蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

恋に生きると、結婚できない?

2023-02-28 | 人生
美輪明宏さんが、TV(Eテレ)で人生相談を受けていた。
質問者は女性。
恋の悩み。

連れ子あり、バツ2の女性。
実家のお寺を継ぐにあたり、自分の女性としての人生を諦めるべきか?
条件にぴったりの男性が現れて、子供もなつき、その男性は資格取得にも前向きに動き、結婚するには最適。
だが、その人との結婚は、情はあるが愛がない、と相談者の女性は二の足を踏んでいる。

美輪明宏さんの発言。

あなたは、女としての道を選ぶのですね。
まだ恋をしたい。好きな男に抱かれたい欲求があるのですね。
そうするなら、実家も捨て、子供をシングルマザーとして育てられる経済的自立も精神的自立も不可欠です。
恋を手に入れるには相当の覚悟が必要だということを自覚しなさい。

ぴしゃり。
気持ちいい答え。  
確かに、その通り。
悩みとは、、、どっちつかずの時に生じる。
どうしようか迷う。
片方を捨て片方を選ぶと、捨てたほうが諦めがつかない。
両方捨ててリセットする勇気もない。
片方だけでも残れば良いのでは?

わたしが印象に残ったのは、、、
「あなたはまだ恋をしたいんですね?」
恋していない相手と結婚したら、恋の望みが絶たれるということ。
しかしまあ、相手の男性がとても気の毒だ。
恋してなかろうが、条件を全て飲んで連れ子の父親になって結婚してくれる男性に対して、感謝の気持ちはないということ。
おんなごころは複雑。
美輪明宏さんのほうが、ずっとおんなごころがわかっている。
自由と義務。自由と責任。
自分の思いを叶えるためには、何かを犠牲にしなければならない。

ハシゴを外された?

2023-02-27 | わたし
延々と書いた前回記事。
要約すると、実家への交通アクセスが不便なので仏壇を実家①(田舎)から実家②(街)に移した。
半世紀前より、(直近では7年ぐらい前?)さらに①へのアクセスが不便になって、逆ギレしている。
利益バランスを考慮するバス会社としては、致し方ないが、数少ない利用者としては憤慨している。

というかんじか。
日本の僻地で廃線になる路線の利用者が「廃線にしないで欲しい」と訴えているが、それも生活者としてはわかるが、それは利用者のエゴ。
電鉄会社も健全に経営していく使命もあり、税金もごくごく限られた人に使うわけにはいかない。
そういう地域に住んでいる状況を選んでいる限り、受け入れるのはやむを得ない。
生死にかかわる問題でもない限り。

影響力のほとんどない自分の閉ざされたブログで、わたしはちょっと愚痴ったまで。
インフルエンサーではないから、得るものも失うものもないので、快適なブログ環境。
この、閉鎖感が気に入っている。
自慢も愚痴も悪口も言いたい放題、吐きたい放題。
ただし、自分の性格の特徴や、自分へのこだわりもあり、ヘイトスピーチ的なことは嫌悪する。

誰に思いを吐くより、ブログに綴るのが一番の安らぎになっている。
特定の人に胸のうちを話したとしても、受け止めきれないだろうし、社交的に受け入れてくれるのは、忖度を思い計ってこころ苦しい。
なので、地面に穴を掘って叫んで、また土を埋めるのが、わたしとしてはこころの平安を保てる。

最近、誰もいないところで、聞こえないことを前提に、声に出して怒りや不快感を表現していることがある。
今は、わざと無人の時に口にしているのだが、そのうち無意識に声に出したりする日が来たら嫌だなあ、、、と不安だ。
時々、街で自販機に向かって独り言を言っている年配の人(特に女性)を見かけたりして、痛いなぁ、自分もああなるのかなぁと思っている。
歳を取るとああなるのは仕方ないのか、、、。

そう言えば(関係ないけど)
わたしの尊敬する上野千鶴子さんが入籍していたそうだ。
あれだけ「おひとり様」シリーズで本を出していて、そりゃないでしょう、と、ファンをがっかりさせたことだろう。
おひとり様のナビゲーターに、後ろをついて行って登ったハシゴを外された思いか。
クロワッサン症候群も然り。
影響を受けた読者の読後の人生まで保証してくれない。
示された道に導かれるのも導かれないのも、自己責任。

そもそも提案者と読者は同じステージにはいないと想像する。
一つ上の恵まれたところから、発信している。
まともに真に受けて盲信、猛進したら痛い目を見る。
退路や方向転換余裕を少し残しておかないと。
臨機応変に道を微調整できるように。
参考にする程度でよいと思う。
提案者と自分は、棲む世界が違うことを前提にしないと、全く同じだと考えると、余裕がなくなる。
信じていた人が路線を変更すると、ぴったり後を着いて来た人は路頭に迷う。

かつて、子育て真っ最中に、そういうことがあった。
子供の教育進路で、声高に掲げていたそれまでの価値観を翻す人がいた。
共に熱心に歩んでいたママ友たちにとっては、青天の霹靂。
今までの盲進的行動は何?
理由はわたしはわかる。(推測)
競争から降りた途端、そのレースそのものの価値を否定する側に転じた。
まあなんと勝気な人だろう、と、とてもわかりやすかった。
子供の教育だけでなく、ご自身の趣味活動にも熱心なあまり前しか見えない性格が垣間見えた。
子供の評価は、勝った負けたではない。
そんな一時点の時にどちらかが上だったとしても、人生は長い。
いちいち他人と比較して一喜一憂していたら自分が摩耗するし、第一、幸せの性質を見直したほうが、幸せに近くなる。
当時は子供も小さかったので、今のような感想は抱くことは出来なかった。
カツカツ目一杯の情熱と力を注ぐのは良いと思うが、周りを振り回すほどの余裕のなさは、若気の至りか。

アスリートなどは負けず嫌いでなければ、勝てないと良い成績は維持出来ない。
人を押しのけるのは大の苦手で、はいどうぞ、どうぞ、といつも1歩も2歩も引いてしまうわたしは、情けなく泣き笑い顔で「負けるが勝ち」と呪文を唱えるしかない。
究極のところ、「誰に」勝つのかと言うと、勝つ相手は目に見える他人にではなく、「自分に」打ち勝つのだと思う。
いろんな人がいる。
何を信じるかは、そのひとの人生。
ただし、宗教2世のような悲劇を起こしてはならない。

ちなみに、上野千鶴子さんが入籍していた人は、山登りが得意の男性らしい。
生活感漂わない、足腰達者な、自然派山男、、、か、、、。
なるほど、彼女の夫にはありえるタイプだ、とひとしきり頷いた。


時代から置き去りの実家エリア

2023-02-27 | 
実家①(田舎)の仏壇を移動した。
姉と姪が実践者で、わたしは見守るだけのナマケモノ。
移動先は実家②(街)。
①と②の距離は10キロ。
バスで30分?
(行政区分では別の市町村)
実家①(田舎)は、ルーツの家。
実家②(街)は、両親の仕事場だった所。

だが、行政から見捨てられた感のある実家①地域は、公共交通手段であるバスが、朝夕のみで著しく不便。
わたしは、子供の頃、①と②の間を通学のため、バスで往復していた。
その頃には30分に1本、バスの便はあった。
今は、なんと1日2本のみ。
どういうこと???
プンプンプンプン。
切り捨てられた思い。置き去り地域。
車が無い人は、歩くか自転車?
あるいはタクシーに乗れと?
片道7000円〜8000円?ぐらいかかるのに?
雨嵐でもないのに?
重い荷物を運ぶわけでもないのに?
病気でもないのに?
そんなに元気なら、健康のため、歩けと?
いえ、遠方から来るので時間がない。

私は自分が住む自宅の最寄り駅(電車)から実家②(街)まで、乗り継ぎがうまくいくと、電車で片道1時間半ぐらいかかる。
さらに最寄り駅から自宅までバスと徒歩。
バスも少ない時間帯もある。
さらにバスが時刻表通りに来ないこともあり、ギリギリの場合は余裕を持って(バス時刻を信用していないので)一本早いバスに乗ったりもする。
すると乗り継ぎ待ち時間は益々増える。

実家②(街)へは自宅から2時間もかかるため、実家②(街)発、実家①(田舎)行きの朝のバスには間に合わない。
真剣に本気で乗ろうとすると朝日も上がらない暗いうちから自宅を出る羽目になる。
まるで冠婚葬祭当日か、非常時。
自由意思でちょっと行くだけに、そこまでして負担を強いられるのであれば、行く気がしない。
無理をしないのがわたしのモットー。

しかたなく、別の電車路線を延々と乗り継ぎ、行きは、降りた駅からはタクシーで実家①(田舎)へ。
帰りは①(田舎)発、②(街)行きの1日2本だけの夕方の貴重なバスに乗る。
一旦②(街)に出ると、電車の便はすこぶる良い。
目と鼻の先の便利な駅なのに、そこへ公共交通手段がないため辿り着けない。
JR、私鉄、特急、急行、快速も止まる主要駅で、とても便利。
実家②(街)は、家から電車のプラットフォームが見える駅から徒歩2分の至便の場所にある。
のではあるが、②(街)と①(田舎)が繋がらない。朝夕、バス2本のみ。
便利なのに、不便。この格差!!

そもそも、わたしが車の免許を取ったのが、この不便さからである。
目の前にある便利な駅に簡単には行けない、背に腹はかえられぬ、不便なもどかしさ。
でも当時はまだ30分に1本、バスはあった。
バス会社はなぜ、こんな仕打ちをするのか??

原因はある。
行政のテコ入れ。
実家①(田舎)近くでは、
大規模住宅地開発が行われ、駅、商業施設、文化施設、ホテルを中心に、学校、高層住宅、一戸建てを配した。
人々の足は、新しい駅に集まるように流れが作られた。

古くからの住民は②(街)に行けない。
新しい駅に行く流れが強く促される。
行こう思えば行けるが、1日2本のみのバス。
しかも行きも帰りも新しい駅を経由、迂回するコース。
新しい駅を作り、そこへ流れを誘導すると、街②自体も廃れてくるかも知れない。
新しい駅は延長された電車の路線に繋がれている。
新しいベッドタウンの創成なのではあるが。
わたしの感想では、期待ほど、そう大きな成功、発展をもたらしていない気がする。
土地神話が崩れバブルが弾け、ニュータウンは予想ほど伸びなかったように思う。

ではあるものの、極端な流れの変化、、、だと嘆くところではあるが、もう半世紀近くの年月が経っている。
さらにもっと前から、山が切り崩されている時から地元の村から開発される様子を眺めていた。
のどかな田園地帯に突如現れる聳え立つマンション群に、未来都市のイメージを抱いた。

わたしが、浦島太郎なのか。
だが、取り残された古来からの地域は江戸時代のまま。
いまだにカチンコチンの古い慣わしや制度でがんじがらめ。
これ、おかしくない?
更に取り残されて塩漬け地域となる。
古い頭の住民が絶滅したら、新しい柔軟性のある未来が描ける、、、と、こっそり期待していたら、、、若い人も古い頭の親の教えを守り継承しそうだ。
いつまで経っても古い地域は世代交代の後も塩漬けか。
若い人も一掃され、全く他人が運営するのであれば、少しは変わるだろうけれど、若い人が一掃されても、更にその次の世代が古いままだと、江戸時代然は続くことだろう。
行政は新規移住者を受け付けない屈強な仕組みを作っている。
閉ざされたエリア。閉鎖的。

「江戸時代村」のようなテーマパークなら良いが、中身が江戸時代そのまんまというのではシャレにならない。

なので、仏壇を移したのに、移した先の実家②(街)とは交通遮断。
またまた不便な目に遭う。
不便な実家①(田舎)に行くのが大変なせいもあり、仏壇も実家②(街)に移したのはよいが、益々実家①には行きにくくなった。
実家②(街)は事務局のような交流拠点となったが、実家①(田舎)は、もはや形骸化した容れ物だけになった。
というか、半世紀前と同じなのだが。
そもそも半世紀前が、江戸時代と同じ。
時間が止まったエリアは、ある意味それはそれで希少価値?
人が去っていく魅力のない限界集落は滅びていく。
本当の意味の「限界集落」ではないが、文化的限界集落。
家屋は朽ち果て、、、ということはなく家々は美しく整えられているが、農業継承者は減少の一途。
街からたった10キロのエリアなのに。
活かすも殺すも次世代次第か?
が、政策の影響は大きい。

かといって、未知の外国の人がズカズカ入って荒らされるのは見るに耐えない。
でも、あれも嫌、これも嫌では、衰退するのを手をこまねいて見ているだけになりそうだ。
明るい日本の未来が来ることを切に願う。

※写真は大阪城公園の梅



こだわり

2023-02-24 | わたし
わたしは、目や耳や口が肥えているが、自分では出来ない。
もっとも厄介なタイプ。
変に知っているだけに、レベルがわかってしまう。
そんなマイナス作用のものなら、無い方がずっと良い。
しかし、自動的にセンサーが動いてしまう。

「監修」出来るほど、専門、プロ水準に達してなど全くないので、なんの役にも立たない。
人の粗探しや重箱の角を突く単なるクレーマーにはなりたくない。

だがしかし、自分は出来ないからこそ、出来る点(目標とするレベルの高いもの)が目に付く。
出来ているつもりの人を見て複雑な心境になる。
が、ひとのプライドを傷付ける権利は誰にもないので、胸の中で思うだけ。決して口にしない。
ではあるものの、胸の中で思うことすら、けしからんのではないだろうかと最近思う。
けしからん自分にそう言い聞かせる。
思うな、思うな、そんなこと。
自分の人格を下げるような意識は持つな。
意識して消せ。
いや、意識しては、わざとらしい。
意識して、意識しないようにしろ。
むつかしい、、、。
意識しないで、意識しろ、のほうがまだやりやすい。

そのうち認知症と相まって、意識と無意識が混濁することだろう。

自分の持つ基準に達しないからといって、不満を抱いたりけなしたりするのではなく、とりあえずは保留にする。
そして、あまり毛嫌いし過ぎず、手を加えたりし過ぎず、自分の目や耳や口が良いと認識して喜ぶことに自然に接するのが解決策かと思う。

全ての分野にど素人なのだから。
ど素人には、ど素人なりに、こだわりというものがある。

毎日マンデー

2023-02-23 | 
自分の自由時間をいかに使うか。
楽しく、有意義なら理想的。
仕事がハードで、ただただ心身を休めるだけの人もいる。
退屈で、やることがない人もいる。
年齢、状況によって異なる。

やりたいことがあるのに各々の事情で出来ない人もいる。
やりたいことを先送りして、とりあえず今しなければならないことをするしかない。
それが先の、将来の、やりたいことのためなら我慢も出来るだろう。
だが、今だけを生き繋ぐためなら虚しいと想像する。
やはり、明るい希望や未来に繋がらなければ絶望する。

ちなみに、わたしはヒマしている。
これは退屈とも取れるが、やるべきことをするために力を蓄えている、と、プラス思考の自己解釈。
人生には待ち時間が長い。
やるべきことは、ほんの一瞬。
そのために計画、準備したり努力したりする。
その、やるべきことこそ、「希望」や「使命」なんだろう。

やるべきことと、やりたいことが一致するのは不可能だとしても、接近していれば理想だ。
今、わたしは、長年、抱えていた塩漬け問題に少し動きが出ている。
胎動、予兆の時期は過ぎ、動き出している。


話は変わる。
「おひさま」(井上真央 主演)という、2011年、NHK朝ドラがあった。
同時、わたしは一生懸命朝ドラを観ていた。
「ゲゲゲの女房」「カーネーション」「梅ちゃん先生」「純と愛」だとか。
そういう時期があったのだが、一度見始めるとずっと続けて見なければならなくなり、時間拘束、精神的束縛が窮屈になってやめた。
あの頃は若かった。
パリ一人旅を実現させた頃だった。
自分史において(大袈裟)、一つの転換期だったようだ。

相変わらず話は逸れている。
そのドラマ「おひさま」のストーリーでヒロインが、今までイメージだけで薄ぼんやりしていて、はっきり具体的な中身がつかめなかったが、ある程度固まり凝縮されて、徐々に形になっていった、「やりたかったこと」が最後に実現できて、それでドラマは終了した。
蕎麦を栽培して蕎麦店を経営するのだけれど。
ドラマ展開としては、お蕎麦屋さんに向けて頑張るのではなく、最後の最後に、ドラマ作家が流れでそういう筋書き展開にした、というような印象だった。
書いているうちに、筆が導いたパターンだとわたしは感じた。
最初にラストを考えて、そこから物語を作っていくパターンもあるが、そういうハッキリしたものはあまり感じなかった。
ラストに来る夢実現の具体的中身はなんでもよかったような気がした。
作者は書きながら考えたのではなかろうか。

形に表すにも、あんな感じ、あれとこれを加えて、、、と、概念やイメージだけは湧くのだが、具体的に思いつかないことがある。
全部合わせて統合した最終インスピレーションが湧かないのだ。
仕方ないから、とりあえず結論は空白のままにしたまま進める。

わたしの自宅、家作りの時にもそういうことがあった。
ロフトに上がる階段、兼、収納、兼、ディスプレイが、インテリアコーティネーターの提案したいイメージが具体的な形にならず、結局、時間切れになり、その時点で可能な方法が採択された。
イメージが膨らむもののアイデアを実際の形に落とし込むには時間切れ。
最善策は欠番にして、とりあえず次善策でGo。
人生にもそういうことがある。

もやもや頭に浮かぶものの、具体的な形にならない。
最後の最後まで具体化されないこともある。
思いはあっても形に出来ない。
自分だけの力では出来ない。

母も人生の後半はそうだった。
やりたいことがあり、こんなことがしたい、と、実際、他の人がやっている所にわたしたち(兄夫婦、姉、わたし)を連れて行き、運営者と会談した。
が、それは母のやりたい最終イメージだけ。
具体的に実現するには、情熱とノウハウと人材、事業計画が必要だ。
ブレーンが尽力してくれないと物事は善意や趣味だけでは進まない。
他にも、強く希望することがあったが、実現出来なかった。
母は断念せざるを得なかったが、保留という形。
望むのは母だけでなく、わたしたちも望んでいて理想はそうだが、状況的に皆んな尻込みして困難だった。
時代の背景、価値観もあった。

時は移り、、、40年近く過ぎ、少し形はちがうものの、種は腐っていなかったようで、土もそのままの状態だった。
母にバトンタッチした姉が形を整えるべく、引き続き活動してくれた。
小学校の校庭に埋めたタイムカプセルか?
ひょんなことで、神様が、人を繋いで来てくれることがある。
時代が変わると国や行政の方針にも変化が現れる。
しかし、今後、どうなっていくのか。
楽しみ半分、期待し過ぎはセーブしたい気持ちも半分。
一個人の動きだけではなく、日本、地方の未来にもリンクしているように思う。
地方活性化で次世代がイキイキ活動してくれることを切に願う。


あれこれ活動のため、毎日サンデーの趣味仲間に、練習日の変更予告をしたら、
「やることがあってイイネ」と言われた。

※蛇足ですが、タイトルは「毎日マンデー」にしました。
入力ミスだと思われてもナンなんで。



ギャップは埋まらない

2023-02-22 | わたし
さて。
成田悠輔氏に対するわたしのインスパイア、感想が続く。

各人のギャップの隙間を埋めるのではない。
ギャップがありながら同時に進む。

これは、わたしが今まで歩んで来た道とピタリと重なる。
ギャップがあることを知る。
ただし、ギャップの存在は受け入れるが、相手の意見、感性、主張は受け入れない。
世の中には別の考えや思いがあるということを知ることに役立つ。
無理やり同調する必要はない。
複線のまま進む。
大規模な駅のように、何本も路線がクロスするが、同一の線路とは限らない。
電車の車体も別、何両目か車両も別。
違うんだということを理解する。
吸収、合併のように、合わせるわけではない。
個体と個体が同じ時空に居合わせる。
それぞれ別のもの。
多様性を受け入れる。

が、これがなかなか難しい。
価値観が違う、まして、正反対の価値観の場合、お互い、全く受け付けられない。
ただただ「違う」という事実を受け止めるしかない。
受け入れられないと、個人なら「絶交」。
数や力が増すと、「分断」ということになる。
分断の見本は世界中にいっぱいある。

日本人は調和することに慣れている。
和を乱すのは嫌い。
乱す人は少数派扱いだが、最近は性的マイノリティは認識されるムード。
だが、高齢の人は拒絶反応を示す場合がある。

ちなみに、ギャップと共に歩んで来たと大きな口を叩いて前述したが、わたしの経験したギャップはあくまでも家庭内。
社会ではない。
小さな小さな小さな話だ。
社会に出ていっても、必ず家庭に戻る。
家庭には小さなギャップは存在していても、見ている方向、目指す方向は同じ。
だが、一番小さなコミュニティである家庭にも大きな分断はある。
世代ギャップ、男女ギャップ。
これが両方加わると強烈。
頭、カチンコチンのおじいさんと、今の風潮を取り入れようとするおばあさん。
説明するまでもない。

男女の違いは埋められないと痛感する。
男女の溝が存在し、お互いに理解出来ないということをわたしは理解している。
なのでそのまま、原型のまま、変化することがない石アタマの男性たちと並行に歩んでいる。
が、この先々、貴重な残り人生をあまりにも理解できないモノに歩調を合わせる意義を見失っている。
共存しない選択肢もある。
別コースを行くほうが、お互いウィンウィンだ。
が、介護やらなんやらが絡まって、理想通りにはいかない。
自分の思い通りにはならない。
それも人間らしい、切っても切れないもの。

自立するのはかなり自分に厳しくないと実現できない。
わたしのようなナマケモノは、ブログだけで理想論を唱えて、リアル生活は、へらへらしている。
じつに志が高くない。
省エネ、妥協の産物。
しかし、密かに爪を研いで、自分の意思を表現、実践する日を力を蓄えて待っている。
のではあるが、間延びし過ぎて気の抜けたソーダになって、もはや全然美味しくない。


老害

2023-02-21 | 人生
成田悠輔氏の発言にインスパイアされた、というか、実体験に基づく自分の感想、意見を。

留学は語学だけの習得には留まらない。
自分のそれまでの背景を取り去り、リセットして自分を見直すキッカケになる。
今まで思っていた自分が、さほど大したことがないと気づく。
なかには、留学先で出会った人と恋に落ちたり結婚したりして、新しい人生を切り拓くこともある。
友達になってネットワークが広がり、後の進路に影響があったり。
が、シンデレラストーリーのような御伽噺には短時間では進まないことは大いにある。
山あり谷あり。
環境の変化で、思い込み、勘違いが打破できる。
悪いことではないと思う。
文字通り、世界を知る。

今まで価値を置いていなかったことに、価値を再発見したり、逆に意固地にとらわれていたことが、ちっぽけなことに感じたり。

しかしながら、若いうちに留学なり遊学なり、するほうが良いと思う。
歳が行くと保守的になり、老化している自分に自信が無くなるので、見知らぬ土地では不安になると想像する。
頭と身体がカチンコチンになって、適応力、柔軟性に欠ける。
ぐっと老いたら、お任せで自分に責任がない娯楽、旅行が良いのでは。
だがしかし、それはあくまでも高齢になり心身共に思うようにはならなくなったら。
まだまだ自信たっぷり、頑張れる人はチャレンジしてください。

価値観を見直す機会となるか、あるいは、自分の老いに直面、直視する機会になるか、、、
はてさて、年齢は関係ないというものの、やはり少し関係あると思う。

成田氏は、
「老人は早くリタイアせよ。若い人に活躍の場、ポジションを譲れ」ということも言っている。
リタイア後の自由な場ならなんでもありだが、役職などは、昔の功績だけで居座り、優遇されている古株は、自主的に表舞台を去れ、と。
若い人の活躍の場を奪ってまで固執すると、ポストの後ろに控えている人々が、うんざりすることだろう。
リタイア後に羽を伸ばせばよいと思うが、しがみつくと思われてまで居座り続けるのは「老害」と言われても、致し方ないように思う。
というか、次々新たなアイデアを出して実現したり活躍もしない状態で、なぜ居座り続けるのか、わたしは理解出来ない。



キレ味

2023-02-20 | 時事&世の中
成田悠輔。
めちゃくちゃキレる。
切れ味が実に気持ちいい。
1985年生まれ。経済学者、起業家。

昨夜の民放TVに連続して出ていた。
林修先生の番組でレクチャー。
23歳?女性人気YouTuber、30代主婦(2児の母、育児休業中)、39歳若手お笑い芸人(ぺこぱ松陰寺)、73歳?シニア元国鉄マン、37歳女性コンサルタント、慶應義塾大学一年生(男子学生)、23歳?フリーター男性?を相手に授業をしていた。

各生徒の質問に答える。

YouTuber
【Q】今はYouTuberとして人気があるけれど、将来を考えて英語を勉強したい。どう思われますか?
【A】英語を超トップレベルの域に極めるか、そうでなければAIに任せろ。
伝えたい中身を作るほうが大事。

まるっきりその通り。

コンサルタント女性
【Q】これからの社会(低賃金雇用問題、どうなるのでしょうか。
【A】若者の給料は上がっているが、中年以上の給料が上がっていないだけ。
「どうなる」のではなく、「どうする」のか。どうしたいのか。
展開を予想するではなく、(能動的に)自分で作る。

主婦
【Q】年金など、老後が不安。大丈夫でしょうか。
【A】楽観視できない現実を直視せよ。

シニア男性
【Q】就労状況を見て、今の若者と価値観が違い、行動のギャップを感じる。
どうやってギャップを埋めたら良いでしょうか。
【A】違う(同じではない)ということを理解せよ。
ギャップを埋めるのではなく、違いを認識しながら共存せよ。

お笑い芸人(幼児子供あり.ぺこぱ松陰寺)
【A】やっと休みを貰えたのに家庭で休んでゲームしていたら妻に怒られた。
【Q】100%あなたが悪い。
配偶者より幸福になるな。

慶應義塾大学一年生
【Q】教育が体系化され整いすぎて挫折できない。
【A】(回答、忘れた、、、)

特に、語学より中身!
これには大きく頷いた。
わたしの実体験で得た結果にピタリ重なる。
(中身を作りあげる以前に、語学でつまづいた、ドロップアウト派だけど)

違いを埋めるのではなく、違いを認めて共存せよ。
これまた、大納得。
成田氏、若いのに、よくわかっている。
単なる学者さんではない、提案型、斬り込み型の人は、インパクトが強い。
炎上など恐れるなと。

けしからんと思われないような意見ばかり出してもなんの発展もない。
非難を恐れては何も言えない。
さすが斬り込み隊長。
ではあるが、ただただわめいているだけでは誰も聞く耳を持たない。
理論、実践、他での発言、背景などを加味。
だが、耳に刺激的だからと踊らされてはいけない。
成田氏本人も自分の知らないところで、利用される可能性もある。
言葉だけが一部、切り取られて独り歩きする場合もある。
頭から盲信するのは良くない。

成田氏の気持ち良い切れ味の余韻に浸っていたら、同じ放送局の次(情熱大陸)の続きに、次の番組にまた登場した。
今度は女子トーク番組。
全く切れ味は引き出されていなくてガッカリした。
番組制作者の意図により編集されているのか。
キレ味トークはカットされたか、どうでもいい、どろーん、どよーんとした、つまらない、なんの印象にも残らないトークばかり。
失望した。
番組の視聴者の対象や作り手によってこんなに違うものか。
MCのせいもある?
ゲストがジャニーズ系芸能人や過激なホスト相手なら面白トークを展開されるのに、やはり分野違いか?
それとも、若い女子向けだから?
だとすると、若い女子はずいぶん舐められたものだ。
ターゲットや味付けによって、あんなにも変わるのかと驚き、落胆した。
が、ああいう層に容易く人気が出るのも、わたしはあまり好ましく思わないから、まあよい。
というか、感覚が違うのか?
あたりまえ。
違いがある、別のものだということを理解するだけでも良い。

それにしても、わたしが何年もかかって身をもって経験、体得したことをいともカンタンにぴしりと言ってのけてくれる成田氏。
わたしの出した人生問答の答えと同じだったので嬉しかった。
(わたしの娘、息子より若い成田氏ではあるが、真理探求に年齢はない)
が、わたしは胸中で思うだけで、インフルエンサーではないので何の動きも波も起こさないが。
視聴者とはそういうもの。
受け身、一本槍。一方通行。

なにしろ、スパッと切れて爽快な時間に久しぶりに脳が喜んだ。


オーマイガー

2023-02-18 | 日々のこと
わたしはものすごく寂しい。
寂しくて寂しくてたまらない。
たまたま趣味分野でご縁ある(リアル)人にすがって、練習の帰りにビール片手にグダグダとクダをまきたい。
が、それを許せない、律してしまう自分がいる。
ちょっとだけ、ビール一杯、30分ぐらいお付き合いしてくれる(リアル)善人だが、それ以上は引き留められない。
その後の1人の時間を寂しく過ごさなければならない。
まあしかたない。
少しでも付き合ってくれたのだから感謝。
グダグダ、杯を重ね、グラスを増やして時間を伸ばしたところで、やり過ぎたかも?という自戒、後味の悪さが残る。
自分の欲求を人に押し付けてはいけない。
飲むのが好きな人なら、お互い、ウインウインだが、あまり飲まない人なので、迷惑をかける。

話し足りない、飲み足りない、、、。
もやもやを残したまま、帰路、欲求不満を蝶ブログにぶつけていたら、またまたいつものこと、電車を乗り過ごした。
乗換え駅で降りずに、違う電鉄会社路線に行ってしまった。
乗換え電車アプリで駅を検索。
いったい、これで何回目?
本当に懲りない、失敗を重ねるわたし。
わたしを知る人には、ほとほと呆れられることだろう。
誰にも言わずに蝶ブログにしか書いていないので、マヌケ秘密漏洩は防げそうだが。
何駅かの余分な行ったり来たり旅、ミニミニジャーニーをする羽目になった。
実に時間がもったいない。が、自分のせい。
責任者、出てこい!!
はい、わたしです。

神さま「お前は一体何回同じ過ちを繰り返すと、乗り過ごさなくなるのだ??」
わたし「生きている限り、ずっとです。
でも誰にも迷惑はかけていません」
神さま「オーマイガー」

神さまにも見捨てられるドジぶりだが、わたしはわたしを見捨てない。
頑張れ、わたし。
ビールを更にもう2杯飲んだと思えばよい。
反省もあまりせず、落ち込みを最小限に留め、自分を追い込まず、自分に甘いから、またミスを繰り返すことだろう。
オーマイガー。

でも、ビール飲まずに早く帰宅してね!という神さまの示唆だと思っておこう。
寂しさは、電車行ったり来たり、ホーム上りと下りを移動、登ったり降りたりに忙殺されて、どこかに飛んで行った。
「紛れた」という偶発的、消極的解消ではあるが。

でもやはり寂しさは根っこからは消えない。
わたしは寂し病か。
やれやれ。
根本から治さないと、誤魔化したり紛らわしたりしても、上っ面だけのことで、またぶり返す。
かといって、、、妙薬、妙案はない。
自分で解決するしかない。
寂しいけれど、我慢するしかない。
我慢するほうを選ぶのは自分。

蛇足。
自分を律すると自由が得られるとか。
偉い哲学者の説らしいが、お笑い芸人ロッチのTV番組で言っていた。



フェラーリとカローラ

2023-02-17 | わたし
わたしを車に例えると、新車のカローラ(1300CC)を20年乗っているかんじか?
横にフェラーリが来ても、ケンカなし、敵対心ゼロ。接点、皆無。
今は、ミニミニのピザ屋さんデリバリーみたいな極小カーが欲しい。
免許を精神的自主返上しているので乗れないけれど。

小学生の時の知能指数テストで、全国で1位だったか3位だったかの女子がいて、幼稚園の時の親友だった。
小学校でも6年間、同じクラス。
彼女を筆頭に、クラスには似たようなレベルの生徒が結構たくさんいた。
隣のクラスにもいた。
わたしは、フェラーリ駐車場の中で、カローラを余裕で停めていた。
ややコンパクトサイズだから空間に余裕があって停めやすい。
わたしは、カローラは乗りやすく走りやすく、お気に入りだった。
速いスピードで道路を走るのは好きではない。
助手席に乗っていても、スピードをあげて飛ばす運転はあまり好きではない。
急いでいる時は別だが。
大きな排気量の頑丈で高級な大型車は、雲の上を走っているようで快適で気持ち良いが、自分で運転するならカローラ。
シートにスープの鍋を乗せて運転しても、スープがこぼれないようにしなければならない。
シートベルトを鍋には装着できない。
それはそれで気を使う。

ビンビンに走る超大型車の間に、普通に普通車に乗っている。
摩擦はない。
当たり前か。
高速道路を降りて、一般道に降りてくると、フェラーリは目立つ。
居心地の良い目立ち方ではないようだと想像する。

ちなみに、高速道路から降りたら、なぜかわたしはウォーキング派になった。
カローラでもフェラーリでもなく、良し悪しの運命の分岐点は、お天気。
天気が良いと、最高に気分が良い。
おいしい空気を吸い、自然と触れ合う。
高速道路で走っていると手に入らない喜びだ。

ただし、一つ、難点がある。
わたし自身がお天気家だということだ。
天気予報も当てにならない。