蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

SNS依存症

2017-11-29 | わたし
最近、スマホを片時も離さない人がいるらしい。
わたしも、その一人。
SNS依存症である。
なにも今に始まったことではない。
珍しくも目新しくもない。

姉の趣味のクラブ仲間は、試合遠征中もフェイスブックなど、いつもチラチラ、気になるそうだ。
しょっちゅう、コメントのやりとり。
わたしは、フェイスブックはやっていないし、フォローもしていないから、いたって自分の周辺は静かだ。

いつもピコピコうるさい代表みたいなLINEは、家族としかしない。
しかし、これは、結構、頻繁。
ただし、夫は仲間ハズレ。
我々は、いじめっ子である。
が、夫自身がLINEをやっていないので、スルーや既読など、なんの意味もなさない。
LINEなど、やらないほうが、平和だ。
変に、噛むと、煩わされる。
とは言うものの、相手は娘二人なので、お気楽そのもの。
わたしの文章が、やたら長かったりもする。
あとは、たまに趣味仲間の人との連絡に使っているだけ。

そのほかは、姉や姪と、業務連絡メール。
LINEに比べると、スピードが遅いが、まあ二人とも、ガラケーなので、仕方ない。

今、最も趣味関係のSNSが、なかなか、やり取りがせわしない。
特定の人物Aさんが、趣味関係のわたしの過去にアップした記事について、気が向くとコメントを入れてくるので、返す。
すると、またコメント。ラリーの応酬。
過去の記事であることがポイント。
最新の記事なら、こういう目立つことをしていると、他の会員さんの注意を引いてしまう。
知る人ぞ知る、で、知っている人だけが見に来る。

それをまた見に来る人、Bさんがいる。
いわゆるROM。
じつは、わたしはリアルBさんを知っていて、大ファンなのである。
もちろん、Bさんは、わたしを知らない。
Bさんが見に来てくれる度に、ドキドキ。
でも、過去記事コメント欄では、別にBさんの話題はせず、Aさんと趣味の話題で盛り上がっている。
こういう不思議な構図が、ここのところ、出来上がっている。

AさんともBさんとも、こっそり誰の目にも触れずメールをやり取りすることもできるのだが、あえてしない。
公開ディスカッションである。
2ちゃんねるの、お上品、お利口版みたいなかんじ。
参加者は二人だけ。見に来る人も、ほんのわずか。
なぜか、今、Aさんと二人でこれにハマっている。

出先だと、スマホの電池がすぐに減って、最近は充電器を持ち歩いている。
完全に依存性。
AさんもBさんも、仕事している現役世代なのに、仕事の合間にのぞいているのか?

まあ、いつまでも続かないと思う。
今だけのフィーバー。
大人のお遊びである。

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火花に、ほろり。

2017-11-26 | わたし
別SNSの日記で、一昨々日あった出来事を思いっきり愚痴った。
こちら蝶ブログでも、まだまだ愚痴りたいところだが、万が一、別SNSでお読みになった方が、蝶ブログを見ると、あれ?この人、、、?
と、人物特定されてしまう恐れがある。
なので、同じ記事内容は絶対に載せないようにしている。

過去にパリブログを書いていた時は、同じ記事を載せたこともあった。
が、パリブログは、まったく匿名性まるだしの、どこの誰ともわからないもので、問題はなかった。
だが、今の別SNSは、リアル人物が行き交い、リアルタイムでリアルな場で進行しているので、人物特定をしようとすると、不可能ではない。
あえて、特定できないようには書いているが、かといって、嘘も書いていない。
自分でお気に入りの記事、ネタがある場合、どちらにアップしようか悩む時がある。

ただ、むこうのSNS日記は、閲覧数がリアルタイムでアップされるので、反響がない時は悲惨である。惨め色。
この惨め色を読み手側の皆さんと同時にシェアすることに、わたしは耐えられない。
こちらの蝶ブログは、閲覧数はブロガーの編集ページにしか出ないので、本人にしかわからない。(あえて、表に出しているブロガーさんもいるが)

その別SNS、閲覧数がいつも少ない書き手の人もいる。
気にしてないのだろう。
閲覧数には、選挙やファンクラブに少し似ているところがある。
組織票が入る人(多くのファンを抱える人)は、いつも閲覧数が多い。
アップしてすぐに閲覧数が上がる。
逆に1匹狼の人や知名度のない人は、極端に閲覧数が少ない。

わたしは、、、
1匹狼であり、また、リアルな顔を出していない覆面ライターなので、閲覧数はそう多くはない。
が、比較的、じわりじわりと時間が経つと閲覧数が増えていくようだ。
(毒が後から効くかのごとく?)

ファンの多い人は、人柄が良く、親切で、能力が高いのに謙虚な人。
で、文章にサービス精神が盛り込まれている。
そして、リアルタイムに欲しい情報が得られる。
というように、SNSで知り合いになっていれば、絶対に得をするような人。
例えば、便宜を図ってくれる、とか、自分の役に立つ、とか、優良な知り合いを紹介してくれる、とか、実際に踊ってくれる(社交ダンス関連の集まりです)、とか。
なので、実際にリアルに人気がある人の日記は閲覧数が多い。

方や、わたしは、その逆。
なんのメリットも特典も与えないし、実際に踊るにも覆面だし、オフ会には絶対に顔を出さないし、どこをどう探しても、実利は転がっていない。
が、なんか、優等生の皆さんがチヤホヤされているのを面白がらない、自分が優秀だと思っている人や、実際に優秀だけど自分では表に向けて言えない人が、優越感を味わいたくて興味を持って読んでおられるのではないかと推測する。

光輝く人を斜めから藪睨み。
が、決して否定したり、非難したり、上げ足取ったりしない。
独自の目線で現状を斬っているに過ぎない。
でも、わたし自身、自分が救われるように、他にも救われる人がいるのだろう。

真っ正面からだけ、ひとつの物事を捉えてきゃーきゃー言っている人は、ある意味、羨ましい。
この、疑心暗鬼に満ちた、ひねくれ根性は、「答えは一つではない」、と、わたしにささやく。
読者は、上質な食事に満足し、時にはマイノリティの声を聞くのも悪くないと思っているのかも知れない。


あ、最後の最後で、もう書く気力も(お読みになる気力も)ないと思うが、、、

映画の「火花」。
思いがけず、とても良かった。
文学で賞を取った作品を、原作である小説も読まずに、いきなり映画を観るなんていうのは、仮にも文章を書くのが趣味の人間のすることだろうか、、、と思いつつ。
漫才で泣くか?と自分にツッコミ。
お笑いであろうがなんであろうが、一生懸命、追及、突き詰めているパワー、情熱に共感、共鳴した。
泣いちゃった、です。
どれだけ、涙腺が弱いのだ?
お笑いネタがぎゅっと詰まっているところも、お得感あり。
美味しい蟹を先の細い脚まで、ほじくって食べたような、甘く切ない満足感があった。

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溜まり停滞すると、濁る。

2017-11-22 | 日々のこと
最近のわたしの、マイナーチェンジ。
ミニ老化。
ものごとへの理解が遅い、とろい、わかりにくい。
ニュースや、記事を読んでも、さらさらと頭に入らない。
さらさらと、うわっ滑り。
右耳から左耳に抜け、そのまま引き返して来ない。
行ってきまーす、行ってらっしゃーい。
全然、帰って来ない。
お帰りは、いつ?
明らかに脳が退化していると自覚する。

記憶の悪さ、弱さには、もう随分前からうんざりしている。
今の良くない傾向は、それを隠そうとする。
バレないように、極力、物事に関わらないようにする。
自分だけの世界に閉じこもる。

前々からそういう傾向にあり、好きで閉じこもっていたのが、今は逃げるようにして身を固くし、しかも最近は顕著である。

それに比例して、もう一人の自分がうるさい、うるさい。
四六時中、やんや、やんやと、わたしに話しかけてくる。
いい加減に黙ってよ、うるさいわー。
ああでもない、こうでもない、見たもの、聞いたものに、かたっぱしから感想を言ってくる。
わたしが幼稚園ぐらいの時、初めて、思ったことが、脳かどこかで声になり、自分にその思いがこころで聞こえることを発見した。
頭で考え、感じる、自己思考の初体験というものだろう。
客観視する、もう一人の自分がいることに気づいた。
脳内・二卵性双生児の誕生である。

今、真ん中の3歳の孫が、それと同じことを言っていた。
「それは、◯◯やで。◯◯だということが、今、△△くん(自分のこと)わかったんや。気がついたんや」
◯◯は、カタチであったり、状態、動き、人の気持ち、扱い、行動、などなど、多岐に渡る。
この孫、わたしより、オマセだ。
1年か2年、わたしの幼児の時より早い。
しかし、わたしは彼の年齢のころ、祖父のお葬式の様子、一場面をはっきり覚えている。
だから、年齢的に、脳の発達進度は似たようなものだ。

その、幼児の頃の発見を、今、また再認識しているわけだが、、、
ちょっと、うるさい。

この状況を自分で分析するには、
外に向かって声を出せない分、脳のなかで未処理の感想やら意見が溜まってきて、それが溢れて流れ出てきているのではないだろうか。

溜まってくると、少し、詰まって停滞しないように、適度にアウトプットしないと、健康によくないようだ。
血管が詰まらないための血液サラサラ薬みたいに。
溶かす、あるいは、掻き出す、摘出する作業が必要である。
自分なりの方法で出していこう。
ブログなどは、最たるどんぴしゃツールである。
わたしの場合、発信ではなく、発露といったところか?
時には、はた迷惑な、読む側の気分を害する発露もあるので、attention please お取り扱い要注意です。

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gooさま へ

2017-11-20 | ブログ
コメントをいただき、コメント返ししようと、何回もトライしていますが、反映されません。
gooさん、調子、悪いんですか?

コメントいただた方へ
復旧するまで、今、しばらくお待ちください。


「gooさま」は、このgooブログのことですが、後に復旧しました。
で、無事コメント返し(短文)はアップできたので、この記事は非公開に切り替えました。
が、さきほど見ると、ブログ村エッセイの注目記事に入ってしまっているので、わざわざ見に来ていただいて、蝶が留守だと申し訳ないため(大げさ)再公開します。

て、補足説明のほうが、長いですやん、、、
というか、補足説明つけたら、面白くもなんともないですやん、、、
というか、ブログ村、注目記事の選び方、相当、疑問。
基準のない、AIのまぐれ遊び?
選んでいただいて、なんなんですが。

頑張る人の評価、頑張らない人の評価

2017-11-20 | 日々のこと
夫の仕事がらみの会。
家族として参加した。
なので、代議士の妻のごとく、とは言わないが、「いつもお世話になっています」モード。

家族以外の方は、同業同士、好きなことをしゃべっている、和気藹々とした会である。
なかでも、家族共々、つまり、ご夫婦で同業という方も、何人もおられる。
男性だから、女性だから、という、性差による、仕事の差は全くない。
男女平等。従って、収入にも性差がない。

その中で、いつもご一緒の女性、Aさん。60代半ば。
Aさんご夫婦は二人とも仕事は夜9時前に終了し、奥さんは9時に閉まるスーパーに駆け込み、旦那さんは自宅へ。
奥さんは、あと5分というギリギリの時間に買い物をして、あたふた追いかけるように自宅へ。
旦那さんは、冷蔵庫を開けて、なにか食べようとするので、「待って〜」と、すぐに食べられるものから食卓に並べる。
食べてもらっている間にフルスピードで調理。
自分も食べて、片付けて、仕事のやり残しなどもやって、寝るのはいつも午前2時になってしまうという。

すごく素晴らしい、よく頑張る奥さん。
同業の仕事では奥さんのほうが評判が良いという声も聞く。
そしてまた、腰の低いこと、
エレベーターひとつ降りるにも、「すみません、失礼します」。
トイレに行くにも「すみません、お先です」
なんでもかんでも、やんわり物腰で、ご丁寧。

ひとしきり、(こころの中で)絶賛したあとわたしは、自分と比べてしまった。
えらい違いだ。天と地。
しかし、比べてどうなる?
所詮、別の人。
彼女を目標に定めて頑張るかといえば、頑張らない、目標にしない。
第一、天賦の能力が違う。

家事は、旦那さんにも協力してもらえばいいと思う。
一人で背負う意味がわからない。
旦那さんが寝たきりならわかる。
仮に旦那さんが21時から見たいTVがあるとしても、なぜ、奥さんばかりがバタバタする?
同じ時間に仕事が終わっているのだ。

わたしは考えた。
おそらく、あの奥さんは、スーパーマンが好きなのだ。
自分が身を粉にして働くのが、生きがいなのだろう。
だとすると、生きがいは、人によって違うので、わたしの生きがいとはたまたま、対極にあっただけである。
ただし、世間や、仲間、身内、全ての人々から高い評価を受けているだろう。
それが、彼女の苦労のご褒美であり、成果に対する評価である。
仮に旦那さんがなんとも思っていなくても、周りの皆さんが評価する。
評価を求めて行動しているのではなく、結果的に評価される、という正(プラス)のスパイラル。
評価に振り回され、評価を得たいばかりに、能力以上のことをしたがる人は、時には痛々しい。
が、無理をすることによって、能力がアップすることもあるし、潰れることもある。
あまりにも天賦の能力とかけ離れた、無理な目標設定は、失敗することが多い。


さて、わたし。
まわりのことはどうでもよく、自分本位。
当然、評価もされないし、「あれ? 去年は参加されてました?」
と、存在すら認識されない。

で、わたしはどう思うか。
当たり前である、と感じる。
参加しても、頑張るわけでもなし、二次会にも行かずに、さっさと帰ってしまうし、愛想のないことこの上ない。
お義理で参加しているのが、まるわかり。

まあ、人様に嫌なことを言うでもなし、迷惑行為をするでもなし、時間に遅れたり、調和を乱すわけでもなく、居ても居なくても同じ、透明人間である。

こういう自分であることは、ブログでも随分、綴ってきている。
楽して、いつもサボっていて羨ましいなあ、と感じる方がいるとすると、同時に、なにもしない分だけ、自分に跳ね返る現実を受け止めることが前提である。

良い評価を得よう、とか、好かれよう、人気を得たい、などとは、間違っても思わないこと。
好かれなくても、嫌われなければそれでよい。
相手にされなくても、大っぴらな無視をされなければそれでよい。

というわけで、頑張るAさんと、わたしは別人格で、別人であるが、たまたま席を同じくしただけである。
喧嘩する必要もないし、無視する必要も、もちろん、敵対する必要も全くない。

評価されない自分をそのまま認めることにより、評価されているAさんを認めることができる。
羨ましいわけでも、憎たらしいわけでもない。
彼女の能力や頑張りの成果を彼女が受けていることに、なんのマイナスの感情が働こうか?
頑張ってくださいね、わたしはサボりコースを選びますけどね。
わたし、サボりなんで。
という、別々のコースを歩いている人を脇から、「どうです? 調子は?」と会話しているに過ぎない。

頑張り屋さんは、頑張ることによって、自分の存在価値を見出していると思う。
サボり屋さんは、頑張らないことによって、自分の居心地の良さを築いている。

なので、頑張るAさんの話を聞いたりしながら、自分自身を自分が認めると、他のどんな人にも動じることなく、認めたり接したりできるなあ、と感じた。
個と個。独自で独立している。
お互いは認め合いたいものだ。


だが、
利害関係がからむと、そんなことは言ってられない。
理想の話、机上の空論になる。
その場合、強い者が勝つ。
世の中は、そういう仕組みになっている。
まさに弱肉強食。
調整するにしても、強者の理論がまかり通る。
(毎日、テレビニュースでお目にかかる、ある人物の顔が頭に浮かぶ)
さて、そういうことを考えると、せっかく平和に落ちついた、わたしの今日のブログの「まとめ」がグラつく。

が、また延々書いていると、サボりのわたしは面倒になってくるので、今日はこれでおしまい。

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いつものパターン

2017-11-18 | 日々のこと
今日は、溢れ出るものがない。
ではなぜ、ブログを更新しようとするのか。
なんでだろ?
しかも、今日は旅先。ホテルに滞在中。

別にスマホと、にらめっこする必要性は皆目ない。
広いホテルの部屋に、ひとり。
すこぶる、いい調子である。

今日の会の皆さん全員で食事の後、二次会。
でも、わたしは不義理そのもので欠席。
食事のお供に、赤ワインを飲みすぎた。
これ以上は飲めない。
それより、この会、夫の仕事がらみの会。
飲んだ勢いで、ホンネが、もし出てしまったら大変。
それなら、まだ「付き合い悪いなあ」と言われるほうが、ずっとマシ。

眠くなってきた。
お化粧も落とさず、夫が戻ってくるのを待っている。

外が、ガヤガヤするたびに、ドキッとする。
楽しい、ひとりタイムは強制終了か?

で、いくばくかの時間、2時間ぐらい?が経った頃、携帯電話が鳴り、部屋の鍵を開けると、夫が雪崩込み、もつれた千鳥足で5歩ほど進んで、ダウン。
いつものように、ベッドではない場所で、酔い潰れ、行き倒れ。いきなり、意識終了。
そして、わたしは歯磨き、洗顔して部屋中の電灯を消して眠る。

家でも、出先でも、旅先でも同じパターン。
いたって固定的にルーチン化していて安定している。

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脳のバッテリーが残量不足でアラーム点滅か

2017-11-17 | 日々のこと
今日1日、全く何もしなかった。
ひょっとして廃人になる予告編をシュミレーション体験?

何もしないのに、お腹は、減り、食べ、そして眠くなり、睡魔に逆らわずに眠った。
目がさめると、もう暗くなりかけていた。
あらよあらよという間に、あたりは暗くなった。

何もしない、というのは、建設的なことはまるで何もしないということだ。
消極的に、ちまちまスマホをいじって遊んでいた。
しかも、あちこちのサイトに行かず、いつも行くSNS一箇所だけに滞在し、動きのない停滞行動だった。

何をするでもなく、誰とやりとりするでもなく、自分は、もう廃人なんじゃないかとさえ思うぐらい、ぼーっと暇を持て余し、シラケていた。

でも、なぜかお腹は減る。
メインは立派な、料理屋さんのお弁当。いただいたもの。
コーヒーや、クッキー、おかき、など、ちびちび、むしゃむしゃ。
さらに、夫の実家で採れた柿を剥いて食べたり、海外土産のバナナチップスを食べたり、、、。
コーヒーばかりでは身体に悪いと思い、最後のあたりは、お白湯。
そうこうしているうちに、夜のTVニュースの時間が来て、だらだら無目的時間が終了した。

いずれ、こんな、だらだらした時間を何とも思わず、毎日、過ごすようになるのだろう。
精神の高揚の逆。
老化というのは、ひとつの擬似廃人のようなものなのか。
ちょっと衝撃。
ずっと前、時間が惜しくて仕方ない時もあったのに、嘘のよう。
ひょっとして、鬱病の持病のある人の日記ばかりを読んでいたからかも知れない。
伝染する、引き込まれる闇があるとすると、すたこらサッサと全力で逃げたい。

明るいものに向かって、自分の目を向けようと思う。
本日は、ちょっとした、ミニ鬱状態か?

自分で元気になるように、コントロールしよう。でも、無理はしないこと。
自然に任せて、沈むだけ沈んだら、また浮上する。
ばたばたすると、水が濁るので、静かにして澄んだ水になれば、にっこり顔を出そう。

激しい頭痛持ちの知人がいるが、彼女は、頭痛が来そうだと予兆を感じたら、前もって薬を飲んだり、事前対策を取り、大波をかぶるのを避けているそうだ。
自己防衛。
みなさん、持病との付き合いが長くなると、対処の仕方を工夫して見出すようだ。

わたしも、サボり主義が行き過ぎると、よくない精神状態に陥るので、頑張って、頑張らないように、程よい、いつものサボりコースに持っていきたい。
なにごとも、バランス。
行ったり来たり。
老化も並行すると、病気と境がつきにくい。
まだまだ老人の中では、最若手。
老化、老化と、あまり急ぎすぎないようにしよう。

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はけないトラウマ日記

2017-11-16 | 趣味
またまた、未公開の記事(日記)がたまって来だした。
他のSNSのマイページの日記である。
もう何編も書いては修正し、溜め、また修正しては、見直し、延々とやっている。
そのサイトの日記には、書いた後は保存日時を変更出来ないシステムになっているので、別の日時にアップするには、古い日時の未公開日記をいちいちコピペして、新しい日時に更新しなければならない。
何度も何度も、面倒臭いコピペを繰り返し、最新の日時に更新し、さあ、アップ、というところで、アップできない。

すっきり、きっぱり、アップしたい。

だが、やはり、まだトラウマは癒えていないのだ。
書いても書いても、同じような内容。
よく飽きもせず、同じことを書くなあと自分ながらに感心する。しかも、非公開。
が、トラウマは、半年に渡るパワハラとモラハラが続いたせいで起こったもの。
元に戻るには、やはり、同じだけの時間を要すると思われる。
あと半年かかる。

今まで、こころの痛み、傷、特にトラウマなどには縁がなかった。
なんの経験もしていなかったので、耐性がなく、拒絶反応が起きるまでに時間がかかったようだ。
こころが悲鳴をあげるまでのタイムラグがあった。
トラウマの元を断ち切るまでに時間がかかった分、その間にも傷は進行していた。

しかし、人は見かけや外側からではわからないものだ。
わたしは、今までよほどラッキーな道のりを歩いてきたと見られる。
一見、普通、もしくは、好印象でも、中身はわからない、という、いともわかりやすい、当たり前のことを学んだ。

自分の切っても切れない濃厚な関係者でなくて良かった。
全身全霊、そう思う。
切れない人間関係であれば、静かに蝕まれ、再起、回復は不可能になるに違いない。

と、こんな同じような内容を呪文を唱えるかのごとく、ブログに書き重ねるわたしは、そうとう冷静を欠いて、参っているようだ。
蝶ブログをお読みの方のことなど、これっぽっちも、アタマの片隅にもないことを今、気づいた。
すみません〜〜。
そのうち、まともなのも書きます〜。(たぶん)

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ホンネが書けない

2017-11-14 | 趣味
別のSNS。
いい人ぶりっこしていたら、わたしの日記ファンが現れた。
じつは、困っている。

昨日から、ハラワタ真っ黒な毒づきネタの日記を書いては修正し、書いては修正しているが、アップする勇気がない。
わたしらしくない。

なぜ、アップできないのか?
ひとつには、リアルな当事者に読まれることを恐れる。
よく考えたら、他に理由はなく、ただただそのためだけに過ぎない。
本人に言わないで陰で毒づく自分の、人格評価を(今よりなお更に)下げたくない。

なあんだ、結局、嫌われたくないだけ?
人からの評価を気にしている自分を発見する。

だが、トラウマをわたしに与えた当事者の相手は、痛くも痒くもなんとも感じていない。
わたしがトラウマを感じるほど傷ついていることも知らない。
本人にしてみると、ニコニコしていただけのわたしに裏切られた気になるだろう。
わたしが、直接、相手に不満を伝えることが出来ず、根性の無さで、ガマンにガマンを重ね、突然、壊れた。破綻した。

初めて口にする反対意見は、最後の通達、宣告になってしまっている。
わたしも非がある。
相手だけが悪いわけではない。

そう思うと、トラウマは一向に癒えない。
相手を悪者にして、後ろを振り返らずに一目散に逃げ、忘れるようにしないと。
いつまでも後を引きずる。

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初めて感じた地元愛

2017-11-12 | 暮らし
私は、リアルが充実していると、ブログ更新しない傾向にある。
楽しい出来ごとは、その場でリアルタイムに享受し楽しみ、後に尾を引かない。
なので、あまりブログに書く気がしない。
読む側にとっても、あら、よかったね、ぐらいだろう。
自慢たらしく受け取られたりすると、心外であるし。

逆のマイナス感情は、溜まりに溜まり、爆発しそうになり、ブログでぐらいしか発散できない。

ちなみに、今夜は赤ワインを飲みすぎた。
二家族、恒例の日曜合同夕食だが、もう一人の大黒柱(夫)が酔いつぶれている。
いつもなら、それでよいのだが、今夜は違う。わたしも食前酒、シャンパン、ワインと、節操なく、がぶ飲みし、酔ってしまった。
わたしは、いつもは酔わないで、正気なのだが。

しかしながら、今日は、わたしも酔い、年寄りチームは二人とも酔ってアタマが溶けて、別の世界に行ってしまったら、若い世代があまりにもかわいそう。
若い世代には、子供たちの面倒も見ないといけないし、自分たちの仕事もあり、家庭の仕事もあり、そして自分たちも楽しまないといけないのに、、、
アタマおかしい老人の世話は、かわいそうすぎて、避けたい。

で、潰れた夫を尻目に、わたしだけでも正気を保たねば、という思いが、むくむく。
酔いを強制終了した。
(強制終了の仕方は、わたし流。
酔いの原因となるものを体内から離脱させる)
そのせいでかどうかわからないが、喉が、すごく、めちゃめちや痛かったけど、どうにかこうにか治った。

若い世代には迷惑はかけられない。
頑張れ、若い世代。

ついでに、関係ない話を追加。
日曜日、地元のフェスティバルに参加した。
規模は大きく、出店数は多く、来客数も多く、楽しかった。
地元の市、各祭り委員のみなさま、ごくろうさまでした!
しかし、各自治会でスタッフを出すのは大変だ。
この成功が来年もつづきますように。

地元愛が、この年齢になって初めて芽生えてきた。
今まで引っ越して来て以来、30年間、一度も参加したことがない、地元のイベント。
自分たちの地元は、嫁ぎ先の地だと思い込んでいた。
現住所の住まいはあくまでも、仮の住まいだと思って軽く考えていた。
挿し木にやっと、命が宿ったような感覚だ。
自分たちの住む場所が、自分たちの街。
愛着を感じる。
そんな当たり前のことを、今頃になって初めて感じ、そのことを発見し、むしろ、その遅さに自分が驚いている。
新鮮な驚きである。
今までは必死で前だけを見ていたので、改めて街を振り返る余裕がなかったのだろう。
子や孫が、自分の住んでいる地にすんでいるから、もはや、自分たちの親元は疎遠になり、自分たちが、新しい親元になる。
親元が、代々同じ場所で直系が縦に受け継がれていくのではなく、移動する。
核家族の典型。
古いイエ制度は、実質的に終わったと感じた。(都会では、とっくの昔に終わっている)

形骸化した古い家をどうするのかが、今後の課題だ。
新しいアレンジパターンもあり得る。

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