ブログ村ランキング。
注目記事ランキングほど、選考基準が曖昧なものはない。
前々から、もう何年も前からわたしはそう思っている。
根拠がない。
まあいいんじゃないですかー、、、で、放置している。
なのでムキにならない。
しかも、、、必死で丁寧に、緻密に細かく掘り下げ深く書き込み、写真も力を入れたお気に入りのものにした記事も、手抜き3分で単なる鼻歌みたいなものも、同じようなランキング。
自分比ならまだしも、他人比の場合は、さらに解せない。
素晴らしい記事がランクインされるのは、大変納得し、楽しみに、念入りに、丁寧に読んでいる。
その一方で、どう考えてもこれはあかんやろー、みたいな記事も似たようなポジションでランキングされている。
ランキングに感性を入れるとすると、いったい、誰がどのように?
わたしは、AIが選んだものに、生身の人間がほんの少しだけ自分の意見を加えているのかなあと、希望的憶測をしている。
人間の手が加えられていない可能性も大である。
血が通った人間の裁量が加えられているとしても、その人間は誰?
継続的に同じ人?
外部委託?
そう考えると、答えは、ユーザーからはお金を取らず無料で運営している、ブログ村に聞くしかない。
けれど、返答がもしあったとしても、その答えそのものをわたしは、信じない。
つまり、あまり正確な明確な根拠はないということ。
ではあるが、飛び抜けておかしなものもランクインされていない。
ブログ村の信用を揺るがすのは避けたいところだろうし。
兎にも角にも、わたしは、皆さんのブログを読むのに、毎日ランキングを楽しく利用させていただいている。
今更ながらだが、、、そう思うと、
話はそれるが、記事タイトルって重要だ。
話はころりと変わる。
別に記事を立ててもよいが、1日多くても1記事アップと、マイルール。
多数になると、冷蔵庫や冷凍庫に保存するように、書き溜めると良いだろう。
でも、わたしは書いた時のその気分を自分で大切にするため、ほとんど書き溜めストックはしない。
何の影響も効果もないと思われる、わたしのこだわりである。
と、こんなことが書きたかったわけではない。
今朝のお気に入りブログ新記事を読み、あ、わたしの小学校の時と同じだ!と、驚いた。
わたしの小学校も、テスト点数結果
順に、教室内で列を作り並ばされた。
席に固定とまではいかない。
教科ごと、テスト毎に並ばされた。
クラスは2組あり、上と下に分かれていたようにも思う。
塾と同じ方針か。
塾に行っている精鋭最先端の子に合わせて授業やテストが行われていたから、塾にも行っていない、もともと勉強が不得意の子供にとっては地獄だろう。
まだ、小学校高学年。
義務教育、真っ只中。
当時、嫌な思いをした子たちは、一切、同窓会には顔を見せない。
わたしは、前回までは同窓会は皆勤賞。
言っておくが、わたしは列最後に並んだビリ。
わりと丈夫な、逞しい精神を持っていたのだろう。
図太い。
無神経ともいう。
ガラスのように壊れやすい繊細なこころを持っていない。
というか、鈍い?
わたし、こんなこと、されてる〜、並ばさてる〜、あり得る? 最後や〜、ビリや〜、と、深刻すぎて、悲惨すぎて、笑えた。
が、まあ、そんなこんなの微妙なお年頃を過ごしてきた。
義務教育スパルタクラスは生徒人数は少ないにもかかわらず、全国でもトップクラスの難関中学校に何人も合格したから、塾よりスゴい成果なのでは?
そんな賢い子たちと日常を共にしているが(今も)、わたしは賢い子は好きである。
自分はともかく、さておき、超人的に優れている人は、突き抜けていて気持ちいい。
必死で机にしがみついているガリ勉タイプは余裕もないし、伸び代も少ない。
第一、下を見て崖っぷちで怯えるならいざ知らず、下にいる人をバカにするような気質は気に入らない。
それとはまた別枠の、全然、勉強脳ではない脳は、勉強脳と比較は出来ない。
ある意味、不戦勝。どっちが勝つとか、なし。(ほんとは、あるんだけど)
小学校当時、わたしの母親は、個人面談で担任の先生に、わたしをもっと勉強させろ、家庭でもバックアップしてほしい、とハッパをかけられたようだが、母は、瞬間的に降りていた。
白黒はっきり、つけすぎの母。
嫌なんだろう、そんなめんどくさいこと。
個人面談にはもう行きたくない、なんて、母は小学生みたいなことを言っていた。
わたしは勉学コンプレックスはあるが、さほど傷ついていないのは、わたしは、大人を信じていなかったから。
担任の先生も親も信じていなかった。
わたしのことなど、わかっていない、と感じていた。
理解者がいないにもかかわらず、辛い出口のない毎日なら、ひねくれて非行の道に走っても良いのだが、非行の道は全く魅力がなかった。
なぜなら、不良に素敵だと思える人は全然いないで、嫌だと思える人が多かった。
というより、わたしの肌に合わない、生理的に合わなかった。
なので非行の道にも進めず、地獄のスパルタ教育学校に、ビシバシ竹刀で叩かれ打たれ(比喩表現です)居続けたら、なぜか、小学校卒業式には、隣のクラスの(後にT大進学)秀才と共に答辞をよむハメになった。
それというのも、小学校生活、最後の最後に、最少得票数で学級副委員長に選ばれてしまったからだ。
クラスの皆んな、これで最後、この小学校ともオサラバだからって、わたしに投票するなんて、茶目っ気ありすぎる。
そして、やがて中学生になっていた。
が、その中学校は更なる秀才が集まっていた。