明け方は、めっぽう涼しくて、日中の暑さが想像できないほどだ。
が、あいかわらず、昼間のあの暑さ。
汗が、だらだら、服は、汗でべっとり。
外出中、着替えられる人はいいけれど、着替えられない人たちから臭って来る、あの汗の臭いは、けっこう、強烈。
いったん、服が乾いても、やはり、臭う。
電車の中は、もちろんのこと、ホームで、すれ違うときも、強い臭(にお)い。
女性からは、さほど感じないが、
暑い時期ではない普通の季節に、汗ではない独特の臭いが、年配の女性からしてくることはある。
その臭いはバスの中だったり、生活圏内で、移動されているときだろう。
男性の加齢臭みたいなものか?
めいっぱい高齢のおじいちゃんは、案外臭わない。
おじいちゃん、一歩手前の男性(60後半から75歳ぐらいまで)が、いちばん、臭うように、わたしは感じる。
その、いちばん、臭うお年頃の男性より、さらに、このタイプの女性は、臭う。
でも、高齢の母たちからは、案外、臭わない。
お風呂に入っていないニオイ?なんだろうか??
衣類をあまり洗濯しないニオイなんだろうか??
病気で自宅で寝たり起きたり・・・というほど、弱っておられるわけではなく、
バスで、自在に自宅間を移動される心身の元気さを保っておられるが、
おそらく、相方(配偶者)がおられないのではないだろうか。
(母たちも、未亡人だが)
ご近所の方や、お友だちなどと、あまり接することがないのではないだろうか。
それほど、超高齢でもなく、母たちぐらいの年齢(83歳~84歳)よりも、もっと下の年齢かも知れない。
70代前半~70後半?
個人差があるから、なんとも言えないが。
80歳を超えて、一人で公共交通機関を利用している人は、お元気で、服装も整えて出かけておられる。
お元気でない人は、出かけない。
なので、街で見かけるお年寄りは、お元気な人が多いため、臭う方はお見かけしない。
その一歩手前の女性が、臭うのかも知れない。
身づくろいをきっちりして出かけるとなると、おっくうになる。
家のまま、ちょっと上の服か、ズボンをはきかえるぐらいで、出かけると、臭うのか。
毎日、お風呂に入り、あるいは、出かけるときは、前日、または当日にお風呂に入り、洗髪し、衣類を着替える。
すると、臭わないのだろうけれど。
なんだか単純な、当たり前ことを書いているように思うが、
年齢が上がるにつれ、自分では気にならないのかも知れない。
あるいは、気にする余裕がないのかも知れない。
誰か若い世代の人と暮らしていたり、誰かと交流していたら、そんなことはないのかも知れない。
臭(にお)って、なにが悪い?
そういう考え方もできる。
でも、自分でも気づかずに、加齢臭むんむんの男性より、すごく臭っている、って、そんな自分を想像すると、
やはり未然に防ぎたいと、いまのわたしの年齢、状況では、そう感じる。
人には、人の、たいへんな事情(家庭事情、健康事情)があるだろう。
特に、高齢になると、その年齢にならないとわからないような、心身のいろんな深刻な老化面が出てくるだろう。
(現に、娘たちには、わたしの加齢による変化などは、まったく理解不可能と、日々、驚き、あきれられている。
彼女たちも、そういう年齢になって身をもって経験しなければ、わからない。
自分がそうであったように)
おんなは、灰になるまで、おんな。
そう、おっしゃるが、あれは、若い人のいう言葉。
若いといっても、要介護ではない、人の手を借りずに自分のことができる(自立できている)、その程度の若い人だが。
実際に、80歳をいくつも超え、暑い夏に身体が悲鳴をあげ、かなり厳しい老化を迎えると、
おんなは、どうこう、なんて、絶対に言ってられない。
母親たちの介護をされている女性の皆さんなら、おそらくおわかりだろう。
気持ちは、灰になるまでおんな、でも、身体がついていかない。
介護の人に、「マニュキア塗ってちょうだい」なんて言う以前に、とりあえず、「爪、切ってちょうだい」。
口紅をさしたり、化粧をすると、超高齢の女性に、精神的プラスいきいき効果が現れるらしいが、
あれも、ケア施設に入所しているご老人に対して行われていると思われるもので、
自宅でいる人は、
お風呂に入るのもおっくうなのに、買い物に行かないといけない人には、どうですかねえ・・・
このあたり、例の歌人の歌
ジャガイモ切らして買いに行きたくない歌や、
老人になって「キレイに年をとりたい」と言う人に対して、日中も寝る前も、アホかと思う歌
わたしの、この、だらだら長文を、ほんの短い句で、みごとに、端的に表しているわけだが、
結果は同じだか、背景は、ひとそれぞれ違い、
わたしのように、結果よりプロセスに、うだうだ時間をかける人間は、
数学の式なしに、解き方のわかる工程なしに、
いきなり答が、ばーんと表示されるみたいなかんじで、ちょっと、愛想がない。
だが、もやもやしない、はやく結論の知りたい人、アタマのいい人、時間がない人、無駄が嫌いな人には、ぴったりだろう。
わたしにとって、人生そのものが、うだうだを楽しむ期間。
先は、死しかないんだもの。
それまでの工程を、うだうだ、ぐるぐる、あーでもない、こーでもない、と、
自分のアタマの悪さ、スッキリしないぶりを自分なりに思いっきり存分に楽しみたいのだ。