蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ありがとう

2021-03-30 | わたし
わたしの蝶ブログ、実質的読者は2名である。
読んでいただいて、とても嬉しく有り難く思っている。
いつも自分では、独り言の単なる書き散らしブログだと思っているし、いかにもそんな内容。
折り込みチラシの裏にビッシリ、ボールペンで書き込んでいるかんじ。
そんな、穴蔵、穴暗、アングラ叫びをちゃんと読んでくださる方がいて、なんだかじーんと感動する。

ちなみに、、、
裕ブログ、いつも、不動産物件探しの描写、説明を読み、わたしは頭の中で建物立地、間取りや、内装、建物から見える景色を思い描いている。
裕さんのように緻密な理系脳ではないので、グーグルアースやGoogleマップは瞬間機能しない。
縦長窓、、、このイメージは強烈である。
ところで下まである窓って、幅が狭いのだろうか。
わたしの自宅(築20年)の最新窓は、上下にスライドする、レトロ感たっぷりのウッド枠(木製サッシ)の上げ下げ窓。
昔の懐かしい電車の窓みたいなもの。
一から作ったのに、なんでまた古い様式?
流行は回って繰り返されるので、、、。

それはそうと、、、
わたしもかつて、不動産物件を探し回った時期がある。
先ずはインターネットで物色して、見たい物件があると担当不動産屋に連絡する。
不動産は、営業マンの力量やセンスにもかなり左右される。
が、物件そのものがやはりメイン。
広さ、立地、建物で価格が決まる。
価格が上下すると、他の条件が変動する。
と、あとは、タイミング。
売買物件は生き物だから、買い手、売り手の双方の思いには時間的な偶然や必然が、重要になる。
いつまでも買い手のつかない物件は、あまり良い物件とは言えない。
人気物件を買い逃すこともある。
買いたい熱量と、売りたい熱量、どっちが熱いか。
それで、さらに突っ込んだ交渉売買価格が決まる。

そのほかに、平面間取り図を一日中ながめて、自分の頭の中で立体に起こして楽しんでいた時期もある。
自由時間は100パーセント、図面起こしに費やした。
空間をイメージする楽しさに取り憑かれていた。

頭で考え、創り出した空間に、実際に住んでみると、また違う。
数センチ、数十センチの高さや幅が意外に気になる。
イメージ先行でプランすると、使い勝手が悪い。
使い勝手先行でプランすると、余計なお世話的な、宝の持ち腐れ的な、くどいものになる。
使っていくうちに、暮らしていくうちに、自分のものにしていく、容れ物に魂を吹き込んでいくような作業かと。
使い勝手が悪くても、工夫して次第に馴染んできたり、愛着を持ったりもする。


と、ここで話はころっと変わるが、、、
(いつもこれ)
思い切って行動していたことを後になって、つくづく良かったと思うことがある。
今しなければ、もう一生しない、今が最後のチャンス、期限の限界だ!!
と、そう思って重い身体に鞭打ってアクションを起こした案件がある。
10年前のこと。
今、思えば大正解。
機を熟していた。
あれより早くても遅くても、あの体験は出来ない。
20年前でも、今でも、20年後でも
、同じ行動は出来るだろうけれど、あの時期は一期一会。
タイミングは貴重だとしみじみ思う。

いつもわたしは、微動だに動かないナマケモノなのだが、じーっと動く時機を見つめ、見極め、見計らっているように思う。
やっぱり、根っからのエコ人間か。
無駄は嫌い、避けたい。
その割に、大量の(人から見ると)無駄ゴミを家に溜め込んでいる。
エコと反エコのバランスを取っているのだろうか。
わたしが動くのは、scrap & build、人が誕生する時と、人が居なくなる時。
世代交替の時に、大きく深呼吸、背伸びをして、動く。
冬眠熊のごとく。
それまではじっと動かない。
楽しい充実した待ち時間である。
自分の終焉時も、ゆっくりした大きな動作で、欠伸や伸びをして、ああ、楽しかった、そろそろ時間だ、と、この世からあの世への敷居をまたぎたい。
全然悲しい暗い雰囲気はなく、なんだか明るい満たされた気持ちになる。
そんなわたしは、まだまだ先のことだと感じてピンと来ず、現実として受け止めてないからだろうか。
病気などの兆候でも出始めたら、きっと、真っ暗な気持ちになっている可能性、大である。
先のことはわからない。
今から心配するのは、せっかくの黄金時間が台無しである。


時間が繋がり、話が終わらない

2021-03-29 | 
普通、引っ越しする場合は、前の家を引き上げて、次の住まいに移る。
わたしの親は次々と増やしていって、前の家を処分しなかった。
転々としないが、点々が増える。
だから、実家の実家、みたいな、元々の家が残存する。

祖父は、大正時代に曽祖父に祖父の実家の隣に家を建ててもらい、分家した。
その家で父は生まれた。
ついでに、わたしたちきょうだいも全員、そこで生まれ育った。
父の仕事とわたしたちの学校の都合で、就学前までは村に両足で立っていたが、片方の軸足を残しながら、村から街にもう片方の足を移した。
(その後、次第に軸足はゆっくり街にシフトしていく)

次男だった曽祖父に、曽祖父の親は、自分の家の隣に家を建て分家させたわけだが、曽祖父は、隣に曽祖父の親や長兄一家が住むという構図。
隣家が実家。
一種の細胞分裂である。
隣なので、即、里帰り出来る。
が、嫁に来たわけでもない男性は、里帰りの意味を持たない。
だから「里帰り」とは言わない。
父親や兄貴が目の前に住んでいるのも、厄介かも?
いや、そんなチマチマしたことにとらわれず、世の動きとしては、皆んなで力を合わせて生きていく時代だろう。

明治生まれの祖母は、なんと数百メートル(五百メートル未満?)の数百メートル離れたところから嫁に来た。
近すぎないか?
里帰りは、数分(五分以内)で出来る。
一日に、何度も里帰り出来る。
ただいま〜。おかえり〜。
というか、縁談、近場でマッチング、適当すぎないか?
祖母の実家では、次男は親に隣に家を建ててもらい分家した。
祖母は実家の隣に、甥っ子一家が住む家があり、その家の前を通って実家に帰った。
家父長制なので、直系だけがイエを継ぎ、長男以外は、どんどん枝分かれしていく。
その曽祖父の建てた家、父が晩年の祖母を新たな拠点自宅に引き取って以来、今現在は、恐ろしく維持費のかかる空き家になっている。

かたや、、、
夫の実家の場合は、先祖代々住み続けていた家は建て直されたり修復されたりし、今は、客間としての離れだけが当時のままの姿で現存している。
背が高い人なら頭を低くしないと鴨居をくぐれない。
おもてなしの場として使われていた。
最後に使われたのは、娘婿のご両親を迎えた時。
もう七年?以上も前になる。

新しく昭和4年に建てられた家に、最後は夫の祖父、祖母が住んでいた。
さらに昭和40年代後半頃に夫の父(舅)が、その棟とは別の、古い母屋を壊して新築した。
その家に、舅、姑が、二人で住んでいたが、夫の父の兄弟たち(おじ)一家、夫の父の妹(おば)一家、夫一家(わたしたち)、夫の姉一家が集う。
姑がまだバリバリ元気な頃は、冠婚葬祭の度に、遠くに出て行った義理の親戚たちが実家に家族を引き連れて宿泊した。
てんやわんやの、どっと疲れる状況。
特に、長男の嫁(姑)、次男の嫁、三男の嫁たちの間で熾烈な争い、確執も生まれていた。
わたしのポジションは、序列争いを他人事のように垣間見る、新しい次世代の嫁。
姑にはまだ上に姑がいた時代。
(姑から嫁たちに対しても好き嫌いや、えこひいきは普通にあった)
今は、実家に帰るにもホテルを利用するようになり、お互いの負担が軽減された。
姑の時代の長男の嫁は、それはそれは大変だった。
わたしの実家なら、みんなご近所、徒歩圏内なので、自分の家に泊まる。
人の往き来がない田舎なんだろう。

そもそも、宿泊しなければならないような遠隔地とは縁談が成立しなかった。
交通の便を考えてだろう。
しかし、近場で繰り返される婚姻よりも、ぽーーんと遠く離れたところからの血を取り入れるほうが遺伝子が大胆に混ざるのか、優秀な子供が生まれる率が高いように思う。
ヨーロッパ貴族や皇室なども、婚姻、血縁が近すぎ、血が濃すぎる。
(庶民の話にいきなり、なんなんですが)

そもそも、血は混じるもの。
陸続きなら、すんなり混じるだろうが、日本のように海で隔離された島国は、外からの血を取り入れにくい。
と、話は行ったり来たり。
もう話に着いてきてくれている人は、あの人と、あの人の合計二人だと推測する。

家は住まいだけでなく、喜怒哀楽、人々の暮らしが延々と詰まって継続されている。
リセットするのは断腸の想いの人もいるだろうが、スッキリ爽やか、こころ晴れ晴れ快晴の人もいることだろう。
一つ一つを丁寧に大切に思い起こすのもアリ、ブルトーザーで一気に取り崩すのもアリ。
なんでもあり。
家が現存しなくても、こころの中には残っている。
祖父、祖母、おじ、おば、いとこ、、、いろんな人々の長きにわたる、顔、顔、顔。
家を中心に取り巻いていた登場人物たちである。


爽やかな人

2021-03-26 | 趣味
閲覧数の少なさなど、ものともせず、防弾チョッキも着けずに果敢にもまた今日もブログ更新する。
このエネルギー源は何なんだろう?
たまたま、である。
気分まかせ、風まかせ。

昨日の閲覧数は結構少なかった。
記事紹介に現れる最初の一〜二行、文頭出だしによってイメージは変わる。
昨日は「NHKテレビ番組 プロフェッショナル」を冒頭に持ってきた。
続く内容は、お堅い雰囲気を醸し出している。
「サンドイッチマン」を冒頭に持ってきたら良かった?
閲覧数低迷の原因追求、推測、想像と結果論。
どんな文章が先に現れようが、たぶん、あまり変わりはない。
自己満足の世界だから自分が楽しめたらそれでよい。
そして、これも推測だが、読んでいただく方々は通りすがりの道行く人ではなく、同志、文章同好会の皆様だと(勝手に)思っている。

さて、うちにもピアノがある。
その話はまたの機会に。
何を焦っているのか?
出かける準備にかかる時間になったから。
ブログ続きは行きの電車で。


ちなみに、、、
話はころっと変わるが、
趣味の仲間で、めちゃめちゃカッコいい人がいる。
ルックスもさることながら、行動がスマート。
見た目は実年齢(70歳)より、確実に10歳は若い。
お目目ぱっちり、スラリと長身、センスも渋い。
関西弁で言うと、「しゅっとしている」。
会話もユーモアとウィットに富み、気負わず相手を褒める余裕もある。
モテただろうな、モテるだろうな。
何しろ爽やかである。
しかも身が軽い。フットワークも軽い。
こういう人は仕事も出来たのかな、と想像する。

先日、ワイシャツに刺繍ネームが入っているのを見て、それとなく尋ねてみた、、、。
ワイシャツ、スーツ、ジャケットはたくさんあり、全てネーム入りだとのこと。
「そのほうが、大切にするやろ」と、力まず、さりげなくこだわる。
自慢とは程遠い隠れエコ精神がキラリ。
職業は、サラリーマンだ!と瞬間的に思ったが、雇われていないサラリーマンかも知れない。
雇用主?
今は全然着ないということなので、現役は引退されたのだろう。

今、趣味を満喫されているが、まだまだお若いので、今後の動向に注視している。
あのまま、何も特別なことをせずに今の繰り返しでは勿体ないなあと。
いずれ、何かの趣味分野での展開で驚かせてくれると期待している。
とは言いつつ、内心、驚かせてくれない展開も望んでいる。
今のままで良いのだ。
これといった変化もなく、毎日が続編のような生き方は楽しい。
結論は要らない。
目標は、1日でも長く、今の楽しみが続くことである。

早々とわたしも、すっかりおばあさんになった。
「欲」「望み」のレベルが限りなく低い。
それはそれで、変化のないものは生きやすく安らぎを感じる。
歳を取ると守りにまわるって、このことだろうか。

昼行灯の反乱?

2021-03-25 | 日々のこと
NHK TV番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」
昨夜は、サンドイッチマン。
特別編が続々と続く。
まだ次もあるようで、ありゃりゃとなって、特別感が薄れる思い。

番組を見て思った。
取材対象者をどう料理するかによりそうだ。
サンドイッチマンでなくても、別のお笑い芸人でもよいところを何故あえてサンドイッチマンなのか?
わたしはかなりの腹黒なので、人の探らなくてもよい腹まで探ってしまう。
サンドイッチマンも散々言われているようだが、震災復興支援、手助け活動を売名行為だと揶揄される声もあるらしい。
他人は勝手に何でも好き勝手言う。
自分の発言には責任を取らない。
たんなる感想だから、自然の発露だということか。
感想や意見を言うなら、自分の氏名を公表すべきかと思ったりするが、意見を言う人は激減するだろう。
名のある人しか言わなくなるだろう。
それはそれで結構かも知れない。
言論の自由を奪うわけでもない。

自分のブログで意見を言うのは?
当局の方へ。
それぐらいはいいと思いませんか?
物事には賛否両論あることだし。

と、話はズレている。
サンドイッチマンの、どの部分に焦点を当てるか、どういう表現にするか、でサンドイッチマンの見え方が大きく変わる。
番組の作り手の意向が入るを感じることもあるが、大変なんだろうなあ。
映像に収めるには、密着取材陣とのコミュニケーションがキーになる。
信頼関係を築くのは土台になること。

わたしはサンドイッチマンは好きだが、次回、近々、志村けんらしい。
今回、サンドイッチマンが特集されたことで、お笑い芸人がプロフェッショナル対象の中で選ばれたことを喜んでいたが、また引き続き次回もお笑い、しかもわたしの嫌いな芸風の志村けん、、。
結構、がっかりした。

好き嫌いは自由だ。
感情に蓋は出来ない。
書くのは良くないのか。
嫌い、というのは、誹謗中傷にあたるのか。
嫌い、は、あくまでも芸風。
梅は好きでも梅干しは嫌い、のようなものか。

と、どうでもよいことを書き連ねている。
どうも最近、わたしは、作り手側の意図を読み取ってしまう傾向がある。
その意図が、わたしの思っていることと合っているのかどうかもわからないのに、わたしが勝手に感じてしまう。
プロデューサー目。
ニュースの方が、作り手意識を何も考えなくて良いから気楽かも知れない。
とは言え、ニュースにも報道側の意図があることもある。
ドラマなどは当然、制作意図がある。
もともと作りものだから良いが、ドキュメンタリーは作り手側の感覚によって、伝わるものが違ってくる。
人物など最たるもの。

最初の入り口、手がかり、きっかけとして興味を持つことは良い。
そこから多角的に自分で調べたり考えたりする窓口になるのなら、理想的だと思う。
まず知ることは最初の第一歩である。
伝えられていることが、正しいか、正しくないか、それを読み取り判断するには、多角的な目や時間が必要だ。

ちなみに、、、
わたしは、物事を深掘りする傾向にあり、日常生活には適していない。
切り込み過ぎて敬遠される。
なので、真剣ではなく木刀、いや、素手、いや、軍手を付けて、接した方が良いと感じることがある。
eye maskか濃いサングラスをかけ、あまり見ないようにする。
もともと目は悪いから見えないのだが、こころの目がその分見え過ぎ、研ぎ澄まされている部分があり、個人にその目を向けるとお互いが傷つく。
なので、いくら親しくても適当な距離感は必要だと感じる。
人に侵入して欲しくない部分は誰にでもあるはず。不可侵ゾーン。
見えても見えないふり、気づいても気づかないふりを、ぎこちなくではなく、自然体で行いたいと自分に言い聞かせている。
自分の思い込み、過剰反応かも知れないし。
思い違いのこともあるだろうし。

(昔の)蛍光灯、昼行灯(=反応が遅い)キャラクターのわたしなのに、なぜか、歳を重ねると、どうでもいいことに必要以上に神経が研ぎ澄まされ、嫌になる。
脳のキャパシティが狭まる一方の昨今、ぼーっとしたい楽園脳が反乱を起こしているのだろうか。



命を削る

2021-03-23 | 仕事
この水仙も舅が植えていたもの。
それにしても、毎年、律儀に咲くものである。

さて、自分の幸せを犠牲にして他人を幸せにすることが自分の幸せの人が仮にいるとする。
宗教家か?
決して自分を犠牲にはしていないと推測する。
自分の特性を生かしている。
自分の幸せと人の幸せが一致するのが理想。
自分が不幸なら、他人よりも自分を幸せにするのが先。

それで思い出したが、
NHKテレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、鰹節職人が、プロとは?という問いに、
「自分が満足出来るものを他の人に満足してもらえるのが、プロかな」と答えていた。

ちなみに、昨夜、この番組の特別編で、シン・エヴァ劇場版の 庵野秀明監督を特集、放映していた。
この人、肉も魚も食べずにお菓子ばかりボリボリ食べているけれど、60歳でもスタイルも悪くなく健全。
にこやかな可愛い顔をされていたが、取材にはこの番組最長の4年の長きにも及んだ。

モノづくりをする人は気難しい。
昔話「鶴の恩返し」の鶴のように、自分の羽をむしって作品を作る。
命を削って作品を生む。
命がなくなっても、満足いく作品が出来れば本望。命と引き換えに。
庵野監督の手法、、、ため息が出る。
自分を追い込んで追い込んで(まるで)血が出てのたうちまわる、そのプロセスは壮絶。
〆切の日が、最後の吐き出し終了口。
多大なプレッシャーの負荷がかかり、追い詰められて絞り出るものは内臓まで出てきそうな瀬戸際、崖っぷちに立たされる。

スケールや影響力は全く違うけれど、かつての仕事を彷彿させた。

監督が気に入らない部分は自分で作り直すにしても、そのたたき台を何度も何度も作らされるスタッフのストレスは想像に難くない。
しかも、具体的な指示なしで、「そうじゃない」とダメ出し。
どこがどうダメで、どういうのが良いのか、方向性すら定まっていないで。
じゃあ自分で作れ!とブチギレるだろうが、スタッフのエネルギーが続く限り作らせる。

この説明、いかにも浅く薄っぺらで軽い。
つくづく、自分の文章表現力は安っぽいと実感する。
語彙が乏しい、、、。ボキャ貧である。
(読み返してみて自分の熱量が全く伝わっていないと感じる)

あの制作現場のように、あの監督のように、あそこまでエゲツない事はないが、今でも夢に出てくる某プロデューサーがいた。
苦しいあの思い、、、シン・エヴァの制作者たちは、あんな程度の比ではないだろう。
番組を見ながら、わたしまで痛みが伝わり、追体験した。
感情移入というよりは、蘇る感覚みたいなものか。
苦しい現場。
クリエイターは無から何かを作るので、半端ないエネルギーを必要とする。
番組を見終えて、どっと疲れた。
わたしには絶対に務まらない。

が、一丸となり珠玉の作品を生み出すという、スタッフ全員の思いが、監督の指揮や士気によって高揚する。
一人ではなく全員で引き上がる。

、、、
というか、どんな職業も尊いなあと敬服する次第である。


非公開

2021-03-22 | 
夫の実家のことをもそもそ書いたが(2754文字)、アップするのをやめる。
気が向いたら公開するかも知れないが、面白くもなんともない記事である。
自分の考えをまとめようと思ったが、まとめながら、途中、読まれることを意識して、スパッと書けないで、オブラートに包んだり、婉曲に書いたり、モヤモヤを助長させている。
が、自分の考えを整理するには役に立っている。

※写真は、夫の実家の水仙。
19年前に他界した舅が生前、植えていたが、こんなに長く咲き続けるものなのだろうか??

時代は変わる

2021-03-21 | 暮らし
梅が咲いていた。
100年は悠に経っている庭の古い苔むした梅の幹に真新しい枝が生えて伸びていた。
深い、、、。

さて、昨日は彼岸で墓参りをした。
姑の初彼岸お供えを親戚からいただいた。
19年前の、舅の初彼岸の時は17件お供えをいただいたが、今回は1件のみ。
時代の移り変わりを感じた。

というか、初彼岸お供えが少なかったのは、姑が晩年は自宅ではなく高齢者施設で過ごしたことも遠因としてあるだろう。
舅が亡くなった時は、姑は今思えばバリバリ健在。
姑が自宅で舅を看ていた。
舅、最期の瞬間も病院ではなく自宅。
その様子を親戚や近隣の人々もよくご存知で、労いの意味や、今後、未亡人になる姑への応援の気持ちもあったのでは、と想像する。
それから19年、姑は(優雅な)独居生活を送った。
優雅すぎて、随分前に姑が持ち出していた、我々との同居案もいつの間にか立ち消えになった。
その気持ち、とてもよくわかる。
自分の最期までの数年は除いたとして、姑は配偶者亡き後は黄金の時期だったと思う。
向かうところ敵なし。
今のわたしと同じだ。

わたしもあと15年ほどは黄金期?
いや、大事なことを忘れていた。
わたしは、まだ未亡人ではない。
未亡人としての黄金期はちょっと延期され、今は普通の、ただのリタイア時期。
黄金期の後にはお一人様プラチナ期があり、わあわあと人生の締めくくりを満喫するのも束の間、やがて終焉に向かう。

まあそれはそれとして、初彼岸お供えが激減したことに驚いたが、わたしはちっとも落胆せず、むしろ有り難い気持ちだった。
皆さん、生活などにお金も要るし、もう不祝儀関連の出費は卒業されたらよいと考える。
いただくほうも、(わたし個人の感想としては)全く嬉しくも有り難くもない。
時代錯誤だと感じる。
しかし、律儀な方々が大変多く、自分の親などの時にいただいた限りは、またお返ししようとする。
延々と繰り返されるわけだが、、、
繰り返さなくていいとわたしは思っている。
だが、地域に拠点を置いている限り慣習を無視するわけにはいかない。

ちなみに、白洲次郎は潔い。
戒名無用!

それはそうと、香典辞退します、と皆さんにお伝えしても、実際には別の形でなんやらかんやら弔意を表してきていただく。
そのお返しがまたまた手間がかかる。
が、そんなことを言うとバチが当たること間違いなし。
わたしは罰当たりの嫁である。

同じお墓に入りたくないという思いは、今はなくなった。
自分の遺骨を放置したら、生きている皆さんに迷惑かと思って。
遺族がやりやすいようにしてもらうとそれでよい。
わたしは反骨精神はあるものの、実行力が伴わないので、ただの文句垂れということになる。
ぐちぐち愚痴のクレーマー。
それはわたしの理想ではない。
真逆。
行動と精神は統一すべし。
何もしないなら、何も言うな!である。
口出し手出しにも通じるものがある。が、難しい。
船頭が多いと、航海は困難。
また、やったことが良かったかどうか、時代を経てから功績の評価がおりる。

しかしまあ、お一人様のプラチナ期を首を長くして待つより、プラチナは諦め、黄金期を充実させるほうが得策と考える。
プラチナ期はなんといっても自分も高齢になるし、出来ることや楽しめることが、狭まってくる。
それなら、黄金期に夫婦仲良く暮らしていくのが理想かも知れない。
今は医療も発達し、夫婦で長生きするかも知れないので、お一人様プラチナ期の期間はたぶん短い。
お二人様黄金期を良い時期とするためには、意味のない反骨精神は横に置いて、意味のある協力体制を築いたほうが自分のためになる。
決して人のため、とか、夫や家族のため、とか、そんな他人軸ではない。
あくまでも自分軸。
これが、自分を幸せにする、わたしの基本スタンスである。
他人を幸せにするために自分を犠牲にして自分が不幸になるのは、本末転倒。
自分を犠牲にして幸せを感じる人もいるかも知れないが、仮に自分がそうだからといって、他人にも強要するのはいかがなるものか、、、。

あまりにもワガママは受け入れられないが、ある程度のワガママは生きる上での必要不可欠な要素だと思う。
自分に厳しい人は他人にも厳しさを強要する傾向があると感じる。
が、人それぞれなんだから、自分のモノサシを無理やり通用させようとすると、軋みを生じる。
自分と他人、、、真ん中あたりまで歩み寄り、お互いを認めるようにしたいと願っている。
妥協と言ってしまえば、それまでだが。

他人を許容する優しさを求めている。





リフォーム

2021-03-19 | 日々のこと
三寒四温とはよく言ったものだ。
しかし、服装選びに困る。

今、わたしが履いている靴。
玄関に脱いでいるのを見て、長女が言った。
「おばあちゃん(わたしの姑=夫の母)の靴みたい」

わたし「よくわかったね、おばあちゃんの靴よ」
夫の実家から持ち帰って履いてる。

長女が言った言葉、次女が先週帰ってきて、全く同じことを言った。
二人ともよく見ているものだ。
「おばあちゃんは、こんな靴を履いていた」と。
といっても、晩年の姑ではあるが。
(姑にとっての)孫たちは、見ていないようで見ている。

もう一足、ウォーキングシューズに適した姑の靴が夫の実家にある。
他の靴、何足かを、ひょいと持ち上げようとすると、ウレタン?ゴム?のソール部分が劣化したため靴箱の下板に引っ付いて、ボロボロとソールだけ残った。
こりゃいかん、と、そっと手を離した。
映画で見たことのある、魔物が灰になって風で散る映像が脳内でリンクした。
姑を決して魔物扱いしているわけではない。
が、わたしの脳内ストック映像が勝手に紐付けられた。
もうちょっとマシな映像が浮かぶべきなのに、わたしったら、、、ほんとに、自由脳である。

それはそれとして、、、
一足は持ち帰り、第一線で履き、もう一足は、夫の実家の下駄箱内に魔物映像靴と一緒にキープしている。


今、夫の実家をリフォームしようという動きが出始めている。
音頭取りは、長女。
あの魔物映像靴たちは、気前よく気持ちよく、捨てられる。

ちなみに、夫の実家の玄関に、全くテイストの合わない白い大理石の置物が置かれている。
あれは、わたしの実家から夫の両親(舅&姑)への贈り物の少女像であるが、、、。
これがまた重い。ずしり。
チープなミステリードラマの室内殺人シーンではよく見かけそうな、手に持ちやすい、手頃な重さ、大きさ、かたちである。
そんなことを言ったら、わたしの親に怒られそうだが。
何しろ、家にも室内にも玄関にも全くマッチしていない。
ほかに置くところがないのか、手頃なスペースだからか、そこに置かれているが、これを書いていて、まるで「わたし」のようだと思った。

わたしの実家と、夫の実家の関係性もなんとなく暗示している。
ちぐはぐなセンスで、やりとりが行われているが、大勢に影響はない。
わたしは、片方の親の手元からはなれ、もう片方の親元に渡った。
とりあえず、接ぎ木されたような状態で、子供も3人もうけた。
母親の自覚がないまま、父親の自覚がない夫と、夫の親の手厚い手助けを受けながら、子供を育てた。
ではあるが、精神的に自立していないものの、一番まだマシだったのは、夫は経済的に自立していたため、親の経済力をあてにすることなくいけた。
これが、経済までお世話になっていたら話にならないところだ。
やはり、経済力は要だと強く思う。

そういう流れで、子供が産まれ親にはなったものの、夫はまだ自分の親のマインドコントロールの支配下にあった。
わたしは?
自分自身は精神的には頼りにならないが、精神的に頼りになる親に助けてもらい子供を大きくしたわけだが、子供が巣立った後は、我々お子ちゃま老夫婦が残った。
精神的に頼りにしていた親はこの世を去り、夫はさぞや寂しいことだろう。
わたしは?
ただただ、ひたすら開放感。
精神的に頼りにしているというのは、表向きであり、支配されていたといってもよい。
夫は親亡き後も、引き続きわたしを親がしていたように支配しようとするが、もはや効力期限切れである。
夫の意のままにはならない。
それまでは、夫の親の力で従わせていたようなものだが、代わりに夫自身自分がねじ伏せようとしても無理である。
元々仲が悪い我々夫婦は、接着剤役割の親が亡くなり、子供が独立し、もう、くっ付けるものはない。
あるとすると、これまでの過保護ではあったが共に歩んだ歴史、過去。
未来は共有しようと思えば出来るが、今までとは同じ路線では無理。
それまで親がやっていたように親の代わりを夫がするのも無理。
男尊女卑で家父長制のイエをそのまま引き続き存続させようなどと、今時、だれが従う?
何も言わなくても何の説明も説得も懇願もしないで、全て思いを汲み取る妻の役など、したくない。
令和流にアレンジしなければ無理だ。
桂春団治(初代)をテーマにした岡千秋の「浪花恋しぐれ」、芸のためなら女房も泣かす〜、というあの歌、先日、NHKの歌番組で聴いて、歌詞に吐き気がした。
本気でむかむか、吐きそうになった。
真っ黒な、腹立たしさが込み上げた。


夫のお願いは、説得でも何でもなく、強制、たんなるパワハラである。
人を説き伏せる経験ゼロの、親の敷いた平たい安全な道しか歩いたことがない夫には、道を外れるコースがあることすら知らない。

わたしも良いとこ取りをして、楽をしていた、しっぺ返しを受けるのは当然だ。
どちらも悪い。
ただただ一方が一方的に悪いということはない。
五分五分。
喧嘩両成敗。
だから、今後は、これまでのことはリセットを「視野に入れて」取り掛かる。
なぜ、今直ぐリセットではないか?
まだ夫はリタイアしていないので、稼ぎ手として優遇する。
大目に見る。
もし、リタイアしたなら、全く五分五分の関係を強く訴えるのだが、とりあえず、まだ収入を伴う勤労をするようなので。
まだ我が家は、超時代遅れの昭和パターンで、夫は稼ぐ人、妻は家事。
稼ぐ役と家事役を交代すると、我が家は立ち行かない。
たちまちに生活は破綻する。
(破綻を回避する方法もあるが)

だから、とりあえずは、今の現状のままで、そ〜っと行く。
いつまで行くのか、未定であるが、なにはともあれ、家をリフォームする。




近隣事情

2021-03-17 | 暮らし
我が家の2筋前の家と、斜め後ろの家のお年寄りが、相次いで亡くなった。
顔も名前も知らないし、家の位置は近いからわかるものの、どんな玄関で、どんな家の形状だったか、さっぱり記憶がない。
家の前は通っても見ていないということか。無意識。
お二人ともお葬式は事後報告。
自治会に葬儀を事前報告すると、参列する義務が生じる場合がある。
身内で終えて事後報告するのが昨今の風潮のようだ。
皆さん、まるく収まる。

まあそれはそれとして、その代わりと言ってはなんだが、、、
我が家の、道を隔てた斜め前の家、取り壊されて更地になって数年経っていたが、この度、ほぼ同時に2軒、新たに家が建築される。
2軒ともお若い世帯。
1軒は、お子さんが、わたしの2番目孫(今春から小学新1年生)と同級生らしい。
まさに、世代交代、入れ替わり。
1軒分の敷地が、ニコイチ、2つに分割されて家が建つ。
おのおの別々のハウスメーカーなのだが、敷地は左右に真っ二つ、半分。
それぞれの特徴のある家が建つことだろう。
2軒とも住まわれるのはお若い方々なので、自治会にぜひとも入会していただき、若返りが期待される。
(その一方で、老世帯は、続々と自治会を脱会している)

1軒の老世帯の後に2軒の若い世帯。
二分割されているため、土地金額も半分なので、若い人には手が出やすい。
住民が若くなって活気が出て言うことなしである。
が、あまり良い顔をしない住民もいる。
保守的な前々から先に住んでいるお年寄りならいざ知らず、ほんの少し前に入ってきた若い世代なのに。
しかも、ニコイチ組。
街並みや街の雰囲気が変わるのは嫌なんだそうだ。
なぜなんだろう?と、無理矢理、理由を想像すると、、、(推測、憶測に過ぎないが)。
多分、土地価格の低下による不公平感。
同じような土地を高く買うか安く買うか。タイミングによる。
ほかには、、、土地の広さ。
一軒分の分譲土地面積が、同じ町内、同じ丁でも番地によって、ほんの少し違う。
しかし、ほんの数十坪の差、ささいな違いである。
ちょっとの違いは、ほぼ同じだとわたしは見なしている。
だが、綿密にいうと、数十坪広い敷地に家々が建ち並ぶ街並みではあるが、それぞれがプチ豪邸。
少しの例外はあれど、そこそこがプチ豪邸揃いとなっている。
街並みが崩れるのが嫌だという感想は、そのことかなあ、、、と。
プチ豪邸跡に、プチプチハウス。
三分割、サンコイチの家もちらほら見かけるようになった。

豪邸通りとされていた家々も、引っ越ししたり、別の人が住んだり、取り壊されたり、新しい家が建ったり、駐車場になったり、その駐車場がニコイチ住宅になったり、、、わたしが住み始めてから30数年の間には、移り変わりがある。
第一、土地の価格は半分〜3分の1近くに落ち込んでいる。
新たに入る住民、出て行く住民、それぞれの時期によって売買価格が違う。
そして、昔のニュータウン(おかしな表現)なのだから、各土地そのものには歴史差はなく、均一的、金太郎飴的で似たり寄ったり。
入った時には土地は同じ、一斉にスタートは同じでも、
入居時にそれぞれの背景は違っても、50年近く経つと、またそれぞれの背景は違ってくる。
若い時に移り住んだ人々も、認知症の年齢になっている。
子供の世代もすでにリタイア年齢の世帯もあるし、子供世帯と二世帯住宅にしているところもあるし、高齢者施設に入居を控えているような人もいる。

アップダウンのない、いつまでも同じ水準をキープできる暮らしが幸せだとわたしは思う。
成り上がったり、落ちぶれたり、激動の推移は疲れる。

お年寄りの中に、新たな若い世代の流入により、街に活力が生み出されるのは好ましいと感じる。
停滞する街に、若い芽吹き。
若い人が入ってきやすいように、さらなる促進政策も作ってほしい。
そのためにも魅力ある街づくりが望まれる。
ニュースをテレビの向こう側に見てではなく、自分の暮らしの足元から実際に高齢化社会を実感する。

ちなみに、、、
時代の移り変わり、変遷を肌感覚で感じる。
負の遺産も処理代に結構な費用がかかる。
遺産を受け継ぐ世代には、当たり外れがある。
と、この話を書き始めると長いので、またの機会に。

今回は市役所の広報誌みたいな内容になってしまった。
面白くないということ。
そのせいもあり、なかなか筆が進まず、何日も抱えたままアップしない状況が続いた。
次に進まないので、とりあえず、アップする。

写真は娘婿からバレンタインデーのお返し。
一個食べたところで、娘に「写真撮らなくてもいいの?」と言われ、食い気に走りすっかり忘れていて、あ、そうそう、と撮影。
Sadaharu Aoki.超売れっ子のチョコ。
わたしがあげたチョコの10倍?ぐらいしそうで、お高くついて誠に申し訳ない、、、




言い訳無用

2021-03-09 | 暮らし
イーチャン、仏出版、応援してます。
それと、パワハラではなく、影響、です。
啓蒙啓発でもある。
往復書簡ブログ内やりとり、なんか楽しい。

わたしは脳内は実にスッキリしているのだが。
一面、お花が咲いているだけだから。
その分、モノが多い。
断捨離は、ブルトーザー破棄が良いと、こころから思った。
残土処理とかは業者にお任せしよう。
あ、リアル美術品は例外。

さて。
災害に見舞われた人々の10年にわたる暮らしを特集している番組を昨夜、NHKテレビで見た。
三人のお年寄り男性。
お二人は80歳を超えてから亡くなったが、お一人は、84歳で今も漁師を現役続行中。
厳しい自然と向き合う職業って、過酷ではあるが光り輝いていると感じた。
海と向き合う。
家族も皆んな、強い。強くなる。

わたしは絶対に無理だから、尚更そう思う。
へなちょこなので第一次産業従事者にはなれない。
もし、農家や漁師の家に生まれていたら、、、?
実際に生まれていないので、なんとも言えない。

農家の人々なら子供の頃、周りにたくさんいた。
どちらかというと、諍いもなく親戚たちは、のんびり、ゆったりしていた。
わたしが子供で親に保護されて大人の世界を知らなかっただけかも知れないが。
土地に種を蒔き育てるには、時間がかかり、持久力がいる。
豪快な漁師さんとは気性が異なる。
多分、水と油。
農業従事者と漁業従事者が結婚すると、キリスト教とイスラム教ぐらい、性質に違いがあるかも知れない。
が、宗派は違えど、根本は同じ。
考え方や表現方法、体現の仕方、見え方が違うだけだ。
さらに、第一次産業以外の従事者はまた違う。
当たり前だ。
業種、勤労形態や内容も時代とともに、移り変わる。
その家族もまた変遷する。

「サラリーマンの妻」というのを、「奥さん」と言った時代があった。
外で仕事をせずに奥に引っ込んでいるかららしい。
今も妻のことを「家内」なんていう男性がいる。
「愚妻」という表現もあり、愚妻の皆さんはカンカンになって怒っている。
外に向かってこともあろうに愚妻だとお??
という憤り。
しかし、愚妻は哲学者を育てる。
ソクラテスは悪妻に悩まされて、大きくなった。
愚妻と悪妻は微妙に違うのかも知れないが。
人を育てるのも大事だが、自分を育てるのも大事。
悩みながらも両方育てばウインウイン。
が、今時、「奥さん」なんていないかも、と思いつつ。
ただし、家の中でじっとしているのはツマラナイから外に出て思いっきり遊ぶ「奥さん」もいるが。

そういえば、先週末、いつも乗る路線バスは、女性の運転手さんだった。
運転手席から発するアナウンスが女性っぽい声だなあと降り際にちらとお顔を拝見すると、楚々としたマスク美人だった。
あんな大型バスをあんなか細い女性が、、、
わたしは運転が限りなく下手なので、女性とわかった瞬間、尊敬してしまった。
女性ドライバーのタクシーには何度か乗車したことがあるが、路線バスは初めてだった。
男も女もない、性差はないとしみじみ感じた。
あの私鉄系バス会社の女性運転手はおそらく彼女が(わたしが知っている限り)一人目なのではないかと想像する。
別の走行ルートでは女性運転手さんも配属されているかも知れないが。
すごいなあ、、、地図が読めない、空間位置関係が把握できない、わたしは、ひっくり返っても出来ない、、、。

しかし、この地図解読、不得意分野にも、性差はないかも知れないが。
封切りされたばかりの韓国映画「野球少女」からも、同じようなメッセージを受け取った。
女子だから、家計が苦しく家族から反対されているから、そういう自分の能力以外の逆風のせいで出来ないと言い訳は見苦しい。
出来ないのは、自分に能力がないからだ、と。

わたしは小学高学年の時に嫌というほど、その現実に向かい合った。
家が裕福な子も、権威者の親がいる子も、ルックスが良い子も、スポーツができる子も、人気がある子も、性格が良い子も、勉強レースでは同じ条件下に置かれていた。
勉強だけを切り取り、他の条件は一切カット。
点数のかさ上げにはならない。
家が裕福な子などは、かえって惨め。
家庭から逆風が吹いていないにもかかわらず、教育ママゴンが、頑張って!と、紅茶とケーキを勉強部屋に差し入れても、本人は頑張れない。
出来ない外的理由があるほうが救われる。
全ての条件をリセットして、一つの分野だけで競うというのは、自分と向き合う以外に方法はない。

まあそういう過酷なレースに、わたしは10歳あたりから揉むに揉まれ、結果的には落ちこぼれたのだが。
落ちこぼれると知識は身には付かなかったが、知恵が身に付いた。
何も価値観は一つではない。
なんでもやっていけるということだ。

というわけで、自分の能力にとっくの昔に見切りを付けているわたしなので、女性なのに、大型バスの運転手業務を立派にやっておられる人を見ると、賞賛、応援したくなる。
もちろん、男性であっても、だ。
皆んな、頑張っている。

頑張ってないのは、わたしだけだが、人の迷惑にならないよう頑張っている。
まあ人には人の道がある。

て、今日のブログ、終盤になってきた。
そろそろ〆ないと。
皆さん、それぞれに頑張っていて、その様子を知ると勇気や活力をいただく。
人々の姿を見て感動してしまう、単純なわたしだ。
10歳のレース体験の後、色んな変遷を経て、脳内にはお花がいっぱい咲いている。
これも不思議な光景である。