蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ターシャ テューダー展

2008-09-30 | お出かけ
心斎橋・大丸の大丸ミュージアムで開催されている、
ターシャ・テューダー展を見に行った。
展覧会は、マイペースでじっくり見るので、
いつものごとく、ひとりだ。
最終日ということで、会場は混んでいた。

ターシャは、アメリカ・バーモンド州の村に住み
30万坪の広大な庭で、四季折々の自然に囲まれて暮らす絵本作家。
1800年代の生活様式を好み、
生活のほとんどは、手作りで、スローライフを守り続ける。
絵本作家としても有名で、100冊もの作品を出版し、
数々の栄誉ある賞を得ている。
また、多くのガーデニング・ファンに大きな影響を及ぼしている。

今年6月18日、愛する家族や友人に見守られて、
バーモンド州の自宅で、92歳の生涯を閉じた。


ターシャは、1915年8月28日、
マサチューセッツ州ボストンの名家に生まれた。
父は、ヨットや飛行機の設計技師、母は、肖像画家。
電話を発明したグラハム・ベルを始め、
マーク・トゥエインやオルコット、アインシュタインなど
華々しい文化人たちが集まる環境のなかで育つ。
しかしターシャはそんな華やかな世界が好きになれず、
社交界デビューを断って、パーティから逃げ出してばかりいた・・・。

その後、両親は、ターシャが9歳の時に離婚。
両親の友人の家に預けられ、自立の道を歩む。

23歳で結婚。処女作の絵本を出版。
30歳で、ニューパンプシャーの田舎に引っ越す。
4児をもうけるが、43歳で離婚。
56歳で、自分の好きな道を究めるかのごとく、
更に田舎のバーモント州で一人暮らしを始める。


なんでも、手作り。
セーターは、羊から毛を刈り取って、毛糸作りから。
石鹸、ろうそく、バター、・・・
今なら、電話一本、メールひとつで済ませられることも、
ものすごい時間とエネルギーをかける。
しかも、そんなに力むことなく、そのこと自体を楽しんで。
文明の力に頼りすぎる現代の生活は、はたして本当に
人々に幸せをもたらしたのだろうか。

手作りのレース、ドレス、マリオネット、ぬいぐるみ、絵本、
目を見張る力量、技。

本職の絵においては、母親のDNAを譲り受け
細かい筆致、やさしい色合い、正確な観察、
幸せをたっぷり包んだ、愛のメッセージ・・・。
90歳近くになっても、あんな絵が描けるなんて
芯がきちんと通った、強い精神がベースにある。


楽しみは創り出せるものよ
幸せとは、心の持ち方のことよ
思ったとおりに歩めばいいのよ
何かを始めなければ、何も起こらないわ
時間をかけるということは、それだけ愛情を注ぐことよ
庭仕事は体が疲れても、心が満たされるの
楽しいことは、それを待つ喜びも嬉しいのよ、
 春は必ずやってくるのだから
人生は短いのよ、好きな事をしなくちゃ
 文句を言っている暇などないの、
 目の前にある幸せを、精一杯味わうことよ
今が人生で一番幸せよ


ターシャの生き方に触れ、心温まるとともに、
強いエネルギーをいただいた。
「料理に、近道はないのよ」という言葉に代表される
シンプルなポリシーが印象的だった。

この年齢だから、とあきらめることはない。
もう、なにも振り回されるものはない。
自信と確信をもって、我が道を進みなさい。
そんな幸せになるためのメッセージに、
やさしく背中を押された。



ダンボール箱いっぱい、大地からの恵み

2008-09-28 | グルメ
娘から、野菜をどっさり送ってきた。
サトイモ、じゃがいも、サツマイモ、みょうが、ネギ、
ピーマン(赤、緑)、きゅうり、ピオーネ(葡萄)、・・・
クール宅急便でダンボール箱に、きっしり。
泥や土がいっぱい付いているものや、土から掘り起こすときに
失敗したと見られる、キズありや、ぱっくり欠けた野菜もあった。

カテゴリー分けするのに、グルメでいいのかなあ・・・と躊躇したが、
「生産者の顔が見える農作物」であることには間違いないので
食のこだわりという意味では、グルメと言えなくもない。

今、娘は香川県の農家に、自ら志願し、ボラバイト中である。
農家の別棟(キッチンも別)に寝泊りし、
食事は野菜を現物でいただき、自炊。
草引きも、掃除も、汚れること、家事一切、家では何もしないのに、
もちろん、力仕事も作業的なこともしたことがないのに、
果たして大丈夫なのだろうかと、不安だった。
しかし、消費側ではなく、生産側の苦労を少しでも体験して、
食べ物の有難さを知ることができたら、貴重な経験となる。
とは言うものの、専攻分野とはまさに畑違い。
「嫌になったら即、帰っておいで」、と送り出した。

そろそろ1週間半になる。
メールしても、返事も渋々。そのうち、返事もなくなった。
まあ、農作業、疲れるとは思うけれど、頑張ってもらいたいものだ。

送ってくれた農作物の写真をブログ用に撮ろうと思ったが、
新聞紙に少しずつ包んだ隙から、土がザザザーーっとこぼれ落ちたり、
後始末やらなんやらしているうちに、写真を撮る機会を失った。

今、冷蔵庫は、野菜で満載だ。
私の実家からも、夫の実家からも、野菜をいただいたのと重なったこともあり
これから精出して、せっせ、せっせと、大地の恵みをいただいていく。
秋の実りを感謝しつつ、ベジタリアン突入となった。

秋、大好き。

2008-09-27 | お付き合い
今朝は涼しすぎて、長袖を探し回った。

秋は気候もいいし、お出かけには最高。
やはり、いろんなお友達を持つということは、いい。

私は男女共学校に長く通ったのに、なぜか同級生との個人的交流はない。
最終校の同級生(女性)とは、最近、会ったりしているが。

10月に、中学の同学年有志主催の酒蔵コンサートがある。
ヴィオラ奏者(中学時代の同級生)と、ゲスト出演のピアニストの協演。
会場は、これまた中学時代の同級生の酒蔵で、ということだ。
酒蔵なので、そこで作られる秋の新酒が、振舞われる。

最初は参加しようかと意気込んでいたが、ちょっと遠いので、
パスしようと思っている。

開催地「江井ヶ島」は、酒造会社がたくさん集まり、
昔ながらの酒蔵も点在する、懐かしい風景の残る地域だ。

今回の酒蔵所有者のY君は、
中学時代、私を言葉の暴力で傷つけた極悪人だが、
前回の同窓会で
「ごめんな。僕はあの頃、子供やったから、
相手の気持ちも考えずに、ずばずば本音を言ってたんや」
と面と向かって謝られた。

なにぃ~、本音だとぉ~
これって、よけいショックだ。
まあ、わざわざ謝ってくれているわけだし、
昔のことは、水に流してあげましょう・・・


芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋・・・
あの暑い夏のあとには、こんなにいい季節が訪れる。
存分に楽しみたいものだ。

参加申し込み締切日は、過ぎているが、
気が向いたら足を向けようかな。



理想と現実

2008-09-19 | わたし
自分の将来をイメージするには、
まず、まわりの人を見ると、わかりやすい。

私の実母・・・・・
金銭感覚→超インフレになったり、デフレになったり、差が激しい。
類を見ない働き者で、強靭、パワフル、疲れ知らず。
自然児がそのまま大きくなったかんじ。
自分では頭は悪くないと思っているが、思い込みで生きている。
敵はいても、敵知らず(気づかず)。
世間体など、気にしない。
子育ては、放任主義。子供ライオンを崖から放り投げるタイプ。
そのくせ、崖から這い上がってくるのを待てない。
1男2女、孫6人、ひ孫1人。

全然、エレガントではない。
(あ、でも、生け花は上手・・・)

私の義母・・・・・
金銭感覚→あればあるだけ使う、昔のお嬢様。
饗応夫人、お友達いっぱい、気さくなお人柄で、敵なし。
賢婦人、良妻賢母、働き者で、努力家、気働きの人。
家族のためには、とことん尽くす。
頭脳明晰。気がまわりすぎて、ときどきオーバーヒートして、ダウン。
子育ては、男の子には勉強以外、何もさせない
企業戦士(夫)の銃後を守る、教育ママゴン。
とてつもなく常識家だが、時として大胆。
1男1女、孫5人、ひ孫2人。

全然、エレガントではない。
(あ、でも、家事は完璧・・・)


私の永遠のテーマのひとつは、「エレガント」。
自分にないものを探し求める。

しかしながら、理想とするエレガント像とは、ほど遠い二人。
(愛すべき二人ではあるが)
お手本、具体的ノウハウが身近にないとなると、真似のしようがない。
目の前にあるのは、自分に正直に、自分らしく生きている
人間臭い二人。
それって、やたらパワフルで、これまた真似できそうもないが、
なんだか、あんまりエレガントではない。
(至近距離から見すぎているからだろうか。)
そのかわり、地に足が着いて、力強い。
少々のことでは、倒れたり、ぐらついたりはしそうもない。

私の描くエレガントとは・・・
優雅で洗練されているということ。
生臭い、生身の現実感を感じさせない優美な世界。
カタチから入るのは大丈夫だが、
深追いするとデカダンスにつながる
貴族のような、虚の世界を背負ってないと
無理なのかな。

そんなことをぐちぐち言っていること自体が、
すでにエレガントではない。

芯を持って生きている二人は、
ある意味、エレガントなのかも知れない。




初、手作りアート

2008-09-17 | お付き合い
2日間、とっても、とっても、リラックスして連休をのんびり過ごせた。
が、突然のリーマンブラザーズ倒産で、心を痛めている。
株価のダウンに、めまい、頭痛がしそうだ。
今後の世界経済が不安。
関係ない人は、関係ないのだろうが、なんらかのかたちで、
皆、影響を受けると思う。
「これからは、アメリカの終わりの始まり」という、
田原総一郎氏の言葉を実感する次第だ。

さて、昨日、学生時代の友人Mさんが会場を初レンタル、
初レッスンを受けた。
会場は梅田のど真ん中、アクセス抜群、某国立大学0Bのサロン。
生徒は2人だけという、贅沢レッスンとなった。
彼女の取っている資格は、アメリカのものらしく、
まだまだ歴史の浅いアートのようだ。
今は、先生に習っている身でありながら、
人にも教えたい、というところかと察する。
もう、教えられる側だけでは、あきたらないようだ。
インプットのあとは、やはり、アウトプット、
それが、自然な流れだろう。


とても重いのに、ペイント用具をどっさり持ってきてくれたMさん。
丁寧に、額のペイントを教えてもらい、
不器用な私としては、お気に入りの作品が完成した。
姫路からわざわざ出てきたIさんも、満足のご様子。
彼女は、ポップなモチーフを使って、私とは全く違うデサインティスト。
「また、ぜひ創作しようね!」と、笑顔で別れた。
自分が好きなように創る、まさに「オリジナル アート」
全然下手だけど、自分だけの味って、面白いと感じた。

ブランド神話

2008-09-14 | ファッション
ブランド大好き!とうい人種は、日本人が世界で一番多いらしい。 
デザインが好きな人、柄が好きな人、ブランドそのものが好きな人、
たまたま選んだら、ブランドものだった人、
ブランドものを持っている自分が好きな人、・・・

バッグをはじめ、ブランド品を持っている女性に対する、
女性からの羨望や嫉妬のまなざしも、強烈だったりする。
ブランドイメージと、持っている人のイメージをダブらせて陶酔するのだろうか。

映画「SEX AND THE CITY」の中でも、大好きなブランドのバッグを
レンタルして持っているという、黒人秘書が登場した。
後には、本物を、雇い主からプレゼントされて、大喜びする。

中学の同窓会で会った、仲良しだった同級生、
目がぱっちりした可愛いSちゃんが言った。
「私は、ブランド バッグを持つのは、恥ずかしい」
え?
目からウロコだった。
彼女の経済状況から察すると、
買えない負け惜しみから、そう言っているのではなかった。
ブランド品に憧れる人もいるけれど、恥ずかしがって嫌う人もいるのだ。

私は、ブランドも嫌いではないけれど、ブランドでなくてもOK。
つまり、こだわりがない。

コピー商品もよく出回っている。
精度の高いコピー商品にもなると、
本物とほんど見分けがつかないものもある。
コピー商品を持つことに対する意識は、お国柄もある。
もちろん、日本人も、コピー商品を持つ人は結構いる。
ブランドに対する考え方による。


一生懸命、自分でお金を貯めて、
あるいは、彼やご主人から、愛情をこめてプレゼントされる・・・
お気に入りバッグには、思い出が詰まっている。

おそらく、気に入って、何年ものあいだ、延々と使っている
と思われるブランドのバッグを持っている人を見かけることがある。
ぱっぱと、すぐ新しいものに飛びつく人もいるなかで、物持ちがいい。

デザインは、かなり古い。
持つところは、黒ずんでいる。
全体に、使い込んでいる感、ありあり。
バッグ自体をみれば、もう、リタイア時期はとうに過ぎている。
それはそれで、愛着もあるだろうし、
エピソードや思い入れも、いっぱい詰まっているのだろう。
高かったのだから、苦労して手に入れたのだから、
高級ブランドなんだから、一生もののはずだから、
そう、やすやすと手放せないのは、よくわかる。
が、・・・
見る側の人の目、トータル ファッションの側面も、・・・ある。


新しいデザインが、次から次から出る。
ブランド代表格のルイ・ヴィトンを例にとると、
1896年に商品化された定番のモノグラムをはじめ、
1998年からのダミエ、2003年からのマルチカラー(黒と白の2色)
最近では、ブルーとクリーム色のダミエ・アズールが登場した。
色・柄だけでなく、カタチも様々な展開をしている。
消費者の心を刺激し続けるのが、メーカーの仕事だ。

ブランド品のとらえ方は、人それぞれ。
踊らされるのも、踊らされないのも、消費者の自由だ。



遊ぶだけでは、おもしろくない

2008-09-12 | 読む人々には興味ない話
好きなこと・・・趣味を、追求する。
時間とお金と、エネルギーを堪能するまで、たっぷり注ぐ。
誰にも迷惑をかければ、なにをしてもいい。
はず、なのだが・・・

それも、内容による。
犯罪一歩手前の趣味や、健康上よくない趣味、
生活が破綻するような趣味はおススメできない。
逆に、研究や、健康にいいライフワークや、人のためになったり、
趣味が高じてプロになったりするような、好ましい趣味もある。

精進するようなものは、よいが、
どうも私は、享楽的な生活ができない。
浪費するばかりは、楽しくない。

かつて、東京に住んでいた時、毎日、毎日、遊んでいた。
出歩き回ったり、人のお宅にべったり居ついたり。
映画、観劇、コンサート、ホテルのディナーショー、展覧会、
ショッピング、グルメ、お酒、旅行、パーティ、ファッションあれこれ、
街探索、イベント、お稽古、スポーツ、・・・
何組かで合流したり、何泊もしたり、家族ぐるみのお付き合いもあった。
気の合う人と昼下がりに、ぶらり街歩きをしたり、
深夜の街に、出かけたり・・・

顔の広い人と親しかったので、その人と一緒にいると
いろんな方と出会った。
棚ボタ式、パラサイト依存交流も多々あった。

著名な方にも、お会いした。
有名なお店にも、行った。
大物政治家のお嬢さんを交え、よくいっしょに遊んだ。
(お子さん連れの時は、お付きのベビーシッター嬢も一緒だった)
豪邸にも、お招きいただいた。

当時、住んでいたところに因るものが、大きかったようだ。
東京は、さすが中央だと思った。
住民の顔ぶれ等を見ても、それを思わせた。
今、総裁選、渦中の人物名も聞こえてきた。
(ご親戚なのかも知れないが)
大手老舗企業の社長私邸の土蔵が、ま後ろにあり、
ドロボー騒ぎも起きたことがある。

そういう日々は、夫の転勤辞令が出て、東京の地を離れるまで、
2年間、続いた。

また遊びほうける日々を送りたいかといえば、
別に、そうでもない。
経済的理由からでは、ない。
浪費するばかりでは、おもしろくないと感じたからだ。

同じことの繰り返し。
両手からするりと、何かがこぼれ落ちるような
積み重ねても、実感がない、虚構のような世界。
若かった。
その時、その時は、おもしろいのだが、
それが続くと、虚しくなる。
点と点は、つながって、やがて線にならなければいけない。
何も残らず、点だけで、消えてしまっては、
あまりにも刹那的。
遊びの経験が少ない人にとっては、その、その場限りの
刺激がたまらないのかも知れないが。
何が好きなのかもよくわからない私には、遊びの洪水は、
若い日の、経験のひとつだった。

そんな日があってこそ、今の自分がいる。

今、私はこの年齢になって、
リタイアにはまだ早い、でも、そこそこの年齢の人で、
たっぷりの自由時間があって、
遊ぶ一方の人を見ていると、なにかしら違和感がある。
いくら趣味だからと言っても
今まで、よほど遊ぶ機会がなかったのか、
浪費するばかりの行動に、疑問を抱かないのだろうか。
どのぐらい続けると、もう十分、となるのだろう。

ひょっとして、ある日、突然、今までの遊びの集大成を
カタチとして発表、発揮する時が来るのかも知れない。
それはそれで、楽しみだ。

苦しみながら、無理矢理、浪費して遊んでいる、という同級生の話を
先日、Bさんから聞いた。
もともと綺麗な人であるが、さらに着飾り、お連れの人々を従えた
彼女の表情は、決して楽しそうには見えなかったらしい。
迫り来る何かの重圧に、抵抗するごとく、
苦渋に満ちていたようにも感じられたと、Bさんは言っていた。
彼女は、誰が見ても羨ましいような、
幸せそのものの生活を送っているはずなのに、
現実のどこかに「心の闇」を抱えているそうだ。
どこかで、バランスが崩れたのだろう。


やはり、遊ぶだけ、は、私には合っていない。
そう。
で、それで? その結果、生み出すものは?
それが、ほしい。





時間はあっても、時間はない?

2008-09-10 | お付き合い
最近、朝が、どんより気分の重いスタートになっている。
その理由は、株価。
見たくない状況だ。

それはそうと
学生時代の友人、M さんから、先日、メールをもらった。
6月に、私の実家にお呼びしたうちの、一人である。
会場を借りて、手作りアート講習会を開くから、本番の前に会場の使い勝手などを試したいので、
サクラで集まってくれないか、というお誘い。
実際に、模擬レッスンとして、「手作りアート実習」をやってもらいたい、とのこと。
彼女は、手作りアクセサリーの資格を取得したり、結構、頑張っている。
我々の出身校の全卒業生が対象の会にも、積極的に運営サイドで参加し、
バザーに出品したり、奉仕活動も盛んだ。

メンバーは、私を入れて4人。
一人は、ご高齢のお舅さんに目が離せないのと、自営業のお手伝いがあり、
よっぽどのことでもないと、外出は困難のため、不参加。
あとの人は大丈夫ということだったので、
スケジュールをあけることにしていたら、
早速、次の日に、B さんが、ダメになった。
B さんは、仕事をしている関係上、やはり、難しいようだ。

残りの一人、I さんは、姫路在住ではあるが、行けると聞いていた。
「B さんがダメらしいし、イベントはキャンセルして
代わりにランチか、お茶でもいいしね」
という、M さんからのメール。

模擬レッスンの時は、「その日ならオッケー」、と私は即答していたのだが、
模擬レッスンがないなら,わざわざ時間を取るのがきつくなり
「◯曜日はだめで、◯曜日も避けたくて、◯曜日なら、ありがたいな~」
とM さんにメールすると、それ以来、返事がない。

M さんも、あれこれ日程を調整するのに難儀しているのだろう。
(残るI さんも、姫路在住というだけでなく、家業のお手伝いもあるし)

時間は作るもの。
特別のことであれば、日程を調整するが、
皆さん、単に普通に飲食とおしゃべりだけなら、無理をしてまで、
参加するのは大変なのだろう。

やはり、身軽ではない人たちが集まるには、
それなりの非日常性でもないと、なかなか集まってくれない。
今回も、おつきあい、という気持ちで協力してあげようと思ったのだが
人数も減り、イベントもなくなり、お手伝いの意味もないとなると、
わざわざ時間を合わせる気になれない。
(私の都合のいい日に合わせてくれるなら、OKだが)

ヒマだから出てくる、いつでもOKという人はいないようだ。
みんな、有閑マダムにはなれないんだと感じ、ある意味、ほっとしている。

多くの雑事や、仕事から解放され、
自由な時間をたっぷり享受できるようになると、
また、喜々として集まる時期が来るだろう。

しかし、こんなどうでもいいことを延々と綴っている私は、
かなりヒマ人である。







日曜日は、ワイン

2008-09-09 | グルメ
テーブルに並んだ、お寿司、てんぷら、ブルーチーズ&クラッカー
合わせて選んだのは、赤ワイン。
ちょっと渋めで、残念ながら、ジャスト私テイストではなかった。

先週のマダム・ルロワ保証のLEROYは、とても美味しかったけれど、
毎度毎度は、好みの味に、当たらないようだ。
とりあえず、飲んだ記念に、メモのみ。


SAINT COSME PETICEP SYRAH
サン コム プチセップ シラー
原産国 フランス
輸入業者 及び 発売元 飯田

ダンス、ダンス、ダンス

2008-09-08 | 趣味
私は社交ダンスは初心者だが、恥知らず根性で、
踊れないのに、ぶっつけ本番でパーティに参加する。
これは、前に初めて参加したパーティでお会いした、
とても美しい、ダンスがお上手な方に、教えていただいたコツ。
速攻ダンス上達法なのだが、なかなか、そう、うまくいかない。

今回は、地元で行われるということなので、日曜日ではあったが、参加した。
大阪・中之島にある中央公会堂には、何度か行ったことがあるが
こんな至近距離、お膝元パーティは、初めてだ。
着替えを最小にするため、上半身だけ社交ダンス用の衣装、
その上からジャケットをはおり、下はデニムを身につけ、
自宅から、会場まで歩いて行った。
9月とはいえ、まだ暑かった。

会場は、狭いわりに、結構、人が多いので、熱気むんむん。
冷房なんて、ほとんどきいてない。
扇子を持って行かなかったので、そこらへんのもので、ぱたぱた、あおいだ。
1時間半以上もかけて,近隣の県から来られた人もいた。

この度のパーティ開催主をされている
先生のデモンストレーションがあったが、お見事。
ダンスはもちろん、美しい・・・
なによりも、顔、スタイル
加えて、表情、衣装
筋肉、柔軟性、・・・どれをとっても卓越している。
あのお年で、あの美しさは、ありえない。
天は、一人の人に、二物どころか、いったい何物、与えているのだろうか?

私が習っている先生も、それはそれは、お美しい人だと思っていたが、
世の中、趣味を越えて先生にもなる人は、凡人中の凡人である私などとは、格が違う。

パーティゲームで、練習用のダンスシューズが当たった 
(写真下 ¥14,700)
ラッキー
こんなサプライズに、にこにこ、である





踊りのパートナーがいない人たちと、順番に踊ってくれる
「リボンちゃん」と呼ばれる人々がいる。
彼らは、ダンス部の学生だったり、セミプロだったりする。
会によっては、有料のこともあるが、今回は、会が用意してくれたようだ。
女性が多いので、リボンちゃんは、全員男性だった。
彼らと踊ると、ふわりふわりと、蝶のよう。
ウエストが細く、ヒップが小さく、手足が長い。
そして、すごく若くて、色が白くて、見た目がキレイ。
どんなお相手であろうが、きちんきちんと、ダンスには手を抜かない。
こぼれるような笑顔を惜しみなく、ふりまいている。

順番を待っていて、ぼーーっとその様子を眺めていると、
ご年配の女性たちと踊っているシーンは、
さながら、老人ホームに慰問に訪れた学生さんと、入所されている方々のように見えた。
(ちょっと失礼かなあ・・・)

女性も男性も、お年を召しても、美しく、可憐に、舞っている。
体にも心にも、とてもいい健康法だ。
そして、なにより、いろんな方ともお知り合いになれる。
中には、嫌な人も混じっていて、グサリとひと付き突きされて、
ひん死の状態に陥ることもあるが、まあ、何にでもリスクはつきものだ。
心を強く持って挑戦すれば、少々の傷はすぐに治る。

まだまだ私は、ひよっこ。入り口にいる。
素敵な先輩方を見習って、華麗に年を重ねたいものだ。