わたしの蝶ブログ、実質的読者は2名である。
読んでいただいて、とても嬉しく有り難く思っている。
いつも自分では、独り言の単なる書き散らしブログだと思っているし、いかにもそんな内容。
折り込みチラシの裏にビッシリ、ボールペンで書き込んでいるかんじ。
そんな、穴蔵、穴暗、アングラ叫びをちゃんと読んでくださる方がいて、なんだかじーんと感動する。
ちなみに、、、
裕ブログ、いつも、不動産物件探しの描写、説明を読み、わたしは頭の中で建物立地、間取りや、内装、建物から見える景色を思い描いている。
裕さんのように緻密な理系脳ではないので、グーグルアースやGoogleマップは瞬間機能しない。
縦長窓、、、このイメージは強烈である。
ところで下まである窓って、幅が狭いのだろうか。
わたしの自宅(築20年)の最新窓は、上下にスライドする、レトロ感たっぷりのウッド枠(木製サッシ)の上げ下げ窓。
昔の懐かしい電車の窓みたいなもの。
一から作ったのに、なんでまた古い様式?
流行は回って繰り返されるので、、、。
それはそうと、、、
わたしもかつて、不動産物件を探し回った時期がある。
先ずはインターネットで物色して、見たい物件があると担当不動産屋に連絡する。
不動産は、営業マンの力量やセンスにもかなり左右される。
が、物件そのものがやはりメイン。
広さ、立地、建物で価格が決まる。
価格が上下すると、他の条件が変動する。
と、あとは、タイミング。
売買物件は生き物だから、買い手、売り手の双方の思いには時間的な偶然や必然が、重要になる。
いつまでも買い手のつかない物件は、あまり良い物件とは言えない。
人気物件を買い逃すこともある。
買いたい熱量と、売りたい熱量、どっちが熱いか。
それで、さらに突っ込んだ交渉売買価格が決まる。
そのほかに、平面間取り図を一日中ながめて、自分の頭の中で立体に起こして楽しんでいた時期もある。
自由時間は100パーセント、図面起こしに費やした。
空間をイメージする楽しさに取り憑かれていた。
頭で考え、創り出した空間に、実際に住んでみると、また違う。
数センチ、数十センチの高さや幅が意外に気になる。
イメージ先行でプランすると、使い勝手が悪い。
使い勝手先行でプランすると、余計なお世話的な、宝の持ち腐れ的な、くどいものになる。
使っていくうちに、暮らしていくうちに、自分のものにしていく、容れ物に魂を吹き込んでいくような作業かと。
使い勝手が悪くても、工夫して次第に馴染んできたり、愛着を持ったりもする。
と、ここで話はころっと変わるが、、、
(いつもこれ)
思い切って行動していたことを後になって、つくづく良かったと思うことがある。
今しなければ、もう一生しない、今が最後のチャンス、期限の限界だ!!
と、そう思って重い身体に鞭打ってアクションを起こした案件がある。
10年前のこと。
今、思えば大正解。
機を熟していた。
あれより早くても遅くても、あの体験は出来ない。
20年前でも、今でも、20年後でも
、同じ行動は出来るだろうけれど、あの時期は一期一会。
タイミングは貴重だとしみじみ思う。
いつもわたしは、微動だに動かないナマケモノなのだが、じーっと動く時機を見つめ、見極め、見計らっているように思う。
やっぱり、根っからのエコ人間か。
無駄は嫌い、避けたい。
その割に、大量の(人から見ると)無駄ゴミを家に溜め込んでいる。
エコと反エコのバランスを取っているのだろうか。
わたしが動くのは、scrap & build、人が誕生する時と、人が居なくなる時。
世代交替の時に、大きく深呼吸、背伸びをして、動く。
冬眠熊のごとく。
それまではじっと動かない。
楽しい充実した待ち時間である。
自分の終焉時も、ゆっくりした大きな動作で、欠伸や伸びをして、ああ、楽しかった、そろそろ時間だ、と、この世からあの世への敷居をまたぎたい。
全然悲しい暗い雰囲気はなく、なんだか明るい満たされた気持ちになる。
そんなわたしは、まだまだ先のことだと感じてピンと来ず、現実として受け止めてないからだろうか。
病気などの兆候でも出始めたら、きっと、真っ暗な気持ちになっている可能性、大である。
先のことはわからない。
今から心配するのは、せっかくの黄金時間が台無しである。