蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

あんた

2016-11-21 | 日々のこと

今朝、未明、夢を見た。
15年前に他界した、舅が出てきた。

「俺は、もういないんだから、次の世代に任したぞ」
と、夫へのメッセージ。
ついでに、姑もいないのだから、任したぞ、と。
あ、それ、最後の付け足しの部分は、わたしの創作になっている。
姑は存命なので。
しかも、一昨日、会っている。

姑には、言葉にならないほど、お世話になり、教育もしていただき、感謝している。
にも拘わらず、今はなぜか、好きになれない。
思い出すのは、過去のパワハラめいた発言ばかり。
姑の、99パーセントの素晴らしい行動と、ほんの1パーセントの気に入らない出来事。
その、たった1パーセントのことが、やたらモンスターのようになって、わたしに襲い掛かる。

なぜか今は会いたくないのである。

一昨日も、孫連れ娘一家と、姑に会いに行ったのだが、
孫の出現にとても喜ばれたものの、わたしには「全然、来てくれないね」と非難口調。
その通りのことをわたしはしている。
会いに行っていない。会いに行きたくない。
人の補助がなければ自分で日常生活を送れないのに、偉そうな口をきかれることに、たいそうストレスを感じる。
心身ケアにかかる費用は当然、全額こちらで負担。
さらにお金が必要らしく、夫が手渡している。
姑は、良い息子に育てた。
夫は毎日、顔を出している。

ひと昔前なら、姑の世話をしない鬼嫁と罵られたことだろう。
今も陰でそう言われることを恐れ、一生懸命、良い嫁をしている立派な方々もおられるだろう。
人からの評価を気にしてではなく、人の道として、他人であるプロの介護士に任せることなく、自主的に身を挺してお世話をしている、嫁の鑑のような方々もおられるだろう。
経済的な理由もあったりする。

 

ここのところしばらく、電話がかかってこなくて良い調子の実母も、
結構、最近は頻繁に「会いに来て」コールがかかる。

行けば行ったで、「(娘は遠くに嫁がせるなと、みんなが言っているように)遠いところに嫁に出すんじゃなかった」
いつもいつも、そう言う。
毎日のように顔を出してもらえない不満がくすぶる。
「隣に住んでいても、仲が悪く喧嘩していたら、1年でも顔を見ないよ」と、その度にわたしが言っても、まったく聞いていない。
母の実家では、縁談先が遠方だと(といっても同じ県内)、母の兄嫁が縁談を断ってきた。
だから、息子たちは結婚もせず(一人は結婚して出て行ったが)、彼らは老いて、家に誰もいなくなる日は、カウントダウン。

母が元気な頃は、実家にわたしたちが顔を見せても、母は自分のルーチンワークを優先していた。
遠くからわざわざやって来ても、日常のペースを乱されるのが、ちょっと嫌、みたいなかんじだった。
まったくの自己チュー。
(ああ、わたしもそのDNAが色濃く・・・)
母は、我々のことを「お客さん気分でいる」と、イラついていることさえあった。
実家に来るからには、接待などとんでもなく、自分たちで自分のことをしろ、と思っているのだろう。
まあ、それはわからんでもない、にしても。
自分の夫の接待を自分でしなさい、気が利かん子だね、まったく、、、、といったところか。
なので、そこまで思われて顔を出すのもしんどいので、足は遠のく一方。
親をもっと手助けせよ、とのことだろうが、高圧的で元気な親を助ける気にもなれず、
経済※以外には、助けてもらった具体的な実例があまり思い出せないので、なにをしていいかわからなく、居心地悪く、さっさと退散していた。
(※経済、要で大事。大助かり)

現在は、(無理して頑張って)行くと、説教が待っている。
なんで、わざわざ時間をやりくりして、労力、お金を使って、説教を聞きに行かにゃならん。
最初のころは、毎週、毎週、(今も毎週だが)、通っていた。
が、張り詰めていた糸が、突然、切れたような気がした。
(わたしも、娘たちに、いずれこうやって切れられることだろう)


あんたは、なにもしない。

そう非難され続けている負の積み重ね。
自分の取ってきた行動は、自己肯定しているが、特定の他人からは否定される。
自分の気持ちと折り合いがつかず、、、、荒む※のであればまだマシだが、(※名フレーズ、無断借用しました)
「キレる」のもまあワースト二番目にマシだが、「落ち込む」の強いやつに見舞われる。
自分のこころを騙して、無理をすることもできるだろうが、体調を崩しかねない。
わたしのサボりは事実ではあるが、ここにきて、他者から来るストレスを膨満させ、爆発には至らないものの、疲弊に向かわせる。
わたしはわたしなりに、自分のできることを一生懸命しているのだが、それは取るに足らないことと見なされる。

若いころなら、限界値を努力して筋肉増量してアップさせた。
いまは、自分の身を案じている。
無理して、なにかあっても、誰もフォローしてくれない。自己責任だ。

(保育所の運動会で、若き日に運動会でエースだった元体育会系お父さんが、アキレス腱を切っても自己責任。
そういう事例なら、注意したり、徐々に慣らしていったりすると予防できるが、今のケースは、ちょっと違う。
参考にならない違うケースを例として出すのも、どうかと・・・・・ここ、自責、チェック)

健全な心身を保つためには、自分の核を見失わないようにすること。
他人に振り回され、核を見失うと、嵐の中、帆船の支柱が折れるか、帆が破れるかの如く。
ダメージを受けて、自分で回復・復元できないなら、キレイごとは唱えないに限る。

文句を言うあんた、じゃあ、あんた※が、わたしに何をしてくれる?

※(「あんた」は、特定の個人を指しません。
でも、ちょっとアタマの隅にイメージとしては、ちょろっとあります)

 

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モノと、こころ

2016-11-14 | わたし
ずいぶん前に、リフォーム番組、ビフォーアフターで見た、ある一般参加者。
子供が、母親(寡婦)の住む実家のリフォームを依頼するため、番組に応募した。
おばあちゃんの思い出の品々を飾るスペースを、建築の匠が特別に設えていた。
旅行先で買った、大小のコケシやらのお土産グッズが、並べられていた。
(チョイス趣味は、わたしとは異なるが)
ご主人と行った旅行や、いろんな思い出が蘇り、毎日の生活を潤わせるようにという匠の図らい。

旅先は、どこでもいい。
国内でも、海外でも、宇宙でも、、、。
並べられた数々の土産物。
自分の世界。
わたしも、あれこれ並べている。
老人ホームに入る時は、その中からベスト20をチョイスする予定だ。(あくまでも、予定)
ミカン箱に容易に収まり、まだまだ空きスペースたっぷり。
あとはミカンでも入れる?

中でも、絶対にベスト20入り間違いなしの、思い出の品がある。
はるか彼方から、ご家族の手を通して、我が家にやってきたモノ。
そもそも、手のひらサイズの無名の(おそらく)中古品のようなので、市場価値、流通価格は問題外。
わたしの大切な宝物である。

そこで思った。
自分の世界は、他人に、不特定多数の人々に見せるのは、わたしならNG。
自分だけの内向きな満足が、それぞれ、各々、個人個人の目で見られ、個人的感想を持たれる。
へえ〜、と。

わたしは、「世界の至宝展」などに出かけて、お宝や歴史的に価値のあるモノを鑑賞するのが好きである。
テレビ番組の「なんでも鑑定団」も好き。
そして、一般の人々の、自分とは無関係な、自分の思い出の品でもなんでもないモノに対して、客観の目で、自由な感想を抱く。


モノだけでなく、自分の楽しみは、不特定多数の人々とは絶対にシェアできない。
なら、ブログを書くな、ってことだが、それを書き始めると長いので、今日はやめておく。

一生のうちで、限られた、本当に少ない人々とだけ接点をピンポイントで持つ。
しかも、時期も、ピンポイント。
これも、いいなあと。
一期一会に近い。
だが、どこの誰かもわからないわけではなく、相手は、実在している。
限りなく細く、剛い線のようなもので繋がっている。
うちのライティング・ビューローの上に置かれた、その証のような、小さなモノを見ると、こころが時空を飛ぶ。
しかし、過去の思い出の一点で止まらず、時間はそこから進行している。

物品否定、断捨離・絶対主義者から見ると、理解できないだろう。

わたしも時と共に変わるので、考えも行動も変化する。
人生の、ある一時点の思いである。

劣等感は生きがい?

2016-11-11 | わたし
とある人のブログ記事から、インスピレーションを受けて、勝手に自分のことを書く。

自分の頑張りの最盛期は、小学4年生ぐらいから、中学3年まで。
あとは、もぬけの殻、余生。
しかし、余生が活きたのは、その頑張りがあってこそ。
頑張りの後に、しばらく暗黒時代が、高校の3年間続いたが、それまでの暗さに比べると、自嘲する余裕はあった。

その後の余生は、足のない明るい幽霊みたいで、けっこう楽しく暮らした。
時代背景が、良かった(とらえようによっては、悪かった?)
わたしのような者にも、受け皿があった。
今なら、すっぽり、「発達障害」の枠に収まる。
どうにか、単なる劣等生というだけで済んで、やれやれである。
昔は周りも大らかだったのか、変わった子はいっぱいいて、ひとりひとりにかまっていては、時間も労力も足りなかったのだろう。

今の子どもは、かわいそうだ。
窮屈そう。

ま、優秀でもなんでもない、凡人(以下?)のわたしは、なにかの間違いで(親の策略で。「教育方針」ともいう)、やたら優秀な人間がウヨウヨいる教育現場に放置、置き去りにされた。
落ちこぼれようが、いじめられようが、先生に叱られようが、家庭でのフォローは、一切なし。
救いの手など、なにもない。
崖から突き落とされ谷底へ。

たまたま、その学校が近所にあったから、という子供も放り込まれ、わたしと同じような、苦汁を舐めている。
彼らは、卒業後、一度も同窓会に顔を出さず、その後の行方も本人が全く知らせてこないので、同級生たちは、皆んな消息を知らない。

わたしを含め、彼らも、醜いアヒルの子。といっても、「白鳥の子がアヒルに囲まれ、一羽だけ周りのアヒルと外見が違うため、醜いアヒルの子と言われ悲しい思いをした、実は美しい白鳥」の反対で、「白鳥たちに囲まれた、正味、醜いアヒルの子」だった。

わたしの劣等意識は、このようにして、多感な時代に培われた。
本来、花よ蝶よと、いろはカルタや塗り絵、蹴鞠をして遊んでいればそれでよかったのに、否応なく劣等感まみれになる、複雑な環境で学生時代を過ごした。

その、白鳥たちの園を無事、卒業というかたちで脱出し、当時の受け皿に、どうにか軟着陸した。
今の世の中では、その受け皿はない。
(と、わたしの意識の中ではそう思っている。が、まだ、旧い価値観を堂々と主張して止まない人もいる)

(受け皿って、なんやねん?
はっきり書かないと、わからないではないか。
という流れでしょうが、あえて書く気なし。
自分のブログって、いいなあ。なんでもアリだから。
これで閲覧数が減っても自己責任であります。)

しかし、この、明記、名言しない「受け皿」のおかげで、一時は身の置き所を確保したように思えたが、その日から、新たな、わたしの「受け皿」に対する苦悩が始まった。

なんでも、ちゃんと解決してマイナスをゼロにリセットしてから次に進まなければ、マイナスを根本解決せず、その場しのぎ的に、うやむやに誤魔化して体裁だけ整えて次に進むと、ろくなことがない。
やがて、持ち越したマイナスと対峙しなければならない時がやって来る。
自分自身の負の遺産のようなものだ。

受け皿は、根本的な受け皿ではなく、一時的、セーフティネット、駆け込み寺みたいなもので、羽を休め力をチャージし、やがて自分で自立するまでの補助機関のような役割を持つ。
(抽象的で、わかりにくくて、すみません、です。)
が、クリアできずに先送りしていることに対して、一時的には力を貸してくれても、最終的には自分でどうしかしないとダメってことだ。

余生なのに、未解決案件を抱えている。
そうすると、今は余生ではないのかも。
余生を送るまでには、解決せよ、という命題を持ち続けている。
なので、実質的には、一向に余生に移行できない。

解決できない問題を抱えることは、じつは、生きがいだったりするのか。
生きがいって、プラスのことばかりではないようだ。
マイナスをゼロにしなければ、あの世に行けない。
厄介なことだ。
逆に、問題を抱えて闘い続けているかぎり、マイナスではあるものの、生きがいがあるということか。
マイナスは要らないから、プラスだけの生きがいが、いいと思うが、そうはうまくはいかないのが人生のようだ。

マイナスはマイナス要因として、そっと静かに温存し、別の分野のプラスを増やして、プラスマイナスした総合点で、プラスになればそれでよし、かなと。
乗り越えたり、克服したりしようと、無理やり頑張って、弱点をほじくり出してもつまらないかな、と。

またまたファジー、うやむや、靄にかかった、先送りである。


トロフィー妻

2016-11-09 | 無題
どこかの有名投資家だったか誰だったかが、言っていた。

若い美人を嫁にするのは、投資的にはリターンが少ない。
買った時が、最も高い買値で、あとは下がるのみ。
さほど美人ではない賢い人を妻にすると、買値よりも価値が上がる。
妻にした人の価値も、ついでに上がる。

若い美人は所有せず、高値買いの代わりに、常にリースが経済的らしい。
家は所有か賃貸か、車は?

買うお金が充分ある、同じ条件で比較しなければ、正確な比較ができない。
自分も若いなら、若くて美人もわかるが、(経済関係なく)、年がいっていても、若くて美人もわかるが(お金持ちなら)、
外見でなく中身に惚れた相手が、たまたま若くて美人だったとしたら?
おそらく、中身と外見は、同時併用は困難。
両方兼ね備えた人は稀有であるし、仮にそういった異性をゲット出来る人は、それに分相応な見合う、同じコンテンツを満たした人だろう。



トロフィー妻というのがある。
若く美しい妻を持つことが成功者へのご褒美、ステイタスだという価値観は、近年では時代遅れだとか?
ご褒美を自分に与えるわけだが、周囲に見せびらかしたくてトロフィー妻をもらったものの、周囲はもはやそんな価値観に見向きもしないとすれば、自己顕示欲が満たされない。
たとえ世間が冷たかろうが、自分さえ満足していればそれで良い。
が、トロフィー妻を持ちたいタイプは、周りへのアピールに重点を置いているので、人は人、自分は自分、という、自分を軸にした価値観を持っていないだろうから、おそらく、ひと目見て、誰にでもわかる自慢し甲斐のあるコンテンツを含んだ妻を持つことだろう。

ハングリー精神を持つ、劣勢にあった人が、あこがれ渇望していた優性の人を従える、妻にする、というのは、ひとつの征服欲が満たされ、ご褒美が自分に与えられるべきと感じるのだろう。

ご褒美が、羊3頭でも、馬5頭でもいいのだが。
羊や馬も尊いと思うので、たとえ羊や馬と同列にご褒美としてゲットされたとしても、トロフィー妻も、やはり、それぞれに尊い。
ご褒美に対して、わたしは否定しない。
もし自分が、若く美しいと仮定して(ありえないけれど、あくまでも仮定)、民の平和を祈願して大規模建築の人柱になるなら、自分の命は尊いので、生きて人柱に捧げられるより、トロフィーとして、成功者に捧げられたい。
(また、そういう、非現実的な、感情移入しにくい例え)

トロフィー妻にも選ばれていない分際で、トロフィー妻はけしからん、と吠えたところで、誰の目から見ても、どういうシチュエーションの人間が述べていることか、明確にわかるだろう。
この例えは、わかりやす過ぎるが、世の中には、ちょっとわかりにくい事例がゴロゴロ転がっている。

自分が出来ないから、出来る人の、別の側面のマイナス点を攻撃する。
悔しいから、素直に負けを認めない。

トロフィー妻になれるだけの、若くて美人なら、トロフィー妻を否定したり、非難したりできるだろう。
若い時でさえ美人ではなかったわたしが、トロフィー妻は流行遅れだ、と言っても、なんだか、痛い。
で、最初、言いたかったことを、少し変えて、
トロフィー妻は、羊や馬が尊いのと同様に、生き物として、尊い。
そうすると、わたしも、若くて美しくはないが、生き物として尊い。

みんな尊い。
でも、あんまり生き物括りで生きる価値を同列に捉えると、ビーフステーキを食べたり、とか、革のバッグや靴、使えなくなりそうだ。

論点は、思いっきりずれて、車内移動時間の、ただの暇つぶし独り言になってしまった。






人生の大先輩たち

2016-11-06 | 
姑は、人生の区切り、区切りで、自分の感じたことをわたしによく話した。

まず、わたしと知り合った頃。
姑は、今のわたしより9歳若い、51歳。
今、思えば、ピチピチの若いおばあちゃんである。

長男(わたしの夫)の結婚がひと段落したあと、姑はしばらくは、自分のお手柄(イエの嫁としての義務を果たした、跡取り安定への役目を終えたこと)に酔いしれていた。
喜びと共に快い疲労感、達成感に満ちていたことだろう。
堰を切ったように、婚家の歴史や親戚のこと、家にまつわることをわたしに話した。
時には関連物を見せたり、現場に案内したり。
聞き手としては、よくまあこれだけ話があるなあ状態。
真面目で素直な聴講生だった。

その時期と前後して、使うのはもったいない、と、ストックしていた贈答品を「生活を楽しまなければ」と切り替え、使い始めた。
人生、残りのほうが短いから、使わず、ためておいても意味がない、と。
当時は冠婚葬祭のお返しは、ほとんどモノだったので、お付き合いの派手な婚家にはどっさり、お返しの食器だのタオルだのが、ズラリ整然と仕舞われていた。

婚姻による新メンバー追加、さらに次々と出産ラッシュを迎え、落ち着いた頃には、年金の話。
わたしは、まったく興味がなく、上の空。
まるで関心がなく、どうでもよく、全然話を聞いていないのに、おとなしく相槌だけ打っていた。
アタマを素通りする話題に対して、べつにストレスはなかった。

やがて、知人や親戚の男性陣が定年を迎えると、
「立派な肩書き、地位、役職の人も、リタイアしたら、ただの人」
そればかりを、親戚の特定のある人を実例に、見出したセオリーの如く、呪文を唱えるかのように言っていた。
よほど、なにか、肩書きで嫌な目に遭わされたことでもあるのだろうか?
あるいは、置かれた状況が変わると、今までの価値観がころりと変化することに、驚いたと見られる。
戦前と前後をまたいで生きてきた世代には、劇的な価値観の変化に対応させられるが、あんまりわかっていない人々もいるようだ。

そのまた次は、自分の健康のこと。
健康なくして、なにもなし。
若い人たちの足を引っ張ってはいけないと。

やがて、我々は、子供たちの成長につれ、あまり姑の家には、正月、盆暮れ、彼岸、法事などの節目にしか行かなくなった。
イベントとして食事会などで、外での交流もあった。
舅と姑は、夫婦いい旅時代で充実期だった。


舅は晩年、何ヶ月か入院したあと、自宅療養した。
家で舅を看取った直後は、未亡人だと見られる世間(近所)の目に、姑は嘆きを感じた。
夫を亡くした自分は、みじめ、気の毒、などと思われている、と、姑が勝手に作り上げた目(思い込み)であると、わたしは見なしている。
若くして未亡人ならいざ知らず、70歳をとおに超してからの未亡人、男性より女性のほうが長寿なんだから、別によくあることである。
わたしは、その「世間の目」発想が、とても不思議だなあと感じていた。

姑にとって「自分が思うこと=世間が思うこと」という方程式が成り立っている。
世間にアンケート調査し、集計結果がたとえそうであったとしても、自分の、ごく身の回りの限られた人が、アンケート結果と違っていたら?
自分の思いと、アンケート結果が違っていたら?
そういう、自分の考えと別の方向にある、余計なことは、参考にはせず、雑音は音としてしか認識せず、脳やこころには到達しない。
試行錯誤や検証などは、一切しない、一直線。
ブレなくて、わかりやすい思考性である。
思考の省エネと言える。
揺るぎない信念というものだろう。
ガチガチの思い込みとも捉えられる。

夫を亡くした後、しばらくは悲しみに暮れるが、少なからずの妻たちは、やたらエネルギッシュになる。
御飯作りにもしばられず、黄金の解放期。
一気に、水を得た魚。
時間、お金、カラダ、自由を手に入れた。

その頃は、わたしも自分のことで色々忙しく、当時の姑のことはさほど記憶にない。
つまり、姑は、楽しい満ち足りた時は、あまりわたしに話さない、ということかも知れない。
辛かったことや、悔しかったこと、悪口雑言、自慢話は、しても。
わたしに話すことが、姑の一種のストレスの発散口になっていたかも知れないが、わたしは、べつに自分のことではないので、どこ吹く風。
聞くだけなんて楽だったし、べつに嫌ではなかった。

しかし、80歳も過ぎると、外出も億劫になり、同級生たちとの食事会も参加が一人減り、二人減り。
別になんの趣味に明け暮れるでもなし、一種の、健康オタクのようにわたしには映った。
本人曰く、
「旅行も存分にしたし、十分楽しんだ」。
(舅は旅行好きだったので、お供をしたが、後半は、お抱えの介護人)

姑も母も同じことを言う。
「行ける間に旅行しときなさいよ」

自分がしたくても出来なかったから、同じように後悔させないように、人に勧めるケースと、
自分は出来なかったから、当然、人にも禁止するケースがある。
あるいは、自分がやってきて良かったから、人に勧めるケースもある。

「若いうちに、出来ることはしときなさいよ」とも勧める。


人生の大先輩たち。
軌跡を辿ると「教訓」が点在している。
取り入れるか、取り入れないかは、また別ではあるが。

自分が無の時には、どんな話も興味深く聞くことができた。
お世話になっていたし、感謝もしていたし、話の内容にも、なにもストレスを感じるものはなかった。
が、こちらが自立し、自分なりの考えも形づくられてくると、聞き捨てならん!という内容も出てきた。
しかも、世の中の動きや、反対意見を言っても、馬耳東風。
わたしが賛同できない考えを一方的に押し付け、人の意見は聞く耳を持たない。
多くの老人は、そんなものらしいが、姑と話すこと自体にストレスを感じるようになった。

価値観は違うのは当たり前。
同じ価値観を持ち、一族が同じ方向を向いて、団結、集結し、一族繁栄に邁進するのが理想だが、舅が最後の実質的家父長。
夫も跡取りなので、家父長だが、舅はこの世を去り、姑は席不在、夫が、「皆、ついて来い」と引っ張っても、誰も着いていかない。
息子が最たる例。離脱。
妻も、明治時代なら無言で着いて行っただろうけれど、昭和も終わり、平成もすでに30年近くが過ぎようとしている。
強いリーダーシップがあれば?と仮定しても、もはや時代の波には逆らえない。
あえて逆行したい、女大学を地で行く、昔の美徳をふりかざす妻なら、やれば良い。
そうでない妻に、同一価値観の強要、価値観の合わない行動を強制するのは、関係性を崩壊させる効力があるだけ。

しかしながら、「旧い」「新しい」の問題だけではなく、わたしの性格や考え方にも問題があるようだ。

わたしは、長きに渡り、夫と向き合わなかったツケが、今頃、回ってきている。
自業自得である。

多くの夫婦は、夫がリタイアした後の夫婦の人生を再点検、見直すようだ。
わたしの場合はまだ夫はリタイアしていないので、見直すにも、状況的に少しチグハグになっている。
だが、リタイアを先どりして、気持ちは前倒しだ。

かつては、縦のチカラ関係ばかりに縛られ、上の言うことだけを考えなく聞いていればそれでよかったが、上がなくなった後は、夫婦のあり方を見つめ直すことになる。
なぜなら、夫は、ベルトコンベア式に、ポストが空いたから、はい、次どうぞ、と、家父長にはなっていないからである。
だが、夫にはその認識がないことには驚かされる。
また、子供のように、母親に甘えるように甘えられると、苛立ちを通り越して、ぞっとする。(我々は、相性が悪い)
が、事態をことあるごとに姑に力を借り、夫に説明してこず、放置していた責任は、わたしにある。
自分育てに忙しく、夫を育てる余裕はなかった。
やがて、わたしは姑から自立した。
が、姑が不在だからと、母親代わりに夫に頼られるのは御免被りたい。

並列の友だち夫婦も、よかろう。
ただし、リーダーはいない。
しかも、嵐※の中では即、転覆する小舟である。
まったく、精神的には頼りにならない。
小舟が転覆しないよう、船客同士、仲良くしないと、お互いの命がかかっている。

人生の先輩たちは、ナビゲートしてくれたものの、手を離す時期になっても、我々は、あまりうまく育たなかった。
精神的に、自分の足で立てなかった。
イエの、時代の流れによる移り変わりもある。
大きな諍いがなかっただけ、マシか。


未来は、次世代以降の人々に任せる。
こんな前の時代を生きた先代たちがいたことを知ってもらうだけでも、随分違うように思う。

わたしの書くものは、すべて遺書である。
どうせ家族は読まないだろうけれど。



※文中
他サイトへの誤った転載は、ご遠慮願います。

生きがい

2016-11-05 | 人生
生きがい、健康、お金。
人生を輝かせるための三大要素。

人(家族、仲間)、健康、お金、という人もいる。
わたしは、ひとり遊びが好きだから、仲間は居なくても構わないので(家族は別枠)、やはり、「生きがい」重視。
しかし、老齢になり、自立できなくなると、「生きがい」の代わりに、「人」が必須になる。
お付き合いのない人や家族のいない人は、たちまちに困る。
その頃には、健康も害していることだろう。

お金=人、サポート、介護
老年になり、健康がなくなると、生きがいもなくなる。
お金で、自分を支えてもらう。
ではお金がないと?
公共福祉や保険医療に身を委ねるか、さっさとあの世に行く。
あの世に行けず、お金も健康もないと?

この時点では、お金があっても、健康も生きがいもないから、さっさと一日も早く、あの世に行きたいだろう。

健康でも、お金も生きがいもない人は?
若い人にもいる。
こころの健康を失い、深刻な社会問題にもなっている。

生きがいがあっても、お金も健康もなければ?
こういうケースは稀なのでは?
しかし、これが理想だ。
が、現実的には空論では?

生きがい>健康>お金

そこで、ふと。
日本では、健康とお金をベースに、生きがいが成り立つのでは?
健康とお金がなく、生きがいのある人は、宗教家かカリスマ教祖様か。
しかし、カリスマ教祖様は、私腹を肥やして美女をはべらせている安直イメージがあり、うさんくさい。
一般人で、生涯の生きがいとなる研究に没頭するにしても、研究費が必要だろう。
が、そういう社会貢献や、社会に開かれていない類の、埋もれた自分だけの研究をしている人もいる。
頭とペンとノートだけで、お金も施設もいらない。
わたしには、出来そうもないが、と同時に、羨ましいとも感じない。
各自、独自の道を行けばよい。

だが、そういう人も、健康を害すると研究もできない。
気力がなくなる。
生きがいの喪失である。
生きているだけの人になる。

「生きがい」とは、生きている意味。
「生きる」とは、この世を去る瞬間までの時間。
「生きる」にも、「生きることに意味がある、生きがいをもった『生きる』」、と、「生きることに意味を見出せない、生きているだけの『生きる』」がある。
後者の「生きる」と、「この世を去る」の間の待ち時間が、ややこしい。

誰しも長患いせず、この世を去りたい。
ぴんぴんころり。
それが無理なら、老衰。
しかし、100歳まで生きなければならない。
平均寿命は、早く亡くなった人との平均であり、長生きする人はあくまでも長生きする。
先は、長い。
(母や姑たちも、あと10年以上の余りある時間がある。
少子老齢化社会、国の財政はパンク寸前)

健康を維持するための、健康オタクも、ひとつの趣味、生きがいだ。
残念ながら、わたしにはその趣味が(今のところ)ない。
ある日、突然、病名を告げられ、卒倒するだろう。
そこからが、ホンモノの本当の人生が始まる。

着心地の悪い、若作りビンボーファッション

2016-11-04 | ファッション
今日は、また、年齢に合わない服装。
アイテムひとつひとつ、詳細を記述するのも、はばかられる。
しかも、快適なわけではない。
自分の気分と、気温のせい。
本日は気温のアップダウンが激しいらしい。

寒そうなので、一番下に、ヒートテックの長袖インナーを着込んだところ、出かける間際になって、暑くなり脱いだ。
が、JRの吹きっさらしホームの風は冷たかった。
しかし、車内の窓側席には、お日様ぽかぽか、暖かいを通り越して暑いぐらい。
電車を降りるとまた、寒いのか。
夜になると、帰りはまた底冷え?

いったい、どうすりゃいいの、何を着る?
出際にヒートテックを脱いでしまったので、不安が残る。
しかも、気分にまかせて、ゴワついた綿のコートを着てしまった。
風が、ビュンビュン通過する。
やはり化学繊維は偉大だ、と後から後悔。

若作りの、若くない人を冷たい目で見ていたくせに、今日のわたしは、若作りだ。
しかも、ビンボーテイスト。
歳を取っているにもかかわらず、わざわざ気温の変化を無視し、選んだ服が、これ。

ゴワゴワ着心地は悪く、ビンボーに見え、しかも娘の学生時代の服を着ているかのような装い。
その心理分析は?

考え足らず。
選択ミス。

似合っているか、似合ってないかは、自己評価のみ。
若作りビンボーファッションで、ひたすらしょぼくれているとすると、なんの意味もない。
どんなにブサイくでも、どんなに似合ってなくてもいいから、寒いのだけはゴメンだ、という寒がりのわたしなのに。
肝心カナメの目的を満たしていない。
が、こういうことは、よくあることである。

今日、一日、着心地悪く落ち着かず、快適ではないが、自業自得とはこのことだ。
帰ったら、どっと疲れていることだろう。
スタートしたばかりなのに、出鼻はもうはや挫かれている。



今日のような気温の上下する日は、コートの下にダウンベストを着込んで調節すべきだった。
時、遅し。

しょうもない、独り言に、お付き合い、すいません。(タバコも吸いません→ぱくり)
世界各地の皆様へ
うっちゃん、インスパイア防御、防衛、お願いします。

なにもしたくない時は、なにをすればいいか

2016-11-02 | 老い

わたしには、超絶珍しい、「うっちゃん※」が、来ている。
※鬱の愛称

ミニミニうっちゃんで、存在すらわからないような、かわいいものだ。

うっちゃんが来ると、なにもやる気を起こさせない。
悪意のない、イタズラ小僧。
でも、現代社会では、これに苦しめられる人は多いようだ。

わたしは、そもそも、うっちゃんとは、まったく仲良くもないし、幼いころから無縁だった。
劣等感まみれだったが、うっちゃんは、近寄りも、かすりもしなかった。
劣等生である自分のことで忙しく、自分育てにすべての注意を払い、うっちゃんの存在すら知らなかった。
そんな、まるで無関係なうっちゃん、なにを今頃になって、やって来る?
わたしが、呼んだ?

そもそも、スマホばかり使っているので、パソコンを開けなくなったのも、うっちゃんを来させる、うっちゃんに付け入らせるスキを作った。
固定パソコンなら、一日中、インターネットに延々と取り掛かり、調べ物をしていても、ネットサーフィンをしていても、いろんなサイトに遊びに行っても、時間は、あっという間に過ぎる。ところが、今はスマホに移行している。
だが、スマホは、一日中、かじりつきたくない、という自分なりの思い、ルール、シバリがある。
スマホは、外でするもの、空き時間にするもの、家でずっとやってはいけない、決してメインのポジションにいてはいけないという、自己規制。
ある程度、継続すると、途中で、自己アラームによる「オーバータイム」警報が鳴る。(実際は鳴りません)
アラームの後、ぽっかり時間が空く。


ここのところ、いつも、わたしはスマホで、蝶ブログや、その他のサイトの日記をアップしている。
つまり、外出中にやっているということだ。
移動時間の有効利用。
が、最近、イタズラうっちゃんが、ちょろちょろして、外出を阻む。
行きたくない。明日にしよう。来週にしよう。
なにも今日でなくても、いいだろう。
アタマがどんより重い。
まるで、朝の不登校状態の子供。
・・・・・

うんぬんかんぬん、、、、なにもする気が起こらなくなった。
しかしながら、自分という物体のエンジンが、あまりにも、ぷすっとも動かないので、スマホで調べる。
困ったときは、ググる。レシピも、おばあちゃんに聞くのではなく、おばあちゃんの知恵袋アプリ。
我が家の味は、COOKPAD。
(これで、世の中、わたしだけでなく、人間関係は希薄になったのではないだろうか)

「なにもしたくない時は、なにをすればいいか」

よくもまあ、こんな建設的でないキーワードを探しまくるものだ、と、自分でもあきれる。
老人性うっちゃんか?

決して子供たちが自立したあとの空の巣症候群ではない。
自立に関しては、よくぞ、こんないい加減な母親に育てられて、今日までちゃんと育ってくれたと、我ながら驚嘆と安堵の思いである。
目標とする、一歩先を行く母や姑たちの老いを見て、そして、自分も確実にそれに向かって、ひた走っている実感から、
生きる目的を見失っている感がある。
ロスト。
道標よ、いずこに?  スマホに聞け???

子供たちの、(わたしの)老いに対する悪意のない言動に、とても傷つく。
わたしが、母や姑たちの、自分を律して自立できなくなった「老い」に苛立ち、優しく接することができなかった報い、罰が当たった。
彼女たちに、否定的な態度を取ったからに違いない。
ブーメランか。

しかし、母や姑は、自分の老いによる自身の劣化を認めない。
わたしは、それに苛立ちを感じるのだ。
だれだって、老いは悲しいし、認めたくない。
しかし、事実、真実は真実として受け止めなければいけない。
逃げようとも、真実から目をそむけようとも、事実は事実であり、変えることはできない。
なら、自分を変えて、自分に起こった加齢によるマイナス変化を認めたらよいと考えるのだが、そうはいかないのも、老いから来る劣化か。

迷惑をかけられる若い人々は、舌打ちものだろう。
わたしがそうであったように。
こんどは、わたしが迷惑をかける側か。
孫たちは、成長するにつれ、どんどん世話する範囲が狭まり、母や姑たちは、どんどん持ち時間がなくなり、自分は、どんどんダメダウン傾向である。
中間管理職で、まんなかで、孫や子供、親を支えるポジションだ、頑張らねばと思っていたら、すごいスピードで様変わりしている。
せっかく気合を入れて頑張る覚悟をしていたら、人の役に立つ頑張る時間を通り越して、役に立つどころか、自分自身が思わぬ速度で下降し、お荷物になろうとしている。

子供(娘)が、孫を見、親を見、、、、中間管理職の子供世代に一気に重圧、負荷がかかったかんじである。
(子供からみた「親の親」は、我々が受け持つので、子供世代は「親の親」を見る必要はないが)
子供世代と一緒に親や孫を背負うつもりが、自分が背負われる側になろうとしている。
なんと、思いあがっていたことか。

できるだけ、子供たちに迷惑をかけないようにしようと、決意を固めた。
力になろうなどと、恐れ多い。
出来る限りはお手伝いしようとは思うが、足を引っ張るようでは、そんな状態では、のこのこ出てきてほしくないと、子供たちも思うことだろう。
「こっちはいいから(手伝わなくていいから)、自分のこと、自分でしてちょうだい」と。

血がつながっていると、親に対する思いも、他人とはまた違い、苛立ちも大きい。
わたしが、そうであったように。
苛立っている身から、苛立だたれる身に。
しかし、同時進行は早すぎないか?

老化ジャンルにも、うっちゃんは、いるそうだ。
しばらくは、自分をかまわず、そーっとして、うっちゃんが、どこかに、気ままに出て行ってくれることを待つことにしよう。

子供がしっかりしないで、自立しないで嘆く親もいれば、子供がしっかりしすぎて、自分がお荷物になって嘆く親もいる。
どっちが、いい?

とかなんとか言いつつ、いろいろまだまだ使い道はある親(わたし)ではある。

しかし、この思い込みが、老害の始まりでなければよいのだが。

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