蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

マイケル・ジャクソン THIS IS IT

2009-10-31 | 映画
今月28日から、世界同時、2週間限定上映、
死の数日前まで行われていたコンサート・リハーサルを収録したドキュメンタリー。

マイケル、細い。
あの機敏な動き、体で50歳!!??
幼いころからの天賦の才能に加え、音楽、エンターテイメントにかける情熱、努力、
まさに比類なき唯一無二のアーティスト。

私が文字に並べると、なんだか、かっこ悪く、古くさく、安っぽくなるなぁ・・・
ま、しかたない。
洗練されていないのが、私の特徴だ。

人生の幕引きと同時に、人々に発信し続けたマイケル・ワールドの更新も、ストップ。
音楽界には、はかり知れない損失だが、彼の残したものは不滅だ。
環境破壊に対するメッセージが、心に残る。

父親との確執やレコード会社とのモメゴトなど、いろいろ大変な面もあるようだが。
スキャンダラスな私生活も、数々報道され、
最近では、かつての超大物のなれの果て、というイメージが私には付きまとっていた。
しかし、このドキュメント映像で、ロンドン公演を目前に控えるマイケルの、
舞台裏の多くの汗を垣間見た。
協力、バックアップするショービジネスのスタッフたちの熱い姿もあった。
映像技術も、音響技術も、CGを駆使し、日進月歩で進歩している。
生の演奏、ダンス・パフォーマンス、舞台との相乗効果も、絶大だ。
舞台と客席、演じる側と見る側の一体感を生み出す。


惜しい。
あのステージを披露する前に、亡くなるなんて・・・。
世界中のファンの嘆きが聞こえてくるようだ。

彼は、もうこの世にいないけれど、
本場で、観たい。。。。と、本気で思った。
まだ、足腰が動く間に、ぜひ、本場で、本格的エンターテイメントを観てみたい。

それにしても、ダンサーたち、素晴らしい。
世界中から集まった大勢のダンサーの中から、オーディションでメインダンサー選り抜かれる。
躍動美・・・肉体美・・・
音楽との一体感。
ズゥン、チャチャ、ドズンッ、チャチャッ、・・・
内臓に響くベースギターや、ドラムの音。
(またまた、アカぬけない文字を並べてしまう・・・)
映画館のシートの上で、ヒップがリズムに合わせて飛び跳ねそうになる。
そして、ダンスでの要は、くるっとターンする時の「キレのよさ」だ・・・と感じた。

絶対に、本場に観に行きたい!!
また、楽しみが増えた。

反省の日々

2009-10-30 | 趣味
レントゲンを撮ったら、やはり骨折していた。
医師の宣告は、全治1か月半。

弱弱しく変わり果てた、見慣れない姿の我が足指。
看護師さんに
「いい色してますねぇ」とホメられる?
ベージュのベースに、赤紫&黒紫のグラデーション&ストライプ模様が美し(くない!)
可愛らしいサイズの金属製の添え木をちょこんと貼り付けられる。

どんな靴を履いても、骨折部分が痛い。
なので、足重視・実質本位、ファッション無視の、限りなく不格好な靴をチョイスする。
靴以外は、そうおかしくないが、靴だけがおかしい、そういう格好で出かける。
昔の私ならありえないけれど、そんなことは言ってられない。
出先で「えらく、カワイイ靴履いてるね~」と、言われた。
仕方ないやんか~
今日もその靴で行く。
これから1か月半、この靴だ。
(というか、旅行、どの靴に??? というか、長時間、歩けるのか??)

スポーツ・デーにしている木曜日は、その時間を、友人とのおしゃべりに当てた。
読書をする気にもなれず、その代り、久しぶりの友人との会話。
本来なら体を動かしている時間を、すべて、口を動かしていた。
お茶の飲み過ぎからか、胃が痛くなった。
体を動かさず、その分、食べて飲んで、
身体にとっては運動のチャンスを奪われ、とてもよくない。
適度な運動は、必要だと実感した。
当初フィットネス・クラブに通いを始めた頃は、憂鬱で運動は嫌々、渋々だったが、
3年でどうにか、日常に取り入れるカラダづくりができたようだ。
運動しないとスッキリしないような身体に、変化したことを自覚でき、よかったかも知れないが。

さて、今日も、かっこ悪い靴で、ひょこひょこ足を引きずって、
ダンス・グループレッスンの一時キャンセル申込をしてこよう。

身から出たサビとはこのことだ。
しっかり反省して、元に戻れる日を指折り数えて、過ごすしかない。


無念の旅 郡上八幡 ③

2009-10-28 | 
岐阜城は、金華山ロープウエイを上り、さらに、足で登って行く。
参加者にはご年配の方もおられ、進むスピードの違いから、2グループに分かれた。
私は、はぐれてはいけない、と、あまり熱心には城内の展示物や景色等に見惚れず、
あっさりチェック、さささと、付いて行った。
急こう配で足場も悪い山道、参加者のお一人は、ハイヒール・パンプスにストッキング、
もうお一人は、ハイヒールの細身ロングブーツ。
お二人とも、奥行きの狭い、急な階段状の石段を、器用にカニ歩きをされていた。
私は、クッションのいいスニーカーで、スイスイ。
その時ばかりは、この靴にして、ヨカッタと大満足だったのだが・・・。

 

朝の出発時の失敗があったものだから、もう、2度と再び迷惑をかけてはいけないと
決死の覚悟で、郡上八幡の旧街散策あとの集合に、足を早めた。
ところが、パーキングには待機しているはずのバスがない。
あれれ?あれ?あれ? どこ?どこ?どこ?
ぐるぐるぐる・・・パーキングの周りを右回り、左回り、右往左往。
さっき、同行のTさんをちらりと見かけたはずなのに、どこにも姿がない。
ぐるぐるぐる・・・何度も回っても同じ。
もう集合時間までに2分ほどしかない・・・!! うそぉ・・そんな・・・

必死で探していたら、突然、足元がぐにゃっとした。
そこに負荷がかかり、すごく嫌な感触が伝わる。
同時に足首が意に反して予期しない方向に曲り、体がガクっと傾いた。
トートバッグが、肩からずり落ち、体ごと地面によろりと崩れ落ちた。
次の瞬間、左足に激痛が走る。
いったい、何が起こったの???
この感覚・・・2年前にもこんなことがあったけれど、
ま、さ、か、・・・まさか、また同じことじゃないよね??
デジャブ?
蘇る体験が、脳裏をかすめた。

なにがどうなったか、わからないけれど、立ち上がり、
足下の歩道と車道の境目にある、斜めになった段差をちらと見た。
ひょっとして、これ?
悪い予感はとりあえず、しまっておいて、全力でバス集合場所に向かった。
バスは、もうひとつ向こうのバス・パーキングに停まっていた。
やれやれ・・・よかった・・・
その時は、安堵と喜びで、足のことは、吹っ飛んでいた。

が、帰路、サービスエリアに降りて歩いたら、痛くて、ひょこんひょこんと、片足重心歩行に。
痛い方の足をアンバランスに引きずる歩き方になった。
時間が経つにつれ、足の症状を冷静に見るにつけ、それに伴って徐々に頭が反応してきた。
悪いのは、中途半端な段差? それとも靴?(あの山道悪路も持ちこたえたのに)
あるいは、私の足? 焦るあまりの不注意?
追い込まれると、機能停止、危機管理能力ゼロの弱さが露呈された。
理由はともかく、現実問題として、
左足小指が、ちょっとでも動かしたり触れたりすると、尋常ではない激痛に襲われる。
どうやら骨折したようだ。

即、頭をよぎったのは、ダンス。
この足が治るまで、ダンスはできないということ。
フィットネスやスイミングもできないけれど、それは、まあ、いいとしよう。
ダンスTeacherアポロンにさっそく、個人レッスン、キャンセルの電話を入れる。

「怪我は長引きますから、十分、療養してください。
  僕のことはいいですから。」
その声を虚しい気持ちで聞いた。
不可抗力などと言い訳はしたくない。
大好きなダンスを続けたいなら、自己管理を、自己責任で行うべきだ。

それもさることながら、立て続き、国内外旅行が1週間後に控えている。
こんな足で、大丈夫なのか???
この旅行、最初の滑り出しから悪い予兆があり、暗雲が立ち込めていたようだが、
今、私は、こころの中は、まっ黒な闇になっている。





無念の旅 郡上八幡 ②

2009-10-27 | 
長良川温泉、宿泊は清流・長良川に面する、創業150年の老舗旅館。
露天風呂は、ほの暗い明かりに、お湯も濁り湯なので、足元も見えず、
恐る恐る、ぬるぬる滑るなか、足で探りながら入る。
大きな段差も、あちこちにある。
足元がおぼつかないお年寄りなら、かなり危険だ。
ここで滑ったりしたら、目もあてられない。
これは、まあ、クリア。露天風呂を堪能する。
ほっ。まったり。ほっこり。
夕食をあんなに食べたのに、二次会もたっぷり、食べる、飲む。
すごい食欲だ。
私は本当に緊張しているのか???
酔っ払うほど飲んでいなかったが、
皆さん、翌朝ゴルフを控えているため、早めにお開きとなった。



翌朝は、男湯と女湯が入れ替わっているので、昨夜とは違うお風呂で、朝湯を楽しんだ。
夫たちのゴルフ組は、早朝出発だが、
観光組は、旅館出発までには、時間はまだまだある。
一人でゆっくり朝食を食べ、、のんびり部屋でくつろいでいた。
そろそろ準備にとりかかろうかと、歯磨きをしはじめたばかりのところに・・・
トントントン・・・
「皆さん、もう、9時に玄関前で待っておられます。降りてきてください」
と、添乗員さん。
え??
時計を見ると、9時を過ぎている。
スケジュール表には、9時40分となってたけれど・・・???
荷物という荷物、すべて、部屋のあちこちに、ひっ散らかしたまんま、
セフティ・ボックスにも貴重品は入れたままである。
これ、どうやって、開けるんやった??? 

コ、コンタクトレンズが取れない!!
コンタクトレンズ・ケースは、どこ?
着ていく服はどこ? コートはどこ? クローゼットには何が入っている?
そんなことで迷っている暇はなく、大急ぎで、バババババ!!!!と仕度。
大切に使っているミニバッグも、形を整える余裕もなく、グチャーっと押しつぶす。
服もコートも靴も、ぐちゃぐちゃに押し込める。
そういうときに限って、バッグのファスナーが締まりにくかったり、イライラ。
ギューギュー詰めて、慌てて閉めると、ファスナーに指を噛まれた。

ふーふーいいながら、バッグを左右に振りながらフロントに降りて行くと、誰もいない。
皆さんは、すでに外に出て、全員集合。
人待ち顔の、顔、顔、顔。
「すみませぇ~ん」
私の弱々しいマヌケ声に、皆さんの、し~~ん、とした反応が痛い。

あとで、同行の知り合い、Yさんに、
「9時集合なんて言ってました? スケジュール表は、9時40分でしたけど」
と小声で訊ねてみると
「あら、おっしゃってましたよ。はっきり2回、説明されてましたけど」
と、きっぱり、クールなお返事に、私は、しゅーーん。
そんな説明、いつあった?
全く記憶にない・・・なぜなんだろう???
(つづく)

無念の旅 郡上八幡 ①

2009-10-26 | 
夫の仕事がらみの団体旅行に参加した。
日頃、お付き合いしてない皆様との、不義理を解消する意味もあり、
仕事の延長といった、緊張感を併せ持つ旅だ。

先発の夫とは別行動、後発の私だったが、
まず最初に、バスでつまずいた。
これがことの始まり。元凶だったかも知れない。
土曜日は休日運行時間。
そのバス時間を間違え、バスは、とっとと行った後。
頼みのタクシーも、いつもは常駐なのに不在。
この辺りでは、駅方面へは滅多にタクシーは流しでは拾えない。
駅に向かって歩きつつ、不安がいっぱい。
背後から来る車1台1台に、もしかしてタクシーでは?といちいち見たが、違った。
こういう時に、連絡一本で飛んできてくれる車が、あればなあ・・・
土壇場バタバタ、冷や汗ダラダラ。

どうにか駅に向かう途中で、運よくタクシーに拾っていただき大感謝。
運転手さまさまに、後光が射して見えた。いや、ほんとうに。
しかし、これから、まだまだへマをやらかす危険はいっぱい。
次からは、行動開始をさらに半時間前倒しにしないと、命が縮まる、
と、安堵の後にも、自分に引き締めを。
タクシーに乗れず、電車に1本遅れたら、集合時間に大幅に遅れることになっていた。
いやはや、夫に恥をかかせ、関係者一同の皆さんにご迷惑をかけなくて本当に良かった。

と思ったのは、実は序ノ口、プロローグだった。
危機を乗り切った快い疲労感に身を委ねつつも、
あれが、なにかのシグナルだったとは、予想もしなかった。
(つづき)

偽善のニオイ

2009-10-24 | わたし
私の感覚は、おかしい。
自分でも、かなりひねくれていると自覚する。

世の中の陽の当たらないジメジメしたところで、
長く棲息していたわけでもないのに、なぜなんだろう。

職業的な影響もあるかも知れない。
真正面からだけモノゴトを捉えていては仕事にならない。
ヒネリを利かして、ナンボの世界。
それはあくまでも、自己弁護だが。

清濁併せ持って、世の中は動いている。
美しいものだけを、上澄みだけをチョイスしようなんてアマい。
ダーティな面も受け止めて、そして、きりりと美しく生きることを選ぶ、
そういう逞しさがほしい。
それを、臭いものに蓋をしたまんま、目をそらして、
キレイなものだけに接しようというのは、偽善のニオイがする。
自分と向き合うときも、そう。
誰にでも欠点はあり、それが当たり前。
いくら嫌でも、そういう嫌な面が自分にあることを自覚すべきだ。

そういった考えがベースにあるからか、単に悪ふざけが過ぎるだけなのか、
ついつい、過激な言葉を発してしまう。
家族は慣れっこになっていて、辛辣ブラックユーモアが行き交う。
娘に、偽善の話をしたら、こんな彼女の反応があった。

「私の大学受験の当日の朝、お母さんは、こう言ったんよ。
『今日のお弁当、ツルツルすべるおソバ弁当にしようか?
お箸で摘まもうとしても、ツルツルして落っこちるんやけどね』って。
もし、私が、ナイーブな性格だったらどうするんやろう、と思ったわ。
私は、『じゃ、ソバで』って答えたけど」

え?
そんなヒドイことを私が言った?
無神経にも程がある。
いくら言葉アソビといっても、シャレにならない。
それ、ブラックユーモアを通り越して、単なる鬼の母やんか!!!
自分の言ったことを覚えてないところが、また根が深い。
難なく受かるだろうと思っていたんだろう、おそらく。
たまたま結果オーライだったからよかったものの、大後悔、猛反省した。
でも、子供たちは、全員、この激辛ブラックの言葉アソビが普通の感覚として
身についてしまっているようだ。
母として、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
自分の世界のユガミが、子供たちにも伝染してしまったとすると
一日も早く、世間向けに修正してもらわないと、周りの人々に確実に嫌われる。
まあ、自分の負の世界をそのまま毒づくような、
そんなバカなことはしないだろうと信じているけれど。
私が、外では人に向かって辛辣な言葉を発しないのと同じように、
彼らにも自制装置が備わっていると思う。
根は、素直で優しく善良のはず・・・たぶん。

心の叫び、膿、毒、そういったものを全く持たない、持ったこともなく、
これから持つこともない人というのは、競争社会に接したことがないのだろうか?
負けたことも、悔しい思いをしたことも、世の中の不条理に接したこともないのか?
周りの人々の手厚い保護によって、知る機会を失ったのか。
それとも、知っているけれど知らんぷり?

疑問、怒り、追求・・・既成のものを見つめ直す、
こういったものがないと、前に進めない。
ぬるま湯につかったまんま、保身ばかりしていると、進化、発展はないと思う。
私は、やはり、ひねくれモノだろうか。



愛しのワンちゃん

2009-10-23 | 人々の風景
とあるフィットネスクラブの化粧室で、とあるお二人のご年配女性。

「昨日、ワンちゃんを美容院に連れて行ってねー。カット代金5800円やったわ。
マルチーズなんやけんどね。」
「あら、うちもそう。可愛いよね~。ちょっと前も連れて行ってなかった?」
「はやく毛が伸びるんよ。1か月に一回ぐらいは、お風呂も入れてもらってるんよ。
だんだん、臭くなってくるからね~」
「うちも、そうよ。臭くなると、抱っこしようとしても、嫌われるからね」

へー、そうなんや・・・。
ワンちゃんには、お金をかけるんだ。
愛情と手間暇をかけるんだ。
(日本は平和だ、と感じてしまう、ペット愛好家ではない私。
何の縁もゆかりもない他人だからといって、どうしてもっと優しい視線を注げないのか。
やぶにらみ人間学。が、まあ、それはそれとして)
子育てや、老人介護する相手はいないから、ワンちゃんをお世話。
もう、誰のお世話もする必要がなくなった、というフリーな状況、というわけか。
羨ましい・・・
(もちろん、どんな厳しい状況の方でも、ペット愛好家はおられるでしょうけれど)
もうじきお世話されそうなご年配のお二人の会話だっただけに、
なんだか深いところで、感じるものがあった。

お二人の会話が、私のアタマの中では、
「ワンちゃん」が、「おばあさん」という言葉に入れ替わっていた。

いずれ、近い将来、自分自身がお世話される日が来る。
そんな日のことは、知って知らん顔か、まさか、想像もできないのか、
想像したくもないのか、それは存じないが・・・。
(あれが、フィットネスクラブではなく、
老人ホームの日だまりの中なら、また別の展開かも知れないが)

私は、ある年齢に達したら、ある日、ころりと逝きたい。
誰もがそう願っているだろうけれど、そんな幸せな人は、ほとんどいない。
ワンちゃんと自分とを重ねる、シュールなおばあさんもいないだろうけれど、
私の脳内劇場では、そういうシーンが広がった。

自分の行く道は、愛されるワンちゃんか、
はたまた・・・???
けしからんことをあれこれ連想していると、バチがあたり
飼い主に捨てられ、道端で保護され保険所行きの、哀れな身となるかも知れない・・・



デノミ人生

2009-10-21 | わたし
私の育った家庭は、日常生活はやたら質素なのに、
生活関連以外は、どんぶり勘定の、インフレ金銭感覚だった。
通常では考えられないような、ゼロが余計に並んでいることもあった。

実家を出て、金銭感覚は、ゼロがひとつ少なくなった。
義父は堅実派。
消費物品や、無駄なものへの財布のヒモは、かなり固い。
義母は、「10万円のキャッシュを財布に入れて、心斎橋を歩くのが夢」と常々言っていた。
義母曰く、義父は番頭級だそうだ。
微々たるおつりをきっちり受け取るのは、セコイ、らしい。
チップやご祝儀は、財布が空になっても振舞うタイプの義母とは、対立していた。
私としては、義父寄り。
あればあるだけ使う、ジャブジャブ感覚は性分に合わない。
100万円感覚は、10万円へと移行した。

さらに、仕事をし始めて、またゼロがひとつ減った。
10万円感覚から1万円へ。
年下の後輩から、「その服、素敵やね。4000円ぐらいした?」と、ため口で聞かれる。
10倍だとは、言えず、「もうちょっと上」とだけ答える。
そのうち、3万円以上の服は、滅多に買わなくなった。

実家の母からペルシャ絨毯をもらった。
姉と色違い。
値段を聞いて、ひっくり返った。
100分の1のキャッシュのほうが、有難かった・・・。
その絨毯は、今、くるくる丸めて寝室の隅っこで丸まっている。。
やっぱり、キャッシュのほうが、よかった・・・・かも。
でも、自分で買わない、いや、買えないし、もらって、よかったかも。
姉は、普通に日常使いで使用している。

今では、かつての感覚は、ほとんど残っていない。
あれは、なんだったのか?
泡沫の夢?

最近、土日祝祭日特価品目当てに、ユニクロへ、よく行く。
ひょっとして、今後、ユニクロ以外で、服は買わないのだろうか?
考えるだけで、恐ろしい。
これからの人生は、どうなるのだろう。
さらに、デフレが進行していくのか。

何にお金をかけて、何を節約するのか。
何に時間をかけて、何を省略するのか。
考え方は、時の移ろいや状況に伴って、変化もある。
日本の栄枯衰退とも関わっているかも知れない。
金銭的負担をさほどかけずに、生活の質の向上、維持を目指したいものだ。
できれば、肉体的負担も、精神的負担も、削減を願う。
すっきり、贅肉のない、エコ人生になれば、嬉しいな。

自分にとって、大事なものは何か・・・よーく考えてみようと思う。

睡眠不足・・・

2009-10-20 | 趣味
昨日のブログ閲覧数に、振り回されつつ、
動揺気味に、本日もブログに取りかかっている。

昨日のダンスTeacherアポロン。
気が抜けるほど、優しい。

あまりに私が怯えているので

なんで、そんな元気のない顔をする?
 葬式でもあったんか?

いいえ・・・
 今日は、どんなヘマをやって怒られるのかと思うと、ヒヤヒヤして・・・。
 (こんなこと言ったら、また怒られるかも・・・と、びくびく・・・)

大丈夫やで。
 もう怒らへん。
 最初の基礎が大事。
 あれは、はずせないことなんで、ガミガミ言ったんや。
・・・???(→ピンと来てない)

さて、だらだらやっても仕方ないから、目標を持ってやろうか。
 3つの選択肢がある。
 ①デモ ②アマチュア競技会 ③ダンス検定試験を受ける
 どれにする?
・・・???(→ピンと来てない)
 呆然・・・
 (・・・しばらくして)・・・そんなこと、出来るんですか???
 うーーーん・・・(消去法からいくと)検定試験でしょうか。

とりあえず、練習を進めながら目標を絞ることになった。

しかしながら、昨夜は、足腰が痛くて、夜中に何度も目覚めた。
肩も首も、腕も、凝って、凝って、凝って。

せっかく優しくなったアポロンなのに、
そんな大きな目標、課題に、またもやアポロンの熱いスパルタを想像し
もうはや、自信を無くしている、へタレの私だ。


家族の住まい方、あれこれ。

2009-10-18 | 
各家庭、いろいろある。
私が育った家庭も、人並みに喧嘩の一つや二つ、三つや四つ、五つ・・・(キリがない)は、ある。
実家は3世代同居家族だったが、同居から混在居、通い居、さらに、別居、
そして、ミックス居、引き取り居、そして、またミックス居になっている。(ややこしい・・・)
家庭内戦は、母VS父から、父亡きあとは、母VS兄(激戦) & 母VS兄嫁(冷戦)の戦へと移行した。
私は結婚により、戦場から勇退し、対岸の火事のごとく実家と無責任にお付き合いしている。
今、彼らは、「変形同居」といったところか。

一つ屋根の下に、老若男女が棲むことの難しさ。
同居家族は尊敬する。本当に頭が下がる。
姪の嫁ぎ先に以前、お邪魔したら、4世代同居の大家族だった。
しかもご主人の未婚の弟さん(当時、大学生)まで同居。
話には聞いていたものの、その暮らしの微妙な調和ぶりには驚かされた。
嫁ぎ先のお家は、長く慣れ親しんだ古い家を潔く建て直し、完璧にプライバシーを守るプランに。
外階段もないのに、3世帯が全く顔を会わさなくてよい間取りには、びっくり。
そのアイデアに感心した。
キッチン、お風呂、トイレが各世帯ごとに、3つずつ設置されていた。

仲良く、それぞれの生活はキチンと守る、基本は信頼、愛情、思いやり。
私に欠けるものばかりだ。
私の婚家も、先々代(祖父母)と先代は既に、別棟で別所帯。
ある時期、別居 プラス 通い居。そして、また別棟へ。

私の子供たちは、母親たちの暮らしぶりを見て、どういう風に育ったのか。
いまは、まだ皆、独身だが、結婚した後の家庭生活、暮らし方が心配だ。
私のせいで、変な価値観が育まれていたとしても、彼らはもう大人なのだから、
自分で責任を取ってもらうしかない。

適度な距離を保ちながら生活するのが、私の理想なのだが、
副作用、逆風も受け入れる覚悟が必要のようだ。



まだ見ぬ(永遠に見ないかも知れない)子供たちのお嫁さんや、お婿さん、孫たち・・・
私の家に来たら、あまりのゆるゆる生活に、びっくりするだろう。
私は当然別居、よれよれになったら老人ケア施設に入るつもりだが、どうなりますことやら。
本音としては、ぎりぎりまで自宅で居座り、
自立できなくなったら、通いの介護ケアを受けたいのだけれど、さて現実は?
おっと、それより、現実問題、順番としては、老親、あ、どうする、どうする???
お体、大切に、いついつまでも・・・と、祈るばかりだ。