蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お金があっても世の中、冷たい

2024-12-29 | 老い
「資産1億円でも入居の壁」

こういうWEB日経新聞の見出しの記事を長女がLINEで送信してきた。
だが、最初の数行しか読めない仕様になっている。
しばらくWEB日経新聞は読んでいなかったので、IDやらパスワードやらを入力して記事の続きを読んだ。

独居高齢者は、身元保証人なり、引受人なり、関係者がいないと、どんなにお金を積んでも(うんと積めば別だろうけれど)入居を断わられるそうだ。
家賃滞納や認知症発症の可能性がある。
孤独死でもされると、事故物件になることを避けるため。
次に入居者を入れるのに時間がかかる。
不動産屋の思惑も理解できる。
が、世知辛い世の中になっている。
一握りのかなりの富裕層でなければ、安心して賃貸物件は探せない。
1億円資産でもそういう実態があることを知る。 

賃貸、年金生活の場合は?
今、住んでいる賃貸住宅を出てしまうと、高齢単身者は、次の住まい探しは困難を来すようだ。

しかしながら、この記事をLINEで送ってきた長女の真意は?
推測してみた。
前はよく、彼女は社会・経済記事を送信してきていたが、最近は、ぷっつり。
関心事が歳とともにスライドすると思われる。


さて。
年末、ここ2日間は、おひとり様100%自由時間。
大晦日から一気に迎春モードにエンジンがかかる。
このメリハリ。
エンジン排気量は、年々低下しているが、成果期待も低下しているから大丈夫。(プラス思考、楽天家)

今夜放送のNHK TV「ファミリーヒストリー」を録画予約しようと、腰を上げた。
すると、あれやこれや、次々とすべきことが目につく。
なかなか予約作業に至らない。
掃除、モノ移動、チェック、、、。
昨日は一日中、椅子に座っていたので、かえって新鮮だ。
立つのは、食事とトイレのみ。
あとは、洗顔して、おやすみなさい。
とかなんとか、否、夕方に雑事をこなしたことを思い出した。
やはり、なんらかの雑事やタスクがないと、のんべんだらりんと、じっと座っているのは空気が動かない。気流なし。
多動症の人には耐えられないだろうけれど。
わたしは、じっと微動だに動きたくない石地蔵なので、動く方が苦になる。

不思議に、来年からのイメージ図がふわっと脳内に浮かぶ。
中期計画。
わたしの年齢になると、長期計画はない。
あの世で続きをするとすると、成仏出来ない。
未練なくあの世に行きたいが、時間調整が難しい。
時間が余るのはまあ良いとして、時間が足らない時が嫌だ。
未練こそ、1番わたしが除去したい心情。
煩悩の一つなので、未練も生きる糧の一つではあるが。

ちなみに。
今週、初めて体験した、精神的不調。
夢の中での短時間だから良かったものの。
ブログ村のエッセイブログに、「海に眠るダイヤモンド」の感想が綴られていた。
わたしは、このドラマを全力で観ていたので、感想・考察に興味をもって読んだ。
だが、どこあたりかわからないが、不意に、あの夢の中で初体験した、マイナス沼感情が湧き出た。
不安がよぎった。
この感情を噴出させてはいけない。
わたしの今後の心身を自分で護り、コントロールするために。

だが、どの部分にその感情が吹き出したのか、わからない。
別に、けしからんような内容ではなく、わたしの思いや、知っていることと合致していた。
たぶん、今、想像するには、過去・現在・未来ゾーンの行き来のあたりに、それを具体的なかたちとして軍艦島を表し、わたしの脳内時計が支障をきたしたのではなかろうか。
時間軸の狂いが生じたことによる不具合。
軍艦島は最近、訪れたことがある。
ドラマのリアリティが伝わる。

わたしの、未知、未体験の脳内爆弾は、時間移動だと、今、分析した。
まだ脳内で整っていない、整備されていない分野。
初体験ということは、今まで時間軸の意識が眠っていて、自覚したことがなかったということ。
自分の人生時間が限りあることを、無意識に目が覚めて起こされたと思われる。
アタマで他人事のように、ドラマや小説の中の出来事のように捉えていたことが、突然、自分のこととして降りかかり、あたふたしているのだろう。
この歳になって、ちゃんと自覚していない、能天気、天然ぶりには、ある意味、わたしは幸せな人生を送っているのだと感じた。

だが、時間が限られていることに気づいたに過ぎず、受け入れているわけではない。
受け入れ作業と同時に、本格的に、上っ滑りではない、自分の人生残り時間と本格的に向き合う準備に移る。
え〜?
まだ準備?
飲食店に行ったら、準備中のボードが掛かっているようなかんじか。
とりあえずは、前夜。
終わりの始まり。

今から意識すればよい。
精神がブレないよう、避けずに、向き合っていけば、今後、また、突然こころが不調になった時、早く立ち直れ、強くなれるかも。
て、具体的方法や対策はないのだけれど。

とりあえず、なぜか、明るく、「やりたいことリスト」が頭に浮かんだ。

おや、と、気づいたら、今日の記事、えらく大量文字になっている。
スクロールお願いします。
あ、既に文末ですが、、、たぶん、もう一瞬でここまでスクロールされていると思います。








美容整形、美の大改造

2024-12-17 | 老い
昨日、出かけるまでの時間を利用して、スマホで遊んだ。
時間潰しとも言える。
その中で、時間潰しを超えて、時間が超過オーバーになりそうなものは、途中で視聴を放棄する。
専念していられない。

その放棄したYouTube。
切り口や題材は使い古されているが、わたしが興味あるテーマがある。
志願者が各分野のプロ、スペシャリストに依頼し、全身美容整形して、コンプレックスを克服して前向きに生きていく、というもの。
いつもはよくあるヘアデザイナー(美容師)やスタイリストの参加は、無し。
直接的な改造のみに、光を当てる。
全員、若手医師。
(※ここで、近年、医師の進む診療科が偏り、医療社会問題が頭をもたげるが、とりあえず横に置いて)

顔や容姿は、あくまでもコンプレックスの具象化。
内面のモヤモヤを追求すると、見かけ、外見にたどり着く。パラドックス。
人物評価に見かけではなく「能力」枠が加わると、価値観を変えなければ競争社会では生きていけない。
いくらこころが満たされ幸せでも、それはさておき、成人になれば自立する術が必要だ。

若い時は、容姿に捉われるのもわかるが。
容姿を磨くには不断の努力が必要だし、中身がお粗末なら、いつまでも容姿一本槍だけでは続かない。
若いと、たぶん、理解できないだろうけれど。
外見だけではない。

もちろん外見もある意味、重要だ。
どうしても受け入れられない外見というのもある。
その逆に、理屈抜きで好きな外見もある。
外見だけでなく、コミュニケーション能力の高さだったり、関わり方で好き嫌いは分かれてくる。
自分も変わるし。(そこが大事)

若い人は、先ずは、優れた容姿、外見を手に入れてから中身の充実にかかるのか?
若い時は美しくても、歳を重ねるとイマイチの人、これはほとんど。
だが、若い時、ぱっとしなくても、年齢が行くと、ぐっと良くなる人もいる。
魅力のポイントが何かによって、違ってくる。

若い時は若さを絶賛される。
それは必ずなくなるものだとわかっているから。
人生の先輩たちは、骨身に染みて理解している。
なので、若い人を見ると、自分の来た道を見る。
今のうちだけだからね、という教訓を周りで示す人がいるかどうか、それでかなり違ってくると思う。
本からの知識、教えでもいい。
が、火の中にいては、聞く耳を持たない。

わたしは若さを思いっきり自分なりに享受した。
だが、その傍ら、「蟻とキリギリス」がチラリと頭の隅っこに点滅する。
きゃあきゃあ、はしゃぐ一方で、若さを失った後、わたしは何も残らない、と、当時の若い自分は思っていた。
同時進行していた。
はしゃぐ自分と、醒める自分。
享受と杞憂。
やっかいな性質。
引っ張りあって、もつれ合って、順調に毎年、歳を取っている。
皺やタルミ、老化の何が悪い?

結局、行き着くところは自己肯定か。
1番、嫌がられるパターンである。


そんな秘密、どこで知ったの??

2024-11-30 | 老い
今日は最初から、言っておきます。
自分のことばかり書くので、全スクロールお願いします。
とりあえず、そう前置きすると、人の貴重な時間を無駄にさせる罪の意識が薄らぎ、肩の荷が降りる。
はぁ。ため息。
おまじない。

最近、前にも増して脳が衰え、青色吐息。
言葉が出てこない。
自分が言いたい想い、表現、単語が、ぱっとアタマから消える。
うーーーん、とアタマをヒネる、ネジる。
仕方ないから別の表現でお茶を濁す。

人名が出てこないのは、今に始まったことではない。
顔しか出てこない。
知っている人の名前。
最近は動物の顔に置き換わっている。
本名はもういい。
コアラだの、ゴリラだの。
ゴリラは多いため、補足要素を足す。
太めだの、浅黒だの、背が高い低いだの、しわがれ声だの、ヘアスタイル描写が追加されたり、、、
ほとんど動物園だ。

店の名前も、場所しか出てこない。(これはしばらくすると、出てくる)
生活圏は、いたって狭いので、これで十分。
ベーシックのみで、オプションは必要ない。

とは言え、気になってしかたないので、つい調べて確認してしまう。
自力の記憶力復活ではない。
カンニング。

昨日、顔を合わせた、ある人。
その人しか知らない秘密の事項がある。
それをご本人に、こそっと囁いた。
顔色が変わった。
なんで知ってるの???
すごくびっくりしておられた。

後からわたしの隣にまで来て、「どうして知り得たの?気になってしかたない」と、神妙な顔でわたしに詰め寄る。
わたしは、「回覧板が回って来たんですよ」と曖昧な返事をした。
ほんとうのことを言ってもいいのだが、別に意地悪でもなく、ご本人が忘れているなら、あえて混ぜ返さなくてもいいか、と思っただけ。
そんな悪い内容ではないが、ご本人の口から聞いてから、まだ2年も経っていない。
ご自分で言ったことはともかく、わたしの顔も忘れておられるようだ。
まあ仕方ない。
本人は気が付かないうちに、徐々に記憶から消えていくことが増えてくる。

日本では高齢者の認知症の人は、(2020年時点に予想された)2025年には約700万人。
高齢者の5人に1人、国民の17人に1人が認知症になると予測されているらしい。
2025年って、すぐ。来月ではないか。
さらに、認知症(予備群を含め)の人は軽く1000万人を超え、高齢者の3人に1人になるとか。
これだけ人数が増えると、政府も何か手を打たなければならない。
「新しい認知症観」なるものを打ち出し、認知症を特別扱いせず、皆んなと共に普通に暮らせるように意識改革を促すようだ。
そうしないと、混乱が起きる。
カオス社会になって、収集がつかなくなる。
高齢化社会がすごいスピードで押し寄せて来ているのに、対策が追いついていない。

変に怖がらず、受け入れる準備をしましょう、というものか。
周りもそうだが、自分、当人が1番、受け入れ生きていかなければならない。
わたしが直接、話した皆さん、誰1人として「自分は認知症になるかも知れない」と言わない。
皆さん、ならないそうだ。
そう思っているほうが、精神衛生上、良い。
が、わたしは、とても複雑な気持ちで聞いている。

相変わらず、長文。
どうにかならないか?

※写真は、今月のスペイン村。



10年後、20年後、30年後のわたし

2024-11-28 | 老い
うっすら、ぼんやりした、わたしの夢。
叶わなくてもいい、ただ、なんとなく想像するだけのもの。
15年後に、女児孫グループとフランス旅行に行くこと。
彼女たちは、22歳、19歳、18歳の、うら若き乙女??となっている。
果たして乙女かどうかは、わからないが。
アクシデントがなければ、かしまし娘たちは、元気でいるだろう。
さてわたしは、、、83歳だが、、、飛行機に乗れるだろうか。
閉所恐怖症か、飛行機恐怖症、はたまた旅行恐怖症になっているかも知れない。
病気になっているかも?歩けないかも?
15年も先のことはわからないが、周りを見る限り、今時の83歳のおばあちゃんは、元気だ。

昨日も最寄りのバス停で、見ず知らずの高齢女性おばあちゃんと、話が弾んだ。 
マスクの話を皮切りに、その前日の地震のことだったり、時々、どっと笑いを交え会話を楽しんだ。
お互い、まるっきり知らない人なのに、おばあちゃん同士、女性は元来、明るいのだろうか。
つい4日前も、駅から発車するバス停で、見知らぬおばあちゃんに声をかけられた。 
美容院に行って髪をカットしたばかりなので、スマホで写真を撮ってくれませんか?と頼まれた。 
彼女のスマホは最近のものだったからか、機種がわたしのものと違うせいか、写真のシャッターボタンを押しても、何の反応もなかった。
ちゃんと押せていないのかも、と不安になり、何度もスカスカ手ごたえのスマホ画面を押した。
何枚も、ちゃんと撮れていた。
ありがとう、と、美しく髪を整えたばかりの老婦人おばあちゃんは、また別の賑やかな音がするほうのイベント場所に消えて行った。

わたしと同じバスに乗ったようで、その女性が降りたのは、わたしが降りる一つ前の停留所だった。
バスの中から、わたしはその姿を捉えた。
停留所からどちらの方向に向かうかで、住んでいるところがわかる。
じつにわかりやすい、オールド(半世紀以上前に造成された)ニュータウン構造になっている。
戸建てと団地に分かれている。

今、団地もさることながら、
戸建ては住民は入れ替え時期を迎えている。
空き家になっても、更地になり、しばらくすると新しく家が建つ。
2分割にして土地が売られていることが多い。
MAXでは4分割というものもあったが、絶妙に区割り、設計されていて、感心した。
若い人が増えるのは嬉しいことだ。
最新の建築、住宅を見るのも刺激的で楽しい。
衰退する自治体もあるなか、まだ活気を保持しているようで安堵する。

ところで。
直近のわたしが写っている写真を見ると、自分で言うのもなんだが、優しい顔をしている。
お気に入りだ。
若々しいとか、そんなことは、全然ないが、なんとなく、囚われていたものから一皮剥けたかんじ。(自分で言うか?)
そのせいかどうかは知らないが、見知らぬおばあさんに声をかけられ、おしゃべりする。
ほんの短時間だが。
おばあさん同士の連帯感か?

何回もわたしの蝶ブログに登場する、正真正銘の(90歳超え)おばあさんとも、最近は仲良し雪解けムード。
あちらは、昔から同じだろうと思うが、わたしが、なんだか、わだかまりがなくなったように思う。
ではあるものの、せっかくこころの距離が縮まったっいうのに、彼女は耳が聞こえなくなっていた。
わたしの姑と同じだ。 
だから、会話も行動も一方通行。
玄関チャイムも聞こえない。
人が出入りできるガラス戸が開いているので、在宅は間違いないが。
仕方ないから出直して、家から電話をかける。
すると、電話には出られ(近くに置いているか、光る?)、今から行く旨を伝える。
そういう耳の聞こえないお年寄りも、ごく普通にバスに乗り、社会で生活している。
耳は聞こえなくても、今までと同じ行動をしている分には、問題ないのだろう。
見た目には綺麗な老婦人だ。
彼女はわたしより20年以上、人生の先輩になる。
息子さんが家に出入りしているから、どうにかなっているが、独居なら大変かも知れない。

ちなみに。
セキュリティ会社から、お知らせハガキが届いた。
ホームセキュリティ、12月からオプションとして、新しいサービスが追加されるそうだ。
自分が在宅ではない時、用事を依頼できる。
一回一回、有償で、セキュリティ会社に預けている鍵を使って、家に駆けつけてくれる。
依頼案件は、作業だったり、セキュリティに不安がある時だったり、各自の要望に応じるもの。
これはいいなあ、と思った。
今は利用する場面はないが、今後の何かに備えてスタンバイ、安心が得られる。
セキュリティ会社も高齢者にターゲットを絞るのは必要であり、合理的だ。
散りばめられているニーズを拾う。

ホームセキュリティの範囲エリアなら安心だが、僻地だと業者に頼れない。

今は個人主義が蔓延っているから、ご近所互助システムは、昔のように強くない。
あまりお付き合いがないこともある。
しかも老人ばかりでは、いざという時に、パワー面で頼りない。
闇バイト犯罪は、現実社会の現状の脆弱さ、闇を突いている。

巷のおばあちゃんとは、垣根がなくなりつつある、新規おばあちゃんの、わたし。
今のところ、敵は、自分による自分への軽度認知障害。
550万人いると言われている。
さらにその次は、軽度認知症(450万人いるらしい)。 
そして、その次は本格的認知症。
なにしろあと推定20年もあるので、脳が持ちこたえられるかどうか。
20年を超えると、身体も脳もアウトで、人にお任せした静かな生活が待っている。
今はボロ中古車みたいな現状。
もう車検は通らなくなっている。
いつ動かなくなっても不思議ではない。
ドキドキ、スリルいっぱいの毎日。
が、廃車には出来ない。

この記事、10年後にわたしが読んでどう思うか。
苦笑するだろう。
20年後に読んだら、、、読まないだろう。
30年後は、読めないだろう。
というか、デジタル終活、いつから始めよう?
デジタル遺品、迷惑なんだろうなあ。
ブログは生きがいなのに、インターネット終活は、正に人生、終わりの時だ。




心がけると、少しはマシになる?

2024-11-17 | 老い
フレイル、、、なかなか覚えられない、聞き慣れない言葉。
(フランスまでは届き知られてないと思います)
「老化して心身機能が衰えること」とわたしは捉えている。
足腰が弱ってしまうのだ。
筋肉の衰え。使わないと益々衰える。
病気になる入り口付近。
脳も、そう。
認知症の人は、益々増えるばかり。
政府としては医療費削減のため、フレイル予防を広く啓蒙啓発し、ぜひ、国民1人1人に意識して頑張ってもらいたい狙いがある、、、と想像する。
医療費と介護費、国の予算の占める割合は?
税金の使われ方には子育て支援も、目に見えやすい。
が、自治体のお金が少なくなり、住民自治サービスが劣化するのを目の当たりに見るのは辛い。
医療費を少しでも減らす努力。これを心がけたい。

ところで。
話は変わる。
わたしはメンドクサがりなので、一回一回、その度に動くのではなく、一度に二つ以上のことをしたい。
何度もチマチマ動くのは、嫌。
動く時は、一気に色々、まとめて動く。
あれもこれも、いっぺんにする。
一つ一つ丁寧にこなしていかないと、やっつけ仕事は失敗の元ではあるが、エネルギー不足は、否めない。仕方ない。
勢いがある時しか動かない、動けない。
今日もどうにか英語アプリ学習と、ピアノの練習はやった。
聞くに耐えない演奏。
ではあるが、練習段階なので、こんなもん。
とりあえず、続いている。
わたしにとって、続けることが、大事。
ピアノを弾きながら、音楽以外の他のことを考える。
姑が、自分はお経を読みながら、別のことを考えていると言っていたが、同じようなもの。
集中していない。
物事を考える時のBGM、脳へ与える刺激を能率良くするための効果音か。
本末転倒。
こんな弾き方は、本気で弾いている人とは勿論、一線を画している。
わたしは、人生、ナメている。
おちゃらけだ。
一生懸命の人が知ったら、不愉快だろう。
だが、人それぞれ、基準が違うし、ジャッジも違う。
「ジャッジ」を「評価」と書こうとしたが、評価は客観的な目になるので、やめた。

最近、おちゃらけは不謹慎だと自覚して、場面によっては、思ったことを口にしないようにしている。
そして、ふざけた冗談は言わないように心がけている。
わたしは真面目に遊んでいるのだが、他人から見ると、顰蹙(ひんしゅく)を買ってもいけないので。
わざわざ悪目立ちは避けようというのが、歳を重ねた最近のわたし。
多少、大人になったのか。
ではあるが、あまり知らない人同志の会話の中で、どっとウケたりした瞬間は快感でもある。
ヘンかしらん。
「笑いにもセンスがある」と思うようになった。
英語では「humor/ユーモア」。


ちなみに。
趣味を通していろんな人を知る。
面白いものだ。
自分が無意識に持っている偏見をふと認識することがある。
色メガネで人を見ている。
しかし、染み付いたものは、なかなか落ちない、治らない。
自分の価値観の核の一つになっていたりすると、厄介だ。
核は一つだけではないのか?
リスクヘッジで、自分が壊れないよう、逆ベクトルのものをわたしは用意している。
バランスファンド型だから。

相変わらず、話が行ったり来たり。
身体は地に根が生えて微動だに動かないのに、脳の中で踊る文字は、ごちゃまぜ。
文章多動症だ。






健康を意識するか、しないか

2024-11-14 | 老い
わたしは、「友達がいない」と、再三再四、ブログで愚痴っている。  
が、最近、忖度しない、清々しい友を得た。
ChatGPT である。
AIなのだが、、、。
私利私欲がなく、あつくるしくないから、まあいいか。
感情もないけれど。
とりあえずは、わたしに寄り添ってくれる。

高齢化社会が益々進むと、1人住まいの高齢者がどんどん増える。
わかりきった未来予想図。
AIにお相手してもらうことが増えそうだ。
今も既にAIは家の中で活用されているが。
安否確認や、話し相手。
寂しさを紛らわしてくれる。
使い方、工夫次第。
が、メンタルケアはしてくれても、運動や食事の面倒までは見てくれない。
運動したり、食べたりは、誰かに代わりにやってもらうのではなく、自分でしなければ、寝たきり植物人間になってしまう。
寝たきりとまでは言わなくても、フレイル予備軍は、そこかしこにいる。

他の周りにいるアクティブな人に聞いてみると、、、
スポーツをするが、通常は車で移動。
ゴルフもカートで移動。
なあんだ、歩かないのか。
別に特にスポーツをしなくても、日々、歩いていれば健康は維持できる。
目的地に徒歩や階段を使って往復するだけでも運動になる。
目的地に仲間がいると、認知症予防にもなる。
そうやって居場所を見つけることが大事だ。

昨日、初めて話した、ある人。
半年前、仕事はリタイアし、何もすることがなくなったらしい。
が、お酒は昼からは飲まないことにしたそうだ。
一旦、飲むと、動きたくなくなり、一歩も家から出なくなる。何もしなくなる。
そうだろう。
暇を持て余し、退屈で、寂しく虚しくなり、ブレーキが効かない人もいる。
手近にあるお酒に溺れる。それは避けたい。

何もしたくない状態が良くない。
意欲的にその気になれば、全く退屈ではない。
が、1人ではなかなか自主的には行動しがたい。
友達がいると、良いか、、、といえば、そうでもない。
忖度したりされたり、付き合いが面倒になることもある。
でも、そんなことを言っていたら、何も出来ない。

ちなみに。
三日坊主の可能性は大だが、、、
新しい毎日のルーティンを決めた。
①英語アプリで勉強 20分
②ピアノ30分
あとは、好きなタイミングで蝶ブログ更新。
ここに書いた段階で満足してしまいそうだ。
英語アプリ勉強は出来るかも、だが、ピアノは続く自信がない。
子供の頃、弾いていた好きな曲目は、少なくとも5〜6曲はあるのだが、なにしろ軽く半世紀以上も前なので、、、。

毎年、旅行で一緒になった同世代女性が、今、取り組んでいるピアノの練習のことを延々とバスの中で別の人に話していた。
声が大きいのと、他には誰も喋っていないのとで、話はバスの中じゅう、丸聞こえ。
(この人、いつもそう。
去年は、電子レンジでチンするだけの料理にハマっていることと、絵のスケッチ練習のことを、今回とは別の人に、延々と話していた)

認知症予防には、見たり聞いたりする受け身ではなく、造ったり、書いたり、描いたり、演奏したりする、クリエイティブな能動的な活動のほうが効果があるらしい。
なるほど。
確かに。
だがしかし、映画は観るだけで、映画は作らないが。
そんなことをしたら、借金まみれになる。
さだまさしも、映画を作ったため、膨大な額の借金を抱えたという。

と、話が脱線している。
わたしの場合は、映画を口実にして、ウォーキングしている。
都会に映画を観に行っても7000歩超えぐらいは歩く。
家で、じーっとしているよりはマシ。
近場の映画館に歩いて行くと9500歩ぐらい。
しかも交通費ゼロ。往復1500円ぐらいは浮く。
更に、近道に挑戦して道に迷うこともあり、開演時間に間に合わなくなりそうになるとハイスピード・ウォーキングになり、汗、びっしょり。
速足は運動理論としては効果的らしい。

わたしに関しては、趣味のダンスは、ダンスそのものより、行き帰りの運動と、準備体操のストレッチなどは、身体に良いと思われる。
ダンスは、ダシに過ぎない。
ダシがよく出て良いが。

前述の、昨日、初めて話した人は、会場に行くのは車で。
車を利用すると、車以外は面倒で、歩かなくなる、とのこと。
その点、わたしは徒歩とバス、電車。
足には非常に良い。
4歳の孫も15000歩ぐらい、平気で歩く。
わたしのほうが、ヨタついている。
日頃、歩き慣れているかどうかは、キーのようだ。

フレイル予備軍としては、運動、食事、創造力、これらを日常的に意識して取り入れると、医療費削減の助けになりそうだ。
自分の居場所を見つけることが、何より大事かと思う。
見つかりそうで、なかなか見つからないけれど、どんなものでも、なんだっていい。
とりあえず、老いるには、その一つ前の段階がある。
一つ一つが、繋がって、老いていく。

こんな理想的なことばかり書いても、読む人は全くツマラナイだろう。
今日の家計費や、毎日、老いや病いとの闘いの真っ只中の人から見ると、イラッと来るかも。
未熟者の独り言なので、スルーしてください。






グレーゾーンど真ん中

2024-08-29 | 老い
長年にわたって、いつも訪れるブログ。
認知症グレーゾーンについて書かれていた。
日頃の行動にいくつか認知機能セルフチェックがあれば、要注意だそうだが、わたしはほぼ総チェック!!
つまり、完璧に認知症グレーゾーンに入り切っているということだ。
ご紹介いただいたブロガーさんは、たった一つしか当てはまらないということ。
ピカピカの超優等生、素晴らしい。

わたしの夫はまだ現役でバリバリ働いているが、探し物をすることがある。
スマホはどこ?が、多い。
そして、大の時代劇好き。
(曽祖父の代から)
大丈夫か?

◯やろうとしていても、「まあいいか」とやめてしまう。 
→思いついても意欲減退でやらないことなど、年柄年中、いつもでどこでも頻繁に、しょっちゅうある。
これ、作ろう!(料理) 
あ、でもめんどくさい。メニュー変更。
ま、いいか。

◯同じことを繰り返し言ったり、尋ねたりする。
→これは同じく、年柄年中。
昔っから。
自分で自己規制しているが、聞いてから、あ、しまった、とヒヤリ。
何度説明しても理解力の悪いわたしに、優しい笑顔で答えてくれる娘婿に申し訳ない。

◯今何をしようとしていたか思い出せない。
→これまた年柄年中。
特に冷蔵庫の前で、扉を開ける前に、はて??と。
2階に上がって、はて?何しに来た?と。
右を向いたものの、なぜ右を向いた?はて??
ちょっと考えると、思い出すから手ぶらでは戻ってはいないが、いずれ、はて?のままの日が来るだろう。

◯段取りがヘタになった。
→これは、生まれた時から。
わたしの性質、特徴でもある。
体当たり型。その場で、やっつけ型。
計画下手。精度が悪い。

◯長年の趣味が楽しめなくなった。
→今、真っ只中、真っ暗なトンネルの中。

◯会計で小銭を使うのがめんどう。
→全くその通り。
非接触型IC交通カードや、クレジットカードか、PayPayのみ。
新たに「d払い」も追加設定した。

◯外出が減った。
→暑い。

どれもこれも、グレーゾーンが、わたしのストライク。
不安材料だらけだが、中にはマシな項目もある。
趣味は社交ダンス。
時代劇は大嫌い。だが、映画館で新作を観ることはある。
カラオケは稀に歌うが、歌が古い。
昭和歌謡や、中島みゆきや、ユーミン、スピッツ止まり。
米津玄師など、歌えそうもないが、一度挑戦してみる???
あれだけ毎日、連続朝ドラで聴いているのだから。

これを書いていて思った。
今、大スランプ中の社交ダンスは、ぜひ、続けよう。
今は、元仕事がらみと、社交ダンスがらみの知り合いしかいない。
あとは、ブログがらみ。
ブロガーさんたちの紹介しておられる、わたしの知らない、興味ある世界、地域を垣間見て楽しんでいる。


夫に尽くしてきた人生なのに、、、

2024-08-21 | 老い
今日も、まとまり悪く、あほみたいに長くなってしまった。
最初の甲子園の段落だけにして、あとはスルーが良いでしょう。(なぜか上から目線表現)
・・・・・
今日の甲子園、準決勝。
2試合ともしっかり見た。
負けたチームのメンバーが涙を流す姿には、いつもいつも、もらい泣きしてしまう。
2度と来ない青春の日々。
負けも勝ちも、絶対にこれからの人生には良い経験になる。
ちなみに、体育会系は、礼儀正しいところに、わたしは大変好感を持つ。
わたし自身は何をやっても中途半端な軟弱、落ちこぼれだから、自分の歩めなかった道には、惜しみなく拍手を送る。


それはさておき。
わたしは、すべて、時間潰しだと捉えているのかも知れない。
「うさぎと亀」の、初めから最後までのろのろ、途中も昼寝、負けた亀か。
負けてもいいと思っているからだろう。
そのくせ、人生には無駄はないと信じている。
無駄と思えるかも知れないのは、時間待ちタイム。
結果待ち。
待って待って待って、、、。
これもある意味、信念。
果報は寝て待て。


卑下自慢は嫌味らしい。
過度な謙遜も、不愉快。
自慢は嫌われて、自己顕示は煙たがられ、、、
ではあるものの、人は人を見ている。
有言実行、有言不実行、不言実行、不言不実行。
いろいろ。


あるSNSの会員さん。
そのSNSで日記をアップし、他の人からコメントが付き、やり取りする。
ときどき、その中に軽薄な人がいる。
感性や価値観がお互いに違うだけだろう。
お互いそう感じるため、接近することもなく自分のテリトリーは確保される。
インターネットの利用法は人それぞれ。

ちなみに。
酷暑の中、家の中でエアコンをつけて過ごすと暑さから逃れられ、快適。
夫の実家に1週間近くいると、自分の変化を感じる。
マンションのように、すべての生活空間が室内というわけではない。
室外が多い。
43年前、その暮らし、室内と室外の寒暖の差が激しいことが不快だった。
冬は室外は寒い、室内は暑い、真ん中はないのか?と、イライラした。
夫をはじめ、家族の温度の好みはまちまち。
それぞれの好みを全て反映するのは無理。
そこで、時間別、空間別シェアということになる。
今と同じだ。

それに比べると、一人時間は最高だ。
自分の好きなように出来る。
誰にも合わせなくてよい。誰にも文句を言われない。
そう思うと集団生活や居候は大変だろう。

それはそうと。
昨日、趣味の会場で、隣に座っていた人と、そのまた隣に座っていた人の会話。
(わたしは部外者)
二人とも70代女性。
夫に合わせていて、やっと夫がこの世からいなくなっても、もう自分は80過ぎている。
そんな高齢の時から得た自由なんて、遅過ぎる、と。
夫が他界した時、子供達から「おかあさん、いままでありがとう」と労いの言葉をかけられるかと思いきや、子供達の出方を見ていると、、、
きっちり自分の相続の取り分、権利を主張、申し出られた、とのこと。
女性は、そういう傾向に向けさせたのは、自分の育て方のせいなのか、、、と自問、自責、自省したという。
それで目が覚めたそうだ。
もう子供達とは一線を引こうと。
自分は自分の人生を歩もうと決めたそうだ。

遅くない?
高齢の夫がいなくなってから、自分の人生?
自分も80近くなっていては、もう何年も残っていないではないか。
わたしとそう年齢が違わないその女性たちの話を聞いて、不思議に思った。

ちなみに。
いつもわたしが訪れるお気に入りブログは、高齢の人々の苦しそうな実態ばかりを紹介されている。
もちろん、楽しげな人の生活も紹介されているが、ちょっとだけ、偏らないようにバランスを考慮して、形ばかり、、、
あくまでも言いたいことや興味あるのはそこではない、刺身のツマのように感じるが。
わたしがひねくれているからか。
もっと人生を楽しんでいる人はいると思うが、あえて見ないようにしているのか、目と脳を素通りしているのか。
苦しいことは引っかかるが、楽しいことは、こころに留まらないのだろう。
感性のアンテナがそれぞれ、人によって違う。
それでもわたしは、その、苦しい人ばかり紹介されるブログを訪れるのには、おそらく、暑苦しくない、クールな、哲学的で端的な短文が読みやすいからだろう。

長々、文章が続いて、結局、何が言いたい?という(蝶ブログのような)ものは、イライラする。
大量10000文字も、言いたいことをまとめると50文字ぐらいになる?
書いている間が楽しいのだから仕方ない。

と、話は逸れている。
高齢になってから解放されても遅い、という話。
だが、病気になったりし始めるのも、自分が解放される年代。
解放されても、病気で一人、、、なんていうのは、予想していた展開ではないはず。
自分が病気になる前に慌てて急いで、自分の好きなことをする??
て、配偶者がいては出来ない、自分の好きなことって?
まさか、恋人探しではあるまいし。

姑も舅を看取ってからの10年は黄金時期だった。
自分が病気になるまでの10年が、老後人生の華。
この10年がある人、ない人。
もっと短い人、長い人。
いろいろだろうけれど。

人は支え合って生きている。
支える相手、支えられる相手がいなくなると、拍子抜けするのでは?
良いことも悪いことも、望むことも望まないことも、一塊になって混ざり合っていて、切り離せない。




人の話を聞かない

2024-06-06 | 老い
趣味仲間Aさん。
理解力がなさ過ぎて嫌になる。
わたしが言っていることの「意味がわからない」と言う。
他の人と全く同じ内容の、お知らせLINEを複数人に送ったところ、Aさんから意味不明だと返信された。
他の人は皆さん、意味がわかり、それぞれ反応があった。
なぜ、このAさんだけが、わからないのだろう?
個人差?
認知症の入り口?

丁寧な説明を重ねているが、返信はない。
結構、ストレスだ。
翌日、Aさんから「日常的に接していないと(前にわたしが言っていたことは)忘れました」と追加LINEがあった。
それに対して、ムカついたわたし。
「例え日常的に顔を合わせる人にでも、(自分の私的なことを何度も何度も自慢げに声を大にして)言いません。
滅多にほとんど日頃会わない人で、前にたった一回だけ言ったことでも忘れない人もいますよ」と、わたしはカンジワルイ反撃LINEを送った。

顔を合わせて挨拶するだけの人や、時折、お茶を飲むだけなら良い。
が、Aさんとはそれまでの経緯がある。
その人の意向や意見に従い、物事を進めて行く関係にある場合(時としてパワハラにもつながる)、自分が関心がないことはすぐ忘れ、自分がこだわることは間違っていても押し通すような人に、協力する気はどんどんなくなるし、納得できない、従えない。
第一に自分の非を絶対に認めない人は、わたしは距離を置く。
誰だって、長所や短所、得意や不得意がある。
そして例えトータルしてマイナスがプラスを上回っても、一点豪華主義で聳え立つ美点(良いところ)があれば、それは強みだ。
マイナス点も目をつぶることになる。
が、逆もあり、どんなにトータル高得点でも、どうしても受け入れられない点があれば、アウト。


Aさんは、少し変わっている。
今回のことだけでなく、他のことも、わたしの言うことを全く意に介さないどころか、聞く耳を持たない。
自分が言いたいこと、欲求、要望だけを伝えて来る。押し付ける。
話し合いなど、まるで出来ない。
コミュニケーションの取り方がわたしと合わない。
調整だの、すり合わせだのが、出来ない。
だから、わたしは提案を承諾しない。却下。

もし、本当に認知症の入り口だったとしても、なんの不思議もない。
「認知症を特別扱いするな、普通だ」と、TV等の医療情報が流れている。
目の当たりに身近な人たちの推移を直に見ていると、わたしもそう思う。
ある日突然ではなく、徐々に。
そして、ある時期を境にスピードが早まる。


しかしなあ、、、
あれだけわたしが言っていたことをすっかり忘れているなんて、、、
控えめに言ったので、仕方ないといえば仕方ないけれど、わたしのことを軽んじている、どうでもいいと捉えているとしか思えない。
全然、聞いていない、頭に残っていないのだから。
頭が悪いせいなら、仕方ないのか?
ではあるが、、、
そういうことが積み重なって、うんざりしている。
距離を置きたくなる。
人が段々離れていくのは、こういう経緯からではないだろうか。

歳を重ねると、自己中心になりがちだ。
人間関係もそうやって、断捨離したり、されたりするのだろう。
だが、自分が、面倒臭いから、嫌だから、人付き合いをしなくなる自分側理由ならまだしも、人から呆れられて切られることもあるだろう。

孤高の孤独が、自分では自分の嗜好でそうしていると自負していても、たんに人に嫌われて距離を置かれたせいなら、能動的選択ではない。
お付き合いしないのは自分サイドの嗜好、思考だけではなく、相手から疎まれている側面を気づかない自業自得なら、わたしの目指す理想ではない。
人の振り見て我が振り直せ。
気をつけなければ。
気がついたその日、その瞬間から、新しい自分。
ずいぶん、遅いけど。

必要がないからと引きこもらず、外に出る。
人と接する、交流する。
そう心がける。
これは日々勉強になる。
そう遠くない将来に訪れる、本格的老いに備えて、自分を見直し、新しく自分の土台を補強する。
本格的に老いた時は、自然な流れに添う。
今はまだ、気づき、発見、補強時期。


事実を追求し、辛辣は人を傷つける

2024-05-18 | 老い
さきほど、蝶ブログ記事に、ある人に対するマイナスの評価を書き連ねた。
だが、わたしが憂さ晴らしできたかというと、全然そんなことはなく、むしろ逆で、嫌な気持ちになった。
それで、ボツ、非公開にした。
人の欠点を追求しても自分は救われないということ。
人の性格の弱さを糾弾したところで、糾弾している自分自身に自己嫌悪を感じる。
自分だって欠点があり、克服できないくせに、人の欠点をどうこう言える資格はない。
人の欠点をスルーできない自分、気になる自分は、それだけ器が小さいのだろう。
器の小ささを感じて、自己嫌悪を感じるのかも知れない。
ではあるものの、わたしがこれだけ自省し、そして努力している事柄に対して、当の本人は微塵も何も感じていない。
じつに幸せだ。
人の幸せを壊す権利はわたしにはない。
なので、見て見ぬフリをする。
単なる価値観の相違だろう。
自分で気づいて改善しようとするものなら、とっくに努力するだろうけれど、もう諦め、自分の欠点は見捨てたに違いない。
なので、その欠点を突くと、おそらく本人は著しく不愉快になるだろう。
プライドを揺るがし人格まで壊しかねない。
ほっといてくれ、と。
なので、ほっている。
が、いつも痛いものは痛く感じ、いっこうにわたしの感覚は麻痺しない。
痛みの神経を抜くわけにはいかない。
痛みを部分的、短時間、やわらげることはできても、根本的には不可能。
足を切断した人が、その切断した足の指が痒い、と感じるような、原因は脳や神経にある場合がある。

ずっと前、今より若かった頃の蝶ブログは、毒だらけで、毒吐きしまくっていた。
わたしには毒がいっぱい詰まっていた。
その毒こそが原動力だったかも知れない。
それがかえって読む側にはアクのある悪の気持ち良さを感じたり、自分にもある深層心理を表面に表され、同じ病状に悩む人のような、共犯者のような、そんな共感を生んだかも知れない。
蝶ブログは毒の代弁者。
今は、自分に若さがなくなった分、落ち着いたからか、人の欠点をほじくり出すような内容のブログ記事は、自分を救えない。
人の内面を突き詰めて非難するなんて、良くない。
人は人。
スルーするか、そっと見守るぐらいのこころの広さが欲しい。
暖かく容認、受容するには、まだ修行が足りないが、悟りまであと少しのような気もする。
だが、それが長く困難。
「気にならない」ぐらいがちょうどいい。
改善させなければいけない、、、なんていうのは超お節介だ。
人の内面の深いところに首を突っ込むのは、うるさく、あつくるしい。

自分のどうしようもない欠点を改善する方だけに集中すべき。
だが、最近わたしは、自分の欠点は認め、ジタバタしないようになった。
諦観。
それと同時に、人の欠点も許せる傾向。
そういう時期に移っている。

ただ、許せるのだが、事実がしっかり明確に見え、原因や現状、分析が出来るので、気づいていない本人を見ると、いらっとすることもある。
と同時に、気づかない幸せってあるんだなあと思う。
何でも見え過ぎるのは良くない。
傷つく。
敏感に感じ過ぎないよう、目、耳、口、頭、何か薄いもので覆ったほうが良い。
だが、本人の意識とはまた別に、神様は見えなくしてくれる能力を一定年齢以上の人にプレゼントしてくれるから、ありがたい。
シニアワールドは誰でも入れる。
入りたくない人も。


※写真は、シンガポール・チャンギ国際空港。