台風が来るという。
軒下にぶらさげている玉ねぎを家の中に移動した。
ついでに、大量のビニール袋や紙袋を一気にキレイなビニール袋に詰め替え、家の中に緊急避難させた。
いつも、ばたばた掃除、整頓の度に、屋外に出して、その場しのぎをしていた厄介モノだ。
紙袋は来る古紙回収の日に、ビニール袋はプラスチックゴミの日に、出す予定だが、
なんだか、家の中が、えらいことになっている。
ちょっとしたゴミ屋敷のようだ。
ところてん式の、このゴミの始末方法。
家の中の、ゴミに近い不用品→溜まる→屋外に出す→溜まる→一気に大量ゴミとして出す
もっと、こまめに対処すると、いいのだけれど、
面倒くさがりのわたしは、台風でも来ない限り、切羽詰らないので、やる気が起こらない。
いつも、後ろから攻め立てられて、やっとこさ、火の粉がかかってきそうになると、重い腰を上げ、動き出す。
でも、どういう延滞プロセスであろうと、事後は、すっきり。
とても気持ちいい。
ついでに、物干し竿や、小さい洗濯物干し台、ステンレス布団干し台、木製折りたたみ椅子、などなどを
抜いたり、折りたたんだり、横に倒したりして、地面に直に置きなおした。
これで、風が強くなっても、大丈夫。
あとは、宅配牛乳瓶箱2つと、ゴミペール2つを家の中に入れると、ほぼ、完了。
風が、どんどん強くなってくると、やる気が起こるが、
もっともっと強風びゅんびゅんの中、雨びしゃびしゃになって、敢行するのは、げんなり。
その一歩手前が、望ましい、行動どころ。
といっても、今まで、こうやって備えても、台風は、ちっとも大きくならず、とっとと通り過ぎてゆく。
まあ、それでもいい。
台風が去った後は、どっちにせよ、爽やかな気分になるものだ。
人生においても、重大事や揉め事、悩み事が過ぎ去ったあとは、こころが晴れるように。
今日は、台風につき、夫は、ゴルフも中止の様子。
嵩(かさ)高い人物が追加され、家の中の酸素は、減少しているが、
窓を開けているので、少し閉塞感は免れている。
が、雨足がきつくなると、窓を閉めなければならない。
背後でテレビが、がんがん、アタマが痛くなってきそうだ。
彼は、ゴルフがない時ぐらいは、家でのんびり休養をするのも、いいことだ。
いつも、体力フル回転で、仕事も遊びも頑張りすぎ。
もう、そう若くはないのだから、
ぼーーっと身体と神経を休めることも、よいのではないかと考える、優しい妻、の、わたし。
(じつは、長女に、先日、そう助言された・・・)
台風は、家族がそれぞれ、外出もできず、案外、家の中に集まって、悪くないかも知れない。
そう感じたことは、今まで、一度もないといってもいいほど、なかったのだが。
どうしてなんだか、なんのキッカケもないのだが、年をとったからか、心境の変化だろうか。
優しい目で見守り、昼ごはんを作った。
主役は、頂いたばかりの採れたて新米。
今日は、あの、食事中の、夫の犬ぺちゃの音を聞いても、いつもほど、わたしの神経がピリつかなかった。
(でも、どういう考えであろうが、犬音は脳を通さず直接、受け感じとってしまう)
まあ、それはよしとしよう。
わたしの犬音に対する敏感体質が、特異なのであって、他の正常な人なら、なんの問題もないのかも知れないから。
妻が、わたしでなければ、夫は、ここまで、犬音を非難されることはなかったのだから。
夫は、気の毒な被害者かも知れない。
まあ、それはそれとして・・・
頑張って作った、大根、人参、レンコンの煮物を一口も口にしなかったことで、わたしは気分を害した。
これは、妻が夫に言ってはいけない禁句「あんた、なんで、給料、こんなに安いの?!」
に匹敵するぐらいの、暴挙だと思っている。
ま、そんなこと、どーでも、いいですけどね。
無理やり食卓に出された食べ物を食べなければいけないのも、残酷なことのひとつかも知れないし。
作った人の気持ちを考えること以上に、食べたくなかったんだろう。
というか、なんにも考えてないのだろう。
なので、わたしも、そのお返しを、日々の中で、お返し復讐することをなんの胸の痛みも感じずにできる、というものだ。
貸し、ひとつ追加。
向かい合う、人のこころは、鏡なり。
良いことも悪いことも、自分のしたことは、自分に返ってくるということだ。
自分の戒めにもなりそうだ。
で、・・・つけっぱなしのテレビタイムは、延々と続き・・・
テレビの報道番組で、前に殺人容疑事件を起こした女性の取材が行われていた。
ホステスをしていたそうだが、接客、素行は最悪だったそうだ。
(容姿は、皆さん、ご存知だろう)
でも、その女性に寄ってくる男性もいたようだが、その中には、家庭も仕事も捨てて、同居に至った男性もいた。
高齢でも病気でもないのに、まったく働きもしない無職のこんな男性、
寄ってきて欲しくないと思うが、類は友を呼ぶのだろう。
家庭を捨てるのは、わからないでもないが、現状では介護や育児の必要もない状態の女性のために、
わざわざ仕事を捨てる、の、意味がわからない。
犯罪が起きる背景は、普通の意識、感覚、常識が機能しない世界のようで、コメントのしようがない。
安藤忠雄氏の特集もあった。
とても興味深く、見た。
設計事務所(オフィス)を紹介されていたが、
あんなに大量の書籍を吹き抜け状態で、何階にもわたって棚に陳列していたら、
地震の時に、凶器となって、頭上から降ってくるのではないかと、危惧する。
建築家だから、そこのところは、考えているのだろうけれど。
(本が降ってこない場所を、地震の避難場所として設定してあるとか? 素人のチャチな憶測だが)
梅田の丸ビルに植物を這わせ大木のごとく、大阪の緑化シンボルとしたい、という構想を立てているそうだ。
中之島沿いのウオーターフロント ビル群にも川沿い側にグリーンを這わせ、
ウオーター・プラス・グリーンの大阪の名所に仕立てたいとの案には、とても大賛成。
ひとつ、あの特集で、ヒントを得た。
うちの、塀にも、ツタを這わせたいと、本気で思った。
我が家の斜め前のお宅の塀が、全面、植物に覆われていて、いいかんじなのだが、
自分の家にも、と思ったことはなかった。
でも、塀の吹きつけが黒くなってきているので、吹き替えをしようかどうか思案中だった。
・・・・・・
わたしの好きな家、インテリア&アウテリアのコンセプトは、
月日を重ね、使えば使うほどに、味わいが深くなり、しっとり馴染む、
どこかで見た懐かしい、古いのか新しいのかよくわからない、洋館やヨーロッパ建造物、落ち着いた日本家屋、
真鍮のランプ、アンティーク、アール・ヌーボー、アール・デコ、古伊万里、漆塗り工芸品、・・・
古いものと新しいもの、西洋と東洋の融合・・・
・・・・・
関係ない方向に、ずるずる・・・
延々、だらだら、文が終わらない。
このへんで、終わりにします。