蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

私は、だれ?

2009-09-30 | わたし
人それぞれ、自分は何者か、知っているだろう。
オモテの自分、ウラの自分、意識化の自分、無意識の自分・・・
自分がいまだにわからない人は、捜し求め続けていることだろう。

そもそもアイデンティティとは?
自分とは?

自分に向き合ったことは、誰にでもあるだろう。
もし、そんなことをしたことがない人がいたとしたら、とても幸せな人だ。
いい意味でも、悪い意味でも。

私は、今まで、2度、自分って、なんだろう、と、深く思い詰めたことがある。
それは、自分の歩んできた道の岐路に立った時だった。
書物の知恵、知識、力も借りた。
その結果、自分の行く道を選択する決断をした。
自分は、なんだろう? どうしたいのか? どうすべきか?
自分と向き合って、自分の答えを自分から引き出した。

今にきて、3度目の決断の時が、もうじきやって来る。
まあ、まだ時間はあるので、ゆっくり考えればいいのだが。
あるいは、決断せずに、ずるずるとこのまま行く、という新手もある。

しかし、ぼやぼやしていると、期限切れのカタログ・チョイス・ギフトが、
先方の決めた商品に決定されてしまうのと同じように、選択肢がなくなってしまう。
自分で自主的に選択して生きる「能動的生き方」と、
選択肢なく、余儀なく不本意に生きる「受動的生き方」とでは、どちらがいいか?



私は、だれ?
なんのために生きている?
何がしたいの?
どうすべきなのか?

自分の声に耳を澄ますと・・・
実は、今のままが、一番いい。
緩やかな曲線を描きながら、優しく微妙な角度で、爽やかに下降していく、
そして、その先は、ふんわり、ソフト・ランディング。
このまま、一生、今の状況が続けば最高なんだけれど。
そう思うと、一日一日の貴重さを噛みしめ、
大切に、思う存分味わって送らなければ、もったいない。
だらだら無意識に黄金の時間を過ごしてしまうと、後々、後悔しそうだ。
しかし、時が動かないということは、ありえない。
地球が自転している限り、人は年を取り、やがて死ぬ。
愛する人々も、死んでいく。自分も確実に死ぬ。
世界一の傾城の美女も、時の権力者も、例外なく盛者必衰の理を表している。
黄金の時期は、永遠には続かない。

とかなんとか御託を並べて、決断を先延ばしにしているだけ?
自己中心・逆風だらけの、理解者が一人もいない孤独な自由人か、
人の評価が怖い小心者、不満だらけ、自分騙しの自己犠牲か、
あるいは、ミックス・バランス型か?(投信、ファンドも、こういうのがおススメらしい)

どちらも選ばない(選べない)、あるいは、どちらも取り入れる、そういう中庸が無難。
いずれにしても、人は一人では生きられないのだから、
自分だけの我ままを通すには、強い意志や、それに裏打ちされた実践力が、必須だ。
私に、それがあるのか???
覚悟を決めたら、コトが進んで行くに従い、
今まで備わってなかった力も、苦労とともに徐々についていくのか
あるいは、気力だけでは、現実はどうしようもないことを痛感して、挫折するのか。
いずれにしても、らくらく、楽しいだけの人生などない。



どうせ、なにもできないのなら、ジタバタあがかず、
ハナから何も考えないで、流されるままの、与えられる人生が、楽で、いいなぁ・・・
なにもできないアタマやカラダなら、そんなもの、いっそ無いほうがマシだなあ・・・
今まで無知で知らなかったこと、気付かなかったことがあるということを、
目が開いて気が付いても、
人生を切り拓くことになったケースと、
悲惨な現実を直視するだけで、知らなかったほうが幸せだったケースとがある。
お嬢様、奥方様コースを順風満帆に歩けたらよかった?
婦女子に、情報や知識、教育は不必要、と、昔の人はよく言ったものだ。

感じ方、実践の仕方、生き方は、ひとそれぞれなんだろうけれど。
「魂が救われるのは、信心」という終着駅が、もしあるとするなら、
私は、まだ、生身で生体反応があり、あの世へ直結の神頼みには、身も心も若すぎる。
瀬戸内寂聴さんが、知ったら、一喝されそうだが。
神仏に頼れない者は、究極の間際まで、自分で答えを探し彷徨うのが、その宿命?

要は、この年になっても、まだモラトリアムな私。
自業自得のなせる業ということですかね。






時が止まるとき

2009-09-29 | 趣味
いつものアポロンではない。
ウィーンでリフレッシュされたのか?
ヘアスタイルも激チェンジされていたが、レッスン内容も大変身していた。


夢のようにレッスンは進んだ。
手ごたえも、充分感じ、1秒1秒が充実の時。
アポロンのちょっとしたアドバイスも、ひとつの動きも見漏らさないぞ、
という思いで神経を集中させた。
濃い時間のそのあとに、信じられないことが起こった。

素晴らしい。
 こんな短時間で、コネクトをものにできた人は少ないよ。
 いや、今までにいなかった。
 次からが、楽しみやね。

アポロンにそう言われた時は、まさに天にも昇る気持ち。
私の眼は、完全に、くっきりハート型。ほっぺは、ピンク。
お目々が顔の3分の1の、少女マンガのヒロインが、そこにいた。

終わった後、しばらくは、余韻に酔いしれた。
(1日経った今も、まだ続いている・・・)
まるで、BODY&SOULのテーマパークをたっぷり時間をかけて回ったあとのよう。
60分、いや120分スパか、エステのあとのよう。
快い汗、気分爽快。

うーーん、こういう日があるから、やめられないのだ。
今後、どんなコワい目に遭おうが、惨めな闇の沈黙に陥ろうが
どんなことが待っていても、耐えられる。
これから、やっていける。
そんな明るいカーテンが、ぱっと開いた。


ワルツやタンゴなどのモダンの方ではなく、ラテン、
その中でも、ルンバに、私は、ハマっている。
あの、情熱をぎゅぎゅぎゅっと押し込めたような曲、踊り。
今のところは、それには程遠い、フォークダンス盆踊りだけれど。
そもそも最初に教えてもらった先生が、(今も通っているが)
足型オンリーだったので、別の先生に習ったところ、
それは単なる足型であって、本当の正しい踊り方ではなかった。
それまで、正しいダンスを知らなかった、ということすら、知らなかった私。
急に今までのダンスが、恥ずかしくなった。
そんなダンスをしている自分の姿そのものが、恥ずかしくなった。

この日は、ステップ、カウントに続く、新しいジャンル、コネクトの取り方。
今までは、ステップ(足型・カタチ)を覚える→カウントの取り方をマスター
さらに→コネクト(リードの受け方)という流れから
クリアーすれば→BODY&MUSCLEの動き→曲への乗り方へとつながる。

BODY&MUSCLEは、潜在的な個人能力差が大きいと思うので、
(私、カラダが硬く、腹筋ゼロ、お腹まわりトロトロぶよぶよ、動きがトロい。
しかも、若くない。そして、アタマ<脳>が最大のネック・・・)
きっとアポロンを失望させることになるだろうけれど(間違いない!!)
でも、その段階にまで進める日を目指して頑張ろう。

カーテンが開いた向こうは、眩しすぎて見えないが
実際には、自分はその眩しい中には入れない可能性は大だ。
開いたカーテンの窓の内側がら、いつまでも外を眺めているだけになるかも知れない。
でも、カーテンが開いたことは、確かだ。


アポロン復活前夜

2009-09-28 | 趣味
どきどきどき。
朝から落ち着かない。
実は、週末から、そわそわ、
ステップは忘れていないか?
カウントを取りながら、頭で、シミュレーション・ステップ。
コワいなぁ。恐怖政治。
「アポロン」から、「ロベスピエール」に、前もって改名しておこうかな。

「2週間の間に、こんなに忘れる???」
なんて、どんぐり眼で、言われたらどうしよう。
今から、怒られる練習、心の鍛錬をしておこう。

ウィーンの楽しい気分をそのまま持ち帰って、
ふぉあ~ん、としたムードなら、いいのだけれど。

アポロン・レッスンは、お休みに入って、身も心も解放された2週間だったが、
再開するにあたって、身が引き締まる。
というか、心臓に悪い・・・。

へっぴり腰の自分の後ろから、こわごわ震える手で
無理やり、自分をぐいぐい押している私がいる。
さて、・・・と、覚悟はいい?  
ドンっ!
あわわ、崖から落ちそう・・・
しかし、やるしかない。

自己改造で、自滅??

2009-09-26 | わたし
なにかわからないが、イラついている。
やることがなくて、虚脱感とか、虚無感とか、そういうものとは無縁。
やることをほったらかして、好き勝手ばかりしているから、イラついている?

自分を内からぶっ壊したい心境だ。
小泉さんが、むかし、自民党を内から壊す、と言っていたけれど。

自分にこびりついているアカ、サビ、古い先入観、固定概念、そういうものを除去し、
それらを内蔵している自分自身を内から改造したい。

自分以外の外的要因については、見て見ないフリをしよう。
肝心の自分については、見て見ぬフリはできない。
改造するにも、大胆な外科手術は、リスキーだ。
自滅の危機を孕んでいる。
では、漢方でゆっくり、自然治癒力を活かしながら、治療していくとするか。


明日は、地元の選挙が行われる。
ここのところ、街は賑わっている。
というか、ウルサイ、に、近い。
駅前ロータリーには、対立候補の街頭カーがうろうろ、順番を待っている。
夜の11時を過ぎても、電車の駅改札前に立った候補者が、深々とお辞儀を繰り返す。
今も、家の前の街路を候補者名を連呼する団体が通り過ぎた。
ウグイス嬢などではない。
主に男性の、マイクなど一切使用しない、生の声。
しかも、徒歩だ。
頑張るなぁ。
こんな静かな住宅街の奥まった道々にまで、よくまあ、細やかに。
特に、あまり外出しないお年寄りには、効果があるかも。
(でも、加齢で耳が遠くなると、肝心の名前が聞こえにくいかも知れないけれど)

マンパワーは、予想以上の力を発揮する。
しかし、あれがお金で買われたアルバイトの人の仕事だとすると、
ちょっとショックだけれど。
何を信じたらいいのだろう・・・?
信じられるものは、何なんだろう・・・?
自分?
実は自分が、一番信じられない。



ハリウッド映画をはじめ、地球滅亡をテーマにした映画が後を絶たない。
不安に駆られるが、まだ今のところ、破壊されずに持っている地球に安堵する。
地球は悲鳴を上げているし、警鐘は鳴らされているが。
まともに、向き合うか、向き合わないか。
泣いても笑っても、明日は来る。
とりあえず、明日は、選挙に行ってこよう。



家族総動員、その吸引力は?

2009-09-25 | 
あっという間に終わったシルバー・ウィーク。
久しぶりに、我が家は、全員集合となった。
息子の家に押し掛けた我々女性3人だったが、
「一緒に、帰る?」と長女が息子に尋ねると、「うん」という返事。
なので、そこから息子を我々の車に乗せて、我が家へUターン。
そして、その翌日には我が家から移動し、義母の家(一族のルーツの家)へ。
またまた全員集合となった。
とはいうものの、実は先月、お盆の時も全員集合だった。
あちこちの赴任先から忙しい中、帰省してくれるだけでも嬉しいのに、
おばあさんの家にまでお墓参りに行ってくれる子供たち。
オフの日には、日頃のハードワークの息抜きや、友人たちとのお付き合いや、
個々のスケジュールが色々あるだろうに。
義母のパワーはすごい。
というか、ご先祖様のパワーなのかもしれない。

目的は、お墓参りなのだのだが、
私は別に信心深くもなんともないにもかかわらず、
いつも、義母には、あれこれしてもらって感謝することはあれど、
私としては、なにもしてあげていない彼女に、節目節目にお伺いを立てようという魂胆だ。
(経済的には、夫が義母の生活を大いに支えているが)
日頃の不義理をリセットしようという、私の手抜き心理が働いている。
(みんな、わかってるだろうけれど)

亡くなった人をダシに、実は、生きている人を訪問している。

叔父夫妻とも、お墓で会った。
彼らは電車でなら2時間弱ぐらいかかる地域に住んでいるのだが、
お盆や彼岸をはじめ、毎月、お墓参りをして、義母宅の仏壇に手を合わせる。
彼らにとってもルーツの家というものの、御苦労さま。
皆さん、吸引力ばっちり。
ご先祖様もさることながら、義母の吸引力には頭が下がる。
「帰ってきなさい、なぜ、帰ってこない?」という強硬・押しつけ派の「北風政策」ではなく、
希望だけを伝え、あとは、いつも、心から皆に尽くす義母の「太陽政策」の効果は絶大だ。

しかしながら、その時の大量の物品、金品のやりとり、あれは、どうにかならないものか。
仏壇の前には、お供えという名の、モノ、モノ、モノ、モノ、モノ・・・・
いくらご先祖様に供えるといっても、
お祭りしている人々の数からするとわからなくもないが、現存している家族の数と比較すると、
そんなに供えられても、どうするの・・???というかんじ。
信心って、はかり知れない。
私は、うんざりしている。


さあて、本日からは、いつも通りの静かな生活に戻る。
やれやれ。
賑やかなイベントは、来て良し、去って良し。
私も年をとったものだ。


純正シンプル・ライフ考

2009-09-23 | 
一昨日、息子の家に、娘たちと初めて行った。
渋る息子に、長女が音頭を取って、女性3人で押しかけた、というのが実情だが。

目からウロコだった。
親元を離れ、初めて一人住まいを始めた時に、私と探して選んだ住まいは、新築1K。
就職を契機に、自分の眼で見てチョイスし、昨年、住み替えた。
今度は、外は古くさい2DKの一軒家。
マンションの時より家賃は1万円も安い。
物件を探すときに、「画一化されたマンションばかりで、つまらない」と言っていた。
その彼が選んだ住まいが、これだったのか・・・。

ご近所さんを含め、昭和レトロのような、佇まい。
古築・安普請でガタピシ家屋だが、中はリフォームしてあってキレイ。
水周りや、床、建具は一新されたようだ。
特にトイレ、フロアー全般がピカピカ。
しかし、冷暖房なし。扇風機、電気カーペットなどは、もちろんなし。
夏暑く、冬寒いという。
外の気配が双方向で、よくわかる。
パソコンにまでも、サヨナラしていた。
情報遮断生活???情報源は、テレビだけ???
ネットカフェなど、ないし・・・・
潔いのはよいが、インターネットは、いったい、どこでやるのだろう???
一生、私は住めそうもない類の家ではあるが、自分なりに工夫して
どんな大邸宅より、こだわりライフを実践していた。

彼は、シンプル生活を好むようだ。
余計なものは一切排除し、気に入った最少必需品だけに囲まれていた。
キッチンには、サイフォン式のコーヒーメーカー、RIEDELの大ぶりのグラス、
白いシンプルな無駄のないラインの食器。
ただし最低限度の数量なので、我々3人分ものカップがなくて、回し飲み。
人は遊びに来ないんや・・・。
でも、分別ごみの仕訳グッズなどは徹底していた。



彼は、自炊で、素材を大切にするメニューを好んでいたが、
最近は仕事の関係から、自炊の機会が減ったらしい。
私は、玉ねぎやら、シーチキン、カニ缶、ジュースなどを持って行ったのだが。
義母からは、新米、ふりかけ、フリーズドライの味噌汁などが宅急便で送られていた。
お弁当は白米だけ炊いて持って行っているとか。
若いお嬢さんたちには、さぞや貧乏な青年だと思われているだろうなあ・・・
不憫に思って、誰か愛の手を差し伸べてくれないかなあ・・・
家の中がこんなにキチンとしていて、家事もちゃんと出来ていたら、
同居人は、ある意味、大変だろうけれど。

シンプルな低めのベッドに上質な羽根布団(義母から送られてきたもの)
大ぶりの観葉植物
オブジェだと思っていたが、実は、蚊取り線香立て(さっそく実際に使用)
琉球畳4枚
シンプルシェルフ
本は、奇麗に、でも無造作風に積まれていた。
どこかの雑誌で見たような風景。
Sinple is best.
モノのない美しさを実践していた。
彼がうちに帰って来たときは
「この家は、いい家なのに、モノが多すぎる」
「インテリアのコンセプトはないの?」
などと言っていたのを思い出す。


「暮らしの手帳」の編集長や、その他、シンプルで良質の時間、モノを
生活に取り入れている人々の著書を見せてくれた。
「思考の整理術」も。この本は、上の娘も同じ本を持っていた。
親とは真逆の方向に、子供たちは育ったようだ。
反面教師ですか。ね。

お金をこれでもかと、かけたり、モノがあふれかえっていたり、
時間の調整ができなかったり、
贅沢な生活と思っていた生活は、実は贅沢でも何でもない、
脂ぎってぶくぶく太った、頭を使わない生活なのでは。
整理整頓ができないのは、家の中だけではなく、心や頭の中もかもしれない。
平成のこの時代においては、モノに支配されない生活こそが、洗練された生活なのだろう。

究極の贅沢は、シンプルライフという、能動的に余計なものをそぎ落とした生活。
精神やポリシーに即した、極限ギリギリの選択が必要となる。
モノを捨てないためには、不必要なモノを買わない。
これがエコにつながる。
大量生産、大量消費、大量破棄の悪循環は、産業を活性化させた。
が、まさに見直される時期にきているようだ。

家の中では、私の生活と正反対の生活を送る彼。
すがすがしいシンプル生活。
大人になって、自立してひとりでシャンと歩いて行っている姿に、
安堵したような、眩しいような。
暮らしを大切にするポリシーに基づく実践を、私もちょっとは取り入れないと・・・
そう反省しつつ、家を後にした。



センスにも、いろいろ。

2009-09-22 | 時事&世の中
ココ・シャネルの映画を観て、思った。
単に才能や技術だけでは、激動の中を生き残れない。
それを売り込む力が、必要だ。

先日見た、NHKニュース特集番組で、
今、注目されているアジアの急激する購買層「ボリュームゾーン」が取り上げられていた。
省エネ技術を開発したダイキンが、
その血と汗の結晶であるトラの子の技術を中国企業に差し出し、
そのかわりにボリュームゾーンへの販路拡大に
チャレンジする様子が説明されていた。
ボリュームゾーンでは、1円でも安い商品が求められているが、
韓国など他国の商品の、価格の安さに対抗できない。
人々の、追い求めるものは価格オンリー。
似たような性能であれば、ブランドは関係ない。

ダイキンのトップは、
「この時代には、ブランドイメージにこだわっていては、生き残れない。
我社は技術力は卓越しているが、いかんせん、売るのが下手な企業。
この分岐点にきて、思い切った戦略が必要だ。」
と苦渋の選択をする。

ブランドイメージ保持、技術力と価格のバランスが課題となる。

ココは見る目が確かだった。
売る戦略が、成功のカギ。
有名女優やセレブに身につけさせて、口コミで知名度を上げた。
当時のパトロンだった、実業家である恋人のアドバイスも大きかった。
そういう戦略のヒントを与えてくれる人が身近にいると、強い。

単なる帽子屋、単なる技術屋、では、トップになっても世界が狭い。
確かな技術力は、当然必要であるが
アンテナをはりめぐらせ、情報力を駆使し、自分の作品をいかに高く売るか。
(今の時代では、高く売るのは困難だが)
単にファッションのセンスだけでなく、
時代を切り開くセンス、戦略家、企業家の目も不可欠だ。

ぬくぬく小さな城にいる、世間を知らない人にとっては、
磨きようがないジャンルでもある。
社会の事柄をすべて受け身で貫く。
必要ではないスキルは、発達しようがない。
まあ、各々がそれなりに毎日を送ることができれば、それはそれで完結している。
流されて生きるのも、それはそれでいい。
疲れることはしないで、それなりの生活を送る。
あるいは逆に、目的をもつ、生きる道を意識する。
人それぞれ、自分はどういう風に生きたいか、だ。

必要は発明の母。
動機、モチベーションが大事だ。
ココも、孤児院で身につけた確かな縫製の技術と、天性のセンス、
加えて、成功して貴族を見返してやりたいという思いが、原動力の核となった。

なにごとも、情熱をもって磨かなければ、光らない。


凛々、ココ・アヴァン・シャネル

2009-09-20 | 映画
女性は、男性の所有物だった時代。
不幸な生い立ちをバネに、才能を発揮していくココ。

あの時代、自立するための融資を受けようにも、
孤児あがりの、名も実績も担保もない小娘に、お金を貸してくれる銀行などない。
なので、やはり、愛人=お妾さんからのスタートとなる。
男性の慰みもの、若い時だけの使い捨て人材の、哀れな身。
単なる娼婦なら、佃煮にするほど、どっさりいる。
そのような女性と、似て非なる(でも、とても微妙)愛人という立場から、
這い上がるのは、並大抵ではない知恵と根性、才能がいる。
ここに書くまでもなく、ココ・シャネルの輝かしい活躍や影響力、社会的地位は、
皆さんもよくご存じだろう。

男性に所有されない、解放された女性・・・20世紀初頭に、そりやあ、びっくり、たまげものだ。
最初の愛人のお金持ち貴族(エティエンヌ・バルザン)が、
自分のワイシャツを脱ぐために、カフスをココに抜き取らせようとする。
ココが嫌な顔をすると
「日本のゲイシャは、オトコのためならなんだってするらしいぞ。オマエもやってみろ、ほれ」
ココ「そんなの、奴隷じゃないの」
でも、ココは、カフスを外させられる。
悔しかっただろうなあ・・・我慢してるんだろうなあ・・・なんか涙が出そうになった。
あのシーンは、とても屈辱的で、印象的だ。



同棲中の広大なお屋敷で、食事時に、ナフキンが汚れていたので、使用人に
「汚れているから、取り替えてちょうだい」というココ。
使用人に「そのナフキンは(汚れていても)、ココ様用でございます」
とそっけなく断られる。
使用人も取り巻きも、すべての人間が、ココのことをそういう目で見、そういう扱いをする。
たとえ、豪邸暮らし、何不自由ない贅沢な生活が保障されていても・・・だ。
愛人に甘んじているココではない。
悔しさを決して忘れず、反骨精神で努力を重ね、チャンスを待ち、やがて自立、自由を勝ち取る。

「あんたなんか、お金と取り巻きがいないと、友達なんか一人もいないじゃないっ」
と吐き捨てるように、バルザンに言うココ。
私も、大昔、似たようなセリフ、言ったことがあるような、ないような。。。
(ああ、身の程知らず)

結婚もココにとっては、自由を奪われるものだ。
経済的に男性に頼らない生き方。
精神を五分五分に保つための鉄則のルール。
あああああ・・・そういう女性・・・・素敵だ。
ごちゃごちゃ着飾った貴族の女性や、ぶよんぶよんした娼婦の皆様たちが、
だんだん、貴族も、娼婦も、そのシマリのないラインから、似たような同類に見えてくる。

太った豚より、痩せたソクラテス。
でも、そういうことが言えるのは、ある程度、お腹がいっぱいになってからこそ。
凡人が足元をちゃんと見つめないで、理想だけ声高に叫んでも、バランスは崩れる。
ココぐらい有能な人だけが許されるスタンスだ。
ココは、痩せたソクラテスから、輝く成功したソクラテスになった。

シャープ、クール、切れ味するどい、自他共に厳しい生き方。
しかし、それゆえ孤高の哀しさは、生涯付きまとう。
多少、後の世の人に脚色される部分もあるだろうが、それはそれとして
多くの年月を重ね、時代が移り変わった今も、強烈な個性、生きざまは色褪せない。

セレブって?

2009-09-17 | 時事&世の中
メディアなどで、セレブとか、プチセレブとか、心をくすぐる言葉が並ぶ。
街を歩いても、個人ブログを見ても、女性誌にも、「セレブ」の文字が踊る。
ハリウッドスターのセレブ ファッションなど、見かけやイメージ寄りに捉えられがちだ。

住まい、ファッション、グルメ、高級車、・・・
ティストだけでも、セレブ気分を味わう、というのも工夫によっては実現できる。
日常に潤いを与えるのは、生活の知恵のひとつ。
かけるお金によって、グレードが、それぞれ違うが。

我々一般人が、ちょっとセレブ気分を味わいたいというのは、よくわかる。
実際はセレブではないのだから、一瞬の疑似セレブというわけだ。

しかし、本当のセレブは、一般人とは、かけ離れている。
私がセレブだと思うのは、今をときめく「鳩山ファミリー」。
血統、家系、経歴、財産、実力、・・・歴史に名を残す鳩山ファミリー、
あれぐらいになると、私は、セレブだと認める。
(オマエは何様だ?と言われそうだが)



完璧な一族は、さておいて、
せっかく一般より抜きん出ていることがあっても、偏りがあるのは残念だと思う。
たとえば、頭脳に偏っている清貧石頭学者様とか、
家系に偏っている、元貴族ホームレスとか、お金に偏っているオツムの弱い成金とか、・・・。

全てのバランスが重要だ。
過去・現在・未来。
未来に繋げるには、教育がカナメとなる。
先日、国際美術館の「ルーブル美術館展」で観た作品の中に、
近世オランダの教室風景の絵画があった。
ムチをふるう、横暴な教師に、従順に従う生徒たち。
あんな小さい頃から、真剣に学ぶ姿勢を垣間見て、
いつの世も、力の源はこういうところにあるのだと思った。
当時のスペインは、飛ぶ鳥を落とす勢いがあったが、
子供たちに熱心に教育をつけることで、親たちは、将来に備えた。
自分のためだけではなく、子どものためにも、国のためにも。

きらびやかな贅や、芸術は、それはそれで、文化価値高く
歴史遺産としても評価が高いが、
何事も、ベースとなるのは、教育だと感じる。
教育なくして、その上に築くものはない。
地味だが、教育という土台の上に、素晴らしい花が開花する。

ちゃらちゃら、うわべだけを飾って、セレブ気取りは、
私の感覚からすると、とても恥ずかしい。

鳩山さん、しっかり、期待を背負って、底力を発揮してほしい。



アポロン外伝④~そうか、そうだったのか・・・

2009-09-13 | 趣味

練習してきた?

ハイっ!!(元気よく)

4&1、2、3、4&1、2、3、4&1、・・・

お、できたやん。

頑張ってきましたっ!!

やれば、できるやん。

ハイっ!!(にっこり、にっこり、Big smile) 嬉しいですっ!!


今日のアポロンは、不思議なぐらい穏やかだった。
ひょっとして、明日、死んでしまうのではないかと思うぐらい、
ここしばらくのアポロンとは違っていた。

どうも私はM傾向にあるのか、穏やかなのも結構だが、
ビシバシ特訓されるのも、結構、嫌いではないようだ。
この一週間、一生懸命練習し、レッスン当日の朝も、家で練習した。
ちっぽけだが、その成果は、実感できた。

アポロンは、
「大人の踊り、って、わかる?」と、神妙な顔で言う。
映画「Shall we dance?」で、別所広司が、椅子に足をコツンとぶつけたりしながら、
必死で練習したあと、美しく踊れるようになる。
それまでの練習は、カッコわるい、どたばたの悪戦苦闘だけれど、
最終的には、シックでエレガントな大人の踊りができるようになる。

基本って、別に関係ないことやん!と、見た目には全然関係ないように思えるやろうけれど、
ずっとこれから進んで行くと、基本がいかに大切かということが、必ずわかるはずや。

ふむふむ、なるほど。
ダンスの世界だけでなく、全ての世界に通じることだ。
アポロン、イイこと、言うやん!

アポロンは、小さいときからダンスを習ってきて、自分も幾多の壁にブチあたって来たことだろう。
上に行けば上に行くほど、苦労や壁は厚く高くなる。

初めて知ったが、アポロンは、ウイーンには2年間留学経験があるそうだ。
ウイーンでは、ダンスの鍛錬以外にも、美しいものをいっぱい見て、血になり肉になっただろう。

美術館や劇場や、あらゆるところに、毎日毎日行って、いいかげんウイーンに飽きてきて面白くなかったけどな。

なんて贅沢なことをすんなり言うアポロン。
今も年に3回、修行、勉強に行くという。

芸術家を育てるには、3代かかるという。
彼も、いい血統、背景、環境、人脈、先生に恵まれ、ゼロからの人より、スタートが抜きん出ている分だけ、
ダンスをものにする距離、時間が速いはずだ。
彼のように、美を自分で体現できる人は、苦悩もあるだろうし、挫折もあるだろう。

美しいものをいっぱい見るといいよ。

半端じゃないぐらい年下のアポロンにそう言われると、
なんだか、気恥ずかしいような、不思議な気がした。
でも、年齢より、生きてきた内容、質だと感じた。
凝縮されたものは、年月だけでは推し量れない。
私のこれまで見てきたものは、美しいものではなかったのか??

いっぱい見ています。でも、若いときは、あんまり見ていなかったので、
目が曇ってきた今頃の年齢になって、積極的に見るようになってきました。

照れもせず、本音を言っている素直な私がいた。


そうか・・・
アポロンは、いろいろ知っているんだ。
アポロンの激変ソフトは、いくつものバージョンを取りそろえ、内蔵されていた。
身にしみて体験していることや、アポロンの一部になっていることがたくさんあるようだ。

何事も、ある程度のラインにたどり着いている人は、目に見えない努力をいっぱいしている。
表現の仕方は、人それぞれだが、
ワカゾウが、何を言う...?
と先入観が邪魔をしていたが、年に関係なく、改めて尊敬、敬服した。


というわけで、今日は、少しだけ、o.oo1ミクロン、私の努力を認めてもらえたようで、
休憩の少しの時間にちょっこっと話し、ほんわか雪解けムードになった。

アポロンは、明日からウイーン&周遊に出かけるので、
この2週間は、レッスンはお休みだ。
ちょっと、ホッとするような、気が抜けるような、寂しいような。。。。
複雑なようでいて、実に単純な私だ。
さあ、アポロンがいない、この2週間は、安泰の時が過ごせる。
そう思うと、なんだか、嬉しくなって来た。