蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

眩しすぎる元同窓生たち

2020-05-31 | 日々のこと
高校の同窓会通信が送られてきた。
2人の同窓生が寄稿していた。
1人は男子、仕事に趣味に、充実した内容だった。
趣味の自転車が高じて転倒して骨折怪我のご愛嬌オマケ付き。
こんなに365日フルで仕事と趣味を予定パンパンに詰め込んですごいなぁと感心した、、、が、、、ん?家族は???
お一人様だと推測した。
あんなにビッシリ公私ともに書かれているのに、ただの一言も家族の話がないのは、かえって不自然だ。
円満すぎて書くほどでもないなら、ノロケの一行ぐらいあってもよいものだ。
全く頭から抜けているとしたら、家族としては複雑な心境になる。

加えて2番目の女子も素晴らしかった。
職務に励み、黄金の経歴を持ち、なお現役。
そしてこれからも。
45年の間に、わたしなんぞとは雲泥の差があるなあ、、、と別人種を見る思い。
頑張ってきたこの人、引き続きさらにますます頑張る様子。仕事一筋。
趣味のことも家族のことも、一言も書かれていなかった。
もしあれだけ仕事にめいっぱい頑張るとすると、配偶者や子供の協力なり同僚との互助なりがあっても良さそうなもの。

履歴書ではないのだから、隅から隅まで職歴一辺倒の寄稿に、家族情報なしが2人も続いたということもあり、この女子は独身だと確信した。

素晴らしさを通り越して、接点ゼロと認識した。
「この道一筋」という決められたタイトル縛りでもあるならわからないでもないが、わたしはやっぱり、人間味あふれる私生活もちょっぴり追加してほしかった。
まあ、仕事関連では書いたら三行ぐらいで終わってしまうわたしの、無い物ねだりだろう。

皆さん、まだまだエネルギッシュで驚いた。
全くリタイアする歳ではない。
早々に俗世間を離れた(若い頃から)仙人のわたしには、眩しすぎた。
が、対岸で応援している。

ツマラナイ時は面白くて、楽しい時はくだらない

2020-05-30 | ブログ
わたしの場合、リアルが充実すると、ブログは腑抜け。
リアルがみっちり引きこもりだと、納得いくブログ記事が書ける。
そしてリアルがメチャメチャ悲惨だと、これまた発酵バターのように好きな味のものが書ける。(自分比)

どこどこへ行った、あそこにも行ったという旅の記事や、あれ食べた、これ食べた系グルメ記事、あれキレイ、これステキ!は、わたしはどうも不得意。
見て食べて触って経験して、その場で消化、昇華してしまっているから。
文章には何も感動が残らない。
弾けて蒸発している。
ただの記録になる。

不消化な、なんで?なんで?と、いつまでもハテナ?が残るような、中途半端な、だが、どこにでもあるような題材が、掘り下げて二度美味しく、わたしはこころ躍る。
わたし、変わってる人かも知れない。
今更感ありだが。

わたしが一番恥ずかしい瞬間は、、、一生懸命考え、生み出したことが、世の中にはゴロゴロあった時。
自分は見方が独特だと思っていることが、平凡そのものだったことに気づいた時が、耳まで真っ赤になる。
独創的アイデアと思い込んでいた勢いある自負が陳腐そのもので地に落ちる。
自分の無知を知った時、羞恥心で顔を覆いたくなる。

逆に、人と同じでホッとするケースもあるが、社会の常識だとか、ルールだとか、人と合わせるべき時。
自分だけ合っていない時は、居心地の悪い思いをする。

あと、大多数の中、自分だけが圧倒的に少数派の時(悪い意味で)、これまた、一刻も早くその場を離れたくなる。
例えばファッショナブルな若者が風を切って歩く街で、一人だけ、ダサダサの格好でブサイクな自信が持てない自分が混じっている時。
歳を重ねているメリットが、デメリットにしか映らない。
カッコいい人ばかりがいるのに、自分はそうでない時。
例えば、クラブ(今時イケイケ若者がダンスするところ→この表現は完全に完璧に終わっている。死語乱用)。
一旦、出直し、場所を変える。
(あるいは家出した孫でも探している風を装うか、、、)
わたしの居場所ではない時は、さっさとチェンジ。
その他には、、、歴史ある閉ざされた特権階級的、上流サロンの醸し出す雰囲気に呑まれている時。
惨め感、孤立感、ひしひし。
それと、、、デパートなどの高級品売り場で、酷い格好で紛れ込んでしまい、店員さんに一べつされた時。
酷くない格好でも、やっぱり嫌だ。
あのお金のにおいがプンプンする独特の雰囲気が。

また、さらに、
良い意味での少数派でも目立つのは嫌。
というか、そんな実例が思いつかないところが、うら哀しい、、、。

ダラダラ文章。
意味がないことを連ねているのは何故か。
今日はリア充のため、時間もエネルギーもブログに割けないでいる。
帰りの電車内がブログタイム。
わたしにとっては嬉しいことだが、ブログはツマラナイものになる。
まあリスクヘッジのようなものか?

ブログもリアルも、どちらも両方納得いくことは無理。
厚かましい。
どちらか一方でも充分だ。
それでも厚かましい。

ああ今日は楽しい一日だった。
よせばいいのに、電車内、欲張ってブログも更新しようとするから、墓穴を掘る。

いつもの日々

2020-05-29 | ブログ
蝶ブログ、案の定、しゅるしゅると閲覧数が順調に落ちている。
わたしの予想通り。
コロナ禍景気、特需だったようだ。
こういうことは長年ブログをやっているとよくある。
ここのところの閲覧数が自分で驚くほど多かったため、世の中の動きがこんなちっぽけな、なんの影響力も特徴もない極小ブログにも降りかかっている。
風が吹けば桶屋が儲かる、、、といっても、わたしは儲かったという気分ではなかったが。

自分らしい、なんの役にも立たないくだらないグダグダを、ごくごく一部のコアな人だけに読んでいただけたらそれでいいと思っている。
コロナ禍ステイホームで暇を持て余している人々が家に籠り溢れかえっていたのだろう。
ブログでも何でも手当たり次第手を伸ばし、こんな人がいるんだな〜と通りすがりに読んでくれただけの人が一時期、数が増えたという、とてもわかりやすい流れ。
それはそれで一期一会の貴重なご縁。
スリムになって肩の力を抜いて細々やっていきたい。

そもそもわたしは、あまり人に見られたり注目を集めるのは限りなく居心地が良くない。
人知れず好きなようにやりたい。
だがある意味、自意識過剰の裏返しだと深層心理を分析する。
かまってほしい子供が、素直に訴えられず、ひとりでできるもん!と健気を装う図に似ている?
んー、ちょっと違う、、、かも。

たった一人だけで、誰の意識の中にも置かれず世の中に存在するのは、とても辛いことだと思う。
孤独にもいろいろある。
わたしは単なる非社交家なだけで、社交を怠るとその副作用で人も離れ、寂しいという結果がもれなく付いてくる。
嫌なら社交したり、努力すればよいわけで。
寂しいかというと、強がりや負け惜しみと感じられるかも知れないが、わたしは多くの人々とシェアしたいとは望んでいない。
エッセンスを薄く広く伸ばし軽くすると多くの人々と繋がることが出来る。
あるいは、接点を増やすため、いくつも特徴、分野を持つとか。

偉大な人なら持っているエッセンスも濃く大量にあるから大人数でシェアできる。
わたしのような微力な人間は元々の量が少ないので、多くの人を惹きつけることは決してない。
わたしはそれでなんの不満もない。
当たり前のことを当たり前に納得するだけだ。
逆に等身大以上のブーム的現象は気が落ち着かない。
一過性。
人は移り気なものだから。

というわけで、コロナ自粛も徐々に解放され、人々の気持ちも外に向く。
カメラモードをオフにして、わたしはメークを落としてホームウエアで寛ぎながらブログが書ける。
とかなんとか言いながら、閲覧数ガタ落ちの自分を慰めている。
相変わらず、可愛げがない。

来週から保育所、さらに学校も再開のよう。
チビッコたちが大人しくケーブルテレビや番組録画を見ているあいだに、チビッコの布団を干して、ブログ更新が出来てやれやれ。
小学2年孫Aが、番組の合間合間にキャンディを欲しがり、スマホブログ更新中のわたしのところにやって来る。
「ミルキーはママの味〜♫」と子供の頃のCMで耳にしたフレーズをわたしが口ずさむと、Aは、「違うで、牛の味やで」という。
なるほど、その通り、牛のお乳。
「人間も赤ちゃんを育てるお乳が出るんよ」と、真面目に説明したが、
もう小学生にもなると、ママの味じゃないんだ、と妙に感心した。
が、ママであろうが、牛であろうが、ダラダラと与えるわけにはいかないので、計画表を書いた。
時間割。
それと同時に算数の計算を二個したらキャンディをあげることにした。
あらまあ、正解率の低さったら。
飴、あげられないなあ。
欲しがるA、あげられないわたし。
ミニバトル。
バトルはどこにも落ちている。
バトルを気にしながら、時間に追われながら、ブログと向かうのも、何の必要性もないのに、、、
ブログ病である。

しかし、目に見えないもの(閲覧数)に振り回されるのは、コロナウイルスと同じだ。
て、内容はイマイチだが。

ブログ。また明日の自分に期待しよう!
て、いつもこれ。


書いても書かなくてもよい話

2020-05-28 | 思い出
若き日々、親友だったYちゃん。
学生時代、YちゃんはA君と付き合っていた。
わたしは高校を卒業したばかりの春休み、短期バイトを通して知り合ったボーイフレンドがいた。
やがて彼が一浪して入った大学での同級生がA君だった。
A君も一浪していた。
A君に初めて会った時のことは今も忘れられなく、A君の表情を鮮明に覚えている。

ま、何しろYちゃんのボーイフレンドA君は、嗅覚が独特と思われるが、わたしを一目見て化学反応を示した。
それをわたしのアンテナが敏感にキャッチしたのだが、残念ながら、わたしはA君の友達と付き合っていた。
我々は平和主義なので、ややこしいことは避け、極力、平和維持に努めて掻き回さない。
なので、何ごともなく2組のカップルはお互い仲良く交際を育んだ。
が、やがて、世の中によくあるように、2組ともあっさり別れた。
別れたからといって、もう一度バラバラに組み替え再編成し直すかといえば、しない。
あれから半世紀弱は経っているが、皆さんどうしていることやら。
40年も経てば中性になっている(はず)。
A君はわたしのことなど微塵も覚えていないだろう。
若き青春の儚い爽やかな思い出の一つである。
ぱちんとシャボン玉のように弾けて割れた。
夏の花火とはちょっと違う。
火がついてないから。
湿っているから着火しないわけでもない。
このあたりの微妙なニュアンスは、書ききるにはわたしの筆力では100年早い。
て、しょうもないことは書きたがる。

Yちゃんはその後に結婚を前提とする男性とお付き合いしていた。
お付き合いの様子は(見たくて見たわけではないが)目の当たりにしっかり見えた。
が、別れた。
簡単に書きすぎかも知れないが、これまた世の中にはよくあることだ。
なぜ破談になったかはわたしはわかるが、書かない。
まあ色々ある。
この婚約者は、わたしがよく知っている人。
ご両親もよく知っている。
で、別れた後、Yちゃんは別の人と結婚した。
わたしは結婚式に呼んでもらい、新婚家庭にも友人たちと遊びに行った。
ではあるが、幸せはあまり長持ちしなかった。
これまたよくあることだ。
どれをとってもよくあることなので、わざわざ文字に起こす必要があるのだろうかというぐらいである。

でも、ちょっとだけ触れようかとふと思った。
だが、そういう思い出は、書かないほうが楽しく美しい。

それと、、、結婚はほんの少しのタイミングで、相手が変わる。
誰と結婚しても、さほど大きく変わらないような気にもなっている。
Yちゃんの元旦那さんが、そう言っていたのを思い出した。



北風と春風

2020-05-27 | 思い出
母はバリバリ働きものだった。
労働するために生まれてきたような、前世は馬車馬か?
昭和一桁生まれの戦中派なので、戦争を知らないわたし世代のようにヘナチョコではない。
サボっている時間は爆睡している時ぐらいか?
だが、自我キャラクターが強烈で、強欲、直情型で協調性がなかった。
お山の大将で、折れなくてもいい環境にいたため、人にアタマを下げる必要性はなかった。
自分一本やり、自分中心に世界は回っていた。
幸せで結構なことだ。
精神的ストレスはないだろう。
だが、人に好かれていたかというと、嫌われてはいないが好かれもしていないかも知れない。
嫌われていなければ上出来だ。
家族以外には。

家族であるわたしは、激情、ヒステリーの嵐、、、神経にビリビリカンカン痛く刺さって精神摩耗が激しく、大嫌いだった。
更に父は超真面目・優秀働き者人間なのは大いに素晴らしいが、短気を絵に描いたような癇癪持ちだったので、いつも家ではわたしはビクビクしていた。
鞭打ちではなく、父の舌打ち生活にわたしは息も絶え絶えだった。
家の外に出ると落ち着いた。
家庭ではこころが縮んで硬くなって安らげなかった。

高校以降は、小学校からずっと同じ学校の親友Yちゃんの家に入り浸っていた。
Yちゃんのお父さんは大型船(タンカー?)の船長で、年に数回、自宅滞在する期間があるが、あとは外国の洋上にいた。
大黒柱オヤジが居ない家は、開放的で好き放題の勝手したい放題だった。
Yちゃんには弟がいて、弟の友達とも顔を合わせることがあった。

弟は自堕落な子だった。
友人たちも似たり寄ったり。
だが、時間が来ると「勉強の時間だから」と後ろ髪を引かれながらも引き上げる友人男子もいた。
彼は数年後に医学部受験を控えていたように思う。

まあ遊ぶ子は遊び、律する子は律し、Yちゃんの家ではいろんな自堕落生活が送られていた。
Yちゃんの母親は、戦後没落した人種のようで、シニカルな価値観を持っていた。
幼少時代「お嬢様」と自分のことを呼んでいた、それまで仕えていた人々に、ある日、突然、「あんた」と呼ばれたショック。暗転。
それが彼女の人生のベースになっている。
「結婚はビジネスよ」が彼女の口癖。
在宅期間が終わり、父親が家から出る瞬間に、見送る側の家族の顔がガラリと変わった。
ある意味、可哀想なお父さんである。
が、本人は、突然、フェイントで後ろを振り向かない限り、皆の顔の激変には気づかないから、幸せといえば、幸せだ。
大なり小なり、父親に対する家族の思いは底流には共通するものがあるかも知れない。
知らぬはオヤジばかりなり。
世の中には知らないほうが幸せなことは、いっぱいある。
最も身近な、羽を休める家庭でさえ。
人には人の家庭があり、首を突っ込む筋合いはない。

が、よく泊まりに行ったりもしていたので、わたしの母は快く思わなかった。
わたしにすれば、天と地の差ほどある、ノールール、デタラメ自堕落そのものの安らげる場所だった。
不良の溜まり場になっても不思議ではないが、母親が居ることと、この母親は愛嬌たっぷりの結構ユニークな人だったので、不良たちには親しみやすい反面やりにくい、居心地の悪さがあったように思う。
そして不良たちは、家の中で出来ることといっても、たかが知れている。
暴走族は、車を暴走させてこその暴走族。
家の中で出来る不良行為は?
せいぜいお酒やタバコ、漫画を読みふける、、、今のネットカフェみたいなものだ。
(シンナーや麻薬などは無縁。そしてなぜか、女っ気ゼロ。かわいらしいものだ)
喧嘩や暴力はしない大人しいメンバーだった。
血の気はあまりない、普通の子が多かった。
理由は家庭背景だろう。
暴れるほど悲惨な家庭の子はいなかったから。(わたしを含め)
各家庭の経済と教育がベースにあると思う。
どちらか一方が欠けても、成長過程には複雑でハードな足枷となる。
もちろん、乗り越え立派にやっていく人々も多数いる。
逆境に打ち勝つ精神力や努力には頭が下がる。
とまあ、不良にはなりきれない準不良予備軍みたいな子供たちが集まっていた。
が、自由な自堕落空気を思いっきり吸い込んで、また自分の厳しい家に自主的に帰っていく。

わたしは当時、あんな楽園みたいな家がある一方で、なんでわたしの家はこんなに厳しいのだろうと、北風より春風に惹かれていた。
母にすれば、家のルール、厳しい躾が緩むのはいともカンタンなので、嫌だったのだろう。
しかし、実家が居心地が良いと家を出て自立出来ないと思うので、気に入らない実家で良かった。

だが、後にYちゃんの家庭は、一家としては壊れなかったが、子供たちはそれぞれ自立できなかった。
春風が気持ち良すぎたからか?
Yちゃんも弟も自分の家庭を作ることに失敗した。
一度も結婚しない、生涯独身の男女が大勢いる現在では、失敗とは見なされないが。
価値観の多様化が進んでいる。
Yちゃんたちは、結婚して破綻、その後はもう結婚の道を選ばなかった。
ほぼ育児放棄しているかの弟の子供は、姉や両親が育てているようなもの。
どんな子供に育つのか、わたしには関係ないことだ。
人には人の家庭、家族があり、首を突っ込むものでもなければ干渉するものでもなく、興味本位で見るべきでもない。

ただ、わたしは、春風そよぐ楽園だと思っていたものが、浦島太郎のお土産玉手箱や、シンデレラ姫のカボチャの馬車、チルチルミチルの青い(黒い?)鳥のように、一瞬のうちに姿が変わり、元のものが見えた。
キリギリスのように歌ってばかりでは冬は越せない。
自分に合った、自分の芯、核は、自分の両親から受け継いだものだと感じた。
ヒステリー母と癇癪オヤジではあるが、その逆ベクトルにはそれらを引き起こすだけのエネルギーがあった。
何もしない人にはエネルギーも小さい。省エネの法則。
爆発的に頑張る人には、反作用も同時進行して抱える。
振り子の振幅の原理。

何かしらほころびを補強せずに、無理矢理引っ張って継ぎ合せると、他の正常な部分に負荷がかかり、歪んだり破れたりする。
正しい考え方の上に正しい働き、生活が乗っかり動き、機能していくのだと、Yちゃん家のメンバーが次々に破綻していく様子を見て、当時のわたしは思った。
わたしはお世話になっておきながら、春風を受けにきて元気になると、北風の自分の家に戻っていたようだ。
基盤は北風の自分の家。
良いとこ取りをして、良い目だけを享受し、寓話の結論を目の当たりに見て学習したわたしは、じつに悪いヤツである。
何ごともうまい話はないということを思い知った。
基本が大事。

ただし、基本は人によって違う。
Yちゃん家の基本と、わたしの家の基本が違うだけであり、どちらが良いとか悪いとかではない。
自分には自分の道、YちゃんにはYちゃんの道。
お互い幸せにその後は歩んでいると思う。

蛇足。
久々ぶりの同窓会で会っても遠くから会釈するのみ。
いずれヒマになり、あの世が近づいてきたら、もう少し二人は近い距離で話すことだろう。
コロナ禍が過ぎた頃よりは、早い?遅い?

スロー進化論

2020-05-25 | 読む人々には興味ない話
わたしのブログへの閲覧数上昇は、コロナ禍ステイホームによる人々の暇つぶし影響と見られる。
共通課題のコロナが徐々に落ち着くと、閲覧数も元のようになると予測している。

わたしが毎日見に行くブログがある。
その一つは、アートな写真に見惚れ、凛とした文章で魂を毎回抜かれてしまう、憧れのミュンヘンブログ。
ただし、エネルギーを吸い取られた読後は自分のブログを書く気にはなかなかなれない。
他にも、まとめて読みに行く、長年のこころの友のブログがある。
このブロガーさんは、本人にもお伝えしているが、わたしは友達認定を一方的にしている。

さらに、かなり前からの、たぶん、わたしがブログをスタートした初期の頃から旧知のブロガーさんがいる。
じつは、わたしはそのブロガーさんに毎回、更新モチベーションのスイッチを押されているような気もしている。
だが、そのブロガーさんのアクションは、目や脳からではなく、指先運動の日課によるものであり、ひょっとしてわたしが勝手に受ける錯覚、思い込みかも知れないと思う瞬間もある。
しかし、モチベーションなんていうものは、根拠や実体なんか無くても、勘違いでも何でもいいんだと妙に納得したりする。

今日のミュンヘンブログに書かれていたような、お会いしたこともない、声を聞いたこともない、でも長年、文章だけでやり取りして、その人のイメージを作り上げることってある。
わたしがインターネットに初めて触れたのは32年ぐらい前で、その頃からの知り合いが数人いて、現在も年賀状一枚で繋がっている人もいる。
ちなみに、初めてインターネットで繋がった記念すべき第1号の人は、香港の中学生だった。

パソコン通信と呼ばれていた時代。
愛好者は、通信系、パソコン系の仕事に携わっている人や、著作系の趣味のある人だった。
著作系の人は、パソコンからではなくワープロから通信していることもあった。
仕事以外での家庭パソコン普及率もあまり高くなく、SNSも一般的でなく少ししか存在していなくて、わたしが利用していた代表的な大手ネットも会員は30万人ぐらいだった。
よく考えるとインターネット歴は、人生の半分近くを占めている。

ただし、パソコン画面はモノクロで、英数文字を長々と無機質に打ち込むもので、今のように画面にアイコンが現れ、ひょいっと掴んで移動させたり、一瞬で画面が躍動的に踊り出したり、とは程遠いものだった。

当時、大きな薄いペラペラしたフロッピーを差し込むと画面がガシャガシャと立ち上がり、文字入力を通しておしゃべりしていくうちに、会話でインプットした情報が蓄積され徐々に賢なっていく女の子のゲームソフトみたいなものもあったが、黒い画面に白い文字で延々とおしゃべりを続けるだけ。
動画も声も、なんにもない、なんの愛想もないものだった。
また、圧縮ツールみたいなものがあって、圧縮して送られたものは、決められた英数文字を入力して解凍したり、、、何かしらの知識がないと操作できない、めんどくさいものだった。
スマホで指くるくる、瞬間操作とは、隔世の感。

というように、インターネットは、当時はそういう技術系の人々と文章系の人々が交差していた。
真ん中あたりの中間の人はいなかった。
パソコン普及率も今とは違っていた。
今はスマホがあるから、あまり固定型パソコンは個人的には需要がないのではないかと想像する。
仕事ではノートパソコン、タブレットが多い?
小学校でもパソコン授業が取り入れられているし、自宅からのオンライン授業も更に充実させるのが喫緊の課題とされている。

と、話はまたまた逸れて、どんどん好き勝手に流れていく、、、。

メールなどの文章や、ブログだけで接していると、相手のイメージをどんどん固めていく。
今はスカイプやオンライン会議もあるから、姿、表情、声もリアルタイムにわかるが、それを利用しない場合、人物像は想像を積み重ねて作り上げる。
考え方や感性は文章でわかるが、実際の3Dでのライブ感は、匂いや体温、空気はまた違う。
まして、感触となると益々、、、。

コロナ禍は、そのあたりを分断させるわけだが、自然が成した禍だとは思えないぐらい、現在と未来の我々に課題、命題を投げかけている。
いくらコンピュータ技術や科学が発達しても、出来ることと出来ないことがある。
とは言いつつ、会ったこともない人同士の子供を誕生させることだって出来るのだから、科学技術は恐ろしい。

科学を盲信して、すごいスピードで突き進む人類に、警鐘を鳴らしていると感じた人は多いだろう。
何が一番大切か、思い知らせるための、神様からのお知らせメッセージか。
自然災害や未知ウイルスなどなど、、、どんなに人類が全知全能の神のごとく進化しようが、全て思い通りには出来ない弱さを思い知る。

今回のコロナ禍で、こういう時に耳にタコが出来るぐらい、あちこちで聞く、ダーウィンの言葉。
「生き残れるものは、強い者でも賢い者でもなく、変化に対応する者だ」
改革を訴える政治家やビジネス界で好んで使われているらしいが、本当の意味でのダーウィンの進化論とは矛盾していて的外れだとか。
科学以外にも社会的にも利用されたり諸説あるので、真意の程は、各自研究していただいて、と。

これからの時代は、「変化に対応」がキーワードのようだが、これは効率的、合理的の真逆らしい。
ということは、、、超、自分に有利に解釈すると、、、正に、何の役にも立たないスローなわたしの出番か!!!
じゃ〜〜ん!


なんて、言葉遊びはそれぐらいにして、活動的すぎるチビッコたちから解放された喜びを暫定的ではあるが、今、ひしひしと味わっている。
わたしにとって、取るに足らないどうでもよい建設的ではない無駄なことに(たくさん羅列した、、、)思いっきり時間を浪費できることは最高の贅沢であり、喜びである。

さて、材料を買ってきては作り、買い足しては作り、冷蔵庫を埋めては空になり、埋めては空になり、、、の繰り返し「おさんどん」料理当番から、とりあえず解放され、今から、お一人様カップ麺を食べよう。
この手抜きのチープな食べ物が大好きなわたし、、、変化には対応できるかも?
いや、栄養が偏って健康寿命を縮めるのかも知れない。

自粛警察

2020-05-24 | 日々のこと
一昨日に引き続き昨日はチビッコ孫達のパワーに呑まれ、精神的ボルテージが付いていけないで、クタクタになった。
コロナ渦中の自宅自粛チビッコの実況内容を詳しく書きたいが、まだ完全にわたしがチビッコ疲れから回復していないので、また機会があれば後日に。
チビッコパワーにはホントに元気をもらうこともあるが、発展途上の激情錯乱の渦に巻き込まれると普通に神経をやられてしまう。
外から見学したりするのは面白いが、一緒に生活するとヘトヘトになる。
若い日々、わたしもこんな子育てをよく頑張ったものだと思うが、忘れているだけだ。
今なら、とても出来そうにはない。
やはり若さと体力、エネルギー、勢いが要る。

で、今日はやっと、チビッコたちからしばし解放された。
しかしまだ身体も頭もチビッコ余韻がしっかり残り、元に戻らない。
まだしばらくこの生活パターンは、あと4〜5年近くは続きそうだ。

60代は孫育てに振り回されるおばあちゃんは少なくない。
実家で子育てサポートすると、少しでも若い親たちの負担が軽減できる。
労力もさることながら、精神的にも煮詰らず風通しが良くなると思う。
だが、わたしはあまり必死にはならないので、孫ウケは良くない。
何ごとも程々主義。
後方支援担当。

ブログには、疲れすぎたり気合いが入りすぎる内容は、すぐには書けない。
食べ頃まで食肉を少し寝かせておくように、時間を置いたほうが筆の滑りが良い。
かといって時間が経ちすぎると熱さを忘れる。
タイミング頃合いが難しいが、わたしの場合は、たんなるノリだけど。
気分屋素人の落書きなので。

それにしても、バタバタ子育てに巻き込まれ、疲れた。
と同時に姑が先週退院したばかりなのにまた再入院になった。
が、コロナ自粛緩和が少しずつ始まり、街は活気が戻り始めている。
もうすぐのところに出口がそこに見えている、、、が、気を抜かずに頑張らないと。

ちなみに、、、
日頃、よく行っていたSNS。
そこに自粛警察的メンバーAさんがいて、同会員Bさんと喧嘩になり、Aさんが脱会した。
じつは、わたしもAさんは鬱陶しかった。
しばらくそのSNSから遠ざかっていた遠因もAさん的自粛警察がうざかったからでもある。
気の強いBさんがAさんとやり合って、Aさんが責任を取る格好で辞めたのだが、、、。
Bさんは自分が辞めさせたみたいな後味の悪さを感じておられるようだった。
わたしも、ある別会員Cさんの発言があまりにもコロナを無視したようなものに感じて、一言、発した。
が、自粛警察ではないと思う。
Cさんは、ヘラヘラチャラチャラ人間なので、別に本気でわたしは取り組まない。

自分の(不要不急の)趣味活動よりも、混雑時のスーパーマーケットの方が数段三密で深刻だとCさんは主張していた。
世界的アスリートやプロ運動選手でも、自宅から動画配信したりして自粛を呼びかけている最中だったもので、一介の普通のど素人が堂々と趣味活動を主張するのは、わたしには非常識に感じた。

が、Aさんの自粛警察は、もっとお節介で人の活動に踏み込んだ押し付けがましいもので不快だった。
それに噛み付くBさんと喧嘩して、身を引く(負けた)流れとなった。
わたしは、こころの中で拍手した。
自粛警察も悪くないが、出しゃばり過ぎは嫌われる。
深刻な事態に及んでいるならともかく、そうでもないのにやたら強硬的だった。
こういう類の人が熱くなり過ぎて差別したり嫌がらせをしたりするのかも知れないと思った。
世の中には、良かれと思って声がどんどん大きくなる人がいる。
正義を振りかざして他人を糾弾する。
だが、自粛警察Aさんの動きは大きな流れにはならなかった。
なぜなんだろう?
思うところはあるが、書かないでおく。

掘り下げ追及は中途半端なまま放置の確信犯。
ナイーブな問題でもあるし。
なにしろチビッコ疲れで今日はあきません。
ヨレヨレクタクタの、つまらないブログになってしまった。
明日は書いて自分が嬉しくなるようなブログをまた書けることを自分に期待しよう。
て、自分ばっかり。
自分軸も度が過ぎると、駄作を恥ずかしげもなくアップするという副産物がもれなく付いてくる。
で、アップします。

※写真は次女作のストロベリーカスタードタルト




権力の味

2020-05-22 | 子育て
5歳の孫B。
彼は昨日、武器を携えてきた。
彼の武器は、歯ごたえのあるお菓子のグミ。

Bは、1歳7ヶ月離れた、小学2年生の兄Aがいる。
そして、3歳離れた妹Cがいる。
兄Aは、我々にとっては初孫、わたしの長女夫婦にとっては初めての子供だった。
大事に扱いすぎて、一人っ子のような長男A。
さらに、男、男と続き、待望の女の子である3番目の孫C。
このAとCに挟まれ、しかも次男。
兄妹間においての位置は想像の通り、厳しいものがある。

ちなみに、わたしの子供は年子で3人、Bと同じく上下に挟まれ真ん中に男の子がいた。
下に妹がいたのも同じ。
上が女の子(長女)であったところが大きく違うところだった。
すぐ上に姉、すぐ下に妹に挟まれていたが、舅姑たちが待ちに待った待望の男の子だった。
生まれた時から大歓迎ムード、何をしても、何をしなくても、目に入れても痛くないほど愛されていた。
誕生の瞬間から既に大きな愛を周りから注がれていた。
(愛は期待とセットになり、後に彼はそれが重圧となることが予想される)

と、Bは同じ第2子で男子という条件は変わりはないが、たった一人の男の子なのか、2番目の男の子なのかで随分違う。

しかもBの兄は、かなり性格が悪く、悪政を強いる。
自分勝手な振る舞いをするし、弟が従わないと強引な手段、方法、時には暴力で強行する。
いつもBは、訴えるような目で涙をポロポロ流し大泣きして、周りの大人に訴えてくる。
わたしはそれが可哀想に映るのではなく、不甲斐なく映ってしかたない。

不条理の解決を大人にしてもらうのではなく、自分で兄にぶつかっていけ!と思うのだが、ただただ泣くだけ。
5歳と7歳の兄弟。
やり返せ!兄に向かって行け!
と思うが、いつも泣くだけのBに切なくビービーメソメソ泣かれるとイライラする。
(わたしの真ん中子供は、そんなことはなかった。
上は姉だったし、リーダーシップを取ってきょうだいを引っ張って行っていた。
Aは、リーダーシップゼロの暴君。悪政に苦しむB。弱すぎる、、、)

Bが、もっと小さい時、娘婿(Bの父親)が、「Bは高校を卒業したらとっとと家を出て行くような気がします」と言っていた。
妙に納得した。
兄Aは、いつまでも実家に居そうだとも。

何しろ、悪ガキAを兄に持つBは、残念で弱い日常を送っているのだが、、、。


これは前書き。
Bについてのそれまでの説明であり、ここからが、本題である。

昨日、Bは、自分専用のお菓子のグミを持ってきた。
最近自分に与えられたものを取っておいたものだろう。
おそらく、兄Aはとっくに自分の分は食べてしまっていると思われる。
あるいは、兄Aが納得する条件のもとで与えられたものかと想像する。
特別な権利があるグミである。

オヤツは一つ、と親に厳しく言われているせいか、わたしが食後のデザートパフェを用意したのに、要らないという。
今日はグミを食べるから、パフェを食べたらグミ権利が剥奪されると危惧したのだろう。
食事時だけ横にいた長女(Bの母親)に、「パフェもグミも食べていいよ」と言われ、それならと安心してパフェを食べていた。

グミを持っているBは強い。
威張るわけでも、卑屈なわけでもなく、何かにつけ、グミを引き合いに出して交渉しようとする。
いつもより堂々とし、なにかしら威厳さえ感じる。
自分に有利になるためのカードとしてグミがBに力を貸してくれる。

「そんなことしたらグミあげないよ」→駆け引き、強要
「グミあげるから〇〇して」→依頼
「グミあげてもいいよ」→余裕、優越感
「グミあげようか?」→親切心
「さあグミ食べようか」→提案、主導権

グミはお金と同じ?
石器時代の石の貨幣の役割?
交渉を有利に進める切り札?
権利、権力を使える魔法の杖?

Bは決して権力乱用はしていなかった。
優しく大切に丁寧にグミを扱い使っていた。
自分も食べたいし。
ただ、一袋にグミは10粒以上入っているので、食べるタイミング、グミ権力の使い方、配分は、Bの采配にかかっている。

話は変わるが、小学生になると一定のお金を持たせて投資スキルを磨く勉強をさせる教育もある。
日本ではまだあまり浸透していないようだが。
お金は悪いもの、悪用につながると見なされているからだろうか。
実際のお金ではなくても、自分の等身大以上に味方してくれる力を使える、、、
ただし、この魅力にはまり過ぎると犯罪に走ったり、嫌な人間になったり、、、と良くないが、良い方に使う、使い方、効果を実感出来るといいなあと感じた。

不条理を恨めしい目で泣きながら訴えるより、自分の力を別の形で行使できることに目覚めると、次の発展につながるだろう。
弱い立場を知恵を使って克服し、さらに成功への階段を上る、、、
うまく繋げられたらいいが、、、。
またまた根性悪のA兄に悪どくやられないか心配であるが、A兄の存在は一生付いて回りそうだ。
悪ガキA兄は、周りの大人にコテンパンに非難されても落ち込むどころか、へっちゃらなところが、That’s why A is.である。

まだ成長過程のAB兄弟。
これに強烈な無敵の妹がいて、これまた一人天下。
さらにまた下が生まれると一騒動は間違いない。


だが、大人になってからまた位置関係、力関係が変わることもある。
わたしの兄は、姉のほうが歳下なのだが、いつの間にか、姉が実質的には上になっている。
たぶん、周りの皆もそう思っているだろう。
そして、わたしの息子は、きょうだい間では真ん中であるが、今は、年齢序列から外れ、別枠になってある。
育った環境には性格を形成するには大きく影響を受けるが、自立後の歩みで、またそれぞれのキャラクターが色付けられる。


Bのグミ、あと数粒残っているが、本日もその続きから始まる。
Bはグミがなくなっても、グミに変わるものを少しずつ見つけていくだろう。

蛇足。
ちなみに、Bは、
「ばあちゃん、グミあげる」と、貴重なグミの中から、青リンゴ味のグミをくれた。
これは、ボーナスが出た直後の太っ腹気分みたいなものか?
ありがたく、おこぼれを頂戴した。
緑色の小さな甘酸っぱいグミだった。







50歳から自由に生きる

2020-05-20 | 人生
昨日初めて知ったブログで考えさせられた。
その人は、社会的にも立派に男性として活躍し、子供ももうけ、これまでやってきた。
だが、あることがキッカケで自分と向き合うことになり、本来の自分らしさを出して自分を自由に解放して生きよう決意した。
それは、MtFで、これからは女性として生きること。
名前も変え、会社にも公にし、中学生の息子さんにも打ち明けた。
女性としてメンタルだけでなく、肉体も女性に近寄っていくらしいが、その治療は後戻りが出来ず、一旦女性化すると男性としてはほとんど機能しないとか。
退路を絶って、突き進んだその男性。
勤務先も外資系企業だったため柔軟な対応をしてくれたとのこと。
なにより、思春期の息子さんが、「パパはパパで男でも女でも何も変わらないよ」と、すんなり受け入れてくれたところが凄い。

50歳からの人生はそれまで生きてきたことが土台になっている。
男性としての役割もこなしてきて今日があり、まだ今後も働いていくにあたって、いきなり女性になって、やっていけるのか?と、悩んだという。
しかし、これからの人生まで棒に振ることはないから、これからは自由に生きる決意をされた。
小柄のかわいらしい女性っぽい人ならともかく、183センチもあるごっつい身体、、、。

ちなみに、女性の洋服を着たり、下着をつけたりして性的に興奮する性癖(大まかに言うといわゆる「変態」)とはまた、全く別のものだそうだ。

女装した男性は芸能人にもよく見るし、どういう経緯なのか、細部はどういう流れなのか、自叙伝でも読まないとよくわからないが、、、
そのプロセスはかっ飛ばして、いきなり、オトコ女?オンナ男?が目の前に現れるので、進化の過程がわからない。
なので縁もゆかりもないわたしは、理解できない別枠の変わりダネ人種としてとしか認識していなかった。
ただ、特徴としては、真性女性より女性らしい、とか、感性が豊かな人が多いように感じたり、、、わたし独自の捉え方をしていた。

男から女になる。しかも、仕事も子育てもまだ道途中で。
これは勇気がいるだろう。
全額なくても頭金だけのローンで家を建てたり車を買ったりするように、全額貯めてから買うのでは一生が終わってしまう。
しかもまだローン途中でも、住み替えたり、買い替えたりも出来る。
借り換えたりも出来る。
見切り発車で試行錯誤。
こうしなければならない、決められたことは変えてはいけないという先入観にガチガチに固められた人生などないと感じた。
途中で変更してもいいんだ、と、ちょっと目が覚めた思いがした。
だって自分の人生だもの。

ある芸能人に最近、子供が生まれた。
(誰だったか忘れた)
届出には性別のところは空欄にしているらしい。
大きくなって自分で決めたらいいから、という理由だった。
なかなか潔い。
夫婦別姓が反対だの賛成だのは、なんだかミミッチイ、セセコマシイことのように思えたりする。
性別でさえ自分で選択する時代に、夫の姓か、妻の姓か、選べないなんて、、、
(制度上、煩雑なのは仕方ないにしても)

バーチャルアイドル初音ミクと結婚して結婚生活を送っている男性だっているんだから、なんでもありだ。
(だが、入籍は無理だろう)
「わ〜、オタク」と切り捨てられない強さがある。

しかし、わたしは前近代的な人間なので、アタマは柔軟だが、実際は、手足のないダルマさん。
口で言うだけなら誰もが自由。
(かわいらしい、お目々パッチリのダルマさんならまあ良いが、ウエストあたりがダルマさんかも知れない、、、)

有能な男性が有能な妻と結婚し、お互いバリバリ能力を発揮して切磋琢磨し影響を受け合うのが理想のパートナーシップだという信条の夫がいるとすると、即、わたしは三下り半を突きつけられる。
でも大丈夫。
そんな人とはお互い結婚相手に選ばない。
縁組、マッチング段階でアウト!ミスマッチ!
なので、離婚には至らない。結婚しないから。

お互い、方向性が違う人と結婚したら悲劇である。
わたしは、ダルマさんでもいいと夫が思って結婚に至った。
が、じつは、これは夫の誤算だった。
ダルマさん、って、ジョークでしょう?  誇張表現でしょう?  自虐ギャグでしょう?
そう読んでいたようだ。

が、新婚旅行の帰り、空港に降り立った夫は言った。
「ほんまにこんなにアホやとは思わんかった、、、」と。

わははは。
もう遅い。
わたしはちゃんと言ったはずだ。(親も横でコソッと言っていた)
「この子、何にも出来ませんよ」と。
嘘は言っていない、騙していない。

だから、最初が肝心。
だが、これはお互い様だった。
一方的ではなかった。
敵もさる者だった。

だから夫婦は足並みが揃っているのが大事である。
足並みにも広義の意味がある。

て、ミュンヘンブログに登場していたような有能な弁護士さんに理想的妻がいたとしても、妻は若く亡くなることもあるし。
有能、無能が愛想尽かしのポイントではなく、愛情が無くなったのを無能のせいにしているのではないだろうか。
無能の奥様に申し上げたい。
無能を開き直ってはいけません。
無能は、キャラクターの一部。全てではない。
「無能」を上回る良い所があればそれで持つはずなんだけど、、、

話が逸れて、脱線しまくっている。

話を最初に戻す。
人生、頭ごなしに、こうしなければならないということはないという実例に触れた気持ち。
ただ、わたしの個人的な感想としては、、、
何ごとも全力でぶつかって、自分と対峙すると、道は拓けると思う。
何もしない、といっても、本当に言葉通り何もしなければ、何も動かない。
万事を尽くした後は、何もしないということ。
あとは運だけ。天命を待つ。
とりあえずは、頑張ってからだと思っている。


アタマの中で思うと叶う時代

2020-05-19 | わたし
性同一性障害の人のブログをgooユーザーサービス「アピールチャンス」で偶然読んだ。
本日は、たまたまMtFの男性だった。
時々ブログ村エッセイカテゴリーでお目にかかるのは、FtM?またはL?の女性。
ちょっとよくわからないが、パートナーはどちらか(男性か女性か)あたりは、複雑でややこしい。
今朝、読んだMtFの男性は、恋人や元配偶者は女性。
ブログ村エッセイのFtM?またはL?の女性は、お相手も女性。
人によって込み入っていて、いろいろ違うようだ。

時代は変わったものだ。
ひと昔前は、カミングアウトをしてもしなくても、世間には受け入れられなかった。
今は堂々と自分に忠実になって声を上げ、性的マイノリティとしての立場、居場所が認められるようになった。
一生悶々と隠して生きてきた人も大勢いるだろうし、今もいるだろう。
自分はそうではないからマイノリティは理解出来ないというのもわかるが、
彼ら側から見ると、理解されずに生き続けなければならないという時代は終わったように思う。
同好者たちが絶対的な鉄格子で隔離されなければならないことはない。

本人たちは公に、肩の力を抜いて普通のこととして声を上げることがあまりなかったため、一般の人々は理解する機会に触れることは稀だった。
昔からからそういう人々がいることは知っていたが、あえて理解する必要を感じず、理解できないものとして大きな括りで別枠にしていたのではないだろうか。
正に、生き辛い時代。

理解したからといって、自分も同じ道に入るかどうかは、まるっきり別問題だ。

わたしは肉体的エネルギー減少に伴いホルモンも減少する年齢なので、一歩引いて物事を考えるようになった。
ギンギンギラギラとは真逆。
だが、パサパサでもない。(と自分では思っている)

30年以上前に、カルチャーセンターのエッセイ教室に通ったことがある。
その時の製本された作品集に、60歳を超えた男女の恋愛モノがあった。
最初のあたりちょっとだけパラパラと行間を流し読みしたまま、読んでいない。
でも、何度かの本の断捨離危機をすり抜け、いつか読むだろうと、しまい込まずにいつでも読める所に置いている。
結局、自分がその年齢になってもまだ読んでいない。
目に見えない透明のバリアが張っているようなかんじ。
神聖とかではもちろんなく、なんだかなぁ〜、である。
なら、捨てたら良いのだが、、、。
どこか繋がってそうで、なぜか捨てられないでいる。


同じく30年以上前の知り合いが書いた小説があるのだが、ハードカバーで装丁も豪華。
これは、一気に読んだが、感受性豊かな彼女の若い日々のパッション発露だった。
彼女はわたしより文化世代が一世代上。
団塊の世代?
時代を感じた。
彼女は弁護士の夫亡き後、カナダに渡り、自宅兼B&Bでお客さんをもてなしていた。
女性ではあるが男性的な豪快な手料理もさることながら、多くの絵画を描いたり木工クラフトを創った。
力仕事もバリバリこなすバイタリティの塊。
こんな人がよくまあわたしの自宅近くに住んでいたものだと、当時、驚いた記憶がある。
カナダから作品を携えて帰国した時に、彼女のお宅で、ある会の皆さんと集まりお会いした。
その時、彼女から絵画を買い求めたが、オマケとして、野菜用皮剥き器をもらい、今も現役で使って重宝している。
わたしには、絵画より、実用品のほうがしっかり使いこなし、役に立つようだ。

と、話が逸れついでに、、、
もう一人、豪華なハードカバーの自作の本をくれた人がいる。
これは出版社が出し、流通している本。
この本は彼女には申し訳ないが1ページも読んでいない。
現役の作家なので、なぜか、またいつか読もう、、、と、お取り置き状態が何年も続いている。
メディアで彼女の活躍を見るたびに、頑張ってるなあと応援しているが、まだあの本は読んでいない。
彼女は元同級生なのでわたしと同じ時代背景。
しかも地域が同じ、環境も似ている。
だが、やる気と、能力、努力の人である彼女は、ぬるいわたしとは真逆だった。
いただいた本のテーマは、かなり重く厚い歴史の積み重ねを扱ったものだったので、その時にはわたしにはズシリとして支えきれなかった。
いつか読もう、、、と楽しみにしているのだが、いつか、なんて彼女に失礼である。

(話はどんどん逸れついでに、テーマをLGBTから大きく変えてしまおう)

失礼ばかりを重ねているわたし。
今、振り返ると共通点を見出す。
自分では出来ないことをしている人に憧れ応援しているわたし。
しかも対岸から。
決して同じ場所からではない。
自分は出来ない、たぶん努力や困難、試練を乗り越えなければならないようなことはしたくないのだろう。
テレビや映画の向こうで繰り広げられていることを感情移入して、自分がやっているかのような想像、シュミレーションをして、自分のことのように歓喜したりしているのと同じ。
自分は何もしないで、結果だけ享受した気になっている。

それが嫌なら何かしたら?
いえ、何もしません。
それがわたしです。

世の中によくいる多くの何もしない人の一人か。
そういうと、「わたしは、何もしてないことはありません!」とムキになって怒る人もいるだろう。
すみません。傷つけたらごめんなさい。
では、例外的少数派ということにしよう。

まあ、なにしろ、自分は努力しないで、人がした努力の果報を横取りはしないものの、自分もお相伴にあずかろうとする、、、この精神はいかがなるものか?
映画などの空想の世界ならいざ知らず、実社会や実生活にもそのスタンスが根付いているとすると嫌だなあ、、、と我ながら思う。
ミュンヘンブログに登場していた、ドイツの有能弁護士さんのパラサイト妻みたいなかんじ?
何もしないで権利だけを声高に叫ぶ。
だが、在宅ワークやリモートワークのように、実際に身体は動かさずに、1ミリもその場を動かなくても、仕事をしていることはある。
労働は身体や口や目や耳を動かすことばかりではない。
実際、初めて行く海外に、家から一歩も出ずに全て予約、手配、振込など準備を整えたことは、多くの人が経験済みだろう。

現実と空想は、ごちゃごちゃにはならず、はっきりとした線で繋がっていることがある。


いきなり話は変わるが、
コロナ時のみ在宅ワークになっている次女が帰省して、実家(我が家)に滞在している。
さっきお風呂に入ったと思ったらもう出てきた。
「えらく早いね〜」とびっくりしてわたしが言うと、
「もう1時間経ってるで〜」と。

浦島太郎のわたしは、延々とスマホでブログを書き、お土産の玉手箱を開けると、煙が出ておじいさんに。
1時間が1分に感じられる熱中できる趣味、ブログを持って幸せだなあと悦に入っている。

自分は何もしなくても、アタマのバーチャル世界であれこれするのは、近未来の図だと思っていたが、
近未来ではなく、現実である。
わたしは、早々と実生活で先取りしているのかも知れない。
そう思うと、ああわたしは動かず何もしない、、、というマイナス思考に陥る必要はないようだ。

これから先も、どんどん自分がしたいこと、楽しいことを思い浮かべて自分を喜ばせよう。
と、なんでわたしはいつもこんなに楽天的なんだろう、、、