エッセイスト柴原明子さんのエッセイが面白すぎる。
私にとっては、ツボ。
この人の元夫がキャバクラにはまり、一晩で2000万円も使ったり、で、どんなものなのか(敵を)知るため、彼女は潜入を試みた。
キャバクラ体験レポの記事の中で、ある一文に、デジャブ的にピンときたものがあった。
(ちなみに、主婦が客として入ったレポートであり、キャバ嬢として働いたレポートではない)
体験レポートによると、客は入店した時、大勢のまばゆいばかりの美人たちに迎えられる。
キャバ嬢って、ある意味、ダンス教師に通じるものがあると(個人的体験を通して)感じる。
いろんな特徴ある売り(個性)を持つ、プロがズラリ。
一瞥してお好みだったり、ちょっと踊ったりして気に入ったらお金を渡すと、さらに踊ってくれたり、教えてくれたりする。
あまり意味があるとも思えない、プリプリの身体の一部を触らせたり(意味があるんだろうけれど、いまいち、ワカラナイ。深い理解力、欠如)
いい線まで興味を惹きつけておいて、ハイ、あとはお金を払ってねー、とにこやかに背中をくるりと向ける。
ここからは、指名料がかかる。
美しい背中と、お高いレッスン料に、高いプライドが詰まっている。
お金で手に入るものが全てだとは思わないが、
ガス、水道、電気などは、お金で手に入れるほうが楽。
文明の力は、利用させていただいている。
衣食住、教育、娯楽もお金で。便宜上、お金を利用する。
愛情も? 一部、お金で手に入る。
技術は?
頭脳は?
ブレーンは、ある程度、お金で繋がるが、ネットワークや、信条、ポリシーが一致しないとお金では動いてくれない場合もある。
キャバクラが好きな人は、お金だとわかっていても擬似恋愛付き快楽を享受する。
私は、偏屈なので、お金で動くものには、最大の価値は置かない。
ただしサポート的には使う。
どれだけ自分が満足するか、だ。
キャバクラが好きな他人を非難する気はないが、もし恋人や配偶者なら、私は別れる。相入れない。
もちろん、キャバクラとダンス教室は違うし、キャバ嬢と先生は違う。
共通点は、ビジネスが介在している関係性であるということ。
経済で社会は成り立っていて、お金が動かない社会なんてないのだから、目をむくこともないと思う。
(とある別SNSで、お金の話を書くと、社交ダンス愛好家の中には不快だと思う人が必ず絶対にいて、いつも「不快です」とコメントを同一人物が寄せてくる。
このコメントは、わたしにとっては最大の不快である)
だからどうやねん!という話だが、柴原明子さんのエッセイの中の丁寧な解説に、社交ダンス愛好家と社交ダンスプロの相関図のようなものを発見し、すとんと腑に落ちた驚きに近い衝撃を書かずにいられなかっただけ、という話だ。
男性も女性も、キャバクラが嫌いな人も存在する。
私もその1人。
でも、根底に流れているものが一部共通するものがあると感じ、私はそうじゃない、そうであるべきではない、と、なぜか、お目々をパチパチ、まつげを揺らしながら、清らか路線を選択している。
お金は払う。
が、電気ガス水道代、衣食住、医療費には払うが、教育娯楽費に関しては、入り口までは最低必要限コースだが、あるところから更に進むと、高い意識を持っているんだ!と自負している自分。
わたしって、(現実はさておき)へんにプライドが高いなあ、と自覚したということだ。
ただ、たんにそれだけのこと。
偶然見たり接したりしたものから、共通点を見いだし、自分の特性を知り、再認識する、いつもの脳の巡廻コースである。
脳内お散歩、本日は終了です。
私にとっては、ツボ。
この人の元夫がキャバクラにはまり、一晩で2000万円も使ったり、で、どんなものなのか(敵を)知るため、彼女は潜入を試みた。
キャバクラ体験レポの記事の中で、ある一文に、デジャブ的にピンときたものがあった。
(ちなみに、主婦が客として入ったレポートであり、キャバ嬢として働いたレポートではない)
体験レポートによると、客は入店した時、大勢のまばゆいばかりの美人たちに迎えられる。
キャバ嬢って、ある意味、ダンス教師に通じるものがあると(個人的体験を通して)感じる。
いろんな特徴ある売り(個性)を持つ、プロがズラリ。
一瞥してお好みだったり、ちょっと踊ったりして気に入ったらお金を渡すと、さらに踊ってくれたり、教えてくれたりする。
あまり意味があるとも思えない、プリプリの身体の一部を触らせたり(意味があるんだろうけれど、いまいち、ワカラナイ。深い理解力、欠如)
いい線まで興味を惹きつけておいて、ハイ、あとはお金を払ってねー、とにこやかに背中をくるりと向ける。
ここからは、指名料がかかる。
美しい背中と、お高いレッスン料に、高いプライドが詰まっている。
お金で手に入るものが全てだとは思わないが、
ガス、水道、電気などは、お金で手に入れるほうが楽。
文明の力は、利用させていただいている。
衣食住、教育、娯楽もお金で。便宜上、お金を利用する。
愛情も? 一部、お金で手に入る。
技術は?
頭脳は?
ブレーンは、ある程度、お金で繋がるが、ネットワークや、信条、ポリシーが一致しないとお金では動いてくれない場合もある。
キャバクラが好きな人は、お金だとわかっていても擬似恋愛付き快楽を享受する。
私は、偏屈なので、お金で動くものには、最大の価値は置かない。
ただしサポート的には使う。
どれだけ自分が満足するか、だ。
キャバクラが好きな他人を非難する気はないが、もし恋人や配偶者なら、私は別れる。相入れない。
もちろん、キャバクラとダンス教室は違うし、キャバ嬢と先生は違う。
共通点は、ビジネスが介在している関係性であるということ。
経済で社会は成り立っていて、お金が動かない社会なんてないのだから、目をむくこともないと思う。
(とある別SNSで、お金の話を書くと、社交ダンス愛好家の中には不快だと思う人が必ず絶対にいて、いつも「不快です」とコメントを同一人物が寄せてくる。
このコメントは、わたしにとっては最大の不快である)
だからどうやねん!という話だが、柴原明子さんのエッセイの中の丁寧な解説に、社交ダンス愛好家と社交ダンスプロの相関図のようなものを発見し、すとんと腑に落ちた驚きに近い衝撃を書かずにいられなかっただけ、という話だ。
男性も女性も、キャバクラが嫌いな人も存在する。
私もその1人。
でも、根底に流れているものが一部共通するものがあると感じ、私はそうじゃない、そうであるべきではない、と、なぜか、お目々をパチパチ、まつげを揺らしながら、清らか路線を選択している。
お金は払う。
が、電気ガス水道代、衣食住、医療費には払うが、教育娯楽費に関しては、入り口までは最低必要限コースだが、あるところから更に進むと、高い意識を持っているんだ!と自負している自分。
わたしって、(現実はさておき)へんにプライドが高いなあ、と自覚したということだ。
ただ、たんにそれだけのこと。
偶然見たり接したりしたものから、共通点を見いだし、自分の特性を知り、再認識する、いつもの脳の巡廻コースである。
脳内お散歩、本日は終了です。