別居というケースもある。
これは、ふたつの家を維持する経済力が必要になってくるので、
すべてのケースにはあてはまらないとは思うけれど。
妻にも経済力がある場合、結構、妻の発言力や行動の後ろ盾になる。
法事で垣間見た、地域の暮らし。
わたしは、とても溶け込めそうもないし、
今のわたしと同世代の地域の人々がお年寄りになって、わたしも彼らと同時に年をとっても、
おそらく、なにか、まったく異種のスタンスや、価値観の大きな違いを感じる。
異なる文化圏に飛び込むのは、勇気と覚悟は必要だ。
それに、いまのところ、強制移住の必然性は迫られていないようなので、
ここしばらくは、義母のコマンド・ロボットとなって、あっちこっちに奉仕活動に赴くことにしよう。