蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

負の激情に振り回されブレる現場

2018-06-30 | 子育て
夜に響き渡る幼児の泣き叫び声。
ぎゃーーーっっ

昨夜、泊まりに来た3人の孫、そのうちの真ん中の孫。
つい、さっきまで機嫌が良かったのに、ごく普通だったのに。
意味不明、原因不明。
泣き叫び、床に寝転がって、顔は真っ赤、涙目ぼろぼろ、痩身の力を込めて、泣きわめく。
突然の、激変。豹変。

「お風呂、入らない〜。足だけ洗う〜。」
(口にしている内容はそのこと自体に意味がない。
本人が訴えたいことではなく、他のフレーズでも変わりない。
あることがキッカケになり、何かしら叫んでいるだけ)


家のあちこちに移動し、大声を出してバダバタ暴れる。

アタマ、おかしい?
気がフレタ?
ご近所にも声は鳴り響く。
これで家族が虐待を疑われたら、たまらない。
今朝になって想像するには、眠かったのでは?と。
認知症の出方と同じで、正常と異常がマダラに混在するので、慣れないと驚き、神経に突き刺さる。

親はすごい。
平気で対応している。慣れたもの。
いちいち巻き込まれて関わらず、治るのを待つ。
子供の癇癪に、その都度その都度、付き合っていたら、いくつ体があっても足りない。

私も子育て真っ最中の時に、子供の発する激情によく触れ、どうして泣き叫ぶのか、どんな状況なのか、理解できず、神経がブレた。
結局、眠かったのか、という、つじつま合わせに、あとでわかり収まった。
だが、その場ではわからない。
一緒になって、負の激情に、振り回される。

世の中の、事件を起こしていない親は、立派だ。
つくづく思う。
実は事件スレスレのところまで水面下では来ていることもあるだろう。

子育ては、ほんとうに大変だ。


せせこましい価値観の自分

2018-06-25 | 趣味
昨日、場末のダンス・パーティに参加して、感銘を受けた話を別SNSの自分の日記に書いた。
感激して、帰りの電車内で一気に書き上げた。(大袈裟)
オンボロの汚い、古い建物が会場。聞いたこともない会館名。
行ったこともない、見たこともない地名。

(昨日、帰路で詳細を書いたので、重複するため、以下、省略)

高齢の女性たちの、容姿、体型や技量、能力をものともせず、一生懸命デモする姿に小さな価値観に囚われていたわたしは、元気をもらった。
決して見下したり、馬鹿にしたりしていない。
目の奥がジーンとする。

主催者のプロ先生も独立してまだ2年余りなので、経済的に苦しいようだ。
いずれ立派なホテルでパーティをされるだろう。
(ただし、会費はその分、ぐんとアップ)

趣味や生きがいに取り組む人々は誰しも、平等に楽しむ権利があると感じた。
それは昨日で、今日はまた違う考えが湧き出てきた。
「自分だけが楽しむ」の次は「人を楽しませる」。
さらにその次は、「魅せる」。
と、徐々に段階が上がってくる。

小さなことや、根幹となることに目を向け、気づきをもらう。
自分は人々を魅了するなど無理であるが、心構え、基礎のスピリッツを学んだ。
自分が信じる道を行けば、いずれ行き先に導かれるように思う。

なんか、あっさりした記事になってしまった。
どうも熱がイマイチこもっていない。
何度も何度も繰り返す自問自答がない。
答を既に自分で出してしまっている。
やっぱり先に別の所で吐露してしまうと、パンチがなく、気の抜けた炭酸みたいになる。


感情移入できるか?万引き家族

2018-06-23 | 映画
「万引き家族」を観た。
映画は国際的な賞を取ったりして、是枝監督は賞賛された。
とても面白く、こころに残った。

ある人、Aさん(見知らぬ女性)の、「万引き家族」の感想を読んで、妙に共鳴した。
その感想は、感情移入できない、というものだった。
是枝監督は、ちゃんとした家庭に育っているから、変で妙な家庭を描くにあたって、作り物感が漂っている、とのこと。
なるほど、、、確かにそう言われたら、、、
感情移入できなかったAさんの話では、Aさんの家族観が是枝監督の投げかけたものと、微妙にズレを感じ、彼女自身は家族の外に自分を見出していた背景があった。

わたしは役者さんたちの演技に魅入った。
特に安藤サクラ。自然な演技。
自然に見せるには相当な演技力があるのだろう。
さすが、サラブレッド。血は争えない。

何度も頬に涙が流れ伝った。
台本はなくアドリブなのではないかと思うシーンも何箇所かあった。
それと男の子のイケメン子役。
が、実際のところ、ストーリーの深い部分は、実は大して感動していないと思う。
問いかけられ、揺さぶられたのであって、自分の答えは明確ではない。

わたしの独特なキャラは、生い立ちや環境が大きく影響しているのではないだろうか。
幸せな家庭で育ってきているが、孤独感は誰にでもある。
小学校高学年ぐらいから、家の外に自分らしさや安らぎを求めていた。
家の中では、別の自分がいた。

その理由はなんだろう?
家では自分を出せなかった。
高圧的な両親の前では萎縮し、おとなしくしていた。
外に行くと、のびのびして楽しんでいた。
どこの誰にでもあることだろう。

なので、「家族の絆」と安っぽく使われても別に不快感はない。
絆を感じる程の悲劇や不運には見舞われなかったのは、幸運である。
ただ、ほんの少しだけ、普通の人には経験できないことを経験している。
それはおそらく一生、口を噤み続けることをだろう。
それをエネルギーの根幹、源にし、負の情熱を燃やし続ける宿命を背負っている作家なんぞではないので、いたって快適な、楽々ど素人である。


嫌われる親でも仕方ない

2018-06-22 | 日々のこと
地下鉄内で、シャカシャカ入力は内容が薄いようだ。
しかし、脂汗を垂らして、うんうん力んでも、イマイチの時はイマイチ。
するっと力を抜いた、なんでもない一瞬に真実が宿ることもある。

Aさんと地震の時の話をした。
電車が駅のスレスレ到着寸前で止まり、乗客は線路に降りたそうだ。
Aさん、JRだったため、全線ストップ。
お茶飲んだり、ウロウロした後、近くで通勤途中で足止めされていた娘さんと落ち合い、ランチ。
その後が圧巻。なんと娘さんと父娘で神社にお参りに行ったそうだ。
近くにいた人に、父娘ツーショットを撮ってもらったとか。
なんと仲良し、羨ましい、微笑ましい父娘だろう。
父親を生理的にも生活習慣的にも嫌う娘さんが多い中で(うちも最たるもの)、稀有な父娘関係だと感じる。
しかし父親Aさんには悩みがあり、娘さんがお父さんが好き過ぎて結婚しないそうだ。
典型的ファザコンか。
それもなあ、と、Aさんは嬉しい反面、少し反省しているとのこと。
贅沢過ぎる悩みに、でも、少し心配な、親離れ、子離れが出来ていないのかも知れないと思ったり。

そう考えると、親や実家が嫌いで意見が合わず、独立していくのは、ある意味、頼もしくもある。
嫌いで結構、コケコッコー。

親は嫌われて、ナンボ。
どんなに愛情をかけても、甘過ぎるのは問題がある。
そこそこ、シラけた親子関係で、まあいいか、と、自分を慰め納得させる。


無情だ

2018-06-20 | 日々のこと
なかなか眠れない。
寝るのも体力がいるそうだ。
若いとよく眠れるらしい。
で、今、電車内。
なかなか眠れない。
仕方ないので、ブログ更新を。

今日はすごい雨。
土砂降り。
バスは朝、娘たちが乗る時間には遅れたらしい。
にもかかわらず、私が乗るはずのバスは、待って〜と懸命に走る私を尻目に置き去り、無情にも行ってしまった。
強い雨の中、駅まで20分。
途中に、バケツをひっくり返したような雨に見舞われたらどうしよう。
雨宿りする場所もなく20分、歩き通せるか。
不安と闘いながら、靴はビショビショ。
バスを呪う。
ありえない、ありえない、ありえない、と、一人でブツブツ唱える。

幼児にビニール雨具カバーを被せて、前抱っこのお母さんとすれ違った。
大変だなあ、、、

靴紐が雨でギューギュー締め付けられ、足がボンレスハム状態に。

・・・
もうすぐ地下鉄、下車駅。淀屋橋。
駅から目的地まで雨の度合いがマシならいいけれど。
地震に大雨に、自然は侮れない。
降りる駅、ぴったりにブログ更新、終了した。

アタマに浮かぶ、たんなる、おしゃべり数珠つなぎ

2018-06-18 | 日々のこと
地震、怖かった。
怖がりなもんで。
いろんな想像光景が頭をよぎる。
日本に住む限り、地震とは切り離せないことを自覚する。

話に全く脈絡はないが、
私は野外活動が苦手だ。
大自然の中で、キャンプだとか、テントだとか、そういうのはどうも好きでない。
蚊などの虫に刺される、暑い寒い、風だ雨だ太陽だ、自然の力に振り回される。
トイレは?
わたしはトイレ事情が整ってないと、苦手を通り越して、不快を上回り、苦痛である。
衛生面、至便性、快適性を求める。

寝る場も、快適であるに越したことはない。
広々としたセミダブルベッドに、大きなクッション、コイルの効いたバネのあるベッドマット、少し硬めが好き。
その割には自宅では、夏も冬も、せんべい布団一枚で平気。
掛け布団は、嫁入り道具に入っていた羽布団。
ペアのもう一枚の羽毛布団を去年の年末、夫の実家で発見した。
なんだか愛おしく感じた。
存在を知らなかった双子の姉妹が見つかったような。

今、使っている羽毛布団は、わたしの実家からお古をもらってきたもの。
何枚ももらったので、一生、事足りそうだ。
どうもわたしは、中古品が好きなようだ。
服も娘のお古。
現役、真っ只中で活躍している、お気に入りの木製(に見えるが、木ではないかも?)ペンダントは、娘の小学生の時のワンピースにセットで付いていたもの。
(同じ頃の娘のコーデュロイの黒ベストも大のお気に入り)
ここまで来ると、たんなる変わり者の範疇だろう。

姉などは、ゴールド、シルバー、プラチナ、ダイヤ、パール、色石などを組み合わせた豪華なアクセサリーをオリジナルで作って、装いに華を添えて楽しんでいる。
わたしは、娘の小学生時代のお古で、ご機嫌。時計も娘のお古の、クラフト感のあるオモチャ・テイスト。
パリの教会バザーで買った紺色のユーズド・コートも、今もバリバリ現役お気に入り。
同じ教会で買った、孫用の真っ赤な中古パンツも愛用してくれている。
同じく金色コーティングの軽い大皿も6枚買った。
1枚欲しいと言ったのに、販売係のおじいさんが1枚の値段で6枚つけてくれた。
(レジのカードリーダーが壊れていて、現金で払ったため、その時の手持ち金をほとんど使った。
と言っても持ち歩く現金は30〜90€と決めていた)

自分が気に入った、わたし独自のセンスを表現している。
(せんべい布団は、センスとかの問題ではなく、単にめんどくさいだけだが)

キンキラ光るものより、しっくりしたものが落ち着く。
が、少しでもまともな服を身につけると、褒められることがある。
よほど日頃、脱力系の出で立ちをしているのだろう。

服だけでなく、全てが脱力系。
持っている力の10%ぐらいしか出さない。
姉が娘に「妹スローは、ボケてるのかボケてないのか、わからない」と先月、皆で会った時に、言ったらしい。(わたしは旅行中)
失礼ではないか!!わたしは、非常に気を悪くしている。
しかし、これは日頃、わたしがブログで何度も書いていることと同じフレーズだ。
姉はわたしのブログを読んで、知らず知らず影響を受けているのかも知れない。
まあ、自分で思っていることと、人が思っていることが同じなら、怒るのも変だ。
が、自分で(自虐風に)言うのと、人に言われるのとでは違う。
しかし、嫌なら、自分を変えたらよい。
でも、もう変えられない。
老化はどんどん進行している。
アンチエイジングは、しない主義なので。

皆んなだって結構、老化している。(特にアタマ)
自分では気がつかないようだ。
それもまた幸せなことである。

たまたま横に座った人

2018-06-15 | 
旅行の中身は、さておいて。
書きたいことを気分次第で書く。

おひとり様で参加されていた女性Aさん(推定70代前半)。
ご主人はAさんが50代の頃に他界。
お子さんは男女ひとりずつで、孫7人。

仕事は引退。
現役時代はしっかり仕事をされていたよう。
未亡人になられてから月日は経ち、お気楽な独り住まいかと思いきや、、、
朝は5時に起き、キッチンガーデンの野菜たちの世話。
7時ぐらいから手作り朝食。
食べる順番があり、繊維質の野菜から始まり、あれやこれやの健康的な食事。

おせち料理も全て手作り。
小学2年の孫(女子)が、遠方の居住地から自分の両親より先に1人で来た時のエピソードを話してくれた。
おせち料理を一緒に作り、レシピを教えて欲しいと孫に頼まれ教えてあげると、大感激されたとか。
この女の子は、Aさんの娘さんの4人いる子供の末っ子。

Aさんの娘さんの現在の子育て。
夫は単身赴任、自分も仕事をしながら4人の子育てをされた。
上の子供に下の子供の世話を順々にさせるシステム採用。
じつに上手なテキパキ子育て。

聞けばAさんも4人姉妹の長女(さらに長兄がいる)。
子供の頃は、順々に上が下の姉妹の世話をしたそうだ。
子供たちの散髪は全てAさんがしたらしい。
器用なレザーカットの手さばきをジェスチャーで目の前で見せてくれた。
生活の知恵の受け継ぎ、申し送り、バトンタッチ。
すごいなあ、と感心する。

さてさて、これ、すべて、頷き、驚き、尊敬の眼差し、だが、聞く一方。
私からの話は、恥ずかし過ぎて、お話にならなくて、全然言えない。

子供さんやお孫さんが素晴らしいのはAさんが素晴らしいから。
Aさんが素晴らしいのは、Aさんを育ててくれたご両親が素晴らしいから。
順番に、順繰り、順繰り。

仮にわたしが、Aさんのお孫さんを羨ましく思っても、それはAさん一族の習わしの結果である。
目に見える先っちょだけ真似して取り入れようとしても無理がある。
羨ましくもあり、わたしには無理!と、早々にサジを投げ、さっそく努力を放棄した。

今日からでも、ほんの一部でも取り入れようと思えば取り入れられると思うのに、絶賛だけして、負けて不戦勝。

わたしは努力嫌いなので、とても太刀打ちできないし、しようとも思わない。
DNAも環境も違う。あっさり、負けは負け。
まあ、いろんな角度からモノゴトは見えるので、いろいろありますね、みたいな、さらりとした自分への落とし所となる。

旅でたまたま御一緒しただけで、一期一会。
わたしが自分から話さないのでAさんが気をまわして、差し障りがない話題で、しかもAさん自身も楽しい会話。
シーンと白けたり、根掘り葉堀り、わたしのことを聞かれたりするよりは、ずっといい。
わたしも和やかに話せるし、Aさんは、人との交流がお得意な方なのだろう。
そういう関わりも悪くない。

このAさん、別のおひとり様参加の女性Bさん(80歳手前)から、家庭事情を細部にわたり、ベラベラ話されていた。
Bさんの舅、姑、子供、孫の話。
とりわけ、学校の成績、学歴の話を延々とされていた。
よくもまあこれだけ、自慢にも聞こえる話を一方的にするなあ、と。
しかも半世紀にわたる、学歴ストーリー。
Aさんは、気持ちよく相槌を打ちながら延々と聞いておられた。
色んな人がいるんだなあ、とわたしは感心する。

で、この学歴自慢Bさんは、わたしにはトーンが低くくなり、一言も家族の話題はなかった。
しかも、彼女は文庫本を読み始め、話したくないシャッター、ガシャン。
色んな相性があるようだ。

写真は、鳩山さんの実家敷地内、建物に辿り着くまでの、長い長い車道アプローチに咲いていた紫陽花。


ミニ鬱を乗り越え、大東京へ

2018-06-14 | 
ちょっとした旅に出た。
場所は昔、住んでいた所、大東京。
おのぼりさんは、楽しいな、だった。
日本人であることを、外国人の目線になって味わってきた。

にーはう!と声をかけられないか、ヒヤヒヤ。
さすが、それはなかった。

が、いつものごとく、出る前はミニ鬱。
自分で自発的に行った旅でも、やはりミニ鬱。
これは、そうとう、わたしが出不精で、準備が大嫌いだということだ。
たった二泊三日でさえ、憂鬱になっていては先が思いやられる。

しかし、ネタをたっぷり仕入れた。
これから先、ひとり時間をニヤニヤできる。
しかも、今後、益々老いても、家族が全員居なくなっても、おひとり様旅行という趣味が残っている、と感じて、少し未来に目線を上げ、喜んだ。

さてさて、何から、どれから書こうか、だが、行って、その場で燃焼、写真を見て二回目の燃焼し、もう何も残るものはなく、全部燃えているかも知れない。
なによりも、疲れも残らなかったのが、最大の喜びかも知れない。
次回へ持ち越すエネルギーはキープされ、燃え尽きてはいないようなので、とりあえず、脳トレ効果はあったようだ。

写真は、皇居内から

なんだ、意味ないのか、、、と哲学者の気持ちになる

2018-06-08 | ブログ
悪い予感が的中した。
蝶ブログの記事更新したら、閲覧数が下がってしまった。
しょうもない事は、書くべきでない、という教えを学んだ。

今のわたしは、おんな芸人と同じ。
プライベートが幸せで、作文が全くキレもツッコミも何にもなく、面白くない。
自虐ネタで生きるおんな芸人が、結婚して明るい家庭を築いて、立派な子育てをしていたら、なかなか辛辣なギャグは飛ばせない。
ぬるい湯の中で、ぼ〜っと温まっている状態。
あきません。
しかし、自分の不幸をネタのために願うというのも本末転倒である。
閲覧数は下がり続けるだろうが、個人の幸せに換えられるものはない。
幸せ、幸せと言いながら、たんに、頭のネジが緩んでいるだけなのだが。

で、「幸せ」を調べてみた。
いろんな解釈があり、有名な哲学者や作家などの、さまざまな説がある。
読み解くには、理解力とヒマが必要。
だが、今日は急ぐし、もうじき電車は下車駅なので、説明やまとめは、ほったらかして、逃げてしまおう。
このようにして、緩んだネジは益々緩んでいく。

ネタにならない楽しい話

2018-06-07 | ブログ
ブログ更新しても、しなくても、閲覧数はあまり変わらない。
逆に新記事をアップした時のほうが、閲覧数はダウンしていたりする。
閲覧数って、ひょっとするとAIの息抜きかイタズラで、わたしのブログだけ、設定をワザとむちゃくちゃ、えーかげんにして、AIを休憩させているのでは?
それともメンテナンス期間中?

というか、ブログ閲覧数でさえAIの仕業ではないかと疑っている、もはやボケ領域に入っている疑い深さ。
なのではあるが、記事を書かないのに、そこそこ閲覧数があると、嬉しくて手抜きしてしまい、気が緩むわたし。
(ブログ村ランキングのほうは、見るも無残だが)

と、ここまでは、ブログ更新しなかった理由を延々無意味に書いてみた。
今日は、へんに空回り風の一人悪ノリ。
読み返して見ると、気持ち悪い。


ここのところ、書くことがない。
以前のわたしなら、書くことがないことをネタにして書いていた。
たんなるブログ更新中毒の頃もあった。

今は趣味関係の思いが収まらなく、連日のように、趣味SNSに書いている。
一人の同じ人物が書き続けると、だいたい同じような似た内容になってくる。
熱く持論を展開しても、最後の結論あたりで、あれ?これ、一回書いたような、、、というかんじになる、
一回ならまだしも、二回も三回も。

ここ、蝶ブログなら、11年にも渡るため、何回も書いても、その時の背景や心情によって書き方が違う。
ほんの数ヶ月で同じことを繰り返し繰り返し書いている、あちらSNSでは、わたしはぼけてると思われているかも知れない。
趣味のことだと皆さんも熱いので、書き手も読み手もクレージーに近いからまあよいのかも。
趣味は、一旦ハマると、独特の世界。
別の趣味の人も同じように言っていたから、皆さん、似たり寄ったり。
熱中するものがあるということは、いかに幸せか。

夫源病について書きたかったが、延期する。
人が熱中、フィーバーしている話より、頭に来たり、困ったり怒ったり悲しい話のほうが面白いのはわかっているが、ついつい熱を入れている楽しいほうに気持ちが傾く。
実に幸福な時間である。