わたしは書きながら考えるためにブログをツールとしても使っている。
ホワイトボードみたいなものか。
会議なんかの時に使う、あれ。
筋道を考えたり、図に描いて関係や流れを見て、まだ描かれていない部分の行方を想像したりしている。
なので、お読みなる方には全く得るものがない、貴重な時間泥棒になる。
そこのところをまずは最初に書いて、と。
あとの時間は、自己責任でお願いします。
独り言が滑り出す。
いくら立体空間をシェアするリアル友達が出来ても、話す内容は限られている。
好きなことを好きなだけ話すと、わたしは嫌われると思う。
なぜなら、わたしは悪い人なので。
行いはそう悪くないが、こころが悪い。
基本的には善人であるが、黒い部分も持っている。
「わたしは生まれてから一度たりとも嘘をついたことがありません」などと言おうものなら、政治家なら一日として務まらない。
いや、適正合格か。
舌の根が乾かないうちに、反対のことを平気で、しれっと言ってのける図太さ、厚顔無恥なタフさが必要だ。
かといって、誰でも政治家になれるわけではない。
弁が立たなければ、どうしようもない。
が、ぺらぺら話し続けるお喋りが良いわけではない。
会社の社長もCEOも、嘘をついたことが一度もない、清廉潔白な人がなっているようには思えない。
第一、生まれて一度も嘘をついたことがない、なんて傲慢な無知から来るデタラメだ。
一度ぐらいはウソをついているはずだが、自覚がない、認識がない、気づいていない、忘れているだけだろう。
まあそんなことは、どうでもいい、時間潰し的な不毛な話題でありまして、、、
色んな部分がある中で、各人、どの部分と接しているか。
悪の部分同士がくっつくこともあるだろうし、良い面でつながっている場合も当然ある。
悪い面を、あえて必要もないのに、そんな局面でもないのに、わざわざ自分から意図的に自主的に出す必要性はない、と考える。
良い時は群がるが、(人気やお金、人脈など)目当てのものがなくなった時に人が離れていくことがある。
客観的にマイナスの不幸なドン底状況は、真の友人を見極める、ふるいにかける作用がある。
逆に、自分がピンチの時に、人に頼らず自分単体で意外な良い面が現れる「火事場の馬鹿力」。
と、自分の悪の存在へ自己弁護。
皆さんもあるでしょう?あるはず?無いとは言わせない、、、などと、へんに罪悪感を煽るようなことはしない。
あくまでも自分による、自分のための解釈、講釈。
さて。
人は良い面と悪い面がある。
99%悪くても1%が良く、1%のその良さが99%の悪さに打ち勝つなら、良し悪しは人それぞれの尺度に任せるしかない。
逆に99%良くても、たった1%の嫌な面がどうしても受け入れられないなら、これまた仕方ない。
さじ加減やバランスは、個人の嗜好や思考、解釈、捉え方による。
素晴らしいハイスペックの全てが完璧の人なのに、生理的に好きになれないと結婚には至らない。
政略結婚ならいざ知らず。
たった一つの1%は、引き金に過ぎないと思う。
その他の嫌な面が知らず知らずに積み重なって、最初は1%と思っていても、実は1%どころか、かなり高い数値になっていて、良い面を上回ってくる。
最後は、あんな些細なことが気に入らないなんて不可解、となるが、それ以前に水面化でどんどん嫌いな部分が増えていっている。
悪い面=嫌い
良い面=好き
だが、嫌いになり始めると、どんどん悪い面が目につく。
好きな時は、良い面ばかりを好意的に捉えて、悪い面は全然気にならない。
しかし、やがて慣れてきて慢心し初心を忘れると、良い面は減少し、悪い面は増え、逆転する交差地点がある。
最後は、箸の持ち方が嫌いだ、プッチン!となったりする。
「アバタもエクボ」が、どこがエクボだ、アバタはアバタ!と、冷静に客観的になり、更にマイナスの主観が加わり、アバタが最高に大嫌い、になる。
取るに足らない、理由にならない理由が背中を押す。
そうやって、溜めに溜めていた不満が一気に溢れ出す。
どうしても、受け入れられない行動を我慢して受け入れていて、更に、また別の気に入らないことが追加され、そして、のっぴきならぬ行動が加わると、、、許容容量から溢れ出す。
何が、決断する決定打になるか。
複合的だったりする。
基本的柱となるものは一つで、あとは、枝葉。
枝葉で色々傷つくことはあっても、それらを積み重ね、そして、肝心の幹の部分がダメだと判断したら、もう後腐れはない。
自分から見切りを付ける。
しかし、時間がかかる。
決心してから行動に移るまで。
嫌だと感じて我慢ならないなら、その度に少しずつ改善していけばよかったが、やっと気持ちの整理がついた。
本当に長く苦しい、暗いトンネルだった。
(わたしの場合は、決断や行動が遅く、単にぐずぐずしているだけかも知れない)
人々の悩みは人間関係のことが多い。
大切な人を亡くすことや、中にはペットロスなんていうのもある。
自身の病気や経済的なことなどもあるだろう。
人はそれぞれ、苦悩から逃れるために、解決に向けて動く。
間違った方向に動く場合もある。
一人で袋小路に迷い出口が見つからないなら、もう一度、悩みを整理してみる。
自分の気持ちを確認する作業が第一ステップ。
アタマの中が、こんがらがっているなら、信頼できる人に相談すると良い。
(わたしの場合は、自問自答パターン。
わたしに取って都合良い答えばかり出すのが良いやら悪いやら)
解決出来ない時は、時機が来るまで待つ。
痛みや傷が癒えるまで、じっと待つ。
音楽を聴いたり、絵画を観たり、屋外の自然に触れたり。
ジタバタするとエネルギーを消耗するので、出来るだけ動かない。
冬眠中の熊になる。
やがて春になる。
それと。
歳取ると、マイナス感情は取り入れない、溜めない。
そのためには、自分が嫌なことはしない、嫌な人には接しない。
ある70歳を過ぎた方が、ご自分のスタンスをそう語っておられた。
わたしは先取りしている感がある。