昨日から買い物三昧。
と言っても、小さい小さいスマホ画面で、延々チマチマ。
買う商品は消耗品。
なのに、楽天、アマゾン、自社メーカーオンラインショップ、個人店、その他、全ての商品をチェック。
目が見えなくなるのでは、、、と思うぐらい、休憩なしに集中した。
勉強もこれぐらい集中できたら、今のわたしは、いない。
ぐうたらナマケモノには、決してなってないと思う。
で、思う。
デキる人には何タイプかある。
もともと、脳みそのデキが良い人。
さほど努力しなくても、飲み込みが早い。正確な理解力、記憶力。
これ、夫のタイプ。
副作用として、デキない人の気持ちが全く理解出来ない。
長嶋が「なんで他の人はホームランを打たないんですかねー、球が来たらバットを振るだけなのにねー」
なんてシャーシャーと言ってのけるようなもの。
人に教えても手間がかかるし、アホすぎてイライラするため、自分でやってしまう。
かくして、わたしは元々アホ要素があったところに、追い打ちをかけるように、アホが完成されてしまった。
今や、針の穴に糸を通すことも出来ない。(嘘です)
デキない人は、どんどんサボり、デキる人は、どんどん仕事が増えてしまう。
ちなみに、生まれつき派は、家族で言えば、夫、姑、長女。DNA直列、縦繋がりライン。
その次。
努力家。
生まれつき、あまり飛び抜けて秀でてはいないが、血の滲む努力で頑張り成果をあげる。
そういう人は、頑張らないアホを見ると無性に腹が立つか、あるいは、バカにしまくる。
悲しいことに、このタイプは、今、私の趣味の練習相手で、私は、嘆き哀しんでいる。(でも、まあ、いい)
欠点を修正しようと、ガミガミうるさく言われる。
努力派は、家族で言えば、父。
さらに、その次。
たいしたことがないのに、たいしたことがあると、一点の曇りもなく信じているタイプ。
確かに学校の成績は悪くはないのだろうが、学校そのものが怪しい。
だが、頭脳以外の頑張りはスゴイ。
家族で言えば、母。
勉強の仕方やコツをつかんで、すごい集中力を発揮するタイプもいる。
姉と次女。
兄、舅、長男は、どこに入れようか。
たまたま全部、男性。
自分の身内を褒めるのは、自慢しているようで嫌であるし、かといって無難な表現をあれこれ考えるのはモヤモヤするので、いっそ、仕分けはしない。放置。
先日、姉と話して、彼女との頭脳の違いを今更ながら痛感した。
若い時から頭を鍛えている人と、鍛えてない人では、えらい雲泥の差がある。
これからは、老化を口実に、頭が悪い(アホ)という真実の追求から逃げようと思っているが、今更、誰も追求してこない。
アホもカシコも一朝一夕ではない、長年の積み重ね。
強弱、硬軟、高低、色々あるほうが深みが出る、ってものである。
と、自己擁護、自己肯定にさっそく回る。
またもや、大きく話が脱線している。
もし、わたしが賢かったら、今の自分はいない、って話だった。
あり得ない仮定は、するだけ無駄。
しかし、ブログ文字並べ遊びとして、ちょっとシュミレーションしてみよう。
と思ったが、またまためんどくさくなってきた。やめ。
それと、、、話はまたまた横道に逸れるかも知れないが、
自分の美点を自覚した瞬間に、美点は美点でなくなると思う。
自分は人格者だ、と自覚している人格者はいるか?
人格者であるなら、またまだ自分は未熟だ、不完全だと思うのでは?
美人だとか、頭がいい、とかは自覚する人もいる。
客観的な事実として証明されている美点を自分でやっきになって大声で否定するのも、なんだ、嫌みったらしく映らないでもない。
ただ、例えば、自分は優しい、だとか、品がある、清楚だとか、そういう美点は自覚した途端に、別のものになる。
自覚してはいけない。
別に自覚してもよいが、美点の性質が一変する。
わたしは無意識で無作為な所が良い、と言われることもあるが、それを意識した途端、無意識ではなくなるわけだ。
長所を自覚するやいなや、長所は吹っ飛び、ただの、わざとらしい人に転落する。
無意識を意識的にキープしなければならない。て、どうやって?
レッスンで「意識して、無意識に力を抜いて」と言われるのだが、真逆を同時進行は難しい。
趣味SNSの自分のハンドルを「◯姫」としている人がいる。
シャレでなく真面目に。
例えば、「平成の歌姫」とか、自分で言う時点で、それって、違うんじゃない?と思ってしまう。
皆さんや世間、マスコミが言ってくれるなら、まだしも。
自分で言った途端に、たとえ素晴らしくても、◯姫の座から転がり落ちるような気がする。
心の中で自覚するのらならまだよいが、口に出して、自分の名前にしてしまうなんて、、、、
娘ことを姫◯号、孫のことをプリンセス◯号と(恥ずかしげもなく)言って、写真や動画を(堂々と)アップしている人が趣味リアル知人にいる。
皆さんは、お美しい娘さんですね、可愛いお孫さんですね、とたくさんコメントを付けている。
そういう行動は、わたしの感性とは合わない。理解出来ない。
(可愛いさかりの、イギリスのエリザベス女王の曽孫たちなら、喜んで拝見する)
だが、色んな考え方の人がいるので、自分との違いがよくわかるのであるのは結構だとしても、うっ、となる。
プリンセス孫や姫娘がいる身で、実母のことを、ママ、ママといって甘える、、、って、、、。
うっっっ、、、(げっっ)、、、である。
なので、近寄らない。
たまに、そっと見に行くこともあるが、そっと帰ってくる。
自分の居場所に帰ってこれる、棲み分けが出来ているから、なんてことはない。
自分を、うっっっ、、、にさせるものには近寄らない。
こそっと地中、穴をほって吠えて、またすぐに、上から土をかける。
くれぐれも、墓穴にならなければよいが、、、
と言っても、小さい小さいスマホ画面で、延々チマチマ。
買う商品は消耗品。
なのに、楽天、アマゾン、自社メーカーオンラインショップ、個人店、その他、全ての商品をチェック。
目が見えなくなるのでは、、、と思うぐらい、休憩なしに集中した。
勉強もこれぐらい集中できたら、今のわたしは、いない。
ぐうたらナマケモノには、決してなってないと思う。
で、思う。
デキる人には何タイプかある。
もともと、脳みそのデキが良い人。
さほど努力しなくても、飲み込みが早い。正確な理解力、記憶力。
これ、夫のタイプ。
副作用として、デキない人の気持ちが全く理解出来ない。
長嶋が「なんで他の人はホームランを打たないんですかねー、球が来たらバットを振るだけなのにねー」
なんてシャーシャーと言ってのけるようなもの。
人に教えても手間がかかるし、アホすぎてイライラするため、自分でやってしまう。
かくして、わたしは元々アホ要素があったところに、追い打ちをかけるように、アホが完成されてしまった。
今や、針の穴に糸を通すことも出来ない。(嘘です)
デキない人は、どんどんサボり、デキる人は、どんどん仕事が増えてしまう。
ちなみに、生まれつき派は、家族で言えば、夫、姑、長女。DNA直列、縦繋がりライン。
その次。
努力家。
生まれつき、あまり飛び抜けて秀でてはいないが、血の滲む努力で頑張り成果をあげる。
そういう人は、頑張らないアホを見ると無性に腹が立つか、あるいは、バカにしまくる。
悲しいことに、このタイプは、今、私の趣味の練習相手で、私は、嘆き哀しんでいる。(でも、まあ、いい)
欠点を修正しようと、ガミガミうるさく言われる。
努力派は、家族で言えば、父。
さらに、その次。
たいしたことがないのに、たいしたことがあると、一点の曇りもなく信じているタイプ。
確かに学校の成績は悪くはないのだろうが、学校そのものが怪しい。
だが、頭脳以外の頑張りはスゴイ。
家族で言えば、母。
勉強の仕方やコツをつかんで、すごい集中力を発揮するタイプもいる。
姉と次女。
兄、舅、長男は、どこに入れようか。
たまたま全部、男性。
自分の身内を褒めるのは、自慢しているようで嫌であるし、かといって無難な表現をあれこれ考えるのはモヤモヤするので、いっそ、仕分けはしない。放置。
先日、姉と話して、彼女との頭脳の違いを今更ながら痛感した。
若い時から頭を鍛えている人と、鍛えてない人では、えらい雲泥の差がある。
これからは、老化を口実に、頭が悪い(アホ)という真実の追求から逃げようと思っているが、今更、誰も追求してこない。
アホもカシコも一朝一夕ではない、長年の積み重ね。
強弱、硬軟、高低、色々あるほうが深みが出る、ってものである。
と、自己擁護、自己肯定にさっそく回る。
またもや、大きく話が脱線している。
もし、わたしが賢かったら、今の自分はいない、って話だった。
あり得ない仮定は、するだけ無駄。
しかし、ブログ文字並べ遊びとして、ちょっとシュミレーションしてみよう。
と思ったが、またまためんどくさくなってきた。やめ。
それと、、、話はまたまた横道に逸れるかも知れないが、
自分の美点を自覚した瞬間に、美点は美点でなくなると思う。
自分は人格者だ、と自覚している人格者はいるか?
人格者であるなら、またまだ自分は未熟だ、不完全だと思うのでは?
美人だとか、頭がいい、とかは自覚する人もいる。
客観的な事実として証明されている美点を自分でやっきになって大声で否定するのも、なんだ、嫌みったらしく映らないでもない。
ただ、例えば、自分は優しい、だとか、品がある、清楚だとか、そういう美点は自覚した途端に、別のものになる。
自覚してはいけない。
別に自覚してもよいが、美点の性質が一変する。
わたしは無意識で無作為な所が良い、と言われることもあるが、それを意識した途端、無意識ではなくなるわけだ。
長所を自覚するやいなや、長所は吹っ飛び、ただの、わざとらしい人に転落する。
無意識を意識的にキープしなければならない。て、どうやって?
レッスンで「意識して、無意識に力を抜いて」と言われるのだが、真逆を同時進行は難しい。
趣味SNSの自分のハンドルを「◯姫」としている人がいる。
シャレでなく真面目に。
例えば、「平成の歌姫」とか、自分で言う時点で、それって、違うんじゃない?と思ってしまう。
皆さんや世間、マスコミが言ってくれるなら、まだしも。
自分で言った途端に、たとえ素晴らしくても、◯姫の座から転がり落ちるような気がする。
心の中で自覚するのらならまだよいが、口に出して、自分の名前にしてしまうなんて、、、、
娘ことを姫◯号、孫のことをプリンセス◯号と(恥ずかしげもなく)言って、写真や動画を(堂々と)アップしている人が趣味リアル知人にいる。
皆さんは、お美しい娘さんですね、可愛いお孫さんですね、とたくさんコメントを付けている。
そういう行動は、わたしの感性とは合わない。理解出来ない。
(可愛いさかりの、イギリスのエリザベス女王の曽孫たちなら、喜んで拝見する)
だが、色んな考え方の人がいるので、自分との違いがよくわかるのであるのは結構だとしても、うっ、となる。
プリンセス孫や姫娘がいる身で、実母のことを、ママ、ママといって甘える、、、って、、、。
うっっっ、、、(げっっ)、、、である。
なので、近寄らない。
たまに、そっと見に行くこともあるが、そっと帰ってくる。
自分の居場所に帰ってこれる、棲み分けが出来ているから、なんてことはない。
自分を、うっっっ、、、にさせるものには近寄らない。
こそっと地中、穴をほって吠えて、またすぐに、上から土をかける。
くれぐれも、墓穴にならなければよいが、、、