「純と愛」について書くと、アクセス数が少し減る。
みなさん、あまりドラマはお好きでないようだ。
でも、しつこく書く。
ドラマ中、全編、インテリア・デザイナーが、女性的感性を発揮していたように思う。
男性だったりして?
そして、純と愛の服装。全編、あれ。
衣装代は、平安絵巻・時代劇などよりは、お安くついてよかったであります。
が、「プラダを着た悪魔」的要素があると、楽しめるのだけれど。
昨夜、おうちDVD鑑賞。
フランス映画「最強のふたり」(2011年)
静かで楽しい映画で、わたしは、とても、お気に入りだったが、下娘は、早々にリタイア。
夫が帰宅すると同時に、自室へ。
やはり、彼女には、早すぎた?
頸髄損傷で体の自由を失った熟年・富豪男性と、その介護人になった貧困層の移民の青年との交流が描かれ、
数々の賞に輝いた作品。
テーマは、とても重いが、現代風で、軽妙なリズムのある展開。
フランス映画って、いいなあ~と、じみじみ。
パリの街の風景や、格式ある館の様子など、パリ好きのわたしには、嬉しくて楽しくて仕方ない。
俳優の二人が、それはそれは、いい。
ふたりとも、いい。
タイトルは、まさに、どんぴしゃ。
考えさせられる・・・というよりは、ハンディキャップのある人を同情目線で見るな、ということ。
悲劇的に、重々しく扱うな、ということ。
あたかも重病人のごとく、腫れ物にさわるように描くな、ということ。
この視点が、とてもよかった。
おたがい、できる範囲で、人生を味わおう、ということだろう。
お金はあるが、体がいうことをきかない、かたや、体は若く健康そのものだが、お金がない。
この対極の二人の組み合わせが、絶妙。
ないところ(マイナス面)を補い合う。
プラスの面を押し付けるのではなく、自然なかたちで、アウトプットし、相手はそれに触発される。
嫉み合う、いがみ合う、ひねくれ合うのではなく。
階級社会で、クラスの違う層は、席を同じくすることがあまりない、ヨーロッパならでこそ、
ストーリー設定が、より活きる。
あれが、伝統的・階級社会ではないアメリカなら、視点が弱く崩れてしまう。
金持ちのステイタスは、自家用ジェット機なのね、と、上娘が言った。
(先月観た、おうちDVD「プリティ・ウーマン」の、主人公[リチャード・ギア]も、自家用ジェット。
もうひとつの共通点は、オペラ鑑賞(特別席?)だった)
ジェット機に関して言えば、
いやはや、いくら大富豪の特権だといえ、その特権を享受するよりも、
視点を変えれば、小さな飛行機は、ただただ怖い。
団体オーケストラを自邸に呼んでの生演奏クラシック音楽会も、これまた、聴くだけでは、つまらない、という発想。
ダンスしないと、音楽ではない。
このあたり、わたしは、いっしょに踊っている気分だった。
体に伝わるリズム、ビート。
(静かに、体やアタマ、神経のスイッチをオフにして聴く音楽もある、ということも、最近わかったことだが。
この年にして・・・!!)
人生は、動かなければ、風を吹き込まなければ、停滞するのではなく流れなければ、
どんな境遇でも、悲しみもさることながら、楽しまなければ、
人生、もったいない。
がしがしに固定され、決して動くことができなくても、楽しもうという気持ちさえあれば、楽しめるということ。
(「あんたは、気楽だからそんなことが言えるんだ」、と、言われそうだが、勝手に言っておいてください)
あの映画が、絶賛されたのは、そういう、諦めの気持ちを、
無理やりではなく、自然に溶かすかのように、ほぐしていくところに、あるのではないだろうか。
Let's enjoy life.