最近、あまり夢を見ない。
若い頃は、子供時代の夢をよく見ていたように思う。
まだ自分も幼かった頃(推定)、印象に残る夢は、
田舎の実家の庭、子供部屋がある場所の屋外周辺。
窓の下近くで水のせせらぎ、、、(生物の自然現象、排尿)
気持ち良い瞬間に目が覚めると、夢時間と同時進行で、おねしょ。
そういう夢を見ている夢。何回も。
まだ未だに、おねしよ?
さすがに、今の年齢ではそれはないのだが、将来はあり得る。
いや、時計を逆に回した、幼い頃の逆の時間に近づいてきているのか。
笑えない、、、この夢の話。
しかし、子供部屋があった、田舎の実家の様子は手にとるように瞼に浮かぶ。
子供部屋はリフォームしてから、我々3人きょうだいの部屋を新たに増築?改築?された。
最低一度は、蝶ブログにも書いている。
兄は、小窓がある面に勉強机。(窓の向こうは庭、小さい小さい人工ため池、その向こうには祖父が伏していた部屋があった)
勉強机が置かれた壁の続きにピアノ。
その面の壁は終わり、新しい直角に続く面になり、一面窓。(窓の向こうは庭を挟み、鶏小屋)
またその面が終わり、直角の面(ピアノが背面)、上半分窓。(窓の向こうは、自家栽培畑を見下ろす)
その続いた2辺の上半分窓の下あたりに造り付けの勉強用にカウンターのようなものが設てあった。
一面は、姉、一面はわたし。
カウンターは直角に続けて作られていた。
兄の机の背後に当たる面には、2人掛けソファが真っ白いカバーをかけられ置かれていた。
部屋の続きにはトイレ。
トイレのその続きには和室の縁側の一面に続く。(縁側の前は大正時代の庭=せんだい)。
兄の机がある方には、別の和室や2階への階段上り口に接していた。
その和室は納戸と呼ばれる部屋で、祖母の和ダンスや、階段下にはわたしの人形などオモチャを入れていた。
納戸ではあるが、天井近くから床まである掃き出し窓があった。
ガラス扉を開けて下に降りると、左に子供部屋、右手に少し行くと、小さい小さい人工ため池に進む。
その部屋は現在の仏間になる。
私が中学生頃(半世紀前)に大規模リフォームをして、子供部屋はなくなった。
子供部屋は代わりに何に姿を変えたのだろう?
たぶん中庭の一部になった?
祖父が晩年伏していた部屋は今もそのままで、男女別トイレは、バストイレに改装された。
さらに次のリフォームで、再度浴室は趣向を凝らしたものから明るい機能的なものへと変わった。
台所は、2度リフォームされたが、昔の釜戸、へっついさんなど、薪部屋、味噌部屋、その他は大正時代のまま。
建築当時、地元の学校に赴任してきた新任先生が住む小さな家も別に敷地内に独立して建てられていたが、わたしが知っている頃には二間?あった和室の畳をあげて、収穫したジャガイモを一面に並べてあった。
ジャガイモを取りに行くのは、畑の時もあるし、その家に取りに行くこともある。
その家に住んでいた若いN先生(会ったことがある)が後に結婚して、美しいウエディングドレスの結婚写真を見せてもらったことがある。
美人で溌溂としたキビキビ、スタイリッシュな先生だった。
わたしは家屋の歴史、移り変わりと同時並行して時代を進んできた。
大正時代に建てられた家に、生まれ育ち、やがて家も庭も変遷してその時間の推移と共に大きくなった。
家はリフォームやメンテナンスを重ね、風格を増していった。
だが、巨大化したマツシタPanasonic、中内さんのダイエーのように、維持することが、時代の流れに追いついていかなくなった。
コンパクトなものならエコ時代にマッチする。
が、生活費の比ではない維持費が必要となると、次世代には荷が重く、背負いきれない。
最初は静かなスタート、低空飛行で滑り出し、やがて一気に上昇し上空へ。
空を見上げたり、空から見たり、見下ろしたり。
これは田舎の実家家屋の推移と共に、わたしが学生時代を過ごした父の仕事場地域へと軸足を移し、変わりながら時間は流れた光景。
田舎実家と、市街地仕事場地域は、同時並行し、徐々に重心をスライドしている。
と同じ時期、戦後の高度成長期とも重なり、日本は大きく成長した。
が、、、成長の後に来るものは停滞、衰退。これは世の常。無常。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
美しい物を目の前で手に取り、見て、愛でて、心洗われる空間で過ごせた経験は、決して無駄ではない。
たとえ、消滅しても、こころの中には、はっきり肌感覚で生きている。
自分の手を離れても、美術館や旅先、街中で目に入ったり、その空間に佇む時間は至福のものとなる。
自分にとって最高のもの(自分比)を経験することは、幸せなことだ。
それを感じるのが実際のリアルではなくても、映像や音響であったとしても、自分の中に培われたものは一生ものである。
わたしの幸せのこころの素のところまで、導き誘引してくれる。
(家自体はまだ実在しているが、いずれは消滅するだろう)
これ以上のものを築きあげようという意気込みはない。
今まで体験や脳内でインプットしてきた材料を自分なりの、オリジナルな感性で作り直す、組み立てるのが、今後の楽しみである。
自分のこころの中は、とてつもなく深く広いので、まだまだどう変化させることも出来る。
暖かく、気持ちの良いもので満たしていきたい。
と、ここで予約タイムセットしてあるラジオが鳴り出した。
が、、、ジージーガーガーガー、、、雑音のみ。
あ、またもや孫の誰かがダイヤルをぐるぐる回したようだ。
おそらく、2番目孫(小学1年)だろう。
昨日、上2人小学生男児チームが来たから、(あとから保育所女児チームが来たが)、
その時にイタズラしたのだろう。
もう〜、まったく、、、!!
今日も早くから来て昼食から始まり、うちは(自分の孫のみ)学童保育場となる。
それにしても、キャーキャー走り回る4人に、うちは学童のみならず、ミニ託児所かと。
フローリング床も、べこっと凹んだ傷があちこちに付いているのを発見した。
お気に入りの木製、趣きある椅子も不具合が見つかった。
絶対、犯人は孫!!
ラジオは、なかなかお気に入りのいつものFM曲にチューニングできずに、嫌いな歌手(椎名林檎)の曲が延々流れ続けてイライラ。
せっかく夢のような気分でうっとりブログ遊びをしていたのに、現実に引き戻された。
この現実と夢を行ったり来たりの、脳内架け橋が、自分の蝶ブログである。
脳内遊びにお付き合い、お読みいただき、ありがとうございます。
さてさて、男児ギャング来襲時間を前に、準備までのあと少しの時間、1人遊びに耽ろう。
あ、もう残り時間がない!
※写真は孫の家の宿題。
10.506kg=?gが、どうしても不正解。